距離感

近過ぎる 遠過ぎる

 

人と人の距離感

というのは

とてつもなく大事だと

私はいつも思っている。

 

せっかく相性が

良いのに、

距離感がズレている

ことで

足を引っ張り合ったり、

仲違いをしてしまうことも

ある。

 

近い距離を

遠ざけるのは

一般的には

「寂しさ」を感じたり、

 

それは表面的には

「手放す」ことと

同じなので、

 

罪悪感を

感じたり。

 

でもそこを

毅然と遠ざけることの

できる人は

私は本当に

愛のある人だなぁ、

と思う。

 

みんな距離が

近過ぎるな、

とも

よく思う。

 

もっと離れていて

良いのに、と。

 

執着や依存心が

距離を必要以上に

近づけてしまう。

 

逆もある。

 

この人達

もっと近づけばいいのに、

と思うのに

近づかない。

 

無理に

距離を取ろうとして、

そこにばかり

エネルギーを費やして

しまう。

 

近づけるどころか、

いっそのこともう

一つになってしまえば

良いのに、

というケースもある。

 

私達人間は

体は二つでも

本質的には

一つになることも

できるのだ。

 

なのに

中途半端にしか

近づかない。

 

とても遠慮を

する。

 

そんな関係も

多い。

 

距離感のみを

修正することで

世の中全体の調和は

根本的に変わるのでは

ないか。

 

とさえ

思えるんだな。

 

距離感。

 

この視点で

すべての関わりを

総チェックしてみると

いいね。

 

つづく

 

波長の視点から

 

よく私は

「空気感」

という言葉を使うが、

 

これを別表現すると、

 

「波長」

 

とも言える。

 

私達人間だけでなく、

この世のあらゆるものは

独特の「波長」を

持っている。

 

すべてはエネルギー体

であり、

それぞれがそれぞれなりの

振動を続けている。

 

その中でも特に

人間は、

その「波長」をよく

変える。

 

それを私は

「空気感が変わる」

と表現している。

 

しかしとは言え、

変わらない波長も

ある。

 

私達人間には

変わらない波長と

変わる波長が

ある。

 

正確に言えば、

本当はすべてが

変わっていくのであるが、

変わりづらい波長

と言えばよいのかな。

そういうものがある。

 

私は人と向き合う時、

その両方の波長を

あるがままに

感じ取る。

 

そしてほぼほぼ

その「波長」によって

私自身の対応を

決めている。

 

こうやって書くと

なんか動物みたいだが、

人間も動物であり、

そういった感性は

本当は誰もが持っている。

 

私はおかげさまで

本当に多くの人達と

向き合い続けてきたので、

いつしかそういうことが

できるようになった。

 

はっきり言うと、

見た目よりも

波長を捉えた方が

本質を千倍も捉えることが

できるのだ。

 

そして

次のようなことも

実感できる。

 

「波長と波長の共振」

だ。

 

つまりは、

同じような波長を持つ

人同士は

やはり近づいていく。

 

そして時には

それが共鳴、共振し、

相乗効果を発揮しながら、

まったく新たな波長を

生み出すことさえ

ある。

 

それが人間関係の

面白さであり、

組織の面白さ

とも言える。

 

私はその、

相乗効果を発揮する

人同士のペアを

探し当てるのが

得意だ。

 

人生においても

仕事においても。

 

お互いが無理に

波長を合わせながらも

頑張る人達がいるが、

 

その場合は、

変わらない波長と

変わる波長の

両方を感知しながら、

 

その人達が協力をし合う

タイミングは

今が本当に良いのだろうか?

「直観」する。

 

そしてタイミングが

今ではないと感じた時は、

あえて

距離を離すことを

ご提案する。

 

人と人の

距離感は

とてつもなく大事だ。

 

近ければいい、

というものではない。

 

今はどの距離感で

どう関わるか?

今後のあらゆる物事の

進展度合いを大きく

左右する。

 

こういったところこそが

本当にサポートの必要な

部分ではないかと

いつも思っている。

 

波長や空気感の話を

し出すと、

止めどがなくなるくらいに

無限に話が広がっていく。

 

しかしそれは

「直観」というテーマに関しては

とても重要な要素となるので、

 

そんな視点からも

ポツポツと

ここで書いていこうかと

思っている。

 

つづく

 

離れていても一緒にいるね

 

今日、

私の元クライアントさんである

4人の方々と

約3年ぶりにお会いし、

食事をしました。

 

この3年間、

メール等のやり取りも

ほとんどせず、

音信不通に近かった

のですが、

 

お会いした瞬間に

実感しました。

 

あぁ、私は

「実在」のレベルでは、

この人達とずっと

一緒にいたな、と。

 

しかも私は

この人達に随分と

支えられてきたな、

と。

 

駅で待合せしたのですが、

人混みの中で

再会したその瞬間から

私達はまるで

昨日も会っていたかのような

会話を始めました。

 

そこには

3年のブランクが

まったくない。

ゼロ。

 

皆さん全員、

「実在」を感じ取れる

人達ばかりです。

 

私達は常に

一緒にいて、

で、

本当に必要な瞬間のみ、

現実のレベルで

お会いすればいい。

 

誰もそのような

言葉は発しませんが、

そんな共通認識が

その場に

漂っていました。

 

・・・・・・

 

現実レベルでの

距離が離れるからと

いって、

実在レベルの距離が

離れるわけでは

ありません。

 

いえむしろ、

現実の距離を

離すことで、

実在の距離が

縮まった

というケースは

とても多いのです。

 

私達には

「適切な距離感」

というものがあり、

その距離感を

大切にすることで、

・実在と

・現象(現実)の

両方の距離を

決めていく、

 

ということを

私達の真本音は

望んでいます。

 

私はいつも、

個人においても

企業においても

私のサポートの

「終わり」を

とても大事に

しています。

 

サポートを続けていると、

「現実の距離を

一気に離した方が

いいな」

と思う瞬間が

必ずどこかで来ます。

 

その瞬間を

私は逃しません。

 

多くの場合は、

クライアントさん

(個人であっても

企業であっても)

の真本音度合いが

高まり、

真本音の想いと

行動と結果が

一致し、

常にその状態が

続くようになる

一歩手前くらいで

この瞬間が来ます。

 

すると私は

すかさず、

「私のサポートは

ここまでとしたいと

思います」

とお伝えします。

 

でもこういった時は

ほぼ必ずと言って

よいほど、

「私もそう思います」

とクライアントさんは

ニッコリと

了承されます。

 

いっつも

こんな感じ。

 

で、あとは

「では、もし何か

必要があれば

私を呼んでください。

ホームドクター

みたいなものですね」

となります。

 

今日、再会した

4人の皆さんとも

そんな感じで

3年ぶりにお会い

したのです。

 

・・・・・・

 

私は、

個人のコーチングも

よくお受けします。

 

「パーソナルコーチング」

というものですが、

 

その場合、

期間を限定しません。

 

コーチングを行ない、

「あっ、もうこれで

コーチング必要ないな」

と、

クライアントさんが

思えた時点で

終了です。

 

ですので、

たった1回のセッションで

コーチング終了

というケースが

実はとても

多いです。

 

で、コーチング料金は

実施した分を

後でいただくという、

そんな形です。

 

それが最も

簡単で

私も気が楽です。

 

しかもコーチングは

定期的に行なう、と

決めてもいません。

 

1回のセッションを

行なったら、

その終わりに、

「コーチングはこのまま

続けたいですか?」

とお訊きし、

「次回は、いつくらいが

良さそうですか?」

と真本音で決めて

いただきます。

 

すると、

そのクライアントさんの

真本音の望むペースでの

サポートとなります。

 

こんな感じですので、

月に何度も

コーチングセッションする

人もいれば、

数年に一度の人も

います。

 

それが自然な形だな

と私は

思っています。

 

・・・・・・

 

「実在」を

感じ取る力が

つけばつくほど、

現実レベルでの

距離をどうするか?

がいかに重要か、

もわかるようになります。

 

そしてその

距離感を大切に

することで、

私達はあらゆる人と

調和します。

 

人だけでなく、

「世界」と調和します。

 

すると、

物事が非常に

スムーズに進むように

なります。

 

距離感の

わかる人になる。

 

これも私のサポートの

重要な目的の

一つです。

 

つづく

 

 

<ご案内>

実在レベルの距離感と

現実レベルの距離感の

両方をつかみ、

 

両方を

的確な距離感に

修正する。

 

これも

セルフコーチング力を

高めることで

実現できます。

 

あらゆるものと

調和する生き方と

行き方を

しませんか?

 

ご興味ある方は

以下をどうぞ。

↓↓↓

『人生を真剣に生きたいあなたへ』

 

距離感を修正しただけで、こんなにも・・・

私達の真本音は

距離(感)をとても大事にしている

というお話をしました。

(→【人生の展開は距離感で決まる】)

 

本当に面白いことですが、

例えば、AさんとBさんがいた場合、

距離(感)が

真本音が望むものであれば、

AさんとBさんはお互いに

パワーを与え合い、

パワーの循環を起こします。

が、

距離(感)が

真本音の望むものとズレていた場合、

二人はお互いに

パワーを奪い合う関係になってしまう、

・・・そんなケースが

非常に多いのです。

 

距離(感)によって

真逆の関係になるのです。

 

そしてその距離(感)とは、

・実在の距離と

・現象の距離が

あります。

 

実在の距離を適正なものに

することで、

現象の距離も適正に

なります。

 

一つ、実際にあった例を

かいつまんで

ご紹介しましょう。

 

ある会社で、

私はAさんのコーチングを

していました。

 

Aさんは、

言われました。

 

「どうしても私はB課長と

上手くいきません。

・・・というより、

B課長と一緒に仕事をしたく

ありません。

こんな子供のようなことを言うのは

ナンセンスだとわかっています。

でも、本当のことを言えば、

B課長と一緒の空気を吸うこと

自体が嫌なのです。

私は会社を辞めようと

思っています。」

 

そこで私は

Aさんに目を瞑って

いただきました。

 

そして次のように

問いました。

 

「Aさん、

B課長のイメージをしてみてください。

B課長のイメージは

どの場所に浮かぶかわかりますか?

その場所を特定してみてください。」

 

以下、Aさんと私のやりとりです。

 

Aさん

「B課長は私の正面の前方

3mくらいの場所にいます。」

 

たけうち

「その距離はAさんにとって

居心地の良い距離ですか?」

 

Aさん

「いえ、とてもきついです。」

 

たけうち

「もっと近づけたいですか?

それとももっと遠ざけたいですか?」

 

Aさん

「もちろん、もっと

遠ざけたいです。」

 

たけうち

「どれくらいの距離に

遠ざけたいですか?」

 

Aさん

「・・・。

15mくらいでしょうか。」

 

たけうち

「本当に15mで良いですか?」

 

Aさん

「・・・、いえ、もっと

離してしまってもいいですか?」

 

たけうち

「もちろん良いですよ。」

 

Aさん

「じゃあ、・・・60mくらい。」

 

たけうち

「本当に、60mで良いですか?」

 

Aさん

「えぇ? これ以上離しすぎると

姿が見えなくなってしまいます。

まずくないですか?」

 

たけうち

「大丈夫ですよ。

Aさんが本当に望む距離は

どれくらいですか?」

 

Aさん

「できれば、姿はもう見たく

ありません。

2kmくらい離れちゃっても

いいですかね?」

 

たけうち

「本当に2kmでいいですか?」

 

Aさん

「ええっ? だってそんなに

離したら、なんか悪いです。」

 

たけうち

「悪くないですよ。

これは単なるイメージ遊びです。

本当の本当の望みを

言ってみてくださいよ。」

 

Aさん

「・・・実はですね、本当は

地球から出て行ってほしい

くらいなんです。

・・・僕、ひどいこと言ってますね。」

 

たけうち

「大丈夫ですよ。

じゃあそれを数字で表すと

どれくらいですか?」

 

Aさん

「う〜ん・・・。

3000万kmくらいでしょうか。」

 

たけうち

「おっ、いいですね。

やっとAさんの空気感が安定しましたよ。

では、イメージのB課長を

Aさんから3000万km

離してみてください。」

 

Aさんはその通りに

イメージをしてみました。

 

たけうち

「いかがですか?

どんな気持ちになりますか?」

 

Aさん

「いや、なんか凄く

楽になりました。

体の力が抜ける感じですね。」

 

たけうち

「じゃあ、Aさん。

いつもB課長を今のように

3000万km離した状態で

いてください。

イメージの中では。

で、あとは実際には

いつもの通りにB課長と

接してみてください。」

 

それから2週間後、

再びお会いしたコーチングの場で、

Aさんはしみじみと

言われました。

 

「たけうちさん、驚きです。

B課長のことがそんなに

嫌じゃなくなりました。

むしろ課長のことを

よく観察できるようになりました。

で、自分でも驚いていますが、

先日、課長を誘って

一緒にランチに行ったんですよ。

課長とあんな風に話せたのは

初めてです。」

 

・・・

この話、あまりに上手く

でき過ぎているように思われそうですが、

実際にあったお話です。

 

もちろんこの例だけでは

ありません。

 

このように

イメージの距離を修正することで

イメージの中での調和が起こり、

それが現実の調和に

影響を及ぼすのです。

 

でも実はこれ、

本当は

「イメージ」ではないのです。

 

これは

「実在」です。

 

「実在」を

動かしたのです。

 

「イメージ」と「実在」とは

本質的に異なるものです。

 

「イメージ」でこのようなセッションを

しても、

ほぼ効果は出ません。

 

「実在」で行なうからこそ、

効果が大きく出るのです。

 

とりあえず今日は

ここまでにします。

 

つづく

 

人生の展開は距離感で決まる

私達の人生において

大きな転換のきっかけと

なるものに

「出会い」

がありますが、

その一方で、

「別れ」

というものがもたらす

影響も大きいですね。

 

出会いは概して

嬉しいものですが、

別れは概して

寂しいものですし

大きな悲しみを

伴うこともあります。

 

そのため結果的に、

 

「本当は今、

別れなければならないのに、

別れられない」

 

という現実を

創り出してしまっている

人が多いのが、

今の世の中の一つの傾向です。

 

実は、

どれだけ素敵な出会いを

重ねてきても、

きちんと別れるべき人と

別れないことで、

真本音度合いを著しく

落としてしまい

人生の不調和が始まって

しまった、

という人を私は

とても多く観てきました。

 

「別れ」とは

とても大事なものです。

 

そして

いつ、誰と別れるか?

私達は自らの真本音で

決めています。

 

もちろん

AさんとBさんが別れる場合、

Aさんの真本音が決めている

別れのタイミングと、

Bさんの真本音が決めている

別れのタイミングは

完全に一致します。

 

そしてその通りに

別れることができた場合、

二人の人生は

新たなステージに進み、

次の出会いと展開が

二人ともに起こり、

二人ともが

さらに真本音度合いの高い

人生を送ることができます。

 

別れるべき時に

しっかりと

別れましょう。

 

もし相手が

反応本音のレベルで

「別れたくない」

と言ったとしても、

その「情」に流されずに

しっかりとそれを

断ち切りましょう。

 

・・・このように書くと

寂しいでしょうか。

悲しいでしょうか。

 

冷たい人間だと

思われるでしょうか。

 

「別れる」という言葉と

ほぼ同義語として、

「手放す」

という言葉もあります。

 

手放すのも

本当に大事なことです。

 

本当に必要なタイミングで

別れを自ら切り出せる人、

そして

手放すことのできる人は

愛の深い人だなぁ、

と私は思います。

 

では、

「別れる」とか「手放す」

という行為の

本質とは

何だと思いますか?

 

それは私は

「距離を離す」

ということだと

捉えています。

 

「距離」

 

とか

 

「距離感」。

 

実は私達の真本音は

これをとても

大事にしています。

 

同じAさんとBさんでも

二人の距離や距離感が

真本音で望むものと

ずれていたら、

そこには不調和が

起きてしまうのです。

 

逆に言えば、

「調和」とは

「距離(感)で決まる」

と言っても

言い過ぎではないでしょう。

 

特に私達が今いる

この「3次元」という世界は

すべてが分離している

世界です。

 

分離しているが故に

一つ一つの物事

(その中に当然、「人」が

含まれます)

との距離(感)が

あらゆるものの展開に

影響を与えます。

 

その距離(感)とは、

心の中の距離(感)と

実際の距離(感)の

両方があり、

その両方を

真本音の望むものと一致させる

ことが「調和」のためには

必須です。

 

ちょっと

わかりづらいですか?

 

もう少し詳しく

お話しした方が

良さそうですね。

事例を交えて。

 

ただ、そのためには

ちょっと文章が長くなりますので、

続きは明日に。

 

まずは今回は皆さんに

二つの問いを

残しておきます。

 

単純に

直観でお答えいただくと

よいですね。

 

以下の問いを

自分自身に向けて

投げてみてください。

 

「私の人生において、

私はあらゆるものと

適正な距離感を持つことが

できているだろうか?」

 

そして、

 

「私が今、もっと

距離を離すべきものとは

何だろうか?」

 

つづく

 

自分の道を観るのを躊躇している人へ

私達の中にはすでに

決めている道があります。

 

というお話を

前回いたしました。

(→前回記事)

 

ところがその道を

見つめることができない、

という人がいます。

 

その道を

観るのが怖い

のです。

 

観てしまうと

自分は間違いなくその道を

突き進んでしまうだろう。

何の躊躇もなく

その道に入るだろう。

 

・・・ということが

本人にはよくわかっているのです。

だから逆に、

観るのが怖い。

 

観てしまったら、

これまでの人生、

これまで創り上げてきたもの、

これまでの自分

それらすべてを

自分は捨ててしまうのではないか、

という恐れがあるのです。

 

ですので今、

自分の中に道があるなぁ、

という実感を持ちながらも、

しかしそれを観ることが怖くて

茫然と立ちすくんでいる人が

増えています。

 

その気持ち。

 

同じ人間として

私は強烈によくわかります。

 

私もそこで

相当に苦しみました。

 

しかし、

自分の本当の道を観つめ、

そこを進むことを選択した経験者として

お伝えするならば、・・・

 

苦しいのは、

その場所だけです。

 

その道を観つめる

その直前が

苦しいだけです。

 

いざ、

それを観てしまえば

すべての合点がいきます。

 

これまでの自分の人生の

合点がいくのです。

 

なぜ自分は

ここに生まれてきたのか?

 

なぜこのような

人生だったのか?

 

なぜこのような

自分だったのか?

 

すべての合点がいく

のです。

 

そして

何も捨てる必要がないことが

わかります。

 

ただし、

捨てる必要はありませんが、

「手放す」必要のあるものは

ありありとわかります。

 

「手放す」とは

捨てるということでは

ありません。

 

「距離を置く」

ということです。

 

今の距離よりも

もう少しそれを遠ざける

ということです。

 

存在そのものを

捨てたり抹消する必要は

ありません。

 

「距離感」というものは

とてつもなく、と言ってよいほど

大事です。

 

私達の真本音は

すべての物事と

適正な距離をとる

ということを大切にしています。

 

距離感を大切にすることで

調和度合いは

圧倒的に高まります。

 

そういった意味で、

今は何との距離が近すぎて、

何との距離が遠すぎるのか?

がありありとわかります。

 

そしてその修正を

したくなります。

 

間違えてならないのは

「しなければならない」

のではなく、

「自然にしたくなる」

のです。

 

そしてその通りに実行すれば、

もの凄い安心感と

安定感を

得ることができます。

 

その状態で、

「道」に入って行くのです。

 

そして「道」に入れば、

前回記事でも書きましたが、

かつて経験したことのない

充実感を

私達は得ます。

 

常に魂と心が

満たされている状態、

そして、常に

自分の中心からエネルギーが

湧き続けている状態と

なります。

 

そしてそのエネルギーは

他者にもそのまま

照射されます。

 

そのエネルギーを私は

「愛」

と呼んでいますが、

愛のエネルギーを常に

他者に注ぎ続けることのできる

自分となるのです。

 

ですからますます

すべてが調和して

いきます。

 

そういった「現実」が

起こり始めるのです。

 

要するにそれは単純に言えば、

幸せな日々

なのです。

 

ですから、

苦しみは今、躊躇しているその場所

にしかありません。

 

しかと目を開き、

自分の道を観つめれば、

すべてが自然に

動き始めるのです。

 

「道」を歩き始めるのが

普通の状態。

 

人間として極めて

普通の生き方なのです。

 

つづく