チームパフォーマンスコーチ

諦めるべきだ

竜巻のように
うねり続ける
波が、

いくつも
いくつも
襲いかかって
くる。

避けるか、
越えるか、
ぶち破るか、

ということを
判断している
暇はない。

できること

言えば、

この状況、
つまりは
今のこの現実の
すべてに

完全に

委ねること
のみだ。

・・・・・・

どうせ最初
から、

自分の範疇を
超える人生、
現実を

引き受けると
決めていた
わけだ。

私達はね。

だから
そういったものが
襲いかかって
きても、

慌てふためく
必要は
ない。

“予定通り”
のことだ。

・・・・・・

ある時は、
竜巻にそのまま
呑み込まれれば
いい。

竜巻と共に
荒れ狂っても
いい。

自分の命が
なくなるとか、
守るとか、

そんなことは
もはや
どうでもよくなる。

それで
いい。

・・・・・・

そんな状況に
まで
ならないと

発動できない
自己

というものが
ある。

そこまで
追い詰められて
初めて
スイッチが入る
ように
私達は自分自身を
設定してきた。

だから、
変な逃げ方を
して、
スイッチを
入れない状態のまま
進むことは

最も
やってはならない
ことだ。

諦めて、
委ねればいい。

・・・・・・

私達共通の
力が
あるだろう?

そう。

諦める力
だ。

開き直る力
だ。

それをちゃんと
いつでも
発動できるよう、

準備をして
きたでは
ないか。

意図的
意識的に
諦めよう。

そして
すべてに
委ねるんだ。

つづく

怖い方に進め

混乱の
彼方の

揺るがぬ
あの
明るい星、

輝きが、

観えるかな?

観えれば
それでいい。

大いに
この目の前の
現実に
呑まれ、

混乱すれば
いい。

・・・・・・

呑まれて
自分を
失うこと自体は、

実は、
悪いこと
ではない。

が、自分を失う
ことで、
自分の
揺るがぬものを
手放してしまう、

これこそが
問題だ。

手放さなければ
それで
いい。

どれだけ
混乱しても、
自分を
失っても。

むしろ、
とことん
そうした方が、

最速で
進めたりも
する。

・・・・・・

私達は、
ゆとりが
なくなれば
なくなるほど、

余分なこと

しなくなる。

していられなく
なる。

実に
シンプルな
自分に
なれるんだ。

それが
最速
を生む。

・・・・・・

最速で
進むためには

つべこべ
考えない
ことだ。

あーでもない
こーでもない

不安によって
立ち止まらない
ことだ。

もし
不安によって
動けなくなって
いるならば、

それは逆に

まだ
あなたに
ゆとりが
あり過ぎる
ということだ。

呑まれる

というのは
そんな
生半可なことでは
ない。

・・・・・・

本当は、
皆、

ゆとりが
ある。

使っていない
エネルギーが
ふんだんに
ある。

自覚は
していない
だろうけど。

その
エネルギーを
開放するには、

今のこの
世の中では

現実に
思いっきり
呑まれてしまった
方が
良いのかも
しれないね。

だから
お奨めする。

「怖い」
方に進むと
いいよ。

自分を
失いそうになる
怖い怖い
方向に。

つづく

地道にやりきった

強い風が
吹くと、

少し嬉しく
なる。

もっともっと
強く吹いて、

世の中の
余分なものを
取り払って
しまえ!

と、
心の中で
叫んだりも
する。

その、
余分なものに
よって、

進む者たちが
妨害に
遭っているから。

・・・・・・

進めば
妨害に
遭う。

この世の
習わしとも
言える。

が、
本当は
そんな習わし
はない。

少なくとも
これからは
そうではない。

進む者は
もっと
爽快に
進んでほしい。

・・・・・・

とは言え、
この10年で
随分と
変わった。

10年前は
進もうと思っても、

まるで
地雷原を
歩くかのよう
だった。

真本音の
方向性は
わかるのに、

進む方向は
観えている
のに、

目の前に
あるのは
地雷原。

そんな
感じだった。

今は
少なくとも
もう
地雷はない。

・・・・・・

そんな状態に
するまでに
10年かかって
しまった、
とも言える。

地道な10年
だった。

思えば、
後継者育成を
本当に真剣に
始めようと
思ったのが、
10年前だ。

地雷の
撤去作業
ばかりだった。

でももう
それは
終わったのだ。

・・・・・・

余分なものは
まだ
たくさんあるが、

それでも
もう
致命傷には
ならない。

だから、
自信をもって
進んでほしい。

10年前に
30年後ビジョンを
決めた。

その
最初の10年は、
地雷の撤去
だった。

次の
10年は?

焦ってしまう
が、
これまで通り、

着実に、

が、
出せる最大
スピードで、

行こう。

つづく

真実の歩み

足跡とは、
過去に残る
もの。

歩かないと
足跡は
残らない、
当然のことだが。

でも本当は、

未来から
流れてくる。

実在の
足跡は。

・・・・・・

時間は、
過去から未来に
流れている

ように
見えるのだが、

本当は違う。
本質は。

時間は
ただ、

分離
している。

「今」
という瞬間が
分離して
並んでいる
だけ。

流れる、
というのは
私達の顕在意識の
感覚でしかない。

・・・・・・

過去も未来も
すべて

今ここに
ある。

・・・という
言い回しを
私はよくしてきた。

しかし
もう少し表現を
変えることも
できる。

すべては
今ここにあるが、
その中で
私達は
一つの今、を
選んでいる、
と。

今の中に
すべてがあり、

すべての中に
今がある。

今=すべて

すべて=今

これが真実。

数多くの
今があり、

一つの今
の中に、
すべてがある。

・・・・・・

自由、
とは

すべての今

受け入れる
度量だ。

すべての今

受け入れる
ことができた時、

初めて、

自分の
足跡が観える。

どの今に
自分の足跡が
あるか?

それが
瞬時にわかる。

そして
その通りに
素直に

今を
生きる。

それにより
未来から
流れてくる
足跡と、

今の足跡
が、

完全に
一致する。

人生は
開かれ、

私達は
顕在意識でも
完全な自由を
感じる。

・・・・・・

足跡は、

過去も
今も
未来も

永劫に
続いている。

その中の
一点に、

今の私達は
立っている。

つづく

怒りと悲しみの世界に

後ろから
大きな波に
押されている。

もはや
私に
意図はない。

人間としての
欲は
もちろんあるが、

まぁ、
健康な範囲の
ものだし、
小さなものだ。

だから
執着すべきもの
もない。

そう思えるように
なって
軽くなったら、

後ろから
大きな波に
押されるように
なった。

人智を超えた
感覚。

最初は
怖かったが
今はもう慣れた。

・・・なんて
思っていたから
余計に
強く押されるように
なった。

もう自分で
止めることは
できない。

とっくに
諦めては
いたが。

・・・・・・

こんなに心は
晴れ渡って
いるのに、

私の中の
どこかが
大きく
荒れ狂っている。

それは
怒りとも憤り
とも言えるし、

悲しみとも
言える。

晴れ渡った心に
焦点を当てれば、
ずっと
ここにいたいな、
とは
思うよ。

が、
今一度、私は

いや、
正確には、

ここからこそ
私は、

自らの憤りや
悲しみに
焦点を
当ててみたい。

私には
やるべきことが
まだ
たくさんある。

・・・・・・

こうして
みると、

世の中には
余分な憤りや
悲しみが
溢れている。

憤りとか
悲しみそのものは
とても大切な
ものだ。

だけど
余分なそれらに
惑わされて、

必要のない
執着が
世間を席巻
している。

もっと
人間らしく、

健康的に、

憤ったり
悲しんだり
できるといい。

そんな世の中に
なるためにも、
もう少し
世間に
分け入って
いこう。

・・・・・・

涙、を
感じる。

深くて
冷たい涙。

人はもっと
あたたかい
涙を
流せるはず。

たとえそれが
怒りや
悲しみで
あっても。

みんな、
冷たくなって
しまったな。

私にできる
ことは
数少ないかも
しれないが、

やれることは
すべて
やってみようと
思うよ。

つづく

巨木が揺れている

巨大な
その人が
観える。

が、
ゆらゆらと
揺らめいて
いて、

今にも
消えそうだ。

ピンチかな、

思う。

・・・・・・

急速な進化、
成長を
続けている人は

ある大きな
脱皮の前後で

とてつもなく
不安定に
なる。

その脱皮に
よって
超がつく巨大な
その人に
進化するので
あるが、

あまりの
不安定さによって
すべてを
消し去ってしまう、

それまでの
自分の
道のりまでもを、

という
ケースがある。

進化度が
高く、
成長スピードが
速い人ほど
そうなりやすい。

まぁ、
車が高速で
進めば
不安定になるのと
同様だ。

だからこそ
私は
そういう人ほど
サポートしたい
と思っている。

でも大概、
そういう人は
周りから見れば
とても頼り甲斐が
あったり、
揺るがなさが
あったりする。

案外、
周りにその人を
助けてくれる人は
いない。

いつも周りから
頼られるばかりだ。

大木のような
存在。
周りにとっては。

だからこそ、
そんな人を私は
サポートしたい。

・・・・・・

巨大な樹が
倒れれば、
当然
それだけ
周りへの影響は
大きい。

だから
揺らいでは
ならない
人たち。

その人が
揺らげば
周りも揺らぐ。
より大きく。

それを
その人はよく
わかっているので、

決して
揺るがないでいよう

している。

しかし人間
とは、
何がどうあろうが
揺らぐに
決まっている。

揺らぐように
できているのが
人間。

だからこそ
進化
できるのだから。

でも、
周りのためにも
揺るがずにいるぞ!

覚悟を決めて
その人はいる。

そういう人を
こそ
私はサポート
したい。

・・・・・・

あの人は
今、
とても大きく
揺らいでいる。

倒れそうだし、
消えそうだ。

もう
サポートでは
効かないかも
しれない。

ヘルプが
必要かも。

それでも
いい。

すぐにそばに
行かねば。

つづく

開放の人生へ行こう

これまで
体験したことの
ない

溢れようと
しているもの


自分の中に
実感した時、

大概の人は
恐怖を
感じる。

そして
本能的無意識的に
その
溢れようとする
ものを

抑え込もう

とする。
必死に。

すると非常に
調子が
悪くなる。

不安定に
なる。

その状態で
コーチングのご依頼を
くださる人が
多い。

・・・・・・

その場合、
多くはテーマとして
要するに、

どうすれば自分を
抑え、コントロール
できるか?

というような
ことを
そのクライアントさんは
言われるのだが、

逆だ。

抑えつける自分を
どう
止めるか?

いかにして
溢れ出ようとする
ものを
開放してしまうか?

これが
本来のテーマ
となる。

・・・・・・

私達人間は、
基本、

内側から
湧き出るものは
開放すると
いい。

開放することで
始まる。

開放することで
観える。

開放することで
もとの自分に
戻れる。

そういった
意味で、
私のサポートとは

開放サポート

とも言える。

自分を変える
ことではない。

開放する
だけだ。

・・・・・・

抑え縛る
人生から

開放の
人生へ。

それによって
のみ
私達は
次元を高める
ことができる。

そのためには
自分を
信じなければ
ならない。

開放しても
自分は
大丈夫なのだと。

ここが、
こここそが
難しいのだけどね。

まぁ、
だからこその
サポートか。

つづく

もし孤独なら

誰一人として
自分のことは
わかってくれない。

私は
孤独だ。

と、
思うならば、

今はそう
思っていても
いい。

が、
それを真実だ

思い込み過ぎないで
ほしい。

なぜなら
それは、
あなたが
創り出している
現象に
過ぎないから。

・・・・・・

人は
孤独では
ないよ。

本当は。

すべて
繋がっているし、

すべては
一つだ。

そして
あなたのことを
本当の意味で
理解してくれる人は
いる。

必ず。

いないとすれば、
それはまだ
出会っていない
だけのこと。

出会えるような
生き方を

あなたが

していない
だけのこと。

・・・・・・

幸せな
出会いは、

生き様で
決まる。

本当に自分が
望む生き方を

普段

日常で

生活の中で

実践
し続けている
こと。

特別なこと
ではない。

ちゃんと
生きていれば、

ちゃんと
出会えるんだ。

・・・・・・

人のせいや

環境のせい

社会のせい

してはならないよ。

自業自得だ。

随分と
健康な世の中に
なってきた。

実在レベル
では。

自業自得。

望む現実が
目の前に
なければ、

あなたは

何かを
変えなければ
ならない。

とっても
日常的な
何かを、ね。

つづく

変われ 素直に

昨日の幸せ

今日の幸せ
とは
限らない。

変わるんだ。

私達は。

・・・・・・

変化を
ちゃんと
受け入れることが
できるだろうか?

気が変わった
自分を
責める前に。

人は
変わる。

変わったら、
それは
それで
しょうがないでは
ないか。

本来の自分に
近づいていく
その
過程なのだから。

・・・・・・

昨日まで
大切にしていた
ものが

大切では
なくなった。

いやいやいや、
それは
いけない。

これまで
大切にしていた
ものを
これからも
大切にし続けなければ、

人として
許されない。

・・・そう思って
昨日までの自分が
大切にしていたものに
固執する。

これだけは
やめて
ほしい。

自分の変化
を、

それが
どれだけ
薄情なことだと
しても、

ちゃんと
受け入れて
ほしいのだ。

変われ。

できれば、
堂々と。

素直に
変わって
ほしい。

それが
私の願いでも
あるんだよ。

つづく

人の幸せが自分の幸せ?

月が
観える。

まるで
私を照らす
ように。

月は
鏡だ。

自分では
光らず、

太陽の光を
そのまま
反射する。

月は
癒す。

癒そう
などという
意図は持たず。

月のような
人になりたいと
20年以上
ずっと思ってきた。

・・・・・・

人の幸せが
自分の幸せだ。


本気で思える
人は
実は、いる。

私の周りは
多い。

しかし
その大半が、

そんな自分は
おかしい。

そんな自分は
何かを
誤魔化しているに
違いない。

何かに蓋をして
いるんだ、きっと。


自分にダメ出しを
し続けている。

人間は誰もが
自己中心な
はずだ。

そうでない
自分は
何かがおかしいのだ
と。

だがしかし、

天然で
いるんだよ。

人の幸せが
自分の幸せだ、

思える人が、

そのために
生きていこうと
決めている
人が、

天然で
いるんだよ。

・・・・・・

私はすぐに
人を
許容してしまう
のです。

と、
その経営幹部さん
は言った。

いやいやいや、
あなたは
それが
自然なのですよ。

生まれた時
から。

「許容」を
形にすると
あなたになるの
ですよ。


伝えると、

そんな私で
良いのですか?


その人は
本当に嬉しそうに
笑った。

つづく

小さくても始めよう

始まりは
みんな、
スモールだ。

源泉は
チョロチョロと
水が流れ出している
だけだ。

しかしその水は
とてつもなく
清純で
静謐だ。

最初のその水が
濁っていたら、
もうずっと
濁りは増し続ける。

どれだけ
小さくてもいい。

最初が
肝心だ。

・・・・・・

最初は
地道だ。

最初から
大きく何かを
狙っていくことも
あり、だろうが、

これからの
時代は特に、

最初は
地道にやる
ことだ。

小さくて
良いので、
確信の持てる
成果と成功を

体験する。

成功を
一つの形として
現実化する。

そしてそれに
囚われず、
それを
手放す。

囚われて
同じことをやろう
としては
ならない。

小さくても
しっかり
「成功だ!」
というところまで
持っていき、

手放すことで、
その体験そのものが
自分自身に

実在として

植え込まれる。

それが
次の発芽に
繋がる。

その連続で
物事は
調和を増しながら
ぐんぐんと
進んでいく。

・・・・・・

私達は日々、
新たな一歩を
進むしかない。

そういう時代に
今はいる。

それを承知して
ここにいる。

私達には
創造性がある。

その本領を
発揮するには、

始める

しかない。

ただし闇雲に
博打的なことを
するよりも、

初めは小さく、
着実に、

そして
波が起これば
大胆に。

その匙加減は、
自分自身の
真本音が
教えてくれる。

やることは
これまでと
同じだ。

真本音で
決める。

それだけだ。

つづく

キツい波紋だよ

この波紋は
どこまで
広がっていくのだろう?

少々怖くなることが
増えた。

もちろんそれは
真本音に基づく
波紋なので、
それ自体は
とても良いことだ。

が、
人によっては
キツいのでは
ないか。

突然、
太陽のような
明るい光を
目に差し込まれた
ような、
強い刺激として
感じられる人も
いるだろう。

なにしろ
まだまだ
大半の人は
反応本音に基づいて
生きている。

これまでは

徐々に
明るくする

徐々に
強くする

徐々に
刺激的にする

という
段階的な波紋が
発生していたが、

世の中全体が
今、本当に
急いでいるのだろう、
段階を飛び越えた
波紋が
よく発生するように
なった。

混乱するのを
承知で。

・・・・・・

二極化、
ということを
以前からよく
言ってきたが、

今のこの
波紋の影響は
それをまたもや
激しくするだろう。

波紋が
気持ち良い
人と、

波紋が
怖くてしょうがない
人。

前者は当然、
より安定し、
活性化する。

後者は
より不安定になり、
激しく揺れる。

そして
激しく揺れる
者同士が
その不安定さ故に、
戦い・闘いを
始めるだろう。

根本的安定

表面的不安定

ますます
際立っていく。

・・・・・・

これまでずっと
培ってきた
生き方。

真本音の生き方
が、
ここからは
これまでの成果
として
わかりやすく
恩恵をもたらして
くれるだろう。

表面的揺れに
惑わされる
ことはない。

かといって
目を逸らしても
いけない。

すべてをしっかり
観察し、

見届けながら、

流されず、

自分がやろう
と思うことのみを
やっていこう。

つづく

なんだこのメッセージは

突然、
自分の中に
湧き上がる
メッセージがある。

このメッセージは
何だ?

どこから
来ている?

誰から
来ている?

・・・というような
ことは
考えなくていい。

考えても
わからないから。

ただ
そのメッセージを
できるだけ
素直に
受け止めて
みよう。

たとえちょっと
辛いメッセージ
だとしても。

・・・・・・

真摯に自分の
人生に
向かえば、

真摯に目の前の
現実に
向かえば、

メッセージは
くるもんだよ。

それが
普通。

ヒントは
日常のあちこちに
あるんだ。

自分の真摯さ
が生んだ
メッセージ。

それは
人生の宝だ、

くらいに
受け止めよう。

・・・・・・

メッセージに
素直に
なればなるほど
どうなるか?

と言えば、

答えは
簡単だ。

より
自分の意志・意思

明確になる。

本当の意志・意思
がね。

つまりは
より、自己理解が
進む。

自分が
何の原因で
止まりやすいか?

自分が
何を今
本当に欲して
いるか?

そして本当は
自分は
何に立ち向かうと
良いか?

それらが
明確になる。

つまりその
メッセージとは

セルフコーチング
の一種だ。

・・・・・・

人生とは、

何を
受け取り、

何を
発するか?

である。

その連続が
人生であり、

私達が
人として
やり続けている
こと。

何を受け取り、
・・・のところ、

あなたのその
感性は、
今、大幅に
高まっているのでは
ないかな。

つづく

こんなセルフコーチングもある

セルフコーチング
の基本
の一つは、

書く

ことだ。

自分の心の中に
ある
あらゆるものを
そのまま紙に

書く。

セルフコーチングに
慣れた人であれば、
パソコンなどに
打ち込んでもいいが、

最初は
自分の手で
紙に書く、

ことを
お奨めしたい。

なぜなら
自分の手で
文字を綴る
というのは、

自分の内面を
何とか形に
しようとする
行為の
最も基本的な
もの。

そのため
これを
丁寧にやれば
やるほど、

心は
落ち着いて
くる。

下手な
カウンセリングを
受けるよりも
よほど、

我に返る

ことができる。

・・・・・・

もしこの
内面を形にする
という意味での
書くことに
慣れてきたら、

次のステップ
として、

自分から
浮かび上がる
物語を
書く、

ということを
お奨めする。

物語。

そう、
物語だ。

もともと
私達のこの
人生は

物語のような
ものだ。

人類の歴史
もそう。

私達人間の
中には
常に
物語たちが
動き溢れている。

内面の気持ち
をそのまま
書くだけでなく、

それを
物語化
してみるのだ。

すると
客観的な視点で
自分を見つめる
ことが
さらにできるし、

物語の面白い
ところは、

それを
書けば書くほど
物語そのものに
魂が宿り、

物語が勝手に
成長を始める
ことだ。

物語が
まるで自分の
意思を持ったかの
ように
自分で進み始める。

よく
小説家が、

主人公が勝手に
動き出す

という表現を
使うが、
まさにその感覚。

しかし
自分の書く物語
は、
自分自身への
メッセージでも
あるので、

それを
実在メッセージと
受け止めれば、

人生のかなりの
ヒントにも
なる。

人にはそれぞれ
その人にしかない
物語がある。

それを自由に
書いてみると
いい。

もちろん
現実的な話で
なくてもいい。

ファンタジーで
いい。

というか
むしろ
ファンタジーの方が
より良いかも。

楽しいよ。

つづく

出口はどこにある

雲を
流さねばならない。

この黒々とした
重い雲たちを。

そして
わずかでも
晴れ間を
見つけ出さねば
ならない。

一刻も
早く。

しかし雲とは、
焦るほどに
濃くなる。

取り除こうと
すればするほど、

足掻けば
足掻くほど

重なっていく。

こんな時は
止まるのが
一番。

一旦止まり、
動かずに
じっとして、

雲を
あるがままに
感じ続ける。

雲を
何とかしよう、
とは
思わずに。

むしろ
そのままでいいよ

すべての存在を
許す。

すると、
エネルギーの
低いものたちは、

その在り方の
エネルギーの
高さに癒されて、

ザーッと
浄化をしていく。

・・・・・・

晴れ間は
わずかでいい。

ほんの一瞬、
青空が
薄く
観えれば
いい。

その一瞬に
眼を凝らせば、

出口の方向は
わかる。

わかれば、
そちらに向かって
動き始める。

雲と共に。

雲と一緒に
進めばいい。

その在り方が
また、
雲を癒し
浄化する。

浄化を
目的としては
ならない。

ただ、
あるがままで
いい、
と。

すべてが
あるがままで
いい、
と。

その在り方こそ
真に道を開く
唯一のもの。

・・・・・・

もちろん、
どうにもならない
現実はある。

その場合は、
どうにかなりそうな
方向から行こう。

それが
出口だ。

出口は
雲の拒絶をしていては
観えない、
いつまで経っても。

しかし出口は
必ず
あるんだ。

つづく

拒絶されても言葉を投げる

まるで
前方から
雹(ひょう)が襲いかかって
くるような
抵抗感が
あった。

これ以上は
立ち入れないな、

私はそこで
自分を止めた。

ギリギリの
ライン。

その人の
真本音に
刺激を入れる
ための。

最近は
あえて、
そのラインを
ほんのわずかだけ
越えてみる
ということをする。

越えれば
揺れる。
過剰なまでに。

しかし
一瞬のその揺れこそが
必要なケースが
増えたのだ。

限界を超えた
揺れ。

しかしそれは
一瞬で
治まるもの。

が、
その一瞬を
逃さない。

揺れた瞬間に
その人に
届けるべき
言葉がある。

その言葉は
その揺れが
なければ
届かない。

通常であれば
絶対的に
拒絶される
一言。

それを
スーッと
伝える。

そしてそこが
ターニングポイント
となる。

その人は
内側から
真本音のエネルギーを
自ら
放ち始める。

・・・・・・

他者ができる
ことは
きっかけの提供
しかない。

誰がどう言おうとも
その人が変わるか
どうかは、
本人の意志による。

例えば、
洗脳というものが
あるが、
あれだって結局は
本人が
望んでいることだ。

洗脳される
ことを。

世の中には
洗脳とは
思えないような
洗脳が
溢れている。

しかしみんな
「それでいい」
と思って生きている。

だから
今のような
世の中になった。

別に自分の
意志で
生きなくたって
いいじゃないか。

疲れるだけじゃ
ないか。

という
言葉にならない
呟きが、
世の中には
溢れている。

・・・・・・

本当は
どうしたいのか?

本当の
自分の想いは
何なのか?

実にシンプルな
ことだ。

それを
自らちゃんと
理解して、
次の一歩を
自分で決める。

それだけの
ことで
人は健康に
なれる。

が、
それを放棄
する。

それすらも。

しかしそれは
健康の感覚を
忘れてしまって
いるだけだ。

誰だって
それを思い出せば、
あの不健康さには
戻りたくないと
思うだろう。

私にできる
ことは、
その健康の状態の
感覚を
ちょいと
投げること。

もっと正確に
言えば、
そのためのきっかけと
なる
言葉、

その人にしか
効かない言葉


見つけ出し、
その人が最も
受け取りやすい
状態の瞬間を狙って

投げること
だ。

あとは
そのきっかけに
よって
その人が自ら
健康の方向に
進もうとするか
どうか?

それはもちろん
その人の
意志による。

人を
尊重する、
とは
放置することでは
ない。

人を
尊重する、
とは
その人の健康な
意思を
尊重するということだ。

だから
健康な意思が
きちんと
浮上するように、

そのきっかけを
与え続ける
ことは、

コーチどうこう
ではなく、
人として
とても大切なこと
ではないか。

つづく

芽の伸ばし方

ほんの
小さな芽が
顔を出したら、

それを
丁寧に育てる。

本人にも
気づかない
わずかな芽。

それは
第三者の方が
早く
見つけやすい。

そしてそれを
育てるのも
第三者の
サポートがないと
難しいケースが
多い。

客観的
視点が
あるかないか。

人というのは
主観的な
生き物なので、

本人一人の
視点のみでは、

芽が
見つかっても

こんなものは
価値がない

勝手に
思い込んだり、

逆に、
大切に育てようと
するあまり、
栄養を与え過ぎ
たり。

そうそう、

栄養の与え過ぎは
本当によくない。

基本、
芽は
放っておくこと。

見守るだけに
しておくこと。

なぜなら
芽が出る、
というこの時点で
すでに
それはもう
逞しいものだから。

その人の
中から
発生したのだから、

その人の中では
自力で
伸びようとする。

基本、
その意志に
任せるのが
最も良い。

が、
その意志を

その人本人が
阻害したり、
周りが
邪魔したり
する。

それを
取り払う。

そして
ここぞ!
という時だけを
狙って、

栄養を
与える。

つまりそれは
現実的な
言葉かけ。

その芽が
より伸びるように
フィードバック
したり、
問いを投げたり。

育成、
という視点に
立つと、
多くの人が

「説明」過多
になる。

「教えよう」
「理解してもらおう」

し過ぎだ。

栄養の
与え過ぎ。

それをすると
逆に
遅くなる。

気づきも
浅くなる。

「教える」ことで
根が途切れてしまう
ことすらある。

人の育成は
難しいよ。

細心の注意が
必要だ。

本人一人では
無理だ。

良い第三者で
あろうと
すること。

周りの誰もが
それができると
いいね。

お互いに。

つづく

完全自由だ

何もない。

自分の
中に
何もない。

空っぽ。

という
状態になったら
チャンスだ。

空っぽ。

空(くう)。

それは、
全てがある
状態。

何もないように
見えて、
本当は
全てが
揃っている。

ただ、
何ものにも
焦点が
当たっていない
だけ。

もともと
私達は
その状態から
始まった。

原始の
状態。

だから、

空っぽに
なったのなら、
その
空っぽを
楽しもう。

何も
なくなった
ように見える
自分を
楽しもう。

今は
完全に
自由
なんだ。

意図を
持たず、

自然に

次の
焦点が
定まるまで

待とう。

完全自由
の状態で
選ばれる
焦点とは、
あなたの
本当の道。

つづく

最深部の変化

最も
深いところ。

これまでの
限界の
さらに
その奥。

一見、
そこには
何もないような

そんな場所で
行なった
セルフコーチング。

言葉に
ならないような
言葉が
浮かび上がり、

その瞬間、

すべての
合点がいき、

すべてが
クリアになった

感覚が

感覚
のみが

認識された。

しかし
それでもう
満足だった。

目的は
達したのだ。

・・・・・・

人間には
到底
理解し得ない
ものがある。

納得し得ない
ものがある。

だから
これ以上は
無理だと
思う。

ただ、
感覚のみが
顕在化した
だけで、

それで
満足しておく
べきだろう。

だが、
知りたい。

もっとその
先を。

奥を。

この
探究心も
やはり
人間か。

・・・・・・

ザッと
流れた。

余分な
もの達が。

余分なもの
など
もう何もない、


思って
きたが、

流れた、
という事実が
あって
初めて、

まだ
こんなにも
あったのか、

驚嘆した。

これもまた
人間。

・・・・・・

私はきっと
また
根本的に
変化した。

それは
わかるのに
あとは
何も
わからない。

私に
できるのは、

このままの
そのままの
状態で

素直に
人と
向き合うこと。

現実に
向かうことだ。

このタイミングで
出会う人が
いるし、

語り合う
人もいる。

何が
起こるか?

どんな
刺激が?

どんな
波が???

つづく

死の際で生きる

潜るだけ
潜ってみる。

その人の
深いところに。

もちろん、
本人と
共に。

それにしても
勇気のある
人だ。

本当の
勇気とは、

自己理解しよう
という
その深さで
測れる。

なぜなら、
私達人間に
とって、

最も怖い
存在

とは、
自分自身に
他ならない
から。

自分の
本当を
知ることは、

とても
怖いこと
なのだ。

しかも
他者のサポート
によって
それを成そう
とすることは、

そんじょそこらの
勇気では
決断できない
ことだ。

そうは言っても
ほとんどの人が

自己理解?
したいしたい!


安直に捉える。

興味本位の
範疇だ。

しかし
ある境界線を
前にすると、

急に
尻込みする。

これ以上は
深く知りたく
ありません、
と。

これ以上は
見たく
ありません、
と。

でも
そうなるのが
当然、

それが
人間、

とも言える。

だから
私のサポート
なぞを
真剣に受ける
人は、

変態

としか
言いようが
ない。

で、私は
変態しか
サポートしない

決めている。

・・・・・・

多くの人と
出会う。

多くの人と
向き合う。

その中で
ほとんどの人に
対して
私は

言葉は
悪いが

手加減
する。

ご本人が怖くない
範囲で
サポートする。

しかし中には
変態が
いる。

手加減なしで
向き合わねば
ならない人が。

そうすると
もちろん私は
悦び勇むが、

しかし
大変なんだ、
それはそれで。

共に境界線を
超える
ためには、

命のやり取り
が必要なんだ。

こちらも
勇気が
要るんだよ。

当然
だよな。

・・・・・・

変態くん
達。

最近、
増えた。

本当に
日々、
命のやり取り

なってきた。

いつまで
私は
もつのだろうか?

思いながら、

私は
もっともっと
加速する。

この歳に
なって
自己改造だ。

昨年の
7月頃からずっと
続けている。

昼は人と
向き合い、

夜中に
自己改造。

実は私は
死、というものに
対して、

他の人とは
ちょっと違った
捉え方を
している。

まだ
誰にも話した
ことはないが。

その前提で
言うのだが、

まだ私は
死ぬわけには
いかない。

そのためにも
死ぬような
ことを
せねばならない。

最近は、
死、がとても
身近だよ。

つづく

実在の夢について

夢とか希望を
持ちながら
生きることは
凄く大事だが、

それがもし
単なる
空想レベル、

つまりは、
こうなれたら
いいな、
レベルのもので、

今の日常が
その夢に
近づいている感覚が
全くないので
あれば、

そういった
夢や希望は
描かない方が
いい。

特に
ここからの
時代は。

空想レベルの
夢は、
足元を
曖昧なものと
させる。

空想レベルの
夢は、
執着や依存を
生む。

空想レベルの
夢は、
自分自身の
真本音度合いを
低めていく。

・・・という
傾向が、
ここからはさらに
高まっていくから。

夢を描いたなら
真剣に
そこに向かおう、

という
実に単純な
ことなのだが。

・・・・・・

かと言って、
今の現状に
即した

その延長線上に
ある夢でも
意味はない。

今の延長線上に
ないからこそ
夢は夢なので
あって、

この夢は
ほぼ間違いなく
達成できるだろう、
というのは
本来的な意味で
言えば、

夢ではない。

それは単なる
計画であり
目標だ。

もちろん
それはそれで
OK。

だが、
あなたの中に
本当に
夢はないか?

計画が
存在するのみか?

今のこの
延長線上から
逸脱したい気持ちは
ないか?

そういったことを
しっかり見つめ、
向き合うことも
重要だ。

・・・・・・

実在レベルの
ことを言えば、

全ての人に
夢はある。

最初から
存在している。
自分自身の
中に。

ただそれが
顕在意識に
浮上するかどうか?
だ。

・・・・・・

もし何か
夢が
浮かんだら、

それが
本当かどうか?

考えるのではなく、

その夢と
今、を

直ちに
結ぼう。

直ちに。

夢を抱きながら
今ここの
現実に向かう。

そういった
日常生活を
送ろう。

その結果、
日々が
幸せになるか?

満ち足りた
感覚が
増すか?

充実感が
増すか?

もし
増すので
あれば、

その夢と
共に
歩もう。

もちろん
途中で夢自体が
変わるかも
しれない。

それで
いい。

夢とは、
進化・深化
し続ける。

日常生活
と共に。

夢は
ここ、にある
ものだから。

それが
実在の夢だ。

つづく

ずっといたと思える出会い

背中に
張りつくものが
あり、

しかしそれらが
瞬時に
消えていく。

たくさん
余分なものを
持ちながらも、

浄化が
速い。

それだけ
真剣に
自己成長を、

つまりは
進化を

この人は
望んでいる
のだろう。

成長スピードの
速い人は
面白い。

現状、
どれだけ
くすんでいても。

・・・・・・

人の
本領とは、

やはり
進化
だな、と
思う。

進化を
続ける人は
迫力が違う。

もちろんその
迫力とは、
押し付けがましい
ものではなく、

実に
清々しい
高原の風の
ようなものだ。

・・・・・・

今日、
出会い、

しかしもう
何年も
繋がっていた
ような
感覚を思い出し、

当たり前の
ように
お互いの人生に
お互いが
登場する。

最初から
登場を
待っていたんだな、

ずっと
舞台の袖に
いたんだな、

思う。

お互いにね。

・・・・・・

さぁこれから
何をやろうか?

共に。

楽しみしか
ない。

我々にしか
できないことを
やっていこう。

つづく

出会えたからには

目を
覚ました時、

暗闇だ
ここは、


思った。

這いつくばって
いる
自分を
認めた時、

何という
ところに
来てしまったのか、

始めから
後悔した。

が、
もう戻れない。

諦めるしか
なかったのだ。

諦めから
始まったのだ。

・・・・・・

もがくだけ
もがいた。

何も
見えぬまま。

目は
開けている
のに。

でも、
ある時に
やっと
気づけたんだ。

実は、
自分は
目を瞑った
ままだったと。

暗闇は
自ら
創り出したもの
だと。

・・・・・・

何十年も
かけて、

ようやく。

やっと
少しだけ
目を開けた。

そうしたら、
光を
感じた。

でも、
眩し過ぎて、

感じた
だけで。

それが
精一杯。

でも、
あなたと
出会えて、

勇気が
出たよ。

私は、
目を開ける。

本当は
目覚めてなど
いなかった
私に、

本当の
目覚めを
与える。

与えるのは
自分自身
だった。

私には
その覚悟が
なかったのだった。

その
小ささを
受け入れた。

だから
やっと、
諦めからの
開放だ。

・・・・・・

きっと
ここには
様々な軋轢が
ある。

見たくない
ものが
数多く。

怖い。

怖い。

怖い。

が、
もうそれを
何とかする
気はない。

このまま
目を開ける。

時間が
ない。

ここで、
私には
すべきことが
ある。

やるよ。

目を
開けるよ。

つづく

闘うこともある

この世の中
で、
新たな流れを
生み出そうと
すれば、

どうしても
既存の勢力と
摩擦の生まれる
ことがある。

実は
私自身は
あまりそのような
ことはこれまで
なかったのだが、

私の
クライアントさんの
中には
そこで非常に
ご苦労されている
人もいる。

できれば
闘いたくない。

が、
どうしても
闘わねば
ならない。

ということも
ある。

しかし
そういった場合
でも、
やることは
同じだ。

しっかり
向き合う
こと。

闘いを意図
するのでは
なく、
かといって
迎合や
無理な穏便を
意図するのでも
なく、

ただ
あるがままに
ここ
にいる。

無理に道を
拓こうと
するのでも
なく、

無理に
解決しようと
するのでも
なく。

ただ、
本来の自分
として
ここ
にある。

そういった
対峙の仕方の
連続が
できるように
サポートする。

すると
もちろん
いろいろあるが、

最短で
出口に
辿り着ける。

その途上で、
壊すべきは
壊す。

ただ、
それをするのは
その人では
ない。

余分なものを、
壊すべきものを
持っている
その本人が
自ら
壊していく。

壊していく
というよりも
壊れていく。

自然原理
ということで
言えば、

当然で
あるが、

実在と現象が
一致するほど
安定する。

エネルギーも
高いし、

短絡的表現を
使えば、

強い

のだ。

真本音で生きる
とは、
実在と現象が
一致する方向に
向かって進む、
ということ。

だから
自然原理が
味方をしてくれる
のは
必然だ。

だから
無理に
力を入れ過ぎない
こと。

闘いは
大事なことも
あるが、
闘いが
目的ではない。

その先を
見据え、
祈り、

願い、

その自分
として
対峙する。

現実に
対峙する。

私達がすべき
は、
そういうことだ。

つづく

そこに答えはない

向き合って
いるのに、
向き合って
いない。

見つめて
いるのに、
見つめて
いない。

ここに
いない。

どこにも
いない。

そんな人が
いる。

自分の
内側の世界から
出てこない
のだ。

・・・・・・

内側の世界に
いるうちは、

いかなる
不調和が起きても
おかしくはない。

内側の世界は
閉ざされている。

外とは
繋がりのない
世界。

そこに埋没
していては、

何事をも
成し得ない。

・・・・・・

世の中への
使命を強く
持っている人ほど、

実は
内側の世界に
埋没しやすい。

すると
せっかくの
使命が、
ただの自己満足と
なる。

世の中の
ために
頑張るなら、
まずは
目の前のその人を
大切にしろよ!


言われるのも
致し方ない。

結構それは
本質を
突いている。

自分の身近を
大切にできない人は
世の中を
大切にできるはずは
ない。

内側の世界に
埋没する人は、
目の前の現実に
対して
かなり鈍感に
なる。

必然だ。

・・・・・・

内と外を
きちんと
結ぶ。

そのためには
内側の世界から
出ることだ。

外に外に
意識を向ける。

外に外に
完全に
委ねれば、

初めて
自分の内側が
観えてくる。

なぜなら
外の世界は、
自分の内側の
反映だから。

現象と
向き合うことで、
実在が
わかるのは
そういうことだ。

・・・・・・

もし
悩んでいることが
あれば、

意識を
外に向け、

この人だ!


思える人に
悩みを語ってみる
といい。

その人に
意識を
向け続け、

自然に出る
言葉を話し、

その人の
言葉を
素直に受ける。

その人は
あなた
自身だ。

あなたは
あなた自身と
対話を
している。

つづく

問いの吸引

自分の体の
どこかに、

まるで
吸引されるような

感覚が
あれば、

それはそこに
問い
が存在している
合図だ。

その場合は、
その場所に
意識を向けよう。

何も
考えずに。

ただただ
意識を
向け続ける。

すると
フッと
問いがわかる。

・・・・・・

私達は

問い
と共に
生きている。

人間とは
問い
である。

・・・と
言っても
良いのではないか。

問いの
結晶体が
人間、とも。

なのに、
その
私達の根源である
問いと
向き合わずに
生きている人が
多過ぎる。

・・・・・・

問い、は
ある。

既に。

私達の
中に。

そう
信じると
いい。

そう
信じた時に
初めて、

吸引の感覚


出会うだろう。

その感覚の
場所に
最も今、
必要な問いが
ある。

しっかり
丁寧に
意識を向けよう。

つづく

最高の関係のために

心と心に
橋が架かる。

そして徐々に
近づいていく。

そして時には
一体化する。

そこまで
行った上で、

あえて
離れる。

最も楽な
距離で
関わり続ける。

一体化
できるくらいに
近づいて
初めて、

適切な距離が
わかる。

人間関係の
本質だと
私は思っている。

・・・・・・

一体化する
ことで、

私自身が
より
私らしくなれる、

自然体に
なれる、

という人が
いる。

そんな人との
出会いは、
人生の宝物
だろう。

・・・・・・

心が
鎮れば
鎮まるほど、

自分が
もとに
戻れば戻るほど、

その人の
ことを
思い出す。

そして
たとえ現実では
離れていても、

ずっと
一緒にいるんだな、

わかる。

そういう人を
どれだけ
人生で
見つけられるか。

いや、
人数の問題では
ないかな。

たった一人でも
そういう人が
いるかどうか?

そこで
人生の豊かさは
大きく変わる。

・・・・・・

私が仕事で
関わる人達は、

ほぼ全て

そういった
人達ばかりだ。

幸せなこと
だと思う。

今日は
この人と
会える。

明日は
あの人と
会える。

毎日が
その悦びの
繰り返し。

いったい
いつからこんな
幸せな人生に
なったのだろう?


ふと我に
返る、

私はいつも
皆さんと
共にある。

つづく

自分の範疇を超えているからこそ

影が
観える。

その人の
背後に。

怖いもの
ではない。

むしろ
あたたかい
もの。

その人を
見守るように。

ただ、
今、伝わって
くるのは

強い
激励の波長。

あぁこの人は
今、
人生でも
とても大切な
決断をしようと
している。

・・・・・・

人は皆、
結局は最後は
自分の意思で
決めている。

他者や環境に
流されてしまう
人も、

流されれば
いい、

という
自分の意思で
決めている
わけだ。

その意味では
全ては
自己責任、

言うこともできる。

ただ、
私達には

この世の
私達には

自己責任の
範疇では済まされない
現実に
苛まれることも
ある。

かといって
純粋に
被害者的発想を
すれば良いわけでも
ない。

・・・・・・

自分の内側の
奥の奥、

つまりは
中心から

泉のように
湧き出で続ける
意思がある。

それは
とてもとても
小さな時もあるが、

それでも
それは
湧き出で続けて
いる。

それをどれだけ
普段から
大切にできるか?

それにより、
自己責任の
範疇で
進める度合いは
高まっていく。

未来は
予定通りには
いかないが、

未来への
予測できない
流れに
柔軟に対応できる
だけの
力も
私達にはあるし、

私達の範疇を
超えて
後押しをしてくれる
存在は
確かにある。

それに
依存しては
ならないが、

今ここにおける
自分の意思を
本当に大切に
していれば、

私達は
自分の範疇を
超える進み方が
できるんだ。

・・・・・・

昔からよく
お話しすること
だが、

人生、
遊びの如し、

という
言葉が私は
好きで、

どこの誰が
言われた言葉かは
わからないが、

何かの本で
読んだ時から、
その言葉は
私のかなり
中心の部分にある。

ままならない
この世の中。

ここからこそ、
より
ままならない
時代。

どうせ
進むなら、

遊ぶような
軽やかさで、

自分の意思を
最も
頼りにして、

歩き続けたい
ものだ。

つづく

コントロール力はある

完全に、
腰を
羽交い締めに
された感覚だ。

動けない。

何を
やっても。

しょうがないので
諦めた。

完全に
力を抜いた。

すると
凄まじい
何か黒いものの
流れが。

それに
呑まれ、
意識を失いそうに
なる。

が、
それでも完全に
力を抜いたまま。

するとその流れの
上に
浮かぶような
感じとなり、

楽になった。

・・・・・・

世の中の
流れ。

潮流。

それが時折、
凄まじいものに
なる。

本当は
顕在化しなくても
よいものかも
しれない。

が、
私は把握を
しなければ
ならない。

潮流が
変われば、
サポートの仕方も
変える必要が
ある。

世の中全体の
潮流と、

その企業独自の
潮流と、

その人独自の
潮流、

それらを
すべて
調和させる必要が
あるから。

・・・・・・

人は、
自覚しないところで
潮流に
呑み込まれる。

人の宿命

言ってしまえば
それで終わりだが、

それらにきちんと
対処する必要が
特にここからは
あるんだ。

呑み込まれて
いる
場合ではない。

しかし
個人の力が
及ばないことでも
ある。

じゃあどうすれば?
というところで
ずっと
試行錯誤してきた。

そして結局は、
潮流をわかった
上で、

力を抜く

ことが
最も楽な脱出法
であり、

かつ

潮流を
自分なりに
コントロールする
最善の術である
ことを
知ることができた。

・・・・・・

すべてを
コントロールする
なんてことは
傲慢だ。

私達は
自然の一部
なのだし。

しかし
私達人間には
本来は
今よりももっと
コントロール力は
ある。

せめてそれを
思い出すことは
必要だと
思うんだ。

つづく

未来の感じ方

背後から
何かが
しがみついてくる。

意識を
向けると、

あぁそうか、
この人の
執着心だ。

人間だから
皆、
執着の心は
ある。

が、
この人の場合は
それが
強過ぎるのだ。

執着が
強過ぎて、
自分の道が
わからなく
なっている。

だからその
執着を
一旦、私が
肩代わりしている
わけだ。

その状態で
ニュートラルな
目で、

自分自身の
人生と
向かい合って
みる。

すると案外
クリアに
いろいろ
見えてくるもんさ。

・・・・・・

未来は
見えた方が
いいかい?

それは
人それぞれだが、

私の場合は、
極力
未来は
見えない方が
いい。

可能であれば、
明日のことも
全くわからない。

何が起こるか、
どうなるか、
予測がつかない。

というくらいに
なるのが
理想だ。

私は
「わからなさ」

味わいたい。

楽しみたい。

もし未来が
ある程度わかって
安心したとして、

そんな人生の
何が面白い?


思ってしまうのが
私だ。

もちろん
それをお奨め
しているわけでは
ない。

ただ、
今は未来が
本当に見えない
時代だ。

環境問題も
AIも
政治も経済も、

一寸先は
闇、
みたいな。

だから
多くの人の
不安感が
社会的に高まって
いる。

その影響も
あってか、
皆、未来の安全な
道を知りたい

思っている。

思い過ぎて
いるように
思う。

どうかな?

・・・・・・

現象レベルで
一寸先は闇、

あったとしても、

実在レベルでは
すべてが
確定している。

確定
という土台の
上での
不確定の中に
私達は
いる。

その
「確定」の感覚
のみを
掴めれば、

実はそれでもう
不安はかなり
減退する。

ちなみに
「確定」とは、
未来が完全に
決まっている
という意味では
ない。

現象レベルの
話では
ないからだ。

未来は
無限だ。

が、
未来は
「確定」している。

どうしても
わかりにくい
表現に
なってしまうが。

・・・・・・

過去、今、未来
という
全ての時間が
一つに
ギュッと凝縮された
土台の上に

の私達は
いる。


だけが
分離されている
ので、
もちろん不安だ。

でも、
私達は常に
土台の上に
立っている。

確定された
土台の上
にね。

私達がすべきは


本当に大切に
することだ。


丁寧に生きる
こと。
自分の意思で
丁寧に。

それを
続ければ、

の向こうに
未来が観える。

観えなくても
感じられる。

具体的に
わからなくても
それは
「確定」の感覚として

浮上して
くるんだよ。

つづく