頑固

頑固だよな

 

融通の利かない

自分がいる。

 

それを

面白おかしく

眺めている

自分がいる。

 

私は私の

頑固さを

楽しんでいる。

 

人生においての

遊び心の

一つとして。

 

実際、

頑固というのは

子供っぽい。

 

こだわらなくて

良いところに

こだわり続ける。

 

例えば、

雨が降ってくる。

 

しかし

傘をさすと

なんだか

負けた気になる。

 

だから

ささない。

 

何に対して

負けた気になるのか

わからんけども、

 

でもそんな自分を

面白おかしく

眺めながら、

 

濡れて帰る。

 

まぁこれくらいの

軽い頑固であれば

良いが、

 

企業の中で

重要な選択をしようと

するところで

頑固さを出す

人がいる。

 

みんな心の中で

辟易している。

 

その人に

本当はもう

寄り付きたくないと

みんな思っている。

 

この人さえ

もしいなくなれば、

もっと物事は

スムーズに進めるのに。

 

この人が

いるから

我社はいつまでも

変わらないのだ。

 

みんな内心

思っている。

 

思っているが、

口には出さない。

出しても

無駄だと

わかっているから。

 

その虚脱感。

 

何を言っても

どうせ無駄。

 

・・・この認識が

その人を組織から

離れさせる。

 

人をそんな気に

させてしまう

頑固さは

致命的なのだが、

 

しかしそれでも

やはり

私は

その頑固さを

 

面白おかしく

観てしまう。

 

ついつい

微笑んでしまう。

 

でも

本当に面白いのは、

 

そういった

微笑みの目線で

見つめ続けると、

 

その人の頑固は

溶けていくのだ。

 

もちろん

全部が全部では

ない。

 

でも、少なくとも

私の前では

その人は

自分の頑固さを

出しながらも、

 

その人自身が

「まぁ私が頑固な

だけですけどね」

微笑み出すのだ。

 

そういう場面は

数限りなく

あった。

 

社内にそんな

微笑みの目線が

あれば、

そんなに深刻な頑固には

ならないのにな、

よく思う。

 

が、まぁ

難しいわな。

 

人間だからな。

 

つづく

 

融通の効かない人には一貫性がない

前回の記事で

「実在」と「現象」について

述べました。

(→前回記事)

 

私達人間が真の意味で

「自由である」

と感じられるのは、

この「実在」と「現象」が一致している時

です。

 

現実レベルで見て、

どれだけ自由な環境で

自由に動いていたとしても、

それが自分自身の「実在」の想いと

一致していなければ、

その人は決して自分のことを

「自由である」

とは感じません。

 

私はよく、

「実在の自分」

「現象の自分」

という言い方をします。

 

その表現を使えば、

「実在の自分に素直に生きている」

状態にあれば、

私達は「自由」を感じるのです。

たとえ、

どのような環境においても。

 

そして、

「実在の自分」と「現象の自分」が

一致していることを

「一貫性が取れている」

と言います。

 

ですからシンプルに言えば、

一貫性が取れている人は自由

です。

 

私はこの「一貫性」を

コーチングにおいては非常に

大事にしています。

 

ちなみに。

 

「一貫性」と「頑固」は

本質的に異なります。

 

「頑固」とは

一貫性の取れていない人の

振る舞いです。

 

一貫性の取れていない人が

自分を守ろうとするために、

融通が効かなくなり、

「頑固」になります。

 

「自我」と「自己」という視点から言えば、

(→【自我による発想など、たかが知れている】)

「頑固」とは、自分だけを守ることですから

「自我」によるものです。

周りとは分離しています。

だから、

周りに迷惑が及びます。

 

それに対して、「一貫性」とは

柔軟です。

 

「一貫性」の取れている人ほど、

周りの意見をよく聴き、

取り入れ、自分のものとすることが

できます。

 

「一貫性」の取れている人は、

何を大事にすれば良いか?

何を変えてはいけないか?を

本質的によくわかっています。

 

変えてはいけないものを

わかっているからこそ、

それ以外に関しては非常に柔軟に

なるのです。

 

「変えてはいけないもの」を

大事にするために、

あらゆるものを変え続けるのです。

 

そこに執着はありません。

 

組織やチームで言えば、

頑固な組織(チーム)か?

一貫性のある組織(チーム)か?

の見極めが非常に重要です。

 

さて。

 

そろそろ木村さんと弓江さんに

戻りましょう。

 

私は、

新規事業プロジェクトチームが

脱皮をするための、

戦略を見出そうとしています。

 

そのための二人コーチングです。

 

チームメンバーは

半分に減らされました。

しかしそれにより、

チームとしての調和性は上がっています。

 

きちんとした脱皮が成されれば、

チームの生産性は何倍にも

アップするでしょう。

 

脱皮段階は、

個人もチームも非常に不安定に

なります。

 

しかしその不安定こそが

大事です。

 

不安定を助長するくらいの方が

良い脱皮ができます。

 

そのためには、

不安定をさらに不安定にするための

刺激を入れる必要があります。

 

どこにどのような刺激を入れることが

最も効果的か?

・・・それが戦略です。

 

そしてその、刺激の入れ所とは、

チームとしての「実在」と「現象」の不一致点

であることが望ましいです。

 

「実在」と「現象」の不一致点を見出し、

そこを突くことで、

個人にとってもチームにとっても

良い意味での「崩壊」が起こります。

 

脱皮とはある意味、

これまでの自分を壊すこと。

 

壊すべきをちゃんと壊すことで、

これまで以上の「一貫性」を

手に入れることができるのです。

 

そして、

より「自由」になれます。

 

そういった意味で、

コーチとは時には「破壊者」であることが

必要です。

 

私は今、

「破壊者」であろうとしています。

 

つづく

 

弱いからこそ、表面上は強くなる

私は木村さんに私の感じていることを

はっきりと伝えました。

あなたが、チームのボトルネックになっていると。

あなたが、チームの成長を阻害していると。

(→前回記事)

 

それに対して、木村さんは次のように答えました。

「・・・薄々、それはわかっていました。

私は意図的にそれをやっていたのかも

しれません。」

と。

 

木村さんが自らの真本音を開放し始めたからこそ

出てきた言葉です。

 

「たけうちさんにはっきり言われて、気づきました。

私は、自分が実はチームの阻害要因だと

わかっていました。

むしろ、それをわざとやっていました。

薄々わかっていましたが、今、はっきり

そう思いました。」

 

彼は本当にガックリと肩を落としました。

知りたくなかった事実を知ってしまった、

そんな状態だったのでしょう。

 

私はそんな彼を

さらに追い詰めるような質問をしていました。

 

「なぜそんなことをしていたのですか?」

 

恐らくここが、

木村さんが最も見たくなかったポイントです。

このポイントを見ないようにするために、

彼はあらゆる「努力」をしてきたはずです。

 

このポイントを見てしまうことで、

自分が崩れてしまうと本能的に

思っていたからでしょう。

 

確かに、真本音度合いの低い状態でここを見れば、

彼は崩れ落ちるでしょう。

自分自身を「完全否定」する状態に入るでしょう。

 

しかし真本音度合いが高まることで、

人は「本来の自分」を理屈ではなく感覚として

実感します。

それにより、「大地」を得たような安心感を得ます。

本来の自分はここにある、と

感覚でわかるのです。

 

だからこそ、これまで見たくなかった自分を

見る勇気が出ます。

最も見たくなかった自分を見たとしても、

本来の自分はここにあるのだという安心感が

あるからです。

 

私はよく、真本音度合いを数値(%)で表します。

 

恐らく、これまでの木村さんの真本音度合いは

10%もなかったでしょう。

しかし、この時の木村さんは違いました。

真本音コミュニケーションをすることで、

70%くらいに高まっていたでしょう。

つまり、

彼の思考と言動の70%は、真本音から出される

という状態です。

 

多くの場合、真本音度合いが50%を超えれば、

心はかなり安心感と安定感を得ることができます。

 

しばらく木村さんはじーっとしていました。

自分の心をしっかりと見つめようとされていたのでしょう。

 

やがて、ポツリと呟きました。

「私は、・・・・怖かったです。」

 

「何が怖かったのですか?」

 

「失敗が怖かったです。

全力を出して、それでも失敗することが

怖かったです。

だから全力を出すことをずっと拒んできました。」

 

「だから自分を演じていたのですか?」

 

「はい、そうです。

本当の自分を出して、それでも失敗をしてしまうと

私はもう立ち直れない。

でも、演じる自分であれば、たとえ失敗しても

ダメージは受けない。

本当は私はこんなもんじゃないんだ、と

言い訳ができるからです。」

 

彼は目を瞑り、声を押し殺しながら、

泣き始めました。

「私は、こんな自分じゃなかったはずだ・・・」

と呟きました。

 

自分が望まない生き方を彼はしていた。

それを一番わかっていたのは、

彼自身でした。

 

そんな自分を彼は許せなかった。

だから、ずっとそんな自分にフタをしていた。

 

「仕事とは、演じることだ」と彼が頑なに言われていたのは、

フタを外さないために必要な自己防衛でした。

 

自己防衛のために強い信念を持つ。

・・・これを一般的な言語で表すと、

「頑固」となります。

 

本当の意味で信念が強いのと、頑固とでは

本質的にはまったく異なるのです。

 

頑固な人は、

自分を壊したくないが故に

頑固になるのです。

自己防衛。

自己愛。

それが本質です。

 

しかしその頑固さを

外からの圧力によって壊すことは困難です。

あくまでも、自らが内側から壊す意志を持たなければ

それは壊れません。

そのためには、

真本音度合いを高めるしかない、

というのが、現時点での私の答えです。

 

木村さんは、自己防衛をしていた自分自身を

ちゃんと自ら見つめ、しかも

それを口に出して私に伝えました。

ここまで出来ればもう大丈夫です。

 

フタをしていたその中身を見ることを

人は極度に怖がります。

しかし実際にそのフタを開けてしまい、

その中にいた自分と向き合うことができれば、

その瞬間にその人は楽になります。

 

それまでの自分を超えて行けます。

 

木村さんは、それを果たしました。

私は心の中で彼に拍手を送っていました。

 

しかし私はこの後、

さらに彼にきつい質問をしたのです。

 

つづく

 

私達の心には二つの本音がある

このブログでよく書かせていただいている言葉

『真本音』

について、改めてご説明しましょう。

 

真本音とは、私の造語なのですが、私が頭をひねくり回して

作った言葉ではありません。

 

お客様と向き合う中で、自然と生まれた言葉です。

 

その真本音と同じように、ある研修中にふと生まれた言葉として、

『反応本音』

というのもあります。

この二つを合わせてご説明します。

 

まず単純に言って、

私達の心は、二つに分けることができます。それが、

・真本音

・反応本音

です。

 

真本音とは、本当の本当の本当の本音です。

自分の中で、何があっても揺るがないもの。

どのような環境にいても、どのような状況に見舞われても

揺るがないもの。

その多くは、「願い」という形で心の中心に存在しています。

 

それに対して、反応本音とは、

外部からの様々な働きかけによって発生する

私達の心です。

「本音」という言葉がついていますので、あくまでも

建前ではありません。

その時その時の、本当の気持ち。

でも、それは外部からの影響によって、

その反応として創られています。

そのため、外部環境や状況が変わることで変化する

可能性は高いです。

 

一般的に反応本音は心の表面に現れやすいので、

それが「自分の本音である」と認識されやすいです。

 

そして、反応本音の出方は、その人その人によって

パターン化されやすいので、いつも同じパターンを

繰り返していますと、そのパターンそのものを

「私である」

と思い込みます。

 

つまり、多くの人達は、

「反応本音のパターン」を、「自分自身である」

と思い込みます。

で、そのパターンを繰り返すことで人生を進めます。

 

しかし私達の心の中心には真本音があります。

しかしそれは、なかなか表には出てきません。

 

自分自身の真本音を見つけ、

真本音に素直に行動することで、

その人は、これまで自分が創り上げた反応本音のパターンを

超えて、

本来の自分として生きることができるようになります。

 

反応本音は、外部環境によって創り上げられてますので、

外部環境によって揺らされます。

しかし、真本音にはそれがありません。

 

その結果、真本音に素直に生きる人は、

自分の本当に望んでいるものを実現します。

 

反応本音のみに生きる人は残念ながら、

外部環境に揺らされながら生き続けることになります。

 

どちらが幸せな人生か?

は明白ですね。

 

ちなみに、

真本音と頑固、

真本音とわがまま、

真本音と独りよがり、

は本質的に異なります。

 

真本音で生きることは、独りよがりに生きることに

なりませんか?

とよく問われますが、全くの逆です。

 

私達は真本音で生きれば生きるほど、

周りとの調和性も高まるのです。

 

なぜそうなのか?については、

このブログで徐々に明らかにしていきますね。

 

さて。

真本音にはもう一つの特徴があります。

 

それは、

ある人が真本音の想いを述べたり、

真本音の生き方を見せることで、

他の人の真本音を喚起させることができる、

ということです。

 

つまりは、

真本音度合いの高い人のそばにいる人は、

真本音度合いが高まるのです。

 

ここで平井さんのお話に戻りますが、

平井さんの狙いは、そこでした。

 

平井さんは、社長の真本音を

社員の皆さんに示したいと思ったのです。

(→前回記事)

そのためにまずすぐにできる方法として、

社長の真本音の想いを

社員さんに向かって語ってもらおうと思われたのですね。

 

しかし私が平井さんにご提案したのは、

それだけでは勿体ない、ということでした。

 

一人の真本音をぶつけるよりも、

二人の真本音の相乗効果を起こしませんか?

というのが、私からのご提案でした。

 

つまりは、

社長と平井さんの真本音コミュニケーションを

社員さん達の前で見せる、

ということを私はご提案したのです。

 

なぜなら、

真本音と真本音の相乗効果は凄いのです。

 

本当に、凄い!の一語に尽きるのです。

 

一人の真本音の想いと

もう一人の真本音の想いが

統合し、融合されることで、

それは2倍どころか、20倍、200倍、いや

時には2000倍といっても過言ではないくらいの

エネルギーを発揮します。

 

それが、社長と平井さんであれば可能であると

私は思ったのです。

 

そしてそれは大当たりしました。

 

つづく