わからない!

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わからない

ことを

 

「わからない」

 

と言える

すがすがしさ。

 

本当に

わからんわぁ、

全身の力が抜けて

 

本当に心から

あきらめる

すがすがしさ。

 

・・・こういった

体験はあるかな?

 

「わからない」

には

2種類ある。

 

一つは、

 

まだまだ

しっかり考えていない

ことによる

「わからない」。

 

もう一つは、

 

あらゆる手段を

尽くして

答えを探究

し尽くして、

 

やれること

すべてやって

それでも

どうしても答えの出ない

「わからない」。

 

もちろん

すがすがしいのは

後者だ。

 

そしてその

すがすがしさは

 

こんなにまで

探究し続けても

わからないという、

こんなにも

奥深いテーマと

出会えたなんて、

なんと幸せだろう

という

すがすがしさでもある。

 

と同時に、

 

答えのわからない

問い

はない。

 

もちろんその

答えとは、

その人にとっての答え

ということだが。

 

その人に浮かぶ

問いには

その人なりの答えが

必ずある。

 

その答えが

見つかることで

その人は次のステージに

一気に進む。

 

答えがわからない

ということは、

 

それだけそのステージに

入ることの

難易度が高いということ。

 

そして難易度が高いほど、

それを越えた時の

開放感も

その後のまだ見ぬ世界の

広さも大きさも

凄いということになる。

 

そういった

本能的感覚的な

期待感も含めて

すがすがしい

と思えるのだ。

 

探究が

まだまだ足りないうちに

「わからない」

とあきらめるのは

実にもったいない。

 

そして、

 

本当の納得の答えに

たどり着く前に

中途半端な答えを

出しておしまいにする

のも、

実にもったいない。

 

うー、わからない!

笑いながら言える

くらいに

 

とことん

探究しようでは

ないか。

 

つづく

 

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