私は木村さんに私の感じていることを
はっきりと伝えました。
あなたが、チームのボトルネックになっていると。
あなたが、チームの成長を阻害していると。
(→前回記事)
それに対して、木村さんは次のように答えました。
「・・・薄々、それはわかっていました。
私は意図的にそれをやっていたのかも
しれません。」
と。
木村さんが自らの真本音を開放し始めたからこそ
出てきた言葉です。
「たけうちさんにはっきり言われて、気づきました。
私は、自分が実はチームの阻害要因だと
わかっていました。
むしろ、それをわざとやっていました。
薄々わかっていましたが、今、はっきり
そう思いました。」
彼は本当にガックリと肩を落としました。
知りたくなかった事実を知ってしまった、
そんな状態だったのでしょう。
私はそんな彼を
さらに追い詰めるような質問をしていました。
「なぜそんなことをしていたのですか?」
恐らくここが、
木村さんが最も見たくなかったポイントです。
このポイントを見ないようにするために、
彼はあらゆる「努力」をしてきたはずです。
このポイントを見てしまうことで、
自分が崩れてしまうと本能的に
思っていたからでしょう。
確かに、真本音度合いの低い状態でここを見れば、
彼は崩れ落ちるでしょう。
自分自身を「完全否定」する状態に入るでしょう。
しかし真本音度合いが高まることで、
人は「本来の自分」を理屈ではなく感覚として
実感します。
それにより、「大地」を得たような安心感を得ます。
本来の自分はここにある、と
感覚でわかるのです。
だからこそ、これまで見たくなかった自分を
見る勇気が出ます。
最も見たくなかった自分を見たとしても、
本来の自分はここにあるのだという安心感が
あるからです。
私はよく、真本音度合いを数値(%)で表します。
恐らく、これまでの木村さんの真本音度合いは
10%もなかったでしょう。
しかし、この時の木村さんは違いました。
真本音コミュニケーションをすることで、
70%くらいに高まっていたでしょう。
つまり、
彼の思考と言動の70%は、真本音から出される
という状態です。
多くの場合、真本音度合いが50%を超えれば、
心はかなり安心感と安定感を得ることができます。
しばらく木村さんはじーっとしていました。
自分の心をしっかりと見つめようとされていたのでしょう。
やがて、ポツリと呟きました。
「私は、・・・・怖かったです。」
「何が怖かったのですか?」
「失敗が怖かったです。
全力を出して、それでも失敗することが
怖かったです。
だから全力を出すことをずっと拒んできました。」
「だから自分を演じていたのですか?」
「はい、そうです。
本当の自分を出して、それでも失敗をしてしまうと
私はもう立ち直れない。
でも、演じる自分であれば、たとえ失敗しても
ダメージは受けない。
本当は私はこんなもんじゃないんだ、と
言い訳ができるからです。」
彼は目を瞑り、声を押し殺しながら、
泣き始めました。
「私は、こんな自分じゃなかったはずだ・・・」
と呟きました。
自分が望まない生き方を彼はしていた。
それを一番わかっていたのは、
彼自身でした。
そんな自分を彼は許せなかった。
だから、ずっとそんな自分にフタをしていた。
「仕事とは、演じることだ」と彼が頑なに言われていたのは、
フタを外さないために必要な自己防衛でした。
自己防衛のために強い信念を持つ。
・・・これを一般的な言語で表すと、
「頑固」となります。
本当の意味で信念が強いのと、頑固とでは
本質的にはまったく異なるのです。
頑固な人は、
自分を壊したくないが故に
頑固になるのです。
自己防衛。
自己愛。
それが本質です。
しかしその頑固さを
外からの圧力によって壊すことは困難です。
あくまでも、自らが内側から壊す意志を持たなければ
それは壊れません。
そのためには、
真本音度合いを高めるしかない、
というのが、現時点での私の答えです。
木村さんは、自己防衛をしていた自分自身を
ちゃんと自ら見つめ、しかも
それを口に出して私に伝えました。
ここまで出来ればもう大丈夫です。
フタをしていたその中身を見ることを
人は極度に怖がります。
しかし実際にそのフタを開けてしまい、
その中にいた自分と向き合うことができれば、
その瞬間にその人は楽になります。
それまでの自分を超えて行けます。
木村さんは、それを果たしました。
私は心の中で彼に拍手を送っていました。
しかし私はこの後、
さらに彼にきつい質問をしたのです。
つづく
平井さんはついに、
「これまでの自分」を壊しにかかりました。
(→前回記事)
そのためのきっかけとして、
自分自身に「自己愛」という一言を投げました。
「自己愛」とは、
これまでの平井さんを一言で表現した言葉です。
平井さんは自分自身を、ずっとそういった目で
見ていたのです。
それが「何となく」無意識に抱いていた自分像でした。
つまり、これまでの自己イメージです。
それをそのまま自分にぶつけることにより、
内側から自分を壊そうとしています。
自分の最深奥にあった自己イメージを
浮上させたことにより、次に起きたのは、
これまで自分がフタをし続けてきた自分の気持ち達です。
それは、自分が最も見たくない気持ち達。
平井さんの言葉で言えば
「邪悪な自分」
です。
平井さんの心の中に突然、
無数の台風が一気に現れたようなものです。
しかしそれらは、本当は
最初からそこにありました。
それらを平井さんは「何もない」ものとし、
必死にフタをし続けていたのです。
見ないようにしていたのです。
それにどれだけのエネルギーを使っていたか?
それは測り知れません。
そしてそこで使っていたエネルギーを
人生を前に進めることに使っていたら、
本来の自分として生きることに使っていたら、
平井さんの人生はどうなっていたでしょうか。
夜中に平井さんからお電話がかかってきた時に、
私が平井さんにアドバイスしたのは、
浮かび上がってくる「邪悪な自分」を
とにかくすべて紙に書くことでした。
出てくるものを、すべて書く。
それはパソコンに打ってもよいです。
平井さんはパソコンで行なったようです。
後に、私はその平井さんの書かれた
「邪悪な自分」の発する言葉達を
拝見しました。
それはもう酷いものでした。
一番多かったのが、
社長に対する恨みの気持ちでした。
ものすごい勢いで、社長を批判し、反発し、罵り、
言葉で殺そうとしていました。
それは社長に対してだけでなく、
平井さんが最も大切にされていたご家族に対しても、
友人知人に対しても、
過去に出会ったあらゆる人達に対しても、
同様に、ものすごい言葉達が書かれていました。
平井さんが私にお電話された日は、
彼は朝までかけてそれをやり続けました。
涙が止まらなかったそうです。
自分はなんて酷いことを考えていたのだろう。
自分はなんて酷い人間なのだろう。
その情けなさに襲われながも、平井さんは
自分の気持ち達を書き続けました。
最初の一晩が一番きつかったそうです。
しかし、一晩がんばったことで、
平井さんはこれまでに体験したことがないくらいに
心がスッキリされたそうです。
しかし、「邪悪な自分」の浮上は
一晩では収まらず、日中でも時々溢れてきたそうです。
しかしその度に、5分くらいずつ時間をとり、
ご自分のパソコンにそれを書き続けました。
たった5分でもそれをすると、
非常にスッキリされたそうです。
そして、夜には腰を落ち着かせて、
家でまたそれをする。
それを彼は約一週間続けました。
その一週間後に、私は彼にお会いしました。
一目、彼を見て、予測されていたこととは言え、
ちょっとびっくりしました。
まるで憑き物が落ちたかのように
彼のお顔がスッキリされ、
穏やかだったからです。
これは本当にしっかりと
自分自身と向き合ったのだな、と
わかりました。
コーチングの最中も、彼は
「あっ、たけうちさん、邪悪な自分、出てきました」
と言われ、コーチングを一時中断し、
パソコンに向かいました。
彼は笑いながら、
「たけうちさんの前だと、いつもよりも酷いのが
出ますねぇ」
と言われ、その場で書かれた「邪悪な言葉達」を
私に見せてくれました。
確かに酷い言葉達。
しかし、「書く」ということはイコール、
それを吐き出す、ということです。
しかもそれを客観的に笑いながらできるということは、
そんな自分をも受け入れている、
つまりはそんな自分をも愛している、
ということです。
ここに至って、平井さんはついに
「本当に自分を愛する」
という状態に入れたのです。
それは
「自己愛」
とは、本質的に真逆のものです。
自己愛とは、自己満足の愛。
自己満足の愛を続けているうちは、
自分自身が自分を許すことはできません。
本当の愛を自分に向けたときに初めて、
私達の心は満たされ始めます。
自分の心を愛で満たすことで初めて、
人を愛することができるようになります。
その第一歩を、
平井さんは踏み始めました。
平井さんに限らず、
私達の心の中にはあらゆる自分がいます。
自分の好きな自分もいれば、
自分が見たくない自分もいるでしょう。
自分が好きな自分のみを愛しても
それは、自分を本当に愛していることには
なりません。
自分を愛するとは、
自分のすべてを愛することです。
愛する、という表現を使うと、
それは難しいことのように思えますが、
そうではありません。
愛する、の基本は
平井さんの行なったような「存在承認」です。
つまりは、
そこにあるものを、
そこにあるんだね、と
承認することです。
もうそれで、愛は自然に
発生します。
それができている人特有の空気感が
あります。
平井さんはすでにその空気感を
漂わせ始めていました。
このコーチングは案外、早く終わるかもしれない。
私がそう思えたのは
その時でした。
つづく
それは強烈な一言でした。
「平井さんのこれまでの人生はすべて、
“自己愛”です。」
私がそう伝えたとき、
平井さんの全身の力が抜けるのが
明らかにわかりました。
(→前回記事)
しばらく彼は、茫然自失、
フリーズしている状態でした。
数分の間、・・・いえ、もっと長い時間だったかも
知れません。
彼はずっと無言のままでした。
私はただそこにいました。
私も何もしません。
後になって、彼にこの時のことを聴いたことが
あります。
まず、彼は自分が茫然自失状態のまま
ずっと無言だったことを覚えていませんでした。
そして、
「実は、たけうちさんのあの言葉を聴いたとき、
私はあの場から逃げ出そうと思いました」
と。
しかし、逃げようにも
体が上手く動かなかったと。
正確には、
心が上手く動かなかったのでしょう。
これは端から見れば、
コーチである私が強烈な言葉を浴びせた
外圧的なコミュニケーションでしょう。
しかし、
本質はまったく異なります。
「自己愛」の一言は、
本来、平井さんの真本音が平井さん自身に
与えたかったメッセージです。
しかし上手くそれが顕在化できなかったために
代わりに私がそれをキャッチして
伝えただけなのです。
つまりその時の私は平井さんの
「鏡」
でした。
しかしその「鏡」は強烈な鏡です。
そこに映っていたのは、
できることなら顕在意識の平井さんにとって
決して見たくない自分自身の姿だったでしょう。
平井さんは、私という「鏡」を通じて
自己対話をしました。
真本音の自分との自己対話です。
これこそが
『真本音コミュニケーション』の本質です。
「自己愛」とは何なのか?
それはどのような意味なのか?
という、そういった説明は何も必要ありません。
なぜならその一言は、
平井さん自身だからです。
これまでの平井さん自身です。
その日のコーチングはそれで終わりでした。
私は平井さんに
「何かあったらすぐに私にご連絡ください。
決して遠慮せずに、すぐにその場でご連絡ください」
とお伝えしました。
その日の夜中。
確か、もう12時をまわっていたと思います。
平井さんから私の携帯にお電話が入りました。
私はそれを予測していました。
「私は、おかしくなってしまったのでしょうか。
私の中に邪悪な心がたくさん生まれています。
どうすればよいでしょうか?」
「平井さん、
それは今、生まれた心ではありませんよ。
もともと平井さんの心の中にあり続けていたものです。
平井さんがずっとフタをしてきた気持ち達です。
ここからちょっと大変ですが、
その気持ち達としっかりと向き合ってください。
方法は今からお伝えします。」
平井さんの「一撃必殺」は
効果があったということです。
平井さんはついに
自分を壊しにかかりました。
ただしそれは非常によいことです。
自分を壊すといっても、
「これまでの自分」を壊すということであり、
平井さん自身の真本音を阻害していた自分を壊す
ということですから。
しかしここからが本当の勝負でした。
ここでしっかりと自分と向き合い切れるかどうか。
一撃必殺コーチングの本当のサポートは
ここからです。
つづく