覚悟

追い詰められて

 

仕事と家庭で

ボロボロになって

しまっている

ある社員さんが

いる。

 

状況は何も

変わっていない

のに、

 

ある日、

急にその人は

輝き始めた。

 

一つ一つの

言葉が

スーッと私に

伝わってくる。

 

どうしたの?

訊くと、

 

何がですか?

と。

 

どうやら本人は

自分の変化に

気づいていないようだ。

 

だいぶ

変化したように

思うけど・・・?

 

そうですね。

よくわかりませんが。

私もそう思います。

 

・・・その瞬間に

わかった。

 

その人は

自分の人生を

引き受けたのだ。

 

この現実は

私のものだ、と。

 

この現実が

私の人生だ、と。

 

追い詰められて

追い詰められて

 

ついに

覚悟を持った。

 

その迫力。

 

本人には

自覚されないが。

 

でもこれこそが

道を開いて

行くのだな、と、

 

改めて

実感。

 

つづく

 

覚悟の表情だ

 

覚悟ができた

顔には、

 

独特の表情

がある。

 

それは

大人も子どもも

同じだ。

 

子どもだって

覚悟を決める

のだよ。

 

実は

ほとんどの人が

気がついていない

だけで、

 

人生の重要な

選択肢は、

人生のそこかしこ

にある。

 

それは現象としては

ほんの些細な

ことかもしれない。

 

例えば、

今日は電車で行こうか、

歩いて行こうか、

・・・みたいな。

 

そこでちゃんと

電車で行こう

と選択することで、

たまたま

同じ車両に乗った人との

出会いがあるかも

しれない。

 

それが人生を

大きく転換する

きっかけとなるかも

しれない。

 

そういった、

日常の中に

密かに隠された

重要な選択肢たち。

 

そこをちゃんと

真本音の方向に

行くこと。

 

それができるのは、

ちゃんと

普段から自分の

本当に望む生き方を

実践できていること、

 

もしくは、

 

実践しようと

決めている人だ。

 

そしてそういう人が

ちゃんと

自分の望む選択を

(それがほんの

些細な選択でも)

できた時、

 

覚悟の表情に

なる。

 

人生を一歩

進めた人の

表情だ。

 

それは実に

本当に

清々しいものなんだ。

 

つづく

 

進むか、戻るか

 

人生においては

どうしても

覚悟を問わねば

ならない時がある。

 

覚悟を問わずに

曖昧なまま

進むわけには

いかない時がある。

 

もちろん、

 

人間には恐怖が

あるので、

どうしても覚悟を

持てないことも

あるだろう。

 

その場合は、

やり直しだ。

 

もう一度、

少し戻って

やり直す。

 

人生には

やり直しも可能だ。

 

何度もやり直し、

ようやく覚悟を

持ち、

 

一つの境界を

超える。

 

何度も何度も

挑戦しようとし、

何度も何度も

境界の手前で

引き返す人もいる。

 

それはそれで、

その人の選択であり、

人生だ。

 

大事なのは、

ちゃんとすべてを

自分で決めること。

 

覚悟を持ち

境界を超え、

さらに先に進むか?

 

それとも

今回はいったん

逃げるか?

 

「逃げる」というように

表現すると、

とてもイヤな感覚を

覚えるかもしれないが、

 

事実、それは

逃げることだから。

 

そこは曖昧に

してはならない。

 

一番いけないのは、

逃げていることを

誤魔化すこと。

 

曖昧なまま

そこにずっと

留まること。

 

わぁ、ダメだった、

逃げちまったぁ!

 

・・・で良いのだ。

 

逃げることを

自覚し、

 

逃げるなら

しっかりと

自分の意思で

逃げること。

 

それさえできれば、

やり直しは

効くんだ。

 

以上を踏まえて、

もう一度、

 

今一度、

 

自分自身の

「覚悟」

を問うてほしい。

 

本当に

このまま進むのか?

 

この、すぐ先に

待つであろう

「境界」

を超えるのか?

 

次のステージに

入るのか?

 

「進む」

ということを決めるなら、

 

怖かろうが、

自信がなかろうが、

 

膝が

ガクガクになろうが、

 

捨て身になって

進むことだ。

 

「境界」さえ越えれば、

まったく新たな

自分が

 

そこに現れるよ。

 

つづく

 

覚悟、だよ

 

あぁ、

この道しかないな。

 

あぁ、

自分がやるしか

ないな。

 

あぁ、

何があっても自分は

進もうとしているな。

 

・・・この3つの事実を

素直に受け入れた

とき、

 

人は覚悟を持つ。

 

覚悟は、

人の空気感を

変える。

 

だから

覚悟を持った人の

一言は、

 

人の魂を

打つ。

 

だから

道が開く。

 

私達は

未知の世界を

切り拓こうと

している。

 

それはまだ

誰も行ったことの

ない世界。

 

答えのわからない

世界だ。

 

当然、

これまでのやり方は

通用しない。

 

一歩一歩を

試行錯誤しながら

進むしかない。

 

その先頭を

切るのは、

 

覚悟を持った

人だ。

 

でないと

先頭には

立つことさえできない。

 

覚悟がないまま

先頭に立てば、

その瞬間に

腰が砕けてしまう。

 

では、

覚悟とは

特別な人にしか

持てないものか?

 

と言えば、

 

いや、

誰にでも

持てるものだ。

 

というよりも、

 

人とは本来

覚悟するために

生きる存在だ。

 

覚悟のない状態

から

覚悟する状態

へ。

 

その体験をする

ための存在が

人だ。

 

そこにこそ

人としての

本能的な悦びが

ある。

 

その悦びを

得るために

私達は

ここに来たんだ。

 

時間は

もう

あまりない。

 

私達は皆、

期限つきの人生を

歩んでいる。

 

期限は

自分で決めている。

 

その事実も

また

素直に受け入れる

べきだな。

 

つづく

 

覚悟から始まった

 

人と向き合うお仕事を

ずっとずっと

続けてきているので、

 

私は本当に

多くの「潜在意識」とも

向き合い、

 

感じ続けてきた。

 

だから

いつの頃からか

当たり前のように

わかるように

なった。

 

「生まれる瞬間の覚悟」

 

というやつを。

 

私達全員

だ。

 

私達は

すべての人が

 

もの凄い覚悟と

決意を持って

 

この世に

生まれてきたのだ。

 

それを

くぐり抜けて

今、ここにいるのだ。

 

その「覚悟」を

思い出すだけだ。

 

その「覚悟」こそが

私達の

原点だ。

 

そこに

戻るだけだ。

 

その感覚を

取り戻すだけ

なのだ。

 

それで

人生への道は

開かれる。

 

いや、

自ら拓いてゆく。

 

ここにこうして

存在している

ということの意味。

 

意義。

 

価値。

 

それは

誰よりも

私達自身が一番、

 

よくわかって

いるんだ。

 

つづく

 

君、捨て身だよな

 

最近、

 

『捨て身』

 

という言葉が

よく浮かぶ。

 

私のクライアントさんは

「捨て身」な人が

多い。

 

もちろん

良い意味で

である。

 

ひょっとすると

私のサポートとは、

 

「捨て身」な人が

ちゃんと

身を捨てられるように

するためのもの。

かもしれない。

 

身を捨てる、

というよりも

身を捧げる、

という感じか・・・。

 

とはいえ

「身を捧げる」

というと、なんか

自己犠牲的かな。

 

でも

クライアントさん達は

決して

自己犠牲ではない。

 

むしろそれをすることで

イキイキと

ワクワクと

輝いている。

 

笑いながら、

身を捧げている。

・・・いや、やっぱり

身を捨てている。

 

あぁこっちの方が

やっぱり

表現としては

しっくりくるな。

 

身を捨てて、

「魂として」

そこにすべてを

込めている。

 

魂の願いを

込める。

 

・・・それが

身を捨てるという

ことかな。

 

心を込める

のと

魂を込める

のは

根本的に異なることだ。

 

そう。

 

だから私は

心を込めるレベルの

サポートは

しないのだ。

 

それが良いことか

どうか、

というのはわからないが、

 

私は

魂を込める人の

サポートを

したいのだな。

 

しかも

最近の私はだいぶ

厳しくなっている

ようで、

 

「魂の込め方を

教えてください」

 

という人には

 

「そんなのは

自力でできるように

なってください」

 

返しているように

思えるのだ。

もちろん本当に

そんなやりとりを

しているわけでは

ないよ。

 

でも結局は

そんなことをしている

気がする。

 

だって、それは

自分でやることでしょ。

人生で、

試行錯誤しながら。

 

そこをサポート

してしまうと逆に、

肝心なところで

「覚悟」

を持てなくなるのでは

ないか。

 

自身で、自力で

魂の込め方を

見つけ出した人には

やはり

「覚悟」がある。

 

面白いことに

本人にはその自覚が

ないケースが多い。

 

でも

「私は魂を込めて生きる」

とか

「私は捨て身で生きる」

とか、

 

その意味を自力で

見つけ出した人には

独特の空気感がある。

 

それを言葉で表現すると

「覚悟がある」

ということになる。

 

しかもこの「覚悟」は

年齢によらない。

 

最近は

社会経験も少ない

もしくは

まったくない若者で

 

すでに「覚悟」を持った

人達が

多い。

 

最初からもう

覚悟を持って生まれてきた

としか思えない

人達だ。

 

そして、

年齢が高く、

これまでそういった

「覚悟」のないままに

生きてきた人も多い。

 

が、

そんな人生であっても

今、急激に

一気に「目覚め」、

(・・・そう。

まさしく「目覚める」という

言葉がぴったりだ)

 

急に「覚悟」をし

「捨て身」になり、

「魂を込める」ように

変貌する人もまた

多いのだ。

 

私の身近には

そういう人が

溢れてきた。

 

あっそうか。

 

で、結局

そうした人達の

サポートで

手一杯になってきた、

 

というのが

今の私の正確な

状況かもしれない。

 

ということで言えば、

それはとても

良い傾向だな

と思う。

 

なるほど。

 

だから私は最近は

またさらに毎日に

楽しさを実感できている

わけか。

 

私自身は、

というと、

やはり私自身も

「捨て身」だなぁ、

よく思う。

 

ヤバいやつだよな、

と時々

思う。笑

 

で、そんな私が

共鳴できる人達が

増えているということは、

ヤバい世の中に

なってきたというか。笑

 

これからは、

心を込めて社会を

良くする

のではない。

 

魂を込めて

社会を変えていく。

 

社会の次元を

根本から高めていく。

 

そんな時代

なのだろう。

 

でもそれが

本当にできるかどうか。

 

それは

わからない。

今、ここにいる私達

一人一人に

かかっている。

 

きっと

そんじょそこらの

覚悟では変わらない。

 

捨て身にならんと

何も動かない。

 

それを本能的に

ちゃんと捉えられる人が

増えてきたんだろうな。

 

つづく

 

もう行くしかないだろ

 

クライアントさんの

とてつもないエネルギーを

感じると

震えてくる。

 

ある種の

畏れすら感じる。

 

こんなパワーを

この人はコントロール

できるのか?

不安になる。

 

でも、

これだけのパワーを

持っているのが

この人であるならば、

 

それは

紛れもなく必然で、

 

この人は

このパワーを使いこなす

ために

生まれてきたのだ。

 

しかし

少し気を抜けば、

 

パワーの解放が

加速的であればあるほど、

 

本人が自分のパワーに

呑まれてしまう。

 

でも

解放、開放は進む。

 

だから

「覚悟」

が必要だ。

 

もう自分は

何があっても

自身の真本音の願い

への道を

進むんだ、

 

という覚悟だ。

 

私は

真本音度合いを高める

サポートはできるが、

 

この「覚悟」だけは

本人が

するしかない。

 

覚悟ができてから

パワーが解放されるのが

順当なはずなのだが、

 

私のクライアントさんは

変態ばかりだ。

 

覚悟もクソもなく、

まず、パワーの解放が

ある。

 

それだけ

人生に急いでいるのだ。

 

だから

しょうがない。

 

そんな自分である

ということを

あきらめるしか

ない。

 

自分の変態さに

あきらめて、

 

無理矢理だろうが

何だろうが、

 

「覚悟」を持って

進むしか

ないんだ。

 

でも。

 

本当に「覚悟」を

持てれば、

 

人は実に

穏やかになれる。

 

静かになれる。

 

すべてが

クリアになる。

 

あとは

淡々と進めばいい。

 

つづく

 

果敢に挑戦してもらいたい

 

よく、

「覚悟を持って生きよ」

という言葉を

聴くが、

 

その「覚悟」の中で、

私が最も基本として

大事だと思っているのは、

 

「自分として生きる覚悟」

 

だ。

 

これは具体的に

言うと、

 

「今、本当にしようと

思うことを、

今、そのまま実行に

移す」

 

という覚悟だ。

 

これができなければ

「自分の人生」

は始まらない。

 

ところが

これをすれば

最初の内は

様々な障害に当たる

だろう。

 

不調和も

起きるだろう。

 

失敗も

重ねるだろう。

 

なぜなら

最初の内は、

 

「今、自分が本当に

しようとすること」

 

 

「今、自分が本当に

しようと思い込んでいるだけで

本当はどうでもいいこと」

 

区別がつかないからだ。

 

これを

私の表現で言えば、

 

「真本音と反応本音の

区別がつかない」

 

からだ。

 

しかし私は

あえて言うが、

 

最初はそれでもいい

と思っている。

 

区別がつかなくても

いいから、

 

結果として

失敗を繰り返しても

いいから、

 

「今、本当にしようと

思うことを、

今、そのまま実行に

移す」

 

ことを

「今」から始めるべきだ

と思うのだ。

 

その「覚悟」を

持ってほしい。

 

・・・・・・

 

先日、

52歳になってつくづく

思うのだが、

 

人生というのは

短いな。

 

短か過ぎる。

 

24時間で

一日が終わってしまうのも

早過ぎる。

 

やりたいことが

いっぱいあるのに、

時間がまったく

足りない。

 

どう考えても

私のやりたいことは

私一人では

できない。

 

そのあまりに明確な

事実を

今、改めて

目の当たりにしている。

 

「自分の人生を

自分として生きる」

 

のは

当たり前のことだと

思うのだが、

 

残念ながら

本当にそれができている人は

滅多にいない。

 

人生はあっという間に

終わってしまうのに。

 

それが今の

世の中だ。

 

だから調和が

起こらない。

 

本当の調和とは、

 

「自分の人生を

自分として生きる人」

のみが

生み出せるもの。

 

最初は

試行錯誤の連続かも

しれないが、

 

真の調和を生み出せる

自分になるまで、

果敢に挑戦して

もらいたいな。

 

つづく

 

願いを叶えたければ

 

人には

願いがある。

 

その願いが

強ければ強いほど、

 

それを

遮るものも

強くなる。

 

遮るものを

取り除くためには、

 

遮るものを

あるがままに

見つめなければ

ならない。

 

それができて

初めて、

 

願いに向かう

自分

 

としての

覚悟ができる。

 

願いに

向かってもいいよ

 

・・・と

自分に対して

OKが出る。

 

願いとは、

それだけを

見れば、

気持ちの良い

ものだ。

 

願いを語ったり、

理念を語ったり、

 

それらは

気持ちの良い

行為だ。

 

しかし、

本当にその願いや

理念に向かうには

 

尋常ではない

覚悟が

必要だ。

 

生きる覚悟。

 

それは、

自分自身と

向き合う覚悟でも

ある。

 

気持ちの良い

部分のみを見つめ、

気持ちの良い

部分のみを認める

のでは、

 

何も

進まない。

 

それが

人生というものだ。

 

しかし

だからと言って

悲観する

ことはない。

 

そういった

プロセスも含め

すべて

私達は

 

一つ一つ

一歩一歩

 

何をすれば良いか?

知っている。

 

自分自身の

真本音が

すべてを

知っている。

 

だから

その通りに

行けばいい。

 

覚悟とは

結果だ。

 

真本音で

進むことにより

自然に育まれる

 

結果だ。

 

つづく

 

つくづく、美しいなぁ、と

 

もし

未来を見通す力が

あったならば、

人生はもっと楽だろうな、

と思う人は

多いかもしれない。

 

私もそう思う時があるが、

しかし、

やはり、

未来がわからないところに

人生の醍醐味は

あるのだろう。

 

そしてこの

3次元の世界の

意味や意義も

あるのだろう。

 

・・・・・・

 

もし

未来がわかって

しまったら、

 

私達は

「覚悟を持つ」

という体験が

できるだろうか?

 

とも思う。

 

あの独特の

体験。

 

未来がわからない

ままに、

「この道を行こう」

完全に決めた時の

あの感覚。

 

あの

すがすがしさ。

 

それまで

自分を縛っていた

あらゆるものから

解放され、

 

自分は本当は

自由だったんだ、

 

理屈を超えたところで

その真実を

思い出す、

 

あの感覚。

 

あれは

未来がわからない

からこそ

得られるものの

一つではないか。

 

・・・・・・

 

人は進む。

 

未来が見えても

見えなくても、

 

人は進む。

 

どうせ進むなら、

この世界にいる

私達は

 

未来が見えないままに

進もう。

 

それが

私達がここに来た

意味だから。

 

覚悟を持った

人は

 

美しい。

 

新たなステージに

進む

その姿は、

 

未来が見えない

人生だからこそ

出会うことのできる

 

宝物の一つだと

 

私は今日も

つくづく思ったよ。

 

つづく

 

あと二日だよ

 

目の前に

滝がある。

 

大量の水が

激しく

落ち続けている。

 

激しい水飛沫が

私の全身を

襲う。

 

水飛沫、

うっとうしいなぁ。

 

と思った私は

いっそのこと

滝壺に

潜り込んでしまおうと

思い、

その通りにした。

 

すると

もの凄い水圧がまた

私に襲いかかってきた。

 

大概はここで

やめてしまうのだが、

 

そして

滝から離れて

しまうのだが、

 

なんだかこの滝、

気になるのだ。

 

だからちょっと

がんばって

さらに水中に

潜ってみた。

 

水圧に負けずに

潜り続けると、

 

しだいに

静かになった。

 

滝壺の

奥の奥は

意外にもとても

静かだった。

 

そこに、

誰かいた。

 

静かに目を閉じて

眠っているようだ。

 

ある意味、

サナギのようにも

見える。

 

私はその人に

近づいてみた。

 

声をかけようと

したが、

それよりも前に

その人が誰か

わかった。

 

「どうしたん?

なんでこんなところで

眠っている?」

 

その人に問うと、

その人は目を閉じながら

答えた。

 

「もうちょっと

眠らせたおいて

ください。

もうすぐ

起きますから。

起きたら、

羽化しますから。」

 

そっか。

 

今、その人は着々と

準備を進めているんだ。

 

こんな滝壺の

底で。

 

「なんでこんな場所で

準備を進めてるの?」

 

「自分を試すためです。

この恐ろしい滝壺を

通って、

外の世界に向かうには

相当の覚悟と勇気が

必要です。

でもそこに立ち向かえる

私になれれば

私はやっていける。

それができれば

ちゃんと羽化できます。」

 

「そうなんだ。

あまり無茶しないでね。

あと何日くらいで

羽化できそうなの?」

 

「あと二日だと

思います。」

 

「おー、あと少しだね。

応援してるよ。」

 

私は上昇した。

 

するとまた

激しい水の渦が

私を襲った。

 

そこを突き抜けると、

私は滝壺の

外に出た。

 

この滝壺を、

あの人ももうすぐ

上がってくるのだろう。

 

そうしたら

新たなあの人と

出会えるのだろう。

 

その後の展開が

楽しみだな。

 

あと二日。

 

待ち遠しいな。

 

つづく

 

覚悟の波動

 

人生の岐路に

立つ人が、

 

自らの道を

選択する、

 

その瞬間の

覚悟は

 

とても尊い。

 

それが

真本音の決断

ならば、

 

その瞬間、

 

必ず

風が吹く。

 

フッと

まるでそよ風の

ように、

 

一瞬、

 

それは私の

心に届く。

 

そしてそれは

体の中心にまで

至り、

 

今度は

中心部分から

外側に向けて、

 

まるで

波打つかの

ように、

 

ゾワゾワゾワッと

痺れるような

感覚が、

 

全身に広がり

溢れる。

 

その感覚は

強い時には

5分程度も

続く。

 

人の覚悟が

生み出す

波動だ。

 

魂まで

洗われるような

心地良さ。。。

 

これが

人の力。

 

人の

影響。

 

この波動が、

社会全体に

伝播すると

いいな、と

 

いつも

思う。

 

つづく

 

覚悟がないから進めない?

 

本当は、

「覚悟」

はみんな

持っている。

 

始めから。

 

ただ、

それを

忘れてしまっている

だけ。

 

だから、

 

「覚悟を持て」

 

ではない。

 

「覚悟を思い出せ」

 

が正しい。

 

100%とは言わず、

その「覚悟」の

ほんの片鱗でも

思い出すことが

できれば、

 

幼い子どもですら

 

ちゃんと

進む。

 

その道に

進む。

 

振る舞いも

変わるし、

表情も

姿勢も

生き様も

変わる。

 

それが

我々人間だ。

 

もう少しで

自分の「覚悟」を

思い出せそうな

人が

今、

増えている。

 

でも、

思い出す直前で

躊躇している。

 

思い出すことを

怖がっている。

 

本当は

何も怖いことは

ない。

 

思い出し、

その方向に

進む

その瞬間から、

その人は

心の真の平穏と

安定を

手に入れる。

 

にも関わらず、

私達は

「覚悟」を思い出す

ことに

恐怖を感じる。

 

恐怖を

乗り越えてほしいな。

 

一歩を

進んでほしいな。

 

自分自身の

「覚悟」

なのだから、

 

まずは

自分自身が

認めてほしいな。

 

と、

切に願っている。

 

つづく

 

人生の本流を見出そう

 

私には

やりたいことが

山のようにある。

 

だからこそ、

一本道を

創っている。

 

たくさんのことに

エネルギーを

分散するよりも、

 

常に

「一点」を

決める。

 

というのを

基本にしている。

 

一点を決めると、

自然に

一本道が

観えてくる。

 

まるで

川の水が

流れるかのような

一本道が。

 

川には

至る所に

岩や障害があり、

 

そこでは

水はせき止められて

いたり、

濁流を生んだり

しているが、

 

そういった箇所には

できるだけ

寄らない。

 

水が最も

スムーズに流れる

「本流」を

見つける。

 

つまりは

最も楽な行き方

を見つける。

 

最も

楽だと思える

道筋で、

最も

集中すべき

ことに

集中する。

 

これを私は

「戦略」

と呼んでいる。

 

「戦いを略す」。

 

要らぬ戦いを

せずして

目的に至る

最善の道だ。

 

・・・・・・

 

人生には

戦略が必要だ。

 

人の成長(進化)

にも

戦略が必要だ。

 

最も楽な

行き方をするから

こそ、

 

最も大事な

課題に

全エネルギーを

集中できる。

 

それにより

「最速」

で進める。

 

もちろん

今の自分に出せる

「最速」

だ。

 

・・・・・・

 

最速で進む

には

「覚悟」が

必要だ。

 

その「覚悟」を

持った人には

私は

「戦略」を

オススメしている。

 

実際に、

覚悟のある人

こそ、

戦略が

生きてくる。

 

覚悟とは

気合いのことでは

ない。

 

いつも言うことだが、

覚悟のある人は

静かだ。

 

スッキリクッキリと

物事が

観えている。

 

そして

淡々と

すべきことを

している。

 

あーだこーだと

できない理由を

並べ立てることは

しないし、

 

力を鼓舞する

こともない。

 

一つを決め、

一つをやる。

 

その連続を

まるで呼吸の

ように

進めていく。

 

その行き方と

戦略が

合致すると、

 

その人は

独特の空気感を

発する人

となる。

 

その人と

一緒にいるだけで

こちらの心は

洗われ、

 

その人と

一緒にいるだけで

こちらの道も

観えてくる。

 

余分な悩みや

迷いは消散し、

自分がなぜ

あんなことで

ウダウダと止まっていたのか、

わからなくなる。

 

心も体も

楽になるが、

背中に一本の軸が

通ったような

爽快さも感じるように

なる。

 

つまり、

その人と一緒に

いるだけで、

周りの誰もが

「自律」し始める。

 

・・・・・・

 

そんな

「リーダー」

を増やすために

私はサポートを

しているし、

 

そんな

「コーチ」

を私は

たくさん育成したい。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

覚悟の日

 

青空は

すがすがしい。

 

晴れ渡った空を

見上げると、

私達は

すべてから解放された

爽快さを感じる。

 

そこに

無限さを感じたり、

自然の偉大さを

感じることもある。

 

空は

大きい。

 

私達は思う。

 

ところが、

別の視点から見れば、

 

空は

私達の限界を

示してしまっている、

 

とも言える。

 

空の下で

生きるのが、

人間。

 

と、

私達は

思い込んでいる。

 

青空があることで

その向こうの

世界が

見えなくなっている。

 

私達の世界は

青空に囲まれた

中だけである、

 

と、

私達はみんな

どこかで

そう思い込んで

生きている。

 

「無限」

を思わすと同時に、

それが

「限界」

をも表している。

 

「空」

とは不思議な

存在だ。

 

・・・・・・

 

「無限」

だと思っているのに、

実はそれこそ

自体が

「限界」

を表している。

 

というが、

私達人間の

「心」

の特徴でもある。

 

「空」

「心」

とてもよく似ている。

 

というよりも、

私達の

「心」

の一つの反映が

「空」

とも言える。

 

そんな

私達の「心」に

 

2月2日、

一つの大きな

「扉」

が開いた、

 

という実感を

私は強く

抱いた。

 

これまで

「空」

だと思っていたものに

大きな穴があき、

もっとその先の

広く深い世界、

つまりは「宇宙」を

身近に

感じ取るようになった、

 

・・・みたいな

感じ。

 

もしくは、

 

これまで

「空」だと思っていた

ものが、

いったん崩れ去り、

もっともっと

大きな世界が

広がった、

 

・・・とも

言えるか。

 

そう感じ取れた

原因も

よくわかる。

 

「覚悟」

 

をしたのだ。

 

多くの人達

が。

 

「進む覚悟」

だ。

 

心の中の現実

である

「実在」

に意識を向けると、

 

とても多くの人達が

2月1日を境に

自分の人生を

大きく前進させようと

「覚悟」

しようとした。

 

それは

これまでの「前進」

とは

次元が異なり、

 

まるで

それまでの自分達の

限界であった「空」を

超えていくような

「覚悟」

だ。

 

「実在」のレベルでは

そういった

「覚悟」

を完了させた人が、

この2月2日は

とても多かったのでは

ないか。

 

・・・・・・

 

私の5歳の息子は

とても珍しく、

最近はずっと

体調がすぐれなかった。

 

そして

ついには

インフルエンザに

かかった。

 

そして

2月2日、

体調が復活した。

 

復活した彼は

立ち上がり、

 

私と妻の前に

立ち、

 

静かに、

しかし

とても深く、

 

力強く、

 

一言

語った。

 

「僕は

進む。」

 

一つの

象徴だな、と

思った。

 

つづく

 

本当に問題は自分だけ?

 

よく、

 

人のせいにしては

ダメだ。

 

環境のせいにしては

ダメだ。

 

と言われます。

 

その通りです。

 

自分以外の何かの

せいにして、

自分の次の振る舞いや

自分の次の選択を

決めている人は

どこに行っても、

どの環境に入っても、

自分以外の何かの

せいにする人生を

続けるでしょう。

 

それは

「依存」の人生

です。

 

自立した人。

 

自律した人。

 

人生の覚悟を

もっている人は、

 

もちろんそういったことは

しません。

 

・・・ということを

重々に承知した上で、

今日はあえて

申したいのです。

 

「もっと

人のせいにしたら

どうですか?」

 

「もっと

環境のせいにしたら

どうですか?」

 

と。

 

・・・・・・

 

もちろん、

すべての人に

そうお伝えするつもりは

毛頭ありません。

 

私がお伝えしたいのは、

 

自分のケツは

自分で拭く、

 

という覚悟を持った

人に対してです。

 

私のクライアントさんは

そういった方々が多く、

とても

気持ちの良い皆さん

ばかりです。

 

そういった人は

人生やお仕事で起こる

あらゆる「現実」に対して、

 

自分自身の責任である

 

と捉えます。

 

もちろんそれは

とても潔いことなのですが、

でも、時々ですが、

 

自分のせいにし過ぎる

 

人もいるのです。

 

すると今度は逆に

物事の本質が

観えなくなってしまうことが

あります。

 

私はよく

組織のサポートをする時に、

その組織に何らかの問題が

起きている場合、

 

「誰のせいか?」

 

を明確にします。

 

もちろんその人のことを

責めるためでは

ありません。

 

原因の本質を

あるがままに見極める

ためです。

 

誰がいけないのか?

何がいけないのか?

 

その事実を

そのままに見つめることこそ

物事の展開を大きく変える

起点となります。

 

・・・・・・

 

このような問題が

このように起きたのは、

 

まずは、

私のここがまずかった。

 

私のここが原因だった。

 

と同時に、

あの人のそこも

まずかった。

 

あの人のあそこが

原因だった。

 

・・・というように、

自分とか他人とか環境とか

そういった垣根を

取り払った

ニュートラルな視点から

すべてを俯瞰することが

実に大切です。

 

それができた時点で、

私達は

次元を一つ上がって

います。

 

誰が悪いんだ?

俺のせいか?

お前のせいか?

 

ではなく、

 

すべてを全部俯瞰して、

どこにどのような

問題があったのか?

 

をそのまま受け止める

ということですね。

 

これができる人は

自分にも他人にも

厳しくなりますが、

 

しかし、

自分にも他人にも

本当の意味で

やさしくなれますね。

 

・・・・・・

 

もともと私達の

高い次元の意識では、

 

すべてが一つ

 

です。

 

それはつまり、

 

私はあなたであり、

あなたは私

 

なのです。

 

この本質を思い出せば、

「自分がすべて悪い」

ということは、

あり得なくなります。

 

なぜなら、

物事はすべて

人と人の関わりと

影響のし合いで

成り立っているからです。

 

それが

この世の中です。

 

・・・・・・

 

世の中は

私である。

 

私は

世の中である。

 

すべては

私である。

 

私は

すべてである。

 

低い次元で

このように捉えると

それはただの

傲慢ですが、

 

高い次元では

これが本質であり、

普通であり

当たり前のことなのです。

 

ですから、

人生の覚悟を持った人、

自立・自律している人にこそ

私は問うのです。

 

「誰が問題ですか?」

 

「誰のせいですか?」

 

と。

 

つづく

 

 

<ご案内>

おかげさまで、

当初私が予想していたよりも

ずっと多くの皆様に

電子書籍と動画を

ご覧いただいたようです。

 

ありがとうございます。

 

まだお申込みが

続いているようですので、

配信期間をもう少し

延長しようかと思います。

 

良いセルフコーチングは、

自分の中にすでに

存在している

高い次元の意識を

思い出すきっかけとも

なります。

 

もちろん、

高い次元が良くて

低い次元が悪くて、

という単純なものではなく、

 

私達人間は

高い次元から低い次元まで

あらゆる次元の意識を

内包し、

コラボしているからこそ

素晴らしい存在なのだと

私は思います。

 

ですからこそ逆に、

多くの皆様に

高い次元の自分自身と

もっともっと出会って

ほしいな、と思うのです。

 

私達の心の中は

宇宙と同じように

広くて深いです。

 

心の宇宙の探検を

楽しくしていただくことは、

人生の冒険を楽しむ上では

必須です。

 

自分としっかり

向き合える人こそが、

現実とも

しっかり向き合え、

人生と

あるがままに向き合えます。

 

そんなきっかけになると

いいな、と思い、

配信させていただいています。

 

ご興味ありましたら、

ぜひどうぞ。

↓↓↓

『人生を真剣に変えたいあなたへ』

 

次々に道を拓く人の覚悟とは

 

今の自分には

到底無理だとわかっていても、

それでも

立ち向かわなければ

ならないことが

人生にはありますね。

 

自分の範疇を

超えた

現実。

 

自分の範疇を

超えた

挑戦。

 

自分の範疇を

超えた

約束。

 

頭では

絶対に無理!

と叫んでいても

なぜか、

それをやめる方向に

体が動かない。

 

まるで最初から

確信を持っているかのように

自分の範疇を

超える方向に

進んでしまう。

 

自分に対して

「ちょっと待って!」

と止めようとしても

止まらない。

 

勝手に進み、

「おいおいおい!」

と言いながらも

道が開いて行って

しまう。

 

そしてある瞬間から

「まっいいか!」

あきらめ、

あとはその流れと

自分自身に

委ねてしまう。

 

それにより

自分が想像し得ないような

素晴らしい道が

次々に拓かれていく。

 

そういったことを

当たり前のように

日々、続ける人が

います。

 

それは、

ある一種の「覚悟」を

持ち合わせている

人です。

 

・・・・・・

 

その覚悟とは、

 

『ゼロに戻る覚悟』

 

と表現できるかな。

 

いつでもすべてを

「ゼロ」に

できる覚悟です。

 

例えば・・・、

愛する家族が

いる場合に、

その家族が

今日でいなくなってしまっても

いい、

家族を手放してもいい、

と思える

覚悟です。

 

いやいやいや。

 

そんなことは

誰にも無理でしょ、

と言われそうです。

 

もちろん、

無理でしょう。

 

私だって

いやです。

 

一番大切なものを

手放すことは

大抵の人間には

不可能なことです。

 

でも。

 

ちょっとそれとは

別の次元に

目を向けて

いただきたいのです。

 

これまで

培ったもの。

これまで

構築してきたもの。

これまで

手に入れてきたもの。

 

大事なもの。

宝のようなもの。

 

それらを私達は

「ゼロ」から

手に入れ、

育て上げてきました。

 

もちろん、

生まれた瞬間から

手に入っているものは

多いです。

 

しかし、

「ゼロ」から

手に入れたものも

たくさんあるはずです。

 

その

「ゼロ」

に戻ってみる。

 

自分のスタート地点に

戻ってみる。

 

すると、

何が観えるでしょうか?

 

・・・・・・

 

セルフコーチングの力が

強くなると、

ある瞬間から私達は

自分がこの世に

生まれた瞬間の

「決意」を

思い出せるようになります。

 

その「決意」とは、

 

何のためにこの世に

生まれてきたか?

 

の理由であり、

 

私とは何者か?

 

の答えであり、

 

私の人生の目的と

意義、

 

そのものでもあります。

 

それを多くの人は

忘れてしまっています。

 

なぜなら、

「ゼロ」から創り上げたものや、

自分が人生で

培ったものや

手に入れたものを

「守ろう」とするからです。

 

もちろんそれは

人としてとても

大切な気持ちですが、

 

そういった大切なもの達を

いったんすべて

自分自身から分離させ、

 

「ゼロ」に戻った時に

初めて、

私達は

「ゼロ地点」における

自分の意志に

戻れるのです。

 

そして。

 

その「ゼロ地点」に

毎日、戻ることで、

逆に、

今、自分の目の前にある

あらゆる大切なものを

 

どう活かせば良いか?

 

どう関われば良いか?

 

どんな距離感を持てば良いか?

 

などが、ありありと

理解できるのです。

 

結果として、

大切なものを

より大切にできるように

なります。

 

面白いものです。

 

「守ろう」

とするよりも、

「常にゼロに戻ろう」

とする方が、

 

大切なものを

より大切にできるのです。

 

しかし、

「ゼロ」に戻るためには、

「すべてを手放してもいい」

という覚悟が

必要です。

 

つまりは、

 

「すべてを手放しても

いい」

と思える人ほど、

「すべてを

本当に活かす」

ことができるのです。

 

・・・・・・

 

「ゼロ」に戻る勇気は

真本音度合いが

ある一定以上に

高まらないと

出ません。

 

心の中にある

「真本音」という大地を

実感できる度合いが

高まることで初めて、

私達は

ゆとりを持って

様々な決断ができるように

なります。

 

「ゼロ」にも

戻れるのです。

 

真本音度合いが高まり、

常に「ゼロ」から

決断と行動のできる人が

増えれば、

世の中はもっと

調和します。

 

一人ひとりはもっと

幸せになれるのです。

 

つづく

 

 

<ご案内>

今あるものが

当たり前、

 

ではなく、

 

毎日、「ゼロ」に戻ることが

できれば、

あらゆるものの存在が

自分に

次への一歩の

指針を与えてくれます。

 

自分一人のみで

進む人生ではなく、

 

「あらゆるもの」と共に

進める人生へと、

次元を高めませんか?

 

ご興味がございましたら、

以下の電子書籍と動画をご覧ください。

↓↓↓

『人生を真剣に生きたいあなたへ』

 

真の安息はどこにある?

私達の人生において

安息の地は

どこにあるのでしょうか?

 

実は、

安息の地は

たった一箇所にしか

ありません。

 

それは、

「最速スピードの世界」

です。

 

・・・・・・

 

「最速スピード」とは、

今の自分の出せる

最速スピード

ということです。

 

そしてそれは

何に関するスピードか?

と言いますと、

「進化のスピード」

です。

 

つまり私達は

進化スピードが

「最速」となっている時に

「安息」を得るのです。

 

・・・・・・

 

最速スピードに

入ったとき、

私達はまるで

止まっているかのような

感覚となります。

 

そして

すべての物事が

ありありと観え、

地にガッシリと

足がついている

とてつもない安定感を

得ます。

 

こうなるともう、

これまで「安定」だと

思っていたものの

すべてが

不安定だったことに

気づけるでしょう。

 

淡いもの、

儚いもので

あったことが

理解できるでしょう。

 

と同時に、

私達人間の本質が、

つまりは、

私達は進化の生き物である

ことが

論理を超えた確信として

腑に落ちるでしょう。

 

・・・・・・

 

そしてそうなれた時、

私達は

ゆっくりと頭を

もたげます。

 

本当は

今この瞬間も

最速で前に進み続けて

いるのですが、

やはりそれは

まったくもって

止まっているようです。

 

すべてが

静止し、

静かにただそこに

存在しています。

 

その世界の中で

私達は

頭をもたげ、

未来を観ます。

 

そこには

紛うことのない

一本道が観える

でしょう。

 

あぁなんだ。

 

ここをこのまま

まっすぐに

進めばいいだけか。

 

・・・と、

何だか笑えてきます。

 

さて。

 

ではゆっくりと

進むことにしようかな。

 

と、私達は

呼吸を整え、

前に踏み出します。

 

それはつまり、

最速からまたさらに

加速し、

最速を超える最速を

手に入れるということ

です。

 

こうして私達は

自分を超え、

進化を進めていきます。

 

・・・・・・

 

さて、

ではゆっくりと

進むことにしようかな。

 

と、

最速の中で

頭をもたげたその瞬間の

私達の境地を

私は、

 

『覚悟』

 

と呼んでいます。

 

覚悟を持った

状態。

 

それはまた

とてつもなく

静かで幸せな

瞬間です。

 

何の力も

入っていません。

 

自然体の

極みです。

 

人生において

覚悟を持つことは

すべての人が

できること。

 

覚悟を持つからこそ、

私達は

本当の意味で

楽になれるのです。

 

つづく

 

ゼロリセットする覚悟はありますか?

今、私達が

本当に為すべきことは

何でしょうか?

 

こんな疑問を持ったことは

ありませんか?

 

今、皆さんには

全力を注いでいる何かが

あると思います。

 

これは自分の

したいことだ。

自分の

すべきことだ。

 

そう信じて

エネルギーを注いでいることが

あると思います。

 

職業で言えば、

「天職」と思えること。

 

もっと広くみれば、

「使命」と思えること。

 

それが見つかっている人も

多いと思います。

 

でも。

 

ほんのふとした瞬間に、

「これは本当に

私の為すべきこと

なのだろうか?」

という問いが、

自分の中に浮かぶことは

ありませんか?

 

実は、

私の人生は

その問いの連続でした。

 

昔の私は、

自分の中にその問いが

浮かんだとしても、

その問いを

瞬時に抹殺していました。

 

見なかったことに

していました。

 

ブレるのが

怖かったからです。

 

今振り返れば、

もっと早い段階から

その問いときちんと

向き合っていればよかったな、と

思います。

 

今の私にも、

その問いは、

浮かんできます。

 

浮かんできたら、

「しめた!」

と喜びます。

 

そして、

その問いが浮かべば

その後に必ず

することがあります。

 

何だと思います?

 

実は、その問いとは、

今すぐに答えを見つけなさい、

という問いとは

少し性質の異なるものです。

 

実は、

問いというよりも

メッセージなのです。

 

私はその問い(メッセージ)が

自分の中から自然に浮かべば、

必ず、自分の心を整えて、

最も良い状態(真本音状態)にします。

 

そして、

「覚悟」

を持ちます。

 

何の覚悟かと言いますと、

 

『すべてをゼロリセットする覚悟』

 

です。

 

これまで自分が

長い年月をかけて

培ってきたあらゆるものを

すべて

「崩壊させてもいい」

と思える覚悟です。

 

そして

その覚悟を持つことができれば、

ほぼ必ず、

その後にその「崩壊」は

起こります。

 

ただしそれは

現象(現実)レベルではなく、

実在レベルにおいて

起こります。

 

わかりやすく言えば、

心の中ですべてのことが

一度、「崩壊」するのです。

 

完全なる

「ゼロ」

となります。

 

で、また一つずつ一つずつ

積み上げていきます。

 

これを喩えて言うならば、

引越しのようなものです。

 

例えば、これまで

6畳一間の部屋に

住んでいたとします。

そこには、

様々な家財道具があり、

自分なりに快適な生活を

実現できていたとします。

 

ゼロリセットとは、

大掃除をするという

レベルではなく、

その6畳一間の部屋を

引き払うということです。

 

そして、

新たな部屋を

見つけます。

 

例えば、

もっと広い部屋がいいな。

もっと日当たりの良い部屋が

いいな。

部屋は8畳が二間くらい

あった方がいいな。

・・・などなど、

自分の本当に望む生活を

目指して、

住むところそのものを

変えてしまうのです。

 

で、

その新たな部屋に見合う

家財道具を取り揃えます。

しかしそれは、

新たな家財道具を購入する

とは限りません。

 

部屋を変えても

家財道具はこれまでのままがいい、

というケースの方が多いです。

もちろん、

買い換えたいものは

買い換えます。

 

これが、

「ゼロリセット」の

意味です。

 

私は、ここ数年だけでも

何度も、

人生のゼロリセットを

繰り返してきました。

 

その度に

すべてを崩壊させる覚悟を

持つのですが、

結果的に現象レベルでは

何も変わりませんでした。

 

表面上では、

これまでの延長線上での

人生が続いています。

仕事も同じです。

 

でも実は、

その中身がまるっきり

変化(進化)しているのです。

 

それは家財道具は

変わらないけど、

住んでいる部屋が

6畳一間から

8畳二間に変わる

ようなものです。

 

同じ家財道具でも

快適さが全然違うのです。

 

「ゼロリセット」というと

怖い感じがしますが、

しかし、本当にゼロリセットしてみると、

これまで培ってきたものが

いかに素晴らしいものであったか、

素晴らしい財産であったか、

ということを

改めて再認識することが

できます。

 

ただし、

前提条件としては、

本当にすべてが崩壊してもよい、

という覚悟を持つこと。

これがないと

ゼロリセットはできません。

 

しかしその覚悟は、

日々を真本音に素直に

生きている人にとっては

結構、容易いことです。

 

「これは本当に

私の為すべきこと

なのだろうか?」

 

もし自然にその問いが

浮かんできたら、

ぜひ、大切にしてください。

 

それはきっと

人生の醍醐味に

つながりますよ。

 

つづく

 

なぜ私はこんなに苦しむのか

自分の人生で起こる

すべての現実は

すべて自分自身が

引き起こしているものであると

本当に自覚した人は

幸せです。

 

頭での理解ではなく、

肚での理解。

 

まったく本当にその通りだと

わずかな淀みもなく

そう理解できた状態を

『覚悟』

と言います。

 

人は、

覚悟を持つと

軽やかになります。

 

すべてから解放・開放された

感覚に満たされます。

 

それは言葉を換えれば、

『自由』

です。

 

ですから私は

「覚悟」と「自由」は

イコールであると思っています。

 

自分自身の人生に対して、

そして

すべての現実に対して、

人が

「覚悟」を持つ瞬間と

私は多く立ち合ってきました。

 

「覚悟」を持った瞬間の

その人の

晴れやかな表情を

どう表現すればよいでしょうか。

 

恐らくその瞬間とは、

人間としての幸せのすべてが

凝縮されているのだと

私には思えます。

 

その瞬間から

人は、

「逃げる」必要がなくなるから

です。

 

私達の魂を淀ませるものの

本質とは

「現実逃避」です。

 

いざとなれば

逃げればいい。

 

ここから

逃げ出したい。

 

逃げれば

何とかなる。

 

・・・そういった

「逃げ」への可能性を

心のどこかに秘めている内は

私達は

苦しみ続けます。

 

自分を救おうとするために

「逃げ」という選択肢を

私達は持つのですが、

実はその選択肢そのものが

自分を苦しめている

というのが人生のカラクリの

一つです。

 

かと言って、

「逃げを手放そう」

としてもいけません。

 

「逃げを手放そう」

とすればするほど、

「逃げ」に執着するのも

私達人間です。

 

「逃げを手放したフリ」を

している人も

私は数多く拝見してきましたが、

そういった人達は

本当に苦しそうです。

 

手放したつもりで

執着の度合いを高めている

からです。

 

私はよく、

「人はもっと楽に

生きることができる」

という表現を使います。

 

しかしその言葉を聴くことで、

すぐに「逃げ」に入る人も

います。

それにより、余計に苦しむ

ことになります。

 

ですので、

「人はもっと楽に

生きることができる」

という言葉は使うべきではないかな、

と思った時期もありました。

 

しかしそれでもやはり、

私は言わねばなりません。

 

人はもっと楽に

生きることができます。

 

そのためには、

逃げなければよいのです。

 

しかしそのために

「逃げ」をなくそう、とか

「逃げ」を手放そうと

してはなりません。

 

じゃあ、

どうすればよいのでしょうか?

 

実はその答えは、

私がこれまでずっと

このブログでお伝えし続けてきた

ことと同じです。

 

「逃げようとしている自分」を

あるがままに

観察する、ということです。

 

「観る」

ということです。

 

そして、その自分を

操作しようと

しないことです。

 

存在を承認する、

それだけのことです。

 

「逃げようとしている自分」と

真摯に

向き合ってみてください。

 

自分は

何から逃げようと

しているでしょうか。

 

それは

ほんの些細なことから

かも知れません。

 

もしくは、

人生を左右する大きな

ことかも知れません。

 

物事の大小は

重要ではありません。

 

逃げようとしている

その姿勢そのものが

本質です。

 

その本質を

きちんと観つめること。

 

観つめ続けること。

 

じーっと

観つめていれば、

ある瞬間から

そんな自分を可愛らしく

感じるはずです。

 

すべての反応本音は

本当は

可愛らしいのです。

 

可愛らしく

感じることができたら、

そんな「逃げる自分」に

伝えてあげてください。

 

「君は可愛いなぁ。

君はそこにいていいんだよ。

だって

それが人間じゃないか。」

 

その瞬間に

私達は解放・開放されます。

 

解放・開放されたときに

自分が立っている大地。

 

その瞬間の自分。

 

それが、私達の

『真本音』

です。

 

「真本音で生きる」とは

覚悟を持ち自由に生きる

ことなのです。

 

つづく

 

真の成長とは、これまでの自分を壊すこと

私達は、

「これまでの自分の範疇」

であれば、

誰もが

存分に成長し続けることができます。

 

しかし、

ぐんぐんと成長をし続けると、

ある時、

一つの「境界」がきます。

 

その「境界」の先に進めば、

新しい世界、新しい自分が

待っています。

 

とは言え、それは自分とは

別物の自分

ということではなく、

本来の自分に一気に近づく

ということです。

 

その「境界」を越えれば、

とてつもない開放感と

自由を

手に入れることもできます。

 

ところが。

 

その「境界」を越えるためには、

「これまでの自分」を

手放さなければなりません。

 

もう少し激しい表現を使えば、

「これまでの自分」を

破壊する必要が

あるのです。

 

・・・これが、なかなか

できません。

 

「境界」まではぐんぐん進めますが、

「境界」の先へ

行けないのです。

 

「境界」の前で立ち止まり、

もといた世界に

戻っていってしまう人も

多いです。

 

しかし、

一度「境界」を見てしまった人が

もとに戻っても、

元通りの自分になれるわけでは

ありません。

 

だって、「境界」を

見てしまったのです。

 

その先の世界を

何となく感じ取ってしまったのです。

 

もとの世界に戻っても、

「なんで先に進まなかったんだよ!」

と、

自分で自分を責め続けることに

なります。

 

それが結構

きつい。

 

もとに戻っても、

以前よりも苦しみは

大幅に増してしまいます。

 

じゃあいっそのこと、

「境界」まで行くことすら

やめればいいじゃないか。

 

そう考える人も

いるかもしれません。

 

しかしながら、

それもできないのです。

 

なぜなら、

私達人間は

進化のために存在しているから

です。

 

私達の本能の中心には

進化欲求

があります。

 

それがある以上、

つまりは、人間である以上、

遅かれ早かれ

必ず「境界」の前まで

行ってしまいます。

 

しかも今は、

「早く境界まで行きたい!」

「早く境界を突破したい!」

と真本音レベルで望んでいる人が

本当に増えています。

 

その欲求が

世の中全体に新たな潮流をも

生み出しています。

 

まるで川の水が

川上から川下へ流れるように、

私達は止まっているつもりでも、

どんどん「境界」に向かって

進み続けてしまうのです。

 

ですから本当は

私達に選択肢は

ないのです。

 

「境界を突破する」

という選択肢しか

ないのです。

 

その事実を

受け止めること。

 

他には選択肢はないのだ、

と、ある意味

あきらめること。

 

それを

『覚悟』

と言います。

 

あきらめた方が

楽です。

 

思い切って「境界」を越えて、

その先の世界へ

行きましょう。

 

その先の自分、

つまりは、

もう一つ上の次元の自分に

なりましょう。

 

その方が

幸せです。

 

・・・というよりも、

それこそが、私達人間の

真の幸せです、

と言った方ががよいですね。

 

一度、「境界」を突破できた人は

「境界を突破」するとは

突破する直前は大変だけども、

突破した瞬間から

いかに気持ちがよくなるか、

を知ることができます。

 

その喜びを知った人は

次々に「境界」を突破し続けます。

 

つまりは、

どんどん次元の壁を

乗り越えて行くのです。

 

次元とは、

無限に高まります。

 

突破しても突破しても

次々に「境界」は

現れます。

 

そのうちに、

「境界」があるからこそ

幸せだ、

と思えるようになります。

 

そんな人が

今、急速に増えています。

 

もっともっと

増えるといいなぁ、と

私は強く思います。

 

つづく

 

本物のエネルギーは、落ち着きと覚悟を生む

「脱皮」をするということは、

これまで自分を覆っていた殻や

一つの枠から解放される

ということです。

 

解放されると人は

どうなるでしょうか?

 

実は、

解放されると人は

とても「落ち着く」のです。

 

ニュートラルになります。

 

淡々となります。

 

「普通」の状態となります。

 

自然体です。

 

一見、逆のことが起こりそうですね。

解放されて自由になれば、

もの凄くエネルギーが湧いてくるとか

モチベーションが高まるとか

走り回りたくてしょうがなくなるとか、

場合によっては

自分で自分を制御できなくなるとか、

・・・そんなイメージがあると思います。

 

しかしまったくそうではありません。

 

本人が、「あれっ?」と思うくらいに

「普通」です。

 

本当に脱皮したのだろうか?と

疑うくらいです。

 

しかし確かに、

何となく軽くなりますし、

シャンとします。

 

地に足がついたような

安定感もあります。

 

自分が何か別物に変化することも

ありません。

あくまで、自分は自分。

何も変わりません。

ですので、

多くの人が、拍子抜けします。

 

しかし私は、

そうした「拍子抜けした状態」を見ることで、

「脱皮」が上手く完了したことを

確認できます。

 

ただし、

何も変わっていないのは

表面上だけ。

 

その人の内側のエネルギーは

明らかに高まっていますし、

(深まっている、という表現の方が的確です)

その人の空気感は

安定と共に、「明るくなった」ようにも

感じます。

 

「正義」という古い皮を手放した弓江さんが

まさしくその状態でした。

(→前回記事)

 

私は弓江さんに

質問を投げました。

 

直観的に出た質問です。

 

「弓江さん、

今、弓江さんは立っていますか?

座っていますか?」

 

「座ってますね。」

 

「座って、何をしようと

していますか?」

 

「覚悟を決めようと

しています。」

 

「何の覚悟ですか?」

 

「立ち上がる覚悟です。」

 

「立ち上がるということは、

どういうことですか?」

 

「走り出すということです。」

 

「走り出す、とは?」

 

「私が皆を引っ張る

ということです。」

 

えっ?

と、この答えに弓江さん自身が

驚きの声を上げました。

 

「私が、みんなを引っ張るんですか?」

 

「今、ご自分でそう言いましたね。」

 

「できるんでしょうか?」

 

「どう思います?」

 

「・・・できますね。

そう思えます。

むしろ、私にしかできないことが

ある気がします。」

 

この弓江さんの一言で、

今度は、木村さんが脱皮し始めたのが

わかりました。

 

弓江さんの一言が刺激となり、

彼は一気に古い皮を

自ら剥いだのです。

 

つづく

 

覚悟を持てば、すべてが観える

「覚悟」という言葉があります。

 

辞書をひきますと、

いろんな意味が書かれていますが、その中に

 

「迷いを脱し、真理を悟ること」

 

とあります。

 

私はこれまでコーチングの場面で、

クライアントさんの「覚悟の目線」というのを

数多く拝見してきました。

 

その人が覚悟を持った瞬間に現れる

独特の目線です。

 

独特の目の輝きもあります。

 

覚悟を持った目(目線)は非常に清々しく、

私は、その目(目線)と向き合うたびに、

人の本質的な強さと素晴らしさを

体感します。

 

そういった意味で言えば、

毎日当たり前のように

覚悟の目(目線)を持ちながら生きている人も

います。

 

そんな人とは

一緒にいるだけで、癒されます。

 

人は、「覚悟」を持つと

楽になります。

人生を生きることそのものの根源的な

「楽」を得るのです。

 

逆に言えば、覚悟を持たないからこそ

悩み苦しむと言ってもよいでしょう。

 

覚悟を持てない状態から、

覚悟を持てる状態へ。

それが、私のコーチングの重要な一つの

目的です。

 

木村さんと弓江さんの二人コーチング。

(→前回記事)

 

その中で、ついに木村さんが

覚悟の目(目線)を見せました。

 

新規事業プロジェクトチームの真本音は

 

『全員がチームの代表として

お客様と向き合う』

 

・・・と、木村さん自らが見出した瞬間にです。

 

その時の彼の目を見たときに、私は

彼を覆っていた何物かが壊れた、

もしくは、取り払われたことを知りました。

 

木村さんの発する空気感と言いますか、

エネルギーと言いますか。

そういったものがグワッと私に向かってきました。

 

それはとても心地良いものでした。

 

と、次の瞬間、

木村さんは、フッと肩の力を抜きました。

 

彼は、微笑みました。

 

そして言ったのです。

 

「なるほど。弓江の言う通りです。

弓江さん、君はやっぱり凄いよ。

君の凄さが今、ようやくわかったよ。」

 

弓江さんは、目を白黒させました。

 

「たけうちさん、

私はどうやら間違っていたようです。」

 

そう言って彼は

びっくりするような素敵な笑顔を見せました。

 

あぁ、本当の木村さんが開放されたな、と

私は直観しました。

 

つづく

 

覚悟を持たなければ本来の自分は取り戻せない

木村さんには仕事に対する信念が

ありました。

「仕事とは、自分を演ずることである」と。

 

しかしそれは自己防衛のための信念であったと

彼本人が認めました。

(→前回記事)

 

彼は自分の中の最も見たくなかった自分、

醜いと思っていた自分をあるがままに

見つめることができました。

 

私は心の中で拍手を送っていました。

 

しかし私はここで彼への厳しい問いを

終えるわけにはいきませんでした。

なぜなら、

彼の真本音が、次の問いを望んでいたからです。

 

それは非常に重要な問いでした。

 

「木村さん、

自分を変えたいですか?」

 

「・・・はい。」

 

「そのためには、これまでの自分を

自ら壊さなければなりません。

これまでの自分を壊しますか?」

 

ここで木村さんは止まりました。

 

しばらく、無言でした。

 

そして、呟きました。

 

「・・・怖いです」と。

 

自然な反応です。

 

これまでの自分を壊す、とは、

本人にとってみれば、自分のすべてを壊すのと

同じこと。

あとは何も残らないのではないか、とか

自分が自分でなくなってしまうのではないか、

という恐怖感が襲います。

 

私は無言のまま、彼の次の発言を

待ちました。

こういった時は、何の言葉かけも意味を成しません。

ここは、

自分で決めなければならないところです。

 

例えばもしここで木村さんが、

「これまでの自分を壊すことはできません」

「その勇気は出ません」

と言われれば、私は無理強いはしません。

 

人には、できることとできないことがあるのです。

耐えられることと、耐えられないことが

あるのです。

 

ここまで真本音コミュニケーションを続けてきた上での

その答えであれば、

「今は本当に無理」

ということになります。

 

であれば、もっとソフトな別の方策を考える必要があります。

しかしこの時、木村さんは次のように答えました。

 

「怖いけど、・・・壊します。

今壊さないと、一生後悔しそうです。」

 

これは紛れもなく木村さんの真本音の言葉。

 

私はまたもや心の中で

彼に拍手を送りました。

 

「たけうちさん、どうすれば壊すことができますか?」

 

「壊すというのは、今ここでそれをしても

何の意味もありません。

日常の日々の中で壊していくのです。

自らの意志で壊していくのです。

毎日毎日、少しずつ。」

 

私がそう伝えると、彼は目を閉じました。

そして、

 

「わかりました。壊します。」

 

と力強く答えました。

 

ここまで宣言されたら、もう8割方大丈夫です。

彼の覚悟を感じた上で、私はお伝えしました。

 

「壊す、と言っても、実はこれまでの

パターンを壊すだけのことです。

もっと言えば、これまでの心と行動のクセを

直すだけのことなんです。

今の木村さんの覚悟があれば、必ずできるでしょう。」

 

木村さんの目が爛々と輝いてきました。

 

「やり方をお伝えする前に

木村さんに明確にしてほしいことがあります。

演じる木村さんではなく、本来の木村さんとは

どのような木村さんですか?

それを一言で表現できますか?」

 

この問いは、真本音度合いが高まっているからこそ

有効です。

高まっていない状態で問うても、

本当の答えは決して見つかりません。

 

木村さんからは

即座に答えが返ってきました。

 

「“素直に生きる自分”です。」

 

良い答えです。

しかし、まだまだ中途半端な感覚がしました。

 

「いい感じですが、もっともっと

本当の木村さんの想いを自由に表現できませんか?

もっと木村さんらしい言葉があるはずです。」

 

木村さんはジーッと目を閉じました。

 

そして、パッと目を見開きました。

 

「すごく変な表現が浮かんだんですが、

よいのでしょうか?」

 

「大丈夫ですよ。何ですか?」

 

「“生まれたばかりの無邪気”という言葉が

浮かびました。」

 

これを聴いた瞬間に、私は体の芯が

ゾワゾワっと痺れる感覚がしました。

 

その感覚はとてつもなく強く、

しばらく抜けることはありませんでした。

 

恐らく相当に心の深いところから掘り出された

木村さんの「願い」なのでしょう。

 

今度は、私の目に涙が溜まっているのが

自分でわかりました。

 

「それはどんな意味なのでしょうね?」

と私が問うと、

 

「自分で言いながら、自分でもよく

わかりません。

でもその言葉を思うと、心がすごく

洗われます。

スーッと楽になります。

なんかとても自由です。」

 

「じゃあ木村さん、

まずはその言葉をいつも思い浮かべていて

ください。

それはできますか?」

 

「はい、できるも何も、こんな気持ちのいい言葉なら

24時間想い続けますよ。」

 

「では、これまでの自分の壊し方は

あえてここではご説明しません。

いつもその言葉を思い浮かべながら日常生活を

送ってみてください。

そこで自分が何を感じ、どう変化するのかを

観察してみてください。

まずはそこから始めましょう。」

 

つづく

 

自分は本当に気持ち悪かったなぁ

平井さんは人生で初めて、

自分の中に「中心軸」が生まれたのを

感じたそうです。

(→前回記事)

 

それはとても気持ちのよいものでした。

 

恐らく、私が真本音というものを「海」のような存在として

実感したのと同様の感覚だったと思います。

 

実を言うと、

「中心軸」は最初からそこにあるものです。

 

真本音とは

最初からそこにあるのです。

というよりも、それこそが「本来の自分」であり、

それ以外の自分は極端に言えば

「幻想の自分」と表現してもよいくらいです。

 

人は「本来の自分」の存在を感じ取ることで、

まるで酩酊状態から覚めたような感覚を得ます。

シラフに戻った感覚。

我に返った感覚です。

 

その状態を「覚悟」と言います。

 

「覚悟」とは、

我に返った自分が、

・自分の為すべきこと

・自分の為すべき役割

・自分が本当にしようと思っていること

に向かおうと決めることで現れる

私達人間にとっては実に自然な状態です。

 

「自然体」と言ってもよいでしょう。

 

平井さんはその状態に入りました。

 

中心軸を思い出し、自然体に戻り、

覚悟を持った平井さんは初めて、

これまでの自分にいかに中心軸がなく、

不自然で、覚悟のない状態のまま

闇雲に生きていたか、を思い知ることになりました。

 

「これまでの自分が気持ち悪い」

と言い出したのはここからです。

 

「以前の自分は寄生虫でした」

と表現したのもここからでした。

 

本来の状態に戻って初めて、

自分が「普通でなかったこと」や

「気持ち悪い状態で生きていたこと」に気づいたのですね。

 

そして人は、

気持ち悪い状態には戻りたくない生き物です。

 

ですので平井さんは、

覚悟を持つのが当たり前の状態として

進むことができるでしょう。

 

もちろん、「ぶり返し」というのはあります。

つまりは以前の自分の状態に戻ってしまうことです。

 

平井さんも実際に、その後に、ぶり返しを

何度も経験されました。

 

しかし一度でも本当に覚悟を持った人間は必ず

そこに戻ることができます。

しかも、ぶり返しを経験すればするほど、

どのような状態になってもすぐに本来の状態に戻れる、

そんな力が養われます。

 

そうして平井さんは

人として本来持っている「自分の人生を生きる力」を

開花させていきました。

 

覚悟を持った平井さんが実際にされたこと。

まず平井さんは自分なりの経営計画を

創られました。

それを社長に提出し、社長と何度も話し合いを重ね、

それが承認されると、

次に彼が行なったのは社員面談でした。

 

彼は、「社員を主役にするリーダーシップ」を発揮したい

という真本音の願いを持っていました。

それを実現するためです。

 

それまでの平井さんは、

社員さん達の声をじっくりと聴くことは

ほとんどして来ませんでした。

社員面談自体は何度もされたそうですが、

それは「声を聴いたふりをしている面談」だったそうです。

 

「私にも真本音があったのと同様に、

社員にも真本音があるはずです。

私はそれを知りたい。

皆の真本音を尊重し、真本音の願いが共鳴し合う

会社にしたいのです」

というのが平井さんの目的でした。

その結果として必然的に経営計画を達成したいのだと。

 

とにかく平井さんは社員さん達と

向き合って向き合って向き合い続けました。

 

「向き合うのが本当に楽しいです」というのが

平井さんの口癖になりました。

 

で、この時になって平井さんは

平井さん本来の「味」を醸し出していたのです。

 

平井さんのお話をなぜ書かせていただいているか?

それは、私達人間の持つ「本来の味」について

お伝えしたかったのが、このブログの平井さんストーリーの

スタートでした。

 

人は、どうすれば

本来の味を醸し出すことができるのか?

 

その答えは、

「覚悟」であり「中心軸」であり「自然体」です。

 

そしてそれらは、

「覚悟を持たなきゃ」でも「中心軸を持たなきゃ」でも

「自然体にならなきゃ」でも

実現できません。

 

自分自身の真本音に素直に行動することで、

自然にもたらされるものです。

 

本当に覚悟を持っている人は、

「私には覚悟がある」

などとは表現しません。

それはあまりにも自然な状態だからです。

 

そういった人は、

その人本来の味を醸し出し、

それがその人ならでは魅力として

周りには映ります。

 

それは言葉では表現できないような

感覚としての魅力です。

 

なんかこの人と一緒にいたいな。

この人と一緒に仕事していると幸せだな。

この人とこれからもずっと一緒にがんばりたいな。

 

そんな気持ちを自然に湧き立たせてくれる

魅力です。

 

そういった人が

組織や社会に溢れるといいなぁ、と

私は心から思います。

 

つづく

 

自分の口から驚くべき一言が

平井さんにとって、

社長と向き合うことがいかに怖いことか?は

同じような経験をした者として

非常に理解できます。

 

しかしその怖さを乗り越えて、

いえ、正確には、怖さすらそのまま抱きながら、

彼は社長のもとに向かいました。

(→前回記事)

 

以下は、後に平井さんと社長のお二方から

お聴きした内容です。

 

それまでの平井さんは、社長とお話をする場合は必ず、

事前にメールにてアポイントを取っていたそうです。

それは、平井さんの社長への気遣いだったのですが、

この時は違いました。

彼はいきなり社長のもとを訪れ、

「今から、ぜひお時間いただけませんか?」と

お願いしたそうです。

 

後に社長にこの時のお話を聴くと、

これまで見たことのない迫力で、

平井さんが迫ってきたそうです。

その顔を見た瞬間、これは只事ではない、と直観し、

時間を取ることを決めたそうです。

 

実はこれは後でわかったことですが、

この時、社長に予定が入っていなかったというのは

平井さんの勘違いで、

社長には別のアポが入っていたそうです。

ところが、社長はそのアポをリスケして、

平井さんとの面談を選んだそうです。

アポのリスケは、社長が最も嫌うことの一つでした。

大変、珍しいことです。

 

でもそれをさせるくらいに、

平井さんの迫力が凄かったのでしょう。

 

とはいえ、平井さんは社長と向き合い、

そこで自分が何を喋るのか、まったく自分でも

わかっていませんでした。

ただ、「今、向き合わなければ」という確信のみが

あったそうです。

 

誰もいない会議室で

お二人は向き合いました。

社長はただ黙って、

平井さんが喋るのを待っていたそうです。

 

実は私はすでに平井さんに

真本音コミュニケーションをやり方をお伝えして

ありました。

相手に意識を乗せ、相手に委ねることで

それは自然に成されることを。

ただしそのためには、平井さんご自身が

真本音状態でなければなりません。

 

平井さんはとにかく必死に

社長に意識を向けたそうです。

社長のお顔をじっと見つめたその瞬間、彼は

自分は社長の顔を初めてあるがままに見たのではないか、

と思ったそうです。

 

と、次の瞬間、平井さんは自分の口から

驚くべき一言が出されたのを聴きました。

 

「社長、私はこの会社の社長になりたい!」

 

これは、そう告げた平井さんご自身が

本当にびっくりされたそうです。

俺は一体、何を言ってるんだ?と困惑し、

慌てて訂正をしようとさえ思ったそうです。

 

ところが。

 

その後、湯水のように平井さん口から

言葉が溢れたそうです。

それはまるで他人が自分に乗り移り、

自分の体が乗っ取られたような感覚だったそうです。

 

しかし、それこそが平井さんの本心。

本当の平井さんの発する言葉達でした。

真本音の言葉達でした。

 

「社長、私はこの会社の社長になりたい!

でも、これまでの私ではなれません。

これまでは、私は自分をずっと偽り続けてきました。

社長をも偽り続けてきました。

自分の本心とは違うところで、社長に評価されるためだけに

私はやってきたんです。

これを見てください。」

 

と言って、彼はなんと、社長への罵詈雑言を綴った

パソコンの中身をそのまま社長にお見せしたのです。

 

後からこのお話を聴いて、

さすがの私も冷や汗が出ました。

これはまったくの想定外。

でもやはりこれも平井さんの真本音の行動でした。

 

社長は黙って、その罵詈雑言達をしっかりとすべて

読まれたそうです。

 

「社長、これが私の真実です。

私はこの気持ち達をずっと自分の中に抑えて

仕事をしてきました。

酷い人間でした。

でもこれらの気持ちを解放したら、

初めて、私はこの会社を本当に愛していることに、

社員達を本当に愛していることに気づきました。」

 

その後も平井さんの想いは

溢れ続けたそうです。

 

これまで平井さんが、ご自分の想いをこのように

躊躇なく口に出したのは初めてのようです。

これまではどちらかと言えば、不言実行タイプ。

決めたことは着実に実行されてきた人なので、

逆に、これらの想いには説得力がありました。

 

後に社長は、

「正直、あのパソコンの中身を見せられた時は

ギョッとしました。

コイツは病気ではないか、と思ったくらいです。

でも、長年の彼の行動を私は見てきました。

あれだけ会社に尽くしてくれた彼だからこそ、

私はしっかりと彼の話を最後まで聴こうと

その時、思いました。」

 

そして、

「彼の想いを初めてあれだけたくさん聴いたと

思います。

単純に嬉しかったですよ。

一言一言が胸に響きました。

だからこそ私はあの時、彼に厳しく言うことができました。」

 

平井さんの想いの数々を聴いた後で、

その時、社長は次のように告げられたそうです。

 

「君の気持ちはわかった。

では、その気持ちを行動と成果で見せてくれ。

その気持ちに見合う成果が生まれれば、

君はこの会社の社長になれるだろう。

しかしそうでなければ、君に社長の資格はない。

君の気持ちを聴くのは、今日限りにしよう。

これからは、成果ですべてを示してほしい。」

 

その瞬間でした。

 

「私の中にシュッと一つの中心軸が

通った気がしたんです。

自分の頭のてっぺんからつま先まで、

まっすぐな筋が通った感じがしました。

あぁこれが、覚悟を持った状態なんだと

思いましたね。」

 

その次の日からの平井さんは

ありとあらゆる行動が変わったそうです。

 

彼の新しい人生が

始まったのです。

 

つづく