愚かでもいいじゃないか

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すべての人の中に

愚かさはあります。

 

自分の愚かさを

一番わかっているのは

自分自身だと

言えるでしょう。

 

しかし、

愚かさが限度を超えてしまうと

私達は

自分の愚かさに

フタをします。

 

愚かさに

向き合えなく

なるのです。

 

自分は愚かではない。

自分は愚かではない。

自分は間違ってはいない。

自分は間違ってはいない。

自分は精一杯やっている。

自分は精一杯やっている。

・・・・

 

必死に自分に

言い聞かせるようになります。

 

愚かさを見ずに

前向きに

行こうとする。

 

本当のことを言えば、

これこそが最も

愚かなことです。

 

自分の愚かさにフタをして

前向きに生きる人は、

ほんのわずかな成果に

焦点をいつも当て、

ほんのわずかな成果を

クローズアップさせ、

そこで自己満足します。

 

その成果の影で、

いったいどれだけの人に

迷惑をかけているか、

いったいどれだけ多くの

悪影響を

周りに与え続けているか、

には

まったく目を向けません。

 

残念ながら、

そういう人からは

周りの人の心は離れていきます。

 

しかし誰もその人に

「あなたは愚かだよ」

とは言ってはくれません。

なぜなら、

何を言ってもこの人には

届かないだろう、と

皆、あきらめているからです。

 

孤立無援。

 

愚かさにフタをして

前向きに生きている

つもりになっている人を見ると

私はいつも

この言葉が浮かびます。

 

私達の真本音(魂)は、

自分の愚かさを

責めることは

いっさいありません。

 

「愚かだから自分は

ダメな人間だ」

と自分を評価することも

いっさいありません。

 

真本音(魂)は

ただただ、

あらゆる自分を

見つめ続けます。

 

あるがままの自分を

見つめ続けます。

 

時々、次のような

お声をいただきます。

 

「真本音を大事に

生き始めたら、

自分の愚かさが

どんどんクローズアップされて

苦しくなった」

と。

 

恐らくその人は、

自分の愚かさに

フタをしていたのでしょう。

 

しかし真本音で

生きるようになって、

心の安定度合いが

一気に高まったのでしょう。

 

心が安定したことで、

愚かさと向き合おうと、

無意識に決意を

されたのでしょう。

 

そして、

フタを取り払った

のでしょう。

 

フタの奥から溢れる

愚かさの数々。

 

フタをする度合いが

高ければ高いほど、

その苦しみは

大きくなります。

 

しかし、

これまではただ

フタをしていただけであって

本当はその人は

その苦しみと共に

ずっと生き続けていたはずです。

 

つまり、

麻痺していた苦しみが

顕在化しただけのこと。

 

ですが、

顕在化することで、

すべての苦しみは

徐々に浄化されていきます。

 

自らの愚かさと

向き合う人を私はいつも

「美しいな」

と感動してみています。

 

自らの愚かさと

向き合う人は

自分以外の人々の

愚かさとも

向き合うことができ、

自分以外の人々の愚かさを

許すことができます。

 

人の大きさとは、

自分自身の愚かさと

向き合った度合いで

決まるのではないか、と

私はよく思います。

 

人は

愚かなもの。

 

愚かな部分を

持っているもの。

 

でも、人は

それだけではありません。

 

様々なものを

持つのが

私達人間です。

 

性善説とか性悪説とか

そういったものを超えて、

あらゆるものを

包含できるのが

人としての尊厳であり

人としての凄みです。

 

人は皆、

大きいのです。

 

本当は。

 

でも、

本当は大きいはずの自分を

小さくしてしまうのが、

自分の愚かさを認めないこと、

自分の愚かさにフタをすること、

自分の愚かさから逃げること、

です。

 

人は

小さくなってしまうと

自分自身の真本音すら

信じられなくなります。

 

そして、

愚かさにフタをするのと

同じように、

真本音にも

フタをしてしまいます。

 

真本音は

そのような自分に対しても

抗うことはしません。

 

フタをされたままの状態で、

再びフタを開けてもらえるのを

ただただ

じっと待っています。

 

愚かでも

いいじゃないですか。

 

ダメダメな自分でも

いいじゃないですか。

 

私達が持っている

最大の力の一つは

「向き合う力」

です。

 

あるがままの自分と

しっかりと

向き合ってほしいな、と

私はいつも切に

祈っています。

 

つづく

 

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