本能

私達の本質

 

「ここにしかないもの」

 

が、

ここにある。

 

この3次元の世界

における

存在とは、

 

すべてが

そういったものだ。

 

例えば「時間」は

すべて

分離されている。

 

「今」という

この時間は、

すべて分離され

「ここ」にある。

 

それが

積み重なっている。

 

だから、

0.1秒前の「自分」と

今の「自分」と

0.1秒後の「自分」も

 

本当はすべて

分離されている、

それぞれが

別個の存在だ。

 

ただ私達の

顕在意識では、

同じ存在が連続して

存在している

ように

感じられる、だけだ。

 

すべては

分離され、

 

すべては

今ここ

にしかない。

 

分離された存在

集積。

 

それが

この世界だ。

 

なぜ、こんなにも

「分離」をするのだ?

 

ここまで

徹底的に。

 

それは、

 

ここまで徹底的に

分離をしなければ

得られないもの

があるからだ。

 

分離の極致

まで行って初めて

手に入れられる

ものがある。

 

「分離」された

私達は

 

もともとの

「一つ」

に戻ろうとする。

 

分離の極致から

「一つ」への道は

永遠とも言える

長い道のりだ。

 

しかし

それをする。

 

「分離から一つへ」

向かうにあたり

発生する

エネルギーがある。

 

それを

「愛」と呼ぶ。

 

私達が得たいのは

これだ。

 

分離をしなければ

決して得られない

のが、

これだ。

 

私達は

「一つ」に戻ろうと

する存在だ。

 

愛というエネルギー

を発生させながら

「一つ」に戻る

ことで、

 

同じ「一つ」でも

これまでとは

次元の異なる「一つ」

になれる。

 

それを

進化と言う。

 

つまり私達は

愛のエネルギーを

発生させることで

進化する。

 

その

宿命、とも言える

意志と力と行動を

本能と言う。

 

私達はもっと

本能に素直に

生きた方がいい。

 

つづく

 

本能に素直に

 

あなたは

だた、

そのままのあなたで

いれば

いいんだよ。

 

・・・真に

そういった眼差しを

受けると、

 

人は、

 

進化を始める。

 

変わろうと

し始めるのだ。

 

今のあなたでは

ダメだ。

変わりなさい。

 

・・・という眼差しを

受ければ、

人は

今の自分に執着を

始める。

 

何がなんでも

変わってやるものか、

意固地になる。

 

その結果、

たとえ表面上は

変わったとしても、

それはあくまで

表面上なだけであって、

 

それは

進化ではなく、

変化ですらない。

 

変わったフリ

である。

本人が自覚しているか

どうかは別として。

 

今の自分に

執着をして、

意固地に変わろうと

しないという生き方は、

 

その人に

あらゆるストレスを

生み出す。

 

人は本来、

進化の生き物で

ある。

 

いや、

 

進化というものが

カタチとして

現わされたのが

人だと

言っていい。

 

人の本質は

進化

であり、

 

しかしそれは

外圧によっては

浮上しない。

 

そのままで

いいじゃないか、

という

 

「完全承認」

 

があってこそ

初めて

それは浮上する。

 

「完全承認」が

あることで、

その人は、

 

「今のままでは

いやだ。

私はもっともっと

向上したい」

 

という「本能」が

発揮されるのだ。

 

だから

「完全承認」とは

甘やかし

ではない。

 

むしろその

真逆に位置する。

 

甘やかしとは

中途半端な

承認であり、

 

表面上だけの

承認であり、

 

そこには

愛はない。

 

それ自体が

執着であり、

執着は執着を

生むだけだ。

 

しかし

残念なことだが、

この

「完全承認」ができる人は、

ほとんどいない。

 

人を「完全承認」

するためには、

自分を「完全承認」

せねばならない

からだ。

 

果たして

そのようなことが

できるのだろうか?

 

私達人間に?

 

・・・というのが

この20年来の

私の探究テーマの

一つだった。

 

もちろん私は

「できるはずだ」

という前提のもとで

探究を続け、

 

それは

「できた!」

という体験も含めて、

年々

確信に変わってきている。

 

真本音度合いを

高める、

とは

自分も人も「完全承認」できる

瞬間を増やす

ということでもある。

 

そして、

それができる人のことを

私は「コーチ」と呼び、

 

意図的に「コーチ」に

なれる人

(それは、朝から晩まで

でなくてもいい。

ほんの瞬間でもいい)

私は増やしたいと

いつも願い、

ここまで来た。

 

その私の

探究の歩みと

実践の歩みを、

 

私はここから

さらに

一気に

加速させようと

思っている。

 

人は今、

・・・というか

もっと正確に言えば、

 

私達人類は今、

 

大きく、そして速く

そして一気に

進化を遂げようと

願っている。

 

その願いは

とてつもなく

高まっている。

 

と、

私は日々、実感

している。

 

私はその

「実感」に

応えたい。

 

もちろん私一人で

どうなるというものでも

ないのは

重々にわかっている。

 

しかし

私は人間だ。

 

人間は

自分にできる

最大のことをしたい

生き物だ。

 

それを通じて

進化したい生き物だ。

 

私はその自分自身の

本能に

素直に生きたいと

思う。

 

ここからさらに

加速するよ。

 

つづく

 

迷いの真っ只中にいます

 

人生は

試行錯誤の連続

である。

 

悩み、迷い、

それでも決断し、

やってみて

結果が出て、

また、迷う。

 

その連続。

 

真本音度合いが

高まると、

それがなくなるのですか?

 

と、時々

訊かれるが、

 

それは

なくならない。

 

何も

変わらない。

 

えぇ〜?

じゃあ、意味ないじゃん。

思われるかもしれないが、

そうではない。

 

試行錯誤には

2種類あるからだ。

 

つまりは、

どれだけ試行錯誤しても

前には進めない

という

試行錯誤がある。

 

同じところを

グルグル回り続ける

試行錯誤だ。

 

これは本当は

試行錯誤とは

言わない。

 

停滞、

と言った方がよい。

 

もう一つは、

手応えのある

試行錯誤だ。

 

これは、

試行錯誤自体に

とてつもない充実感を

得る。

 

とはいえ、

あくまでも試行錯誤

なので、

本気で悩むし

本気で迷う。

 

しかし、そこを越えて

自分なりの決断ができると、

目の前の視界が

一気に開ける。

 

それはまるで、

すべてから

解き放たれ、

すべてから

自由になれたような

そんな感覚。

 

これを私は

「脱皮」

と呼んでいるが、

 

この、脱皮を伴う

試行錯誤が

本来の試行錯誤だ。

 

真本音度合いが

高まるということは、

 

「停滞の試行錯誤」が

なくなり、

 

「脱皮の試行錯誤」のみが

始まる

 

ということになるのだ。

 

・・・・・・

 

もちろん、

悩むのも

迷うのも

苦しいことだ。

 

できれば、

悩みも迷いも

まったくない

人生がいい、

と思うだろう。

 

しかし人間、

面白いもので

そういった意味での

安定を得ると、

途端に

生きがいを失くし、

「自分」を失くす。

 

生きがいとは、

生きる意味を

感じていること。

 

生きる意味を

感じない人生は

誰もが

放棄したくなる。

 

「私は安定を

求めます」

誰もが言う。

 

安定のために

がんばっている人は

多い。

 

しかし、

そういった意味での安定を

実際に手に入れてしまうと、

残念ながら

冒険したくなるのが

人間だ。

 

実はここで言う

安定

は、本来の安定では

ないからだ。

 

・・・・・・

 

本来の安定とは、

自転車のような

ものである。

 

つまりは、

進み続けることで

安定する。

 

止まってしまうと

倒れてしまう。

 

それが自転車であり、

人間も

同じようなものだ。

 

ということを、

何万人という人達と

向き合うことで

私は実感した。

 

私達は

「進むことによる安定」

最も望む生き物

なのだ。

 

恐らくこれが

宇宙の摂理

だ。

 

だから私は

人間の本能の中心は

「進化」

であると思っている。

 

・・・・・・

 

進化が始まると、

誰もが

イキイキする。

 

目は輝き、

その人らしさが溢れ、

「毎日が楽しくて

しょうがありません」

と言う。

 

進化が止まると、

途端に人は

元気を失くすし、

輝きを失くす。

 

それは

あまりにも

顕著だ。

 

顕著すぎて

笑ってしまう。

 

そして、

進化にどうしても

必要なのが

「試行錯誤」

である。

 

もちろん

「脱皮の試行錯誤」

だ。

 

真本音で生きる、

とは

そういった

私達人間の本能に

素直に生きる、

ということで、

 

それにより

多くの人達の人生は

冒険的になる。

 

冒険、

と言っても

決して、無茶は

しない。

 

真本音は

「できることしか

しない」

のだ。

 

しかし、

素直にそれを

やり続けると、

側から見れば、

 

「あの人

無茶だ」

 

と思われることは

しばしばあるが。

 

でも本人は

決して

無茶はしていない。

 

できることを

着実に

日々、行ない続けて

いるだけ。

 

しかもそれは

自分にとって

最も「適度」な

刺激を伴いながら。

 

だから、

楽しい。

 

真本音の人生に

入ると、

すべてが楽しくなる。

 

そういった人生は

誰もが、

つまりは全員が

手に入れることが

本当はできる。

 

・・・・・・

 

実は、

今の私は

試行錯誤の真っ只中

にいる。

 

迷いの

真っ只中だ。

 

手がかりが

つかめない。

 

まったく

つかめない。

 

だからこそ、

とてつもなく

面白い。

 

と、

素直に感じることが

できるのは、

ずっと真本音で

生きてきた成果かな、

とも思う。

 

つづく

 

人は、課題に取り組みたい生き物

どれだけ意識の次元が

上がったとしても、

私達の前には

次から次へと

「課題」が現れます。

 

こう書くと、

えぇ!そうなの?

次元上がれば何の悩みもなく

過ごせるんじゃないの?

・・・と思う人も

いらっしゃるかも知れません。

 

しかし私達人間は

「課題」のない日々を、

極度に嫌がります。

 

私達は平穏無事な日々を

望んでいますが、

いざ、それが手に入ってしまうと

途端につまらなくなり、

生きる気力そのものを

失います。

 

前に進まなくなる、

からです。

 

これまでも何度も

書かせていただいてますが、

私達すべての人間の

根本欲求(本能)の中心には

「進化への意欲」

があります。

 

進化とは

「次元を上がること」

です。

 

次元を上がる実感がなくなることを

私達は皆、

極度に嫌がります。

 

自転車の運転と同じで、

前に進めている時は

安定していますが、

止まってしまうと途端に

不安定になります。

 

それが、

人間という存在の

本質です。

 

ですから

私達の真本音は

私達自身に常に

「人生の課題」

を与えます。

 

その「課題」に取り組むことで、

進化スピードは

加速します。

 

その加速感が

さらなる安定を

もたらします。

 

最近の私はどうも

不安定だ。

 

最近の私は

調子が悪い。

 

最近の私は

モヤモヤが続いている。

 

・・・そんな感覚があれば、

 

今、私の真本音は

私自身にどんな課題を

与えているだろうか?

私はその課題に、

真摯に向き合っているだろうか?

 

・・・をチェックしてみてください。

 

真本音から与えられる

課題のことを私は単純に

 

『真本音の課題』

 

もしくは

 

『真本音のテーマ』

 

と呼んでいます。

 

真本音の課題に取り組むことは

人生の悦びです。

 

その課題の解決策が

まったく見えなくても、

暗中模索だったとしても、

その課題に向かっている

というその事実だけで、

私達は悦びを覚えるのです。

 

毎日に

張りが出ます。

 

毎日に

目的意識が芽生えます。

 

内側から

エネルギーが湧き続けます。

 

そして

すべてのことに自然に

感謝の念が湧いてきます。

 

ちなみに、

私の今の真本音の課題の一つは

「後継者育成」

です。

 

私と同じような役割で

私と同じような力を持ち、

私と同じように人や組織を

サポートできる人を

世の中に増やしていくこと

です。

 

この課題に気づき

取り組み始めたのが2015年

です。

 

そこから、

様々な人と出会うことが

できました。

 

まだまだ少人数ですが、

私の人生の展開を大きく

変化させた大切な出会い

ばかりです。

 

このブログも、

出会いのきっかけとなるといいな、

との想いから

始めました。

 

昨年の8月7日にスタート

しましたが、

まだ一日たりとも、

休んでいません。

 

記事の書き溜めは

しません。

 

必ず毎日一記事ずつ

書いています。

 

その方針も自分で

決めました。

 

それが、出会いを助長してくれると

何となく思うからです。

 

実は最近、

一週間ほど39度の熱が

続いていました。

 

そうなると一記事を書くのに

4〜6時間かかります。

 

しかしどれだけ

体調がヒョロヒョロでも

その分のパワーは

必ず湧いてくるので

人間というのは

不思議なものですね。

 

真本音の課題は

私達に

根源的なパワーを

与えてくれます。

 

あなたの今の

真本音の課題とは、

何でしょうか?

 

つづく

 

真の成長とは、これまでの自分を壊すこと

私達は、

「これまでの自分の範疇」

であれば、

誰もが

存分に成長し続けることができます。

 

しかし、

ぐんぐんと成長をし続けると、

ある時、

一つの「境界」がきます。

 

その「境界」の先に進めば、

新しい世界、新しい自分が

待っています。

 

とは言え、それは自分とは

別物の自分

ということではなく、

本来の自分に一気に近づく

ということです。

 

その「境界」を越えれば、

とてつもない開放感と

自由を

手に入れることもできます。

 

ところが。

 

その「境界」を越えるためには、

「これまでの自分」を

手放さなければなりません。

 

もう少し激しい表現を使えば、

「これまでの自分」を

破壊する必要が

あるのです。

 

・・・これが、なかなか

できません。

 

「境界」まではぐんぐん進めますが、

「境界」の先へ

行けないのです。

 

「境界」の前で立ち止まり、

もといた世界に

戻っていってしまう人も

多いです。

 

しかし、

一度「境界」を見てしまった人が

もとに戻っても、

元通りの自分になれるわけでは

ありません。

 

だって、「境界」を

見てしまったのです。

 

その先の世界を

何となく感じ取ってしまったのです。

 

もとの世界に戻っても、

「なんで先に進まなかったんだよ!」

と、

自分で自分を責め続けることに

なります。

 

それが結構

きつい。

 

もとに戻っても、

以前よりも苦しみは

大幅に増してしまいます。

 

じゃあいっそのこと、

「境界」まで行くことすら

やめればいいじゃないか。

 

そう考える人も

いるかもしれません。

 

しかしながら、

それもできないのです。

 

なぜなら、

私達人間は

進化のために存在しているから

です。

 

私達の本能の中心には

進化欲求

があります。

 

それがある以上、

つまりは、人間である以上、

遅かれ早かれ

必ず「境界」の前まで

行ってしまいます。

 

しかも今は、

「早く境界まで行きたい!」

「早く境界を突破したい!」

と真本音レベルで望んでいる人が

本当に増えています。

 

その欲求が

世の中全体に新たな潮流をも

生み出しています。

 

まるで川の水が

川上から川下へ流れるように、

私達は止まっているつもりでも、

どんどん「境界」に向かって

進み続けてしまうのです。

 

ですから本当は

私達に選択肢は

ないのです。

 

「境界を突破する」

という選択肢しか

ないのです。

 

その事実を

受け止めること。

 

他には選択肢はないのだ、

と、ある意味

あきらめること。

 

それを

『覚悟』

と言います。

 

あきらめた方が

楽です。

 

思い切って「境界」を越えて、

その先の世界へ

行きましょう。

 

その先の自分、

つまりは、

もう一つ上の次元の自分に

なりましょう。

 

その方が

幸せです。

 

・・・というよりも、

それこそが、私達人間の

真の幸せです、

と言った方ががよいですね。

 

一度、「境界」を突破できた人は

「境界を突破」するとは

突破する直前は大変だけども、

突破した瞬間から

いかに気持ちがよくなるか、

を知ることができます。

 

その喜びを知った人は

次々に「境界」を突破し続けます。

 

つまりは、

どんどん次元の壁を

乗り越えて行くのです。

 

次元とは、

無限に高まります。

 

突破しても突破しても

次々に「境界」は

現れます。

 

そのうちに、

「境界」があるからこそ

幸せだ、

と思えるようになります。

 

そんな人が

今、急速に増えています。

 

もっともっと

増えるといいなぁ、と

私は強く思います。

 

つづく

 

その空虚感はどこから来るのか

『超加速』

・・・それは、新たな自分との出会いです。

 

しかし「新たな自分」と言っても

別物の自分になるわけではありません。

 

「本来の自分」を取り戻す、

ということです。

(→前回記事)

 

ではなぜ私達は、

そこまでして、「超加速」をしようと

するのか?

 

なぜそこまでして

「本来の自分」を取り戻そうと

するのか?

 

まず最も単純な答えは、

それこそが、幸せだからです。

 

私達は、「本来の自分」を取り戻すために

生まれてきた、と言っても過言ではありません。

 

そのためにわざわざ、

「本来ではない自分」として

ここにいます。

 

わざと「本来ではない自分」として現れ、

「本来の自分」に戻っていく。

それをすることで、

「本来の自分」を進化させることが

できるのです。

 

その「進化」こそが、

私達の根本的な欲求であり、

本能の中心に位置するものです。

 

「人間は進化のために存在する」

と言い切っても良いのではないか、と

私は多くの方々と徹底的に向き合う中で、

そして自分自身と徹底的に向き合うことで

知ることができました。

 

「進化の過程にいる」という実感を得ることで、

私達は「根本的な幸せ」を

感じることができます。

 

何かが足りない。

どうしても空虚感が拭えない。

どれだけ現実が幸せな状態になっても

満たされない。

・・・それらはすべて

「進化」の実感がないからです。

 

「進化」の実感がないことで、

私達は生きる意味を見失いなす。

虚脱感や虚しさに

苛まれるのです。

 

単純なことなのです。

 

ですから、2018年以降は、

皆が一気に「本来の自分」を取り戻し、

進化を遂げ、

進化した自分としてさらに先に進もう、

・・・そう考えています。

そしてそのために、

今、何をすれば良いか?

の答えが、私達の真本音の意思です。

 

『私は今、

本当は、

何をしたがっているのだろうか?』

 

その問いを常に、

自分自身に投げ続けることです。

 

「思考する」のではなく、

「自問自答する」のです。

 

つまり、

頭の中で理論的な答えを無理に

見つけるのではなく、

・自分に問いを投げ続け、

・自然に浮かぶ答えに

・素直に動く

のです。

 

さて、

私達はなぜ、「超加速」しようと

しているのか?

その答えは、

他にもあります。

 

つづく

 

人の影響力は、ここで決まる

人が人に与える影響力の大きさ

というのは、どこで決まると思いますか?

 

能力ですか?

 

経験ですか?

 

人格ですか?

 

生き方ですか?

 

立場ですか?

 

役割ですか?

 

個性ですか?

 

それらすべては確かに

重要な要素です。

 

しかし私は、

人が人に与える影響度を左右している

要素として、超重要なものとして、

 

「その人の成長度」

 

があると、いつも実感しています。

 

「成長」とは

このブログでも申し上げている通り、

単なる「膨張」ではなく、

「進化」のことを指します。

 

現時点における力の大きさよりも

今、その人がどれだけ日々進化しているか?

によって、私達人間は

本質的な影響を受けます。

 

なぜなら、私達人間の根本欲求は、

・・・つまり、本能の中心にあるものは

「進化」だからです。

 

私達は本能的に

「進化」しているものに対して

畏敬の念を覚えます。

 

どこまで進化したか?ではなく、

どれだけの勢いで進化し続けているか?

に畏敬の念を覚えるのです。

 

それは、

本能的な信頼

です。

 

本能的な信頼を感じる人の言葉は

私達の心、というよりも

魂に響きます。

 

ですから私はいつも

コーチを目指す人達に言い続けています。

 

「クライアントさん以上に

コーチが進化をし続けなさい」

と。

 

クライアントさんの進化スピードよりも

遅い進化スピードのコーチは

クライアントさんに良い影響は

起こせないのです。

 

そういった意味で、人のサポートというのは

非常に厳しいものです。

 

サポートされる側よりも

サポートする側の進化の度合いが

高くなくては、

本質的なサポートができないからです。

 

このように書くと、恐らく多くの人は

うわっ、進化というのは大変そうだ、

そんなのは自分には無理だ、

と思われるかもしれません。

 

しかし先ほども書きました通り、

進化とは人間の本能の中枢です。

 

ということは、

進化とはとても

「気持ちいいもの」

なのです。

 

「進化」とは

安定です。

 

「進化」とは

安心です。

 

止まっている方が安定したり

安心できるのではありません。

 

人は、進化し続けている時こそが

最も安定し、安心できるのです。

 

ですから、

進化し続けている人は

端から見れば

「あの人、凄いなぁ」となりますが、

本人にとってはまったく

凄いことをしているという認識は

ありません。

 

むしろ、自然体で淡々と

普通に毎日を生きているだけであり、

それが最も幸せであり

安定・安心であるのです。

 

そういったことを

クライアントさん以上にコーチは

実感として知っていることが

重要です。

 

私ももうすぐ50歳ですので、

さすがに最近は年下のクライアントさんが

増えてきましたが、

以前は、私のクライアントさんは

10歳も20歳も年上の方ばかりでした。

 

しかも経営者が多かったものですから、

人生経験も、経営経験も

私以上の人達ばかりでした。

 

本当に素直に尊敬できる方達が

多かったです。

 

そんな方々をクライアントさんにするわけですから、

私にできることはただ一つ。

クライアントさん以上のスピードで

自分自身が成長(進化)すること

でした。

 

もちろんそれは

勝った負けた、

ということではありません。

 

でも私は、

自分の進化スピードを加速

し続けました。

 

加速して、加速して、加速して・・・。

 

その中で初めて知ったのです。

 

どれだけ加速しても、

まだ足りない、と。

 

まだ自分は満足できない、と。

 

まだ、自分が本来望んでいる

進化スピードには程遠い、と。

 

それは、

私個人だけに当てはまることでは

ありません。

 

すべての人が、

自分の進化スピードは

まだ遅過ぎる、という

ジレンマを持っていると

ある時に気づいたのです。

 

その時から私のコーチングの

テーマの一つが決まりました。

 

どんなクライアントさんにも

当てはまるテーマです。

 

それは、

「その人の望む進化スピードまで上げる」

ということです。

 

すべての人が、

自分の進化スピードに

満足していないのです。

 

本当に満足している人とは、

現時点ではまだ一人もお会いしたことが

ありません。

 

それだけ私達人間は、

「進化」したい存在なのです。

 

今のスピードは

気持ち悪いのです。

 

もっと気持ちよく

なりたいのです。

 

だからこそ、です。

 

だからこそ、

コーチは、クライアントさん以上の

スピードで

進化し続けることが必要であると、

私は思います。

 

クライアントさん以上に

気持ちのよい人生を送るのが、

コーチの必須条件です。

 

つづく

 

人の性は、時として気合となって現れる

「進化」には

「揺らぎ」がつきものです。

 

太陽に黒点があるように、

あらゆる物事に「完成」はありません。

 

なぜなら

「完成」とは

「衰退」の始まりだからです。

 

「完成」した途端に、

それは「進むこと」を止めます。

「完成」なので、

当然そうなります。

 

しかし私達人間の本能は、

止まることを極度に嫌がります。

「進むこと」こそが人間の本質であり、

人間の存在する意味なのですから

当然です。

 

ですから私達は本能的に

「完成」を最も嫌います。

 

必ずどこかに「綻び」を残しておき、

その綻びの不安定さを原動力に

次の進化へとつなげます。

 

それが私達人間のみならず、

すべての自然の摂理です。

 

ところが、その一方で

私達は「完成」を望みますから、

(「完成」を望まなければ「進化」はしませんから)

ある時ある瞬間に、

「完成できた」

と思い込むことがあります。

 

それにより、

これまでの歩みが一気に止まり、

急速に「停滞」から「衰退」に向かう、

ということが頻繁に起きてしまいます。

 

「完成した」と思い込むことを私は

「傲慢」

と表現することがありますが、

急速に「進化」することで逆に

「傲慢」になってしまうというものも、

私達人間の性の一つであると思っています。

 

ですから、コーチの役割の一つは、

「傲慢」からの開放です。

「傲慢」ではなく、「真摯」に進化に向かうこと。

それこそが、私達人間の本能レベルでの

喜びであるということ。

それを日常の取り組みにおいて

実感していただくこと。

そのためのサポートが

コーチングであると私は考えています。

 

木村さんと弓江さんの

二人コーチングを私は再び

行ないました。

(→前回記事)

 

それは、

私の側から見れば、

「チームの活性化戦略を見出す」

という目的がありましたが、

お二人から見れば、

「さらなる進化のための

綻び(揺らぎ)を見出す」

という目的もありました。

 

お二人は今、

急速な「進化」を望んでいます。

今こそ、大きくブレイクスルーする時。

今こそ、脱皮する時。

・・・そうお考えです。

 

ですから、その脱皮の端緒としての

二人コーチングでもありました。

 

前回の二人コーチングから

約1ヶ月ぶり。

 

お二人はかなり、

気合いが入っていました。

 

それはとても

素晴らしいことです。

 

しかし、気合いが入っている場合、

私はそれを「抜く」ことを

大切にしています。

 

気合いは大切ですが、

気合いは時には

「脱皮」を妨げます。

 

気合いとは

「意図」だからです。

 

私達は「意図」を持つことで、

自分の「意図」の範疇でしか

成長できなくなります。

 

私達の「進化」とはもっと

ドラスティックです。

 

意図を超えたところで、

真の「進化」は行われます。

 

まずは二人を

二人の「気合」から解放

しなければなりません。

 

私はあえて、お二人に

二人コーチングの冒頭で

強烈な一言をお伝えしました。

 

「あぁ、お二人とも

だいぶ不安定になっていますね。

それでは、良い判断が

できないでしょう。」

 

嘘ではありません。

本当にそうだったので、

その通りに申し上げたのです。

 

つづく

 

なぜ苦しい? その答えは、進まない、から

「進む人」と「進まない人」。

 

今、私達人間の傾向は、

この二つにクッキリと分かれています。

 

どれだけ意識の次元が高くても、

進まなくなってしまった人がいます。

 

逆に、どれだけ意識の次元が低く未熟でも

前に進もうとする人もいます。

 

今の自分がどのレベルにいるか?

ではなく、

進むか? 進まないか?

それこそが、とてつもなく重要であると

私は最近、強く実感しています。

 

人は、進む生き物です。

 

「進む」ということを一つの形として

現したものが、人であるとも言えます。

 

逆に言えば、

進まなくなった人は、もう人ではない、

人としての本質を捨ててしまっている、

と言っても、本当は言い過ぎではありません。

 

それを最もよく理解しているのが

私達の「本能」です。

 

私達の「本能」は、進むために存在しています。

ところが、

進むことを放棄してしまうことで、

私達は、本能的に、自分自身のことを

嫌います。

 

自分のことを嫌うことで

大量発生するのが

エンティティです。

 

「進む」と言ってもそれは

苦しいことではありません。

 

私達人間は、

川の流れに身を委ねているような

存在です。

 

流れに身を委ねれば、

自然に進んで行くのです。

 

むしろ、進むのを放棄するということは、

川の流れに逆らいながら、

その場に必死に留まろうとする行為です。

その方が間違いなく不自然ですし、

苦しいのです。

 

しかし、にも関わらず

止まってしまう人がいます。

 

本当は、進むことこそが気持ちが良いのに、

今の自分に執着しすぎてしまっているのです。

 

流れに逆らうことによって

大量発生するのが

エンティティです。

 

エンティティを大量発生させてしまった人は

そのエンティティが気持ち悪く、

エンティティを消そうとします。

 

自らのエンティティと戦うのです。

 

しかしエンティティとは、

消そうとしたり、戦おうとすることで

逆に反発するかのように増大します。

 

その負の循環から

抜け出せなくなります。

 

西畑さんはその状態にあり、

その西畑さんのエンティティを

木村さんは受け取ってしまっていました。

 

エンティティから解放されるための手段は

ただ一つ。

そのエンティティを、愛することです。

 

それにより、

エンティティは浄化されます。

 

以前にこのブログでも書かせていただきましたが、

「愛」とは行為ではありません。

 

「愛」とは、エネルギーそのものです。

 

分離しているものが、

一つになろうとするときに自然発生する

エネルギーです。

 

そのエネルギーは誰もが

持ち合わせています。

 

しかしそのエネルギーを実際に

発揮できるかどうかは、

その人が「進む」かどうか?によります。

 

進むのを放棄している人からは

愛というエネルギーは発せられません。

 

進む人は、それだけで

愛のエネルギーは出ます。

そして、

次元を高めれば高めるほど、

そのパワーは2次曲線的に増大します。

 

私は木村さんに、

「木村さん、

その西畑さんのエンティティを

愛せますか?」

と問いました。

(→前々回記事)

 

恐らく、二人コーチングの開始直後の木村さんなら

嫌がっていたでしょう。

 

しかし、弓江さんとの二人コーチングの時間を

過ごすことにより、

木村さんの真本音度合いは一気に

高まっていました。

 

ですから木村さんは何の躊躇もなく

言われました。

「愛せますよ」と。

 

であれば、あとは簡単です。

 

「木村さん、

木村さんの愛は、どこから出やすいと

思いますか?」

 

「・・・そうですね。

右手かな?」

 

「であれば、右手を背中か肩か、

最も苦しい部分に当てることはできますか?」

 

木村さんは左肩の辺りに右手を

当てました。

 

「ここだと思います。」

 

「では、右手から

愛のエネルギーをエンティティに

注いであげてください。」

 

「はい。」

 

ほんの20秒くらいでしょうか、

ふっと、木村さんの全身が軽くなった感覚が

私に伝わって来ました。

と同時に、

「もう終わった気がします」

と木村さん。

 

これでもう、エンティティは

浄化されました。

 

「木村さん、

気分はいかがですか?」

 

「なんか、

すごく全身が軽くなりました。

自由になれた感じがします。」

 

これにより、

木村さんの真本音度合いは

さらにアップしました。

 

つづく

 

あなたは進んでいますか? 止まっていますか?

進む人は心地がいい。

 

私はいつもそう感じます。

 

どれだけ未熟であってもいい。

どれだけ能力がなくてもいい。

どれだけ弱くてもいい。

どれだけバランスが悪くてもいい。

どれだけ尖っていても、どれだけ凹んでいても、

どんな状態でもいいのです。

 

どのような人でもあっても

進む意志さえあれば、

私は、その人と向き合いたい。

 

その人と共に進みたい。

 

そう思います。

 

「進む」とは、「進化」ということです。

 

私はあえて、「進化」と「成長」という二つの言葉を

区別しています。

「成長」という言葉には、様々な意味が

含まれてしまうからです。

 

例えば企業で言えば、

売上や利益や事業規模が年々増加していくことが

「成長」と表現されますが、

私は、その中身をいつも大切にしています。

 

そこに「進化」はあるのだろうか?と。

 

どれだけ事業規模が大きくなっても

そこに「進化」がなければ、私はただの

「膨張」

であると思っています。

 

個人であれば、

どれだけその人の能力が高まったとしても、

そこに「進化」がなれば、ただの「能力の膨張」に

過ぎません。

 

「膨張」することを私は

「進化」だとは思いませんし、

それを「進んでいること」だとも思いません。

 

むしろ「膨張」だけで満足している人を私は

「止まっている人」と見ます。

「止まっている組織」と見ます。

 

「進化」とは、

次元を上げていくことを言います。

 

次元については、改めて詳細に書かせていただくことに

なると思いますが、

次元を上げるために最も直接的な影響を持つのが

「真本音度合いを上げる」ことです。

 

つまりは、

自らの真本音を大切に生きる

ことは、「進化」への最短の道です。

 

私は、

能力を高めるだけのコーチングはしません。

「進化」を拒絶している人のサポートは

しません。

そう決めて、これまでやってまいりました。

 

何のために、「進化」するのだろうか?

「進化」の先に何があるのだろうか?

 

そんな疑問も浮かんだことがありました。

 

もちろん「進化の先」はあります。

そこで手に入れられる「現実」はあります。

 

しかしそれよりも、

「進化」とは、それ自体が「目的」なのです。

 

つまり、私達人間は

「進化を目的として生きている存在」なのです。

 

「進化そのものに喜びを感じる存在」

それが、人間です。

 

人間としての自然な姿は

「進化すること」です。

 

その自然な目的に素直になっている人は

一緒にいて、とても癒されます。

一緒にいて、心地よいのです。

 

進む人は心地がいい。

 

・・・それは、私だけでなく、すべて人が心の根底で

本能的に感じることです。

人は、そういう人と「共に進みたい」と思います。

 

進化への欲求。

進化という本能。

 

そういった、私達すべての人間が持ち合わせている

大切なものに、

素直に、敏感に、そして大胆に

立ち向かっていく人を増やす。

 

それが、私がコーチをさせていただいている

重要な目的(願い)の一つです。

 

コーチングをしていれば、もちろん

クライアントさんが、立ち止まってしまうことはあります。

 

挫折もあります。

 

立ち直れなくなることもあります。

 

それでも「進もう」という根本的な意志を

その人が持ち続けているうちは、

何とでもなりますし、

とことんまでサポートすることは可能です。

 

「私は、私がこんなにもダメダメな人間だとは

思ってもいませんでした。

こんな私でも、何とかなるのでしょうか?」

 

コーチングをしていますと、

そんな問いを受けることがあります。

 

これまでフタをしていた自分と向き合ったり、

進化しようと思っても、どうしてもその行動が取れなかったり、

いろんな場面で、その言葉を聴いてきました。

 

木村さんもその一人でした。

(→前回記事)

 

実は、木村さんは平井さん以上に大変な

クライアントさんでした。

 

自分の真本音を意識して行動を変えようとしても

どうしても、自分の許容量を超える現実が来ると、

以前の「心と行動のクセ」が出てしまいます。

 

その「クセ」を直したとしても、

さらに別の「クセ」が顔を出す。

 

その繰り返しをしました。

 

そしてついにある時に、

「たけうちさん、

せっかくずっとコーチングしていただいているのに、

自分はずっとダメな自分が出てしまいます。

本当に申し訳ない。

私がこんなにダメダメ人間だとは思いませんでした。

私はこのようにコーチングを受けるだけの価値が

あるのでしょうか?」

と言われたのです。

 

私は逆に問いました。

 

「木村さんは、進化したいですか?」

 

即座に答えが返ってきました。

 

「したいです。」

 

「木村さんは、どんな時も自分の本当の願いを大事にした

行動の取れる木村さんになりたいですか?」

 

「なりたいです。」

 

「でしょ?

その木村さんの想いは、ずっと伝わってきていますよ。

それがあるうちは、大丈夫です。

今は、心の中に余分なものがいっぱいあり、

それが木村さんの生き方を阻害していますが、

木村さんのその想いがあれば、

それらを一つ一つ乗り越えていけますから。」

 

木村さんは、気づいていないのです。

どれだけ自分が変わったか、ということを。

 

どれだけ彼を見る周りの目線が

変わってきているか、ということを。

 

あえてそこには触れず、

私はただ、木村さんに、ある一つの「現実」が

訪れるのを待ちました。

 

そしてそれは、必然的に訪れたのです。

 

つづく