確信

根拠を根拠にするな

 

たくさんの発想が

出ることが

良いことである、

とは

私は決して思わない。

 

心の中から

発想が溢れ出ることが

よくあるが、

それが良い状態である

とは

私は思っていない。

 

むしろ、

うるせーなぁ、

自分の心になかなかに

冷たい言葉を

投げかける。

 

そしてそんな時は

実際、

100個、1000個、・・・と

どれだけの発想が浮かび、

その一つ一つが

どれだけ魅力的でも、

 

ほぼほぼそのすべてを

私は捨てる。

 

心がうるさい時の発想は

すべて

捨てるのだ。

 

本当の発想は、

「静謐」の中から

生まれる。

 

その発想は

「確信」

である。

 

根拠のない確信

である。

 

逆に言うと私は、

根拠のある確信を

「確信」とは

呼んでいない。

 

だってそれは

根拠(理由)がなければ

確信ではないのだがら、

それは

確信ではないのだ。

 

確信に

理由は要らない。

 

確信に

解釈は要らない。

 

もっと言えば、

自信も要らない。

 

賛同も要らない。

 

確信は

確信だ。

 

それに出会ったら、

四の五の言っている

暇などない。

 

勝手に体が

動いてしまうのだ。

 

これが、

真本音の発想

である。

 

真本音の発想には

根拠はないが、

しかし本当は

根拠は大ありなのだ。

 

ただそれは

次元の高い根拠なので

言語化が非常に

難しい。

 

言語化できないものを

我々は「根拠」とは

言わないので、

結局は

「根拠はないけど

確信はある」

みたいな言い方に

どうしてもなってしまう。

 

でも本当はそれは

言葉にならないほどに強い根拠

という土台があるということなので、

私達の体は勝手に

その通りに動いてしまう。

 

次元の高い根拠とは

つまりは、

「すべてはつながっている」

もしくは

「すべては一つ」

という次元から来るもの

なので、

 

これをすれば必ず

皆も悦ぶ。

 

これをすれば必ず

調和する。

 

ということが

よ〜くわかっているのだ。

 

だから

言葉や理屈としての

根拠がなくとも

私達は安心して

動けてしまう。

 

要するに、

どの次元での根拠に

基づいて生きるか?

動くか?

という問題であり、

 

どうせなら

次元の高い根拠に

基づいて生きた方が良い。

 

それは必ず

悦びにつながるから。

 

真本音度合いを

高める、

 

とは

 

真本音発想を増やす

 

ことであり、

次元の高い根拠に

基づいて生きる自分に

なる、

ということなんだ。

 

それを今のこの世の中

において

実践していく。

 

それが私のサポートの

本質かな。

 

つづく

 

もっととことん考えよう

 

真の発想は

すべての発想を

出し切った後に

 

初めて

現れる。

 

これ以上、

もう発想は

出ません。

 

・・・と

あきらめたところ

からが、

真の発想を掘り起こす

スタートだ。

 

自分自身が

空っぽに

なってしまった後、

 

空虚に

なってしまった後、

 

無力感を

本当に感じてしまった

その後に、

 

真の発想は

浮上し始める。

 

だから、

 

変な言い方だが、

 

あきらめるところ

まで

あきらめずに

がんばろう。

 

もちろん

あきらめたふり

ではダメだ。

 

本気で

もうダメ、と

あきらめないと

いけない。

 

そこまで

徹底的に

考えるんだ。

 

徹底的にね。

 

・・・・・・

 

ちなみに、

こういった

徹底的な発想を

繰り返すと、

 

ある力を

手に入れられる。

 

それは、

 

意図的に

そして瞬時に、

真の発想を

掘り起こすことの

できる力だ。

 

一言で言えば、

直観力。

 

単なる思いつきレベル

のひらめきではなく、

100%の確信を

もたらしてくれる

直観力だ。

 

私の推奨する

セルフコーチングとは、

 

この力を

発揮できるようにすることが、

一つの目的だ。

 

しかしそのためには、

最初の段階として、

 

あきらめるところまで

あきらめずに

考え抜く、

 

ということを

がんばってやって

ほしいんだ。

 

ちなみに、

 

経営者の多くは、

会社経営を通じて

もう、

常にこれをやり続けている。

 

だからこそ、

私がセルフコーチングの

手法をお伝えすると、

 

あっという間に

真の答えを掘り起こす

力が漲る。

 

やっぱり、

現実と向き合い

続けている人は、

底力が違うね。

 

つづく

 

意図的に直観は起こせるか?

 

心がざわめいて

いる時は、

 

私は一切の

決断をやめる。

 

止まる。

 

何もしない。

 

決めている。

 

何もしない、

というのは

現状のまま行く、

ということだ。

 

何も変えない。

 

と同義語だ。

 

極端に言えば、

惰性のままでも

いい、

ということだ。

 

私達は

特に重要な決断の

前では、

 

あーだこーだ、と

考えてしまう。

 

当たり前だ。

 

考えること自体は

良いことだし、

しっかりじっくり

考え尽くさねば

ならないが、

 

考えの中から答えを出す、

ということを

私は

一切、しない。

 

考えの中から答えを出す、

というのは、

根拠を求めて、

最も点数の高い根拠に

基づいた答えを出す、

ということに

なってしまうからだ。

 

企業でもビジネスでも

そういったやり方を

している人は

多いだろう。

 

しかし私は

それをしない。

 

何故ならば、

そこに最善の答えは

ない。

 

からだ。

 

ちょっと極端に

聴こえるかもしれないが、

実は、

そんなに極端なことは

言っていない。

 

私は、

すべての考えを

自分が

手放せるくらいまで

考えて考えて

考え尽くす。

 

人間、面白いもので、

そこまで考え続けると、

途中で

どうでもよくなる

瞬間が来る。

 

ある意味、

答えが出ないことへの

あきらめでもある。

 

開き直り、

とも言える。

 

本当にそうなると、

そこまで続けた

あらゆる思考を

私達は手放してしまう。

 

するとその直後に

やすらぎ

静寂

が来る。

 

その状態に

入って初めて、

 

「直観」

 

が来る。

 

その直観こそが

最善の答えを

運んできてくれる。

 

その多くは、

根拠のない答え

だ。

 

が、

根拠のない自信

付与されている。

 

つまりそれこそが

 

「確信」

 

というものだ。

 

多くの場合、

確信には最初

根拠がない。

 

根拠はだいたい

後付けだ。

人に説明するために。

 

根拠のない確信を

人に説明し

納得していただくために

思考を働かす。

 

そこでこそ、

考える

という行為は

本当に生きて来るのでは

ないかと

私は思っている。

 

それはともかく、

そういった確信は

私達に

パワーとエネルギーと

モチベーションを

与えてくれる。

 

そうしたら

それに素直に

動くといい。

 

だから私は

確信に基づいた

決断しかしない。

 

・・・・・・

 

以前は、

この過程に

随分と時間をかけて

いた。

 

例えば、

一つの答えを出すのに

1週間も2週間も

考え続けた。

 

長い時間をかけて

直観を待った。

 

しかし残念ながら

直観は

意図的に起こすことは

極めて難しかった。

 

しかし。

 

今は私はこれを

数分単位、

時には

数秒単位で

意図的に行なうことが

できる。

 

つまりは、

意図的に

直観を呼び起こすことが

できる。

 

私のコーチングは

すべてこれを

主体としている。

 

では、

それは私だけの力か?

と言うと

とんでもない。

 

これこそ、

私達人間の

誰もが持っている力

の一つだ。

 

その本来の力を

呼び起こすための

最短の道が

 

セルフコーチング

 

である。

 

正しく自分と

向き合い続け、

 

自分の心の中にある

ものを

あるがままに

見つめることが

できるようになると、

 

直観も確信も

 

毎日のように

浮上する。

 

むしろそれが

当たり前と

なる。

 

しかしそれが

ゴールでは

ない。

 

そんな自分になれて

初めて、

 

私達は

人生の目的にも

気づけるし、

 

そこに向かう

道を見出すことも

できる。

 

本来の人生が

スタートするのだ。

 

直観なくして

道はなし。

 

ただし、

直観と言っても

ただの思いつきでは

ない。

 

ただの思いつきと

直観を

区別できるように

なる必要もある。

 

そのためにも

セルフコーチング力が

必要だ。

 

つづく

 

これ以上の一日はない人生

 

明日の今頃は、

私は

どんな気持ちで

いるのだろうか?

 

と考えたことは

ありますか?

 

私はよく

あります。

 

特に、

「明日」にとても大きな

お仕事が入っている場合は、

ちょっとした緊張感と共に

そんなことを

考えたりします。

 

しかし、

そこに「不安」は

ありません。

 

いえ、

正確に言えば、

反応本音レベルの不安は

たくさんあります。

 

それは人間ですから

当たり前です。

 

しかし、

その不安をじっと

見つめると、

本当にそこには何もない

ことが瞬時にして

わかります。

 

私は昔は

かなりの不安症でしたので、

そのクセが

出ているだけなのですね。

 

不安感を出すという

反応本音のクセ。

 

そこがそこにあるだけで、

そこを見つめると、

 

あれ?

不安、どこ行った?

どこにある?

 

となり、

どこをどう探しても

見つからなくなります。

 

そしてふっと

力を抜くと、

そこには

 

「確信」

 

しかないのです。

 

・・・・・・

 

少なくとも私は

2012年からは

真本音100%の人生を

送っています。

 

もちろんそれは

何ら特別なことではなく

「普通」のことです。

 

やっと「普通」の自分に

戻れたな、

という感覚です。

 

真本音100%と言っても、

反応本音がなくなる

ことはありません。

 

なぜなら、

反応本音とは

真本音がこの世で

生きやすく(行きやすく)する

ために

発生させるものだからです。

 

つまりは、

真本音と反応本音は

コラボするために

存在しているのです、

本来は。

 

ですから、

真本音100%になるということは

その時その時に

最も必要な反応本音が

きちんと発生する

という状態になります。

 

それは極めて

「自分らしい」

状態です。

 

「自然体」

です。

 

何の力みも無理も

そこには

ありません。

 

そして当然のことですが、

真本音100%になった

からと言って、

未来が予測できるようには

なりません。

 

むしろ、

ますます予測できなく

なりますし、

ますます思惑通りには

進まなくなります。

 

なぜなら、

私達の真本音は

「未来がわからないこと

こそが大切なこと」

であると決めて

いるからです。

 

これがこの

3次元の世界の

ルールであり

摂理であり、

そして

面白味の真髄です。

 

そして、

未来がわからなく

なるからこそ

「確信」

が湧くようになります。

 

面白いことですが、

未来を予測すれば

するほど、

「確信」は

遠のきます。

 

未来は

まったくわからない。

 

わからないからこそ

面白い。

 

わからないことを

楽しもう。

 

となれた時に、

「確信」が

湧き始めるのです。

 

何が「確信」の根拠

なのかは

わかりません。

 

根拠のない確信。

 

しかしこれほど

強いものはありません。

 

根拠ありの確信は

根拠がもしなくなれば、

もうそれは確信では

なくなります。

 

しかしそれを本当の

確信とは言いません。

 

確信とは本来。

根拠のないものです。

 

・・・・・・

 

とはいえ、本当は

根拠はあります。

(どっちなんだよ。笑)

 

私達の高い次元では

「すべては一つ」

ですから。

 

そこでは、

過去も今も未来も

一つです。

 

確信とはそこから

来るものですから、

そういった意味では

根拠はあります。

 

でもそれは

この3次元の世界に

生きている私達の頭では

理解不能な領域です。

 

・・・・・・

 

真本音に素直に

生き(行き)、

真本音の度合いを

高めれば、

 

そういった意味での

確信は

毎日、当たり前のように

湧き続けます。

 

2012年から今日に

至るまで、

もちろん私にとっては

「成功」ばかりでは

ありません。

 

その時点だけで見れば、

望まない結果は

出ますし、

想定外の出来事や

辛いことも、

もちろんあります。

 

でも、

例えば、それらをすべて

経験した後の今の私が

タイムマシンに乗って

2012年に戻ったとして、

今のこの記憶のままに

戻ったとしても、

 

それでも私は

まったく同じ歩みを

するでしょう。

 

同じ選択を

するでしょう。

 

それくらいに

後悔はありません。

 

悔いはありませんし、

本当に最善の

一日一日だったな、と

思えますし、

 

あの日は

あれ以上の一日は

ないな、

とも思えるのです。

 

そんな人生、

素敵だと思いませんか?

 

で、

なんでこんな

自慢話のようなことを

しているかと言いますと、

こういった日々は、

そして

真本音100%の状態は、

すべての人が

可能だからです。

 

なぜなら、

先ほども書きました通り、

真本音度合い100%こそが

「普通の状態」であり、

「本来の自分に戻れたな」

と実感できる

状態だからです。

 

みんながそこに

戻れるといいな、と

本当に強く思うのです。

 

私のクライアントさん達は

次々に

真本音100%になって

います。

 

そんな方々は

本当に自然体ですし、

実に魅力的です。

 

こういった人を

一人、また一人と

増やしていきたいです。

 

とはいえ、

それをするのは

ご本人です。

 

私はそのための

やり方を

お伝えするだけ

なんですけどね。

 

つづく

 

 

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真本音度合い100%を

目指しませんか?

 

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自信がなくてよかった

 

今から振り返れば

とても

感謝なのですが、

 

私はこの人生において

本当に自信を持てた

という経験が、

 

恐らく

一度もありません。

 

もちろん今も

自信は

ありません。

 

「自信」とは

多くの場合、

自分の持っている

能力に対して

持つものだと思いますが、

 

私は、今、

そして、これから、

私がやろうとしていることや

私が進もうとしている道に

対して、

それに見合った能力が

あるとは

到底思えないのです。

 

ですから、

どうしても

自信を持つことが

できません。

 

ずっと

そういった人生

でした。

 

以前はそれが

いやでいやで

しょうがなかったのですが、

今はそれに

感謝しています。

 

なぜなら

私のような人間が

自信など持ってしまっては

間違いなく

真本音の道を

踏み外していたと

思うからです。

 

・・・・・・

 

これから自分が

やろうとすることに

対して、

それに見合った

充分な能力が

自分にはある。

 

もしそう

思えたとしたら、

私は間違いなく

自分の能力に

依存

していたでしょうね。

 

能力を発揮する

そのこと自体に

気持ちよくなり、

能力を発揮するための

人生に

なっていたでしょう。

 

能力至上主義。

 

ここに陥ると

自分の真本音の想いが

わからなくなります。

 

能力とは

あくまでも手段

だからです。

 

能力を発揮することが

自分を活かすこと

だと

思われがちですが、

 

いえいえ、

それを目的にしてしまうと、

自分の本当の人生は

観えなくなって

しまうのではないでしょうか。

 

私だけかな?

 

本当の意味で

自分を活かすとは、

自分の真本音の想いや

願いに向かって

進むこと。

 

その道を進むことで

人は進化を始め、

 

進化の過程でこそ

本来の能力が

芽生えます。

 

しかも本来の能力は

他者との調和を

生み出します。

 

つまり、

真本音の道を

進めば進むほど、

どうしようもないくらいの

苦手分野が見つかります。

 

あっここは

自分には無理だ、

と。

 

ここは

自分はできるけど、

ここはできない、と。

 

ここは、

自分が探究すべきだけど、

ここは探究しては

ならない、と。

 

そういったことが

実に自然に

わかってきます。

 

それにより、

他の人達とのコラボが

進みます。

 

真本音の願いとは

自分一人の能力では

決して実現できない

ものです。

 

人は

人と関わることで

初めて進化をし、

 

その進化を求めることが

人の本能の中心

ですから、

 

人は、人とコラボすることを

前提に

生まれてきた生き物

なのです。

 

それが

自然の摂理。

 

そこを外れること

自体がもはや、

自分の本当に望む道、

つまりは真本音の道から

外れることなのです。

 

・・・・・・

 

私は

自信のない人生で

よかった、と

今は本当に思えます。

 

そしてこれからも

人生を終えるその時まで

自信がないままで

進めるといいな、と

思います。

 

自信がないことで、

私が得ることが

できたのは

「確信」

です。

 

人と関わりながら、

一歩一歩を歩む

その瞬間、

その現場の中で、

「確信」は

必ず生まれます。

 

あっ、今

これをすれば

いいんだな。

 

今は、

これを伝えれば

いいんだな。

 

今は、

これはしては

ならないんだな。

 

今は、

これは後回しに

すべきなんだな。

 

そういった、

一歩一歩の「確信」が

日々、発生します、

当たり前のように。

 

自信を持った私だったら、

これは決して

得られなかったと

今になって

しみじみわかるのです。

 

つづく

 

迷っている心で決めてはいけない

私にだって

「迷い」はしょっちゅう

あります。

 

というよりも、

24時間、

迷い続けていると

言ってもよいでしょう。

 

しかし、

迷っているその心は

「反応本音」

です。

 

私は、それをよく

知っています。

 

ですから、

迷っている心は

そのままに

放っておきます。

 

Aか?Bか?

と迷った時に

どうしてもそのどちらかの

答えがほしくなりますが、

そこで、

答えは出しません。

 

迷いの心は

迷いの心

だからです。

 

迷いの心は

迷うために

そこに存在しているから

です。

 

迷いの心は

迷うという

その行為だけで

その存在意義を

果たしているからです。

 

迷いの心に、

「決めさせて」は

いけません。

 

迷っているだけで

完了。

 

それ以上の

役割は

ありません。

 

「迷ってくれて

ありがとう」

 

それだけです。

 

・・・・・・

 

その一方で、

「決める心」

もあります。

 

いえ、

正確に言えば、

「すでに決めている心」

です。

 

いえ、

もっと正確に言えば、

「すでに最初から

決めている魂」

と言った方が良いかな。

 

心は

迷えばいい。

 

そして、

 

魂で

決める。

 

のです。

 

魂の意志を

「真本音」

と言います。

 

基本的に、

魂に「迷い」は

ありません。

 

本当のことを言えば、

魂にも「迷い」は

あるのですが、

ちょっとこれはまた

次元の違う話ですので、

話がややこしくなるので

ここではあえて

短絡的に表現します。

 

魂に「迷い」は

ありません。

 

魂には

「願い」や「祈り」が

あります。

 

願いの一点。

 

祈りの一点。

 

原点。

 

それが魂です。

 

真本音の願いとは

魂の願いであり、

それは人生の願い

です。

 

それは

一生、揺らぐことは

ありません。

 

そしてその一点から

現実世界における

あらゆる場面においての

「答え」を

持っています。

 

その「答え」と

出会うことで

私達は

「確信」

を得ます。

 

確信とは

100%の意志であり

選択です。

 

どれだけ

反応本音が迷っていても、

その一方で

真本音の確信は

在り続けます。

 

反応本音で

迷ったら、

反応本音で無理に

答えを出すのではなく、

 

すでに存在している

真本音の答え、

確信の答えを

自分の中から

導き出せば

よいのです。

 

それをするのが、

セルフコーチング

ということですね。

 

つづく

 

圧倒的な答えを見つけよう

心の中にモヤモヤが

現れると私はいつも

チャンスだ!

と思います。

 

そしてそのモヤモヤが

最大化したその瞬間に

モヤモヤと

向かい合います。

 

それは時には

かなりの「苦しみ」を

伴っていることも

あります。

 

しかし

「苦しみ」が大きければ

大きいほど、

より強く

チャンスだ!

と思えます。

 

心の中の

苦しみ。

 

それは

逃げれば逃げるほど

辛いものとなります。

 

向き合えば

向き合うほど

それは開放され

楽になります。

 

楽になりながらも

その「苦しみ」や

「モヤモヤ」の中身が

観えて来ます。

もしくは、

聴こえて来ます。

 

私の場合、

それらは実は

私自身のものでは

なかった

というケースが

ほとんどです。

 

つまりは、

今日向かい合った

クライアントさんや

お客様から

受け取った「苦しみ」や

「モヤモヤ」である

場合が多いのです。

 

もちろんその「苦しみ」の

具体的な中身までは

わかりません。

 

しかし、

その人がどのような傾向の

「苦しみ」や「モヤモヤ」を

今、現在

抱えているのかを

理解することはできます。

 

そして

私はそれらと

100%向かい合い、

全身で感じ続けます。

 

100%それができると、

それらの「苦しみ」や

「モヤモヤ」は

きれいに浄化されます。

 

浄化の後に

残るのは

「答え」

です。

 

その「答え」とは

多くの場合、

その次の一歩として

その人が

何をすれば良いか?

もしくは、

私自身がその人に

どのようなサポートの

一手を行なえばよいか?

の答えです。

 

「苦しみ」と「モヤモヤ」が

大きければ大きいほど、

その「答え」も

圧倒的なものと

なります。

 

それを私は

『直観』

と呼んでいます。

 

心の中に

「モヤモヤ」を見つけた時、

そこには必ず、

「直観」が

潜んでいます。

 

ですから私は

チャンスだ!

と思うのです。

 

・・・・・・

 

「直観」とは

圧倒的な発想

であり、

圧倒的な答え

です。

 

それを私達が

得たとき、

私達は

突き動かされます。

 

理由づけや

理屈や理論は

そこには

ありません。

 

必要

ありません。

 

ただただ、

その答えの通りに

動きたくなります。

 

いえ、

考える間もなく

勝手に体が

動いてしまいます。

 

そこには

一切の迷いが

ないからです。

 

100%の答え

だからです。

 

私は、

「直観」と「直感」を

いつも区別して

表現しています。

 

一般的に書かれる

「直感」

とは、幅広いひらめきや

気づきを

表しています。

 

もちろんそれらは

宝物のように

大事なものです。

 

が、

100%でない答えも

含まれています。

 

ですから、

「直感」がどれだけ

働いても、

その通りに動くかどうか?

は、

時と場合ですし、

特にビジネスの世界では

「直感」に対して

その理由づけをしっかりと

した上で、

実行に移していく

というケースがほとんどです。

 

しかし

「直観」は

それとはちょっと

次元が異なります。

 

もう、

理由づけも根拠も

必要ないのです。

 

「答え」を得た瞬間に

動いてしまう。

 

その動きに

迷いは一切

ありません。

 

つまり一言で言えば、

「確信」。

 

根拠のない確信。

 

いえ。

 

本来、確信とは

根拠の必要ないもの

なのだと思います。

 

そういった

圧倒的かつ確信の

答え。

 

これを私は

『直観』

と呼んでいます。

 

・・・・・・

 

大きなモヤモヤの

その向こうには

「直観」

が待っています。

 

ということは

その「モヤモヤ」や

「苦しみ」に

向かい合わないことが

いかに

もったいないことか。

 

ところが実際には

そこに真正面から

向かい合おうとする人は

ごくわずかです。

 

どうしても人は

「モヤモヤ」から

逃げようとしてしまいます。

 

もしくは、

「モヤモヤ」を

上手く解消しようと

します。

 

その場合、

解消と言ってもそれは

本当の解消ではなく、

モヤモヤに

フタをしたり

麻痺をさせたりする

類のものです。

 

本当の意味で

向かい合い、

本当の意味で

浄化・解消し、

本当の意味での

直観の答えを

導き出す。

 

それができれば、

人はもっと

自由になれます。

 

自分らしく

なれます。

 

そして

望む人生を

自ら拓くことが

できます。

 

私はそれを

セルフコーチング力と

呼んでおり、

今、まさにこれが

世の中に必要な力であると、

それこそ確信に

至りました。

 

直観の答えを

見つけ出す

セルフコーチング法。

 

それをこれから

徐々にご紹介して

行きますし、

 

セルフコーチング法を

指導できるコーチを

育成したい、

とも思っています。

 

そのためのアクションを

今月から

始めます。

 

つづく

 

いつ決断するか? ホントに今?

私達の真本音は、

決断のタイミングを

とても大切にします。

 

いつ、決断するか?

 

同じ答えだとしても、

いつその答えを出すか?によって

その後の展開は

根本的に異なる可能性が

あるからです。

 

決めるべき瞬間に

決める。

 

決めてはならない時は

決めない。

 

後回しにすべきことは

きちんと後回しにする。

 

それが、

本当の意味での

「決断」

のポイントです。

 

決断とは、

決めて断つ

こと。

 

つまりは、

一本の道を決めて、

他の道をすべて

断つこと、

手放すことです。

 

完全に一本に

決めるからこそ

私達はそこに全パワーを

集中させることができます。

 

そして、

全パワーを集中させるからこそ、

物事は成就します。

 

逆に言えば、

99.9%のパワーでは

成就しない物事が

とても多いです。

 

私達の真本音は

100%のパワーを出すために、

いつ、どのような決断を

すればよいか?

を見極めているのです。

 

以上を少し別の視点から

表現すると、

 

「準備ができてから

決断する」

 

という言い方もできます。

 

逆に言えば、

 

「準備ができないうちは

決断しない」

 

ということです。

 

「準備」とは、

自分自身の準備もありますし、

決断することで関わることになる

あらゆる環境(人や組織や物事すべて)

の準備もあります。

 

しかも準備とは、

実在レベルの準備もあれば、

現象レベルでの準備も

あります。

 

それは到底、

私達の頭(理屈)では

捉えきれないものです。

 

そういったあらゆるものを

感知しながら、

私達の真本音は

「準備が整ったかどうか?」

を判断します。

 

準備が整う前に

勇み足で決断してしまうことを

私達の真本音は

望みません。

 

そして、

準備がすでにできているのに

それでも決断を遅らせることも

私達の真本音は

望みません。

 

では、

準備ができているかどうか?

今、

決断すべきことがあるかどうか?

はどこで

判断できるでしょうか。

 

それを言葉にするのは

実はちょっと難しいのですが、

あえて言えば、

 

「自分の内に満ちる光」

 

によって判断できます。

 

よく私は

「自分と向き合う」

という言葉を使いますが、

自分と向き合うとは、

自分を客観的に見つめる

ことでもあります。

 

今ここにいながらも、

自分の姿を

自分の少し離れたところから

見つめることは

できますか?

 

これはコーチングでは

一般的に

「デソシエイト」と呼ばれる

状態です。

 

自分から離れて

客観的に自分を観る

のです。

 

それができれば、

今自分の内側に

どれだけの光が満ちているか?

を知ることができます。

 

自分は今、

光り輝いているのかどうか?

 

その光は、

外から与えられたものか、

それとも

自ら、内側から発しているものか?

 

それを確認します。

 

そして、

「あぁ今の自分は、

自分の内側から光が

満ちているなぁ」

と素直に思えたら、

今が決断の時です。

 

それは、

準備が整っているという

証です。

 

私はどちらかと言えば、

自分がその状態になったことを

まずは察知します。

 

で、その後で、

じゃあ今何か、決断すべきことが

あるんだな、

と気づき、

何を今、私は決断しようとして

いるのだろう?

と自分に問いかけます。

 

自分で自分を

コーチングするのです。

つまり、

セルフコーチングです。

 

すると、そういう時はすぐに

答えが浮かびます。

 

あっそっか、

この件についての決断だな、

と。

 

すると次に私は、

では、答えとしての選択肢は

何と何があるのだろうか?

と選択肢を明確にします。

 

選択肢は二つの場合もありますし、

もっと多い場合もあります。

 

どの道とどの道とどの道が

あるのかな?

ということが明確になれば、

あとは簡単です。

 

では、私はその中で

どの道を選択しようか?

 

どの道を

一本道として

選ぼうか?

 

と、問いかけます。

 

するとすぐに

答えがわかります。

 

それは、

確信の答えです。

 

わかった瞬間にそれは

確信となります。

 

迷いは

一切ありません。

 

決断すべき瞬間に

これをすれば、

とてもスッキリと

決断できるのです。

 

上手く決断できない人は、

このタイミングを

外しているという可能性が

高いです。

 

決断とは、

手放すこと。

 

手放すには

確信が必要です。

 

迷いながら何かを手放す

というのは

きついですし、

執着がどうしても

生まれます。

 

決断すべきタイミングを

逃さない。

 

・・・これ、

ぜひ大切にしてみてください。

 

つづく

 

みんな、真本音で生きようよ

どのような心があろうとも、

それらをただ

あるがままに

観察することのできる

自分。

 

なんの操作もなく、

なんの評価もなく、

なんの解釈もなく。

 

ただその存在を

存在のままに

承認できる自分。

 

そんな自分になれた時、

それができているその「自分」とは

いったい何者でしょうか?

 

当然、

今ものを考えたり

ものを見ているこの自分は

私達自身の

顕在意識です。

 

しかし、

顕在意識そのものは

非常に不安定な

存在です。

 

すぐに揺らぐし、

すぐに不安になるし、

すぐに自信をなくします。

 

なのに

この安定感は

どうしたことでしょう?

 

すべての自分と

あるがままに向き合う

自分になることにより、

私達のこの

もともと不安定だった顕在意識は

とてつもない

安定感を得ます。

 

まるで、

永久不滅の

大地に立っているようです。

 

この

大地は何でしょう?

 

この

安定感は何でしょう?

 

この

安心感は何でしょう?

 

この

満たされた感覚は?

 

この

自然に溢れる確信は?

 

・・・これが、

私の言うところの

『真本音』

です。

 

最も醜い自分自身と

完全に向き合える人のみが

初めて実感できる

心の大地です。

 

心の大地とはつまり、

「魂」そのものです。

 

もしこの

真本音という大地を

実感できるようになりましたら、

ぜひ

自分自身に問うてみてください。

 

自分の真本音に問う、

最初の質問です。

 

『私は今この瞬間、

どんな生き方を

したいのだろうか?』

 

・・・と。

 

それは極めて

シンプルな答えとして

返ってくるでしょう。

 

もし理由づけや

説明の必要な

複雑な言葉であれば、

残念ながらそれはまだ

真本音ではありません。

 

その一言を

つぶやくだけで、

身も心もすべてが

スッとする、

説明不要の

納得の一言が返ってこれば、

それは紛れもなく

真本音の答えです。

 

その「生き方」が

真本音で生きるための

最初のキーワードと

なります。

 

これを私は

 

『人生理念』

 

と呼んでいます。

 

人生理念は、

日常のあらゆる場面で

その一言をつぶやけば、

「本来の自分」

を思い出させてくれるでしょう。

 

私は本当は

どんな生き方を

今ここで実践したい

人間であるか?

 

・・・を思い出させてくれます。

 

いつもそれを

つぶやきながら

今この瞬間を大切に

自分の行動や振る舞いを

決めていくことが、

真本音で生きる

ファーストステップです。

 

これができている状態が

人としての「普通の生き方」

です。

 

そして、

これができていることで

私達の魂と心の

一貫性が取れ、

心から淀みが消えていきます。

 

淀みが消えることで

自然に浮上するのが、

『直観』

です。

 

次に自分が何をすればよいか?

をありありと教えてくれる

確信の答えです。

 

あとはその確信に

従って動く

だけのことです。

 

思えば・・・。

 

私達人間は、

この、

真本音と反応本音の区別が

つかなくなったところから

「普通の生き方」が

できなくなったのだと思います。

 

本当は、

「区別をつける」などという

言葉そのものが不自然なくらい、

その二つは

あまりにも違います。

 

目と鼻の区別をつけるのと

同じくらいに

それは簡単なことだった

はずです。

 

しかし私達人間は、

自分の真本音のことを

あまりにも忘れて

しまいました。

 

あまりにも

無視し続けて

しまいました。

 

だから、

人としての「普通の生き方」も

人としての「本来の幸せ」を

感じることも、

できなくなってしまいました。

 

もう一度、私達は

人間としての

原点に戻る必要があると

私は思います。

 

自分を理解する。

 

反応本音達を理解し、

真本音を理解する。

 

そこから始めるのが

最も大切なことだと

私は思うのです。

 

つづく

 

直観と言っても、二つあるんです

「自分の直観を

どうしても信じられないのです。」

 

・・・そんな方と出会いました。

 

実は、結構そういった方は

いらっしゃいます。

 

その多くの場合は、

「直観」と「直感」の区別が

ついていないのです。

 

「直感」とは

広い意味でのひらめき。

単なる思いつき程度のものも含めた

広い意味での気づきです。

 

もちろん、こういったものも

必要です。

 

しかし直感の多くは、

反応本音レベルのものや、

低い次元の意識から発生するものも

あります。

その場合は、

それほどの力強さはありません。

 

ですので、

ひらめいたのだけれども、

あくまでただ、ひらめいただけで、

自分の行動を変えるほどの

パワーを持っているわけでは

ありません。

 

それに対して、

「直観」とは

真本音から発生するものであり、

高い次元の自分の意識からの

メッセージです。

 

多くの場合、

そこには強いパワーが内包

されており、

直観を得ることで、私達は

動きたくてしょうがなくなります。

 

根拠のない自信、

という言葉がありますが、

どうしてそう思うのか?という理由を

本人もよくわからないのに、

でもどうしてもそれをしたい!

それをすれば必ず道が開く!

という強い気持ちが湧き上がります。

 

私のクライアントさんで、

ある商品を開発し、大ヒットを生み、

日本全国で一つのブームを起こした人が

います。

 

その人がその新商品を

社内に提案した時、

社内ではその人以外全員が

反対したそうです。

 

でもその人は、

絶対これを世の中に出す!

という根拠のない自信が湧き、

その自分の直観を信じて、

強引にその商品のプロジェクトを

推進したそうです。

 

マーケティングリサーチなどをしたり、

理論的にその商品が売れる根拠を

社内に示したりしたそうですが、

「実はそれはすべて、

まずは私の直観ありき。

それに合わせた理論づけでした」

と、その人は舌を出してニッコリ。

 

で、いざ商品を世に出し、

宣伝を始めた途端に

爆発的に売れ、

その人自身の当初の予定の

何倍もの利益を出すことが

できたそうです。

 

その後、その会社は

いくつものヒット商品を生み出すことに

なるのですが、

理論的に答えを導き出そう

というよりも、

まずは人間としての直観に

素直になろう、

という社内文化がそうさせたのだと

その人は言います。

 

そういった意味で、

「直観」とは、「確信」と

言い換えることもできます。

 

よくよく考えますと、

高い次元の意識というのは、

すべては一つ、

というところからの意識です。

すべてがつながっています。

 

その意識からの直観であれば、

皆が喜ぶのは当然です。

 

ただし、

「皆が喜ぶ」と言っても、

低い次元の皆の意識が喜ぶ

というものもあれば、

高い次元の皆の意識が喜ぶ

というものもあります。

 

世の中には

両方のヒット商品がありますが、

今後は

高い次元の皆の意識が喜ぶ

商品やサービスが

求められていく度合いが

高まるでしょう。

 

つまり、

低い次元の皆の意識調査をすることで

生み出される商品・サービスよりも

高い次元の皆の意識を

高い次元の自分の意識として

直観的に感じ取ることで

生み出される商品・サービスが

世の中に浸透していく時代に

なっていくでしょう。

 

そういった「直観力」が

これからはますます求められます。

 

では、「直観力」を高めるには

どうすればよいでしょうか?

 

次回からはそんなテーマで

記事を書かせていただきます。

 

つづく

 

すべては、自問自答から始まる

自問自答。

 

私達現代人にとって

今最も必要なのは、これかもしれないと

最近、私は強く思います。

 

「自問自答」とは、

「思考」とは異なります。

 

まず、「自問」とは

自らに問いかけることです。

 

まるで自分自身を他人のような感覚で

自らに問いを投げます。

 

それが難しいようであれば、

鏡を見ながら、鏡の中の自分に

問いかけるとよいでしょう。

 

そして、「自答」とは、

問いを受けた自分の中から

自然に湧き上がってくる答えを

「待つこと」です。

 

決して、

頭で答えを形作ってははいけません。

 

私達の本当の答え、

つまり、真本音の答えは、

頭の中にはありません。

 

とは言え、

思考は大事です。

 

私は、思考とは

「思考を超えた答えを見つけ出すための

有効な手段である」

と思っています。

 

懸命に思考することで、

思考を超えた答えが見つかります。

 

思考をしながら、

思考の範疇の答えを見つけ出しても

私達人間は本当の意味では

納得できません。

 

確信を伴った直観的な答えに

たどり着いた時に、

初めて納得します。

 

確信とは、

迷いのない答え。

淀みがゼロの答えです。

 

それは、

思考の範疇からは決して

出て来ません。

 

しかし、とことん思考をすることで

思考以外のところからやって来ます。

 

そういった意味で、

思考は大事ですが、

思考に捕らわれてはいけません。

 

そして、

自問自答を毎日のように繰り返すことで、

その、思考そのものもいつしか

必要なくなります。

いえ、正確に言えば、

思考はするのですが、

最低限の思考だけで大丈夫になります。

 

要するに、

確信的な直観を

意図的に引き起こすことができるように

なります。

 

直観力とは、

物事をよく考えない(思考しない)人からは

生まれません。

 

しかし、とことん思考をする人は

思考をそれほどしなくてもよいくらいの

直観力が養われます。

 

そしてそのためには、

自問自答を繰り返すのが

最適・最速です。

 

これまで、頭の中でグルグルと

考えていたことがあれば、

自分をまるでクライアントのように捉え、

自分自身に問いを投げてみましょう。

 

今の自分には

どのような問いを投げることが最善か?

を考えてみましょう。

 

すると、

問いを投げることがいかに重要か?

そして、

最適な問いを見つけることがいかに重要か?

をお分かりいただけると思います。

 

コーチングとは、

その、問いの部分をサポートすることですが、

コーチングを受けることで

自問自答力を増すこともできます。

 

それはつまり、

直観力を増すことです。

 

自らの進化のための自問自答。

 

自らの真本音の答えを

見つけ出す自問自答。

 

そういった力を養うことが

私のコーチングの目的の一つです。

 

そして、

自問自答力のついた人達が集まり、

お互いに問いを投げ合うことで

一人一人の自問自答の範疇を超えた

発想を掘り起こし合う。

これが、チームコーチングの本質です。

 

つまり、

自問自答できるチーム(組織)を創る。

 

これが私が大切にしている

組織サポートの本質です。

 

まずは。

 

答えがすぐに見つからなくてもよいので、

自分自身に問いを投げること。

 

投げ続けること。

 

そのためには、

どのような問いを投げることが

今は最善なのか?を

それこそ、必死に考えること、ですね。

 

つづく

 

思考を信じる? 直観を信じる?

「直観」というのは

本当に馬鹿になりません。

 

ちなみに、私は

「直感」と「直観」

を区別しています。

 

「直感」とは、広い意味でのひらめきです。

浅いひらめきから深いひらめきまで

すべてを含んでいます。

ですので、単なる思いつきレベルのひらめき

も含みます。

要するに、反応本音レベルのひらめきも

含みます。

 

それに対して「直観」とは、

真本音レベルのひらめきです。

それは思いつきレベルのものではなく、

「こうすればいいんだ!」という確信に

満ちています。

 

真本音度合いが高まるということは、

単純に、

この「直観力」が高まるということでも

あります。

 

ただ、どれだけ「直観」が出たとしても

自らその発想を捨ててしまう人も

多いです。

 

どうしても、これまでの経験則や

一般常識に捕らわれた

「思考的」「理論的」な発想の方を

優先してしまうのです。

 

「思考」ではなく「直観」に素直に

動いてみる。

 

それを私はお勧めします。

 

ただし、あくまでもそれは

真本音度合いが高まっている人に

対してのみ言えることです。

 

真本音度合いが低い状態では、

単なる思いつきレベルの「直感」が出やすく、

それに素直になることで

酷い目に遭うこともあるでしょう。

 

クライアントさんのその発想が、

「直感」か「直観」か?

その区別がつくのも、

コーチの必要な力の一つです。

 

「富士山が噴火する」イメージを

共有した木村さんと弓江さん。

 

二人がそのイメージを大切にしながら

直観的に発想した

チーム員のペア分けを、

私はまさしく「直観」であると

感じ取りました。

 

ところが、そのペアの組み合わせは、

通常では考えられないものと

なったのです。

(→前回記事)

 

まず第一に、

「バランスが悪いですねぇ」

と木村さん。

 

各ペアによって能力の差が著しく、

明らかに活躍できるペアと、

そうでないペアが

明確にわかるそうです。

 

能力の偏りが激しい、ということです。

 

そして第二に、

「明らかに相性の悪いペアがあります」

と弓江さん。

 

どう見ても、その二人が上手くいくはずがない

というペアがあるそうです。

 

さらに第三に、

「チームリーダーである私との

調和性の低そうなペアもあります」

と木村さん。

 

以上のような悪い印象が出てくる場合、

本当はやめておいた方が良いでしょう。

しかしその一方で、

「どうしてもこの組み合わせが

ベストである」

という確信に満ちたような感覚も

二人の中にはあり続けました。

 

「思考」ではNO。

「直観」ではYES。

 

・・・という状態です。

 

こういった場合、

どうすれば良いか?

 

私の答えは明確です。

 

先ほど書きました通り、

「直観」に従うのです。

 

つづく

 

自信がないから自信をつける、という人生はもうやめよう

「自信がある」

という心の裏側には必ず、

「自信がない」

という心が存在しています。

 

二つの相反する心は

常に共存しています。

 

それは、物理学の表現を使えば、

作用・反作用の法則

と同じです。

 

自信満々な人ほど、

何か大きな挫折や失敗があることで、

一気に自己不信に陥ってしまいます。

・・・そんな場面を、本当に数多く拝見してきました。

 

それを、愚かだと言っているのではありません。

それが、私達人間です。

 

心の中にある、その作用反作用を、

あるがままに見つめることのできる人は

私は、本当に素晴らしいなぁ、と思います。

 

自信のある自分。

自信のない自分。

両方をそのまま見つめることのできる人は、

「自信がある・ない」という次元を

超えることができます。

 

自信があるか、ないか?ではなく、

その奥から、もう一つ上の次元の自分が

顔を覗かせます。

 

以前の記事でも書かせていただきましたが、

高い次元の自分が現れることを

『脱皮』

と私は呼んでいます。

 

人は『脱皮』することで、

「世界」が違って見えるようになります。

 

これまで悩んでいたことが

何でもないような些細なことに映ったり、

逆に、

これまでまったく気にもせず悩みもせずにいたことに対して

本気で悩み始めたり。

 

ある意味、

人生が変わります。

 

そして、一つ、次元を上がれば、

これまで自分のいた次元に対しては、

「もうあそこには戻りたくないなぁ」

とほとんどの人が思います。

 

これまでの次元は

とても狭く、苦しく、重く、暗く、そして不安定に

感じられるからです。

 

「自信がある・ない」という表現を使えば、

次元が高まることで、自信があっても、なくても

どっちでもよくなります。

 

自信がないからできない、

ということがなくなります。

 

自信があってもなくても、

ただ、自分が「やろう」と思うことをやるだけ

となります。

 

それをあえて一言で表せば、

『確信』

ということになります。

 

自信があるからやるのではない。

確信があるからやるのだ。

・・・という状態です。

 

当然、

確信があっても自信がない、

ということはあり得ます。

でも、

どれだけ自信がなくても、確信さえあれば

やれる状態となります。

 

自信のあるなしは、反応本音レベルのもの、

確信のあるなしは、真本音レベルのもの

だからです。

 

木村さんが

「プロのコーチになりたい」

という発想をしたのは、

「自信がついたから」です。

つまりそれは、反応本音レベルの想いでした。

 

しかし、同じ木村さんが

「本当は、私はプロのコーチになりたいわけではなかった。

それよりも、今与えられた新規事業プロジェクトに

全力で臨みたい」

と思い直したのは、「確信」からでした。

つまりそれば、真本音レベルの想いでした。

 

「自信」のある方向に行くのではなく、

「確信」のある方向に進むことにより、

人は次元を高めることができます。

 

次元を高める人生。

これこそが、私達すべての人間が

本能的に望んでいることです。

 

さて、今ご紹介しているストーリーは

木村さんについてです。

木村さんの躍進についてです。

 

木村さんの躍進のきっかけの一つ目は、

「自らを枠の中に入れた」

ということです。

(→前回記事)

 

つまりは、

「新規事業プロジェクトリーダー」

という枠(役割)に、自らドップリと入り込んだことで

彼の望んでいたコーチング力が一気に

花開きました。

 

そして、その次にご紹介したいのは、

木村さん躍進のきっかけとなった二つ目の

原理です。

それを一言で表せば、

 

「どっちでもいいじゃん」

 

となります。

 

後にこれは、彼の口癖となります。

この口癖が、彼の次元を一気に高めました。

 

それにより彼は、

自信ではなく確信に基づいて動く彼、に

変貌していったのです。

 

つづく

 

自信がないからできない? 傲慢だねぇ

「ラポール」という言葉があります。

 

臨床心理学で使われる用語なのですが、

コーチングの世界では「信頼関係」と訳されます。

 

もともとは、「心と心がつながる」とか「心が通い合う」

という意味だそうです。

 

私は、いつもこれをあえて

「本能的信頼関係」

と表現しています。

 

人が人を信頼する多くの場合は、

何らかの理由があります。

 

例えば、

仕事ができるから信頼できる、とか、

約束を守る人だから信頼できる、とか、

器が大きいから信頼できる、とか、

物事を必ずやり遂げるから信頼できる、とか。

 

しかし「本能的信頼関係」とは、

そういった理由や根拠はありません。

 

何となく、この人いいな。

何となく、この人好きだな。

何となく、この人と一緒にいたいな。

何となく、この人と通い合いたいな。

何となく、この人と心を開いて話したいな。

 

そのように、明確な理由がないのに、

初対面で会ったその瞬間からそう思える時が

あります。

 

それを「本能的信頼関係」と呼んでいるのですが、

その原因のほとんどは、その人の放つ

「空気感」

です。

 

生田さんが、平井さんのことを

まるで別人に生まれ変わったようだ、と感じた

最大の要因も、

平井さんの発する空気感の変化でした。

(→前回記事)

 

もともと、「人間不信」とも言える冷たい空気感を

持っていた平井さんが、

「人間愛」とも言えるようなあたたかい雰囲気を

醸し出すようになりました。

 

そうなれた最大の原因は、

平井さんが自分自身を許すことができた

からです。

 

言葉を変えると、

平井さんが、自分自身とのラポールを構築できた

からなんです。

 

自分自身とのラポール。

 

私は極端に言えば、人生の8割は

これで決まると思っています。

 

自分のことを自分が信頼できるか?

 

です。

 

ですがこの信頼とは、あくまでも

本能的信頼であって、

私はこんな能力があるから自分を信頼できる、とか

私はこんな経験を積んできたから自分を信頼できる、とか

私はこんな個性だから自分を信頼できる、とか

そういった理由付きの信頼ではありません。

 

ただただ、心の底から

自分を信頼できるかどうか?

です。

 

残念ながら、そういった意味で

自分のことを本当に信頼できている人は

非常に稀です。

 

これはいわゆる「自信」とは

関係がありません。

 

むしろ私の経験から言えば、

自信のある人ほど、

自分自身への本能的信頼感が少ない

という傾向があります。

 

自分自身への本能的信頼感がないが故に

それを満たしたいが故に物事に頑張り

経験を積み、

「自信」を得てきている人が多いのです。

 

しかしどれだけ自信を得ても、

自分自身への本能的信頼は増えません。

本能的信頼が枯渇しているから

自信の持てる自分でい続けよう、とします。

 

そんな人が多いのです。

 

自分への本能的信頼を得ている人の多くは、

自信があるとかないとか、

そんなことは関係ない、という感じです。

 

そういう人は、よく自信のなさからくる不安を

感じ取ります。

ですから、自分は弱いなぁ、という自己イメージを

持っている人が多いです。

 

しかし、自信とはまったく別の次元で、

「確信」が湧いてきます。

 

その確信に基づいて、行動をします。

 

つまり、

自信と確信は、まったくの別物です。

 

確信に基づいて生きている人ほど、

自信のあるなしは、

関係なくなります。

弱い自分だろうが、強い自分だろうが、

関係なくなります。

どちらにしても、自分の行動や選択は

変わらないからです。

 

平井さんは言われます。

 

「以前よりも今の方が私は

自信がないと思います。

正確に言えば、自信のない自分を

あるがままに感じることができるようになりました。

あぁ、自信がないんだなぁ、私は、と。

しょうがないなぁ、私は、弱いなぁ、私は、

と思いながら、でも行動を変えることはしません。笑」

 

私は、これこそが

人の本当の強さ

だと思います。

 

自信があるからできる。

 

というのは、本当の強さではないと

私は思っています。

 

自信があるからできる。

自信がないからできない。

 

その次元で自分の選択をし続ける状態を

私は「傲慢」と呼んでいます。

「独りよがり」と呼んでいます。

「わがまま」と呼んでいます。

 

その次元から抜け出ることは、

すべての人が可能です。

 

その次元から抜け出て、

自分の確信によってのみ生きることで

私達は「自由」になれます。

そして、

本当に望む人生を創り出すことができます。

 

では、どうすればそんなことが

できるのでしょうか?

 

どうすれば、自分自身と

本能的信頼関係を結ぶことができるのでしょうか?

 

その答えは極めてシンプルです。

 

つづく