私達の中にはすでに
決めている道があります。
というお話を
前回いたしました。
ところがその道を
見つめることができない、
という人がいます。
その道を
観るのが怖い
のです。
観てしまうと
自分は間違いなくその道を
突き進んでしまうだろう。
何の躊躇もなく
その道に入るだろう。
・・・ということが
本人にはよくわかっているのです。
だから逆に、
観るのが怖い。
観てしまったら、
これまでの人生、
これまで創り上げてきたもの、
これまでの自分
それらすべてを
自分は捨ててしまうのではないか、
という恐れがあるのです。
ですので今、
自分の中に道があるなぁ、
という実感を持ちながらも、
しかしそれを観ることが怖くて
茫然と立ちすくんでいる人が
増えています。
その気持ち。
同じ人間として
私は強烈によくわかります。
私もそこで
相当に苦しみました。
しかし、
自分の本当の道を観つめ、
そこを進むことを選択した経験者として
お伝えするならば、・・・
苦しいのは、
その場所だけです。
その道を観つめる
その直前が
苦しいだけです。
いざ、
それを観てしまえば
すべての合点がいきます。
これまでの自分の人生の
合点がいくのです。
なぜ自分は
ここに生まれてきたのか?
なぜこのような
人生だったのか?
なぜこのような
自分だったのか?
すべての合点がいく
のです。
そして
何も捨てる必要がないことが
わかります。
ただし、
捨てる必要はありませんが、
「手放す」必要のあるものは
ありありとわかります。
「手放す」とは
捨てるということでは
ありません。
「距離を置く」
ということです。
今の距離よりも
もう少しそれを遠ざける
ということです。
存在そのものを
捨てたり抹消する必要は
ありません。
「距離感」というものは
とてつもなく、と言ってよいほど
大事です。
私達の真本音は
すべての物事と
適正な距離をとる
ということを大切にしています。
距離感を大切にすることで
調和度合いは
圧倒的に高まります。
そういった意味で、
今は何との距離が近すぎて、
何との距離が遠すぎるのか?
がありありとわかります。
そしてその修正を
したくなります。
間違えてならないのは
「しなければならない」
のではなく、
「自然にしたくなる」
のです。
そしてその通りに実行すれば、
もの凄い安心感と
安定感を
得ることができます。
その状態で、
「道」に入って行くのです。
そして「道」に入れば、
前回記事でも書きましたが、
かつて経験したことのない
充実感を
私達は得ます。
常に魂と心が
満たされている状態、
そして、常に
自分の中心からエネルギーが
湧き続けている状態と
なります。
そしてそのエネルギーは
他者にもそのまま
照射されます。
そのエネルギーを私は
「愛」
と呼んでいますが、
愛のエネルギーを常に
他者に注ぎ続けることのできる
自分となるのです。
ですからますます
すべてが調和して
いきます。
そういった「現実」が
起こり始めるのです。
要するにそれは単純に言えば、
幸せな日々
なのです。
ですから、
苦しみは今、躊躇しているその場所
にしかありません。
しかと目を開き、
自分の道を観つめれば、
すべてが自然に
動き始めるのです。
「道」を歩き始めるのが
普通の状態。
人間として極めて
普通の生き方なのです。
つづく
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