生産性

一つを決めて、一つをする

 

これは私だけに

限ったことかな?

 

私は、

「ながら時間」

というのが

かなり苦手だ。

 

つまりは、

○○をしながら

△△をする、

という

時間の使い方。

 

一見、効率が

良さそうで、

しかし私は

生産性が極度に

減退すると

実感している。

 

私だけかな?

 

私は、

 

『一つを決めて、

一つをする』

 

というのを、

時間の使い方の

基本にしている。

 

今は

何をする時間か?

 

今は

何のための時間か?

 

今は

何をしてはならないか?

 

今は

何を手放す時間か?

 

というようなことを

はっきりくっきりと

決めている。

常に。

 

こう書くと、

「面倒だなぁ」

とか

「真面目すぎだよ」

思われるかな。

 

いやぁ、

私はまったくもって

こっちの方が

楽だと思っている。

 

なぜなら

一つに集中することで、

発想の

広さも深さも

100倍くらい変わる

からだ。

 

だからもし、

「ながら時間」で

同じことをした場合の

100分の1の時間で

それを完了できる。

 

これ、実は

大袈裟な表現では

ない。

 

以前は私は

「ながら時間」こそが

効率性を高めると

思っていたので、

そればっかり

やっていたが、

 

その当時の私は

睡眠時間もほぼないし、

休日もまったくない

日々だった。

 

でも今は、

当時、一週間くらい

かけて悩んで

導き出していた答えを、

下手をすると

10分くらいで

出せるようになった。

 

今、これを

やればいいんだ。

 

真本音で決めたことを

する

という習慣化は

それくらいの

生産性を

掘り起こしてくれる。

 

そしてもう一つ

良いことがある。

 

それはこのブログでも

よく書かせていただいた

 

『完了感』

 

だ。

 

完了感とは、

「これについては

今、ここで完了したな」

という

確信を持った感覚

のことだ。

 

一つを決めて

一つをする、

というやり方を

大事にすれば、

 

この完了感が

非常にわかりやすく

なる。

 

完了感が出たら、

私はその仕事が

途中でも、

それをやめてしまう。

 

じゃあ

その仕事は

終わらなくなって

しまうじゃないか?

 

と思われるかも

しれないが、

もちろんそうではなく、

 

また別の時間に

「続きをやろう」

と自然に

思える時が来る。

 

そしてそこで

再びその仕事を

始めれば、

 

一気に

カタがつくのだ。

 

人間の集中力は

限られている。

 

であれば、

最大の集中力を

出せるように

すること。

 

それが

時間活用の基本

だと私は

思っている。

 

つづく

 

自分の意図に疲れてしまう人生にサヨナラしよう

前回、「自分に委ねる」ということについて

書かせていただきました。

(→前回記事)

 

今回も、もう少しこの件について。

 

「自分に委ねる」ことのできる人は

ある時には突拍子もない行動に

出たりします。

 

ただしその「突拍子のなさ」は、

本人がそう思う、

というだけのことであり、

周りがどう見るか、ということでは

ありません。

 

つまりは、

これまでの本人の思考と行動パターンを

大幅に逸脱するからこそ

「突拍子もない」と本人が感じる

ということですね。

 

そういった意味での

突拍子のない行動を取る時、

本人の顕在意識は

ドギマギしています。

 

それはそうです。

 

これまでにないパターンの

動きを取るわけですから。

 

しかしそのドキマギを

横に置いて、

何の躊躇もなくその行動を

取ることで、

私達は自然に

「肚が据わる」

という状態に入ります。

 

「開き直る」

と言ってもよいかもしれません。

 

この状態は、

真本音が選択している行動

でなければ生じません。

反応本音レベルの

突拍子のない行動では、

開き直るどころか、

心も体も浮ついてしまいます。

 

顕在意識では

「おいおい、大丈夫かぁ」

となっていても、

周りから見れば、

実に落ち着き、確信に満ちた

表情や空気感を

醸し出す状態が、

開き直っている状態です。

 

この状態に入れば、

道は必ず開かれます。

しかも、

なんでこんなに簡単に開くの?

というくらいに

スムーズにすべての事が

運びます。

 

実在レベルでは

凄いエネルギーが発生し、

それがモロに

すべての人に波及し

強い影響を与えているのです。

 

こちらが、一つ動けば、

10の成果が上がる。

・・・というくらいの印象を

本人は覚えるでしょう。

 

そして一度これを体験すると、

これが

「当たり前」

となります。

 

突拍子もないと思っていた

自分の行動が、

「普通の行動」となります。

 

ますますその人は

肚が据わります。

 

こうして人は、

自分の幅を広げていきます。

 

これが

自由になる

ということです。

 

さて。

 

突拍子もない行動に

慣れてきますと、

基本的に、突拍子もない行動

自体が本人の中からは

なくなってしまいます。

 

すべてを淡々と

決めた通りに行動するだけ

の自分。

 

しかも自分で何かを意図するのでなく、

ただ、自分に委ねているだけ

という感覚です。

 

すると今度は、

余分な行動が激減します。

 

いえ、正確に言えば、

これまでは本人にとっては

それらはすべて

必要な行動である、と

思い込んでいたのですが、

何となく、

どうでもよくなってしまうのです。

 

結果、

どうでもいいと思うことは

すべて行動しなくなります。

 

すると、

じっとしている時間が

増えます。

 

何もしない時間が

増えるのです。

 

そして、

本当に必要だと思う行動のみ

何の迷いもなく、

何の淀みもなく

実行に移します。

 

しかもそこに

思考レベルの思惑や意図はなく、

ただ、

そう思う自分に委ねるだけ

という感覚。

 

しかしそれをすれば、

その一石だけで、

波紋は大きく深く広がり、

物事が想定以上のスピードで

展開していく。

 

そうなるともう、

生産性は

大袈裟ではなく

10倍以上になるのでは

ないでしょうか。

 

自分自身の思考レベルでの

思惑や意図に捕らわれ、

それを達成するために

必死になって策謀を重ね、

焦りながらも結果を出そうとする。

 

・・・そんな疲れる人生から

私達は自分を解放することが

できるのです。

 

束縛からの解放

というのは、

「結果を出さなくてもいい」

とか

「責任を負わなくてもいい」

ということではなく、

むしろ、真逆です。

 

束縛から解放されて

本当の意味で自分に委ねることの

できる人は、

「出すべき結果をきちんと出し」

「負うべき責任をきちんと果たす」

ことが自然に

できるようになるのです。

 

現実が思うようにいかないので

あれば、

意図を持ち過ぎです。

 

意図に

執着し過ぎです。

 

執着では

結果は出ません。

 

これからの世の中の潮流においては

ますますその傾向が

高まります。

 

自分の真本音の想いに

素直に、

その時その瞬間に現れる

真本音の意志に

そのまま身を委ねる。

 

そんな生き方(行き方)を

一歩ずつでも

実行してみてください。

 

つづく

 

今のあなたに、大地はありますか?

あなたの心の中には

「大地」が存在していますか?

 

一度、心の中をしっかりと

確認してみてください。

 

その「大地」は

どれくらいの広がりをもっていますか?

 

無限ですか?

それとも、有限ですか?

 

その「大地」には

何が存在していますか?

 

その「大地」は

生命力に溢れていますか?

 

もし「大地」そのものがない場合、

今は、どのような場所に

あなたはいますか?

 

どのような不安定さを

感じていますか?

 

真本音で生きている人は

無限の「大地」を感じるはずです。

 

人によっては

「大地」よりもさらに安定した何かの存在を

感じるかもしれません。

 

もし「大地」の安定感を得られないのであれば、

現時点で言えば、

あなたの真本音の度合いは

それほど高くはありません。

 

その状態のまま先に進もうとすれば、

不安定さから生まれる恐怖感によって

物事の判断をしてしまうでしょう。

 

恐怖感による判断は、

不調和を生みます。

 

後悔を生みやすいです。

 

まずは「大地」を得ることが

大切です。

・・・いえ、正確に言えば、

すべての人にすでに「大地」は存在していますから、

その「大地」を見つけることが

肝要です。

 

そして。

 

人と同じく、組織やチームにも

「大地」が必要です。

 

「大地」が存在しているチームであるかどうか?

によって、

そのチームの生み出す成果は

雲泥の差となります。

 

面白いことに、

例えば、3人のチームがあったとして、

その時点では確固たる「大地」が

存在していたのにも関わらず、

そこに、新たなメンバーが一人加わるだけで、

その「大地」が一瞬で失われる。

・・・そんなことも日常茶飯事です。

 

つまりチーム(組織)とは

人数が揃っていれば良い、というものでは

決してありません。

 

「大地」を持ったチームであるのか否か?

「大地」を持つためには、

誰をチームに入れて、

誰を入れてはならないか?

ということが重要なのです。

 

そういった意味から言えば、

木村さんの新規事業プロジェクトチームは

人数を半分に減らされたことにより、

「大地」を手に入れることができたのです。

 

木村さんは直観的に言われました。

 

「新規事業プロジェクトは、

メンバーが半分になったことにより、

私は生産性が何倍にも上がると確信しています。

そして、少なくとも当初の目標の

1.5倍以上の売上・利益は達成できるはずです。」

(→前回記事)

 

この木村さんの直観を、

私は何の淀みもなく

受け取ることができました。

 

そういう時は、

本当にその通りになります。

 

新規事業プロジェクトチームは、

ここにきてようやく、

「本来のカタチ」になったのです。

 

そしてその「本来のカタチ」に見合った

ペア編成を、

木村さんと弓江さんはあらかじめ1ヶ月前に確定し

実行に移していた、ということになります。

 

こういったことは

すべて後でわかることです。

 

あぁなるほど、そういうことだったのか、と。

後で、わかります。

 

現在進行形のその場では、

決してわかりません。

 

その場でわかったとしたら、

それは単なる「解釈」です。

 

私達にできることは、

自分自身の真本音度合いを高めることで

自分の中に「大地」を見出し、

その「大地」を感じながら進むこと。

 

今この瞬間を

進むこと。

 

それのみです。

 

つづく

 

たった一人でも組織活性化は成る

この記事は、人の強みについて

書かせていただいております。

 

人の強みには後天的なものもありますが、

先天的なもの、つまりは「生まれ持った強み」

もあります。

 

とてももったいないことですが、

生まれ持った強みを日常的に、そして意図的に

活かしながら生きている人・仕事をしている人は

稀です。

 

私がコーチングをさせていただく場合は、常に

このクライアントさんの生まれ持った強みは何だろう?

という視点を持ち続けます。

そして、

それを掘り起こすための「スイッチ」を見つけ、

最善のタイミングで、そのスイッチを入れます。

 

そんな例として、ある中小企業の経営幹部の

中原さん(仮名)の件を書かせていただいています。

(→前回記事)

 

私は、中原さんの「スイッチ」は

『自己中心に生きること』

であると気づきました。

そしてそれを彼女にお勧めしました。

 

中原さんは「自己中心に生きる」ことに挑戦し、

その結果として驚くような成果をもたらすようになりました。

 

「自己中心」と言うと一般的には「わがまま」という

イメージがあります。

自己中心に生きることで、周りとの協調性が失われ、

確執や争いや不調和が起こるイメージですね。

 

一般的にはそうかもしれませんが、しかし

中原さんにとっては全くの逆でした。

 

中原さんはこれまで

「まずは自分を抑え、他者を主にした関わり」

を取り続けてきました。

それにより、確かに物事はうまく進展してきたかも

しれません。

しかしそれは、中原さんが本当に望んでいた生き方では

ありませんでした。

それどころか、

その生き方は、中原さんの生まれ持った強みとか

本来の個性を打ち消してしまっていました。

 

中原さんは自己中心になることで、

『毅然』

を手に入れることができました。

それこそが、彼女の「生まれ持った強み」だったのです。

 

面白いことに、

生まれ持った強みを発揮しているとき、

その本人は、「強みを発揮していること」自体を自覚しません。

あまりにもそれが「自然な振る舞い」だからです。

 

ですので、私は中原さんにフィードバックをする必要が

ありました。

 

「自己中心」が板についてきた頃合いを見計らって

私は彼女に告げました。

 

「中原さん、今の中原さんがどんな雰囲気か、

フィードバックしてもよろしいですか?」

 

「えっ? はい。どうぞ。」

 

「今の中原さんは、『毅然』を絵にしたような

立ち振る舞いですよ。」

 

「えっ? そうなんですか。全然自覚ありませんが。」

 

「でも、言われれば、お分かりになるのでは?」

 

「はい、そうですね。

今の私は、どんな状況があっても、まったくブレることが

ないような気がします。」

 

・・・と彼女は、淡々と断言されました。

 

これも、生まれ持った強みが発現し始めた人の特徴です。

 

恐らく以前の中原さんに同じ内容のことをフィードバックしたと

したら、

「いえいえ、とんでもありません。毅然だなんて。

そんなすごい私ではありません。」

というような、拒絶が返ってきたと思います。

 

しかし、生まれ持った強みが発現し始めると、

その人は自分を客観視できるようになります。

良いところは良い。

素晴らしいところは素晴らしい。

しかし、ここか次の課題である。

というように、淡々と自分を語ることができるようになります。

 

「中原さん、コーチングを始めた時点の状況と今の状況を

客観的に比べていただきたいのですが、

社員さん達の、中原さんへの関わり方は何か変化がありますか?」

 

「そうですね。

今から思えば、ですが、以前の社員は皆、私に甘えていたと

思います。

何があっても結局は、中原がなんとかしてくれる、というような

依存心があったと思います。」

 

「それが今は、どのような状態ですか?」

 

「今は、私に依存しようとすれば、私はその社員をすぐに

叱ります。

もしくは、時には無視します。

無視、というとひどいことのように思われるかもしれませんが、

必要以上に関わらずに、見守るだけの状態にします。

なので、誰も私には依存しません。」

 

「その結果、どうなりました?」

 

「みんながんばってますよ。(笑)

以前よりも格段に主体性が増したと思います。」

 

「生産性はどうですか?」

 

「数字にして見なければわかりませんが、

私の印象だけで言えば、2倍、まではいきませんが、

1.5倍くらいはいっている印象です。

これまでは私は一人でいろいろ抱えてましたから。

今は、社員に全部任せています。」

 

実は、当初私は、この会社の社員さん達の

チームコーチングを行なう予定でした。

実際に社長にはそのようなご提案をしていたのですが、

中原さんのおかげで、その必要がなくなってしまいました。

 

私は、中原さんのサポートだけをすれば

よかったのです。

 

この会社に関わり始めた当初、私は

中原さんが生まれ持った強みを発現すれば、

それが組織全体の活性化に直結するだろう、

と踏んでいたのですが、

私の想像以上にそういった展開となり、非常に楽でした。

 

組織活性化のためには、

その「要(かなめ)」となる人の活性化が不可欠である

ということを、私は改めて実感しました。

 

では、中原さんの生まれ持った強みである『毅然』とは

実際には、どのような形で

組織で活かされているでしょうか?

 

その辺りを次回でさらにご説明します。

 

 

つづく