能力

能力は諸刃の剣

 

能力があるのは

素晴らしいことだし、

 

自分の能力を

活かすことも

大切だ。

 

しかし、

能力だけに

頼ってはならない。

 

決して。

 

能力を活かす

だけの

人生であっては

ならない。

 

「能力」とは

諸刃の剣だ。

 

それが見つかる

ことで、

そこに執着して

しまう人が多い。

 

能力がある

ことで、

 

その能力を

活かすことにおいて

 

物事が

成功してしまう。

 

すると当然、

周りの人も

喜ぶ。

 

すると

「そこ」が

自分の役割であり、

自分のすべきことだと

 

思い込む。

 

そう。

 

思い込む。

 

その結果、

その人は小さくまとまって

しまう。

 

というケースが

実に多い。

 

一つの素晴らしい

能力が見つかった

としても、

 

それは

百あるうちの

たったの一つかも

しれない。

 

他の99の能力を

眠らせたままで

人生を終える必要は

ない。

 

例えば、

 

「私はリーダーには

向いてないのです」

 

断言する人で、

 

でも私から観れば、

どうみても

先天的にリーダーの

素養を持っている人は

本当に多い。

 

しかし本人は

食わず嫌いのまま

リーダーをやらない。

 

この人は

リーダーをすることで

様々な能力を

発揮するに違いない

のに、

 

ただ単に

本人の思い込みに

よって、

決してそれをしない。

 

実にもったいない。

 

本来、能力とは

自分の「願い」に

向かうための道具だ。

 

手段だ。

 

基本的には

自分の「願い」に

向かうことで

 

その人の

先天的な能力は

「次々に」

開花する。

 

そう。

 

それはまさしく

「開花」

という言葉が

ぴったりだ。

 

たとえ

「願い」がわからなくとも、

 

私の願いは

何だろうか?

 

という

問いを大切に生きる

だけでもいい。

 

「私には

こういった能力しか

ないから、

この能力を活かすことを

したい」

 

ではなく、

 

「私の本当の願いは

何だろうか?」

 

ずっと探究すると

いい。

 

この単純な問いは

真摯に自分に

投げ続けるだけで、

 

自分の心には

大きなインパクトと

刺激を与えてくれる。

 

自分自身に

「栄養」を

与えてくれる。

 

「願い」に向かおうと

するその意志こそが、

 

本来の「能力」を

掘り起こす。

 

手段である「能力」

目的にしては

ならない。

 

あなたは

そんなもんじゃない。

 

つづく

 

頼りなくてもいい

 

あまりに

頼りない一歩だと

しても、

 

今の自分が

「この一歩だ」

と思うのなら、

 

その一歩を

進めばいい。

 

頼りないとか

力強いとか

 

関係ない。

 

すべては

自分の意志だ。

 

私達は

頼りなさを

能力の視点から

感じることが多い。

 

自分には

そんな能力はない。

だから

頼りない、と。

 

そして、

能力をしっかりと

つけてから

一歩を踏み出そう、

する傾向がある。

 

しかし

それでは遅い。

 

しかも

それでは

その一歩の意味すら

失われる。

 

今のその

頼りない能力だから

こそ、

その一歩には

大いなる意味が

込められるんだ。

 

今の自分

だからこそ

その一歩に

価値が出るんだ。

 

だから

能力のみで

決めてはならない。

 

自分の意志

で判断しよう。

 

「意志」と

「能力」を

区別しよう。

 

そのためには

次の問いを

自分に投げれば

いい。

 

「もし私に

能力が充分にあれば、

この一歩を出したいと

素直に思うか?」

 

もしYES

であれば、

 

何としてでも

その一歩は

出すといいよ。

 

つづく

 

これが私の個性です、だって?

 

自分の個性を

自分で

決めつけるのは

 

実にもったいない

ことだ。

 

自分らしさは

大事だが、

 

これが自分らしさだ、

決めつけない

方がいい。

 

これが

自分の個性だ、

などと

自己分析や

自己判断は

 

しなければ

しないほど

良い。

 

・・・と

言いたくなる

くらいに、

 

皆、

自分のことを

誤解している。

 

・・・・・・

 

最近またこのブログでも、

脱皮の話を

書くようになったが、

 

脱皮をすることで

個性が

根本から

変わる人がいる。

 

本当は、

「変わる」

のではなく、

 

まだ隠れていたものが

「芽を出す」

というのが

正確な表現だ。

 

私達には

隠れた個性が

本当に

たくさんあるのだ。

 

例えば、

最近の私の

クライアントさんである

A社長は、

 

これまで

自他共に認める

「リーダー」

だった。

 

とにかく

皆を

引っ張る引っ張る。

 

彼の言うことは

ある意味

「絶対」であり、

 

彼の出す方針

の通りに

進むことが

即、

会社の発展に

つながってきた。

 

そのA社長が

脱皮された。

 

その瞬間から

彼自身は

「引っ張る」ことを

やめてしまった。

 

「引っ張る」ことに

情熱が

出なくなって

しまったのだ。

 

彼は今、

「牽引型リーダー」

から

「調和型リーダー」

へと

変貌を遂げつつある。

 

そこを私が

サポートさせて

いただいているのだが、

 

私からしてみれば、

これまで

「牽引型」であったことが

不思議でならない。

 

だって、

その人の本来の

個性の

真逆だから。

 

よくそんなやり方で

ここまで

やってこれたものだと、

逆に感動する。

 

しかし

彼は、その業界では

ほぼ最高レベルの

仕事をする

会社を創り上げた。

 

だから

能力値が

驚くほどに

高いのだと思う。

 

その「能力」と

彼の「本来の個性」が

これからいよいよ

「合致」

していく。

 

これは

凄いことになりそう

だと、

私は

ワクワクが

止まらない。

 

・・・・・・

 

自分のことは

自分が一番よく

わかっていない。

 

「これが私の個性だ」

なんて

決めつけている

暇があったら、

 

ただ純粋に

自分の「願い」に

意識を

向け続けた方が

良い。

 

本当に。

 

人間は

無限だ。

 

無限に

「自分」は

開発される。

 

自分で自分に

枠をはめるなど、

 

人生の

99.9%以上の楽しみ

自ら捨てている

ようなものだ。

 

そういった意味で

もっと

どんどん

冒険しよう。

 

自分で

自分を

決めつけるのを

やめてしまおう。

 

あなたは

そんなもんじゃ

ないんだ。

 

つづく

 

そこかしこに種はある

 

このお仕事を

させていただいていて、

私が楽しみにしている

ことの一つは、

 

その人の中に潜む

『種』

を見つけること

である。

 

「種」と言うくらいだから、

まだ、

芽は出ていない。

 

つまりは

本人にその自覚は

ないし、

本人だけでなく、

周りの人達も

よくわかっていない。

 

しかしそれは

確実に存在していて、

その種が

発芽し、

一気に伸びることで

 

「この人には

こんな面があったんだ!」

 

と、皆が

驚くことになる。

本人も含めて。

 

そういった「種」を

見つけることが

私の役割の一つであると

思っている。

 

そして、

そういった「種」こそが、

実は、

その人の真本音の個性

だったりする。

 

つまりは、

本来のその人の魅力

であり、

本来のその人の能力

である。

 

それが「発芽」することで

その人の所属している

組織に

大きなインパクトと

進化をもたらすことは

とても多い。

 

・・・・・・

 

自分の持っている

「種」と

真逆の人生を

生きている人は多い。

 

例えば、

 

「私は人と関わることが

苦手なんです。

本当は、一人で生きて

行けるものなら

一人だけで生きて

行きたい。

できるだけ人と

関わりたくないんです」

 

と言いながら、

私と向き合うと本当に

オドオドしてしまう

人。

 

そんな人にこそ

コーチに向いている人が

多かったりするのだ。

 

その場合、

私は結構いつも

ダイレクトに

フィードバックする。

 

「あなたは私のような

コーチという職業に

向いているんですよ」

 

と。

 

当たり前のことだが、

最初は

ほぼほぼ信じて

もらえない。

 

しかし私は

その人に

「人と向き合う機会」

を創る。

 

時には

半ば強引にでも

創る。

 

すると、

初回からその人の

「コーチとしての能力」

は開花し始める。

 

そして、

「人と向き合うのは

結構楽しいのですね」

と、

かなりの短期間で

なる。

 

それはそうだ。

 

「種」とは

言葉を変えれば

その人の

「天性の才能」

だ。

 

「天性の強み」

だ。

 

才能や強みとは、

現時点で

発揮されているものとは

限らない。

 

しかし

少しのチャンスと

少しの努力で

開花し始めるのが

才能であり強み

である。

 

・・・・・・

 

同じような展開として、

これまで

人と関わることも

嫌い、

ましてや

リーダーシップなどとは

無縁の人生だった人の

中に、

とてつもないリーダーが

いたりする。

 

その場合も

私は結構、ダイレクトに

本人にフィードバック

する。

 

「あなたは本当は

リーダーに向いて

いるんですよ」

 

と。

 

これは本当に

いつも信じて

もらえない。

 

しかしやはり、

リーダー的な活躍の

機会を

半ば強引に

創っていく。

 

すると同様に、

それは開花する。

 

このように、

一人の個人には

眠っている「種」が

必ずある。

 

その「種」を

「発芽」させることは

組織にとっても

重要な「発芽」

となる。

 

・・・・・・

 

少しの刺激を

与えることで

「発芽」しそうな

「種」を持っている人。

 

その人のことを

私は

『要』

と呼んでいる。

 

組織の中ではまずは、

この、「要」を

見つけることが

とても重要な

ステップだ。

 

そして、

「要」に対して、

刺激を与えていく。

 

「発芽」のための

刺激だ。

 

面白いことに、

一人の人の

「発芽」は、

 

次の人の

「発芽」を

誘発する。

 

それにより

「発芽」の連鎖が

組織に起こる。

 

そして、

「発芽」する人が

組織全体の中の

1割を超えると、

 

その組織自体が

「発芽」を始める。

 

つまり、

組織の性質が

変わり始めるのだ。

 

この変質を

「進化」

と言ってもいい。

 

「要」を見つけ、

「発芽」を誘発させ、

組織に「進化」を

もたらす。

 

これが

私の仕事だ。

 

これができる人の

ことを私は

「コーチ」

と呼んでいる。

 

そういった意味での

「コーチ」は

今とても

求められている。

 

だから早々に

育成しなければ

ならない。

 

つづく

 

揺るがぬ自分が、揺れをもたらす

外部環境によって人は影響を受けます。

 

外部環境によって個性が創られます。

外部環境によって能力も創られます。

外部環境によって人生も創られます。

 

私達は、どこに生まれ、

どこで生きるか?

によって、

自分は何者で、

自分はどのような人間か?

を形創っていきます。

 

例えば、日本に生まれるのと

インドに生まれるのとでは、

人生は大きく異なったものとなるでしょう。

自分という人間も

大きく変わるでしょう。

 

私達は外部環境によって

揺らされます。

外部環境によって

変化させられます。

外部環境によって

決められます。

 

外部環境によって、

私達の「心」は変わり、

外部環境によって

違った「自分」になるのです。

 

・・・と、私はずっと思って生きてきました。

 

確かにその通りでした。

でも、その一方で、

どのような環境でも

どのような状況でも

どのような運命でも

いっさいの影響を受けない

まったく揺るがない

そういった「自分」があることも

私は知ったのでした。

 

それが前回記事でご紹介した

私の体験です。

(→前回記事)

 

私は恐らくその体験によって

人生観が根本的に変わりました。

これもまた、

外部環境によってもたらされたものでは

ありますが。

 

でもその体験は、

私の中の揺るがぬ自分である『海』が

自らにもたらしたものである、と

今になればわかります。

 

人は、

必要な体験を自分に与えています。

必要な悩みや課題を自分に与えます。

それらをちゃんと体験し、悩み、取り組む。

それによって自分を

進化させようとしています。

 

『海』は進化します。

 

進化を望んでいます。

 

進化をするからこそ、揺るがないのです。

 

そんな『海』(のようなもの)が、

誰の中にもあるのではないか?

という仮説のもとで、私は自分のコーチとしての

活動を始めました。

 

新たな組織を立ち上げましたし、

自分の仕事の仕方も根本的に変えました。

新たな、研修・講座・コーチングの仕方、

すべてを一から創り直しました。

もちろんそれらのほとんどは、

頭で考えて行なったというよりも、

多くの方々と向き合う中で

現場の中でできあがっていきました。

 

そして、最初の一年で私はすでに

確信していました。

仮説は正しかった、と。

誰の中にも『海』(のようなもの)は

確かに存在していると。

 

私はその『海』を

『真本音』と名付けました。

 

あれから15年。

実は今の私は、「コーチング」という言葉は

あまり使いません。

私の行なっていることはコーチングというよりも

『真本音コミュニケーション』

と言った方がよいからです。

 

私のようなかなり辛い体験をしないと

真本音は出てこない。

・・・というものではありません。

 

本当は、誰もがすでに身近なところで

真本音と共に生きていますから、

ほんのわずかな刺激で、

真本音はニョキニョキと芽を出します。

 

しかしその芽を大切にしながら、

現実における「行動」を変えていく必要がありますので、

私のコーチングは逆に、

より現実的なものに変化しました。

 

クライアントの真本音をキャッチし、

その真本音キャッチ力を

クライアント自身が高め、

真本音の意思を、現実に反映させていく。

 

これをすることで、

クライアントは自らの「味」(先天的な味)を

自然に醸し出すようになりますし、

同時に、周りの人達との調和度合いも

一気に高まります。

 

つまりクライアントの人生は

とても幸せなものになっていきます。

 

私がそれをするのではなく、

クライアント自身の真本音がそれを成します。

そのサポートが

私のコーチングであり、

そこで私が行なっていることが

『真本音コミュニケーション』です。

 

そろそろ平井さんのお話に戻します。

 

私が平井さんとどのような真本音コミュニケーションを

とったのかを、

公にできるギリギリのところまで

ご紹介しようと思います。

 

つづく