チームパフォーマンスコーチ

何かに包まれている

今、自分が
包まれている
ものは何か?

そんな
視点を持とう。

良い意味でも
悪い意味でも

私達は
常に
何かに
包まれている。

時には
それらに
知らぬ間に

呑み込まれて
いる。

良い意味でも
悪い意味でも。

自分が
今、
何に
呑み込まれているか?

を知る、
ということでも
ある。

それがわかれば、
自己コントロールは
一気に
効くようになる。

呑み込まれた
ままだと
しても。
それでも
効くようになる。

もしくは、
自分の意志として
もっともっと
呑み込まれて
しまおう!


思うことも
あるだろう。

生きる、
とは
何かに
包まれること。

とも
言えるのだ。

包まれる
ことを
拒むのではなく、

そこはもう
諦めて、

しかし
包まれた自分
として、

包んでくる
そのものに
対して、

そして、

さらに
その周りの
現実に
対して、

自分の意志で
意思で
丁寧に
対応しよう。

それが
自律という
ことだ。

つづく

途切れそうか

途切れる
ことを

恐れるな。

恐れる
必要はない。

途切れれば、
途切れる
ままに。

それは
「終わり」に
見えるが、

その
「終わり」が
なければ、

次の
「始まり」は
来ない。

私達は
・成功
・失敗
という目線で
ものを見過ぎだ。

脈々と流れる
時間の中で、

人生の中で、

生きている
以上は
続いていく。

いや、
人生を終えても
流れは
続く。

自分が
ここにいた
という
事実は変わらない。

あなたも
私も
必ず
影響を残して
いる。

それが
生きる、という
こと。

その中での
途切れ
とは、

節目
でしかない。

しっかりと
節目を
受け入れ、

受け入れた
自分として、

それこそが
新たな自分だ、

次の
「始まり」を
迎えよう。

つづく

漂う遺志

ある人の
遺志
が、

今ここ
目の前に
ある。

実在と
して。

私はそれを
手に取り、

少し重いな


思いながらも
じっと
見つめている。

観つめて
いる。

その人の
遺志だが、

実は
その人自身も
誰かから
この遺志を
受け取り
生きてきたんだな、

ということが
わかる。

遺志は
人から人へと
移っていく。

ただ、
誰もに
というわけでは
ない。

その遺志の
本質を
受け止められる
人。

いやそれ以前に
ここにその
遺志が
実在していることに

気づかねば
ならない。

この世の中
には
様々な遺志が
漂っている。

そのほとんどは
浮遊した
ままだ。

皆、
寂しそうだ。

私は今、
じっと
見つめている
この
遺志を

受け継ごう
かと

意志を
固めたところだ。

つづく

今、対峙する問い

たった一つの
問いが

今ここに
ある。

それは
次のような
ものだ。

・・・

最も激しい何か

立ち向かわなければ
ならない、
としたら、

何に向かう?

・・・

覚悟と共に
私はその答えと
これから
対峙する。

皆さんも、
きっと
同じだろう。

つづく

本当に大事な答えは

本当に
大事なものは
何か?


訊かれたら、

答えるべき
ことが
あるだろう。

でもそれを
咄嗟に
答えられるのは、

常に
この問いを
自分自身に
投げ続けている
人、のみ。

ただし、

答えは
これが最高だ、

決めつけない方が
いい。

私達は
常に
進化・深化を
続けている。

さっきまでの
最高が
今はもう
最高ではない

可能性は
十分にある。

本当に
大事な答えは
探究し続けること。

だから、
最高の答えは

問いかけられた
その瞬間に
こそ

咄嗟に
出るものだ。

直観的にね。

つづく

世の中は本気だ

時代の
変わり目

時代の
変わり目


ずっと
言い続けて
いるが、

時代が
どう変わるか?
と言えば、

ずっと
時代の変わり目

あり続ける
時代になった

ということだ。

10年かけて
起きていたことが
(現象が)

1ヶ月、

いや

下手をすれば
1日で
簡単に起こり得る、

そんな
時代だ。

私達はもう
その
最中にいる。

AIとかの
話だけでは
ない。

実在レベルの
話、
つまりは
本質的な話も
含めて、だ。

私達人間は
本質的変化を
求め続ける
一方で、

それを
極度に
恐れる。

表面は
変われど
本質は
変わらず。

そんな時代を
私達は
ずっと
生きてきた。

が、
ようやく
準備が整った
のだ。
この10年で。

本質的変化

しても
大丈夫、

・・・とまでは
言わないが、

でも
それを受け入れる
覚悟が
多くの人達に
ついてきた。

それを
「世の中」の実在は
ずっと
待っていたんだ。

皆が、
変化への覚悟を
持てば、

気兼ねなく
変化できる。

「世の中」の実在が
本当は一番、
変化を望んでいた
のかもしれない。

人が
世の中を
動かしているだけでは
ない。

世の中も
人を動かす。

その
相互作用の中で、
今、
「世の中」の実在は
本気だ。

本気で
変わろうと
している。

変わり続けよう
としている。

私達は、
心して
かかろうでは
ないか。

つづく

何に意識を向けるか

気を取られる
何か

あったとしても、

本当に
今、自分が
意識を向けるべき
対象は何か?

という問いを
常に
丁寧に
自分に投げながら、

その対象から
意識を
逸らさないように、

集中し過ぎる必要は
ないが、

でも常に
そこに
意識を向け続ける
ようにしよう。

意識を向ける
とは、

あるがままを
観ること
聴くこと
感じること。

いつも言うように
自分の解釈は
一切、
入れない。

ただ観る、
聴く、
感じ取る、

だけでいい。

それだけで
私達には
ちゃんと
直観が働く。

思考は
大事だが、

要らぬ思考は
私達自身を
惑わせる。

今の自分は
何にこそ
意識を向け
続けるか?

愚直に。

ここを
本当に
丁寧に。

特にこの
7月からは。

つづく

低く飛ぶのも大事

低空飛行を
続けていると、

雲や雨の
影響を
いやでも受けて
しまう。

揺れ揺れの
状態で
何とか
前に進む。

本来であれば、
もっと
高く飛べば、

雲から
抜け出せる。

もっと安定して
進める。

それは
わかっているが、
あえての
低空飛行だ。

これを
しなければ
観えてこない
ことは多い。

人の意識の
次元の
喩えだ。

高い次元
だけで
すべてを観よう
としても

残念ながら
この世の中は
見落とすこと
ばかりだ。

高いところから
低いところへ、
という
表現をすれば
傲慢だと
受け取られるかも
しれない。

そんなことは
どうでもいい。

私達は皆、
本来は
高い次元から
低い次元まで
様々な意識の
階層を
持っている。
それが
人間。

ただ、
世の中の
場としての影響を
受けながら、
高い次元を
忘れてしまっている
人は多い。

だから
いち早く
高い次元を思い出した
人は、
意図的に
高低、両方の次元を
行き来するといい。

低い次元は
苦しい。
不安定だし。

でも、
いつでも
高い次元には
戻れる。

最もいけないのは
低い次元を
除外したり
排除しようと
すること。

いつもいつも
くどいようだが、
人は
高低、様々な次元が
あるから
人だ。

そこにこそ
価値がある。

だから
自由に
行き来しよう。

これも
自由のカタチの
の一つだ。

つづく

覚悟の問い

この道は
どこまで
続いているか?

本当に
この道で
良いか?

そう
問うた時の
心のざわめき。

そこにこそ
意識を
向け続けよう。

そして
さらに
次のように
問うのだ。

時間を
止めるか
進めるか?
進めるなら、
私は
何者になるか?

、と。

つづく

巨大な背中

何者か、
がいる。

巨大な
存在。

目の前
だ。

背を
向けている。

まっすぐに
前を向いて
いるのか?

それとも
私を
避けているのか?

わからないが、
話しかけて
みる。

なぜ、
私の真正面に
いる?
これでは
前が見えない、と。

返事は
ない。

無言のまま。

その存在は
進み始めた。

だんだんと
遠ざかる。

巨大さに
よって
塞がれていた
視界が
復活する。

すると
様相が
変わっていた。

これまで
観えていた
世界とは
まるで
別世界。

ここは
どこだ?

焦る。

焦る必要は
ない。

と、
何者かの
声。

そうか、
あの
巨大なやつの
声だ。

観える
世界が変わる
ということは、
私自身も
変わるということ。

これまで
散々
変わってきたのに?

また
変化するの?

こんなもんじゃ
済まないぞ。


またあの声。

わーったよ、

どうせ
私は
進むと
決めている。

ここが
どんな
世界だろうと。

もはや
あの巨大な
存在は
影も形もない。

が、
私にはもう
わかっている。

あれは
私だ。

もうすでに
あれ、
とは一つに
なっている。

これが
今回の変化
だ、と。

つづく

人生への問い

たった一つの
問いが、

人生を変える
こともある。

自分の人生を
だいぶ
離れたところから

客観的に

まるで
他人事のように

俯瞰しながら
自分に
問うてみよう。

「本当に
この人生で
いいの?」

「本当に
このまま進んで
いいの?」

まるで
他人事の
ように。

でも、
答えは
真摯に
受け取ろう。

つづく

リーダーが埋もれている

くるくる
回りながら
ひっきりなしに
動いているものを
見れば、

エネルギー
高いなぁ


思うからも
しれないが、

逆だ。

一見して
エネルギーが
高そうに見える
ものは、
実は
それほどでも
なかったりする。

それよりも
本当の
エネルギーの高さ
とは

静けさにこそ
現れる。

単なる
静か、では
ない。

独特の
静けさだ。

それは
「中心の静けさ」

表現してもいい。

中心の静けさ
は、
表面にも
滲み出る。

それは
とてつもない
安定感を
生む。

中心が
静かでないと、
皆、
バタバタする。

エネルギー
ないのに、
バタバタ。

でもそれで
エネルギーが
高いように
誤解される。

だから、

本当は
あまりエネルギーの
高くない人に

本当は
エネルギーの
高い人が
従っている、

という状態を
よく見かける。

本当は
あなたは
リーダーに
向いているのですよ、


私がお伝えすると、

自分がまさか
そんなに
エネルギーが高い
とは、
生まれてこのかた
思ったこともない
人だったりする。

滲み出ている
のに。

でも、
周りが
気づいてあげて
いない。

エネルギーの高さ
とは、イコール
影響力の高さだ。

そして
影響力の高さ
とは、イコール
リーダーシップだ。

そういった意味で、
リーダーは
たくさん
埋もれている。

本当に
エネルギーが高く
皆をリードすべき
人達が。

まだまだ
埋もれている。

つづく

一滴の重み

雨が
一滴だけ
降ってきた。

ほんの
一滴だけ。

一滴だから
問題ないや、

捉えるか。

それとも

やばい
本降りに
なるかも、

捉えるか。

組織や
チームの
活性化という
視点から言えば、

この
最初の一滴、

ここで
どう動くか?

勝負が決まる。

「勝負」という
表現が
適切かどうかは
別として。

そこで
その後の
展開が
根本的に変わるのだ。

その一滴が
何らかの
問題の兆しかも
しれない。

逆に、
大きな可能性の
開花の
兆しかもしれない。

どのような
兆しで
あったとしても、

最初の
一滴を
感じられる
感性

こそが必要だ。

感性を養う
には、

「観察」

が一番。

観察、とは
あるがまま
そのまま

見ること。
聴くこと。
感じること。

自分の
解釈を
一切、入れずに。

意識を
内側(思考)に
入れない。

意識を
ずっと
外(現実)に
向け続ける。

事実を
事実として
そのままに
キャッチする。

これを
極端に言えば、
一日24時間、
やり続ける。

寝てる時間
以外は
やろうと
し続ける。

すると、
世界が
変わる。

世界の
映り方が。

これに
慣れてくると、
ある時から
急に、

感性が
働くように
なる。

一滴が、
とてつもなく
大きく
重く

観えて
くるんだ。

つづく

また下りだ

本当は
滑り台でも
あれば、

サササッと
滑り降りたい
ところだ。

しかし
一歩一歩
丁寧に
足を運ぶ。

実は、
下りというのは
登り以上に
疲れるし、

体への
負担も大きい。

怪我も
しやすい。

気を抜くことが
できないので、
精神的にも
疲れる。

登りは
楽。
下りは
キツい。

できれば
ずっと
登り続けたいが
もちろん
そんな訳には
いかない。

どころか、
下りこそが
大切、
ということもある。

下らねば
絶対に見つからない
ことは多い。

下って初めて
手に入れられる
こともある。

登りだけでは
偏りだらけだ。

登山も
人生も。

夢、
ビジョン、
目的、・・・

それが
観えれば
観えるほど、

その途上での
下りは
激しくなる。

アップダウンも
多くなる。

面倒この上ない
のだが、
それは
私達人間が
本能的に望んでいる
ことだ。

進化の
ために。

せっかく
ここまで
登ったのに、
また
下るのか・・・。


言いたくなるが、

面倒だが、

でも、
下りこそ
登り。

そう
捉えて
がんばるしかない。

その
がんばりとは、

丁寧に
一歩一歩
足を踏み出す
ことだ。
下りこそ。

その
一歩一歩でしか
見つけられない
ことがあるから。

つづく

閉じ込めているんだよ

自分を
狭い筒の中に
閉じ込める。

身動きが
取れない。

しかし
いつの間にか
その筒が
自分である、

思い込む。

筒は
筒だ。

その中に
入っている
だけ。

でも
そのことを
忘れてしまう。

自由とは
まずは
その筒から
脱け出す
ことだ。

環境の
ことを
言っているのでは
ない。

精神的な
ことだ。

本来の自分
ではない
価値観に
自分を
合わす。

それは
時として
必要だろう。

しかし
その価値観が
自分そのもので
ある、

思い込むのは
あまりに
不自然だろう。

閉じ込めては
ならない。

一時的に
そうならざるを
得なかったと
しても、

ちゃんとそこから
出してあげる
こと。

でないと、
ずっと
自分を失った
ままだ。

とは言え、

本当のことを
言えば、

もう
その筒に
入ること自体が
必要ないんだ。

時代は
変わった。

筒に
入らずとも、

いや、
というよりも、

筒に
入らないからこそ
調和する。

そんな時代に
なれたんだ。

調和のために
筒に入っても
不調和しか
生み出さない。

そんな時代に
なった。

だから
生き方の
切り替えが
必要だ。

自分を本当に
失ってしまう
前に、

まずは
筒から自分を
出すことだ。

つづく

それは他者の道だ

道が
定まらない。

あっちにも
こっちにも

まっすぐな
道が
見える。

どれも
まっすぐだ。
気持ち
良さそう。

でも
どれも別の
方向に
伸びている。

どれに
したら
いいんだ?

そういった
迷いを
何度も人生で
繰り返してきた。

小さいこと
から
大きなこと
まで。

しかし、

自分が迷う
時点で
それは
本来の道では
ない。

まっすぐに
見えているのに
迷うなら。

それは
他者の道だ。

だから
振り返って
見れば、
私はそういった
気持ち良さそうな
道の数々を

すべて
無視してきた。

もしくは、
手放してきた。

だから
ここに
立っている。

私達は
すでに
道にいる。

道のど真ん中

立っている。

それが
自分の
道だ。

どれだけ
魅力的に
見えても、

他者の道は
他者の道だ。

惑わされるな。

真の幸せは
自分の道の
上でこそ
感じられるものだ。

つづく

その苦しみから脱け出してほしい

皆さんの前に
立つ直前に、

全身を覆う
苦しみが来た。

あぁ、これは
この場にいる
皆さん全員の
苦しみだ。

苦悶の表情に
なりそうに
なる。

が、今は
表情に
出すわけには
いかない。

冷や汗が
出る。

必死に
苦しみを
浄化する。

それが
上手く仕切れない
ままに
時間が来た。

皆さんの
前に
立たねばならない。

これまでも
こういったことは
何度もあったので、
まぁ何とか
なるだろう、と
開き直って。

ところが、
皆さんの前で
語り始めたら、

どんどんと
上から下に
苦しみが
流れ始めた。

浄化が
急ピッチで
進んだ。

そうか。

これも
ここにいる
皆さんの
力だ。

これが
皆さんの力
であり、

かつ

こういった力が
あるからこそ、
皆さんは
たくさんの人から
たくさんのストレスを
受け取ってしまう。

それが
自分の
役割であるかの
ように。

そういった
皆さんの
場なんだな、
ここは。

力ある者が
その力を
存分に使う。

使い過ぎて
容量オーバーに
なる。

よくある
ケースだが、
私はこういう人を
こそ、
サポートさせて
いただきたいのだと
改めて思った。

自己犠牲は
自己満足だ。

それは
わかっている。

でも、それでも
必死に
それを
やり続ける人達。

私はある意味
尊敬する
と共に、

でもやはり
その苦しみ方からは
脱け出して
ほしいと
願うんだ。

つづく

それは無理だろ

無限の
エネルギーが
溢れているが、

私達人間は
その中の
ほんのわずかしか

自分に取り込む
ことができない。

それは
人として

自分を守る
という意味で

大切なことでも
あるが、

それにしても
私達は
エネルギーを
使わなさ過ぎだ。

生命エネルギーの
話だ。

この世の中、
世界
そのものが
生命だ。

だから
生命エネルギー

満ちている。

ところが
私達の多くは、
自分という
個人が
世界と
分離していると
思い込んでいる。

だから
生命エネルギー
とは
自分の中のみの
エネルギーだと
勘違いしている。

生命エネルギーに
内も外も
ない。

生命エネルギーは
内と外を
循環し続ける
ものだ。

だからこその
生命エネルギー。

ところが
循環させないままに
自分の中の
エネルギーのみで
すべてを処理しようと
してしまう。

それは
無理だろ。

だから
エネルギーは
枯渇し、
生きる気力そのものが
失われる。

エネルギーが
なくても
頑張れる自分に
ならねば、と
頑張る。

それは
無理だろ。

エネルギー循環を
取り戻そう。

内も外も
ない。

エネルギー循環の
始まり、
そして
源、は

願い、だ。

私達の
人生の願い、

真本音の願い、

だ。

願いに生きる
ことで
循環は
起こる。

願いを忘れる、
もしくは
無視することで

循環は
止まり、

私達は
エネルギーを
枯渇させる。

もう一度、

今一度、

自分の生き方
を、

人生の進め方
を、

見直して
みよう。

つづく

別々じゃないんだ

「中心」

「全体」

一つである。

「中心」に
意識を
向け続ければ、

「全体」が
わかる。

「全体」に
意識を
向け続ければ、

どこが
「中心」か?

誰が
「中心」か?


わかる。

「中心」に
真摯に
刺激を入れ
続ければ、

「全体」に
波及する。

「全体」から
受けるものを
真摯に
浴び続ければ、

さらに
「中心」を
理解できる。

あなた
自身の
「中心」は
どこだ?

「全体」を
感じ続けて
いれば、
それがわかる
はずだ。

そして
「中心」と
対話しよう。

「全体」の
ために、
あなたが今、
本当は
何をすべきか?

わかるはずだ。

「中心」と
「全体」は
一つだから。

常に、ね。

つづく

真の自由について

私達の時間
は、
一刻一刻
途切れている。

これまでも
何度もそう
書かせていただいたが、

改めて
大事なので
ここで書こう。

「時間」は
連続していない。

1秒前の
現実と
今の
現実と
1秒後の
現実は

それぞれ
別個の存在として
在る。

0.0001秒という
単位で見ても
同様。

すべての
時間は
別個の存在だ。

そこにいる
自分自身も
もちろん
別個の存在。

それが
同じ存在として
連続しているように
思えるのは、

私達の
顕在意識が
時間の流れ、

つまりは
過去、今、未来
という
一方向の流れに
しか
存在し得ない
からだ。

だから
この3次元世界
ではなく、
もっと高い次元から
私達の世界を
観れば、

たくさんに
分離した
それぞれの時間の
私達が
たくさん観える
状態だ。

これの
意味することは
とても大きい。

それぞれの
時間の私達が
分離しているので
あれば、

私達は
いつでも
変化を起こせる
ということだ。

少なくとも
自分自身に
ついて、は。

1秒前までの
自分が
自分である、

私達は
思い過ぎだ。

しかし
それは
これまでの
現象でしかない。

現象は
現象。

ただ、
映し出されている
もの。

その大本の
実在を
認識すれば、

あらゆる現象を
選び出せる
という真実も
わかる。

だから、
1秒前の
(0.0001秒までも同様)
自分を
基点にして
今の自分を
選ぶのではなく、

常に
実在に
戻るのだ。

実在の自分

基点とする。

それにより
私達は
自分自身を
自由自在に
コントロール
できる。

これこそが
真の
自由ではないか。

つづく

ここからの力の源泉とは

これまで
斜めに
伸びている、


認識していた
ものが、

実は
まっすぐだった、

それこそが
まっすぐだった、


気づくことが
多くなった。

この
現象の世界
では
私自身の目も
随分と
ひん曲がって
いたようだ。

しょうがない
ことだが。

あぁこれまでの
自分の見方が
違っていたな、

もし気づいたら

素直に
自分の意見を
変化させよう。

場合によっては
しっかり
反省しながら。

この世の中で
真実を
見極めることは
それはもう
難しい。

しかしそれでも
真実を
見極めようと
しなければ、

結局は
何も大切なものは
わからないままだ。

これが
正しい。

これこそが
素晴らしい。

・・・と
自分が信じ続けて
きたものを

今一度、
本当にそうか?

丁寧に確認して
みよう。

勇気が要る
ことだが、

ここからの
時代は
その勇気こそが

力に
直結する。

信じていた
ものを
改める。

信じていた
ものを
捨てる。

これが
力の
源泉となる。

つづく

もっと自然に進めるぞ

外側から
強引に
流していたものが、

内側から
自然に
流れ出るように
なった。

今の
この世の中の
実在の
変化だ。

これは
大きい。

この世界で
私が
最も大変だと
認識していたのが、

何とかして
外からの影響で
強引に
物事を進めなければ
ならない、

・・・という場面が
至るところに
存在する、
ということだった。

それが
ゼロになることは
まだまだ
あり得ないが、

随分と
減りそうだ。

今はまだ
実在の
変化。

だが
もうすぐそれは
現象化
するだろう。

実在の現象化

タイムラグは
随分と
短くなったから。

つづく

ほどほどに

限界まで
がんばって
しまう。

私の周りの
人達は
そのような人が
多い。

私も含めて。

想いが強いのは
良いことだが、

やり過ぎは
やはり
良くないよ。

どの口が
言う?
という感じだが。

真本音度合いが
高まると、

自分と
自分以外の存在
との間に
エネルギー循環が
起こるようになる。

すると、
まるでエネルギーが
無尽蔵に
湧いてくるような
感覚になる。

実際に
循環するというのは
それに近いものが
あるが、

しかしそれでも
私達は
人間だ。

人間には
許容できる限界が
ある。

エネルギーも
高まり過ぎると、
私達は
エネルギー負け
してしまう。

自分自身の
エネルギーに
呑み込まれ、

自分を
失ってしまう。

それだけなら
まだ良いが、

ひどければ、
自分自身を
守るために
本能的に
自分の電源を
切る。

すると突然に
何もやる気が
なくなる。

突然、
すべてを
投げ出したく
なる。

実際にそれで
止まってしまう
人を
私は何人も
拝見してきた。

他者のサポートが
効かなくなって
しまうのだ。

だからだ。

ほどほどに。

どの口が言う?
だが。

真剣に
真一文字に
進もうとする人
ほど、

大事にしてほしい
言葉だ。

ほどほど、に。

つづく

糸口が命だ

物事には
必ず
「糸口」
がある。

どこから
切り込めば
良いか?

最善の
「糸口」が。

この
入り口を
丁寧に
見つけることだ。

みんな
ちょっと
闇雲
過ぎないか?

何でも
かんでも
とにかく
動けばいい、

という
わけでは
ないんだよ。

やはり
道を開く人は
よく
考えている。

特に、
何が「糸口」と
なるか?

どこに「糸口」が
あるか?

必死に
考えている。

そういった
問いが
いつも自身の中に
あるから、

その方向の
直観も多い。

「糸口」を
きちんと
見つけ出せるか
どうか、によって

その後の
展開は
根本的に変わる。
改めて
言うことでもない
当たり前の
ことなのだが。

でも私達は
忙しさに紛れて、
こういったところの
丁寧さを
いつの間にか
失ったりする。

気をつけよう。

忙しい時
ほど、

丁寧に。

糸口、

入り口、

最もスムーズに
進める
流れの
スタート地点。

しっかり
観察して
見出そう。

つづく

エネルギーコントロール

こんなところで
エネルギーは
使わない。

・・・ということを
とても丁寧に
私はいつも
決めている。

自分自身の
エネルギー
コンロール。

これで
すべてが
決まる。

本当に
すべてが
決まる。

思えば、
昔の私は
これが大いに
間違っていた。

本来、
使うべきでない
ところで
エネルギーを
使い、

本当は
ここでこそ
渾身のエネルギーが
必要だ!
という瞬間に

肝心のパワーが
出ない。

これの
繰り返し。

これが
人生を
不調和させる。

しかし
以前の私と
同じく、

特に
真面目な人
ほど、

あらゆるところで
全力を
出そうとする。

全力を出さない
自分を
「怠けている」

見なすのだ。

しかし私達の
エネルギーは
有限だ。

ここは
勘違いしては
ならない。

エネルギーは
有限だ。
無限では
ない。

限られた
エネルギーを
どこで使うか?

何に使うか?

・・・を、
しっかりと
自分の意思で
決めよう。

使い道が
正しいかどうか
よりも、

まずは
自分の意思で
決めること。

人生の調和は
まずは
ここからだ。

つづく

星の想いに応えられるか

惑星が
観える。

新しい
惑星。

生まれた
ばかりか。

生物は?

いや、
だが非常に
強い
生命力を
感じる。

これから
始まる
歴史の。

道は
いくらでも
ある。

どの道を
辿るかによって
当然、
惑星の運命は
変わる。

惑星の
望む未来が
ある。

それに
応えることが
できるか?
この惑星の
人達は。

まだ
これから
生まれる
人達は。

惑星と
人の
コラボ。

星という
観点は
私達人間には
ほとんどない。

だが
私達は
星の上で
生きている。

地球には
地球の
想いがあり、

当然であるが
真本音も
ある。

それを
よく
聴き取ることは
できるのだ。

新たな
惑星では、
様々な道を
選ぶことができる。

でも
我々地球の
人類は、

もう選択肢は
ないのでは
ないか?

二つに
一つ。

そんなところまで
来てしまった
のではないか?

新たな惑星
の意志。

言葉に
ならない意志は
実に
新鮮だ。

地球にはもう
あの
新鮮さは
ない。

我々人類が
疲れた星に
してしまった。

でも本当は
ここからだ。

地球の想い

応えるのは。

地球と共に
進むのは。

環境問題
だけの
話ではない。

すべての
現象と、

そして
実在の話だ。

つづく

ついに顔を出した

とても
大切なものを
育てている。

そんな
感覚があった。

とても
大切なもの・・・。

それが
何かは
わからずに。

人生で
ずっと、
育て続けた。

しかし
「それ」は
ずっと
地面の中。

芽は
出さない。

でも
育つ。

で、
ある時、

急に
地上に
顔を出す。

ニョキニョキ
と。

ずっと
隠れていた
ものだから、

それが
いざ
顔を出せば
単純にもう、
驚きだ。

まるで
魔法のように
感じることも
あるだろう。

でも
ずっと
大切に育てて
きたからこそ、
だ。

地道に
やり続けて
きたんだよ。

だから
「それ」を
受け止めよう。

まずは、
自分自身が。

あなたの
とてつもない
力だ。

つづく

未来に牽引される

スカッと
飛んでゆく。

真一文字に。

そんな
感じで、

自分の意識が
未来に向かう
ことがある。

未来が
今の自分を
牽引している
かのように。

そんな時は
私はそのまま
委ね、
引っ張られる。

すると
まったく
何の意図も
なく、

目の前に
映像が
広がる。

映像
というよりも
体験
と言うべきか。

私は
「そこ」に
いる。

そして
当たり前の
ように
「そこ」で
生きている。

さっきまで
いた場所の
ことなど
何も
意識せず。

日常の
普段の
私のままで
「そこ」
にいる。

皆と
共に。

知らない人も
多い。

知っている人は
皆、
老けた。

きっと
私も
老けている。

普段の
感覚が
全身に広がる。

その
未来における
「普段」の。

それを
感じ取るために
私は
「そこ」まで
来たのだ。

何という
幸せな
感覚か。

これまで
体験したことの
ない。

こんな
幸せな感覚が
未来の私の
「普段」なのか。

そして
さらに
わかる。

今の私の
日々は
間違いなく
「そこ」に
繋がっている、と。

大丈夫。

このまま
行けばいい。

いや、
もっと
加速すれば
いい。

そう確信を
得た。

と、
次の瞬間、
私は
「ここ」に
戻っていた。

つづく

どこまで来て、これから・・・

液体の中に
入る。

プカプカと
浮かんで、

自然に
沈んでいく。

底の方に
沈み、
そのまま
動かずに
じっとしている。

癒される。

全身に
こびりついた
何かが、

だんだんと
剥がれていく。

ペリッと
一つが
剥がれるたびに、
その部分が
軽くなる。

徐々に
全身が
楽になる。

すると、

急に
底が割れる。

さらに
深いところに
沈んでいく。

もう
光は届かない。

漆黒の闇。

でもむしろ
その方が
さらに
癒される。

自分と
液体、

自分と
闇との

区別が
つかない。

ということは
自分
という存在が
もう
感じられない。

そうなって
初めて
癒されるものが
ある。

その癒しを
私は
ここしばらく
ずっと
求めていた気がする。

私は
私であることに
疲れたのか?

いや、

人であることに
疲れたのか?

いや、

疲れたわけでは
ない。
ただ、
「本来」を
思い出したかった
だけだ。
感覚として。

本来の
感覚。

人としての
始まりの
感覚。

私達誰もが
持っているが
忘れてしまって
いる。

忘れているが、
いつも
それと共に
ある。

忘れたものは
思い出せば
いい。

思い出せば
我に返れる。

我に返れば、
きっと
観える。

次に私は
何をすれば
よいか?

私は今、
どこまで
来れたのか?

私は自分の
何を
変えようと
しているのか?

シンプルに
わかれば、

シンプルに
進むだけさ。

つづく