進む人は心地がいい。
私はいつもそう感じます。
どれだけ未熟であってもいい。
どれだけ能力がなくてもいい。
どれだけ弱くてもいい。
どれだけバランスが悪くてもいい。
どれだけ尖っていても、どれだけ凹んでいても、
どんな状態でもいいのです。
どのような人でもあっても
進む意志さえあれば、
私は、その人と向き合いたい。
その人と共に進みたい。
そう思います。
「進む」とは、「進化」ということです。
私はあえて、「進化」と「成長」という二つの言葉を
区別しています。
「成長」という言葉には、様々な意味が
含まれてしまうからです。
例えば企業で言えば、
売上や利益や事業規模が年々増加していくことが
「成長」と表現されますが、
私は、その中身をいつも大切にしています。
そこに「進化」はあるのだろうか?と。
どれだけ事業規模が大きくなっても
そこに「進化」がなければ、私はただの
「膨張」
であると思っています。
個人であれば、
どれだけその人の能力が高まったとしても、
そこに「進化」がなれば、ただの「能力の膨張」に
過ぎません。
「膨張」することを私は
「進化」だとは思いませんし、
それを「進んでいること」だとも思いません。
むしろ「膨張」だけで満足している人を私は
「止まっている人」と見ます。
「止まっている組織」と見ます。
「進化」とは、
次元を上げていくことを言います。
次元については、改めて詳細に書かせていただくことに
なると思いますが、
次元を上げるために最も直接的な影響を持つのが
「真本音度合いを上げる」ことです。
つまりは、
自らの真本音を大切に生きる
ことは、「進化」への最短の道です。
私は、
能力を高めるだけのコーチングはしません。
「進化」を拒絶している人のサポートは
しません。
そう決めて、これまでやってまいりました。
何のために、「進化」するのだろうか?
「進化」の先に何があるのだろうか?
そんな疑問も浮かんだことがありました。
もちろん「進化の先」はあります。
そこで手に入れられる「現実」はあります。
しかしそれよりも、
「進化」とは、それ自体が「目的」なのです。
つまり、私達人間は
「進化を目的として生きている存在」なのです。
「進化そのものに喜びを感じる存在」
それが、人間です。
人間としての自然な姿は
「進化すること」です。
その自然な目的に素直になっている人は
一緒にいて、とても癒されます。
一緒にいて、心地よいのです。
進む人は心地がいい。
・・・それは、私だけでなく、すべて人が心の根底で
本能的に感じることです。
人は、そういう人と「共に進みたい」と思います。
進化への欲求。
進化という本能。
そういった、私達すべての人間が持ち合わせている
大切なものに、
素直に、敏感に、そして大胆に
立ち向かっていく人を増やす。
それが、私がコーチをさせていただいている
重要な目的(願い)の一つです。
コーチングをしていれば、もちろん
クライアントさんが、立ち止まってしまうことはあります。
挫折もあります。
立ち直れなくなることもあります。
それでも「進もう」という根本的な意志を
その人が持ち続けているうちは、
何とでもなりますし、
とことんまでサポートすることは可能です。
「私は、私がこんなにもダメダメな人間だとは
思ってもいませんでした。
こんな私でも、何とかなるのでしょうか?」
コーチングをしていますと、
そんな問いを受けることがあります。
これまでフタをしていた自分と向き合ったり、
進化しようと思っても、どうしてもその行動が取れなかったり、
いろんな場面で、その言葉を聴いてきました。
木村さんもその一人でした。
(→前回記事)
実は、木村さんは平井さん以上に大変な
クライアントさんでした。
自分の真本音を意識して行動を変えようとしても
どうしても、自分の許容量を超える現実が来ると、
以前の「心と行動のクセ」が出てしまいます。
その「クセ」を直したとしても、
さらに別の「クセ」が顔を出す。
その繰り返しをしました。
そしてついにある時に、
「たけうちさん、
せっかくずっとコーチングしていただいているのに、
自分はずっとダメな自分が出てしまいます。
本当に申し訳ない。
私がこんなにダメダメ人間だとは思いませんでした。
私はこのようにコーチングを受けるだけの価値が
あるのでしょうか?」
と言われたのです。
私は逆に問いました。
「木村さんは、進化したいですか?」
即座に答えが返ってきました。
「したいです。」
「木村さんは、どんな時も自分の本当の願いを大事にした
行動の取れる木村さんになりたいですか?」
「なりたいです。」
「でしょ?
その木村さんの想いは、ずっと伝わってきていますよ。
それがあるうちは、大丈夫です。
今は、心の中に余分なものがいっぱいあり、
それが木村さんの生き方を阻害していますが、
木村さんのその想いがあれば、
それらを一つ一つ乗り越えていけますから。」
木村さんは、気づいていないのです。
どれだけ自分が変わったか、ということを。
どれだけ彼を見る周りの目線が
変わってきているか、ということを。
あえてそこには触れず、
私はただ、木村さんに、ある一つの「現実」が
訪れるのを待ちました。
そしてそれは、必然的に訪れたのです。
つづく