チームパフォーマンスコーチ

対岸の火事ではない

清冽で順調な
川の流れが、

たった一つの
岩が
あることで、

澱んで
しまう。

そこで
流れに混乱が
起きてしまう。

あの岩が
なければ、
清冽で純粋な
ままの流れなのに。

あの岩さえ
なければ。

・・・と、
私達は
考えがちだ。

では、
あの岩を
どう取り除こうか?

・・・という
発想も
重要なことは
多い。

が、
物事はそう
単純でもない。

あの岩が
もしなくなっても、
きっと
他の場所で
別の原因によって
流れは
澱むだろう。

あの岩が
すべて悪いのだ!

思うことで
物事は簡単に
なるけれど、

実はそうでは
ないのだ。

この川の
根本的なところで

あの岩を
発生させる、

という
現象を起こさせて
いるだけのこと。
本当は。

だから
根本が変わらない
限り、
どれだけ表面的な
原因を
取り除いても、

同じ問題は
必ず起こる。

・・・・・・

岩のせいに
できれば、
楽だ。

何かの
誰かの
せいにできれば
それでいい。

そういう
観点から、

私達人類は
歴史を
創ってきたのでは
ないか。

表面は
変われど、

根本は
変わらず。

だから
いつまで経っても
この地球上では
混乱の種が
芽生え続ける。

自分以外の
誰かのせいに
している
場合ではない。

この地球という
世界を
創り出している
のは、

私達自身だ。

自分自身だ。

・・・・・・

そう
目を転じたとき、

これまで
清冽に
見えていた流れは

あまりに
表面的なこと
だったのだ、

わかる。

だが、
残念ながら
今でも
ほとんどの人が、

その
清冽さを
信じたがっている。

信じたがっている
のだけど、
どこかで
疑っている。

不信の
上の
信。

だから
流れは余計に
澱む。

・・・・・・

対岸の火事
など
本当は
一つもない。

全部、
自分のこと
だ。

自分の生き方
が、
たまたま
対岸の火事
となって
現象化している
だけのこと。

あの人の
痛みは
本当は
自分自身の
痛みなのに。

その真実から
私達は
いつまで
目を逸らし
続けるのだろう?

あの人を
蹴落とせば
自分が
浮上できる。

なんて時代は
とっくに
終わった。

というより、
そんな真実は
最初から
一つもなかった。

それを
ここから
まざまざと
体感することに
なるだろう。
私達は。

・・・・・・

すべての中心は
私である。

・・・という
ことを、
もうそろそろ
受け入れよう。

あの、
遠くの彼方で
起きていることは、
私の為したことに
よる。

・・・と。

かといって
自分を
責めるのではない。

責めても
何も生まれない。

私達に
できるのは、

自分の生き方を
変える、
ことだ。

つづく

あの波との再会

波が
私の知らない
ところで、
広がり続けているのを
知ることが、
こんなに幸せなこと
だとは。

もともと
一つの波は
次の波を
引き起こす。

当然、
自分が始点と
なって
発したものは、
自分の知らない
ところまで
広がりゆく。

そんなことは
当たり前だし
知ってはいるが、

それでも
思いもかけない
幸せを感じる。

これがまた
人間か。

・・・・・・

自分が
誰に向かって
行くか?

誰に向かって
進んでいくのが
人生の
目的か?

使命か?

これらを
本質的に見つける
には
多大なる時間が
必要となる。
通常は。

が、
私達には
時間がない。

緊急事態
ということも
あるが、

緊急事態と
なることは
最初からわかって
いたことだ。

不条理な
ことが
必然的に
起こるこの
時代で、

それに
呑み込まれながらも
それでも
生きていかねば
ならない。

ちゃんと
すべきことを
しながら。

そういった
悲壮感にも似た
想いと願いを
私達は
持っている。

焦りつつも
すっ転びながら
その
想いや願いを
持て余している。

・・・・・・

できることは
限られているし、

できると
当初は思っていた
ことさえ、
できないかも
しれない。

何がいつ
どこで
起こるかは、
予測がつかなく、
わからない。

その中でも
それでも
進むことで
起こる波。

真の波

一つずつ。

波は広がり、
他の波と
合わさり、

分離したり
断絶もあるが、

それでも
広がり続ける。

もうどこまで
行ってしまったか、
記憶にも
定かでない
あの波が、

返ってきた。

思いもよらぬ
形となって。

知らぬ間に
育ったものたちと
再開する
この体験は、

改めて
人間の特質を
私に
教えてくれたよ。

人間で
よかったかな、

素直に思えたよ。

つづく

幸と不幸の境目

今はまだ、
出会いたくは
なかった。

・・・過去、
そういった
出会いが
結構あった。

もっと違う
タイミングで
出会っていたら、

この人とは
もっと
調和できたろうに。

・・・そう
思ってしまう
出会い。

どれだけ
素敵な人で
あっても、

タイミングが
合わねば、
人生を
合わせることは
できない。

・・・・・・

これは、
人に対しての
ことだけではない。

あらゆる物事、

あらゆる事象、

に対して
同じことが言える。

この体験が、

この現象が、

この現実が、

あと5分
ズレて起きて
いたら・・・。

ということも
人生において
数多くある。

変な表現に
なるが、

コンテンツは
揃っているのに
噛み合わない、

という
状態。

ずっとこの状態で
人生を
進めてしまっている
人は、
結構多い。

幸か不幸か、
を決めるのは、

多くはこの
タイミングなのかも
しれない。

・・・・・・

真本音で生きる
ことが
なぜ良いのか?

それは
このタイミングが
合ってくる
からだ。

目の前の
現実は変わらない。

実際に起きる
出来事や体験も
変わらない。

としても、
しかし

タイミングが
変わってくる。

タイミングに
調和が起こる。

すると
ズレていたものが
一気に
噛み合うように
なる。

すると
人生の展開が
根本的に
変わる。

私達の真本音
とは、
この
タイミング合わせ
の名人である、

という
言い方もできる。

・・・・・・

混みいった
駅を歩く。

無数の人達と
すれ違う。

その度に
一人一人に
感じ取ることが
できる。

この人は
タイミングの
合っている人だ。

この人は
ズレズレだな。

・・・と、
あまりに明らかに
わかる。

すべて
普段のその人の
生き方で
決まる。

その生き方は
波長となって
現れる。

その波長が、
タイミングに
影響を及ぼす。

雑な波長は
タイミングを
逃す。

そういう意味で
苦しんでいる
人は
多い。

ますます
多くなっている。

辛い世の中だ。

つづく

出口は必ずあるが

どれだけ
出口がないように
見えても、

出口は必ず
ある。

ただ、
出口もどき

ある。

出口もどき
の厄介なのは、

実際に
出口から
出られた感


あること。

出口から
出られた解放感を
得られてしまう
こと。

だいぶ
厄介だ。

・・・・・・

では、
出口もどき

本当の出口

区別はどう
つければ良いか?

これは
簡単である。

出口を
出た後の
解放感。

これが
ずっと長続きし、
いつまでも
喜びが続き、

テンションが
高くなり続ける
もの。

・・・これが
出口もどき
だ。

本当の出口
は、
解放感はもちろん
一気に高まるが、

比較的短時間
で、
ニュートラルな
自分に
戻れる。

つまりは
浮かれない。

浮かれない
どころか、
以前に増して
格段に

落ち着いて
クリアに
いろんな物事を
観察できる
ようになる。

そして
心の動きと
しては、

「これが普通
だよね。
何も特別な状態
ではないね」

という
感じになる。

そして
これまでの自分が
普通ではなかった、

わかる。

普通じゃない
状態から
普通の状態に
戻った。

・・・なんだ、
たったそれだけの
ことか、

わかる。

実際に
そうなのだ。

つまり、

出口から
出られて、
いつまでも
ウキウキと
浮き足立っている
のは、
もどき。

普通の自分に
戻れるのが、
本当の出口。

そういう
ことだ。

・・・・・・

私達は
何度も
出口を潜り抜けて
行く。

それが
人間。

その度に、
清々しい解放感
を得る。

が、
その度に、

より普通の状態に

近づいていく。

私達は
まだまだ
普通ではないんだ。

普通の
状態。

本来の
状態。

そこに
戻るための
出口。

閉じこもった
ところから
出るだけの
ことだ。

つづく

短期的なことだ

短期的に
ではあるが、

物事が
まったく
観えなくなる
ことが

これからの
私達には
起こるだろう。

物事の
本質。

本当は何が
大切か?

本当は何に
立ち向かう
べきか?

本当は何を
壊し、
何を生み出せば
よいか?

など。

それらが
まったくわからなく
なる。

そして
自分のこれまでの
歩みの意味も、

これまで
やろうと思っていた
自分の意志も、

確信を持てなく
なり、
止まりそうに
なる。

そういったことが
起こるだろう。

真本音で生きる
人にこそ。

・・・・・・

しかしそれは
短期的な
ものだ。

急いで
いるのだ。

だから
荒治療で
進もうとしている。

心配するな、

言っても、

心配するに
決まっているが、

しかしそれでも
心配するな、

言っておこう。

それは
短期的な
ものだ。

どっぷりと
その
「わからなさ」

浸かることだ。

安易に
自分を安心させる
納得を
生み出しては
ならない。

確信のなさ。

自信のなさ。

そして、

自分が存在
すること自体への
疑念。

そういった
諸々は、

すべて、
どうしても
必要なもの。

それを
しっかりと
受け止めること。

感じること。

味わうこと。。

・・・・・・

私達は
自分自身に対して、

時々、
荒治療する。

荒治療できる
くらいの
自分になれた、
ということだ。

自分自身で
選択して
行なっている
ことだ。

自分を
失っても
よいので、

ただ、
自分を
信じること。

最後まで、
「ここ」
にいること。

そう。

短期間で
終わるから。

つづく

新たな地面を得たら

これから、
私達の
地面は
崩れるだろう。

でも
心配する
必要はない。

仮の地面が
真の地面に
近づくだけの
こと。

だから
場所を移動
する必要は
ない。

そのままで
いい。

・・・・・・

問題は、

真の地面が
現れるまで
待てるか?
だ。

待つ、とは
何もしない
ということでは
ない。

これまで通り、
自分の真本音を
大切にしながら、

やるべきことを
やり、

やってはならない
ことは
やらず、

壊すべきを
壊し、

始めるべきを
始める。

これまで
通りの
進み方を
続ければいい。

・・・・・・

すると、
壊れた地面の
さらに奥から、

真の地面
(に一歩近づく地面)

現れる。

大事なのは
そこからだ。

新たな地面を
得た
私達は、

一旦、
これまでの
自分自身を

すべて

手放す必要が
ある。

現実を
変える必要は
ない。

ただ、
内面的に

すべて

を手放す。

ゼロリセット
するわけだ。

そして
自分の日々を、

生活の
すべてを

再構築
する。

結果として、
現実(現象)レベル
では、
何も変わらない人も
いるだろう。

大きく変貌する
人もいるだろう。

いずれに
しても、

内面的には
私達は

完全に

生まれ変わって
いるはずだ。

新たな地面
では
新たな自分が
必要だから。

つづく

果てしない何かの始まり

ポンっと
一つの世界が
弾け飛び、

ポンっと
次の世界が
生まれる。

再生、
と言った方が
良いか?

いや、
この私の頭では
ついていけない
ことなので、

勝手な解釈は
やめておこう。

世界は
立て続けに
根本的に
変わっていく。

変わり続けて
いく。

・・・・・・

一つの波の
広がりが
観える。

それは
そのまま無限に
広がるだろうと、
思いきや、

ある地点から
全く別の
起点が生まれ、

全く別の
波が
そこから生まれる。

そして
これまでの波と
干渉して、

これまた
全く新たな別の
波長が
発生する。

波長と波長の
混在。

良い言い方で
言えば、
コラボ。

しかし
表面的に見れば、
コラボとは
程遠く、

お互いがお互いを
阻止しようと
しているように
しか
見えない。

が、実は
これこそが、
真の

そして
新の

波長の
広がり方。

これまでの
私の
概念を大きく
超えすぎていて、

全く
ついていけない。

・・・・・・

いや、
もともと最初から
ついていけなかった。

最初からそれは
諦めていた
はずじゃないか。

そう思えば、
すべては
想定通り。

予定通り。

物事は
あまりにも
順調に
進んでいる。

・・・と
言うべきか。

・・・・・・

果てしない
何かが
ここから
始まろうと
している。

だから、
何度も
言う通り、

決して

表面に
囚われるな。

現象に
惑わされるな。

かと言って、
現象から
目を逸らすな。

しっかり
じっくり
見つめれば、

わかる
はずだ。

次、
自分が
何をすべきか?
が。

つづく

ここからは攻撃だ

石と石は
ぶつかり合う
ことで
だんだんと
丸くなっていく。

人は
どうだろうか?

丸くなることが
良いことだと、
決めつけることは
良くない。

が、
不必要な
ところが
尖ったまま、

とか

より
尖り方が
激しくなっていく、

というのは
ケースとして
多い。

ぶつかれば
ぶつかるほど。

なぜなら、
反応本音とは、

反応すれば
するほど
激しくなっていくから。

・・・・・・

決して、
丸くなることが
良い
とは私は本当に
思わない。

特に
これからの
時代は。

自分にとっての
伸ばすべき
尖り、
というのが
あるのではないか。

ちょっと
短絡的な表現を
使えば、

これからの
世の中には

攻撃性が
必要だ。

ただしそれは、

真本音の
攻撃性

であるべき。

真の攻撃性

言えばよいか。

真の攻撃性
とは、
必要なものを
壊す力が
ある。

根本から
壊し、
浄化する力。

中途半端
ではない。

だからこそ、
その破壊の
後に、
新たな創造が
始まる。

・・・・・・

何も壊さずして
新たな何かを
創造しよう、

なんて、
虫が良すぎる
だろう。

壊せない
人は
創造も
できない。

決して。

壊す勇気の
ない人は
人生を開くことは
できない。

今後ますます
その傾向は

鋭角的に
高まっていく。

・・・・・・

最近の私は、
クライアントさん達に

尖れ!尖れ!

とばかり
お伝えしている
気がする。

攻めろ!攻めろ!

とも。

でなければ、
何も動かない。

待っていても
何も
変わらない。

今、
現象のレベル
では、
不安定なものが
次々に
浮上している。

不安定なもの
たちは、
壊す必要のない
ものを
壊していく。

そして本来、
壊すべきものは
固定されたまま。

その
固定度合いは
ますます
強まっていく。

待っている
だけではもう、
この傾向は
高まるばかり。

実在との
断絶が
大きくなるばかり。

だからこそ、
一気に
実在を現象化する
必要があり、

そのためには、
一気に
壊すべきものを
壊す必要が
ある。

真本音で
壊す。

そのために
真に攻める。

これが
これからの
私達共通の
テーマだ。

つづく

突然の調和ポイント

皆、
それぞれが
それぞれの

踊り

をしている。

自分の
テンポと
自分の
振り付けで。

その人には
その人にとって
最良の
踊り方がある。

まずはそれを
こそ
突き詰めること
だ。

中途半端は
いけない。

安易に
他者に合わせては
いけない。

他者に合わせ
ながら、
ちょうど良いな

思える踊りを
編み出したところで
満足してしまう
人が
多過ぎる。

それでは
これからの世は
渡っていけない。

自分にしか
できない
自分だけの
踊り方。

それを
胸を張って
とことん
追求・探求して
もらいたい。

・・・・・・

それが
本当にできた
人、

もしくは、

それを
本当に
やり続けている
人。

そういった
人同士が、

何の意図も
予測もなく、

忽然と

調和を始める
瞬間がある。

それぞれが
完全に
自分の踊り
なのだが、

その
完全さが、

突然に
繋がり始める
のだ。

そしてそれは
完全で
あるが故に、

一気に
「一つ」
になろうとする。

これは本当に
意図して
行われるものでは
なく、
私も全く
予測がつかない。

が、
急に
そのタイミングが
来るのだ。

私は、
そこをこそ
決して逃さない!

決めている。

・・・・・・

千載一遇の
その
タイミング。

それこそが、
真のコラボ
のタイミングだ。

私はその
タイミングを
逃さず、

すかさず、

その人同士の
コラボを
お奨めする。

一緒に〜〜を
やりませんか?
と。

きっと
予想外のシナジーが
起こりますよ!
と。

逆に言えば、
そのタイミングが
来るまでは、

私は安易な
コラボは
提案しないことに
している。

自律があって
初めて
調和が起こる。

この原則は
何をおいても
守る必要が
ある。

つづく

ここで重要な問い一つ

ここでまた
重要な問いを
一つ。

いつものように
このタイミング
だからこそ、
の問い。

・・・

これまでの
30倍の
成果を出す
ために、

自分の
何を変え、
どう動く?

・・・

これ、
真剣に
発想してみよう。

つづく

諦めるべきだ

竜巻のように
うねり続ける
波が、

いくつも
いくつも
襲いかかって
くる。

避けるか、
越えるか、
ぶち破るか、

ということを
判断している
暇はない。

できること

言えば、

この状況、
つまりは
今のこの現実の
すべてに

完全に

委ねること
のみだ。

・・・・・・

どうせ最初
から、

自分の範疇を
超える人生、
現実を

引き受けると
決めていた
わけだ。

私達はね。

だから
そういったものが
襲いかかって
きても、

慌てふためく
必要は
ない。

“予定通り”
のことだ。

・・・・・・

ある時は、
竜巻にそのまま
呑み込まれれば
いい。

竜巻と共に
荒れ狂っても
いい。

自分の命が
なくなるとか、
守るとか、

そんなことは
もはや
どうでもよくなる。

それで
いい。

・・・・・・

そんな状況に
まで
ならないと

発動できない
自己

というものが
ある。

そこまで
追い詰められて
初めて
スイッチが入る
ように
私達は自分自身を
設定してきた。

だから、
変な逃げ方を
して、
スイッチを
入れない状態のまま
進むことは

最も
やってはならない
ことだ。

諦めて、
委ねればいい。

・・・・・・

私達共通の
力が
あるだろう?

そう。

諦める力
だ。

開き直る力
だ。

それをちゃんと
いつでも
発動できるよう、

準備をして
きたでは
ないか。

意図的
意識的に
諦めよう。

そして
すべてに
委ねるんだ。

つづく

怖い方に進め

混乱の
彼方の

揺るがぬ
あの
明るい星、

輝きが、

観えるかな?

観えれば
それでいい。

大いに
この目の前の
現実に
呑まれ、

混乱すれば
いい。

・・・・・・

呑まれて
自分を
失うこと自体は、

実は、
悪いこと
ではない。

が、自分を失う
ことで、
自分の
揺るがぬものを
手放してしまう、

これこそが
問題だ。

手放さなければ
それで
いい。

どれだけ
混乱しても、
自分を
失っても。

むしろ、
とことん
そうした方が、

最速で
進めたりも
する。

・・・・・・

私達は、
ゆとりが
なくなれば
なくなるほど、

余分なこと

しなくなる。

していられなく
なる。

実に
シンプルな
自分に
なれるんだ。

それが
最速
を生む。

・・・・・・

最速で
進むためには

つべこべ
考えない
ことだ。

あーでもない
こーでもない

不安によって
立ち止まらない
ことだ。

もし
不安によって
動けなくなって
いるならば、

それは逆に

まだ
あなたに
ゆとりが
あり過ぎる
ということだ。

呑まれる

というのは
そんな
生半可なことでは
ない。

・・・・・・

本当は、
皆、

ゆとりが
ある。

使っていない
エネルギーが
ふんだんに
ある。

自覚は
していない
だろうけど。

その
エネルギーを
開放するには、

今のこの
世の中では

現実に
思いっきり
呑まれてしまった
方が
良いのかも
しれないね。

だから
お奨めする。

「怖い」
方に進むと
いいよ。

自分を
失いそうになる
怖い怖い
方向に。

つづく

地道にやりきった

強い風が
吹くと、

少し嬉しく
なる。

もっともっと
強く吹いて、

世の中の
余分なものを
取り払って
しまえ!

と、
心の中で
叫んだりも
する。

その、
余分なものに
よって、

進む者たちが
妨害に
遭っているから。

・・・・・・

進めば
妨害に
遭う。

この世の
習わしとも
言える。

が、
本当は
そんな習わし
はない。

少なくとも
これからは
そうではない。

進む者は
もっと
爽快に
進んでほしい。

・・・・・・

とは言え、
この10年で
随分と
変わった。

10年前は
進もうと思っても、

まるで
地雷原を
歩くかのよう
だった。

真本音の
方向性は
わかるのに、

進む方向は
観えている
のに、

目の前に
あるのは
地雷原。

そんな
感じだった。

今は
少なくとも
もう
地雷はない。

・・・・・・

そんな状態に
するまでに
10年かかって
しまった、
とも言える。

地道な10年
だった。

思えば、
後継者育成を
本当に真剣に
始めようと
思ったのが、
10年前だ。

地雷の
撤去作業
ばかりだった。

でももう
それは
終わったのだ。

・・・・・・

余分なものは
まだ
たくさんあるが、

それでも
もう
致命傷には
ならない。

だから、
自信をもって
進んでほしい。

10年前に
30年後ビジョンを
決めた。

その
最初の10年は、
地雷の撤去
だった。

次の
10年は?

焦ってしまう
が、
これまで通り、

着実に、

が、
出せる最大
スピードで、

行こう。

つづく

真実の歩み

足跡とは、
過去に残る
もの。

歩かないと
足跡は
残らない、
当然のことだが。

でも本当は、

未来から
流れてくる。

実在の
足跡は。

・・・・・・

時間は、
過去から未来に
流れている

ように
見えるのだが、

本当は違う。
本質は。

時間は
ただ、

分離
している。

「今」
という瞬間が
分離して
並んでいる
だけ。

流れる、
というのは
私達の顕在意識の
感覚でしかない。

・・・・・・

過去も未来も
すべて

今ここに
ある。

・・・という
言い回しを
私はよくしてきた。

しかし
もう少し表現を
変えることも
できる。

すべては
今ここにあるが、
その中で
私達は
一つの今、を
選んでいる、
と。

今の中に
すべてがあり、

すべての中に
今がある。

今=すべて

すべて=今

これが真実。

数多くの
今があり、

一つの今
の中に、
すべてがある。

・・・・・・

自由、
とは

すべての今

受け入れる
度量だ。

すべての今

受け入れる
ことができた時、

初めて、

自分の
足跡が観える。

どの今に
自分の足跡が
あるか?

それが
瞬時にわかる。

そして
その通りに
素直に

今を
生きる。

それにより
未来から
流れてくる
足跡と、

今の足跡
が、

完全に
一致する。

人生は
開かれ、

私達は
顕在意識でも
完全な自由を
感じる。

・・・・・・

足跡は、

過去も
今も
未来も

永劫に
続いている。

その中の
一点に、

今の私達は
立っている。

つづく

怒りと悲しみの世界に

後ろから
大きな波に
押されている。

もはや
私に
意図はない。

人間としての
欲は
もちろんあるが、

まぁ、
健康な範囲の
ものだし、
小さなものだ。

だから
執着すべきもの
もない。

そう思えるように
なって
軽くなったら、

後ろから
大きな波に
押されるように
なった。

人智を超えた
感覚。

最初は
怖かったが
今はもう慣れた。

・・・なんて
思っていたから
余計に
強く押されるように
なった。

もう自分で
止めることは
できない。

とっくに
諦めては
いたが。

・・・・・・

こんなに心は
晴れ渡って
いるのに、

私の中の
どこかが
大きく
荒れ狂っている。

それは
怒りとも憤り
とも言えるし、

悲しみとも
言える。

晴れ渡った心に
焦点を当てれば、
ずっと
ここにいたいな、
とは
思うよ。

が、
今一度、私は

いや、
正確には、

ここからこそ
私は、

自らの憤りや
悲しみに
焦点を
当ててみたい。

私には
やるべきことが
まだ
たくさんある。

・・・・・・

こうして
みると、

世の中には
余分な憤りや
悲しみが
溢れている。

憤りとか
悲しみそのものは
とても大切な
ものだ。

だけど
余分なそれらに
惑わされて、

必要のない
執着が
世間を席巻
している。

もっと
人間らしく、

健康的に、

憤ったり
悲しんだり
できるといい。

そんな世の中に
なるためにも、
もう少し
世間に
分け入って
いこう。

・・・・・・

涙、を
感じる。

深くて
冷たい涙。

人はもっと
あたたかい
涙を
流せるはず。

たとえそれが
怒りや
悲しみで
あっても。

みんな、
冷たくなって
しまったな。

私にできる
ことは
数少ないかも
しれないが、

やれることは
すべて
やってみようと
思うよ。

つづく

巨木が揺れている

巨大な
その人が
観える。

が、
ゆらゆらと
揺らめいて
いて、

今にも
消えそうだ。

ピンチかな、

思う。

・・・・・・

急速な進化、
成長を
続けている人は

ある大きな
脱皮の前後で

とてつもなく
不安定に
なる。

その脱皮に
よって
超がつく巨大な
その人に
進化するので
あるが、

あまりの
不安定さによって
すべてを
消し去ってしまう、

それまでの
自分の
道のりまでもを、

という
ケースがある。

進化度が
高く、
成長スピードが
速い人ほど
そうなりやすい。

まぁ、
車が高速で
進めば
不安定になるのと
同様だ。

だからこそ
私は
そういう人ほど
サポートしたい
と思っている。

でも大概、
そういう人は
周りから見れば
とても頼り甲斐が
あったり、
揺るがなさが
あったりする。

案外、
周りにその人を
助けてくれる人は
いない。

いつも周りから
頼られるばかりだ。

大木のような
存在。
周りにとっては。

だからこそ、
そんな人を私は
サポートしたい。

・・・・・・

巨大な樹が
倒れれば、
当然
それだけ
周りへの影響は
大きい。

だから
揺らいでは
ならない
人たち。

その人が
揺らげば
周りも揺らぐ。
より大きく。

それを
その人はよく
わかっているので、

決して
揺るがないでいよう

している。

しかし人間
とは、
何がどうあろうが
揺らぐに
決まっている。

揺らぐように
できているのが
人間。

だからこそ
進化
できるのだから。

でも、
周りのためにも
揺るがずにいるぞ!

覚悟を決めて
その人はいる。

そういう人を
こそ
私はサポート
したい。

・・・・・・

あの人は
今、
とても大きく
揺らいでいる。

倒れそうだし、
消えそうだ。

もう
サポートでは
効かないかも
しれない。

ヘルプが
必要かも。

それでも
いい。

すぐにそばに
行かねば。

つづく

開放の人生へ行こう

これまで
体験したことの
ない

溢れようと
しているもの


自分の中に
実感した時、

大概の人は
恐怖を
感じる。

そして
本能的無意識的に
その
溢れようとする
ものを

抑え込もう

とする。
必死に。

すると非常に
調子が
悪くなる。

不安定に
なる。

その状態で
コーチングのご依頼を
くださる人が
多い。

・・・・・・

その場合、
多くはテーマとして
要するに、

どうすれば自分を
抑え、コントロール
できるか?

というような
ことを
そのクライアントさんは
言われるのだが、

逆だ。

抑えつける自分を
どう
止めるか?

いかにして
溢れ出ようとする
ものを
開放してしまうか?

これが
本来のテーマ
となる。

・・・・・・

私達人間は、
基本、

内側から
湧き出るものは
開放すると
いい。

開放することで
始まる。

開放することで
観える。

開放することで
もとの自分に
戻れる。

そういった
意味で、
私のサポートとは

開放サポート

とも言える。

自分を変える
ことではない。

開放する
だけだ。

・・・・・・

抑え縛る
人生から

開放の
人生へ。

それによって
のみ
私達は
次元を高める
ことができる。

そのためには
自分を
信じなければ
ならない。

開放しても
自分は
大丈夫なのだと。

ここが、
こここそが
難しいのだけどね。

まぁ、
だからこその
サポートか。

つづく

もし孤独なら

誰一人として
自分のことは
わかってくれない。

私は
孤独だ。

と、
思うならば、

今はそう
思っていても
いい。

が、
それを真実だ

思い込み過ぎないで
ほしい。

なぜなら
それは、
あなたが
創り出している
現象に
過ぎないから。

・・・・・・

人は
孤独では
ないよ。

本当は。

すべて
繋がっているし、

すべては
一つだ。

そして
あなたのことを
本当の意味で
理解してくれる人は
いる。

必ず。

いないとすれば、
それはまだ
出会っていない
だけのこと。

出会えるような
生き方を

あなたが

していない
だけのこと。

・・・・・・

幸せな
出会いは、

生き様で
決まる。

本当に自分が
望む生き方を

普段

日常で

生活の中で

実践
し続けている
こと。

特別なこと
ではない。

ちゃんと
生きていれば、

ちゃんと
出会えるんだ。

・・・・・・

人のせいや

環境のせい

社会のせい

してはならないよ。

自業自得だ。

随分と
健康な世の中に
なってきた。

実在レベル
では。

自業自得。

望む現実が
目の前に
なければ、

あなたは

何かを
変えなければ
ならない。

とっても
日常的な
何かを、ね。

つづく

変われ 素直に

昨日の幸せ

今日の幸せ
とは
限らない。

変わるんだ。

私達は。

・・・・・・

変化を
ちゃんと
受け入れることが
できるだろうか?

気が変わった
自分を
責める前に。

人は
変わる。

変わったら、
それは
それで
しょうがないでは
ないか。

本来の自分に
近づいていく
その
過程なのだから。

・・・・・・

昨日まで
大切にしていた
ものが

大切では
なくなった。

いやいやいや、
それは
いけない。

これまで
大切にしていた
ものを
これからも
大切にし続けなければ、

人として
許されない。

・・・そう思って
昨日までの自分が
大切にしていたものに
固執する。

これだけは
やめて
ほしい。

自分の変化
を、

それが
どれだけ
薄情なことだと
しても、

ちゃんと
受け入れて
ほしいのだ。

変われ。

できれば、
堂々と。

素直に
変わって
ほしい。

それが
私の願いでも
あるんだよ。

つづく

人の幸せが自分の幸せ?

月が
観える。

まるで
私を照らす
ように。

月は
鏡だ。

自分では
光らず、

太陽の光を
そのまま
反射する。

月は
癒す。

癒そう
などという
意図は持たず。

月のような
人になりたいと
20年以上
ずっと思ってきた。

・・・・・・

人の幸せが
自分の幸せだ。


本気で思える
人は
実は、いる。

私の周りは
多い。

しかし
その大半が、

そんな自分は
おかしい。

そんな自分は
何かを
誤魔化しているに
違いない。

何かに蓋をして
いるんだ、きっと。


自分にダメ出しを
し続けている。

人間は誰もが
自己中心な
はずだ。

そうでない
自分は
何かがおかしいのだ
と。

だがしかし、

天然で
いるんだよ。

人の幸せが
自分の幸せだ、

思える人が、

そのために
生きていこうと
決めている
人が、

天然で
いるんだよ。

・・・・・・

私はすぐに
人を
許容してしまう
のです。

と、
その経営幹部さん
は言った。

いやいやいや、
あなたは
それが
自然なのですよ。

生まれた時
から。

「許容」を
形にすると
あなたになるの
ですよ。


伝えると、

そんな私で
良いのですか?


その人は
本当に嬉しそうに
笑った。

つづく

小さくても始めよう

始まりは
みんな、
スモールだ。

源泉は
チョロチョロと
水が流れ出している
だけだ。

しかしその水は
とてつもなく
清純で
静謐だ。

最初のその水が
濁っていたら、
もうずっと
濁りは増し続ける。

どれだけ
小さくてもいい。

最初が
肝心だ。

・・・・・・

最初は
地道だ。

最初から
大きく何かを
狙っていくことも
あり、だろうが、

これからの
時代は特に、

最初は
地道にやる
ことだ。

小さくて
良いので、
確信の持てる
成果と成功を

体験する。

成功を
一つの形として
現実化する。

そしてそれに
囚われず、
それを
手放す。

囚われて
同じことをやろう
としては
ならない。

小さくても
しっかり
「成功だ!」
というところまで
持っていき、

手放すことで、
その体験そのものが
自分自身に

実在として

植え込まれる。

それが
次の発芽に
繋がる。

その連続で
物事は
調和を増しながら
ぐんぐんと
進んでいく。

・・・・・・

私達は日々、
新たな一歩を
進むしかない。

そういう時代に
今はいる。

それを承知して
ここにいる。

私達には
創造性がある。

その本領を
発揮するには、

始める

しかない。

ただし闇雲に
博打的なことを
するよりも、

初めは小さく、
着実に、

そして
波が起これば
大胆に。

その匙加減は、
自分自身の
真本音が
教えてくれる。

やることは
これまでと
同じだ。

真本音で
決める。

それだけだ。

つづく

キツい波紋だよ

この波紋は
どこまで
広がっていくのだろう?

少々怖くなることが
増えた。

もちろんそれは
真本音に基づく
波紋なので、
それ自体は
とても良いことだ。

が、
人によっては
キツいのでは
ないか。

突然、
太陽のような
明るい光を
目に差し込まれた
ような、
強い刺激として
感じられる人も
いるだろう。

なにしろ
まだまだ
大半の人は
反応本音に基づいて
生きている。

これまでは

徐々に
明るくする

徐々に
強くする

徐々に
刺激的にする

という
段階的な波紋が
発生していたが、

世の中全体が
今、本当に
急いでいるのだろう、
段階を飛び越えた
波紋が
よく発生するように
なった。

混乱するのを
承知で。

・・・・・・

二極化、
ということを
以前からよく
言ってきたが、

今のこの
波紋の影響は
それをまたもや
激しくするだろう。

波紋が
気持ち良い
人と、

波紋が
怖くてしょうがない
人。

前者は当然、
より安定し、
活性化する。

後者は
より不安定になり、
激しく揺れる。

そして
激しく揺れる
者同士が
その不安定さ故に、
戦い・闘いを
始めるだろう。

根本的安定

表面的不安定

ますます
際立っていく。

・・・・・・

これまでずっと
培ってきた
生き方。

真本音の生き方
が、
ここからは
これまでの成果
として
わかりやすく
恩恵をもたらして
くれるだろう。

表面的揺れに
惑わされる
ことはない。

かといって
目を逸らしても
いけない。

すべてをしっかり
観察し、

見届けながら、

流されず、

自分がやろう
と思うことのみを
やっていこう。

つづく

なんだこのメッセージは

突然、
自分の中に
湧き上がる
メッセージがある。

このメッセージは
何だ?

どこから
来ている?

誰から
来ている?

・・・というような
ことは
考えなくていい。

考えても
わからないから。

ただ
そのメッセージを
できるだけ
素直に
受け止めて
みよう。

たとえちょっと
辛いメッセージ
だとしても。

・・・・・・

真摯に自分の
人生に
向かえば、

真摯に目の前の
現実に
向かえば、

メッセージは
くるもんだよ。

それが
普通。

ヒントは
日常のあちこちに
あるんだ。

自分の真摯さ
が生んだ
メッセージ。

それは
人生の宝だ、

くらいに
受け止めよう。

・・・・・・

メッセージに
素直に
なればなるほど
どうなるか?

と言えば、

答えは
簡単だ。

より
自分の意志・意思

明確になる。

本当の意志・意思
がね。

つまりは
より、自己理解が
進む。

自分が
何の原因で
止まりやすいか?

自分が
何を今
本当に欲して
いるか?

そして本当は
自分は
何に立ち向かうと
良いか?

それらが
明確になる。

つまりその
メッセージとは

セルフコーチング
の一種だ。

・・・・・・

人生とは、

何を
受け取り、

何を
発するか?

である。

その連続が
人生であり、

私達が
人として
やり続けている
こと。

何を受け取り、
・・・のところ、

あなたのその
感性は、
今、大幅に
高まっているのでは
ないかな。

つづく

こんなセルフコーチングもある

セルフコーチング
の基本
の一つは、

書く

ことだ。

自分の心の中に
ある
あらゆるものを
そのまま紙に

書く。

セルフコーチングに
慣れた人であれば、
パソコンなどに
打ち込んでもいいが、

最初は
自分の手で
紙に書く、

ことを
お奨めしたい。

なぜなら
自分の手で
文字を綴る
というのは、

自分の内面を
何とか形に
しようとする
行為の
最も基本的な
もの。

そのため
これを
丁寧にやれば
やるほど、

心は
落ち着いて
くる。

下手な
カウンセリングを
受けるよりも
よほど、

我に返る

ことができる。

・・・・・・

もしこの
内面を形にする
という意味での
書くことに
慣れてきたら、

次のステップ
として、

自分から
浮かび上がる
物語を
書く、

ということを
お奨めする。

物語。

そう、
物語だ。

もともと
私達のこの
人生は

物語のような
ものだ。

人類の歴史
もそう。

私達人間の
中には
常に
物語たちが
動き溢れている。

内面の気持ち
をそのまま
書くだけでなく、

それを
物語化
してみるのだ。

すると
客観的な視点で
自分を見つめる
ことが
さらにできるし、

物語の面白い
ところは、

それを
書けば書くほど
物語そのものに
魂が宿り、

物語が勝手に
成長を始める
ことだ。

物語が
まるで自分の
意思を持ったかの
ように
自分で進み始める。

よく
小説家が、

主人公が勝手に
動き出す

という表現を
使うが、
まさにその感覚。

しかし
自分の書く物語
は、
自分自身への
メッセージでも
あるので、

それを
実在メッセージと
受け止めれば、

人生のかなりの
ヒントにも
なる。

人にはそれぞれ
その人にしかない
物語がある。

それを自由に
書いてみると
いい。

もちろん
現実的な話で
なくてもいい。

ファンタジーで
いい。

というか
むしろ
ファンタジーの方が
より良いかも。

楽しいよ。

つづく

出口はどこにある

雲を
流さねばならない。

この黒々とした
重い雲たちを。

そして
わずかでも
晴れ間を
見つけ出さねば
ならない。

一刻も
早く。

しかし雲とは、
焦るほどに
濃くなる。

取り除こうと
すればするほど、

足掻けば
足掻くほど

重なっていく。

こんな時は
止まるのが
一番。

一旦止まり、
動かずに
じっとして、

雲を
あるがままに
感じ続ける。

雲を
何とかしよう、
とは
思わずに。

むしろ
そのままでいいよ

すべての存在を
許す。

すると、
エネルギーの
低いものたちは、

その在り方の
エネルギーの
高さに癒されて、

ザーッと
浄化をしていく。

・・・・・・

晴れ間は
わずかでいい。

ほんの一瞬、
青空が
薄く
観えれば
いい。

その一瞬に
眼を凝らせば、

出口の方向は
わかる。

わかれば、
そちらに向かって
動き始める。

雲と共に。

雲と一緒に
進めばいい。

その在り方が
また、
雲を癒し
浄化する。

浄化を
目的としては
ならない。

ただ、
あるがままで
いい、
と。

すべてが
あるがままで
いい、
と。

その在り方こそ
真に道を開く
唯一のもの。

・・・・・・

もちろん、
どうにもならない
現実はある。

その場合は、
どうにかなりそうな
方向から行こう。

それが
出口だ。

出口は
雲の拒絶をしていては
観えない、
いつまで経っても。

しかし出口は
必ず
あるんだ。

つづく

拒絶されても言葉を投げる

まるで
前方から
雹(ひょう)が襲いかかって
くるような
抵抗感が
あった。

これ以上は
立ち入れないな、

私はそこで
自分を止めた。

ギリギリの
ライン。

その人の
真本音に
刺激を入れる
ための。

最近は
あえて、
そのラインを
ほんのわずかだけ
越えてみる
ということをする。

越えれば
揺れる。
過剰なまでに。

しかし
一瞬のその揺れこそが
必要なケースが
増えたのだ。

限界を超えた
揺れ。

しかしそれは
一瞬で
治まるもの。

が、
その一瞬を
逃さない。

揺れた瞬間に
その人に
届けるべき
言葉がある。

その言葉は
その揺れが
なければ
届かない。

通常であれば
絶対的に
拒絶される
一言。

それを
スーッと
伝える。

そしてそこが
ターニングポイント
となる。

その人は
内側から
真本音のエネルギーを
自ら
放ち始める。

・・・・・・

他者ができる
ことは
きっかけの提供
しかない。

誰がどう言おうとも
その人が変わるか
どうかは、
本人の意志による。

例えば、
洗脳というものが
あるが、
あれだって結局は
本人が
望んでいることだ。

洗脳される
ことを。

世の中には
洗脳とは
思えないような
洗脳が
溢れている。

しかしみんな
「それでいい」
と思って生きている。

だから
今のような
世の中になった。

別に自分の
意志で
生きなくたって
いいじゃないか。

疲れるだけじゃ
ないか。

という
言葉にならない
呟きが、
世の中には
溢れている。

・・・・・・

本当は
どうしたいのか?

本当の
自分の想いは
何なのか?

実にシンプルな
ことだ。

それを
自らちゃんと
理解して、
次の一歩を
自分で決める。

それだけの
ことで
人は健康に
なれる。

が、
それを放棄
する。

それすらも。

しかしそれは
健康の感覚を
忘れてしまって
いるだけだ。

誰だって
それを思い出せば、
あの不健康さには
戻りたくないと
思うだろう。

私にできる
ことは、
その健康の状態の
感覚を
ちょいと
投げること。

もっと正確に
言えば、
そのためのきっかけと
なる
言葉、

その人にしか
効かない言葉


見つけ出し、
その人が最も
受け取りやすい
状態の瞬間を狙って

投げること
だ。

あとは
そのきっかけに
よって
その人が自ら
健康の方向に
進もうとするか
どうか?

それはもちろん
その人の
意志による。

人を
尊重する、
とは
放置することでは
ない。

人を
尊重する、
とは
その人の健康な
意思を
尊重するということだ。

だから
健康な意思が
きちんと
浮上するように、

そのきっかけを
与え続ける
ことは、

コーチどうこう
ではなく、
人として
とても大切なこと
ではないか。

つづく

芽の伸ばし方

ほんの
小さな芽が
顔を出したら、

それを
丁寧に育てる。

本人にも
気づかない
わずかな芽。

それは
第三者の方が
早く
見つけやすい。

そしてそれを
育てるのも
第三者の
サポートがないと
難しいケースが
多い。

客観的
視点が
あるかないか。

人というのは
主観的な
生き物なので、

本人一人の
視点のみでは、

芽が
見つかっても

こんなものは
価値がない

勝手に
思い込んだり、

逆に、
大切に育てようと
するあまり、
栄養を与え過ぎ
たり。

そうそう、

栄養の与え過ぎは
本当によくない。

基本、
芽は
放っておくこと。

見守るだけに
しておくこと。

なぜなら
芽が出る、
というこの時点で
すでに
それはもう
逞しいものだから。

その人の
中から
発生したのだから、

その人の中では
自力で
伸びようとする。

基本、
その意志に
任せるのが
最も良い。

が、
その意志を

その人本人が
阻害したり、
周りが
邪魔したり
する。

それを
取り払う。

そして
ここぞ!
という時だけを
狙って、

栄養を
与える。

つまりそれは
現実的な
言葉かけ。

その芽が
より伸びるように
フィードバック
したり、
問いを投げたり。

育成、
という視点に
立つと、
多くの人が

「説明」過多
になる。

「教えよう」
「理解してもらおう」

し過ぎだ。

栄養の
与え過ぎ。

それをすると
逆に
遅くなる。

気づきも
浅くなる。

「教える」ことで
根が途切れてしまう
ことすらある。

人の育成は
難しいよ。

細心の注意が
必要だ。

本人一人では
無理だ。

良い第三者で
あろうと
すること。

周りの誰もが
それができると
いいね。

お互いに。

つづく

完全自由だ

何もない。

自分の
中に
何もない。

空っぽ。

という
状態になったら
チャンスだ。

空っぽ。

空(くう)。

それは、
全てがある
状態。

何もないように
見えて、
本当は
全てが
揃っている。

ただ、
何ものにも
焦点が
当たっていない
だけ。

もともと
私達は
その状態から
始まった。

原始の
状態。

だから、

空っぽに
なったのなら、
その
空っぽを
楽しもう。

何も
なくなった
ように見える
自分を
楽しもう。

今は
完全に
自由
なんだ。

意図を
持たず、

自然に

次の
焦点が
定まるまで

待とう。

完全自由
の状態で
選ばれる
焦点とは、
あなたの
本当の道。

つづく

最深部の変化

最も
深いところ。

これまでの
限界の
さらに
その奥。

一見、
そこには
何もないような

そんな場所で
行なった
セルフコーチング。

言葉に
ならないような
言葉が
浮かび上がり、

その瞬間、

すべての
合点がいき、

すべてが
クリアになった

感覚が

感覚
のみが

認識された。

しかし
それでもう
満足だった。

目的は
達したのだ。

・・・・・・

人間には
到底
理解し得ない
ものがある。

納得し得ない
ものがある。

だから
これ以上は
無理だと
思う。

ただ、
感覚のみが
顕在化した
だけで、

それで
満足しておく
べきだろう。

だが、
知りたい。

もっとその
先を。

奥を。

この
探究心も
やはり
人間か。

・・・・・・

ザッと
流れた。

余分な
もの達が。

余分なもの
など
もう何もない、


思って
きたが、

流れた、
という事実が
あって
初めて、

まだ
こんなにも
あったのか、

驚嘆した。

これもまた
人間。

・・・・・・

私はきっと
また
根本的に
変化した。

それは
わかるのに
あとは
何も
わからない。

私に
できるのは、

このままの
そのままの
状態で

素直に
人と
向き合うこと。

現実に
向かうことだ。

このタイミングで
出会う人が
いるし、

語り合う
人もいる。

何が
起こるか?

どんな
刺激が?

どんな
波が???

つづく

死の際で生きる

潜るだけ
潜ってみる。

その人の
深いところに。

もちろん、
本人と
共に。

それにしても
勇気のある
人だ。

本当の
勇気とは、

自己理解しよう
という
その深さで
測れる。

なぜなら、
私達人間に
とって、

最も怖い
存在

とは、
自分自身に
他ならない
から。

自分の
本当を
知ることは、

とても
怖いこと
なのだ。

しかも
他者のサポート
によって
それを成そう
とすることは、

そんじょそこらの
勇気では
決断できない
ことだ。

そうは言っても
ほとんどの人が

自己理解?
したいしたい!


安直に捉える。

興味本位の
範疇だ。

しかし
ある境界線を
前にすると、

急に
尻込みする。

これ以上は
深く知りたく
ありません、
と。

これ以上は
見たく
ありません、
と。

でも
そうなるのが
当然、

それが
人間、

とも言える。

だから
私のサポート
なぞを
真剣に受ける
人は、

変態

としか
言いようが
ない。

で、私は
変態しか
サポートしない

決めている。

・・・・・・

多くの人と
出会う。

多くの人と
向き合う。

その中で
ほとんどの人に
対して
私は

言葉は
悪いが

手加減
する。

ご本人が怖くない
範囲で
サポートする。

しかし中には
変態が
いる。

手加減なしで
向き合わねば
ならない人が。

そうすると
もちろん私は
悦び勇むが、

しかし
大変なんだ、
それはそれで。

共に境界線を
超える
ためには、

命のやり取り
が必要なんだ。

こちらも
勇気が
要るんだよ。

当然
だよな。

・・・・・・

変態くん
達。

最近、
増えた。

本当に
日々、
命のやり取り

なってきた。

いつまで
私は
もつのだろうか?

思いながら、

私は
もっともっと
加速する。

この歳に
なって
自己改造だ。

昨年の
7月頃からずっと
続けている。

昼は人と
向き合い、

夜中に
自己改造。

実は私は
死、というものに
対して、

他の人とは
ちょっと違った
捉え方を
している。

まだ
誰にも話した
ことはないが。

その前提で
言うのだが、

まだ私は
死ぬわけには
いかない。

そのためにも
死ぬような
ことを
せねばならない。

最近は、
死、がとても
身近だよ。

つづく