「自由」とは
何だろうか?
このテーマを最初に
自覚したのは、
もう16〜7年前だ。
当時、私は
師匠の会社の
雇われ社長をしていたが、
そこから飛び出し、
自分で一つの
会社を立ち上げた。
その時に
自分の中から
浮上してきたのが
このテーマだった。
以来、私は
このテーマをずっと
探究している。
・・・・・・
これについては
いろんな視点からの
いろんな答えが
あるだろう。
ただ、
私からみれば、
多くの人が
「勘違いの自由」を
欲しているように
思えてならない時が
ある。
それは
「状況に自由を
求める」
ということだ。
つまりは、
「自由な状況に
なりたい」
と思い、
その「状況」を手に入れる
ことを
「自由である」
と思い込んでいる
ことだ。
残念ながら
それにより私達が
本当に「自由」を
感じることは
ない。
いや、正確には
あるにはあるが、
それは一時的な
ものだ。
もうちょい、
わかりやすく
言おうか。
多くの人は、
「何でも自分の
思う通りにできる
状況にしたい」
と思い、
その状況を
実現できている
ことを
「自由になれた!」
と言う。
例えば、
「この会社では
自分は自由に
やれないから、
別の会社に行って
自由にやるんだ」
とか、
「独立をして
自分の好きなことを
やるんだ」
とか。
そしてその通りに
する人がいるし、
私はそれを
止めることもないが、
それでその人が
本当に「自由」を
手に入れることは
極めて稀だ。
なぜなら
その人の
「心が自由」
ではないからだ。
一つ言える
とても大事な
こと。
それは、
私達人間は、
どれだけ
「状況が自由」に
なっても、
本当の「自由」を
感じることは
ない。
「心の自由」
を手に入れない
限りは。
・・・・・・
「自由にできる
状況になれば、
私は自由に
なれる」
でも、
「自由にできる
状況になければ、
私は自由には
なれない」
というのは、
本当に「自由」
だろうか?
私は、
本当の「自由」とは、
「どのような状況でも
自由でいられる
自分でいること」
だと
思っている。
そこに必須なのが
「心の自由」
である。
どんな状況でも
「心が自由でいられる自分」
である人は
一生、「自由」で
いられるだろう。
そして、
私の表現を使えば、
「心が自由」
であることと、
「真本音に素直に
生きること」
は、
まったくの
イコールである。
私達は、
どのような状況でも
真本音に素直に
生きることが
できる。
「自由な状況
だから、
私は真本音で
生きることができる」
ということでは
ない。
それは
真本音ではない。
私達の真本音は
「状況」は
選ばないのだ。
この会社でも
あの会社でも
独立をしても
しなくても、
私達は
「今ここ」で
「いつでも」
真本音で生きる
ことができる。
その本質を
本当に理解できて
いる人は、
常に「自由」だ。
・・・・・・
以上のことを
しっかりと
理解できている人に
私は
「コーチ」に
なってもらいたい。
ここを理解
していないと、
「人を自由にできる」
サポートは
絶対に無理だからだ。
今の世の中は
残念ながら、
とても不自由だ。
みんな
自由を求めて
不自由に
生きている。
つづく