行動

現実と共に

 

心の中が

うるさいときは、

 

私は決断は

しない。

 

心の中が

鎮まっているときに、

 

私は決断

する。

 

心の中が

うるさいときは、

 

私は仕事は

しない。

 

心の中が

鎮まっているときに、

 

私は仕事

する。

 

だから大事なのは

いかに

心が鎮まっている状態を

増やすか?

 

いかに自らの意志で

心を鎮めることが

できるか?

 

だと思って

私はこの人生を

生きてきた。

 

恐らく

このテーマを

真剣に持ったのは

19歳のとき。

 

33年前だ。

 

それ以来ずっと

私は

自分との向き合い方を

探究してきた。

 

その極意を

今回はここで

書こうというわけでは

ない。

 

ただ、

その探究の中で

つくづくわかったことが

ある。

 

自己探究とは、

行動を伴わなければ

まったく意味がない

 

ということだ。

 

自己探究すれば

するほど、

現実から

逃げる人がいる。

 

自分の内面

ばかりを見て、

 

自分の外側の

現実を

見なくなる人が

いる。

 

しかしそれは

自己を喪失させて

いく行為だ。

 

私達は

現実世界に生きて

いる。

 

自己探究をして

今の現実じゃ

いやだ、

と思うのなら、

 

その現実に

自ら取り組み、

自己の望むものに

変えていく必要が

ある。

 

それを放棄する

というのは

自己探究の

真逆だ。

 

私の心が鎮まるのは、

その視点から

言えば、

 

現実と

向き合い、

 

人として

今やれることを

やり切っている、

 

そんな行動が

できている

ときだ。

 

そんなときは

人の心は

鎮まる。

 

だから

良い決断が

できる。

 

良い仕事が

できる。

 

人は

行動する生き物。

 

そして

現実を生きる者。

 

だから、

考えて止まるよりも

 

まずは

行動だ。

 

つづく

 

無心を手に入れる

 

無心になる、

ということが

昔の私にはとても

難しかった。

 

無心になろうと

しても、

心の中が非常に

騒がしい。

 

いろんな心の声が

ずっと

心の中に

こだまし続けていた。

 

しかもそれが

当たり前の状態

だったので、

 

心を静かにする

とか

無心になる

ということが

どういったことか、が

まったくわかって

いなかった。

 

無心になったつもり

にはなれたが、

それは本当の

無心ではなかった。

 

・・・・・・

 

今の世の中、

そんな人が

とても多い。

 

残念なこと

だと思う。

 

無心になることで

観えてくるものや

気づく答えは

たくさんある。

 

本当は

自分自身の中に

答えがあるにも関わらず、

心の中が

騒がしいが故に

その答えが

わからないのだ。

 

当時の私は

無心になるために

随分と

瞑想をした。

 

瞑想のやり方を

勉強し、

それを毎朝

30分〜1時間くらい

必ず行なった。

 

そんな日々を

5〜6年続けた。

 

一日も

欠かさなかった。

 

でも残念ながら、

無心になったつもり

にしか

なれなかった。

 

それくらいに

私の心は

騒がしかった。

 

・・・・・・

 

心の中を

静かにし、

本当の意味での

無心になるためには、

 

真本音度合いを

高めるしかない。

 

真本音度合いを

高めるためには、

 

自分の本当の

人生の願いと、

 

「今ここ」における

自分の行動を、

 

一致させることだ。

 

一貫性。

 

願いとカタチを

一貫させること。

 

つまり

私達人間は、

 

瞑想するだけでは

ダメなんだ、と

あえて

断言しよう。

 

心を整えて

行動に移す。

 

行動に移せる

自分になれて

初めて、

 

心は静まって

いく。

 

行動のない

静けさは

ない。

 

もっと言えば、

行動の伴わない

心の平安は

 

絶対に

 

ないのだ。

 

だから、

自分の本当の願いに

基づいて

毎日、毎日

行動し続けている人と

向かい合うと、

 

私はいつも

居心地の良い

静けさを感じる。

 

とても

落ち着いてくる。

 

そういった人と

ずっと一緒にいたいなぁ

と思う。

 

だから、

私の推奨する

セルフコーチングとは、

 

行動に結びつける

もの。

 

行動が伴わない

セルフコーチングは

 

まったく

 

意味がないと

思っている。

 

・・・・・・

 

行動が伴って

初めて人は

無心

を手に入れる。

 

そして

無心になることで、

初めて

観えてくる答えが

ある。

 

それは、

自らの人生の願いに

直結する

ヒント達だ。

 

だから、

無心になれる人

は、

人生の願いをも

叶えることができる。

 

この世のすべての

人達が、

そうなれる社会を

目指して、

私は今日も明日も

魂を込めて

仕事を続けよう。

 

つづく

 

これは大きなチャンスだな

 

時の流れに

もし

断絶というものが

あるならば、

 

次の大きな断絶は

もうすぐ

訪れるだろう。

 

いや、別に

恐ろしいことでは

ない。

 

これまでも

何度もあったことだ。

 

もちろん私達の多くは

それに

気づかずに来た。

 

次に来る断絶も

ほとんどの人が

気づかないだろう。

 

日常が変わる

わけではない。

 

世の中が大きく

変わるわけでは

ない。

 

しかし、

断絶、とは

一度、すべてが

リセットされ、

 

次の一瞬で

すべてが甦るような

ものだ。

 

気づかずにいれば

何も起きていないのと

同じであるが、

 

もし感性が豊かな

人であれば、

 

ここが

 

かなりのチャンスである

ことがわかるだろう。

 

・・・・・・

 

私達人間は皆、

思い込み

の集積で生きている。

 

思い込みが

次の現実を

創る。

 

もちろんそれを

なくすことは

必要のないことだし、

 

第一、無理だろう。

 

しかし、

それが

真本音の望む思い込みか

どうか?

私達の人生にとっては

とても重要だ。

 

どうせ思い込むなら、

自分が本当に

望む方向の

思い込みで

生きてみたいのでは

ないかな。

 

自分の本来の道を

阻害する思い込み

後押しをしてくれる

思い込み。

 

どちらを選ぶかと

言えば、

大概の人は後者だと

思う。

 

「断絶」は

自分の中の

自分の道を阻害する

思い込みを

手放すチャンスだ。

 

・・・・・・

 

とは言え、

ここではその

「手放し方」を書こうと

しているのではない。

 

なぜなら

顕在意識のレベルで

それをする方法は

ないからだ。

 

しかしその「手放し」は、

潜在意識のレベルでは

恐らく

多くの人が行なうだろう。

 

ただしそのためには

条件がある。

 

それは

私の表現を使えば、

 

真本音に素直に

生きていること

 

だ。

 

言い換えれば、

 

自分の本当の願いを

大事に日々、

生きていること

 

だ。

 

これまでコツコツと、

たとえ成果が

出なかったとしても、

ここを大事にして来た人は

今回の「断絶」によって

 

大きな力を

得ることになるだろう。

 

何やら

予言めいた言い方に

なっているが、

 

これは予言ではなく、

空気感だ。

 

「断絶」の空気感が

そこかしこに

漂っている。

 

すでにその影響を

受けている人も

多い。

 

皆、変化を始めている。

 

こういったことを聴けば、

あぁなるほど!

思う人も多いのでは

ないかな。

 

・・・・・・

 

人生は自分探究の

旅でもある。

 

その探究を

真摯にコツコツと

やり続けて来た人は

やはり最後は

強い。

 

ただし

「やり続ける」というのは

考え続ける、という

ことではない。

 

試行錯誤をし続ける、

つまりは

行動をし続ける

ということだ。

 

本当の自分の願いを

自分でしっかりと

見つめ、

それを行動に

起こし続ける。

 

その単純なことを

コツコツと

日々、

 

・・・そう、「日々」だ、

 

やり続ける人は

やはり強い。

 

チャンスを

ものにできる。

 

「断絶」を

チャンスとすることが

できるんだ。

 

つづく

 

想いは行動に移しなさい

 

セルフコーチングや

コーチングの

本質は、

 

「現実を変える」

 

ことにあると

私は思っている。

 

現実を変える

ために、

まずは自分の

「本当の想い」

を知る。

 

本当の想いに

基づいた行動を

することでしか、

本当に望む方向に

現実を変えることは

できないからだ。

 

当たり前の

ことであるが。

 

そして、

「本当の想い」

を知るために、

自分自身の心の

状態を

整える。

 

心を自ら

スッキリとさせ、

晴れやかな状態で

いるための術を

身につける。

 

それをまた

セルフコーチングと

言うのだが。

 

しかしそれは

あくまでも、

①心の状態を整え、

②本当の想いを知り、

③現実を変える

というステップの

最初の段階に

過ぎない。

 

ところが。

 

①を手に入れる

ことで、

満足をしてしまう人が

いる。

 

もしくは、

②までは行くのだが、

③を行わない

人がいる。

 

残念ながら、

③を行わなければ、

すべて

「自己満足」

である、

と私は考える。

 

人生は、

行動してなんぼ、

である。

 

行動に移し、

想いを形にし、

現実を変えて行くのが

人生だ。

 

①ができないが故に

③ができない人が

いるが、

それは当たり前だと

私は思うし、

それはしょうがないな、と

私は思う。

 

しかし、

①と②ができるように

なった上で、

③を拒否・拒絶し、

①と②の気持ち良さの

中で

浸り続ける人がいる。

 

私は

そういった人を

見ると、

どうしても

無性に

腹が立つ。

 

・・・・・・

 

できないから

できない、

のはしょうがない。

 

どうすれば

できるようになるか?

を考え、

一歩ずつ進めばいい。

 

しかし、

本当はできるにも

関わらず、

できないふりをして

やらないのは

本当に腹が立つ。

 

そして、

①と②ができるように

なり、

しかし③をしない人は

 

本人が気づかない

うちに、

心の麻痺が

始まる。

 

心の麻痺によって、

自分自身の

真本音と反応本音の

区別が

つかなくなる。

 

せっかく

①と②ができるように

なり、

自分の真本音が

わかるようになっても、

 

③をしないことで、

真本音が

見えなくなってしまうのだ。

 

ところが、

麻痺が起きているために、

本当は

真本音が見えなくなって

いるにも関わらず、

「見えているつもり」に

なる。

 

そういった人の

多くは、

 

「これが私の真本音だ」

 

と、周りに主張

するようになる。

 

「私の真本音が

こう言っているから

私はこうするのだ」

 

という主張が

多くなる。

 

なぜ「主張」になるかと

言えば、

それは自分自身に対して

「言い訳」

をしているからだ。

 

本当はそれは

真本音でも何でも

ない。

 

③から逃れるための

ていのいい

言い訳に過ぎない。

 

本来すべきこととは

別のことに向かい、

ただただ

気持ちの良いことしか

しないための、

単なる

言い訳に過ぎない。

 

「私の真本音が

こう言っているから

私はこうするのだ」

 

・・・ばかりを

言い出したら

かなり要注意だ。

 

すでに

その人は

真本音度合いを

下げている。

 

本当に

真本音で生きている

人は、

そんな言い方は

しない。

 

私はこの状態に

入ってしまっている人を

「真本音に依存している」

と表現している。

 

本当は

真本音に依存は

できないし、

本当の真本音は

依存などはさせない

のだが、

「真本音」という言葉を

使いながら、

その人は

自分の意志(意思)を

放棄しているのだ。

 

こういった人を

見ると、

私はとても

腹立たしくなるし、

悲しくなる。

 

・・・・・・

 

もし、

10の想いがあれば、

100行動する、

 

くらいが

ちょうど良いのでは

ないかと

私は思っている。

 

行動すれば、

いろんな壁に

当たる。

 

たとえ

真本音で決めて

行動しても、

そこには必ず

壁がある。

 

しかしその壁に

当たることで

私達は

学ぶことができる。

 

真本音で生きる

とは、

壁を回避して上手く

生きることではない。

 

本当に必要な

壁に当たり、

 

本当に必要な

体験・経験をし、

 

本当に必要な

試行錯誤を

繰り返し、

 

本当に必要な

進化成長をし、

 

結果として、

本当に望む現実を

手に入れる。

 

これが

真本音で生きる

ということ。

 

この、

最も大切な部分を

決して

間違えないでほしいと、

私は

切に願っている。

 

つづく

 

実は最も楽なのは、根本を変えること

自然の摂理という視点から

観たとき、

私達は、大河の流れに

身を委ねるということが

人として大切なことであり、

それが「自由」につながることである

ということを

昨日、書かせていただきました。

 

流れに身を委ねることで、

今度は

私達自身が自らの

流れを創り出すことが

できます。

 

自らの流れ。

 

・・・それは

「循環」

です。

 

私達が「生きる」ということは、

私達自身が何かを

「発想」

し、

その発想に基づき、

「行動」

し、

その行動によって何らかの

「結果」

を得る、ということです。

 

「結果」という言葉を

「現実」という言葉に

置き換えることもできます。

 

発想して、

行動して、

結果(現実)を得ることを、

一言で

「経験」

と言います。

 

「経験」により、私達は

次の「発想」をします。

 

「経験」により

次の「発想」に影響が

及びます。

 

そしてその「発想」により、

それがまた次の

「行動」につながります。

 

発想、行動、結果(現実)、

そして、

次の発想、行動、結果(現実)

そして、

次の発想、行動、結果(現実)

・・・・

この「循環」を私達は絶え間なく

続けています。

 

ところが

「循環」には、

その「循環」そのものに

力が宿ります。

 

「循環」を回すうちに、

慣性力が働き、

私達が意図しなくとも

ある時から勝手に

その「循環」が回り続けるように

なります。

 

それはまるで、

自転車を漕ぎ出したら、

スピードに乗った後は、

勝手に自転車が前に進むのと

同じようなものです。

 

すると、その

勝手に回り出した「循環」が

その人の人生のパターンと

なります。

 

それが固定観念を

生みます。

つまり、

「これが人生というものだ」

という固定観念、

「これが私という人間だ」

という固定観念です。

 

その固定観念が

その人にとっては

「真実」となります。

 

するとその人は

ある時からその「真実」に

基づき、

さらにその「循環」を

同じように回し続けるように

なります。

 

こうして、

その人の人生や

個性が

形作られていきます。

 

でもこれは果たして、

「自由」

と呼べるものでしょうか?

 

自ら生み出した流れ、

自ら生み出した循環。

 

その中から

出ることができない・・・。

 

年齢を重ねるということは

そういった自分なりの人生、

自分なりの真実を

固定化させることである、

という思い込みも

世の中には蔓延しています。

 

年齢を重ねるに従って、

私達はどんどん

自らの創り出した循環のパターンに

呑み込まれていく。

 

これはやはり、

自由ではないですね。

 

人生を変える

ということは、

本当は、

実に容易いことです。

 

自ら創り出している循環を

変えるだけのこと

なのですから。

 

ほんの一つの発想、

ほんの一つの行動を

変えるだけで、

人生は劇的に

変わっていきます。

 

その事実を

あまりにも多くの人が

知りませんし、

信じていません。

 

しかし、

信じていないものを

「信じなさい」

と言って、

他者がその人を変えることも

ほぼ、不可能です。

 

洗脳というものも

ありますが、

あれは、本当は

本人が洗脳されたがっている

という理由があります。

 

それも本人の選び出している

循環の中の

一つの現象に過ぎません。

 

私達は結局は

自らの意志で生きています。

 

もちろん、

あまりに理不尽な環境に

生まれ、

自らの意志、という概念すら

わからない人も

世界中にはたくさんいます。

 

でも、

それでもやはり私達は

自らの意志で

自らの循環を創り出して、

その中で生きています。

 

その循環を変えることが

できるのは

本人だけです。

 

それこそが

人の真実。

 

ですから

循環を変える方法は

たったの一つです。

 

本人が

「変えよう」

とすることです。

 

いえ、

正確に言えば

「変えよう」と思っているうちは

まだその循環に

捕らわれています。

ですから、

なかなか変わりません。

 

私が

私自身の経験と、

多くの方々と向き合いながら

実感することができた、

循環を変えるための

最大最善の方法があります。

 

それは、

 

「循環の原点を変える」

 

ことです。

 

原点を変えても実は、

循環そのものは

これまでと同じように

回り続けます。

 

しかし、

原点が変わることで

本人が気づかないうちに、

つまり

本人が「変えよう」としなくても

ある時は、徐々に

ある時は、劇的に

循環は変質します。

 

もちろん

「原点を変える」こと自体は

その人の意志です。

 

実は・・・。

 

表面上の循環を

変えることよりも、

原点を変える方が

簡単なのです。

 

一番簡単なところを

変える。

 

それが「原点」。

 

原点を変えることで

知らぬ間に循環が変わる。

 

・・・これが私のサポートの

本質です。

 

ではその

「原点」とは何か?

 

「原点」を変えるとは

どういうことか?

 

について、

次回以降に書かせて

いただきます。

 

つづく

 

心の中が変わっただけでは進化とは言えない

私達は現実世界に

生きています。

 

現実世界に生きるとは、

この世界の空気を吸い、

この世界の様々な現実に触れ、

この世界で行動をする

ということです。

 

逆に言えば、

その実感がなければ、

それは「生きている」とは

言えません。

 

今年に入ってから

このブログでは

一貫したテーマとして

「次元を上げる」

ということについて

お話しさせていただいています。

 

次元というのは

「実在」レベルでのお話です。

つまりは、

心の中のお話です。

 

ところが、

どれだけ次元を高めたとしても

それを「現象」レベル、

つまりは現実レベルで

それが発揮されていなければ

それは、何も変わっていない

のと同じなのです。

 

つまりは、

「心の中」と「行動」の

一致をさせること。

 

「心の中の願い」と

「現実のカタチ」を

一致させること。

 

それをせずに、

心の中のみで

「私は次元が高まった!」

と喜んでいても、

それは自己満足に過ぎません。

 

次元の高まりを

実感できたのであれば、

それをすぐさま

行動に移すことです。

 

自分の振る舞いの

たった一つでもよいですから、

実際に変えることです。

 

もちろん、

次元が高まれば

無意識にそれが成される

ことも多いです。

 

自分の意識しないところで

自然に空気感が変わったね、

自然に振る舞いが変わったね、

自然に行動パターンが変わったね、

ということはあります。

 

しかし

私達には顕在意識があります。

 

この世で生きているのは、

顕在意識です。

 

顕在意識レベルでの

「意図」が

大事です。

 

私は、

ここが変化した。

こんな風に

次元が高まった。

だから、

私はこれから、

この私の想いを

このように行動に反映させよう。

 

・・・そんな「意図」が

大切です。

 

無意識に変化する部分と

顕在意識的に

変化させようとする部分、

それが一致した時に初めて

「脱皮」が成立します。

 

片方だけでは

成立しないのです。

 

「今の自分の状態」と

「理想の自分の状態」の

あまりのギャップに

悩む人が増えています。

 

ギャップがあるのは

当然です。

 

どれだけ「実在」レベルで

成長しても、

それを「現象(現実)」レベルで

実現するのは、

私達の顕在意識に

他ありません。

 

ギャップを感じるからこそ、

その気持ち悪さがあるからこそ、

私達は

行動を変化させることができます。

 

では、

私は、私の何を

変えれば良いだろうか?

 

・・・この問いを

常に大切にすることですね。

 

昨日の私と

今日の私が

同じであるはずはありません。

 

実際に、

実在レベルでも

この3次元世界においては

それは別物です。

 

以前のブログでも

書かせていただきましたが、

0.1秒前の自分と

今の自分と

0.1秒後の自分は

すべて別物なのです。

 

分離しているのです。

 

それが同じであると

思っているのは、

単なる「思い込み」にしか

過ぎません。

 

分離しているからこそ

できることがあります。

 

分離しているからこそ

チャンスがあります。

 

私達は

いつでも自分を

「変化」させることが

できるのです。

顕在意識を使って。

 

自分を本当に

成長(進化)させようと

思うのであれば、

本気で

「変わろう」

としてください。

顕在意識レベルで。

 

すると、

「実在」での変化と

「現象(現実)」での変化の

一貫性が

取れてきます。

 

それにより、

私達は本当に

望む方向に

変化できます。

 

心の中だけを

変えてもダメです。

 

行動を

変えなければ。

 

急速な次元の高まりを

しているあなたにこそ

お伝えしたい

メッセージです。

 

つづく

 

これまでの延長線上から逸脱しよう

『超加速』についてのお話を

書かせていただいています。

(→前回記事)

 

「超加速」を

少し別の視点から表現しますと、

私達は、これまで自身が現してきた

「最高の自分」を

大きく超えようとしている

という言い方もできます。

 

これまで自分自身が

発することのできた最高の輝き。

最高の魅力。

最高の力。

 

それらを大きく

逸脱しようとしています。

 

これまでとは次元の異なる

自分自身を

この世に発現しようとしています。

 

ですので「超加速」とは、

これまでの延長線上のお話では

ありません。

 

喩えて言うならば、

これまで地上を走り回っていた私達が

「超加速」をすることで、

空を飛べるようになる、とか。

 

これまで地球上を飛び回っていた私達が

「超加速」をすることで、

大気圏を突破し、ついには宇宙に

出てしまう、とか。

 

これまでの「世界」を完全に

逸脱するのが「超加速」です。

 

そのため、加速の仕方は、

過去の私達の経験則の中には

存在しません。

 

「これまではこのようにやってきたから」

という過去のやり方を参考にしているようでは、

「超加速」は決してできません。

 

「これが私だから」という

これまでの自分に固執しているようでは、

「超加速」はできません。

 

まったく新しいやり方、

まったく新しい在り方、

まったく新しい行き方、

それらを実践する者こそが

「超加速」をします。

 

そのためには、

私達は私達自身の真本音に

委ねるしかありません。

 

すべての答えは、

私達の真本音がわかっていますから。

 

とはいえ、

真本音というのは、もちろん

「私以外の何か」ではありません。

例えば神様のような存在が

私達を導いてくれるわけではありません。

 

真本音とは、

本来の私、です。

 

本来の自分自身の意思に

耳を傾けるということです。

 

つまりは、

「超加速」とは

本来の自分自身の望む生き方を実践する

ことにより成されます。

 

そのための最も基本的な問いが

あります。

 

それは単純です。

 

『私は今、

本当は、

何をしたがっているのだろうか?』

 

・・・です。

 

本当の自分の意思をキャッチしてください。

そして今この瞬間、

その意思に素直に動いてください。

 

動かなければ、

何の意味もありません。

 

想いだけをどれだけ持っていても

行動に移さなければ

何もないのと同じです。

 

その、行動に移せるかどうか、こそが

「超加速」できるかどうか、の

境目です。

 

あぁ今、私はこれをしようと思っている、

とわかったその瞬間に

行動に移すことです。

 

ほんのわずか、遅れるだけで

もうそれは「超加速」とは

言えません。

瞬発力が

大事なのです。

 

ではなぜ、

そこまでして「超加速」を

しなければならないのか?

 

その答えは

明確です。

 

つづく

 

”自律”が無いとチームはひとつになれない

凄まじいな・・・。

いつも私は
そう思います。

本当にチームが
一つになったときの力を
目の当たりにすると。

よく、
「1+1=3にも4にもなるのがよいチームだ」
と言われます。

しかし私の実感としては
たった一人で奮闘するよりも
それが二人になるだけで、
1+1=100にも1000にも
なることがあります。

それが
人と人の力の相乗効果
です。

しかしここで
重要なポイントがあります。

一人ひとりがちゃんと
「1」
になれていることです。

0.9とか0.8ではいけません。

「1」じゃないと
相乗効果は出ないのです。

つまりは、
一人ひとりが自律していることが
必須です。

自律とは、
すべてを「自分事」とし、
自ら考え、行動し、
成果をあげている状態です。

自分で立った上で、
自分で自分を
コントロールしている状態です。

自分のコントロールのために
必須なのは、
「自分自身の願い」
を持つこと。

「願いのために生きる」
覚悟を持ち、
日々、
「行動しよう」
とし続けることです。

ここでまた重要ポイントは
「行動しよう」
です。

100点満点の行動が
できなければならない、
というわけではないのです。

本気で
「願いのために行動しよう」
とし続けるだけで
よいのです。

ただし「本気」が
必要です。

ですからそこに
能力は
関係ありません。

ですので、
新入社員でも
自律できている人はいます。

そしてそんな新人が
新たな何かを創造したり、
チームを大きく活性化させる
ことは大いにあるのです。

自律とは
本気になれば
誰もができること。

それをよく知っており、
まずは
自律のためのサポート
を的確にできる人。

それが
『チームパフォーマンスコーチ』
です。

つづく

“個”が組織を決める

人も組織も
2極化が進んでいます。

成長する人(組織)は
どんどん成長し、
衰退する人(組織)は
どんどん堕ちていきます。

これは世の中全体の
潮流です。

自然の流れです。

これまでの生き方と
今の生き方が
すべて結果として
反映されます。

昨年までは
その反映まで
タイムラグが
かなりありました。

でも今は、
こういう生き方をすると
こういう結果が出る、
というのが実にわかりやすく
リアルタイムに近い形で
現れます。

タイムラグのある時代は
多少の「ごまかし」や
心の中の「淀み」や
「妥協」があっても
それなりに進めました。

しかし今は
違います。

いかに
ごまかしのない生き方
淀みのない生き方
妥協のない生き方
をするか?

それは
自分自身の
問題です。

一人の心の中の
問題であり、
一人の行動の
問題です。

そしてそうした一人ひとりが
集まることで
組織が形成されます。

ですので、
一人の生き方が
組織全体の生き方に
モロに反映されます。

しかもタイムラグが
非常に少ない状態で。

ですからこれからは

『個人が変わることで
組織が変わる』

この順番が極めて
重要です。

この順番を逆さにして
方策を立てても
結果は極めて
出づらいでしょう。

一人の心があり、
その心が行動を生み、
その行動が
組織そのものの流れを
決める、
のです。

これは
摂理です。

特にこれからの時代の
摂理です。

この摂理を
本質的に理解しながら
組織の活性化を
サポートする。

そういった人のことを
『チームパフォーマンスコーチ』
と言います。

つづく