執着

強い妨害だろう

 

人間、

本当に真剣に

前に進もうとすると、

 

逆に、

 

何かに強く

執着してしまうことが

ある。

 

本当はそれは

自分では

もうとっくに

手放したつもりに

なっていたもの。

 

でも

本気で進み始めたら、

ほんのわずかに

残っていた

「心残り」

が、

強い執着として復活

してしまう。

 

そんなことが

ある。

 

多くの場合、

それは無意識に

行われるので、

 

前に進む自分の

推進力を、

その

目に見えない執着が

強烈に妨害する。

 

凄まじいまでの

葛藤を

起こすこともある。

 

それがあまりに

ひどい場合は、

体を壊すことさえ

ある。

 

しかし、

 

やっぱりそれも

人間。

 

人間としての

心の作用の

一つだ。

 

適切に対応すれば

いい。

 

対応の仕方は

基本通り。

 

つまりは、

自分が何に執着

しているか?を

 

素直に

見つめること。

 

執着を取らなければ、

とか

自分を変えなければ、

とか

 

そういったことは

必要はなく、

 

ただ、今、

起きていることを

 

その葛藤を

 

あるがままに

見つめるだけ。

 

じっと

見つめるだけ。

 

それだけで、

前に進もうとしている

自分の本気の

エネルギーが、

 

愛のエネルギー

となって

 

自分自身のその

葛藤に

注ぎ込まれる。

 

執着は

自然に浄化される。

 

執着するのは

人間らしさの

一つだ。

 

一つ一つの

執着を

 

自ら

愛すればいい。

 

つづく

 

手放した執着を自覚しよう

 

この一両日中に

大きく脱皮した人は

多いのではないか。

 

独特の

空気感が

伝わってくる。

 

だからあえて

書かせてもらうのだが、

 

自分の脱皮は

自分でしっかりと

認識し、

 

新たな自分に

なれたことを

自覚した方がいい。

 

脱皮前の自分と

同じ判断

同じ選択

同じ行動

をしていてはもったいない。

 

自分の中の

余分なもの(皮)を

脱ぎ捨てたのだから、

 

思い切って

これまでにない

自由な心で

物事を進めるといい。

 

・・・・・・

 

脱皮した人が

脱ぎ捨てた「古い皮」は、

 

多くの場合

何かに対する「執着」

だ。

 

私達の自由を阻害する

最も代表的なものが

「執着」。

 

執着とは

別の言葉にすれば

「依存」

とも言える。

 

それがなければ

生きていけない。

 

それがなければ

進んでいけない。

 

それがなければ

自分ではいられない。

 

と言ったような

もの。

 

ある意味の

「中毒」

とも言えるし、

「寄生」

とも言える。

 

そうそう、

 

今日のコーチングでも

少し話題になったのだが、

 

自分自身の

使命とか、

夢とか、

願いとか、

 

そういったものにすら

執着してしまう

人がいる。

 

この使命を

果たさなければ、

私は私で

なくなってしまう。

 

・・・というのは、

依存であり執着だ。

 

さらに、

 

この使命に向かうからこそ

私は素晴らしいのだ。

 

とか、

 

使命を持っている私は

持っていない人よりも

優れているのだ。

 

とか、

 

そういったものも

執着であり依存である。

 

使命や夢や

願いとは、

そういったものでは

ない。

 

別に

使命があっても

なくても、

どっちでもいいじゃない。

どちらにしても

私は、私自身が存在している

そのことだけで

価値がある。

 

と、真に思えている人

にこそ、

真の使命や願いは

浮上する。

 

使命がなければ

ダメなんだ、

使命のない自分では

価値がないんだ。

 

というのは、

その人の根底には

無価値感や

虚無感がある。

 

それらがすべて

執着につながる。

 

寄生につながる。

 

自分の使命に

自分が寄生して

どうするんだ、

という話だ。

 

とにかく、・・・

 

そういった余分な

執着を

一つ一つ脱ぎ捨てる

ことで、

 

私達は

より自由になるし、

 

本来の自分に

近づいていく。

 

それが

脱皮だ。

 

・・・・・・

 

自分はひょっとすると

脱皮したかも

しれない。

 

と思う人は、

いつもと同じ

日常生活をする中で、

 

そこにある

いろんなものを

いろんな人を

 

あるがままに

観察してみると

いい。

 

すると、

これまでとは違った

感覚や

発見や

気づきが

あるかもしれない。

 

それが

脱皮の合図だ。

 

環境は

すぐには変わらなくても、

自分自身は

脱皮をしながら

大きく変わっていく。

 

自分自身が

変われば、

それが結果として

環境をより良いものに

変えていく

きっかけとなる。

 

そのきっかけ創りを

楽しむといい。

 

つづく

 

誰だって突然変異するよ

 

宇宙は広い。

 

それと同様に

私達の心の中も

広い。

 

それは宇宙と

同程度であると

私は思っている。

 

心の外、

つまりは現実世界に

宇宙が広がるように、

 

心の中にも

宇宙が広がっている。

 

それはまさしく

無限

という表現が

ピッタリくる。

 

宇宙のほんの一部しか

私達は知らないのと

同様に、

 

私達は私達自身の

心も

ほんの一部しか知らない。

 

私達の心は

神秘であり、

 

それを私達はもっと

自覚した方が

良いのではないか。

 

・・・・・・

 

ある日、突然

変貌する人がいる。

 

人は

変わらないから。

 

性格は

変わらないから。

 

私は

変わるつもりは

ないから。

 

・・・と、

そんなセリフを吐く人

ほど、

突然変異しやすい。

 

これまでのあの個性は

どこ行っちゃったの?

というくらいになる。

 

多くの場合は

何らかのインパクトのある

経験などが

きっかけとなるが、

 

しかし、

何のきっかけもなく

ある日、ふと

ある瞬間に、ふと

突然変異する人もいる。

 

そんな人が今、

増えている。

 

もちろんそれは

本当は

きっかけがない

わけではない。

 

見えないところで

きっかけは

着々と進んでいるのだ。

 

・・・・・・

 

どうせ人は

変わっていく。

 

変わっていくのが

人だからだ。

 

いや、俺は全然

変わってないよ。

 

という人ほど

変わっていく。

 

変わっていることに

本人が気づいていないだけ。

 

自分のことは

自分ではわからんよ。

 

そんな風にできているのも

人だ。

 

どうせ変わっていくので

あれば、

 

もうそこは

委ねてしまっては

どうだろう。

 

「私は私のままでいよう」

 

という意志を

あきらめてしまっては

どうだろう。

 

私はそこを

あきらめたことで初めて、

 

自分の中の

本当に変わらないものを

知ることができた。

 

それは

個性ではなく、

「願い」

だった。

 

「祈り」

だった。

 

そして、

自分が決めている

「使命」

だった。

 

最初から

変わるようにできている

ものに

執着することで

本当に変わらないものが

見えなくなる。

 

本当に変わらないものが

見えなくなることで

自分の軸が

わからなくなる。

 

自分のすべてが

わからなくなる。

 

人生の

迷子になる。

 

もしあなたが

人生がわからなくなっている

のであれば、

 

それは何か

余分なものに

執着をし続けているからだ。

 

ほぼ、

間違いない。

 

今、変えるべきもの、

今、変わるべきもの、

執着をして

必死にしがみついているから

 

何もかもが

わからなくなる。

 

もう

「迷い続ける時代」は

終わったのだと

認識しよう。

 

もう

「決めて動ける時代」

なんだよ。

 

つづく

 

執着と向き合ってみよう

 

今のあなたにとって

最も大切なものは

何ですか?

 

こう問われると、

いろいろなものが

浮かぶと思いますが、

あえて

一つを選んでみて

ください。

 

その

最も大切なものを

あなたは

手放すことが

できますか?

 

こう問われると

もちろん、

「手放せます」

と答えられる人は

ほぼいないと思います。

 

そしてもちろん、

手放さなければならない

ものでもありません。

 

でも、

あえて

「手放すことが

できますか?」

と問われた時の、

あなたの心の動きに

注目してください。

 

・・・・・・

 

「いや、手放せませんよ」

 

とほとんどの人は

思うでしょう。

 

問題は

その答えでは

ありません。

 

そう答えている

自分の心の

その「奥」を

覗いてほしいのです。

 

「奥」

というよりも、

「土台」

と言った方が

よいかもしれません。

 

「手放せませんよ」

という心の

「土台」

を感じてください。

 

その「土台」は

光り輝いていますか?

 

それとも

暗いものですか?

 

それは

心を癒してくれるような

気持ちの良いものですか?

 

それとも

ネチョネチョした

いや〜な感じのする

ものですか?

 

・・・・・・

 

もしネチョネチョした

いや〜な感覚の

ものでしたら、

それを「執着」と言います。

 

もちろん

「執着」は誰にも

あります。

 

それがあるからダメです、

というお話でも

ありません。

 

「土台」が執着で

あるならば、

その執着の中身を

観察してほしいのです。

 

じーっとその執着の

いや〜な感覚を

あるがままに

感じてみてください。

 

その執着を

完全に味わい尽くそう

もしくは、

細部まで観察し尽くそう

としてみてください。

 

そうすると何となく、

その執着が

何を望んでいるか?が

わかるかもしれません。

 

そうです。

 

執着にはすべて

「望み」があります。

 

その「望み」が

普段、満たされていないが

故に、

その執着が生まれると

言ってもよいでしょう。

 

自分の中の

満たされていない「望み」。

 

それが何か?

を自分で理解することは

とても重要です。

 

なぜならそれを

満たしてあげられるのは

自分自身だけですから。

 

・・・・・・

 

今の私はおかげさまで、

「土台」は

光り輝いているのですが、

 

昔の私は

もう、ドロドロでした。笑

 

執着の塊。

 

私にとって一番大事なもの

について、

「それは俺のものだ!」

と私の執着は

叫んでいました。

 

そして、

「俺が支配者だ!」

とも。

 

つまり私は

私自身が支配者に

なりたかったのですね。

 

当時の私には

非常に厳しい師匠がおり、

ある意味、毎日

自分をいかに抑え込むか?

ばかりを考えていました。

 

恐らくその反動で、

支配欲が強烈に

高まっていたのだと

思います。

 

問題なのは、

その支配欲に私自身が

いっさい気づいていなかった

ことです。

 

ということは、

私の知らないところで

私のちょっとした行動や

表情や、振る舞いや、

そして空気感などで、

私の支配欲は常に

私から滲み出いていた

はずです。

 

私は無意識に

支配欲を持ち、

無意識に

支配欲を抑えこみ、

無意識に

それが滲み出ていた。

 

そんな私が

日々を送れば、

どのような人生になるかは

一目瞭然ですね。

 

・・・・・・

 

自分の執着を

否定するのではなく、

自分が何に執着しているのか?

をあるがままに

自分が知ることは

大変、意義のあることです。

 

自分が知るだけで

それだけでもう、

その人の空気感は

変わるのですよ。

 

つづく

 

きちんと迷う人生にしよう

「迷う」ことが

いけないことであると

思わないでください。

 

私達の人生に

必須なものが

「迷い」です。

 

迷うべきときに

迷うべきものに

きちんと迷う

ことが

健全な生き方です。

 

真本音度合いが

高まったり、

意識の次元が

上がるということは、

迷いがなくなる

ということではなく、

迷いの質が向上する

ということです。

 

質の高い迷いとは、

迷うことそのものによって

エネルギーが高まり、

幸せ感が高まり、

自由を得られるものです。

 

質の高い迷いは、

答えが見えなくとも、

きちんと迷うだけで

私達は充足感を

得ます。

 

そして、

最も必要なタイミングで

「答え」が自然に

浮上し、

それにより

一つの殻を破り、

さらなる自由へと

自分を開放できます。

 

「迷いが出た」

 

「やった!私はまた

自分を開放できる」

 

というように、

「迷い」=「開放の瞬間」

とも言えるように

なります。

 

「良い迷いには

開放がセットでついてくる」

 

これが、

「迷い」の本質です。

 

・・・・・・

 

ただし。

 

すべての「迷い」が

良いわけではありません。

 

「良くない迷い」も

あります。

 

「良い」とか

「良くない」という表現は

あまりに短絡的ですが、

ここはあえて

わかりやすくこの表現で

進めます。

 

「良くない迷い」とは

一言で言えば、

 

「迷っているフリを

している迷い」

 

です。

 

本当は、

こんなことで迷う必要は

ないし、

本当は、

こんなことに本気で

迷っているわけでは

ないのに、

「私は迷っている〜!

私は苦しんでいる〜!

私はもがいている〜!」

とやり続けています。

 

なんでそんなことを

するのか。

 

その理由は

単純です。

 

現実と向き合いたく

ないからです。

 

今、本当に

自分が向き合わなければ

ならない「現実」から

逃げているのです。

 

逃げるための口実として

「迷っている自分を

演じている」

のです。

 

ただし、

本人の顕在意識は

本当にそこで迷っている

つもりになっています。

そして、

「迷うから進めない〜!」

という心の声が出ます。

 

実はこれが

「良くない迷い」の

特徴です。

もし、

「迷うから進めない〜!」

という心の声が出たら、

それは恐らく

「良くない迷い」

です。

 

その心の声は

進まない口実のために

生まれたものです。

 

本当に人生を

真剣に生きている人は

迷っていても

進もうとします。

 

迷いを

停滞の

理由には

しません、

決して。

 

「この迷いが取れてから

先に進もう」

というのは、

現実逃避の典型的な

パターン。

 

先ほども書きましたとおり、

本来の「迷い」とは

人生を加速させてくれる

ものです。

 

「迷い」があるからこそ、

先に進めるのです。

 

・・・・・・

 

反対に。

 

「迷い」そのものに

フタをしている人も

います。

 

「私はまったく

迷っていません」

と、

その人は言います。

 

言うだけでなく、

本人も本当に

そう思っています。

顕在意識では。

 

しかし、本当は

とても重要な「迷い」が

その人の中には

あります。

 

その「迷い」に向き合うことで

次のステージに

進めるのに、

それをしようと

していません。

 

これも、

典型的な

「現実逃避」です。

 

「迷い」にフタをし、

「私は迷っていない」

と自分を思い込ませ、

 

「だから

このままの私でいい」

 

と、

自分に言い聞かせ

続けています。

自分自身が。

 

そういった人ほど、

「私の人生は

充実しています」

とか

「私は毎日が

楽しいです」

など、

多くの前向きな言葉や

笑顔を見せるのですが、

残念ながら、

その人達には

足元がありません。

 

とても

フワフワした

空気感ばかりが

漂います。

 

地に足が

ついていないのです。

 

・・・・・・

 

なんか、

また今回もちょっと

キツイ言い回しに

なっていますが、

なんでこういったことが

わかるかと言うと、

以上に書かせていただいた

ことは、すべて

私の体験談でもあります。

 

昔の私のことを

私はついつい悪く

言ってしまうのですが、

昔を否定しているのではなく、

ただ、事実を

そのままお伝えしています。

 

私は、

「現実逃避のプロ」

でした。

今から

振り返りますとね。

 

ありとあらゆる

現実逃避の方法を

駆使して

生きていました。

 

ですから、

よくわかります。

 

「現実逃避」が

いかに

自分を閉ざしていくか。

いかに

自分を苦しめ続けるか。

 

・・・ということを。

 

そして、

昔の私ほど

ひどくはありませんが、

やはり多くの人達が

多かれ少なかれ

現実逃避のパターンを

繰り返しています。

 

開き直り、

そこから抜け出れば

本当に

楽になるのですが、

どうしても

「執着」

してしまうのですね。

 

何に「執着」するか

と言うと、

 

「自分以外の何か、誰か」

 

にです。

 

執着とは、言葉を換えれば

「依存」

とも言えます。

 

現実と向き合い、

迷いと向き合い、

次のステージに

進むということは、

そういった

「執着している対象」

「依存している対象」

を手放すことに

なります。

結果として。

 

そのことを私達は本当は

よ〜く理解していますので、

その執着・依存を

取り去りたくないのです。

 

もしくは、

執着・依存を手放すことに

恐怖を感じるのです。

 

・・・・・・

 

自分は今、

何に執着しているか?

 

の答えを

執着している今の自分が

見つけ出すことは

至難の業です。

 

それよりも

私達にとって大事なのは、

 

自分は今、

何に迷っているか?

 

を特定することです。

 

本当の「迷い」を

自ら見つけ出すことです。

 

この力がつけば、

人生は

本当に本当に

楽になります。

 

迷いを見つけ出す。

 

本当の迷いを。

 

これも

セルフコーチングの

基本です。

 

つづく

 

大事なものほど手放してみよう

「自由」と「手放す」

というのは、

ある意味、

同義語かもしれません。

 

もちろん

イコールではありません。

 

しかし、

本当に自由な人には

執着がありません。

 

手放すべきものを

手放すべきタイミングで

すぐに手放すことが

できます。

 

逆に、

そういう人は、

何を手放してはならないか?

について

とても冷静です。

 

手放すべきものと

手放してはならないものを

常に落ち着いて判断し、

その通りに実行することが

できます。

 

そういう人は概して、

とてもあたたかい雰囲気を

持っています。

 

そして、いい意味で

無邪気です。

 

一緒にいて、

癒されます。

 

なぜそうなれるか?と

言いますと、

そういった人は

実在レベルでは

すべてに満たされている

からです。

 

実在レベルでは

すべては一つである

という感覚が

大きいのです。

 

現象レベルで

何かを手放しても、

それはただ距離を離すという

だけのことで、

実在レベルでは

一つであるし、もしくは

共に在るのです。

ということを

感覚としてよくわかって

いるのです。

 

むしろ、

距離を調整することこそが

実在レベルでのあらゆるものの

存在感を

より高め合うことができる

ということも

よくわかっています。

 

「もうあなたと会うことは

やめにします」

「もうあなたと一緒に

仕事をすることはやめます」

「もう離れて暮らしましょう」

 

・・・というようなことを

言いながらも、

それをすることで

お互いのつながりや存在や

そして愛が

さらに深くなることを

知っているのです。

 

・・・・・・

 

私達が手放せるものの中で、

ある意味

最大のものは、

「人生」

かもしれません。

 

「人生を手放す」

 

もちろんそれは

自殺ということでは

ありません。

 

自分の人生を一度、

完全に手放して

しまうのです。

まずは

実在レベルで。

 

つまりは、

心の中で。

 

私は私の人生を

完全に手放せたな。

 

・・・と100%思えることで

初めて観えてくることが

あります。

 

例えば、

自分は自分の人生に

いかに執着していたか?

とか。

 

実は私はこれまで

何度もこれを

しています。

 

私の場合

そこで発見したのは、

人生の願いやビジョン、

そして、

使命に対して

依存している自分自身でした。

 

自分の真本音に

依存している自分であり、

自分の真本音に

執着している自分

でした。

 

もうその時点で

真本音

ではなくなってるんですけどね。

 

もちろん私達は

人間ですから、

執着があるのは当たり前です。

 

執着をゼロにすることは

難しいでしょう。

 

しかし、

執着が執着であることを

知ることが大事であり、

それが執着であるという

自覚のないまま進むことは

できれば避けたいですね。

 

・・・・・・

 

今、あなたにとって

最も大事だと思える人を

一人選んでください。

 

その人を

手放してみてください。

 

もちろん、

心の中だけで結構です。

 

でも、

完全に手放してみて

ください。

 

できます?

 

できないですよね。

 

そりゃ簡単には

いきません。

 

でも、

「手放せた!」

と確信できるまで

がんばって

やってみてください。

 

もちろん

心の中だけです。

 

するとそれが

ゼロリセットとなり、

その人との

新たな関係がスタート

するかもしれません。

 

その人との関係において

これまで思いもよらなかった

発想が

浮上するかもしれません。

 

同じように、

今の自分の仕事に

対しても

心の中で完全に

手放してみてください。

 

何をどう

感じますか?

 

どうしてもそれは

手放せない、

ということであれば、

それはまず間違いなく

執着です。

 

本当は私達は

自分にとって

真に大事なものであればあるほど

手放すことができるのです。

 

しかしもちろん、

その執着を無理に取り払う

必要はありません。

 

でも、

その執着がどのようなものかを

しっかり観察し、

自覚することは大事です。

 

その執着が

あなたの人生の足を

様々な場面で

引っ張っているかも

しれませんから。

 

以上は、

現実を本当に動かすわけでは

ありませんので、

「遊び」の範疇です。

 

でも、

「遊び」だからこそ得られる

発見もあります。

 

「遊び」だからこそ

一度、

真剣にやってみることを

お勧めします。

 

つづく

 

そのこだわりは執着です

私達人間は

真本音のこだわりを持つことで

進化します。

 

しかしその「こだわり」は

なぜ持つかと言うと、

「手放す」ためです。

(→前回記事)

 

真本音のこだわりは、

必ず

手放す時が来ます。

 

なぜならそれは

自分自身だからです。

 

私で言えば、

私が初めて見出せた

真本音のこだわりは

「向き合う」

でした。

 

私はそれを自分の人生理念として

大切にし続けました。

それこそ、

24時間、その言葉を

思い出し続けました。

 

特に人とコミュニケーションを

とるときは、

「向き合う」という言葉を

自分の体の中心に

貼り付けているようなイメージを

いつもしていました。

 

すると、本当に

人と向き合うことができた

からです。

 

それ以前の私は、

人と向き合うことが

至難の業でした。

 

向き合っているフリは

できましたが。

 

人生理念「向き合う」ということを

いつも意識し続けることで、

私は私にとっての至難の業だと

思っていたことを

乗り越えることができました。

 

で、ある時に

その「向き合う」という言葉が

どうでもよくなりました。

 

むしろ、

「向き合う」という言葉に

違和感を覚えるように

なりました。

 

「向き合おう」とすると

逆に力が入ってしまうような、

自然体が崩れるような

感覚となりました。

 

それはそうです。

だって、

本当は、

「向き合う」とは

私自身だったから

です。

 

たけうちなおと

という人間は、

「向き合う」が

現象化したものだった

のです。

 

向き合う=私。

私=向き合う。

 

ということです。

 

つまり、

真本音のこだわりとは

本来の自分自身を

ある一面から

表現しているに

過ぎません。

 

「向き合う」と「私」は

同じであり、

「一つ」です。

 

でも、以前の私は

もともと「一つ」であったものが、

分離してしまって

いました。

 

私は向き合うことが

できない人間だ。

 

・・・と私は思い込んで

いました。

本当はそうではないのに。

 

そこで、その分離をなくし、

本来の姿に戻るために、

私はあえて

「向き合う」という言葉を

言語化、明確化し

それを意識するように

したのです。

 

意識し続けることで、

その分離はだんだんと

修正され、

ある時ある瞬間に

「一つ」に戻ることが

できたのです。

 

その瞬間から私は、

「向き合う」ということを

わざわざ言語化すること自体に

不自然さと違和感を

覚えるようになったのです。

 

当然のことです。

 

実はこれは私だけでなく、

誰にでもよくあることです。

 

私達の多くは、

本来の自分を忘れています。

 

そして、

本来の自分を

自分から分離しながら

生きています。

 

それは非常に

不自然な状態です。

 

不自然が故に、

ストレスが生じます。

エンティティが

発生し続けます。

 

その不自然さを

修正するために必要なのが

言葉。

 

言語化することで

修正し、

修正できればもう

その言語は

必要ありません。

 

手放せば

良いのです。

 

ところが、

もうすでに

修正が完了し、

もうすでに

「一つ」に戻れているにも

関わらず、

「まだ自分はそれができていない」

と思い込み、

ずっと自分の「こだわり」に

こだわり続ける人がいます。

 

それは、

本質的なこだわりではなく、

ただの「執着」であり

「依存」です。

 

「執着」の段階に

入ってしまっているにも関わらず、

それにこだわり続ければ、

逆に、

ストレスやエンティティが

発生します。

 

だからこそ

大事なのです、

「手放す」ことが。

 

そこで、

自分自身にぜひ

問うてみてください。

 

私にとっての

最大のこだわりとは

何だろうか?

 

もうそのこだわりは、

私は

手放してもよいのではないか?

 

・・・と。

 

理屈でも何でもなく、

直観として

「そうだな。手放そうかな」

と思えたら、

その通りにすることを

お勧めします。

 

もうあなたは

それ、そのものに

戻れているのですから。

 

つづく

 

自己変革のフリをする人達・・・

私達の描く未来像には

二つの種類があります。

 

それは、

・実在の未来

・イメージの未来

です。

 

それは、

・真本音で描く未来

・反応本音で描く未来

とも言い換えることができます。

 

しかし、

反応本音で描く「イメージの未来」が

いけないわけではありません。

 

それをきっかけに

「真本音で生きる」ことに

つなげることができます。

 

そんなお話を

今は書かせていただいています。

(→前回記事)

 

今回は、

「イメージの未来」を活かす

3つ目のケースをご紹介します。

 

その目的は、

「これまでの自分を手放す」

です。

 

世の中には、

これまでの自分

今の自分

のことが大好きな人がいます。

 

ただしそれは、

反応本音のレベルでの

「大好き!」です。

 

自分のことを「大好き」で

あること自体はもちろん

悪いことではありません。

 

しかし反応本音レベルの

「大好き!」には

ごまかしが含まれます。

 

本当は、自分の中に

絶対に観たくない部分があり、

それにフタをし、

自分で自分をごまかすために

自分を「大好き!」に

させています。

 

もちろんその「大好き!」な自分は

本来の自分の姿とは

異なります。

自分自身の真本音の望む姿

とも異なります。

 

異なっているにも関わらず、

今のこの自分を「大好き!」と

思いながら、

決して自分を変えようとしません。

 

実は・・・。

 

そういう人ほど、

表面上は

「自分を変えます!」宣言を

します。

 

そして誰よりも高い意欲を見せ、

自己変革をしようとします。

 

しかしそれは、

自己変革をしている「フリ」

でしかありません。

 

頑張っている「フリ」でしか

ありません。

 

結局は、ああだこうだと理由をつけて

これまでの自分、

今の自分でいいや、

という結論に自分の中で至ります。

 

結局、

何も変わりません。

 

本人は

「私はここが変わりました!」

と自己アピールするのですが・・・。

 

しかし側から観れば、

何も変わっていないのです。

 

それどころか、

自己変革の自己アピールを

すればするほど、

これまでの自分への執着が

よりひどく増していきます。

 

実は、こういうタイプの方の

サポートが

最も難しいかも知れません。

 

でも、

このタイプの人がそのままで

いてもらっては

周りが迷惑です。

 

このタイプの人は、

周りにどれだけ迷惑をかけているか

まるでわかっていない場合が

多いのです。

 

そこで私がよく取る方法が、

「自己満足でもいいから

未来のイメージをする」

ということです。

 

今の自分の延長線上でも

よいのです。

とにかく

理想の未来像を描いて

いただきます。

 

もちろんそれは

真本音の未来像(実在の未来像)とは

まったく異なるものです。

 

しかしそれでも

「未来の視点」に立つことは

できます。

 

「未来の視点」から

今の自分を見て、

どう感じるか?

何を変えなければならないか?

 

それを発想し、

動いてみます。

 

実際に動けば、

必ずその人は、止まります。

 

それはそうです。

 

真本音とは異なる未来に

向かうわけですから。

 

自分の中に

言いようのない気持ち悪さが

発生します。

 

もしコーチングのサポートがなければ、

その人はその未来に向かって

ゆっくりと進んで行くでしょう。

気持ち悪さを感じないくらいに

ゆっくりと。

それをすることで自己満足感が

消えることはないからです。

 

ところが、

コーチングサポートを受ければ、

その人はその未来に

全力で向かうことになります。

 

すると、気持ち悪さを

ごまかすことができません。

 

必ず、止まります。

 

必ず、挫折します。

 

それをわかっていて

サポートするのはこちらが

とても辛いのですが、

しかしそれも大切な一歩です。

 

その人に湧き上がる

気持ち悪さ。

そして、挫折。

 

いったい、どうしてこんなにも

気持ち悪いのだろうか?

 

どうして、

挫折をしてしまうのだろうか?

 

そういった「?」がその人の中に

湧いてきたらしめたものです。

 

その人はそれを機に

変わり始める可能性があります。

 

これはちょっと意地悪な

サポート法かも知れません。

 

でも、残念ながら

このタイプの人へのサポート法で

これよりよい方法が

今のところ、私には思いつきません。

 

このタイプの人に

どれだけ

「あなたはこれまでの自分に執着している」

と厳しくフィードバックしても、

その場は神妙に捉えますが、

それもやはり「フリ」で、

何も変わらないのです。

 

自分に執着する度合いが凄く、

まったく人の声を

取り入れません。

取り入れる「フリ」はしますが。

 

ですから、

自ら望む(と思い込んでいる)未来に

全力で向かい、

自ら「何かが違うのではないか?」と

気づいていただくことしか

ないのではないかと

今の私は思っています。

 

かつて私も

自己満足や自己愛の人生を

送っていました。

 

そこから抜け出るのは

相当に大変でした。

 

よほど痛い目に合わないと

抜け出ることはできないのだと

思います。

私はそうでした。

 

ですから、

致命的な痛い目に合わずに

できるだけ早い段階で

その「気持ち悪さ」に気づいていただく、

そのきっかけを与えることが

他者ができる最大のサポートかな、

と現時点では思っています。

 

つづく

 

『脱皮し続ける人生』

人は脱皮します。

しかし、 脱皮の時期がきているのに 脱皮せずに
これまでの自分に執着すると とても苦しくなります。
その苦しさのまま 人生を終えてしまう人も多いです。

脱皮をすれば

とてつもない開放感を得られます。
自由自在な人生を 生きることができます。

しかもその脱皮は 連続して訪れます。

たった一年で、 何度も脱皮する人も います。

これまでの自分の人生が 嘘のように小さく見える 人もいます。

でも無理をしているわけでは ありません。

無理をするのではなく 脱皮をするのです。

そうすれば いつも自然体で いつも淡々と
いつも楽しく 進むことができます。

どうすれば そんなことができるの?

そんな疑問にお応えする ブログです。

・・・・・・

人が脱皮するのと 同じように、 組織も脱皮します。
そしてこれも個人と同じですが、 脱皮の時期にいるのに
これまでのやり方に 執着することで 衰退を始める組織も 多いです。

脱皮の時期には 混乱が起こります。
不安定が 起こります。
それを恐れるあまりに 脱皮とは逆の方向に 向かってしまう組織も
多いです。

きちんと脱皮すれば 組織は安定的に成長し続けます。

脱皮することは 永続的な組織を創り上げるのです。

チームパフォーマンスコーチとして
組織の現場で体感しながら 得た真髄を、
このブログでは書き続けます。