チームパフォーマンスコーチ

新幹線空間

新幹線に
乗っていて、

ふと
気がつくと、

何もない
完全自由な
空間を

ふわふわと
漂っている自分を
発見することが
ある。

完全自由、
だ。

これだから
新幹線は
好きなのだ。

この状態に
入ると、
私はすぐに
仕事にかかる。

すると仕事が
ぐんぐんと
捗る。

窓から
見える景色は
そのままに、

しかし
実在のレベル
では、

完全自由の
空間に私は
いる。

実在と現象の
両方を
味わいながら、

新幹線の
スピード感も
相まって、

仕事は
通常の数倍の
ペースで
進む。

だから出張は
大好きで、

出張先のお客様
でのお仕事が
目的なのか、

新幹線での仕事が
目的なのか、

ようわからん
わけだ。

特に面白い
のは、

新幹線がたまに
緩くカーブすることが
あるが、

そのカーブ時の
独特の
空気の流れや
景色(世の中)の
流れが
たまらない。

その流れに
添うように、
私の発想も
グググッと視点を
変える。

そして
新幹線の車両と
一体化してしまう
こともあるが、

その時は、
まるで自分以外の
大いなる存在に
なったかのような

自分の範疇を
明らかに超えた
発想が生まれる。

当然、
仕事だけでなく、
セルフコーチングも
する。

その時自分の
中にある
超重要な問いが
明確になり、

かつ、
答えも一気に
明瞭に浮上する。

清々しい。

う〜む。

出張がなくても
新幹線に乗って
仕事しようかと
思う、
今日この頃。

つづく

懲りないヤツだった

恐らく
私の場合、

自分の力で
何とかなる、


考え始めた
だけで、
根本的な不調和が
始まっている
気がする。

何ともならん
のだ。

もともと
自分の力だけで
何とかなる
レベルのことを
やろうとも
していない。

自分の人生の
目的において。

だから私の
人生の前半は、

自分では
何ともならんのだ、
という事実を
痛烈に味わう
体験ばかりが
続いた。

もちろん
自力で上手くいった
こともある。

しかしその場合、
必ずそこから
私は
天狗になる。

で、
痛い目に遭う。

面白いくらいに
その体験を
繰り返した。

繰り返しても
繰り返しても
私は
懲りなかった。

この仕事を
始めた頃に
私は
あるお客様から、

竹内さんは
わざと
失敗を繰り返して
いるね〜。
こんなに懲りずに
反省しない人は、
見たことがないよ。


真正面から
言われたりもした。

懲りない人間は
懲りないのだ。

というより、
自分が原因で、

特に
自分の力不足で

物事が上手く
いっていないのだ、
という事実を
決して見ようと
しないのだ。

世の中に
そういった人は
いっぱいいるが、

私はその
典型だった。

でも、
自分の奥の奥に
ある
真本音の願いに
気づいた時、

私はその時、
本当に

あぁこりゃ
ダメだ、


痛感したのだ。

到底、
私の力では
できない、と。

その時から
やっと
少しは
謙虚になれたの
かな。

今、
振り返れば、

懲りない時代が
あってもいいかな、
とも思う。

いやむしろ、
散々、痛い目に
遭ったからこそ、
本当の意味で
気づくことができた
のかな、
とも。

だから、

あんまり
器用に進まない
方がいいよ。

ゴツゴツ
ぶつかれば
いい。

ぶつからねば
わからんだろ。

本当に
何が
大事か?

ということに。

まぁ、
今になって
思えることでは
あるけどね。

つづく

炎と光の中で

青い炎が
下から
湧き続ける。


思ったら、

上から
赤い炎が。

炎と炎に
挟まれる。

もちろん
熱い。
赤かろうが
青かろうが。

上下から
焼かれ、

初めて
観えてきた
ものがある。

それは
私自身の
錆びた
フィルターだ。

古い古い
私としては
まるで
自分自身そのもの
であるかのような、

フィルターとは
思いもよらぬ
フィルター。

それが今は
完全に
錆びてしまって
いる。

腐ってしまって
いる。

こんなものを
私はずっと
今でも
持ち続けて
いたのか・・・、


驚嘆した。

こんなものに
私は
捕えられて
いたのか・・・。

炎に
焼かれなければ
決して
気づかなかった。

人間は
果てしなく
愚かだ。

・・・

次に
右から
黄色の光が
来た。

左から
薄青の光が
来た。

それらは
それぞれ
「世界」となり、

それぞれが
私を
包んだ。

黄色の
世界と

薄青色の
世界。

二つの世界

私を介して
融合を始めた。

決して
結ばれなかった
世界同士が

私を介して
結ばれる
とは・・・。

人間とは
果てしなく
可能性に
満ちている。

つづく

閉じてしまったら

大きな脱皮

前にして、

頑なになる
人は多い。

自分を
閉ざして
閉ざして
閉ざす。

周りを
拒絶する。

あの人
大丈夫?


周りの人は
心配するが、

これも
脱皮のための
準備だ。
大事な。

脱皮とは
これまでとは
異なる自分の
開放だ。

解放だ。

オープンに
なること
なのだから、

その手前で
完全なる
クローズドに
なるのは
致し方ないこと。

むしろ
ここをしっかり
やっておかないと、

せっかくの
脱皮なのに
オープンに
なり切れない、

ということに
なってしまう。

・・・

道行く先に
観えるものは?

今は
何も観えない
かもしれない。

どころか、
これまで以上に
霧や闇に
閉ざされている
かもしれない。

それでも
気にするな。

今は
閉じている
のだから。

わざと。

・・・

脱皮に
時間のかかる
人もいる。

クローズドな
状態が、
下手をすれば
何年も続く人も。

以前の私も
そうだった。

でも、
脱皮には必ず
出口がある。

どうしても
クローズドに
なってしまうのなら、

徹底的に
なれ。

つづく

もっと強く

目の前に
とてもシンプルな
机と椅子
があり、

私は
その机に向かって
ものを書く。

それは
実在の机と椅子
だ。

そこは
実在の私の書斎

言ってもいい。

ここでしか
書けないことが
ある。

ただし
この机と椅子を
使うと、

とてつもない
エネルギーを
消耗する。

コーチングの
何倍、
いや、時には
何百倍も
エネルギーを
使う。

だから
よほど自分を
整えないと
その机には
向かえない。

私が日々、
自分自身を
精進させている
のは、

実は
この机に向かう
時間を
増やしたいから、

という
単純な理由が
大きい。

はっきり
言って、
生半可な自分
では、

すぐに
生命エネルギーを
使い切ってしまって
一瞬で
死んでしまうかも
しれない。

いや、実際に
これまで何度も
ヒヤッとした。

自分なんて
すぐに
死んじまうな、

自分の儚さに
愕然となったりも
した。

だから
もっと強い自分に
ならねば。

もっと
エネルギーを
高め、

自分だけでなく
世の中に漂う
エネルギー達を
使いこなしながら、

できるだけ
長時間、
その机に
向かいたい。

これが
私の
今の最大の
目標だ。

その机で
書きたいことが
たくさんある。

いや、
あり過ぎる
のだ。

だから私は
私を
鍛えに鍛える。

今日も
明日も。

実在レベルの
トレーニングだ。

これからの
私の
大事な仕事として

「書く」

という要素が
格段に
増える。

「書く」
ことを通じて
私は
生きているうちに
やらねばならないこと
やりたいこと

あり過ぎるほどに
ある。

時間は
ない。

もっともっと
強くなりたい。

つづく

階段との奮闘

階段が
観える。

無限に
上へと
続いている。

どこまで
行ってしまうのか。

一種、
恐ろしくも
あるが、

しかし
こういう時は
どうしても
好奇心が
勝ってしまう。

私は
階段を
駆け上がる。

明るい
黄色の光に
包まれた、
果てしない
階段を。

どれだけ
駆け上がっても、
いっこうに
息が切れない。

むしろ
内側から
次々に
パワーが開放
されていく。

希望

という言葉が
浮かんだ。

これは
希望の階段か?


思った瞬間に
一瞬で
すべてが
真っ暗になった。

気がつけば、
私は
もとの場所に
立っている。

目の前に
階段が
ある。

無限に上に
続いていく
階段が。

さっきは
確かに
ここを
駆け上がって
いたはずなのに。

私は試しに
もう一度、
駆け上がった。

が、
今度はちっとも
進めない。

何度やっても、
一段も
上がれないのだ。

なぜだ?

思っていると、
ふと、

本気じゃない
からだ、


浮かんだ。

そうか、
さっきは
本気で駆けた。

でも今は
試しに・・・
という気持ち
だった。

なるほど、
その違いか。

じゃあ
本気でもう一度
行ってやろうじゃ
ないか。

私は
無限に駆け上がる
つもりで
階段に
飛びついた。

今度は
ぐんぐん
登れた!

ぐんぐんと!

やはり
駆け上がるに
つれて
内側からパワーが
漲ってくる。

どんどん
登った。

恐らく
最初よりも
たくさん
登れている。

これは
行ける!

思いながら

喜びを
感じた
その瞬間に

またもや
真っ暗に。

次の瞬間、
また
もとの場所だ。

しかし
これで少し
わかった。

雑念だ。

余分なことを
考えた瞬間に、
ここに
戻ってしまう
のだ。

よし、
いいだろう。

雑念なしで
行けるところまで
行こう。

何度
ここに戻ったと
しても、

何度でも
やり直そう。

きっと
この階段は
今の私に
必要なのだろう。

そして
私は
その階段に
飛びつく。

何度も
何度も
もとの場所に
戻る。

これは
本当に
私自身の
訓練だった。

実在レベルの
話。

しかし
私はこの訓練を
もう14年
続けている。

つづく

果てしないエネルギーと

時々、
外からエネルギー

グワッと
入ってくる。

グワッと。

一瞬で
エネルギーに
満たされるが、

その濃度に
耐えられなく
なることも
ある。

そんな時は
せっかくの
エネルギーを
吐き出しそうに
なるのだが、

そこは
グッと
堪える。

グッと。

私にとって
必要な
エネルギーだ。

私は
私自身が生み出す
エネルギーのみでは
もう
やっていけない。

他力本願

言ってもいい。

私以外から
与えられる
エネルギーを
集約し、

濃密にし、

必要なところへ
必要な
タイミングで

一気に
注ぎ込む。

到底、
私自身の
エネルギーでは
足りない。

というか、
私自身のエネルギー
など、
微小過ぎて
もはや
ないのと同じかも。

それくらい、
私は
いただき、
放出する。

いただき、
注ぎ込む。

その
繰り返し。

それが
私の
やること。

この世は
エネルギーに
満ちている。

でも
そのほとんどは
使われず、

ずっと
漂ったまま。

それを
活用すること
こそ、

私の
やること。

ただ、
私自身は
微小なので、
いつも
呑まれそうに
なる。

そこを
耐える。

呑まれ
流されない
ように。

まるで
一人で
富士山と対峙
するように、

自分よりも
あまりにも
格段に
大きな存在に、

私は
委ねつつ、

しかし
舵取りを
する。

つづく

吐き出し結ぶ

身体の中
から

何かが
吐き出され
そうだ。

とてつもない
何か、が。

きっとそれは
恐ろしい
ものだろう。

ということは
ずっと
私はその
恐ろしいものを
内包しながら

ここまで
来たのだ。

その存在を
知らず。

しかしそれが
人間たるもの。

これまで
何度も
様々なものを
吐き出してきた。

吐き出す
度に

それらから
自由になれた。

軽く
なれた。

今回も
同様なのだと
思うが、

一つだけ
違う気がする。

きっと私は
その
吐き出した
ものを

また
喰らう。

吐き出した
ものには
芯(真)が
ある。

吐き出された
それは
吐き出される
ことで
浄化され、

芯(真)
のみとなる。

そいつを
また
きっと私は

喰らう
だろう。

そいつは
とても
恐ろしい存在
だが、

私に
とっては

私の人生
にとっては

なくては
ならぬもの。

そいつと
私は
再び
結ばれる。

つづく

時間の長短ではない

花火は
一瞬で
消える。

どんなに
美しくても。

一瞬だ。

だから
儚い
という考え方も
ある。

が、

実在レベルで
言えば、

その一瞬
とは
永遠だ。

永遠の
一瞬に

最大の
美しさを

カタチとして

ここに
現す。

こんなに
尊いことは
なく、

こんなに
美しいことも
ない。

もちろん
継続の美しさも
ある。

しかし
一瞬の美しさも
ある。

どちらも
永遠だ。

そこは
変わりはない。

この
3次元世界では
時間の長短が
あるので
ややこしくなる。

本質は、

時間の長短
ではない。

長くても
短くても

美しいものは
美しい。

醜いものは
醜い。

だからこそ
私達は

を美しく
生きよう。

つづく

焦ってはならない

未来の
目指す状態へ
一気に
突き進む感覚が
あるのだが、

現実がまったく
変わらない、

という人も
多いのではないか。

今は特に。

ここで
焦っては
ならない。

ここで
焦って
無駄な動きを
とってしまうから、

せっかくの
チャンスが
遠ざかってしまう。

焦っては
ならない。

一日一日は
どうだ?

今日、
やることは
全部やり、

今日、
やってはならない
ことは
明日以降に
ちゃんと後回しに
する。

この連続を
きちんと
踏んでいるかな?

一日一日の
完了感。

もしこれが
きちんとある
なら、

焦るな。

このままで
いい。

昨日と
同じように
今日も
この一日を
大切に。

明日も
同じように
大切に。

これが
最善最速の
進み方。

つづく

最上の混沌を

様々な旋律が
絡み合う。

一見すると
混沌。

しかしその
本質は

実に
シンプルだ。

絡み合えば
合うほど
シンプルに
なっていく。

それはまるで
いろんな色の
光が
合わさることで
無色透明と
なっていくような。

すべては
在る

・・・という
状態に
向かっている。

その状態への
最短ルートは

混沌

だ。

理路整然と
まとめていくのは
遠回りだ。

混沌こそ
最短の
道。

これは
人の成長も
組織の成長も
実は、同じ。

なので
私はむしろ

混沌を
助長する

という
サポートの仕方を
する。

混沌を
避けるのでは
なく、

最上の混沌


創り出すこと。

そのためには
余分な手を
出さないこと。

じっと
状況を観察
しながら、

ここぞ!
という
タイミングで

混沌の種

投入する。

もうすぐで
理路整然と
まとまりそうだ、
という
瞬間が多い。

もう少しで
というところでの
混沌の種

効く。

顕在意識レベル
では
容量を超えて
しまう。

が、
だからこそ
境界線を
超えられる。

一気に
次のステージへ
進み、

そこから
調和が
始まる。

混沌の後に
調和あり。

混沌の後
だからこそ
調和あり。

いや、

混沌を経ない
調和は、

無いのだ。

つづく

いったん死んで

サッと
鋭い日本刀で
背中から
切り付けられた
感覚だった。

その瞬間。

痛みよりも
ヒヤッと
した。

イメージでは
背骨がそのまま
縦に
割れた。

それは
一般的には
即座に

を意味するが、

実在レベル
では
そうとも限らない。

誰が
こんなことを?


後ろを
振り返れば、

超巨大な
私自身がいた。

また
必要があって
私は
私自身を
殺したな、と
わかった。

私だけでなく、
人は
何度も何度も
自分自身を
殺す。

殺す
と表現するのは
怖い感じだが、

多くの場合は
良い意味で
だ。

もちろん
殺した瞬間に

始まる

のだが。

それにしても
何が
始まるのか?

すぐには
わからない。

ただ、
殺された
という
自覚を持つことは
とても大事だ。

一刀両断。

こんな
一気呵成な
殺し方を
私は私自身に
課した。

こんなことが
できるくらい
私の準備が
整っていたとも
言えるが。

さて。

私は
いったん死んで

何に
なるのか?

つづく

純度はどれくらい?

今、自分の
純度は
何%だろうか?

そう
自分自身に
問うことで

自然に
浮かんでくる
数字は
何だろう?

私の場合、
へっちゃらで

100%だ


軽く、かつ
断定的に
浮かんでくる。

面白いことに、
本当に
そう思えるように
なってから、

外部との
コミュニケーションが
柔軟になれた
気がする。

私から投げる
言葉も、

私の発したい
言葉ではなく、

相手に
自然に届く
言葉を
選べるようになった。

恐らく、
純度99%では
できなかった
ことだ。

やっぱり
中途半端では
ダメなのかな、
特に私の場合は、
と思う。

ところで、

私はもっと
みんなも
堂々と
純度100%を
目指せばいいのに、

よく思う。

もちろん
現実はそうそう
思う通りには
いかない。

でも、
まずは自分の
内面、
もしくは
目指すもの
くらいは
100%に設定しても
良いだろう。

内面的
精神的に
最初から
妥協したり

中途半端で
いいや


やっているうちは
いつまで経っても
満足感や
充足感は
得られないと
思うのだけど。

それに、

純度100%と
自分自身が
自然に思えて
初めて

自分の中から
発せられるものが
あると思うんだ。

滲み出る
空気感も
含めて。

そういう人生に
毅然と
向かっても
良いのではないか?

つづく

戸惑うばかりだとしても

ちょっと前
までは、

年に一度
くらいの
大きな節目が、

マジで
今は
毎日ある、

という
感じだ。

恐ろしい
世の中に
なったもんだ。

実在レベルの
話だが。

ここから
この影響は
立て続けに
現象化
されるだろう。

私達はきっと
戸惑い
ばかりの状態に
なる。

でも、

私達の
中心核は、

真本音の
自分は、

もしくは
実在の
自分は、

もう
すべてを
わかっているよ。

だから
表面的に
どう戸惑おうとも、

中心の
静謐さを
そのまま
感じとろう。

そうすれば、

今ここでの
判断を

見誤ることは
ないだろう。

つづく

10年前と比べる雲泥の差

時々、
ゴリっと
回転する。

回転する
度に

何か
新たな分子の
ようなものが

恐らく
新種の成分が

生み出される。

そしてそれが
拡散する。

世の中
全体に。

それらが
染み渡って
行けば、

最初は
新たな異物を
含んだ違和感が
あったにしても、

自然にそれは
慣れて
しまう。

そして
最初から
それは含まれていた
かのように、

それが
自分自身で
あったかのように
思えてしまう。

しかしこの
本質的変化

大きい。

私達が
気づいていない
だけで。

私達は
鈍感だ。

鈍感だから
やっていけるのだ
ということも
もちろん、ある。

鈍感だから
すぐに
慣れてしまう。

慣れるのが
人間。

適応してしまう
のが
人間。

でも
随分と
変わったんだよ、
私達は。

10年前に
比べるとね。

雲泥の差。

そう感じる。

もし
タイムマシンに
乗って、
10年前に
戻ったとしたら、

この世を
構成している
何ものかの
密度が、

濃密さが、

あまりにも
違うことに
驚くだろうよ。

濃密に
なっている。
日々。

新たな何かが
どんどん
染み渡って
いるんだ。

つづく

それは中毒だろ

世の中
便利に
なればなるほど、

自分自身が
しっかりせねば
ならない。

便利さに
溺れるという
ことは、

環境に溺れる、

つまりは
依存した生き方

なってしまうから。

言葉を
換えれば、

現代は
「中毒」に
なりやすいものが
あまりにも多い。

多過ぎて、
ほとんどの人が
自分が
「中毒」
であることを
自覚しない。

中毒的選択と
中毒的行動を
とりながら、

私は私の
意思で生きている、


思い込んでいる。

ある意味
恐ろしい
世の中だ。

中毒から
出る方法は、

まずは
一歩立ち止まる、
しかないかな
と思う。

一歩
立ち止まり、

これは本当に
私の意志・意思か?


問い続ける
しかない。

私は一日、
起きている間は
ずっと
これをやり続けている
気がする。

そんなの
疲れるだろ?

思われるかも
しれない。

いやいやいや、

こっちの方が
よっぽど
楽だ。

中毒に
埋没する方が、
1000倍も
疲れるよ。

麻痺している
だけで。

自分の意思と
ただの中毒と、

まずは
この区別から
始めなければ
ならない。

なかなか
悲惨な
世の中だ。

つづく

誠実の基本とは

人には誰しも
魂のエネルギー
というものが
ある。

イメージで
言えば、

体の中心軸が
光り輝いている
感じに。

ただし
それだけでは
そのエネルギーは
外には開放
されない。

その光が
全身に
巡ること。

手の先
足の先まで
まるで
血液のように
行き渡り、

循環し続ける
こと。

この状態に
なれて
初めて
魂のエネルギーは
外に向かって

つまりは
現実世界に
向かって

解き
放たれる。

そういう人は
一つ一つの
物事への
取り組みに

魂を込める
ことができる。

心を込める
のとは
次元が異なる。

私は
そういう人の
振る舞いを
見ていると、

私自身の
体の中心が
ジンジンと
痺れる感覚を
得る。

とても
居心地の良い
感覚だ。

一挙手一投足

深いエネルギーを
感じるのだ。

そういう人の
言葉は、
こちらの
心深くに届く。

言霊
という言葉が
あるが、

言霊とは
こういった人の
一言にこそ
込められるものでは
ないか。

魂のエネルギーが
全身に
行き渡るかどうか?

すべて

その人の
日常における
生き方

生活の仕方

による。

いつも同じ
結論に
たどり着いてしまう
のだが、

やはり
今日一日を
どれだけ
大事にできているか?
だ。

この
1分1秒を
どれだけ
丁寧に生きているか?
だ。

私はこれが
「誠実」
の基本だと
思っている。

つづく

腰が抜けそう

腰が
重い。

腰が
抜けそうな
くらい、
重い。

これは
やばい。
また
もらい
過ぎた。

人からの
ストレス、

エンティティ。

下手に
動けば
ギックリ腰だ。

慎重に
自分を
整える。

エンティティを
ゆっくり
着実に
浄化する。

多くの人の
業を
感じる。

人としての
宿命とも
言える、
この苦しみ。

人は
業と共に
生きている。

本来は
自分自身で
向き合うことだ。

が、
それができる
人は
わずか。

ちゃんと
向き合えるように
サポートするのが
私の
役目だ。

そのためにも
まずは
私が
向き合う。

それにより、
今、その人自身が
向き合って
良いかどうか?

それだけ
その人は
強くなれたかどうか?


わかる。

エンティティの
濃さは、

自分自身への
誤魔化し度合いで
決まる。

自分を
自分で
誤魔化し続けるのが

これもまた
人の業か。

誤魔化すには
とてつもない
エネルギーが
必要。

誤魔化すために
使うよりも
前に向かうために
使えばいいのに。

というのは
私の
毎日の感想。
嘆息。

人は
醜い。

一方で

人は
美しい。

その両方を
あるがままに

自分自身が

見つめられると
いい。

見えてしまう
のが
怖い、

人はよく言うが、

自分自身の
ことであれば、
見えてしまった
方が、

圧倒的に
楽になれる。

見るか
見ぬか。

それだけの
違いで
人生の展開は
根本的に
変わるんだ。

つづく

待つか待たぬか

じっと
待つ。

待つ時は
待つ。

余分なことは
一切しない。

ただ
待つ。

すると、
何かが
動く。

そして
その瞬間が
わかる。

「ここだ!」
という瞬間が。

それを
逃さない。

瞬発力が
勝負だ。

一気に
動く。

それにより
調和する。

もし、

待てども
待てども
何も変化しない
時は、

しょうがない
から
こちらから
動き、
波を起こすしか
ない。

ただし、

「こちらから
行くしかないんだ」


100%本気で
思えている
こと。

これが
中途半端だと
自ら発する波長に
澱みが出てしまう。

自ら
動くなら
!00%の気持ちと
集中力で。

そのためには、

「もう待たない」

決め切れるまで
待つ、ことだ。

つまりは
完了感が出る
まで、
ちゃんと待つ。

私は
もう、待たない。
待つことは
完了だ。


100%思える
ことで、
初めて
100%の行動が
できる。

いずれに
しても、

待つ


極めること。

調和への
極意。

つづく

無限チームか

実に
たくさんの
人達の
気配だ。

広い大地に
延々と
広がる
人波。

それらの
無数の人達が
一点を、

私だけを、

凝視
している。

情熱、
というよりも
熱情、
をはらんだ
その
眼差し達。

それらに
応えるのは
実に
億劫だ。

できれば
誰かに
やってもらいたい。

が、
やると決めた
私が
ここにいる。

彼らは
私の力に
なってくれる。

それは
わかっているが、

実際に
行なうのは
私自身なのだ、

誰か
責任を
とってくれるのか?

いや、
責任をとるのは
私だけだ。

この、

圧倒的
なのに

孤独な
感じ。

孤独
なのに、

圧倒的な
後押し。

もはや
自分のみの
意志では
ない。

わかっている。

すべてを
呑んで
やるしかない。

大声を
張り上げながら、

進んだよ。

呼応する
ように、
皆も
大声で応える。

無限に
広がる
チーム。

ここには
いないのに

ここに
いる。

もう
迷いは
捨てたよ。

つづく

超巨大になったのか?

超巨大な
存在に
なれた気がする。

自分自身が。

・・・そんな
感覚を
もし得たら、

それを
おこがましい

解釈するのでは
なく、

その感覚
そのものを
大切にしよう。

たとえ
傲慢で
あってもいい。

それでも
その感覚を、
まずは
自分自身が
信じよう。

そして
超巨大な自分
として

一気に

超巨大な
一歩を
踏み出そう。

そんなこと
できるわけが
ない、

思われる
ことでも。

自分の
感覚のみを
頼りに。

どうしても
怖ければ
やめよう。

しかし、

乗り越えられ
そうな
怖さであれば、

今は、

あえて、

やって
しまえ。

超巨大な
自分として。

つづく

未来に向かうのではなく

スーッと
一本だけ
ロープが
垂れている。

ここを
登るしか
ない。

他は
何もないのだ。

ここから
脱け出す
には。

であれば、
躊躇している
暇はない。

すぐにでも
ロープに
飛びつく。

しかし
たった一本の
細いロープを
腕力だけで
登るのは
キツい。

どう考えても
あんな高さの
出口に
たどり着けるとは
思えない。

でも
他に方法が
ないのだ。

迷っている
暇はない。

勢いで
ロープに
飛びついた。

強引に
登っていく。

本当に
強引だ。

案の定、
すぐに
疲れ果てた。

せっかく
いくらかは
登ったのに、

ズズズッと
ずり落ちる。

しまいには
地面まで
落ちた。

結局
最初にいた
場所、
地面に。

もう
体力は
残っていない。

でも
出口に行く
には
このロープしか
ない。

どうする、
俺?

何か
知恵は?

・・・ない。

知恵が
出ないなら
行くしかない。

もう一度、
ロープに
飛びつく。

しかし
先ほどよりも
もっと早く
落ちた。

もはや
体力は
残っていない。

時間は
ない。

諦めるか?

・・・

普通であれば
もう
間に合わない。

間に合わせる
のは
あきらめて、

それでも
何度も
何度も
挑戦する。

期限には
間に合わずとも
それでもずっと
挑戦しているうちに、

随分と
日にちはかかったが
ついに
ロープを
登り切ることが
できる。

・・・これが
通常の
人生だ。

私達は
何度も
期限に間に合わない
という
体験を続けた。

それでも
登り続ける
うちに
力をつけた。

この地道さが
人生だった。

・・・

・・・が、

ロープを
登らずに、

あの
高い場所にある
出口を
こちらに
引き寄せる、

吸引する、

という
方法が
実は
あったのだ。

もちろん
普通では
ない。

反則技
かも
しれない。

それでも
あったのだ。

未来に
向かうのでは
なく、

未来を
ここまで
吸引する
唯一の
方法が。

もう、
間に合わなかった、
では
済まされない。

それが
今。

ならば、
吸引するしか
ないでは
ないか。

つづく

誰かおらんかな?

固そうに
見えて、
実は
柔らかい。

それが
私達の
発想力だ。

きっかけさえ
あれば、

皆、
自由発想
できる。

思いもよらぬ
面白い発想、
斬新な発想は
浮上する。

しかし
きっかけが
ない。

その
きっかけ
とは、
多くの場合、

良い問い

だ。

しかしこれが
また
難しい。

なぜかと
言えば、

良い問い
とは、

問いの内容
そのものも
もちろん
だが、

タイミングも
大きな要素
だから。

最も的確な
言語を選び、

最も的確な
雰囲気で、

最も的確な
タイミングで、

その人に
投げる。

もちろん
強弱とかも
重要な要素で、

これを言い出したら
キリがない。

でも
私の体験上、
上記の様々な
要素が
ほんのわずか
ズレるだけで、

発想は
出なくなる。

コーチという
役割が
必要な所以だが、

残念ながら
これだけの質の
問いを投げられる
コーチは
なかなかいない。

でも、
そういった素質を
持った人は
いくらでもいる。

いくらでもいる
が、
この問いの力を
養うのは
相当に地道な努力が
必要なので、

ほとんどの人が
途中で
やめてしまう。

誰か、
やり切ってくれる
人、
おらんかな?

私は、
こういった
問いの力を持ち、

そして
私と一緒に
企業等の
サポート現場に
入ってくれる人を
探している。

これから
現場はどんどん
増えるし、

私は
現場以外に
すべきことが
どんどん
増えるから。

誰か
おらんかな?

つづく

足りないのは基本

基本的なこと
しか
できず、

応用が
まったく効かない、

という人は
基本的なことも
実は
できていない

ということだ。

本当の意味で
基本が
わかれば
応用は
効くはずだ。

応用を効かす
のは
楽しいことなので、
ついつい
基本の修得の
前に
応用に入ってしまう。

が、
それでは
ダメ
だ。

そう、

ダメ!

なんだ。

とはいえ、
人の育成に
おいては、

基本もまだ
できないのに、
あえて
現場に出て、
応用的な難問に
立ち向かっていく

という
やり方もある。

実際、
私もそのように
ずっと
やってきたかも
しれない。

しかしその場合も
自分は
基本すら
まだできていないのだ
ということを
きちんと自覚しておく
必要がある。

基本の修得
というのは
本当に
大変だ。

しかも
飽きちゃうし。

でも
一流の
本当に力を持った
人ほど、

常に
基本に
立ち返っている。

基本的な
ことを
しっかり丁寧に
やり続けている。

生半可な状態で
応用ばかりを
効かす。

だから
調和しないんだよ。

やるべきことを
しっかりやる。
毎日。
基本的な
ことを。

道を開く・拓く
最も大事なことだと
私は思うな。

つづく

大き過ぎる小さ過ぎる

本当の大きさ
というものが
ある。

あらゆる
ものに。

あらゆる
人に。

実在の
大きさだ。

私はなぜか
昔から
これだけは
わかった。

何となく
だが。

もちろん
大きければ
いい、
というわけでは
ない。

すべての
物事に、

もちろん
人にも、

等身大という
ものがある。

つまり
最も自然で
ちょうどよい
大きさ、だ。

企業も
そうだ。

ある社長の
ある会社には
その会社
ならではの

ちょうどよい
大きさ、
等身大というものが
ある。

どれだけ
経営力の高い
社長でも、

等身大以上の
規模を
目指してしまうと
途端に
不調和が起こる。

それでも
無理に
経営をし切って
しまう人もいるが、

等身大で
いった方が
もっと
世の中への影響も
お客様も
社員さんも

そして
自分自身も

幸せに
なるだろうに、

思うことは
よくある。

なんでみんな
規模の大きさ
ばかりを
目指すのだろうか?

もちろん
資本主義社会
というのは
大きくなり続ける
ことが
宿命となっている。

しかしそれでも
自分にしか
できない経営を
目指すといいのに、

よく思う。

経営者だけでは
ない。

あらゆる人が
そうだ。

自分の大きさを
小さく
見積り過ぎている
人も多い。

もっと大きな
視野で
もっと大らかに
そして自由に
未来について
発想すればいいのに、

これも
よく思う。

小さく
見過ぎたり、
大きく
見過ぎたり。

あるがままの
自分を
観れるように
なると、いいな。
みんな。

つづく

凄い発想を得たければ

たった一つの
ヒントで
100の発想が
生まれることが
ある。

その人は、
100の発想を
生み出す
凄い人だ!

言われたり
するが、

それよりも、
最初の
その
たった一つの
ヒントを

ヒントとして
キャッチする
ところが
本当は凄いのだ。

何が
ヒントになり、
何が
ヒントには
なり得ないか、

しっかり
判別している。

こればかりは
解釈によっては
絶対に
成されない。

意図や思惑
によっても
もちろん
成されない。

人事を超えた
部分での
働きがあるのだが、
しかし
それと出会うには
やはり
人事を尽くす
しかない。

要するに
普段の生き方
だ。

必要な発想が
ある時だけ
しっかり真剣に
生きるのでは
ない。

普段から
しっかり真剣に
丁寧に
生活をしている
こと。

そう、
日常生活
だ。

日常生活を
どれだけ大事に
できているか?
によって、

人生で本当に
必要なヒントが
目の前に
来るかどうか?

そしてそれが
来ているかどうかを
判別できるかどうか?

大きく変わる。

先日、
ある人が
ご自分のビジョンに
気づかれた。

大きく遠い
ビジョンだ。

でも
その人が
まず決めたのは、

ほんの日常の
些細な習慣を
変える、こと。

毎日をもっと
地道に丁寧に
過ごすこと、
だった。

この感覚が
大切だ。

未来は
今と
繋がっている。

未来を実現
する
ヒントは
今、にある。

それに
きちんと
気づけるのは、

今、を
つまりは
日常生活を
一つ一つ
丁寧に生きている
人のみ。

雑に生きて
いては
何も
手に入らないのだ。

つづく

齟齬はなくならんか

一つの齟齬
が生まれると、

次の齟齬が
生まれる。

ほんの小さな
齟齬、ズレが

気がつけば
手に負えない
くらいに
深刻になっている。

人と人の
コミュニケーションは
難しい。

身近で
あればあるほど
難易度は
増してくる。

齟齬など
ない。

・・・と
思い込んでいる
人は、
思っている以上に
多い。

もっと相手を
理解しなきゃ

わかりながらも
まったくできていない
という人も
思っている以上に
多い。

自分のことは
わからない
からだ。

自分では
やっている

もしくは、
やれている
つもり
だからだ。

本人達が
齟齬だと
思っていない
齟齬を
自覚するためには
どうしても
第三者の協力が
必要だ。

この
第三者の協力が
どうしても必要、
という
事実を、

実は私自身が
ずっと
受け入れて
こなかった。

人と人は
ちゃんと
向き合えば、
必ずいつか
分かり合える
はずだ。

・・・これが
私の信念だった。

が、

どうやら
そうではない
らしい。

と、
最近だよ、

本当に
受け止められる
ように
なったのは。

世の中から
私のような
コーチという立ち位置の
人が
いなくなれば
いい。

・・・これが私の
信念だった。
そのためにも
私は
がんばってきた。

が、

やはり
必要なのだ。

コーチのように
第三者的
立ち位置の人は。

それが
なくても成り立つ
世の中に
するよりも、

本当の意味で
第三者的立場に
立てる人を
しっかり
養成する。

これこそが
必要なのでは
ないか。

逆に言えば、

第三者的立場に
きちんと立てる
人が
増えるかどうか?

これで
私達人類の進化は
根本的に
変わるのではないか。

最近だよ、

そう思うように
なったんだ。

つづく

立っているだけで精一杯

ずっと
曇っていたものが
晴れてきた。

晴れた
向こう側に
観えるものは?

それは
ある意味
予想されたもの
だったが、

しかし
その本質は
あまりに
違った。

想像よりも
ずっと
良かった。

こんなにも
可能性を
感じるもの
なのか・・・。

晴れたことで
初めて
得られる
実感があった。

・・・

私達人間の
空想・想像は

貧弱な
ものだ。

だから、
予測など
意味はない、

くらいに
私は思っていた。

もちろん
正確に言えば、
予測は
大事だ。

これから
何が
起こるだろうか?

丁寧に考える
ことは
何事においても
重要だ。

ただ、
その予測に
自らが
縛り付けられるのは
良くない。

予測は
ただの解釈。
その域は
永遠に
越えられないから。

私達にとって
何がどうあっても
向き合うべきは
「現実」だ。

予測など
意味がない、

わかった上で
しっかり
予測する。

これが
私の進み方
だった。

・・・

ところが、

実際に
晴れてみれば、
その
あまりの違いに、

本当に
予測など
意味はなかったのだ、

呆然とするしか
ない。

これが
現実なのか。

これが
実在なのか。

実在が
現象化するとは
こういう
ことなのか。

わかっていた
はずなのに、

実際に
目の当たりに
すれば、

自分の心など
あっという間に
その迫力に
吹っ飛ばされる。

ここに
立っているだけ
で、
精一杯だ。

つづく

虚無の向こうに

この世の中
は、
儚く消えてゆく
もの
ばかりだ。

どれだけ
強く
見えたとしても。

それらの
ほとんどは
本当は
脆弱だ。

しかも
脆弱なもの
ほど、
強く見せようと
する。

皆、
騙される。

私も随分と
騙されたものだ。

騙されながら
世の中を
知っていった。

虚無。

心が
そんな状態に
何度も
なった。

でも一方で
人間は
虚無には
なりきれない。

徹底的に
虚無に落ちる
ことで、

底に
たどり着いて
しまう。

するともう
浮上するしか
ない。

浮上しても
現実は
変わらない。

でも
現実への
対し方は
変わる。

虚無によっても
絶望
しなくなって
しまった
自分。

麻痺か?

いや
違う。

ちゃんと
痛いし、
悲しいし、
虚しい、
から。

幻滅の人生。

私の人生は
そうだったとも
言えるんだよ、
ある視点から
見れば、ね。

もう
強がりは
よそう。

そのまま

いいじゃないか。

消えるものは
消え、
しかしそれでも
残るものは
残る。

虚無そのもの

そのうちに
儚く消える。

その後に
残るものは・・・?

あとは
本質だけが
残っているだろ。

それはここに
実在
しているだろ。

きっと
これだけは
ずっと
ここにある。

つづく

何としても守るもの

真っ暗な
闇の中

一本の細い
光の直線が

下から上へと
垂直に
続いている。

細い細い
線なのだが、
よく見ると、

細くとも
それは
流れ続けている
一本の
エネルギーだった。

下から
上へ。

細々とした
エネルギーの
ようだが、

でもさらに
眼を凝らして
見つめてみると、

そこには
たくさんの
生命たちが

ひしめき合い
ながら
エネルギーと
共に
流れていた。

下から
上へ。

この暗闇は
どこなのか?

という
疑問は
その時点では
全く
浮かばなかった。

ただ
祈り続けた。

彼ら、

つまりは
たくさんの
生命たち、

彼らが
何とか無事に
流れ続けます
ように。

生命が
続きますように。

なぜこんなに
祈るのか、
自分でもよく
わからなかった。

が、
私は必死
だった。

この世の中
には、
決して
途切れては
ならないものが
ある。

何が
あっても、
これだけは、

守り続けなければ
ならない
流れ
がある。

もしそれを
守りきれずに、

それが
途切れて
しまったら、

何のために
ここに
来たのか?

それこそ
すべてが
意味を失う。

私はきっと
それを
わかっていた。

私の人生、

時々、
後悔の場面が
頭をよぎる。

フラッシュバック
する。

なぜあの時、
私は
あのような
行動を
とったのか?
と。

でも今は
ちょっとずつ
わかりかけて
いるんだ。

私はどうしても
守るべきものを
守りたかった
のだと。

つづく