「自信がある」
という心の裏側には必ず、
「自信がない」
という心が存在しています。
二つの相反する心は
常に共存しています。
それは、物理学の表現を使えば、
作用・反作用の法則
と同じです。
自信満々な人ほど、
何か大きな挫折や失敗があることで、
一気に自己不信に陥ってしまいます。
・・・そんな場面を、本当に数多く拝見してきました。
それを、愚かだと言っているのではありません。
それが、私達人間です。
心の中にある、その作用反作用を、
あるがままに見つめることのできる人は
私は、本当に素晴らしいなぁ、と思います。
自信のある自分。
自信のない自分。
両方をそのまま見つめることのできる人は、
「自信がある・ない」という次元を
超えることができます。
自信があるか、ないか?ではなく、
その奥から、もう一つ上の次元の自分が
顔を覗かせます。
以前の記事でも書かせていただきましたが、
高い次元の自分が現れることを
『脱皮』
と私は呼んでいます。
人は『脱皮』することで、
「世界」が違って見えるようになります。
これまで悩んでいたことが
何でもないような些細なことに映ったり、
逆に、
これまでまったく気にもせず悩みもせずにいたことに対して
本気で悩み始めたり。
ある意味、
人生が変わります。
そして、一つ、次元を上がれば、
これまで自分のいた次元に対しては、
「もうあそこには戻りたくないなぁ」
とほとんどの人が思います。
これまでの次元は
とても狭く、苦しく、重く、暗く、そして不安定に
感じられるからです。
「自信がある・ない」という表現を使えば、
次元が高まることで、自信があっても、なくても
どっちでもよくなります。
自信がないからできない、
ということがなくなります。
自信があってもなくても、
ただ、自分が「やろう」と思うことをやるだけ
となります。
それをあえて一言で表せば、
『確信』
ということになります。
自信があるからやるのではない。
確信があるからやるのだ。
・・・という状態です。
当然、
確信があっても自信がない、
ということはあり得ます。
でも、
どれだけ自信がなくても、確信さえあれば
やれる状態となります。
自信のあるなしは、反応本音レベルのもの、
確信のあるなしは、真本音レベルのもの
だからです。
木村さんが
「プロのコーチになりたい」
という発想をしたのは、
「自信がついたから」です。
つまりそれは、反応本音レベルの想いでした。
しかし、同じ木村さんが
「本当は、私はプロのコーチになりたいわけではなかった。
それよりも、今与えられた新規事業プロジェクトに
全力で臨みたい」
と思い直したのは、「確信」からでした。
つまりそれば、真本音レベルの想いでした。
「自信」のある方向に行くのではなく、
「確信」のある方向に進むことにより、
人は次元を高めることができます。
次元を高める人生。
これこそが、私達すべての人間が
本能的に望んでいることです。
さて、今ご紹介しているストーリーは
木村さんについてです。
木村さんの躍進についてです。
木村さんの躍進のきっかけの一つ目は、
「自らを枠の中に入れた」
ということです。
(→前回記事)
つまりは、
「新規事業プロジェクトリーダー」
という枠(役割)に、自らドップリと入り込んだことで
彼の望んでいたコーチング力が一気に
花開きました。
そして、その次にご紹介したいのは、
木村さん躍進のきっかけとなった二つ目の
原理です。
それを一言で表せば、
「どっちでもいいじゃん」
となります。
後にこれは、彼の口癖となります。
この口癖が、彼の次元を一気に高めました。
それにより彼は、
自信ではなく確信に基づいて動く彼、に
変貌していったのです。
つづく
「ラポール」という言葉があります。
臨床心理学で使われる用語なのですが、
コーチングの世界では「信頼関係」と訳されます。
もともとは、「心と心がつながる」とか「心が通い合う」
という意味だそうです。
私は、いつもこれをあえて
「本能的信頼関係」
と表現しています。
人が人を信頼する多くの場合は、
何らかの理由があります。
例えば、
仕事ができるから信頼できる、とか、
約束を守る人だから信頼できる、とか、
器が大きいから信頼できる、とか、
物事を必ずやり遂げるから信頼できる、とか。
しかし「本能的信頼関係」とは、
そういった理由や根拠はありません。
何となく、この人いいな。
何となく、この人好きだな。
何となく、この人と一緒にいたいな。
何となく、この人と通い合いたいな。
何となく、この人と心を開いて話したいな。
そのように、明確な理由がないのに、
初対面で会ったその瞬間からそう思える時が
あります。
それを「本能的信頼関係」と呼んでいるのですが、
その原因のほとんどは、その人の放つ
「空気感」
です。
生田さんが、平井さんのことを
まるで別人に生まれ変わったようだ、と感じた
最大の要因も、
平井さんの発する空気感の変化でした。
(→前回記事)
もともと、「人間不信」とも言える冷たい空気感を
持っていた平井さんが、
「人間愛」とも言えるようなあたたかい雰囲気を
醸し出すようになりました。
そうなれた最大の原因は、
平井さんが自分自身を許すことができた
からです。
言葉を変えると、
平井さんが、自分自身とのラポールを構築できた
からなんです。
自分自身とのラポール。
私は極端に言えば、人生の8割は
これで決まると思っています。
自分のことを自分が信頼できるか?
です。
ですがこの信頼とは、あくまでも
本能的信頼であって、
私はこんな能力があるから自分を信頼できる、とか
私はこんな経験を積んできたから自分を信頼できる、とか
私はこんな個性だから自分を信頼できる、とか
そういった理由付きの信頼ではありません。
ただただ、心の底から
自分を信頼できるかどうか?
です。
残念ながら、そういった意味で
自分のことを本当に信頼できている人は
非常に稀です。
これはいわゆる「自信」とは
関係がありません。
むしろ私の経験から言えば、
自信のある人ほど、
自分自身への本能的信頼感が少ない
という傾向があります。
自分自身への本能的信頼感がないが故に
それを満たしたいが故に物事に頑張り
経験を積み、
「自信」を得てきている人が多いのです。
しかしどれだけ自信を得ても、
自分自身への本能的信頼は増えません。
本能的信頼が枯渇しているから
自信の持てる自分でい続けよう、とします。
そんな人が多いのです。
自分への本能的信頼を得ている人の多くは、
自信があるとかないとか、
そんなことは関係ない、という感じです。
そういう人は、よく自信のなさからくる不安を
感じ取ります。
ですから、自分は弱いなぁ、という自己イメージを
持っている人が多いです。
しかし、自信とはまったく別の次元で、
「確信」が湧いてきます。
その確信に基づいて、行動をします。
つまり、
自信と確信は、まったくの別物です。
確信に基づいて生きている人ほど、
自信のあるなしは、
関係なくなります。
弱い自分だろうが、強い自分だろうが、
関係なくなります。
どちらにしても、自分の行動や選択は
変わらないからです。
平井さんは言われます。
「以前よりも今の方が私は
自信がないと思います。
正確に言えば、自信のない自分を
あるがままに感じることができるようになりました。
あぁ、自信がないんだなぁ、私は、と。
しょうがないなぁ、私は、弱いなぁ、私は、
と思いながら、でも行動を変えることはしません。笑」
私は、これこそが
人の本当の強さ
だと思います。
自信があるからできる。
というのは、本当の強さではないと
私は思っています。
自信があるからできる。
自信がないからできない。
その次元で自分の選択をし続ける状態を
私は「傲慢」と呼んでいます。
「独りよがり」と呼んでいます。
「わがまま」と呼んでいます。
その次元から抜け出ることは、
すべての人が可能です。
その次元から抜け出て、
自分の確信によってのみ生きることで
私達は「自由」になれます。
そして、
本当に望む人生を創り出すことができます。
では、どうすればそんなことが
できるのでしょうか?
どうすれば、自分自身と
本能的信頼関係を結ぶことができるのでしょうか?
その答えは極めてシンプルです。
つづく