脱皮

もうすぐ完了だ

 

自分の中に

 

「花が咲いた」

 

ことを自覚しよう。

 

あなたはここしばらく

だいぶ

苦しんだはずだ。

 

ひょっとすると

これまでの人生で

最大ともいえるくらい

不安定に陥った

かもしれない。

 

絶望や虚無や

虚しさや、

 

エネルギーがゼロに

なったり

 

すべてに意味を

見出せなく

なったり。

 

その多くは

あなた自身が

自らにもたらしたもの

だ。

 

自分の

脱皮のために。

 

だいぶ

苦しかったろうな。

 

でも、

あなたの今回の

その大きな脱皮は

 

もうすぐ完了

しようとしている。

 

しっかり完了させる

ためには、

 

今回の脱皮によって

あなたの中に

何が芽生え、

 

そして

どんな花が咲こうと

しているのか?

 

もしくは、

どんな花がすでに

咲いたのか?

 

それをあるがままに

見つめることだ。

 

ひょっとすると

それは

まだほんの小さな

芽かもしれない。

 

しかしその芽は

今後のあなたの人生を

大きく変える。

 

それくらいの

インパクトを持った

芽だ。

 

あなたの宝物に

育つ芽だ。

 

しっかりと

見つめよう。

 

「この2週間で、

私は何が変わった?」

 

そう

問いかけ続けよう。

 

ほんのわずかな

変化が

 

あなたの芽の

ヒントだ。

 

つづく

 

手放した執着を自覚しよう

 

この一両日中に

大きく脱皮した人は

多いのではないか。

 

独特の

空気感が

伝わってくる。

 

だからあえて

書かせてもらうのだが、

 

自分の脱皮は

自分でしっかりと

認識し、

 

新たな自分に

なれたことを

自覚した方がいい。

 

脱皮前の自分と

同じ判断

同じ選択

同じ行動

をしていてはもったいない。

 

自分の中の

余分なもの(皮)を

脱ぎ捨てたのだから、

 

思い切って

これまでにない

自由な心で

物事を進めるといい。

 

・・・・・・

 

脱皮した人が

脱ぎ捨てた「古い皮」は、

 

多くの場合

何かに対する「執着」

だ。

 

私達の自由を阻害する

最も代表的なものが

「執着」。

 

執着とは

別の言葉にすれば

「依存」

とも言える。

 

それがなければ

生きていけない。

 

それがなければ

進んでいけない。

 

それがなければ

自分ではいられない。

 

と言ったような

もの。

 

ある意味の

「中毒」

とも言えるし、

「寄生」

とも言える。

 

そうそう、

 

今日のコーチングでも

少し話題になったのだが、

 

自分自身の

使命とか、

夢とか、

願いとか、

 

そういったものにすら

執着してしまう

人がいる。

 

この使命を

果たさなければ、

私は私で

なくなってしまう。

 

・・・というのは、

依存であり執着だ。

 

さらに、

 

この使命に向かうからこそ

私は素晴らしいのだ。

 

とか、

 

使命を持っている私は

持っていない人よりも

優れているのだ。

 

とか、

 

そういったものも

執着であり依存である。

 

使命や夢や

願いとは、

そういったものでは

ない。

 

別に

使命があっても

なくても、

どっちでもいいじゃない。

どちらにしても

私は、私自身が存在している

そのことだけで

価値がある。

 

と、真に思えている人

にこそ、

真の使命や願いは

浮上する。

 

使命がなければ

ダメなんだ、

使命のない自分では

価値がないんだ。

 

というのは、

その人の根底には

無価値感や

虚無感がある。

 

それらがすべて

執着につながる。

 

寄生につながる。

 

自分の使命に

自分が寄生して

どうするんだ、

という話だ。

 

とにかく、・・・

 

そういった余分な

執着を

一つ一つ脱ぎ捨てる

ことで、

 

私達は

より自由になるし、

 

本来の自分に

近づいていく。

 

それが

脱皮だ。

 

・・・・・・

 

自分はひょっとすると

脱皮したかも

しれない。

 

と思う人は、

いつもと同じ

日常生活をする中で、

 

そこにある

いろんなものを

いろんな人を

 

あるがままに

観察してみると

いい。

 

すると、

これまでとは違った

感覚や

発見や

気づきが

あるかもしれない。

 

それが

脱皮の合図だ。

 

環境は

すぐには変わらなくても、

自分自身は

脱皮をしながら

大きく変わっていく。

 

自分自身が

変われば、

それが結果として

環境をより良いものに

変えていく

きっかけとなる。

 

そのきっかけ創りを

楽しむといい。

 

つづく

 

すべてをあきらめよ

 

昔、

山に登っていた頃、

山の上で台風に遭うと、

それはそれはもう

ひどいことになった。

 

しかし、

台風は

あらゆるものを

吹き飛ばし、

さらって行く。

 

だから

台風が去った後は、

霞も塵もすべてが

なくなってしまったような

超純粋な濃い

青空となった。

 

台風は本当に

大変なのだが、

それくらいの

大きなものが来ないと

ここまでの純粋性は

実現できないのではないか、

よく思った。

 

人の心も

よく似ている。

 

心の中にも

台風が起こる。

 

それは私の表現で

言えば、

「脱皮」とか

「羽化」とか

そういった逸脱した

成長の手前で起こる。

 

本人にとっては

たまったもんじゃない。

 

立っているだけで

やっとの状態。

 

あらゆる余裕も

ゆとりもなくなり、

自分を失う。

 

人によっては

人生そのものを

捨てたくなることも

ある。

 

それくらいの

状況を経て初めて

たどり着ける場所が

ある。

 

・・・・・・

 

心の中に

台風が起きた時は、

 

できれば

その台風に

身を任せてしまって

ほしい。

 

間違っても

台風を無くそう

としてはならない。

 

もしくは、

台風がそこにあるのに

「ないのだ」と

必死に自分に

言い聞かせたり。

 

そういった「抵抗」は

してはならない。

 

それをしても

良いことは

一つもない。

 

せっかくの

「脱皮」や「羽化」が

成されなくなる。

 

台風の意味が

なくなってしまう。

 

心の中に台風が

起こるということは、

 

それだけのことが

起きても大丈夫な

自分になれた

ということ。

 

だからそんな自分を

信じて、

どれだけ不安定に

なっても

どれだけ自分を

失っても

どれだけ絶望に

落ちても、

 

ただただ

身を任せてほしい。

 

・・・・・・

 

この7月から8月に

かけて、

「脱皮」や「羽化」を

行なっている人が

多い。

 

ところが

それらの人達は今、

二つに分かれている。

 

「台風」に身を任せ、

すでに「脱皮」「羽化」を

完了させた人と、

 

「台風」に抵抗し続ける

ことで

未完了のままの人。

 

未完了の人はきっと

あまりに

苦しいだろう、今。

 

だからと言って

「台風」から逃げたり

抵抗してはならない。

 

あきらめて

ほしいのだ。

 

すべてを

あきらめれば

いい。

 

すべてを。

 

つづく

 

対処法は、ないんだ

 

うーむ。

 

脱皮が

始まるな。

 

そこかしこに

脱皮の

空気感が

漂っている。

 

人もそう。

 

組織も

そう。

 

脱皮前の

今のこの時期を

いかに過ごすか?

とてつもなく

大事だ。

 

・・・・・・

 

脱皮の直前は

極めて

不安定になる。

 

しかも

その不安定さは

耐えられる

ものではない。

 

足元から

地面が

崩れ落ちる

かのよう。

 

すべてに対して、

不安になる。

 

恐怖は湧くし、

苛立ちも

高まるし、

 

悲しくもなる。

 

そして、

絶望感。

 

何をどうしても

結局は

何も上手くいかない

のではないか、

 

という心に

常に

苛まれる。

 

これまで

がんばって

続けてきたことにも

意義が

見出せなくなる。

 

すべてを

ストップ

させたくなる。

 

すべてを

投げ出したく

なる。

 

すべてから

逃げ出したく

なる。

 

これが

脱皮前の

兆候だ。

 

大きな脱皮で

あればあるほど、

この傾向は

強くなる。

 

そして中には

本当に

逃げ出して

しまう人も

いる。

 

・・・・・・

 

対処法は、

 

・・・ない。

 

今は

じっと

耐えるしか

ない。

 

もちろん

逃げても

いけない。

 

脱皮とは

古い皮を

脱ぎ捨てること。

 

それは

当の本人から

してみれば、

 

自分のすべてを

脱ぎ捨てるに

等しい感覚だ。

 

だからこそ

不安定に

なるのだが、

 

ここは

耐えるしか

ない。

 

じっと

一つ一つの

不安定な

心を

見つめるのだ。

 

丁寧に。

 

本当は

見つめるような

余裕はないと

思う。

 

しかし

それでも

「ちゃんとここで

脱皮するために」

という

目的を意識しながら、

 

できるだけ

客観的に

見つめるのだ。

 

ここを

じっと耐えれば、

 

ある瞬間に

突然、

その時は

やって来る。

 

・・・・・・

 

物事の

決断をするのも

今は

やめておこう。

 

すべては

脱皮後に

すればいい。

 

今は、

日々、粛々と

自分の

すべきことを

すべき通りに

 

一つ一つ

今できる最大の

力で

やっていこう。

 

ここを越えることが

できれば

本当に

強くなる。

 

人も

組織も

同じ。

 

脱皮の経験こそが

人を

組織を

強くするんだ。

 

つづく

 

今はゆっくりじっくりと

 

昨日のブログでも

書いたが、

今、本当に

みんなが

「凄い脱皮」

をしようとしている

ようだ。

 

昨日以上に

今日、

さらに強く感じた。

 

私の周りは

とても真剣で

成長意欲の高い人が

多い。

 

だからあえて

申し上げるが、

 

あまり

無茶するな。

 

まぁ、

私が言えた義理では

ないが。

 

しかし

大真面目に

お伝えしよう。

 

無茶をしても

結果として

かなりの遠回りに

なってしまう。

 

無茶をしても

すっ転んで

しまうだけ。

 

脱皮の時期に

すっ転べば、

そのダメージ回復に

数年以上

かかるケースもある。

 

だから、

じれったくても

ここは

ゆっくり

じっくり

と。

 

一歩一歩を

しっかりと。

 

地に足をつけて

現実的に。

 

慎重に。

 

そして

丁寧に。

 

こういう進み方

ができることも、

人をサポートする

力を

大いに高めてくれる。

 

速くも

ゆっくりも

両方のスピードで

進める自分に

なること。

 

新幹線にも

なれるし、

鈍行にも

なれる。

 

あらゆる自分を

自由自在に

選択できること。

 

これこそが

大事。

 

転んでは

ならない時は、

転んでは

ならないのだ。

 

早く

次のステージに

行きたい気持ちは

重々に

わかる。

 

だからこそ今は、

私のこの

アドバイスを

聴いてほしい。

 

ゆっくり

じっくり

と。

 

慎重に。

 

丁寧に。

 

つづく

 

脱皮に委ねよう

 

自分が大事に

していたことや、

 

自分がいつも

こだわっていたこと、

 

そして、

自分が

「これが自分だ」と

「自分ならではだ」と

力を込めてきていたこと。

 

それらが

ある日ある瞬間に、

突然のごとく

どうでもよくなる

ことがある。

 

それが

脱皮の瞬間

だ。

 

突然どうでも

よくなったら、

いっそのことを

それを

脱ぎ捨ててしまえば

いい。

 

勇気が要るかも

しれないが、

脱ぎ捨てて

しまえばいい。

 

すると、

フッと力が

抜ける。

 

最初は

ゼロになってしまった

感覚。

 

すべてを

失ってしまった

感覚になるかも

しれない。

 

無色透明に

なってしまったと

感じるかも

しれない。

 

でも、

それでいい。

 

その後、

奥の奥の方から

わずかずつ

「光」が

観え始めてくる。

 

その光は

徐々に大きくなり、

しだいに

あまりの眩さに

慄然とすることに

なるだろう。

 

それが

自分の全身に

行き渡った時、

 

あぁなるほど、

これが私の

本来のエネルギーだ

わかる。

 

わかれば、

それが「普通」と

なる。

 

そして

「次」に自分が

すべきことや

したいことが

観えてくる。

 

結果として、

それは

これまでとまったく

同じ道かも

しれない。

 

しかし、

一度、ゼロになった上で

その道に戻るのだから、

それはもう

強い。

 

またたとえ、

これまでとは

まったく別の道に

行くとしても、

 

いずれは

どこかで

これまでの道も

生きてくる。

そういった

人生の展開が

あるだろう。

 

ただし

それらを

意図的、思惑的に

考えながら

行なってはならない。

 

すべては

自分に委ねるのだ。

 

自分の「脱皮」に

委ねるのだ。

 

なぜこれを

書いているかと

言えば、

 

またもや

脱皮を迎えている

人や、

 

これから迎えようと

している人が

急増している感覚が

あるからだ。

 

ここ数日で

一気に高まった。

 

また私達は

次のステージに

向かうようだ。

 

つづく

 

今まさに次元を上がろうとしている人へ

以前にも一度、書かせていただきましたが、

次元を一つ上がる、

というのは相当に大変なことです。

 

ですが、

今はそれを成そうという人が

急増しています。

 

次元が一つ上がるというのは、

私がいつも表現している

「脱皮」

というもののの中でも

最大級のものです。

 

その直前にいる人が今、

急増しているのです。

 

次元が上がる直前まで来ますと、

人は、どんな人であっても

極度の不安定になります。

 

すると、

自分の最も弱い部分が

クローズアップされます。

 

例えば、

以前は新しいことにチャレンジしよう

という場面になると

非常に臆病になり、そこから

逃げ出そうとする、

・・・そんなパターンを持っていた人が

自分の努力によって

新たなことにも躊躇なく

チャレンジできる自分創りが

できていたとしましょう。

 

次元を上がる手前に来ると、

その人は、

まるでこれまでの努力が

まったく水の泡ではないか、と

思ってしまうくらいに

臆病になります。

 

新たなことに対するチャレンジ

どころか、

ほんの些細なことに対しても

気弱になり、

少し極端に言えば、

生きることそのものに対しても

気弱になります。

 

いったい自分は

どうしてしまったのだろう?

 

これまで自分で自分を

成長させて来たのに、

これまでのがんばりは、

いったい何だったのだろう?

 

・・・とショックを受けることに

なります。

 

しかし本当は

次元を上がるという

滅多にないような脱皮の手前の

不安定期にいるだけのこと

なのです。

 

それを教えてくれる人が

傍らにいればよいのですが、

ほとんどの人が

わけがわからないままに

もがき苦しみます。

 

私はこの時期こそ、

人が人生において

最もサポートが必要な瞬間であると

思っています。

 

もしこの文章を読んで、

ひょっとして自分は

次元が上がる直前かもしれない、

と思われた方は

以下のことをお勧めします。

 

まず、

自分自身の「中心軸」を

意識します。

 

「中心軸」とは

・おへその奥の体の中心と

・頭のてっぺんの中心を

結んだものです。

 

まずは、自分自身のその「中心軸」

を感じ取ってください。

 

そして、

どれだけ心が不安定に

揺れ動いているとしても、

その「中心軸」には

何ら影響がないことを

自覚してください。

 

「中心軸」はとてもしっかりし、

しかもしなやかで柔軟性もあり、

光り輝いているはずです。

 

まずはその安定感を

自覚してください。

 

そしてそれができたら、

常に「中心軸」に意識を向け、

そここそが自分の立ち位置であることを

自覚し続けてください。

 

すべての現象を

「中心軸」から観察するように

します。

 

特に、自分自身の心の動きを

あるがままに観察してください。

 

心は大揺れに揺れている

と思います。

 

その揺れを止めようとせず、

それをそのままに

しておきます。

そして、

ただ観察のみをします。

 

その揺れは、まるで

終わることのない大嵐のように

感じるかもしれません。

しかし

それでよいのです。

 

心の大揺れ具合を

「中心軸」から観察し続ければ、

だんだんと慣れて来ます。

 

どれだけ揺れていても、

その揺れ自体を

「おぉ、すごいなぁ・・・」

と客観的に映画を観るかのように

少しずつ楽しめるように

なります。

 

そこまでできたら

ほぼ大丈夫です。

 

その状態を日々、

維持してください。

 

次元を一つ上がるまでの時間は

人それぞれです。

 

数日で終わる人もいれば、

数ヶ月かかる人もいます。

 

大事なのは、

今のその状態に抗おうとせずに

ただ「あるがまま」を

観て、感じてください。

 

すべての自分の行動は、

「中心軸」にいる自分で

決めます。

 

それだけであとは、

自然の成り行きに

任せましょう。

 

次元を一つ上がることが

できれば、

それまでの大揺れが

嘘だったかのように、

晴れやかで安定した自分に

なれます。

 

パワーも

見違えるほどに内側から

湧き上がって来ます。

 

パワーは湧いて来ますが、

自分自身は

淡々としています。

 

極めて普通の状態。

 

でも、頭はクリアで、

目に映るすべてのものが

輝いて見えるでしょう。

 

すべてを

愛おしく感じるでしょう。

 

無理に、意図的に、

そういった状態をつくろうとは

しないでください。

 

ちゃんと時が来れば

自然にそうなれます。

 

せっかくなので、

滅多にない「今」を

楽しんでくださいね。

 

つづく

 

たった一人が変わることで、100人が変わることもある

弓江さんに引き続き、木村さんも

無事に脱皮をしました。

(→前回記事)

 

古い皮を脱ぎ捨てた二人は、

今、極めて「普通」の状態で

私の目の前にいます。

 

私はようやく、今回の二人コーチングの

準備が整ったな、と思えました。

 

ここからがようやく「本題」です。

 

今回の二人コーチングの目的は、

半分の人数で再スタートしようとしている

新規事業プロジェクトチームの

組織活性化戦略を見出すことです。

 

今、二人は脱皮しましたが、

これからはこのチームも

脱皮をするはずです。

 

むしろ、脱皮をしなければ先に進めない

とも言えます。

 

木村さんは、

チームの脱皮を果たすためにも

私(たけうち)に、もう一歩深く

チームと関わってほしいと要望されました。

 

では私は実際に

どのような形で何をすればよいか?

を見出そうとしています。

 

「弓江さん、

チームの脱皮のためには、

まずは木村さんと弓江さんの脱皮が必要、

ということでしたが、

今、お二人は無事に脱皮ができました。

次に必要なことは何だと思いますか?」

 

「・・・それがよくわかりません。

今、ご質問を受けて思ったのですが、

私はチームの脱皮というものがどういうことかを

まだイメージできてないのです。

チームの脱皮というのは通常、

どのように成されるのですか?」

 

「チームとは人の集まりです。

ですから、人が脱皮することでチームが

脱皮します。

しかし、チーム員全員が脱皮しなければならない

ということではありません。

どのチームにも必ず、“要”(かなめ)となる人が

います。

“要”とは、影響力の大きな人のことを

言います。

つまり、その人が変わることで、チーム全体が

変わるくらいの影響力を持った人のことです。」

 

「それは、リーダーということですか?」

 

「もちろん、リーダーという可能性もありますが、

この“要”というのは、現実現象レベルというよりも

実在レベルの話です。

ですから、現実の立場云々には捕らわれない

話です。

例えば、100人の組織でも、

リーダー以外のたった一人が大きく変わることで

組織全体が劇的に変わる誘発剤になる、ということも

充分にあり得るのです。

そういった影響力を持つ人が誰か?

を見極めて、その人の大きな変化、つまりは脱皮を

促します。」

 

「その“要”というのは、

私達のチームの場合、木村と私(弓江)以外の

メンバーの中にもいる可能性がある

ということですね?」

 

「そうです。

ここにいるお二人以外にも“要”となる人が

いると思います。

その人を見つけることは重要です。」

 

ここで木村さんが口を開きました。

 

「私達のチームは、人数が半分になり、

今は我々二人を入れても6名となりました。

こんな少人数でも、“要”と言われる人が

いるのでしょうか?」

 

「はい、います、きっと。

もちろん人数が少ないので、全員が“要”である、

という見方もできます。

しかし実際にそうであったとしても、

それでも、“要の中の要”という人はいるはずです。

まずはその人に強烈な刺激を入れることで

チームの脱皮は非常に楽になります。」

 

「チームが脱皮すると

どうなるのでしょうか?」

 

「個人の脱皮と基本的には同じです。

個人の脱皮は、余分な皮を脱ぎ捨てることで、

これまでの考え方・価値観に変化が起きます。

何を大切にすればよいか?という

考え方の優先順位が変わったりします。

しかもそれは、非常にスッキリと

よりシンプルなものになります。

それにより、その人の行動パターンが変わります。

その人の発揮する能力も変わります。

そして、必然的に成果の出方も大きく変わります。

それと同じことが、

チームとして起こる、ということですね。」

 

「まさしくそれは私の望んでいることです。

私は今ここで、もっともっとチームの

考え方も行動パターンもシンプルなものに

したいのです。

もっと一貫性を持ちたいのです。」

 

「そうなるための最も楽な道を

見出しましょう。

そのためには、“要”社員を特定することです。」

 

弓江さんが言われます。

 

「ということは、次に必要なのは、

私達の次に脱皮すべき、

チームの“要”が誰か?を

見つけることですね。」

 

「ということになりますね。

では、そのためには

どうすればよいと思いますか?」

 

「私は、たけうちさんに

チーム員のことをもっとよく知っていただいた方が

よいと思います。

誰が“要”となり、誰が脱皮すればよいかを

木村と私(弓江)だけでは特定することは

現時点では難しいと思います。」

 

「わかりました。

では、そうしましょう。

つまりは、チーム員の現状把握ということですね。

そのためには、私が実際にチーム員の皆さんに

お会いした方がよいですが、

その前に、お二人から見たチーム員お一人お一人

の印象をお聴きしたいのです。

恐らくそれだけで、誰が“要”か?の

おおよその見当はつけられますので。」

 

つづく

 

目標は、達成するのが当たり前

木村さんと弓江さんの二人コーチングに

話を戻しましょう。

(→【本物のエネルギーは、落ち着きと覚悟を生む】)

 

弓江さんは、

脱皮を果たしました。

 

弓江さんが脱ぎ捨てた古い皮は、

「正義」

でした。

 

そしてそれを手放した直後に彼女は

「私が皆を引っ張る」

という覚悟を持ちました。

 

彼女は言いました。

「私にしかできないことが

ある気がします」と。

 

その一言を聴いた瞬間に、

今度は木村さんの脱皮が

一気に進んだのを私は感じ取りました。

 

「木村さんも今、

もうほぼ脱皮を完了したようですね。」

 

「あぁ、そうですよね。

何となくわかります。」

 

「木村さんが脱ぎ捨てようとしている

古い皮は、今、実在レベルでは

どのような状態だと思いますか?」

 

「ほとんど脱げましたが、

私の右腕に脱いだ皮がまだ

こびり付いています。

右腕がとても重いです。」

 

「木村さん、よく観察してください。

その右腕についている皮は

いったい何でしょうか?」

 

木村さんは目を閉じて

右腕に集中しました。

 

そして、

「あの、・・・これでしょうか。

“我が想い”という言葉が浮かんできますが。」

 

「へぇ、面白いですね。

“我が想い”を脱ぎ捨てるのですか。

“我が想い”というと、真っ先に思い出すことは

何ですか?」

 

「売上を当初の目標の1.5倍上げてやろう、

という私の気持ちを思い出します。」

 

「木村さんは今、

それを手放そうとしているんですね。」

 

「いや、・・・それはまずいと思います。

それを手放してしまったら、

目標達成できなくなる気がします。

今のモチベーションも消えてしまう気がします。」

 

「本当にそうですか?

一度、手放してみてはいかがですか?」

 

「いや、しかし・・・」と、

しばらくの時間、

木村さんは拒んでいました。

 

しかしどうにも右腕が

重くなってきました。

 

「いやぁ、もう右腕が不快で

しょうがないです。」

 

「やはり木村さんは、その“我が想い”を

手放したいのでしょ?」

 

「そうなんでしょうか。

・・・いやぁ。でも、もう嫌だなこの感じ。」

 

「思い切って手放してしまっては?」

 

「ちょっと怖いですが、

どうもそうするしかないようです。

わかりました、手放します。」

 

「どのように手放します?」

 

「・・・自分でやります。」

 

そう言って木村さんは、

自身の左手で、右腕にこびり付いているものを

ベリッと引き剥がすようにしました。

 

その瞬間、

フッと私も、体が軽くなった感覚を得ました。

 

「できたような気がします。」

 

「そうですね。できましたね。

どうですか?

“我が想い”を手放した感じは?」

 

「いや、なんか、いたって普通です。」

 

「売上1.5倍については、

いかがです?

どう思いますか?」

 

「あぁ・・・、不思議です。

さっきまで、結構、自分は自然体で

売上1.5倍をやろう、と思えていたつもりでした。

でも今、さらに力が抜けました。

いや、力が抜けるというよりも

力を入れようが入れまいが、どうでもいいような・・・。

だって、達成するのは当たり前のような

気がするんです。

やることをやるだけ。

達成するのが普通のこと。

そんな感じがします。」

 

その時私は感じました。

 

木村さんはニュートラルに淡々とした

表情になっていたのですが、

その奥に、とてつもないパワーが

宿っていることを。

 

あぁこれは、

本当に物事を成し遂げる人の空気感だ

と思いました。

 

何の気負いもなく

淡々と凄いことを成し遂げていく

深いパワー。

 

これこそが、

木村さん本来の空気感であると

私は確信しました。

 

つづく

 

本物のエネルギーは、落ち着きと覚悟を生む

「脱皮」をするということは、

これまで自分を覆っていた殻や

一つの枠から解放される

ということです。

 

解放されると人は

どうなるでしょうか?

 

実は、

解放されると人は

とても「落ち着く」のです。

 

ニュートラルになります。

 

淡々となります。

 

「普通」の状態となります。

 

自然体です。

 

一見、逆のことが起こりそうですね。

解放されて自由になれば、

もの凄くエネルギーが湧いてくるとか

モチベーションが高まるとか

走り回りたくてしょうがなくなるとか、

場合によっては

自分で自分を制御できなくなるとか、

・・・そんなイメージがあると思います。

 

しかしまったくそうではありません。

 

本人が、「あれっ?」と思うくらいに

「普通」です。

 

本当に脱皮したのだろうか?と

疑うくらいです。

 

しかし確かに、

何となく軽くなりますし、

シャンとします。

 

地に足がついたような

安定感もあります。

 

自分が何か別物に変化することも

ありません。

あくまで、自分は自分。

何も変わりません。

ですので、

多くの人が、拍子抜けします。

 

しかし私は、

そうした「拍子抜けした状態」を見ることで、

「脱皮」が上手く完了したことを

確認できます。

 

ただし、

何も変わっていないのは

表面上だけ。

 

その人の内側のエネルギーは

明らかに高まっていますし、

(深まっている、という表現の方が的確です)

その人の空気感は

安定と共に、「明るくなった」ようにも

感じます。

 

「正義」という古い皮を手放した弓江さんが

まさしくその状態でした。

(→前回記事)

 

私は弓江さんに

質問を投げました。

 

直観的に出た質問です。

 

「弓江さん、

今、弓江さんは立っていますか?

座っていますか?」

 

「座ってますね。」

 

「座って、何をしようと

していますか?」

 

「覚悟を決めようと

しています。」

 

「何の覚悟ですか?」

 

「立ち上がる覚悟です。」

 

「立ち上がるということは、

どういうことですか?」

 

「走り出すということです。」

 

「走り出す、とは?」

 

「私が皆を引っ張る

ということです。」

 

えっ?

と、この答えに弓江さん自身が

驚きの声を上げました。

 

「私が、みんなを引っ張るんですか?」

 

「今、ご自分でそう言いましたね。」

 

「できるんでしょうか?」

 

「どう思います?」

 

「・・・できますね。

そう思えます。

むしろ、私にしかできないことが

ある気がします。」

 

この弓江さんの一言で、

今度は、木村さんが脱皮し始めたのが

わかりました。

 

弓江さんの一言が刺激となり、

彼は一気に古い皮を

自ら剥いだのです。

 

つづく

 

正義、って重いんだねぇ

私達人間のほとんどの苦しみは

幻影です。

 

幻影と言っても、

実際に起きている現実は、

現実です。

 

しかし本当は、

その現実が私達に苦しみを与えている

わけではありません。

 

現実とは

どこまで言っても

現実でしかあり得ません。

 

その現実をどう受け止めるか?

を私達は自ら決めています。

 

自ら、解釈をしています。

 

その段階で、

自らに苦しみを与えます。

 

例えば、

とても厳しい現実が目の前にあったとしても、

もし似たような経験が過去にあったとすれば、

その人の苦しみは減退するでしょう。

 

自分は過去に、このような現実を

乗り越えたことがある、

という経験は、私達の苦しみを

減退させます。

 

しかしだからと言って、

今の現実が変わるわけではありません。

 

私達の現実を受け止める解釈が

変わるだけのことです。

 

つまり私達は私達自身の解釈により

苦しみを増減させています。

 

「人生は苦しい」

と思う人の多くは、

自分でその苦しみを創り出している

だけのことです。

 

私達はそういった解釈の世界から

脱け出すことが

本当は誰もができます。

 

ただ、現実をあるがままに

感じ取るだけの日々の始まり。

 

するとその瞬間から、

現実はまったく違った世界を

私達に見せてくれます。

 

現実を、あるがままに感じ取ることが

できればできるほど、

私達は、自分自身がいかに自由であるか?

を知ることになります。

 

脱皮をするというのは、

現実をあるがままに捉えられない原因となる

強い解釈の衣を

一つ脱ぎ捨てることである、

という言い方もできます。

 

今、弓江さんは

「正義」という解釈を脱ぎ捨てようと

しています。

(→前回記事)

 

実在レベルで表現すれば、

弓江さんが脱ぎ捨てようとしている

「正義」は、

弓江さんの左足に絡みついています。

それを取り払えば、

弓江さんはその「正義」から自由になれます。

 

しかしそれが

なかなか取れません。

 

「どうすれば、

取り払えそうですかね?」

 

「木村リーダーに

取ってもらおうかな。」

 

「わかりました。

それはなかなか良いアイデアですね。

では木村さんに取ってもらいましょう。」

 

思わず、木村さんが言います。

「えっ、私にできますか?

どうすればいいんでしょう?」

 

「簡単ですよ。

今、弓江さんが言われた“正義”は、

単なるイメージではなく、実在です。

ですから木村さんにもわかるはずです。

意識を弓江さんの左足に

向けてみてください。

何か見えませんか?」

 

「見える、というよりも、

確かに何か異物があるような

感覚がありますね。」

 

「それで充分です。

木村さん、その異物は

どうすれば取れると思います?」

 

「えっ? ・・・そうですね。

どんなやり方でもいいですか?」

 

「もちろん、いいですよ。」

 

「私が、私の手ですくい上げても

いいですか?」

 

「できそうですか?」

 

「はい。」

 

そう言われた木村さんは、

弓江さんの左足の踵の近くに手を伸ばし、

一気にその「正義」をもぎ取ってしまいました。

 

「あっ、軽くなった!」

 

と弓江さんがびっくり。

 

「たけうちさん、

今、私の両手にその“正義”がありますが、

これ、どうしたらいいでしょう?」

 

「どうされたいですか?」

 

「たけうちさん、

受け取っていただけます?」

 

私は笑いました。

 

「しょうがないですね。

じゃあ、私がいただきます」

と言いながら、

私は、木村さんから弓江さんの「正義」を

受け取りました。

 

ド〜ンと腰の辺りが

重くなりました。

 

実はこういった展開、

しょっちゅうあるんです。

 

私はよく、

脱皮をした人の古い皮を

受け取ります。

そして浄化をします。

 

その古い皮があまりにも重く、

苦しいものであればあるほど、

私の場合は、腰に来ます。

 

まるでギックリ腰になったかのような

感覚が来るのです。

場合によっては

立てなくなってしまうこともあります。

 

それだけその古い皮は

その人にとって重いものであった

ということです。

 

これは「イメージ」の話ではありません。

あくまでも「実在」の話ですので、

こういったことが起こるのです。

 

そして、重い皮をもらうたびに、

私はいつも思うのです。

 

人間というのは、

こんなに重いものを抱えながら

生きているんだな、と。

 

つづく

 

本当は、自力で脱皮できればいいんだけど・・・

「脱皮」とは、

大きく「進化」すること。

 

そして「進化」とは、

より「自由」になることです。

 

ですから「脱皮」をすればするほど、

私達は、何かから開放されます。

人としての根本的な幸せを

感じるようになります。

 

しかし「脱皮」そのものについては

不安定さと恐怖心が

伴います。

 

これをたった一人で

乗り越えることのできる人は

なかなかいません。

 

通常は、

「今、自分は脱皮しようとしている」という

自覚はありません。

「脱皮」そのものの概念すら

ないでしょう。

 

何もわからない状態です。

 

ですから、

突如として襲ってくる不安定さと恐怖心を

何とか消そうとするのが

ほとんどの人です。

 

そしてそのための手立てを打ちます。

それにより実際に

不安定さと恐怖心を減退させることも

あるでしょう。

 

しかし、それをしてしまうと

「脱皮」は完了できません。

 

「脱皮」のチャンスを逸し、

「脱皮」をしないままに人生を進む

ということになります。

 

それはそれで一つの人生

かもしれません。

 

しかし、

脱皮のチャンスを逸し、脱皮せずに進む

というのは、

脱皮のチャンス以前の自分に比べて

苦しさが増します。

 

なぜならその人は

「なぜ、脱皮をきちんとしないんだ!」

と自分で自分を責め続けるように

なるからです。

 

もちろんそれは無意識に行われることですから

本人は認識していません。

しかし明らかに

以前よりもその人は人生における苦しみが増し、

その苦しみに耐えながら生きる

ということになります。

 

脱皮のチャンスを逸してしまったことによる

苦しみ。

 

これは私達が想像する以上に大きな

ものです。

 

できれば私はすべての人が、

この苦しみを味わわずに人生を

進ませる、

つまりは、きちんと脱皮を続ける人生を生きる、

・・・そんな状態になればいいなと

思っています。

 

極端に言えば、

それができるだけで、

世界はもっと平和になるのではないかと

私は思います。

 

脱皮には

的確なサポートが必要です。

 

本当は、サポートなしでも行ければ

よいのですが、

現在の世の中においては、

どうしても、サポートが必要です。

 

それが、コーチの存在意義の一つである

と私は思っています。

 

多くの人が健全に脱皮を続け、

世の中の次元がもう少し高まれば、

自力で脱皮できる人の割合も

もっと高まるのではないかと思います。

 

そうなるためにも、

今はコーチが、的確なサポート役が

必要なのだと思います。

 

木村さんと弓江さんは今、

二人コーチングのその場で、

自らの脱皮を完了させようとしています。

 

まずは、弓江さんが

今まさに脱皮しようとしています。

 

実在レベルの表現を使えば、

弓江さんは、これまでの古い皮をほぼ

脱ぎ捨て、

その皮は今、

左足に絡まっている状態です。

 

そしてその皮に意識を向けると、

それは、

「私の“正義”ですね」

と、弓江さんは自覚しました。

(→前回記事)

 

通常のコーチングでは、

「では弓江さん、その“正義”とは

具体的にどういったものですか?」

というような質問をするかもしれません。

 

しかし、脱皮時においては、

あえてそれ以上のことは訊きません。

“正義”という言葉に反映される

あらゆるもの、

というくらいのザクッとした認識で

充分なのです。

 

理屈では脱皮できません。

顕在意識はあまり

働かさない方が良いのです。

 

「弓江さん、

その左足に絡まっている“正義”を、

完全に取り去ることはできますか?」

 

弓江さんはしばらくの間、

左足に意識を向けていましたが、

「う〜ん、難しいですね。

どうしても取り払えません」

と、苦しそうに言いました。

 

「どうすれば、

取り払えそうですかね?」

 

すると彼女は、

面白いことを言いました。

 

「木村リーダーに

取ってもらおうかな。」

 

「えっ? 私ですか?」

と、木村さんは少しびっくりした表情。

 

「わかりました。

それはなかなか良いアイデアですね。

では木村さんに取ってもらいましょう。」

 

つづく

 

古い皮を脱ぎ捨てずして、真の成長はあり得ない

「脱皮」とは、

「実在」と「現象」の一致度合い、

つまりは「一貫性」が

一気に高まること。

それはイコール、

「真本音度合い」が一気に高まること

でもあります。

 

その「脱皮」をサポートするためには

あえて、

「実在」と「現象」の不一致部分を見つけ、

そこに刺激を入れ、

より「不安定」にさせることです。

 

不安定は「自然崩壊」を生み、

これまでの自分が崩壊するからこそ

「脱皮」は成されます。

 

それを、チームとして起こすための

戦略を見出そう、というのが

今回の木村さんと弓江さんの二人コーチングの

目的です。

(→前回記事)

 

その目的を果たすために、

まずは私は木村さんと弓江さんの

悪い意味での不安定さを

抜きました。

二人の自己満足的な「気合い」を

抜いたのです。

(→【自己満足の気合いでは、何も見えなくなる】)

 

話は、そこからの続きとなります。

 

私は弓江さんに問いました。

 

「弓江さん、

今、改めて思うことを教えていただきたいのですが、

今の木村リーダーの状態はいかがですか?」

 

「はい。

木村リーダーご自身がすでにほぼ

脱皮しかかっていると思います。」

 

「何%くらい脱皮できていると

思いますか? 直観的に。」

 

「80%くらいでしょうか。」

 

弓江さんの言葉は

スッと私の中に入ってきますから、

その通りなのでしょう。

 

「では、木村さん。

木村さんからご覧になって、

今の弓江さんの状態はいかがですか?」

 

「弓江も私と同じく、

80%くらい脱皮しかかっていると

思います。」

 

この言葉も

スッと伝わってきます。

 

「わかりました。

では、お二人にお訊きしますが、

お二人の脱皮は、チーム全体の脱皮と

同時並行で行われるべきものですか?

それとも、

まずはお二人が脱皮することで、

それがチームの脱皮につながるという

順番ですか?」

 

「それは後者ですね。」

とすぐさま木村さんが答え、

弓江さんが大きく頷きました。

 

「では、

お二人の脱皮は、

今この場で行なわれるべきですか?

それともこの場では、刺激のみを与え、

今後の日常業務の中で

行なわれるべきですか?」

 

「今もうここで

脱皮しちゃいたいですね。

そのための今日のこの場だと思います。」

と木村さん。

 

私が抱いていたもともとの順番と

一致しています。

 

「わかりました。

では、まずはそれを最初の目的として

この二人コーチングを進めましょう。」

 

私がそう宣言したその瞬間に、

私は弓江さんの脱皮が

一気に進んだ感覚を得ました。

 

ほぼ99%、

脱皮が完了したのだと

直観しました。

 

「おっ、弓江さん、

もうほぼ脱皮が完了しそうですね。

わかります?」

 

「はい、何となくわかります。」

 

「弓江さんの今回の脱皮は

何からの脱皮でしょうね?

弓江さんが脱ぎ捨てようとしている古い皮とは、

何でしょう?」

 

「う〜ん、何でしょうか?」

 

「まず、今脱ぎ捨てようとしている

古い皮の実在はわかります?」

 

「あっ、わかります!

なんか、ほとんど脱ぎ捨てることが

できているのですが、

左足に脱ぎ捨てた皮がまだ

引っかかっているようです。」

 

これは単なる弓江さんのイメージ

ではありません。

あくまでも彼女は、

実在を感じ取っているのです。

 

ですから、彼女の言うことは

私にもよく「実感」できます。

 

私も弓江さんの左足に

違和感と重さを感じ取っていたのです。

 

これが「イメージ」と「実在」の

違いです。

 

「実在」とはあくまでも、

本当にそこに実在しているものです。

 

真本音度合いが高まれば、

誰もが当たり前のようにそれを

感知することができるようになります。

 

「弓江さん、

その左足に引っかかっているその皮は

何でしょう?」

 

彼女はじっと自分の左足に

意識を向けていました。

 

そしておもむろにつぶやきました。

 

「あぁこれは、

私の“正義”ですね。」

 

つづく

 

自力でできることを、サポートしてはならない

新規事業プロジェクトチームの

縮小が正式決定しました。

(→前回記事)

 

そして間もなく・・・。

 

私は木村さんに呼ばれました。

 

「一つお願いしたいことが

あるのです。」

 

「なんですか?」

 

「もう一歩深く、

私達をサポートいただけませんか?」

 

「もう一歩深く、ですか?」

 

「はい。

ここまでは、私や弓江をサポートして

いただきましたが、

これからは、私のチームそのものを

サポートしていただきたいのです。」

 

「そう思われた理由を

教えていただけますか?」

 

「私はこのプロジェクトを必ず

目標達成させたいのです。

しかし残念ながら、メンバーは半分に

縮小することになりました。

しかし私は残されたメンバーが

ポテンシャルをしっかりと発揮できれば

必ず達成できると思っています。

そのためのサポートをお願いしたいのです。」

 

私は木村さんの中に、

わずかですが、淀みを感じました。

 

「今、木村さんがおっしゃったのは、

確かに木村さんの望んでいることだ思いますが、

それは私がいなくても、

自力でできるのではありませんか?

もしくは、これまでと同じように

木村さんのみへのサポートでも

可能ではありませんか?」

 

少し木村さんの目が揺れました。

 

「木村さん、

真本音でお答えください。

新規事業プロジェクトは、

木村さんの自力で目標達成は難しいですか?」

 

直観的に木村さんは答えました。

 

「弓江とも協力しながら行けば、

大丈夫だと思います。」

 

今度は、スッキリ伝わってきました。

 

「ですよね。

では、私に対するご要望が、

他にあるのでは?」

 

木村さんはじっと私の目を

見つめてきました。

 

こういう時の木村さんは、

間違いなく真本音度合いが

高まっています。

 

フッと、心地よい風が

吹いた気がしました。

 

「あっそうか。

たけうちさんにご要望があります。」

 

「何です?」

 

彼はニッコリと笑いました。

 

「新規事業プロジェクトは、

メンバーが半分になったことにより、

私は生産性が何倍にも上がると確信しています。

そして、少なくとも当初の目標の

1.5倍以上の売上・利益は達成できるはずです。

でもそのためには、

全員がもっと加速的に成長する必要があります。

私も含めて。

たけうちさんの言われている脱皮は、

これから始まるんだと思います。

全員が、一人一人が、きちんと脱皮しなければ

このチームの脱皮は完成しません。

たけうちさん、至急、我々の脱皮を

サポートしてください。

一刻も早く、脱皮した我々として、

私は、1.5倍の数値を達成します。

それが、我社の未来にとってとても大事だと

思いますし、

私の人生にも、皆の人生にも大事な

転換点です。」

 

要約すると、そのような内容を

彼は呟くように私に伝えました。

 

その一言一言が、

私の胸に沁み渡りました。

 

「いいでしょう。

そういうことでしたら、やりましょう。

平井さんはご存知ですか?」

 

「はい、平井からはすでに

たけうちさんがもう一歩深く関わることについては

了解を取っています。」

 

「では、今からすぐに

二人で平井さんのところに行きましょう。」

 

私は木村さんと共に、

すぐに平井さんにお会いしました。

 

そしてその場で、

今、木村さんが宣言されたことを

そのまま木村さんの口から

平井さんに伝えてもらいました。

 

平井さんは真剣な表情で、

「わかった。任せるよ。」

と言われました。

 

「たけうちさん、お願いします。」

と平井さんは神妙な顔で言われましたが、

私は彼が今にも

笑い出しそうなのを必死でこらえているのが

よくわかり、

私も、つい笑い出しそうになりました。

 

つづく

 

これまでの最善が、これからも最善とは限らない

人やチームが脱皮する時に

大切にすべき原理原則の3つ目は、

 

『物事を深く考えない。

表面上のことだけに目を向ける』

 

・・・ということでした。

(→前回記事)

 

私は弓江さんに問いました。

 

「その原理原則を大切にすると、

これから新規事業プロジェクトが脱皮を

きちんと完了するために、

何が必要だと思いますか?

表面上のことで良いですよ。」

 

う〜ん、と弓江さんは考え込みました。

すると、木村さんが口を挟みました。

 

「そういうことで言えば、

さっき弓江が言っていた、

ペアが良くない、

ペアを変えるべき、

ということのような気がします。」

 

「あぁ、なるほど!」

 

もともと、新規事業プロジェクトチームが

脱皮をしようとしていることに

気づけたきっかけは、

「ペアを変えるべきではないか」

という検討課題が出されたからでした。

(→【一つになることで、すべてがどんどん晴れ渡っていく】)

 

新規事業プロジェクトチームは

基本的には二人一組で活動をするそうです。

そのペアの組み合わせが良くないと

弓江さんが直観的に指摘しました。

 

しかし、二人ともこれまでは

今のペアの組み合わせが最善であると

思っていたのです。

しかしこの二人コーチングの場で考えると、

今のペアに違和感ばかりが出る、

ということでした。

 

私はその二人の話を聴いて、

なるほど、今のこのプロジェクトチームは

脱皮をしようとしているのだ、

これまで最善だと思っていたことが、

最善ではなくなるんだ、

だから、脱皮のために必要な変化を

ここで起こさなければならないんだ、

ということに気づいたのでした。

 

そうするとやはり、

「ペアの組み合わせを変える」

というのは、

脱皮のためにも必要なことのように

思えます。

 

「では、一度、

ペアの組み方を発想してみましょうか。」

 

「はい、まずは。

それをしないと次の発想が出ない気が

します。」

 

「これまでのペアというのは、

・お互いの能力が補完できること

・相性がいいこと

を基準にして組んでいたのでしたね?」

 

「はい。」

 

「では、これからの基準はどうします?」

 

しばらく木村さんは

無言でいました。

そして私に何とも言えない不思議な

目を向けてきました。

 

「たけうちさん、・・・

ちょっとわけがわからないのですが・・・。」

 

「どうしました?」

 

「ペアをどう変えようか?と考えようとすると、

富士山が噴火しているイメージばかりが

頭の中に出てくるんです。」

 

それを聴いて、

弓江さんの目が、

キラッと楽しそうに輝きました。

 

その二人の様子を見て、

あぁこれは「実在」だな、と私は思いました。

 

「木村さん、いい傾向ですね。

それは単なるイメージではなく、

木村さんの真本音発想がカタチになった

ものですよ、きっと。

私の言うところの、実在、というやつです。

だいぶ、発想が柔らかくなりましたね。」

 

木村さんは少し

照れ臭そうに笑いながら言いました。

 

「でも、イメージは鮮明ですが、

意味がよくわからないのです。」

 

「じゃあ面白いので、

意味がわからないままで

ペアを組み直してみましょうか。」

 

「そんなことができるんですか?」

 

つづく

 

地に足をつけようとしてはならない時がある

人も組織も

『脱皮』

をする時があります。

 

そして脱皮の段階においては

平常時とは真逆の選択をしなければ

ならないことがあります。

 

平常時の原理原則が

まったく役に立たなくなるのです。

 

例えば、

「自分にどんどん不安定を与える」

ことが大事になります。

(→前回記事)

 

さらに、次のことも

大事です。

それは、

 

「無茶をする」

 

ということです。

 

平常時においては、地に足のついた選択と行動が

大切です。

 

しかし、脱皮をしている間は、

地に足をつけようとしても、

その、「地」そのものがありません。

それはまるで、

空中に浮かんでいるかのようです。

 

足元がないので、

いつでも「落ちる恐怖」に苛まれます。

そこで多くの人は、

バタバタと足を空回りさせ、

悪あがきをします。

 

しかし「地」そのものがないので

どうしようもありません。

 

ですので、脱皮の時は、

地に足をつけること自体を

あきらめます。

 

空中に漂うままにします。

落ちる恐怖や、実際に落ちる感覚もありますが、

そこは、あきらめてしまうのです。

 

そして、

どうせ地面がないのですから、

無茶をしてしまうのです。

 

こんな時こそ、

自由発想です。

 

ただし。

 

わざと「無茶をしよう」と考えることも

厳禁です。

「無茶をしよう」という意図そのものが、

すでに自分に「無茶」という枠を

はめるからです。

 

ただただ純粋な、

自由発想をします。

 

どうせ、何をしても怖いのだから、

怖さは変わらないのだから、

思い切って心を自由にするのです。

 

すると、

本当にとんでもない発想が

出ることがあります。

 

とんでもない発想が出た場合には

そこに、

立ち向かっていくのです。

 

それを実行に移そうとするのです。

 

大丈夫です。

 

脱皮とは、

私達の真本音の意図に

基づいています。

 

行動に移そうとして、

もしそれが本当に行動できたとすれば、

それは、真本音の行動です。

 

行動に移そうとして、

もしそこで体が止まってしまうのであれば、

それは、私達自身の真本音が

止めている、ということになります。

 

ですので、本当に危険なことは

行動に移すことができません。

 

何をどうしても不安定なまま。

・・・という状況の中だからこそ、

私達は、

「開き直る」

ということができます。

 

開き直った人は

強いです。

 

開き直ることで、

これまで体験したことがないくらいに

真本音度合いを高めることが

できるのです。

 

脱皮とは、

そういった自己革新のチャンスである

とも言えます。

 

『不安定をどんどん自分に与え、

しかも無茶をする』

 

それが、脱皮時における

原理原則の一つです。

 

脱皮時に

きちんとそれができる人は、

脱皮そのものの頻度も

上がっていきます。

 

すると、人生が加速します。

 

私たちは、

脱皮そのものに楽しさを

見出すこともできるようになるのです。

 

それが、

人間の凄さであると

私は思います。

 

つづく

 

不安定や絶望感があるからこそ、脱皮できる

人の成長も、組織の成長も、

比例直線的ではなく、

階段状に上がっていきまます。

(→前回記事)

 

階段の段差を登るということは、

これまでの自分(もしくは組織)とは

まったく異なるステージに上がる

ということです。

 

これまで見えていなかったものが

見えるようになり、

これまでできなかったことが

できるようになります。

これまで、考えもしなかったことを

考えるようになり、

これまで、実行に移さなかったことを

どんどん実行するようになります。

 

これを私は

 

『脱皮』

 

と呼んでいます。

 

人に『脱皮』があるように

組織にも『脱皮』があります。

 

段差を越える時、

つまり、脱皮の時は、

平常時とは真逆な原理原則が

必要となります。

 

その一つが、

「自分にどんどん不安定を与える」

ということです。

 

脱皮の時は、

平常時では考えられないくらいに

不安定になります。

 

個人の場合は、

心が非常に不安定になり、

不安や恐怖や絶望や、

・・・様々な濃い反応本音達が自分を

襲います。

 

これまで順調に成長してきた人も

そんな自分を体感することで、

自分は以前の自分に、・・・いや、

以前よりもさらに弱い自分に

なってしまったのではないか、と

自己不信に陥ります。

 

組織も同じです。

 

脱皮の段階にある組織には

ほぼ間違いなく、不調和が

連続して起こります。

 

これまで体験したことのないような

望まない現実が次々に

起こります。

 

もうこの組織はダメではないか、と

絶望感が湧いてきます。

 

そんな時に私はいつも

強調します。

 

「今は、思いっきり不安定でいてください。

絶望したままでいてください」

と。

 

「その不安定さに対策を打たないでください。

絶望のままでいてください」

と。

 

そのままでいると、

その不安定さと絶望感は

どんどん増殖します。

 

不安定と絶望感に

自分が飲み込まれそうになります。

 

でも、飲み込まれれば良いのです。

抗わずに、そのままでいるのです。

 

すると、

その不安定さと絶望感を完全に

「味わい尽くす」ことで、

これまでの自分からは想像もできないような

自分が(組織が)

何かをベリっと破いて、

現れるのです。

 

それは突然、

訪れます。

 

脱皮が成された瞬間です。

 

私は、

コーチの役割とは、

こういった脱皮を貫徹するために

見守り続けることだと思っています。

 

脱皮の最中、

コーチは何も手を出しません。

 

脱皮とは、

その人本人にしかできないことだからです。

ここで、

他人が干渉するとその瞬間に

脱皮は失敗に終わります。

 

脱皮が上手くいかないと、

その人(組織)は、

殻の中に閉じこもったままになります。

しかし、

体は大きくなっていますから、

その殻が窮屈でしょうがなく、

これまでの自分として生きることそのものに

苦痛を感じ続けます。

 

つまり、

これまで通りの自分(組織)でいること自体が

苦痛となるのです。

 

恐らく、

企業がきちんとそういった脱皮を

繰り返せば、

その企業は、永続的に発展し続けるでしょう。

 

その脱皮を放棄してしまうので、

企業は衰退していきます。

 

木村さんと弓江さんの

新規事業プロジェクトチームは、

最初の脱皮に取り掛かろうと

していたのです。

 

その脱皮をきちんと貫徹するために

この二人コーチングの場が

必然的に設定されたということです。

 

これが、今回の二人コーチングの

真の意味であると

明確にわかったのです。

 

つづく

 

試行錯誤のない「順調」はない

「物事が順調に進む」

とは、私は

「順調に試行錯誤ができている状態」

であると考えています。

 

試行錯誤には、

・意味のある試行錯誤と

・無意味な試行錯誤

があります。

 

無意味な試行錯誤とは、ほとんどの場合

その人が自己満足で繰り返している

試行錯誤です。

それを繰り返したところで、

何の進化も発展もありません。

 

進化発展があったと、

本人が自己満足するだけです。

 

逆に言えば、

物事の進化と発展のためには、必ず

意味のある試行錯誤が

存在しています。

 

よく、

「真本音で進めば物事がスムーズに進む」

と、私は書かせていただいていますが、

その真の意味は、

「意味のある試行錯誤を続けることができる」

ということです。

 

つまり、結果だけでなく

そこに至るまでの過程(プロセス)も

私達の真本音は大事にしているということです。

 

そういった意味で、

木村さんと弓江さんの新規事業プロジェクトは

意味のある試行錯誤を続けた

と言えます。

 

それを私は確信したのです。

ですから、

 

「新規事業プロジェクトは

ここまで順調だったということです。

実は、何の問題もなかったのです。

そして、ここまで順調だったからこそ、

この場があるのです。」

 

・・・と申しました。

(→前回記事)

 

特に木村さんは、失敗もありましたが、

順調にここまで進んできたということです。

その失敗こそが、必要な試行錯誤だった

ということです。

 

まぁ、そういう「失敗」は

「失敗」とは言いませんが。

 

そして・・・。

 

新規事業プロジェクトは順調にきたからこそ、

壁にぶち当たったのです。

 

順調に来なければ決して遭遇しない

壁まで来たのです。

 

その壁を、一言で表現すれば、

 

『脱皮の壁』

 

となります。

 

人も組織も、

比例直線的には成長(進化)しません。

 

人や組織の成長(進化)とは、

階段状に進みます。

つまり、

緩やかな勾配で進み、

ある時に、階段をステップアップするための

段差にぶち当たります。

 

段差にぶち当たったら、

それを乗り越えなければなりません。

しかし、

それを乗り越えることができれば、

1ランク、ステージがアップします。

 

これまでの延長線上にはない、

新たな次元と視界と能力が

開けます。

 

この段差にたどり着くためには、

しっかりと意味のある試行錯誤を

繰り返さなければなりません。

 

これをちゃんとして来たので、

新規事業プロジェクトは今、

「段差」の下にいるのです。

 

そして、これから「段差」を乗り越えるのですが、

「段差」とは非常に怖いものです。

怖いが故に、人も組織も

この時点では、非常に不安定になるのです。

 

今、新規事業プロジェクトチームは

その不安定さが出始めている状態なのです。

 

以上のことを、

私は木村さんと弓江さんに

ご説明しました。

 

木村さんが言われました。

 

「では、その不安定さを

なくすための方策が必要なのですね?」

 

「いえ、逆なんです。

こういう時は、もっともっと不安定さを

自らに与えた方が良いのです。」

 

つづく

 

『脱皮し続ける人生』

人は脱皮します。

しかし、 脱皮の時期がきているのに 脱皮せずに
これまでの自分に執着すると とても苦しくなります。
その苦しさのまま 人生を終えてしまう人も多いです。

脱皮をすれば

とてつもない開放感を得られます。
自由自在な人生を 生きることができます。

しかもその脱皮は 連続して訪れます。

たった一年で、 何度も脱皮する人も います。

これまでの自分の人生が 嘘のように小さく見える 人もいます。

でも無理をしているわけでは ありません。

無理をするのではなく 脱皮をするのです。

そうすれば いつも自然体で いつも淡々と
いつも楽しく 進むことができます。

どうすれば そんなことができるの?

そんな疑問にお応えする ブログです。

・・・・・・

人が脱皮するのと 同じように、 組織も脱皮します。
そしてこれも個人と同じですが、 脱皮の時期にいるのに
これまでのやり方に 執着することで 衰退を始める組織も 多いです。

脱皮の時期には 混乱が起こります。
不安定が 起こります。
それを恐れるあまりに 脱皮とは逆の方向に 向かってしまう組織も
多いです。

きちんと脱皮すれば 組織は安定的に成長し続けます。

脱皮することは 永続的な組織を創り上げるのです。

チームパフォーマンスコーチとして
組織の現場で体感しながら 得た真髄を、
このブログでは書き続けます。