承認

否定のプレゼント

 

世界の中心に

自分が立っている

という

イメージをしよう。

 

世界の中心

ということは

宇宙の中心でもある。

 

そんな傲慢な・・・、

とは思わないで

ほしい。

 

大事なことなんだ。

 

すべての中心

自分が立っている。

 

そうイメージ

する。

 

もし、

上手くできない場合は

これに毎日

チャレンジしてほしい。

 

人間には「慣れ」という力が

あり、

これは結構

半端なく凄い。

 

ちゃんと継続すれば

だんだんとそれが

当たり前になってくる。

 

そしてある時に

世界の中心にいる自分

はっきり認識する。

 

宇宙の中心

すべての中心

にいる自分を

 

まるで真理を思い出す

かのように

 

認識できる。

 

そうなれた時に、

次のように

呟いてみてほしい。

 

「私はすべて

このままでいい。」

 

全身に

この言葉が沁み渡る

感覚がすれば

OKだ。

 

違和感があれば

違和感がなくなるまで

これも毎日、続けてほしい。

 

やはりいつか

慣れる時がくる。

 

すべての中心に

いる自分が、

自分に対して

すべてこのままでいい、

承認する。

 

これが完全に

成された時に

 

そこで初めて

 

発生する

気持ちがある。

 

その気持ちを

一言で表現すれば

 

「私はこのままでは

ダメだ。」

 

となる。

 

注意してほしいのは、

「私はすべてこのままでいい」

という言葉の

反動(反作用)として

「私はこのままではダメだ」

と浮かび上がる気持ちとは

それは

根本的に本質的に

別物である

ということだ。

 

「すべてこのままでいい」

完全に

受け入れた者のみが

 

その完全承認の

後に

 

手に入れることの

できる

これはプレゼントだ。

 

自分から自分への

プレゼントだ。

 

「私はこのままでは

ダメだ」

という言葉自体は

否定的だが、

これはプレゼントなので、

 

愛に満ちている。

 

この一言を

感じるだけで、

言いようのない

「満たされ感」に

包まれるのだ。

 

その状態で

最後にもう一つだけ

自分に問うてほしい。

 

「では、私は私を

変えるために、

今日から何を

テーマとしようか?」

 

この問いに対しては

何らかのキーワードが

浮かぶはずだ。

 

それはシンプルな

たった一つの言葉

かもしれない。

 

それが浮かんだら、

それをテーマに

日々を過ごそう。

 

それはあなたを

次のステージへと

導いてくれるはずだ。

 

つづく

 

本能に素直に

 

あなたは

だた、

そのままのあなたで

いれば

いいんだよ。

 

・・・真に

そういった眼差しを

受けると、

 

人は、

 

進化を始める。

 

変わろうと

し始めるのだ。

 

今のあなたでは

ダメだ。

変わりなさい。

 

・・・という眼差しを

受ければ、

人は

今の自分に執着を

始める。

 

何がなんでも

変わってやるものか、

意固地になる。

 

その結果、

たとえ表面上は

変わったとしても、

それはあくまで

表面上なだけであって、

 

それは

進化ではなく、

変化ですらない。

 

変わったフリ

である。

本人が自覚しているか

どうかは別として。

 

今の自分に

執着をして、

意固地に変わろうと

しないという生き方は、

 

その人に

あらゆるストレスを

生み出す。

 

人は本来、

進化の生き物で

ある。

 

いや、

 

進化というものが

カタチとして

現わされたのが

人だと

言っていい。

 

人の本質は

進化

であり、

 

しかしそれは

外圧によっては

浮上しない。

 

そのままで

いいじゃないか、

という

 

「完全承認」

 

があってこそ

初めて

それは浮上する。

 

「完全承認」が

あることで、

その人は、

 

「今のままでは

いやだ。

私はもっともっと

向上したい」

 

という「本能」が

発揮されるのだ。

 

だから

「完全承認」とは

甘やかし

ではない。

 

むしろその

真逆に位置する。

 

甘やかしとは

中途半端な

承認であり、

 

表面上だけの

承認であり、

 

そこには

愛はない。

 

それ自体が

執着であり、

執着は執着を

生むだけだ。

 

しかし

残念なことだが、

この

「完全承認」ができる人は、

ほとんどいない。

 

人を「完全承認」

するためには、

自分を「完全承認」

せねばならない

からだ。

 

果たして

そのようなことが

できるのだろうか?

 

私達人間に?

 

・・・というのが

この20年来の

私の探究テーマの

一つだった。

 

もちろん私は

「できるはずだ」

という前提のもとで

探究を続け、

 

それは

「できた!」

という体験も含めて、

年々

確信に変わってきている。

 

真本音度合いを

高める、

とは

自分も人も「完全承認」できる

瞬間を増やす

ということでもある。

 

そして、

それができる人のことを

私は「コーチ」と呼び、

 

意図的に「コーチ」に

なれる人

(それは、朝から晩まで

でなくてもいい。

ほんの瞬間でもいい)

私は増やしたいと

いつも願い、

ここまで来た。

 

その私の

探究の歩みと

実践の歩みを、

 

私はここから

さらに

一気に

加速させようと

思っている。

 

人は今、

・・・というか

もっと正確に言えば、

 

私達人類は今、

 

大きく、そして速く

そして一気に

進化を遂げようと

願っている。

 

その願いは

とてつもなく

高まっている。

 

と、

私は日々、実感

している。

 

私はその

「実感」に

応えたい。

 

もちろん私一人で

どうなるというものでも

ないのは

重々にわかっている。

 

しかし

私は人間だ。

 

人間は

自分にできる

最大のことをしたい

生き物だ。

 

それを通じて

進化したい生き物だ。

 

私はその自分自身の

本能に

素直に生きたいと

思う。

 

ここからさらに

加速するよ。

 

つづく