今日のコーチングで
「バランス」
というお話が出た。
そういえば私、
「バランスを取ろう」
なんて考えたこと、
これまでの人生で
一度として
あったかなぁ・・・?
まぁ一度くらいは
あったかもしれないが、
ほぼ
そういうの無しで
生きてきたなぁ、と
思った。
恐らくであるが、
私の場合、
「バランスを取ろう」
と思わずに来たのが、
結果的に
私なりのバランスに
なっていたのかも
しれない。
そして
他の人も
そうなのでは
ないだろうか。
・・・・・・
「自分なりのバランス」
これが「個性」
というものなのかも
しれない。
そしてその「個性」は
本人が最も
気づいてはいない。
なぜなら本来の
「個性」とは
あまりにも「自然」なので、
本人の意図とは
別の次元にある。
ということでいえば、
本来の個性で
生きる人は
必然的に
バランスが良い、
ということに
なるのかな。
であれば
とても私は
納得できる。
たくさんの人と
お会いする中で、
「この人
本当にバランスが
いいなぁ」
と思える人って、
みんな個性的
だから。
しかも
その個性を
抑えようと
していない。
かといって
あえて個性を
出そうとも
していない。
ただ、
あるがまま。
やはり、
自然体。
そういう人こそ、
とても
バランスがいい。
「バランスを取ろう」
としている
バランスは、
ちょっと疲れる。
でも、そんな意図なく
自然に取られている
バランスは、
一緒にいて
とても居心地が良いし、
こちらも
安心する。
落ちないように
バランスばかりを
気にして
進み続ける人よりも、
いっそのこと
自分の翼を手に入れて、
自由に伸び伸びと
大空を飛び回っている人
の方が
バランスなんて
気にする必要がないほど
安定している。
そんな
違いかな。
・・・・・・
だから。
バランスを取るために
自分の個性を
抑えよう、
とする必要はないし、
やっては
ダメだ。
それよりも
もっともっと
自分を解放する。
中途半端な
解放こそが、
バランスを悪くする
ので、
徹底的に
解放する。
そこが大事かな。
で、その「解放」を
私の表現で言えば、
「真本音度合いを
高める」
ということになる。
「解放」とは
決して
「反応本音をわがままに
外に出す」
ことではない。
それは
「解放」ではなく、
私には逆に
「自縛」
にみえる。
真の解放とは、
真の自分を
出すこと。
真本音の自分で
生きること。
それをすることで、
その人なりの
バランスは
より際立っていくだろう。
そういった意味で、
個性の際立つ
バランスの良いコーチ
を
私はたくさん育成
したい。
そういったコーチは
多くの人に
真のバランスを
もたらすことが
できるだろう。
来年に入ったら、
そろそろ
本格的なコーチ育成に
入ろうと思う。
コーチの募集に
入ろうと
思う。
つづく