親の心

というのは、

実際に親になってみないと

わからないものだろうか?

 

そんなことはない、

私は思う。

 

なぜなら私達は

この世に

赤ん坊として生まれて来て、

 

一度は

抱っこをされた。

 

だから今、

ここで生きている。

 

抱っこをしてくれた

その人が

本当の親かどうかは

関係なく、

 

抱っこをされた

その瞬間に私達は

 

子どもとして生まれた

自分自身と、

 

抱っこをしてくれている

その人自身を、

 

区別のない存在

として

 

「一つ」として

 

感じ取っている。

 

その「一つ」の

感覚によって

 

私達は「親の心」を

知るのだ。

 

現実のレベルでは

血が繋がっているかどうか?

大きな問題となることが

多いが、

 

実在のレベルでは

実はそこは

それほど大きな問題

ではない。

 

子を抱っこすれば

誰もが本能的に

親の心となる。

 

それが顕在意識化

するかどうかは

別として、

 

本能として

そうなる。

 

そしてその

「親の心」を

抱っこされた側も

 

「一つ」として

 

感じ取る。

 

だから、

この世に存在する

すべての人は

 

「親」

であり

「子」

でもある。

 

そして私が

常に言い続けている

 

「人の本能の中心には

進化欲求がある」

 

ということを

もっとぶっちゃけた

表現で言い換えれば、

 

人の中心には

次の「祈り」がある。

 

『子が育ちますように』

 

 

親の経験が

あろうとなかろうと、

 

今、親だろうと

子どもだろうと、

 

高齢だろうと

中年だろうと

若者だろうと

幼子だろうと

 

まったく関係なく、

 

私達の中心には

生まれてこの方

常に

ずっと

恐らく永遠に

 

この祈りがある。

 

これが

すべての根本で

あると、

私は企業サポートの

現場において

ある時から確信するように

なった。

 

そして

その祈りをいかに

喚起するか?

 

もともと持ち合わせている

その人のその祈りを

 

いかに表出するか?

 

私のサポートの

根本だ。

 

しかしもちろん

そのような話を

企業のサポート現場で

することはなかったし、

 

恐らく

このブログも含めて

このような話をするのは

初めてではないかな。

多分。

 

 

人は

親だ。

 

そして、

 

人は

子だ。

 

これが真実だ。

 

ここに素直に

なることは

恐らく、

 

あらゆる調和と

進化につながる。

 

なんか無性に

これを伝えたくなった。

 

だから

書いてみた。

 

つづく