予測できん

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まったく予期せぬ

方向から

風が来る。

 

生きるとは

そういうことだと

思う。

 

予期できるように

なることが

人としての成長である、

 

思い込んだ

こともあるが、

 

それはまったく

違った。

 

その事実を受け入れる

ことで

私の人生は

変わった。

 

楽しくなった。

 

真本音の度合いが

どれだけ

高まっても、

 

意識の次元が

どれだけ

高まっても、

 

風は思わぬ方向から

私を驚かす。

 

むしろ、

経験を積めば

積むほど、

 

風の難易度が

高まっている。

 

それがまた

楽しい。

 

予測がつくから

進める、

だから予測のできる

自分になる、

というのは、

 

同じ場所に

居続ける生き方

だ。

 

それでは

人生の意味は

ない。

 

どれだけ

想定外の風に

見舞われても、

 

その風

そのものを

味わいながら、

 

楽しく進む。

 

楽しく進む、

というよりも

その方が断然

楽しい。

 

だから

真本音の度合いが

高まれば高まるほど、

私は

未来を予測しなく

なった。

 

今のみに

集中する。

 

その結果、

「今」とは

「永遠」なんだ、と

 

わかった。

 

そして

結果として、

未来が見通せる瞬間が

増えた。

 

「見通せる」

とは

「予測」

ではない。

 

具体的に何かが

わかるのとも

違う。

 

ただ、

「何か」が

わかるのだ。

 

とてつもなく

重要な「何か」が。

 

それは

言葉にならない。

私の場合は特に。

 

しかし

その「何か」が

見通せるために、

 

「今」ここにおける

判断が

とても明確に

わかる。

 

この一歩を

どう進めば良いのか?

わかる。

理屈でなく。

 

そしてそれをすると

さらに

予測不可能と

なる。

 

私の範疇を

「すべて」が

超えていく。

 

それがまた

実に楽しい。

 

風を

楽しもう。

 

風とは

予測できない

もの。

それが摂理。

 

風を

楽しもう。

 

それが人生だ。

 

つづく

 

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