分身することがある

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実在の
レベルで、

自分が
分離する
ことがある。

分身、
と言えば
よいか。

何体もの
私が
発生する。

そして
拡散する。

様々な場所に
散っていく。

そうした
場合、

ここにいる
現象の私は
極度に
集中力が
下がってしまう。

場合によっては
ボーッとして
身に危険が
及ぶこともある。

なので
こういう時は
安全な場所に
座ったりする。

人と
コミュニケーションを
とっている最中に
こうなることも
あるので、

その場合は
さりげなく
コミュニケーションの
輪から
外れる。

見守る風な
状態となるのだが、
実は
見守っても
いない。

ただそこに
ボーッと
しているだけだ。

実はこれ、
私の
二人の息子も
時々、
同じ状態になる。

次男など、
子ども園で
長くその状態に
入ってしまい、

園の先生方が
心配されて
早退して
帰ってきたことも
ある。

心ここに
あらず
状態。

私は昔から
よく
そうなっていた。

今は
実在の様子が
わかるので、
理由がわかって
いるが、
昔は、私は
すぐにボーッとなる
私自身が
本当に嫌いだった。

さて、

分身し、
分散された
実在の私(達)は
何をしているか?
と言えば、

その時その時で
状況は異なる
のだが、

多くの場合は、

同時に
様々な人達の
実在の状態を
感じとり、

そこで
同時に
何が起きているか?


掴もうと
している場合が
多い。

大体、
こういう時だ。

例えば、
あぁ、
この企業は
今、まさに
実在のレベルで
大きく
変貌しようと
しているのだな、と
わかるのは。

これは
千載一遇の
チャンス。

分身分散
していた
実在の私(達)が
様々な情報を
持ち帰ってくる。

とはいえ、
具体的なことは
現象の私には
わからない。

わかるのは
「千載一遇の
チャンスだ!」
という
強烈な感覚と、

その直後に
浮上する

強烈な
直観だ。

その直観
とは、

今、
私は
何をすれば
良いか?

という
ことだ、
多くの場合。

例えば、
今、私は
ここで、
誰と会い、
その人に
何を
問いかけ、
何を
メッセージすれば
良いか?
というような
ことだ。

私は
確信の感覚のみ
を持ちながら、

しかし
思考レベルでは
何もわからない
まま、

自信はない
のに
確信いっぱいの
眼差しで、

その行動を
そのまま
実行する。

すると、
当の私自身が
びっくりするような
展開が
起こっていく。

これが
いつも私が
行なっていること。

実在と現象、
両方の
現実を大切にした
私なりの
サポートだ。

つづく

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