予測

予測できん

 

まったく予期せぬ

方向から

風が来る。

 

生きるとは

そういうことだと

思う。

 

予期できるように

なることが

人としての成長である、

 

思い込んだ

こともあるが、

 

それはまったく

違った。

 

その事実を受け入れる

ことで

私の人生は

変わった。

 

楽しくなった。

 

真本音の度合いが

どれだけ

高まっても、

 

意識の次元が

どれだけ

高まっても、

 

風は思わぬ方向から

私を驚かす。

 

むしろ、

経験を積めば

積むほど、

 

風の難易度が

高まっている。

 

それがまた

楽しい。

 

予測がつくから

進める、

だから予測のできる

自分になる、

というのは、

 

同じ場所に

居続ける生き方

だ。

 

それでは

人生の意味は

ない。

 

どれだけ

想定外の風に

見舞われても、

 

その風

そのものを

味わいながら、

 

楽しく進む。

 

楽しく進む、

というよりも

その方が断然

楽しい。

 

だから

真本音の度合いが

高まれば高まるほど、

私は

未来を予測しなく

なった。

 

今のみに

集中する。

 

その結果、

「今」とは

「永遠」なんだ、と

 

わかった。

 

そして

結果として、

未来が見通せる瞬間が

増えた。

 

「見通せる」

とは

「予測」

ではない。

 

具体的に何かが

わかるのとも

違う。

 

ただ、

「何か」が

わかるのだ。

 

とてつもなく

重要な「何か」が。

 

それは

言葉にならない。

私の場合は特に。

 

しかし

その「何か」が

見通せるために、

 

「今」ここにおける

判断が

とても明確に

わかる。

 

この一歩を

どう進めば良いのか?

わかる。

理屈でなく。

 

そしてそれをすると

さらに

予測不可能と

なる。

 

私の範疇を

「すべて」が

超えていく。

 

それがまた

実に楽しい。

 

風を

楽しもう。

 

風とは

予測できない

もの。

それが摂理。

 

風を

楽しもう。

 

それが人生だ。

 

つづく

 

予測がつかない

 

今のこの状況を機に、

自分自身を

大きく逸脱しよう、

決心している人が

増えている。

 

私のクライアントさん

なんかは

特にその傾向が強く、

 

この4月で

私がびっくりするような

根本的な変化を

すでに遂げている。

 

まるで

これまでの歩みの

すべてが、

今回の逸脱のための

準備運動で

あったかのように。

 

そういった様を

拝見していると、

 

ある意味、

 

私は

人間というものの

言い様のない

まるで、畏れとも言いたく

なるような

 

そんな神秘性を

感じるのだ。

 

・・・・・・

 

人は進化するものだ、

ずっと言い続けてきたが、

 

実は今ほど

それを強く実感する

ことはなかった。

 

そして恐らく

この実感は、

これからが更なる

本番を迎えるような

感覚がある。

 

もちろんそれは

私からすれば

「希望」である。

 

しかも

人の進化は

予測がつかない。

 

いや、本当は

実在のレベルでは

すべてをわかって

いるのだろうが、

 

顕在意識である

私達には

「予測がつかない」

という状態と感覚が

価値のあることなのだろう。

 

私は今、確かに

その「予測のつかなさ」を

楽しんでいる。

 

・・・・・・

 

私は今、

果てしないくらいの

大広間にいる。

 

そこには

果てしないくらいの

大勢の人々が

ひしめき合っている。

 

しかし

私からはその姿は

見えない。

存在のみが

わかる。

 

人々と私は

一人ずつ丁寧に

握手を交わしている。

 

その部屋は

異様なくらいに

明るく、

私の気持ちも晴れ晴れ

している。

 

丁寧に丁寧に

握手を交わしながら、

私は

一人ひとりの想いと

願いを

 

ダイレクトに

ありのままに

 

感じ取っている。

 

にも関わらず、

私は今

ここに一人でいる。

 

その、

実在と現象の間で

 

私は

私自身の「予測のつかなさ」

楽しんでいる。

 

つづく