チームパフォーマンスコーチ

真の決断とは

物事を
完全に決める、

もしくは、

自分なりに
しっかり断定する、

ことは
大切だが、

決めつけ、
はいけない。

決断や
断定とは、

本来は、

あぁそうなんだ、
私は
こんなにも
決めているんだ!

私は
こんなにも
断定してるんだ!

と、
むしろ自分自身が
一番驚くくらいの
もの、

それこそが
本当の決断であり
断定だ。

なぜなら
それは、
真本音だから。

真本音
とは、

自分が
頭の理解や
理由づけなどによって
物事を決める

ということは
しない。

それは

最初から
決まっているもの

だ。

つまりは、

真実であり、

真理であり、

摂理とも
言える。

それくらい
事実として
ここにある
答え、だ。

だから
誰よりもまずは
自分自身が
びっくりする。

そういった
決断や断定と、

決めつけ、

対局にある。

決めつけは、
決めつけだ。

自分の視野の
狭さによる
単なる思い込み
である。

それは
本人が思っている
以上に
実は、弱い。

何かあれば
すぐに
ひっくり返る
ものだ。

これは
こうに違いない、

自信を持って
思うことは、

決めつけである
可能性が
高い。

全部とは
言わないが。

気をつけた
方がいい。

決めつけで
進むのでは
なく、

あくまでも
真本音の決断を

私達は
大切にしよう。

つづく

すぐ揺れる?

ガッシリと
根を張ったように
立っている。

あぁ、あの人は
揺るがない。

幹は太く、
まっすぐだ。

あの人は
揺るがない。

だけど、
枝が風に
揺れている。

枝の先の
細い部分が
踊るように
揺れている。

大樹のような
その人は、
こう言った。

「私はいつも
揺れ揺れ
なんです。
自分にどうしても
自信を持てません」

・・・よくあること。

根も幹も
しっかりしている
人ほど、

表面上の
小さな心の揺れに
敏感だ。

それは、
敏感になっても
大丈夫だから
敏感なのである。

ちょっとした
擦り傷を
「痛い!痛い!」

痛がる。

それは
健康の証。

それだけ
敏感な自分で
いられるのだ。

敏感だから、
揺れるから、
自分は弱い、
自分は小さい、

思うなかれ。

小さなことも
感じとり、
しっかり揺れる
のは

大きさの証だ。

かと言って、
自信など
持つ必要もない。

「自信がない」
で、
いいよ。
そのままで。

ただ、
やるべきことのみ
ちゃんと
やろう。

今日やることは
今日やる。

明日やることは
明日やる。

揺れようが、
自信がなかろうが、

やる。

それだけ
だね。

痛がりながら
進むのは
実に人間らしい。

人間を
味わっている
ということだね。

そのままで
いい。

つづく

感性の研ぎ澄ませ方

常に
自分の意識を

四方八方に
向け続ける

練習をしよう。

四方八方
に、
世界全体を
感じるように。

一日の
できるだけ長い時間
それを続ければ、

感性が
ぐんぐんと
研ぎ澄まされてくる。

直観が
よく働くように
なる。

そして何より、
自分の視座や
視点が
より、豊かになる。

一つの物事を
一つの方向からしか
見ないから、

私達は
迷う、

360度、
ありとあらゆる
方向から
それを見る。

観る。

すると全く
異なる景色が
展開し、

全く異なる
発想が
生まれるだろう。

もしこれに
慣れてきたら、

さらには
「時間軸」についても
同様のことを
してみよう。

過去、今、未来
という
時間軸に
私達は、いる。

今、という
この瞬間のみ
ならず、

過去にも
未来にも
ずっと
意識を向け続けて
みよう。

これまた
面白い発想が
浮かんでくる。

自分の内側で
思考のみを
するのも
時には良いが、

思考の世界から
自分自身を
外に出してあげて
ほしい。

特に
人生の大切な
分岐点に
あるときは、

思考だけで
答えを出すのは
実に
勿体無いことだよ。

つづく

物事がスムーズに進む、とは

物事が
スムーズに進む、
というのは、

波風が全くなく
ずっと平穏に進む
ことではない。

物事が
スムーズに進む、
というのは、

起こるべき混乱が
起こるべき
最善のタイミングで
起こり、
しっかりその一つ一つを
乗り越えて行けている
という状態だ。

つまり
無駄な混乱が
ない。

必要不可欠な混乱
のみが起こる。

しかも
絶妙のタイミングで、

ということだ。

それは
そうだろう、

混乱がない
という状態は、
単なる惰性、
もしくは、衰退の
象徴的現象だから。

何をどうやっても
混乱は起こる。

起こらないと
おかしい。

それがこの
3次元世界の
宿命だ。

新たな進化、
深化、
調和のためには、

混乱が
不可欠。

いつも言っている
通り、

部屋の大掃除を
しようとすれば、
一時的に
部屋が混乱するのと
同様だ。

混乱のない
進み方とは、

何かを
誤魔化しているか、
何かを
後回しにしているか、

どちらかだ。

私達は
混乱の世の中に
生まれてきて、
混乱の中で
生きている、

決めている
私達だ。

とは言え、
自ら意図的に
混乱を起こすのも
良くない。

意図が入れば、
その混乱は
淀む。

私達が日々、
すべきは、

混乱が起きる
とか
起きない
とか

そんなことは
関係なく、

今日
やるべきことを
やる。

・・・という
だけのことだ。

しっかり
やるべきことを
やっていたら、

必然的な混乱が
ちゃんと起こる。

それこそが
脱皮の
チャンス到来だ。

私達は
混乱と共に
生きる。

混乱は
私達の
パートナーだ。

つづく

真のパートナーとは

一人では
できないことが、

二人では
できる。

・・・こんな
ことは
とても多い。

まずは
自分の

パートナー


見つけることだ。

真のパートナー。

・・・実在レベルで
結びつきの
ある。

すると当然で
あるが、

1+1=2
ではない。

それどころか
真のパートナーと
共に進めば、

1+1が
数百にも数千にも
なる。

さらに、
真のパートナーと
共に進めば、

次には
6人組ができる。

つまり、
二人ずつペアの
3組だ。

もちろん
6人でなければ
ならない、
ということでは
ない。

が、
6人というのは
実在レベルではまた
非常に大きな
シナジーを起こす。

数百、数千
だったものが、
それこそ無限大に
広がっていく。

そのため私は、
安易に
仲間を増やしたり
組織を広げたり
することを
あえて避けてきた。

真のパートナーと
真の仲間と
出会うために。

共に進む、
というのは
生易しいことでは
ない。

きっと
一人で進む方が
ずっと楽だろう。

しかしこれは
人生の
選択だ。

何のために
この人生を
送るのか?

自分の命を
どう使うのか?

それによる。

パートナー
探し、
仲間探し、
は、

妥協するな。

決して。

妥協しなければ、
必ず
出会えるよ。

つづく

今、必須の問い

一つの
問いに、

また
私達は
答えなければ
ならない。

自分なりの
最高の答えを

丁寧に
導き出そう。

・・・・・・

目の前に
迫ってきている
あの山を

越えるため
には

私は自分の
何を変える?

・・・・・・

丁寧に
スッキリした
答えが
見つかるまで、

妥協せずに

自分と
向かい合おう。

つづく

あれ、が来る

これまで
意識もしなかった
遠く。

彼方。

宇宙のずっと
奥、
向こう。

星と星の
間の暗闇。

そこに
スッと意識を
持ってかれた。

これまで
全く
意識していなかった。

その場所に、
意識を
持ってかれた。

最初はそこに
何か
蠢くような存在を
感じた。

最初は
気持ち悪いな、
という
印象だった。

が、
意識が接近
するにつれて、

その印象は
ガラリと
変わった。

そこには
「真実」が
あるな、と

思った。

実在の視点
で言えば、

この世界は、
すべて
「ここ」
にある。

距離や時間に
無限性を
感じるのは、
この3次元世界
のみ。

だから私は
いつも
「ここ」に
意識を向けていた。

それを
あえて
宇宙の彼方、
遠くの遠くの遠くの
場所に
意識を持って
行かれ、

そこで初めて
わかったのだ。

あえて
分離したままの
存在があるのだな、
と。

3次元の
「ここ」
には来ていない、

あえて
この世界から
分離をしたままで、

じっと遠くから
「ここ」を
見守る存在、
だ。

それは
神秘でも何でも
なく、

実在、
そのものだ。

その圧倒的な
存在感。

あのような
ものが、
この世界からは
離れたまま
だったのか・・・。

「ここ」が
不安定な理由が
わかった
気がするよ。

そして私は
このことを
ずっと以前から
知っていた。
本当は。

だから
「ここ」に来た。

あの彼方の存在は
なぜ
今になって
私を呼んだのか?

答えは
明瞭だ。

もうすぐ、
「ここ」に
来るからだ。

来ても良い
状態を、
私達はずっとずっと
整え続けてきた。

準備完了。

あとは
迎えるだけ。

・・・怖い話
ではないよ。

むしろこれで
ようやく
私達は
「普通」に戻れる。

大事な片割れが
いないまま
生きてきたような
ものだ。

片割れが
戻って、
ようやく健康体に
戻れる。

もうすぐだ。

しっかり
準備を
完了させておこう。

つづく

落ち着く環境とは

落ち着いて
物事を考える、

のに
最も適した
環境は
何だろうか?

答えは
その人その人で
異なるので、

自分にとっての
最善の答えを
しっかりと見つける
といい。

私にとっての
ベストは、
新幹線。笑

これは
別格。
次元が違う。

もし新幹線を
除くとすれば、

私にとって
重要な要素は

椅子

となる。

つまりは
座り心地の良い
椅子だ。

そのため
私の書斎の椅子は
座り心地を優先して
決めたものだ。

逆に言えば、
椅子さえ良ければ、
あとは
どんな場所でも
良いかもしれない。

街中にある
いわゆるチェーン店の
カフェなども
よく行く。

雑踏とか
人の話し声とか、

そういうのは
私は
気にならない、

どころか
むしろ
騒がしいくらいの
方が
集中できる。

静かに仕事を
したいときは
書斎で。

あえて
雑踏の中で
集中したい時は
カフェに行く。

ただしいずれも
椅子の居心地の
良いことが
条件だ。

とはいえ
特別な椅子が
必要というわけでも
ない。

普通に
シュッと
座ることができれば
それでいい。

あとは
いつでも自由に
私は
思考に集中できる。

もっと正確に
言えば、

実在を感じ取る
ことに
集中できる。

皆さんは
どうだろう?

良い集中の
ために、

何が必須
だろう?

「最低限」の
ものを
ちゃんと自分で
把握しておくことは
とても大事だ。

つづく

あなたの永遠の問い

あなたの
中の問い。

それを
見つけるのが
私の役目
でもある。

人にずっと
存在し続ける
問い。

その人に
とっては
永遠の問い
であり、

今、
の問い
でもある。

でもこれが
なかなか
浮上しないんだ。

日々を
真っ当に
生き続けなければ。

今のあなた
なら、
もうそれが
できている。

そろそろ
だろう。

あなたの
問いは
どこにある?

あなたの
最も
奥深い場所を、
まずは
探そう。

そしてそこに
意識を
向け続けよう。

その場所に
向かって
問い続けるんだ。

・・・

私のこの場所
には、

どんな問いが
眠っているだろう?

・・・

目を覚ませ、
永遠の
問いよ。

つづく

全てをかける時

さぁ、今から
頭をもたげるよ。

あえて
じっと
下を向き、
しかも
目も瞑って
きた。

目の前に
展開する
何ものをも

見ないように
してきた。

それも
これも

この一瞬を
大切にしたいから。

最大の
瞬発力を
発揮させたいから。

目を開けた
その瞬間の、

私自身の
素直な反応に

全てを
かけている。

そこに
余分なものは
なく、

不純物がゼロ
の状態での
反応。

ただそれだけを
求め、
自分を整えて
きた。

最初の
一瞬で
全てが
決まる。

さぁ、
頭を上げて
目を開けよう。

全ては
この時の
ために。

これまでの
人生と
ここからの
人生の
全てが
ここ、で
決まる。

つづく

大地視点の発想

前を見たり、

上から
俯瞰したり、

するだけで
なく、

たまには
下から
見上げるのも
いい。

自分が
大地になった
つもりで。

大地の
目線で、
今、ここで起きている
出来事を
見つめてみると、

どう
観える?

どう
印象が変わる?

何が
足りない?

何が
足りてる?

本当は、
もっと
大切にすべきことが
あるのではない?

本当は、
もっと
伝えたいことが
あるのでは?

共に
答えを出さねば
ならぬことが、

今ここ
だからこそ

あるのでは?

大地は、
大地だから、

すべての
土台だから、

よくわかるよ。

よく
見てるんだよ。

大地に
なってみると
わかるよ。

つづく

これは快楽だ

それはきっと
快楽、

表現しても
よいくらいの
感覚だ。

自分の本質
から
新たな形が
生まれる
その瞬間。

もしくは、

生まれよう
とする
兆候を感じる
瞬間。

それは、
産みの苦しみ
の後に
くる。

だから
しっかり
苦しまなければ
ならない。

大概、
その苦しみから
途中で
逃げてしまったり、

苦しみを
他の何かで
紛らわせたり
するので、

本当の形にまで
達しない。

するとその
独特の
快楽的感覚は
得られない。

もちろん
この感覚は、

自分一人だけで
得られる
わけではない。

むしろ、
人との協力、
協業、協調の中で
こそ、
生まれやすい
かもしれない。

そうだな。

これを
仲間と共に
得られることこそ、

人にとっての
至福なのかも
しれない。

特別なこと
じゃない。

むしろ
すべての人が
日常生活において
これをする
ために、

この感覚を
得るために

生きているのでは
ないか。

人間の本能の
深いところに
あるもの。

それを
ダイレクトに
感じられるその
感覚。

やっぱこれは
快楽だな。

つづく

素の自分を出すべきだ

1ヶ月前と
比べて、

今の自分の
巨大さは、
どう?

本質的な
巨大さ、
実在の
巨大さ、
のことだよ。

もし、

随分と
巨大になって
いるな、と

感覚的に
思えば、

きっと
そうだと思うよ。

であれば、
自分の巨大さを
活かそう。

巨大化を
続ける
その成長エネルギーを
活かそう。

こういう人は、
自分を
卑下することは
絶対に
やめた方がいい。

妙に
謙虚になったり
謙遜したり、

遠慮したり、

もダメ。

自分の意見が
あれば、
それをできるだけ
はっきり
くっきり
ダイレクトに
表明しよう。

周りくどい
言い方は
いけない。

わかりやすく
そのまま、に。

巨大化を
続ける者だけが
持つ、
独特の空気感が

調和を促して
くれる。

マウントを
とるためじゃ
ない。

調和のため
にも、
はっきり
表明するんだ。

濁りなく、

素直に、

素の自分を
出すんだよ。

つづく

壊すためにできる唯一のこと

腰が重く、
ドッと
倒れそうになる。

いかん。

ここで
倒れては。

と、
踏ん張る。

あまりに
キツいぞ、

この人は。

この人の
生き方は。

これで
立っていられる
のだから、
逆に
大したものだが、

もうしかし
限界だろう。

壊さねば。

この人の
生き方を。

・・・・・・

もちろん、
他人の生き方を
壊すことなど
できない。

壊せるのは
その人自身のみ。

それは
わかっていても、
それでも
やらねばならない
ことがある。

そんな時は

内側から

壊すしかない。

・・・・・・

その人の
真本音への
アプローチ。

真本音が
表面化するきっかけ
となる
言葉の数々を、

一つ一つ
慎重に
投げかける。

一つの言葉
による
波紋を
丁寧に確認
しながら。

・・・・・・

時間は
かかるかも
しれない。

時には
何ヶ月も。

しかし
ある瞬間に
その人の真本音は

浮上

を始める。

内側から
言いようのない
エネルギーと共に、

言いようのない
不安定が
その人を襲う。

人の心は、

外側に対しては
ある程度の
強さがあるが、

内側には
弱い。

内側からの
働きかけ、

つまりはそれは
自分自身による
働きかけ、

自分の魂からの
働きかけだ、

そういった
内側からの
刺激には
滅法弱い。

その人の
頑なだった
心は崩れ、
壊れていく。

が、
安心すれば
いい。

さらにその奥から、
本当の心が、
魂が、
浮上する。

本来の
その人そのもの
だ。

・・・・・・

壊すには
この方法しか
ない。

ここまで
他者が介入して
良いのか?

という
問いは、

もう
10年前に
消えた。

私達全員の
命の問題だからだ。

つづく

一日の終わりの体験

一日を
静かに
振り返るとき、

その時
その瞬間には
体験できなかった
ことを

改めて
体験できることが
ある。

本当はそこで
気づいていた
のに、
その自覚が
ないこと。

これが
私達には
あり過ぎる。

過去は
振り返らない、

言う人がいるが、

そいつは
ダメだ。

自分の体験は
もっと
一つ一つ
大切にした方が
いい。

一日の終わり
には、
必ず、その一日を
もう一度、
体験し直すこと。

その上で、
「明日」のことを
しっかり
考えること。

それが
丁寧に生きる
基本。

特に
思い出したく
ないことほど、
本当は
しっかり体験
し直した方がいい。

なぜなら、

そういった
出来事ほど
自分の偏った見方しか
できていないから。

本当は
その出来事は
自分の人生の
宝となるかも
しれないのだ。

宝が
目の前にあるのに、
それを
自ら捨ててしまう。

そんなことは
しないようにね。

つづく

自分との約束なんだな

辛い、辛い

言いながら、

楽しく
踊っている。

苦しみも
悲しみも

しっかりと
自分の芯で
受け止めて
味わい、

落ちる時は
落ちきり、

その上で、

笑い飛ばす。

強い人だな、
あなたは。

人の
苦しみも

自分の
ものとして、

そんなに
苦しみの共感を
する必要も
ないのに、


思うのだけど、

それでも
共に苦しむ。

で、
その上で、

笑い飛ばす。

苦しんでいる
当人も
思わず一緒に
笑ってしまう。

凄い人だな、
あなたは。

どんどん
巻き込んで
いく。

どう見ても
お節介
だろ。

私には
その距離感で
人と関わり
続けるのは
無理だなぁ、と
思う。

しかしきっと
あなたは、
それを
一生、続けるの
だろう。

そう、
決めてるんだね。

自分自身
との
約束だ。

誠実な人だな、
あなたは。

つづく

開放は怖い?

本当は、
私は私を
開放したい。

でも、
できない。

するのが
怖い。

したら、
私はきっと
人を
傷つける。

過去に
そんな体験
ばかり。

もう
これ以上、
人を
傷つけたくない。

でも、

このままでは、

何事も
成せない。

・・・

開放は
怖い。

しかし、

開放は
怖くない。

いざ、
開放が
始まれば、

ほんのわずか
だけでも
始まれば、

その瞬間
から、

なんだ
こんな
ものか。

と、なる。

それは
そうだろう。

開放、とは、

「普通」


戻っていく
ことだから。

私達は、
「普通」に
戻れて初めて、

これまでの
自分が
「普通」ではなかった
という
事実を知る。

よくあんな
「普通」じゃない
状態で
生きてこられた
ものだ、と。

ある意味、
感心する。

そして、
なんでもっと
早く
「普通」に
戻らなかったのか!

少し後悔することに
なる。

それくらい
「普通」とは
普通だ。

開放は、
怖い。

でも、
いざ開放を
始めれば、

それは
怖い、とは全く
逆のものだ。

つづく

また変容するのか

人に合わせて
向き合う、
ということが
私の得意とする
ところだったが、

数年前からは
それが
できなくなって
来ていた。

自分を
オープンに
できる人は、

私と向き合う
のが
楽しいらしい。

しかし
そうでない人は
私のことが
怖いらしい。

見透かされている
気がします、

よく言われるように
なった。

私としては
見透かす、
などという意識は

全くのゼロ

つゆほどにも
ないのだが。

ただ、
あるがままの
私として
あるがままに
向き合おうと
する。

それが
怖いようだ。

以前は
どんな人にも
コーチングできて
いたが、

そんなわけで
ここ数年は
そうもいかなく
なっていた。

それもあり
一緒に現場に
出られる
若手を急きょ、
育成したりしてきた。

その若手コーチも
随分と
育ってくれた。

もう、
私の後継者です、

言い切っても
良い人も
いる。

ただ、
ここでまた
様相が少し
変わってきた。

私と向き合うのが
怖いはずの
タイプの人達が、

ここ最近、
妙に私に
近づいてくる。

まるで彼らを
引き寄せている
かのようだ。

これは
夏から秋に
かけて行なった、

私自身の
大特訓の成果
かもしれない。

向き合い方は
以前と全然
変えているつもりは
ないのだけど、

私にはまだ
自覚できていない
独特の波長が
出るようになって
いるようだ。

組織への
サポートの仕方に
また
変容が起きている。

この仕事は
奥が深い。

この年齢になって、
私もまだまだ
これから
変容するようだ。

つづく

呼ばれている

特急電車に
乗りながら、

広々とした
田んぼや
山や
時には海を
眺める。

いつもの
出張。

通い慣れて
来たのだが、

でもやはり
毎度毎度

独特のワクワク
がある。

これは
どこから
来るのだろう?

もちろん
今日はどんな
出来事が
起こるのかな?
というワクワクも
ある。

しかしその
もっと奥に
何か、ある。

そう、

呼ばれている
気がするのだ。

彼らに。

彼らの
真本音達が。

実在の
彼ら、が。

脱皮をしたくて
たまらない
人達。

顕在意識的には
まだその自覚は
小さいかも
しれない。

が、
実在レベル
では、
その意欲の
大きなこと!

きっと
電車で近づくに
つれて、
彼らのその意欲を
ダイレクトに
感じ取って
いるのだろう。

これだけの
強い意欲
ならば、

こちらも
心して
かからねば。

今日も
全身全霊だ。

つづく

焦点はそこじゃない

星々が
回っている。

ゆっくりと、


感じるが、
実は凄い
スピードだ。

目まぐるしく
変わる、

変わる。

その中で
私達は
ただ、
一点のみを
見つめている。

焦点を
定めるために、

回っている
ことに
気づいていない。

しかし
それでいい。

でなければ
目が回る。

ただし、
大切なのは、

どこに
焦点を当てるか?

だ。

星は
無数にある。

ある一つの
星に
焦点を絞る
必要はない。

もっと
広くていい。

星々の
輝きのさらに
向こう側に、

それは、
あるはずだ。

星々は
素晴らしい。

しかし
目指すは
そこではない。

もっと
先、だ。

それは
いつもいつも
じっとしている。

わかるだろう?

そこに
焦点を
合わせれば、

星々のその
凄まじい回転も

居心地の良い
ものとなる。

星は
回り、踊る。

それが
この世の全ての
安定の
形だ。

つづく

空か大地か?

空に
浮かんでいる
のか?

大地に
立っている
のか?

その区別が
大切だ。

空に
浮かんでいる
なら、

より
自由に。

やりたい
ように。

大地に
立っている
なら、

まずは
しっかり土台を
整えよう。

大地から
感じる
その感覚を

この
現実世界に
おいて
実現しよう。

そこからだ、
スタートは。

準備を
しっかり。

大地を
離れ、

空に
浮かぶことが
できた、と
感じるなら、

もう、
自分のこれまでの
枠は、ない。

過去の自分に
縛られず、

これまでの
自分の
能力に捕らわれず、

願いの
ままに。

希望の
ままに。

果てしなく
自由に

動いて
みよう。

つづく

移動、の時

移動
せねば
ならない。

ここ
にいては
ならない。

そう
思ったら
即座に
移動する。

場所を
変える。

理屈では
ない。

感覚が
重要だ。

このメリハリ
を知ってから、

人生の調和が
かなり
深まった。

情に流されては
ならない。

この場合の
情は、

執着でしか
ない。

決して
誰も喜ばない
ものだ。

だから、
サッと
決める。

決めたら
動く。

すぐに。

迷っている
場合では、

ない。

つづく

どうせ揺れるなら

揺らぎ、

大事だね。

本当に
大事だね。

揺らぎ、

不安定なので、

怖いね。

しかし
しっかり
揺れなければ、

良いものは
生まれない。

残念ながら
多くの人は、

本当に
必要な揺らぎか、
本当は
必要のない揺らぎか、

区別がついていない。

なので、
必要のないところで
揺れ続け、

必要のない悩みに
明け暮れる。

そこで
エネルギーを使い
疲弊する。

で、
肝心なところで
エネルギーが
出なくなる。

必要な揺らぎ
には
独特の感覚が
ある。

その揺らぎに
しっかりと
身を任せれば、

揺らいではいる
けれども、

揺らぐほどに
どこかが
安定する、とか

揺らぐほどに
明るい光の
ようなものを
感じる、とか

未来への
希望に繋がるような
感覚を
得ることができる。

それを
感じられない
揺らぎからは、

離れた方が
いい。

悩むところは
そこでは
ない、ということ。

みんなもっと
必要なところで
ちゃんと揺れよう。

そのためには
揺らぎを
恐れ過ぎず、

むしろ
目の前にある
揺らぎや、

自分の心が
揺れてしまう
方向に、

自らの意志で
突っ込んで
みよう。

ある意味の
その開き直りは

自分自身に
パワーを与えて
くれる。

揺れるのが
人生。

揺れるのが
人間。

であれば、
まずは自らの
意志で
揺らぎに突っ込む。

それくらいの
人の方が、

必要な揺らぎを
自分に
引き寄せることが
できるんだよ。

つづく

形になる直前のもの

形のないもの、

形になる
直前のもの、

がある。

特に、
直前のものは
ちゃんと
形にしてあげよう。

形にするのに
最も大切なことは

タイミング

だ。

今、形にしよう!

確信できる瞬間が
ある。

それを
逃さないこと。

タイミングが
合えば、

その形には
一貫性が
生まれ、

かつ、
その形によって
様々なことが
調和していく。

タイミングが
ずれれば、
その逆の展開
となる。

同じ形でも
タイミングが
命だ。

形にする、
というのは
ある意味、
大変な勇気が
必要なこともある。

その勇気を
出せる自分で
いるためには、

常日頃の
生き方が
重要だ。

決めたことを
決めたタイミングで
やる。

・・・この
単純明快な
生き方。

それが
日常の些細な
ことから
日々、できていれば、

肝心なところで
ちゃんと動ける。

大事な局面
の時だけ
しっかりやろう、

なんて
虫のいい生き方は
私達人間には
無理だ。

今、

形になる直前の
ものは、
世の中に多い。

自分にとっての
それは、
何か?

これを
ちゃんと掴もう。

その感性を
養うのも、
普段の生き方で
決まる。

日常が
大事だ。

日々、今ここ

大切にしよう。

つづく

どんな人が弱くなるか

本当は、
いろんなことを
考えている。

いろんなことを
洞察している。

自分を
見くびっては
ならない。

わかって
いるんだよ、
自分が一番。

自分の
ことだからな。

わかって
いるのに、

わからない。

自分が
本当は
何を考え、

どんな答えを
出しているのか、

わからない。

そんな中で
私達は
生きている。

自分の中の
答えは、

自分一人で
導き出すことは
極端に難しく、

それよりも
人を介する
ことで、

自分の答えに
気づくケースが
圧倒的に多い。

人と向き合い
語り合う。

しかしたとえ
会話がなくとも、

目の前の
その人は
自分の反映だ。

人と誠実に
関われば、

誠実に
自分の答えも
浮上してくれる。

雑に
関われば、

雑にしか
浮上しない。

すべて
反映だ。

硬いことは
言わない。

でも、
今、これから
始めようとしている
会話は、

本当に
大切にしよう。

心から。

惰性で
行なうのでは
なく、

一つ一つ
自分の発する
言葉を
丁寧に選び、

相手の発する
言葉を
丁寧に
受け取ろう。

受け取り方

発し方。

受信と
発信。

日常における
些細な
一つ一つの
会話。

それを日々、
どれだけ
誠実に
行なうか?

人間の
「強さ」と
「安定感」は

大体、
これで
決まってくる。

雑に
生きている人は

弱いよ。

つづく

未来を見通さない

私は、
先を
見通さない。

先を
見通している
自分が
存在していることを
確かに
感じるから。

だから
私は、
先を見通さない。

もちろん、
願いはある。
ビジョンもある。

目標も
ある。

が、
無闇に先を
見通さない。

もう全てを
わかっている
自分が
いるのを感じるから。

これは
私の考えだが、

人生の醍醐味は
「今」に
集中することだと
思っている。

「今」ここに
完全に存在する。

という
状態になること。

これをすれば、
それだけで
至上の悦びを
得られる。

満たされる
んだ。

満たされる
ものがない人の
多くは、

今を生きていない
から、

だと
私は思うんだ。

これに
気づけたから
こそ、
私は自分の人生を
変えることが
できた。

一瞬一瞬に
いつも満たされている
自分になれた。

ある会社の
幹部さんが、
先日、私に
こう言われた。

以前の私は
土日が来るのが
待ち遠しかった。

今の私は
明日が来るのが
待ち遠しい。

今、ここで生きる
こと自体が
幸せ過ぎて
あっという間に
一日が終わって
しまう。

・・・と。

その幹部さん、
お仕事、
本当に大変で、

毎日、いろんな
問題に
晒されて、

休日もへったくれも
ない状態で
日々、頑張っている
人だ。

出会った頃には、
鬱病の手前で
会社を辞めそう
だった。

あれからまだ
数ヶ月しか
経っていない。

私は
知っている。

その幹部さんは
未来を
見通せるように
なった。

何をどうすれば
未来が
どうなるか?
直観的に
わかるように
なったのだ。

が、
やはり、

だからこそ
未来を
見通そうとは
しない。

今、を
楽しむことに
集中しているんだ。

人間とは、
こういうもの
なんだな、と

改めて
思うよ。

つづく

決めたことは変えない?

一度、
決めたら、

絶対に
それを曲げては
ならない、

と、
思い過ぎでは
ないだろうか。

もちろん、
決めることは
大事。

それを
貫くことも
大事。

しかし、

どこまで
貫くか?は

もっと
柔軟でいい。

なぜなら
その「貫き」には
期限があるからだ。

物事には
すべて
期限がある。

期限は
自分自身の
真本音が
しっかりと
決めている。

始めから。

期限を
過ぎても
頑なにそれに
こだわり
「変えてはならない」

やり続けるのは、

ただの
執着だ。

はっきり言って、
周りは
大迷惑だ。

これを
「頑固」と言う。

本当に
真本音で決めて

決めた通りに
生きている人は、

期限がくる
までは、
それは絶対に
変えない。

何があろうとも、
決めたことを
決めた通りに
やる。

しかしいざ
期限が来れば、

むしろ
それまでの自分の
あらゆる考えを

壊そうと
する。

壊して
新たに生まれ変わり、

新たな展開を
決める。

この柔軟性
こそ、
ここからの私達に
必要なことだ。

これは、
まだ貫くべきか?
もう手放すべきか?


一つ一つ
丁寧に
チェックしてみよう。

つづく

物事の判断の仕方

混濁して
見える色ほど、

実は
最も純粋
だったりする。

表面に
捕らわれ過ぎ
なのだ、私達は。

これ嫌だ!

思うともう、

それを
決して見ようと
しなくなる。

見ないから
本質が
わからなくなる。

本当は、

あらゆるものを
そのままに
よく
見つめるといい。

解釈なしに。

見つめる
という
視線、矢印、

それは
意識を向け続ける
という行為。

これが実は
私達人間にとって
最も
重要かつ基本となる
「現実」との
対し方ではないかと

ずっと
実感している。

ある
社長さんが
良い表現を
されていた。

「すべてに
ピントを合わせる」

と。

この在り方、
向かい方、
関わり方。

これをすれば、
スッと
本質が理解
できる。

その上
で、
初めて、

好き、だ
嫌い、だ、

気持ちいい、
気持ち悪い、

など、
素直に感じる
判断をすれば
いい。

要するに、
判断が
早過ぎるんだ。

一瞬で
いいので、

すべてを
受け入れて、

感じて、

その上で
判断しよう。

つづく

もう、いいよ

去っていく
ものがある。

追いかける
必要は、
なし。

追いかけても
それは
去っていく。

・・・・・・

目の前に
ある、

これ。

これ
にこそ
向き合うべきだ。

あとは
いい。

今は、
これ。

・・・・・・

彼方に
見えるものは、

見える瞬間に
のみ

見ればいい。

観ればいい。

・・・・・・

風には
乗ろうと
するな。

風に
頼ろうと
するな。

すると、
風の方が
力を貸して
くれる。

やはり
私達は
自らの足でのみ
行こう、
とするのが
ベストだ。

・・・・・・

光が
見えるかどうか?

この際、
もう
どうでもいい。

なぜなら
私達自身が
光、だからだ。

余分なことは
もういい。

気を遣わなくて
いいんだ。

やること
のみ
やろう。

つづく

それが私達の道だ

遠くにいる
何者かが、

呼んでいる。

そっちに
導かれるように
進む。

しかし、
その道には
たくさんの
障害があり、

容易には
進めない。

時には
どうしても
回り道をしなければ
ならなくなる。

でも一度、
回り道をすれば、
もとの道が
わからなくなる。

遠くに
見えていたあの
何者かも、
見えなくなる。

すると余計に
迷い続け、
彷徨い続ける。

それでも
ある時にふと
もとの道に
戻れたりする。

そして
遠くに、あの人が
また
見えるようになる。

あの人は
ずっと
私を導き
続けている。

ずっと、

変わらずに。

道を外れるのは
私、だ。

わかっている。

本当は、
障害など、
何もない、
ということを。

進み続ける
ことが
怖くて、

わざと
回り道をして
しまうのだ。

そのために
自ら、
目の前に
障害、という
幻影を
創り出す。

真っ直ぐに
進めばいい。

本当は。

私達に、
障害は、
ない。

つづく