手放した執着を自覚しよう

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この一両日中に

大きく脱皮した人は

多いのではないか。

 

独特の

空気感が

伝わってくる。

 

だからあえて

書かせてもらうのだが、

 

自分の脱皮は

自分でしっかりと

認識し、

 

新たな自分に

なれたことを

自覚した方がいい。

 

脱皮前の自分と

同じ判断

同じ選択

同じ行動

をしていてはもったいない。

 

自分の中の

余分なもの(皮)を

脱ぎ捨てたのだから、

 

思い切って

これまでにない

自由な心で

物事を進めるといい。

 

・・・・・・

 

脱皮した人が

脱ぎ捨てた「古い皮」は、

 

多くの場合

何かに対する「執着」

だ。

 

私達の自由を阻害する

最も代表的なものが

「執着」。

 

執着とは

別の言葉にすれば

「依存」

とも言える。

 

それがなければ

生きていけない。

 

それがなければ

進んでいけない。

 

それがなければ

自分ではいられない。

 

と言ったような

もの。

 

ある意味の

「中毒」

とも言えるし、

「寄生」

とも言える。

 

そうそう、

 

今日のコーチングでも

少し話題になったのだが、

 

自分自身の

使命とか、

夢とか、

願いとか、

 

そういったものにすら

執着してしまう

人がいる。

 

この使命を

果たさなければ、

私は私で

なくなってしまう。

 

・・・というのは、

依存であり執着だ。

 

さらに、

 

この使命に向かうからこそ

私は素晴らしいのだ。

 

とか、

 

使命を持っている私は

持っていない人よりも

優れているのだ。

 

とか、

 

そういったものも

執着であり依存である。

 

使命や夢や

願いとは、

そういったものでは

ない。

 

別に

使命があっても

なくても、

どっちでもいいじゃない。

どちらにしても

私は、私自身が存在している

そのことだけで

価値がある。

 

と、真に思えている人

にこそ、

真の使命や願いは

浮上する。

 

使命がなければ

ダメなんだ、

使命のない自分では

価値がないんだ。

 

というのは、

その人の根底には

無価値感や

虚無感がある。

 

それらがすべて

執着につながる。

 

寄生につながる。

 

自分の使命に

自分が寄生して

どうするんだ、

という話だ。

 

とにかく、・・・

 

そういった余分な

執着を

一つ一つ脱ぎ捨てる

ことで、

 

私達は

より自由になるし、

 

本来の自分に

近づいていく。

 

それが

脱皮だ。

 

・・・・・・

 

自分はひょっとすると

脱皮したかも

しれない。

 

と思う人は、

いつもと同じ

日常生活をする中で、

 

そこにある

いろんなものを

いろんな人を

 

あるがままに

観察してみると

いい。

 

すると、

これまでとは違った

感覚や

発見や

気づきが

あるかもしれない。

 

それが

脱皮の合図だ。

 

環境は

すぐには変わらなくても、

自分自身は

脱皮をしながら

大きく変わっていく。

 

自分自身が

変われば、

それが結果として

環境をより良いものに

変えていく

きっかけとなる。

 

そのきっかけ創りを

楽しむといい。

 

つづく

 

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