自己評価

評価と向き合おう

 

よく、

「私の評価は本来

他者がするものなので、

自己評価は

しません。

他の人に訊いて

ください」

言われることが

ある。

 

一見、

そうだな

とも思うのだが、

私はいつも

違和感を覚える。

 

仕事に関して

自己評価をしない

人は

プロと言える

だろうか?

 

常に

客観的に自分と

自分の仕事を

みて、

 

他の人からの

評価も

しっかり聴いて、

 

自己評価と

他者評価の

差異を

見つめることが

プロとして

当たり前のこと

ではないだろうか。

 

もちろん

すべての評価は

その人その人の

主観による。

 

それが

正確な評価か

どうか?

わからない。

 

しかし、

すべてに真摯に

耳を傾けることで、

その奥に

「真実」

が観えてくる。

 

その真実と

向き合い続ける

ことこそが、

プロとしての

自身の成長(進化)に

つながるのでは

ないか。

 

誰もが

評価を受けるのは

怖い。

 

こんなに

がんばっているのに、

なぜ誰も

そこを評価して

くれないのだ?

苛立つことや

悲しくなることも

あるだろう。

 

が、

それが事実であり

現実であり、

人間関係でも

ある。

 

真本音で生きる

からと言って、

すぐに評価に

つながるわけでは

ない。

 

真本音の想い

きちんと

「カタチ」しなければ

ならない。

 

「カタチ」に

することができて

初めて

「想い」は

ここに存在した

ことになる。

 

どれだけ

心の中で想い

続けても

それだけでは

永遠に

自己満足の世界に

過ぎない。

 

くらいに

思うことが

普通だと思う。

 

想いは

カタチに

せよ。

 

そのためには

想いを

行動に

移せ。

 

その行動は

最初は

効果を出さない

かもしれない。

 

効果どころか、

失敗とか

後退とか、

するかも

しれない。

 

しかしその

試行錯誤を

経ずして、

想いをカタチに

現すことは

できない。

 

試行錯誤のない

前進は

ない。

 

もし

試行錯誤を

していないのなら、

それは

本当には

前進していない

のだ。

 

それこそ

自己満足。

 

何があっても

前進しようと

すること。

 

自分の

想いは

自分がまずは

信じ抜くこと。

 

恐れても

いいから

恐れず

足を前に

踏み出し続ける

こと。

 

それがまた

真本音で生きる

ということだ。

 

つづく

 

あなたは、あなたが知るあなたではない

 

あなたの

胸の中心に

大事に抱き続けている

願いとは

何でしょうか?

 

あなたは

その願いに

いつも意識を

向けていますか?

 

毎日、

ほんの少しずつでも

その願いに

近づいていますか?

 

自分を

自由にする。

とは、

願いに素直になる

ということです。

 

今の自分を

自分で評価し続け、

今の自分を

基準に

未来を決めるよりも、

単純に

自分の願いに素直な

今日を生きてみる。

 

ということを

一日一日

続けることで、

私達は

本来の自分自身を

開くことができます。

 

・・・・・・

 

あなたは

自分が好きですか?

 

自分が嫌いですか?

 

自分のどこが

嫌いで、

自分のどこが

好きですか?

 

・・・なんてことを

一度、

考えるのを

やめませんか?

 

多くの人が

「自己評価」を

し過ぎです。

 

もちろん

自己評価は大事

ですが、

それを

「今の自分の解釈」

によってしても

実はほとんど

意味がありません。

 

よく、

自分の短所を直す

よりも

長所を伸ばした方が

いい、

と言われますが、

 

ちょっと極端な

ことを言えば、

 

そんなことは

どうでもいいじゃない、

私は時々

言いたくなります。

 

そんなことよりも、

自分の

真本音の願いに

素直に

今日を生きることだけ

してみれば

いいじゃない、

と。

 

ちょっと乱暴な

言い方ですけどね。

 

でも、

願いに生きれば、

自分という人間は

ある時ある瞬間に

とてつもなく大きく

変貌することが

あるのです。

 

明らかに

それまでの自分の

延長線上にはない

まったく新たな自分が

一気に花開くのです。

 

自己評価を

解釈によってし続け、

それを指針にしていては、

その開花は

一生起きません。

 

人間とは

もっともっと

奥の深いものです。

 

私達自身の

解釈の尺度を

超えた存在なのです。

 

自分と向き合う

とは、

自己評価することでは

ありません。

 

自分を

解釈することでは

ありません。

 

あるがままの自分を

ただ見つめること。

観察することが

基本です。

 

あるがままに

見つめれば、

必ず、

あまりに強烈な

あなた自身の願いに

気づくはずです。

 

あなたは

「願いが服を着て

歩いている」

存在なのです。

 

すべての人が

そうなのです。

 

解釈の人生から

願いの人生へ。

 

そろそろ

人生のシフトチェンジを

してみませんか?

 

つづく