チームパフォーマンスコーチ

自我は超えられるか

沸騰した
お湯の気泡
のように、

現れては
消え、

現れては
消えていく。

それが
私達の
「自我」。

自我とは
永続的なもの
ではない。

それどころか
今この瞬間
にしか存在しない
断絶的
なもの。
分離している
ものだ。

私達は
自分の自我が
ずっと
同じように続いている
と思っている。

しかしそれは
今この瞬間にしかない
一つ一つの自我を
連続的に
味わっているだけだ。

だから
私は変わらない

思い込む。

しかし本来、
自我は
一瞬一瞬すべて
分離しているので、

変わろう!
と決めれば、
今この瞬間から

一瞬にして

変われる。
それが私達だ。

私はこの仕事を
通じて、
そのような場面を
何度も
拝見できた。

本人が
本気で
変わろうと、する。

するともう、
その瞬間に
変わってしまう。
本質的なところから。

それは
驚くべき瞬間
だったが、
でも実はそれこそが
「普通」の私達だ。

「変わろう」と
するのは、
意志だ。

同じ自我が
続いてしまうのは、
惰性であり、
慣性に過ぎない。

意志は
惰性を超える。

本物の
意志であれば。

つまりは
真本音の意志
であれば。

反応本音とは
自我。

真本音とは
自我ではない、
もっと大本の
自分自身。

真本音の意志

惰性を超える。

つづく

大きな人になるために

海のように
器の広い人は、

まるで
子どものように
無邪気な人が
多い。

悪意が
ない。

いや、
もちろん人の
心だ。

いろんな心は
あるが、

悪意はあったと
しても、
その、自分の中の
悪意と

しっかりと
向き合うことが
できる。

向き合えば、
それに
呑み込まれる
ことはない。

もともと
本当は、
皆、

から
きている。

だから
海のような
器を
持っている。

しかし
海から分離する
ことで、
本来の自分を

その大きさを

忘れて
しまう。

私など
小さな人間だ、
という
自己イメージ、
つまり、思い込み
によって、

どんどん
人間が小さく
なっていく。

私とあの人は
違う。

あの人は
特別だ、と。

そんなことは
本当は
全くない。

本当は
皆、同じだ。

でも、そう言っても
なかなか
信じてもらえない。

それはそうとして、
しかし
やはり、大事なのは、

素直に生きる
ことだ。

子どものような
無邪気さが
いい。

変な思惑など
ない方がいい。

大人は
子どものように
生きてはならないと
真面目な人は
思い過ぎだ。

もっと自分を
解放してあげたら
どうだろう?

その方が
大きな人間に
なれるんだよ。

つづく

せめて肝心なところは

向き合えば、
何とかなる。

向き合わなければ、
何ともならない。

・・・私が30年近く
この仕事を
させていただく中で、
ずっと変わらずに
現場で
感じ続けていることだ。

伝えた
つもり。

わかっていると
思っていた。

これくらいは
察してほしい。

・・・言いたいことは
わかる。

でも、人は
基本的に
そのようには
できていない。

阿吽の呼吸
というのは、
信頼と絆がしっかりと
醸成された人同士
だからこそ
成り立つもの。

その段階までは
少なくとも

肝心なところでは

向き合おう。

ちゃんと
相手の目を見て、

相手に
意識を向けて、

素直な自分の
想いを、

本当に
伝えたいことを

丁寧に
伝えよう。

上手くなくて
いい。
誠実さが
重要。

伝えて、
キャッチボール
する。

お互いに
向かい合い。

その連続が
あるならば、

多少の問題や
齟齬や誤解は

時間がかかる
こともあるが、

ちゃんと
氷解する。

それをしない
から、
反応がさらなる
反応を
重ね続ける
関係となる。

向き合わずに
上手く
この人とやっていこう
なんて、
虫が良すぎる。

人間は
そのようには
できていない。

せめて、
肝心なところ
は、
しっかり
向き合おう。

つづく

結び直す

結ばれる。

一旦、
崩れたものが、

関係性が、

とてつもなく
長い年月を
経て、

再び、
結び直される。

この仕事を
していると、

そんな場面に
何組も
出会えた。

心の奥の
何かが
必ず痺れたように
なり、

涙が
止まらなくなる。

凄いな、
人という
存在は。

いつも
そう
感嘆する。

私も
人なのにね。

つづく

聖なる対話と言えばいいのか

壊すべき
ものを
壊している
その時、

そんな
時こそ、

静かにできる
対話がある。

壊れる、
もうそれは
避けられようが
ない、
という
開き直りが生み出す
独特の

覚悟

を持つからこそ
実現する
静かな対話が
ある。

ほんのわずかな
時間かも
しれないが、

その対話こそ
そこから先の
永遠を
決めるかも
しれない。

人は
脆いから、

そこまで
追い詰められなければ
絶対に
出ない発想が
ある。

初めてわかる
自分の
真の意志。

私は
このような意志を
持った
存在だったのだな、

「存在」という
視点から、

つまりは
それは
宇宙も含めた
「すべて」の中の
一存在としての
自分、
という視点から、

初めて
ぶれなく
客観的に
自分を見つめ、

受け入れ、
受け取る
準備ができ、

そして
成せる対話だ。

これまで
人生をかけて
ずっと
迷い続けてきた
ことの数々が

いったい
何だったのか

思うくらいに
簡単に答えが
わかり、

瞬時に
決断ができ、

「約束」が
できる、

そんな
対話。

こういう時、
人とは
壊すために
誕生したのでは
ないか、とさえ

私は
思うんだ。

かけがえの
ない、

人でしか
成し得ない

弾ける対話。

ビッグバンを
起こすような。

そんな
潔さは
あなたも
私も
全員が
持ち合わせている。

つづく

連絡してみようか

思いもよらぬ
あの人の顔を
思い出した。

もう
何年ぶり
だろう。

目の前に
まるで
巨人のように
その顔が
浮かぶ。

顔はただ
じっと
私を見つめて
いる。

何か
伝えたいことが
あるのか?


問うてみるが
特に
反応はない。

表情も
ない。

ただ、
何かしら
伝わってくるもの
がある。

それは
しんしんと
静かに降る
雪の

寒さとも
一種の暖かさとも
言えるような
あの感覚に
似ている。

私はただ
その感覚のみを
そのまま
味わっている。

そのうちに、
悲しみとも
喜びとも
言える
感情が伝わって
きた。

複雑だけど
シンプルな
気持ちたち。

久しぶりに
連絡してみるか、

思う。

軽くメールを
してみた。

すぐに
返ってきた。

ちょうど
連絡しようと
思ってたんです。
ちょっと
心の整理を
つけたくて。

いろいろ
ありまして。

きっと
このタイミング
なのだろう。

今度は
開花の予兆を
感じ始めた。

つづく

出会いのためにも

踊れ踊れ、
もっと
激しく。

もっと
自分らしく。

本当は
自由に
踊り続けたい
のだろ?

じっと
かしこまって
いるのは
つまらない
のだろ?

いいじゃないか。

格好悪くても。

自分なりの
踊りで
進んでしまえば。

あなたが
あなたにしか
できない
踊りをせねば、

誰も
あなたを
あなただと
気づいてくれないよ。

あなたとの
出会いを
待っている人は
多いのだから。

あなたが
あなたの
踊りをして、

あなたの
存在を
知らせて
あげよう。

あっ、
あの踊り方は
間違いなく
あの人だ!

と、
みんな
思い出すよ。

あなたの
ことを。

つづく

複雑な綻びだな

もっと綻びを
楽しめると
いいね。

現実の
綻びを。

この世界は
綻びだらけだ。

綻びを避けよう
としても

いや、
それを
すればするほど、

綻びに
ぶち当たる。

どうせ
綻びだらけなら、
それを楽しんで
しまおう。

その楽しみ方
の一つは

じっと観察する
ことだ。

これはなぜ、
こんなにも
綻びて
いるのだろう?

その根本の
部分まで
しっかり
観察する。

表面から
根本まで、
全部、知ろうと
する。

すると案外、
単純な理由
だったりする。

あぁこの
現実は、

この瞬間の
この場面から
綻び始めた
のだな、と。

人もそう。

ほとんど全ての
人が、
その人なりの
綻びを
持っている。

なんで
そうなるのか?

よく観察すれば、

その人なりの
綻びの
パターンが
観えてくる。

大概、
そのパターンも
根本は
単純だ。

そしてその
単純なことを
ひたすらに
繰り返し、

同じ綻びを
創り続けている。

そしてそれらが
複雑に
絡み合いながら、
その人の人生
が、
綻び続けて
いく。

一見すると、
複雑。

しかしその
複雑なものを
その
複雑なままに

あるが
ままに

観察し
続ける。

と、
思いのほか
単純な

まるで
法則のような

根本原因が
浮かび上がる。

解釈しては
ならない。

解釈しては
より
複雑化する。

複雑なものを
ただ
そのままに。

これが
コツだね。

つづく

その呼吸は

呼吸だ。

誕生の
ための

呼吸だな、
これは。

独特の
テンポ。

独特の
振動。

もうすでに
鼓動が
聴こえる
ようだ。

新たな何かを
生み出す。

それがたとえ
小さな発想
だとしても。

その人から
しか
生まれないもの
ならば、

それは非常に
尊く、
独特の呼吸に
よって
導かれる。

あっ、
今、発想を
やめないで
ください。

すぐには
答えは
出なくとも、

もうすぐ
とても大切な
何かが
気づきとして
浮上しますよ、
きっと。

そんなフィードバック
をして
あとは
静かに待つ。

ずっと
無言の場と
なるが、

それは
誕生の直前の
とても尊い場。

私の仕事の
悦びの
一つ。

つづく

問いは浮かぶもの

自分の中から
浮上する
何かがある、

という
感覚に
鋭敏になろう。

セルフコーチング
の基本だ。

最初に
浮上してくるのは
多くの場合、
問い
だ。

自分から自分への
メッセージというのは
実はそんなに
多くはない。

なぜなら、

メッセージを
ダイレクトに受け取る
というのは、
比較的
難易度が高い
からだ。

それよりも、
問いを
受け取る。

その方が
やや易しい。

ところが
ほとんどの人は、

自分の中から
問いが
浮かんでくる

とは
思っていない。

思っていない
から
気づかない。

問いが浮かぶ
感覚は
独特のものが
ある。

その感覚に
鋭敏になるのが
ファーストステップだ。

そのためにも、

今、私の中から
何か問いは
浮かんでくるかな?

という問いを
自分自身に
投げ続けよう。

一日中でも。

つづく

問いの本質

この
問いかけは
今、
この人に
必要だろうか?

という
問いを
私はいつも
自分に
投げ続けている。

問いは、
投げればいい

という
ものではない。

問いは
タイミングが
重要だ。

その人に
必要な
問いであれば
あるほど、

タイミングが
命だ。

問いは、
伝わってくる。

その人から
ダイレクトに。

向き合って
いれば。

決して
自分の意図や
解釈で
問いを作っては
ならない。

問いは、
人と人を繋ぐ
それこそ
命の架け橋だ。

それを
自分一人で
作り出すなど
傲慢にも程がある。

ちゃんと
向き合い、
ちゃんと

そこに
存在している

架け橋と
しての
問いを
受け取る。

受け取ったから
OKという
ことではない。

そこからこそ
重要。

それを
いつ、どこで、
その人に投げるか?

いつ、どこで、
その人と共有するか?

このタイミングも
自分一人で
決めるなど
おこがましいにも
程がある。

ちゃんと
向き合えば
わかる。

今、ここで
この問いを
投げるんだ、

迷いなく
普通に
確信を持って

わかるんだ。

つづく

体が伝えたいこと

体の痛みは
基本、

心の痛みの
3次元化だ。

だから
怪我にせよ
病気にせよ

どんな
理由でも

痛がっている
その体の
部分と

しっかり
向き合った方が
いい。

何の解釈も
せず、

ただ
じっと向き合う。

すると
何か伝わる
ものが
あるはずだ。

それは
感覚的なもの
であるが、

しかし
その感覚とまた
向き合えば、

言語化も
できるだろう。

言語化した
それは
多くの場合、

メッセージと
なる。

体から
自分への
メッセージ。

これを
しっかり
受け止めないと、

その体の
部分は
いつまでも
痛がったり苦しんだり
し続ける。

ましてや、
向き合わない
ままに
強引な治療を
して

表面的に
治してしまったら、

それは
表面的で
あって、
何の解決にも
ならず、

別の方法で、
さらに激しく
体は
同じメッセージを
送ってくる。

自分と
向き合う
とは、

自分の体と
向き合うこと
でもあるんだ。

つづく

地道だけど必要だ

世界が
いくつも
観えたりする。

いくつも
重なりあって。

同じ事象
でも。

そこに
100人いれば

そこには
100通りの
世界が
存在する。

いくつも
重なりあって。

調和とは、

まずはその
世界を
一つ一つ
丁寧に
理解しなければ、

なかなか
成し得ない
ものだ。

いや、
本当は
皆が真本音で
生きていれば、

そんなこと
せずとも

普通に調和
できるのだけど、

今の世は
なかなか
そうはいかない。

この人は
どんな世界を
見ているのか。

あの人は
どんな世界を
見ているのか。

その一つ一つ
を、
評価も判断も
解釈もせず、

ただ
そのままに
理解する。

それを
繰り返すことで
初めて、

その事象の
本質が
掴めるんだ。

私が
企業様のサポート

させていただいて
いるのは
そういうこと。

とても地道な
仕事だと
思うね。

つづく

こんなに好きだったんだ

よくあること
だが、

また
本屋さんに
引き寄せられた。

ある本屋の
前を
通りかかると、

おいでよ!

という
語りかけのような
引き寄せの感覚が
あり、

スーッと
その本屋さんに
入った。

大きな店で
何階もある。

上に上に
行く。

ある階で
引き寄せられる
まま
歩いて行くと、

そこに
一冊の本が
あった。

あぁこの本が
今回は
私を呼んでいたんだ、

すぐにわかった。

それは
ある作家を
紹介している本で、
写真とか
ふんだんに
盛り込まれていた。

私の知らない
作家だった。

世間的には
知る人ぞ知る
のかな。

その作家は
原稿を書くのに
鉛筆を
使っていたらしい。

これを見た
瞬間、

そうか
私に
足りなかったのは
鉛筆だったんだ!


わかった。

その本と
共に、
すぐに私は

その作家が
愛用していたのと
同じ鉛筆を
探し出し、

購入した。

愛用の
万年筆も
あるのだが、

やはり
鉛筆はいい。

昔、
山登りをしていた
時に、
よく鉛筆で
山の絵を
描いていた。

あの時
以来だ。

そうか、
私は
鉛筆が
好きだったんだ。

今は
私のノートは
鉛筆で
埋められ始めている。

書くこと
自体が
楽しい。

つづく

超高速の問い

まるで
止まっているような
感覚だが、

これが
超高速で
進んでいる証拠だ。

この
静謐さ。

明鏡止水
という
言葉が浮かぶ。

鏡のような
湖面。

物音の
一つもしない。

風もなく、
すべてが
静止しているように
見えて、

実は、
すべてが
とてつもなく
躍動し続けている。

伝わってくる
エネルギーの
高さ、深さ。

超高速の
世界。

この状態
だからこそ
静かに
浮かぶ問いがある。

・・・

今、見えている
すべての
奥に

たった一つ

何がある?

・・・

なるほど、
それが
最適解だ。

突破口だ。

つづく

直前にみたもの

巨大な剣

下を向いて

空中に
浮いている。

何かを
突き刺そうと
しているのか。

剣そのものに
意志があるように
みえるが、

目に見えない
何者かが
その剣を持ち

今まさに
打ち込もうと
している
感じもある。

いずれに
せよ、

尋常ではない
殺気のような
気配が

じんじんと
伝わってくる。

なぜ、
下を
向いている?

下に
何がある?


私は
問いかけた。

この殺気の
相手には
できれば
話しかけたくは
ないのだけど。

問いかけた
直後に
答えが
返ってきた。

それは
言葉では
ない。

念の塊の
ような
もの。

実在の会話は
いつも
こんな感じだ。

まずは
念そのものを
ダイレクトに
受け取り、

その後、
私の中でそれを
セルフコーチング
によって
言語化する。

今回も
それをした。

「大地を
割らねばならない」


その念は
告げていた。

大地、
この世界の
最も基本であり
土台となるもの。

そこから
変わらなければ
この世界は
変わらない。

表面をいくら
変えても
もう手遅れだ。

土台から
根本から
一度、
壊さねば。

それが
この世界の
本当の意志であり、
真本音の願い
だ。

・・・と、
そんなような
内容だった。

なるほど、
真本音の願いに
この剣は
応えようと
しているのか。

そう考えると
むしろ私は
この剣に、
親近感を抱いた。

廊下から
気配が。

あ、もうすぐ
いらっしゃるな。

この世界(会社)
のトップが。

ある経営者
との
初対面。

この会社で
仕事をすることに
なるかどうかは、
会話してみなければ
わからない。

が、
そういうことなら、
わかったよ。

最初から
それなりの覚悟で
臨むことにするよ。

つづく

最後の一滴の必死

最後の
この一滴を

いつ
落とすか?

ここで
すべてが
決まる。

だが、

気を抜けば
今にも
勝手に
落ちそうだ。

スーッと
呼吸にさえ
気をつけて

静かに
静かに

その時を
待っている。

だが、

なかなか
こない。

焦る。

落ちて
しまう。

もういっその
こと、今、
落としてしまった方が
良いか。

いや、
まだダメだ、
妥協しては
ダメだ。

でもこのまま
だと
この一滴そのものが
消えてしまうかも。

いや、
妥協はいかん。

・・・
この
最後の一滴

ジレンマ。

このジレンマを
私達は
どれだけ
自覚できて
いるだろうか?

もし
自覚できて
いたならば、

最後の最後

気を抜ける
はずはない。

最後の
一滴こそが、

次の
ステージを
スタートから
決定するんだ。

つづく

委ねるとは

風が
吹いている
のだが、

あまりに
強過ぎて
立って
いられない。

踏ん張る。

やはり
立って
いられない。

飛ばされる。

簡単に
飛んでいく。

私の体は
こんなに
軽かったのか、
というくらいに。

で、
着地した。

良い場所だ。

こんなこと
なら、
踏ん張るんじゃ
なかった。

最初から
素直に
飛ばされて
おけば。

委ねる
生き方。

それが
できるようで
できない。

そりゃ
そうだ。

一番
いけないのは

中途半端に
委ねること
だ。

本当に
委ねるとは、
本当に
諦めるとこから
スタートだ。

諦めきれない
のなら、

必死に
踏ん張れ。

委ねたふり
だけは
すんな。

つづく

祝福したい人達

根を張ることに
努力を
し続けてきた人は

やはり
強い。

いざという
時に。

調子の良い時は
みんなもちろん
元気になれるが、

人の生き様は
調子の悪い時に
現れる。

ここぞ、
という時に
踏ん張れるのは、

ずっと
目に見えない
地道な努力を
続けてきた人達だ。

自分の人生を
問い、

自分の生き方を
問い、

自分の役割を
問い、

常に自分の
前にある
人としての課題に
粛々と
取り組んできた
人達。

苦しさや辛さから
は、
決して逃げず、

でも、
痛い!怖い!と
ちゃんと泣きながら、

自分の気持ちを
すべて
そのまま受け止め
ながら、

それでも
一つ一つ
前に進んできた。

もっと
手っ取り早く
進む方法は
あったろうに。

器用に結果
だけを出す
方法も
あったろうに。

しかし、
自分の納得を
第一に考え、

納得できないなら
安易に
一歩を出さない、

という
じれったくなる
ような
着実な進み方。

それを
したからこそ、
ここで
踏ん張り、

結局は
誰よりも早く
壁を突破し、

「自由」という
ステージに
辿り着いた。

今、本当に
輝いているよ。

心から
祝福したいのは
こんな人達だ。

つづく

続 問い一つ

昨日に
続いて、

今回も
問いを
一つ。

・・・

ここから
自分の人生の
川を

流れを

乗り換える
としたら、

これまでの
川の名前は?

そして、
ここからの
川の名前は?

・・・

大きく
転換する
時期だね、

そろそろ。

つづく

問い一つ

今回は
久しぶりに
問いを一つ。

・・・

ここまでの
人生で、

あなたがずっと
忘れていた

あなた自身の
人生の夢は
何だろう?

・・・

そろそろ
思い出せるかな。

つづく

せっかく待ったんだ

雪解けが
始まる
その瞬間までは

我慢しよう。

ずっと
待ってきた
ではないか。

粛々と。

ここまで
待ったのなら、

最後まで
ちゃんと

じっと
していよう。

雪解けの
厄介なのは、

その気配が
わかりやすい

ということだ。

もうすぐ
雪解けだ!

わかると

その瞬間に
ついつい
動いてしまう。

それは
やめよう。
それだけは。

雪解けは
ちゃんと
始まる。

目に見えて、
雪解けと
わかる。

それまでは
何も
しない。

気配だけで
動かないこと。

せっかく
ここまで
待ったんだ。

最後まで
待つことを
果たそう。

つづく

この基本だけは

水面が揺れて、
それに
素直に従って

自分も
揺れる。

これ
健康。

水面が揺れて、
それに
抗い、

自分が
水面にいるのに
必死に
揺れないで
いる。

これ
不健康だ。

揺れれば
いいじゃないか。

人間
なんだから。

心が
あるのだから。

心は
揺れるように
できているの
だから。

揺れる自分を
素直に
観察できて、
感じ取ることも
できる人は、

その奥の
揺れない自分、

真本音の自分、

実在の自分、

も、
必然的に
感じ取れるように
なる。

揺れを
許すから、

揺れずに
じっと
自分自身と
現実を
見つめ続ける
自分を

取り戻せる。

これ
基本。

基本に
いつも
ちゃんと
戻ろう。

つづく

吹雪の向こうにしか

吹雪だな。

右も左も
どっちも
何も
見えない。

ホワイトアウト。

遭難かな。

ここまで
かな。

でも
諦めるわけには
いかない。

ここで
止まるわけ
には。

闇雲でも
いいから、
進む。

本当は
吹雪が止むまで
留まっていた方が
よいのだが、

それを
私は
許さない。

闇雲に動いて
自滅すれば
それはそれで
諦めがつく。

そう思い、
体力の限り
進む。

すると
微かな光が
見つかり、

結果的に
その方向へ。

そして
私は
助かった。

・・・

助かったが
そこで
止まるわけには
いかない。

私はすぐに
次の歩みに
入る。

そこがたとえ
またもや
吹雪だったと
しても。

それが
自分の決めた
道だ。

わざと
困難な道を
進む必要は
ない。

できれば
最も楽な道を
こそ
見つけるべきだ。

探すべきだ。

わかっているよ、
そんなことは。

わかっていて、
それでも
行くんだ。

最も
難しそうな
道を。

・・・

私が本当に
探し求めている
光は
あるのか?

前に一瞬だけ
見えた
あの光は。

あれは
幻影では
なかったか?

しかし
幻影だと
思い込ませるには
あの「実感」は
あまりに
強烈だった。

私はあの「実感」を
実在であると
信じることにした。

信じる、
とは
意志である。

信じる、
と決めたなら
最後まで

最期まで

信じ抜くよ。

・・・

何度も
迎えた
夜明け。

寒々と
した。

しかし
あまりに
美しい
夜明け。

美しさに
見惚れていたら、
凍えてしまう。

でも
あんなに
美しいものは
ない。

それが、
人間だ。

だから
私は
人間を
捨てない。

捨てて
なるものか。

つづく

その経営者は泣いた

あぁ、私は
こんなにも
皆のことを
考えているんだ。

・・・と、
その経営者は
私の目の前で
泣いた。

自分の
あまりの
想いの深さに
自分自身で
びっくりしながら。

案外、

わかって
いないのだ。

想いの深い人
ほど、
自分の想いの
本当の
深さに。

それをもし
ダイレクトに
感じることが
できれば、

自分の愛に
自分で
根底から
癒されること
だろう。

それは
自己満足では
決してない。

自己愛
では決して
ない。

愛とは
エネルギーだ。
独特の。

その
エネルギーを
皆に
向けることが
できる人は、

本当は
自分自身にも
向けることが
できる。

そしてその
エネルギーは
自分を
飛躍のために
癒し、溶かす。

そして
再生させる。

その経営者は
厳しい人で、
人にいつも
冷たく当たる。

だから、
社員さん達
からは
誤解を受けやすい。

でも
一番誤解を
していたのは、

自分自身
なんだよね。

つづく

最速で進みたい?

ゆっくりと
進むべき時は、

本当に
ゆっくり
進んだ方がいい。

スピードは
自分の意思で
しっかり
決めることだ。

速く進める
ようになった人ほど、

実はこの
ゆっくり
というのがとても
難しい。

ついつい
先急いでしまう。

行動を
し過ぎてしまう
のだ。

ところが
その行動が
ちょっと余分
だったりして、
結果的に
進みが遅くなる。

ゆっくり
と見えて、
実はそれが
最速のための
必要なペース。

真本音で生きる
とは
こういうことだ。

つまり、
最適なペースを
自分で
定めながら、
結果的に
最速となる、という。

ところで
「最速」について
だが、

「最速がベストな
生き方なのですか?」


問われることが
ある。

もちろん
そういうわけでは
ない。

人生を
どのようなペースで
進めるか?は
その人が
それこそ真本音で
決めている。

ただ、
この十年で、
最速で進みたい!

真本音で思っている
人が
私の周りに随分と
増えてきた。

このブログも、
最速で進む人
向けに
書かせていただいて
いるつもりだ。

だから
最速でないスピードで
進もうとする人に
とって、
私の言っていることは

よくわからない

という印象と
なるだろう。

それでいい。

以前のこのブログでは
都度都度、
いろんな人向けに
書かせて
いただいた。

が、
今は実は
かなり絞っている。

最速で進もうと
する人

のみに

向けて
書かせていただいて
いる。

それが
良いことかどうかは
わからないが、

そういう人を
こそ
私はサポートしよう、

数年前に
決めた。

最速で進もう
とする人は、

側から見ていて
ハラハラする
くらいに
これまでのご本人を
大きく逸脱した
スピードを出そうと
している。

本当に
危なっかしい。

が、
それくらいの
人をこそ、
私は
応援したいと
思っているんだ。

つづく

そして何も無くなった

狙いを定めて
進みたいのに、

どこに
狙いを
定めれば良いか?

見当も
つかない。

ということが
ある。

いや、
正確に言えば、

本当は
わかっている
のだ。
頭では。

わかっては
いても
なぜか

感覚的に
納得が
いかないのだ。

もっと
別の何かを
目掛けて
行かなければ
ならないのでは
ないか?

どうしても
そのような問いが
目の前に
立ち塞がる。

だから
その問いと
向き合うのだが、

答えが
わかる気が
しない。

わかって
いるのに
まったく
わからない。

この感覚は
なかなか
辛い。

・・・

高い視座に
上ってみる。

かなり
上の方から
全体を
俯瞰する。

しかし
これでは効果は
ないらしい。

そういうこと
ではないのだ。

では、

もっと深く
潜るか?

いや、
それも違う。

どうも
観点がすべて
本質的に
違うのだ。

・・・

ふと、
私はこのまま
ここにいて
いいのだろうか?

そんな
根本的な
気持ちなった。

ひょっとして
ここにいること
そのものに

意味が
なかったのか?
と。

ここで
YESと答えて
しまえば、

これまでの
私の人生は
何も意味はなかった
ことに
なってしまう。

恐ろしい
問いだ。

しかしもう
向き合わねば
ならない。

なんだ、
ここまできて
人生、
リセットかよ。

・・・

スーッと
落ちた。

堕ちた。

どこまでも。

闇の中を。

そして
私は
消えていった。

・・・

何も無くなった
その状態の
まま、

どれだけ
眠っただろう?

じっと
見つめる
目と
私は対峙
していた。

ただ
じっと
見つめるだけの
目。

私自身の
目だ。

他の誰
でもない。

大きな目
だった。

私の全身
よりも
何十倍も
大きい。

目に表情は
なく、

ただ
見つめるだけ
だったが、

対峙している
間に、

ふと、

これが私か、

思えた。

いや、
正確には
私、
ではない。

人、だ。

すべての人の
大きさ、だ。

・・・

そして
私は
もとに戻った。

異常な状態に
入っていた
ようだ。

生まれてから
ずっと。

我に返ったら
もう
何もなかったよ。

何もない
ところからの
スタートなんだな、

そこで初めて
人というものを
理解できた
気がした。

私には
何もない。

私には
何もできない。

それが
私。

それが
人。

それを
しっかり
理解したとき、

やっと
足が動き始めたよ。

その
向かう先に

私が
本当に
狙いたいものが
あった。

22年前の話。

つづく

唯一、確かなもの

答えは
たった一つ
だろうか?

本当は
いくつもの
自由に選べる
答えが
あるのでは
ないのか?

こうでなきゃ
いけない、

勝手に自分で
決めつけている
だけで、

本当は
どうでもいい
のでは
ないか?

この
気持ちは、

決断

ではなく
ただの

執着

では
ないのか?

・・・

いくつもの
波が
来る。

次から
次へと。

乗り越えても
乗り越えても

新たな
波がくる。

これが人生
であると
割り切れば
良いのか?

それとも
本当は
こんな波の多い
場所へ
入る必要は
なかったのか?

・・・

遠くを
見渡せる
丘の上。

あまりに
遮るものが
ないので、

逆に
不安になる。

遠くに
目指すものが
見えた。

でも、
見えてしまった
が故に

その、遠さを
知ってしまった。

あんなに
遠くまで
行こうと
していたのか。

呆然となる。

・・・

絡み合った
糸。

赤色、
青色、
黄色、

無数に
絡み合う。

それを
解こうとして
力を込めれば、

糸は
毛玉のように
なって
凝り固まり、

もう二度と
ほぐれそうに
ない。

一本一本
もっと
丁寧に
見つめていれば、

実は簡単に
区別できたかも
しれないのに。

・・・

後ろからも
前からも
押され、

後ろにも
前にも
行けず、

右と左は
崖で。

もうどうしようも
なくて、
佇んでいる。

何をどうすれば
良いのか
わからない。

もう
何もかもを
捨ててもいい、
とも
思ってしまう。

・・・

人間。

本当は
簡単なことを
より
難しくしてしまう
存在。

人間。

わかったつもりに
なっても
迷い続け、

途中からは
迷っていること
すらも
わからなくなる。

私は
人間。

これを
愚か、と
言うのか?

人間そのもの

愚か、と
言うのか?

わからない
が、

少なくとも
私は

愚かだ。

・・・

私達は
このままで
いい。

人間
なのだから。

私達は
このままでは
いけない。

人間
なのだから。

どっちでも
いいか
どうか?も

どっちでも
いい。

ただ、
一つ。

そんな
自分を
じっと見つめる
自分がいる。

そいつは
何も
言わない。

何も
しない。

でも、

そいつ
だけは

確か
なんだ。

つづく

七色の手助け

虹の
ようだけど
虹じゃない。

七色に
輝いている
けど、

それは
一直線だ。

上から
下に

垂直に
降りてくる。

それを
頭のてっぺんで
受け止める。

するとその
七色は
私の身体を
貫くんだ。

貫かれた
私は
まるで崩壊する
ような
衝撃は感じる。

のだが、
それは実に
心地良く、

その時は
もう
自分をこのまま
失ってもいいや、
とさえ
思ってしまう。

自分自身が
その
七色そのものに
なったかの
ような。

それでいいよ、
という
感覚。

これがしばらく
続いた後で、

ふと
自分自身を
取り戻す。

七色は
いつの間にか
消えている。

ただ、
私の中は
綺麗に、

細胞の一つ一つ
まで

浄化されて
いる。

身体の内側と
心も魂も、
一回
シャワーで洗い流した
感じだ。

七色、
あれはもちろん
実在であるが、

あれは
私ではないな。

何かもっと
別の存在の
ものが、

集約されて
ここに
もたらされている
気がする。

完全に理解
することは
もちろん
不可能だが、

でも
今ここに
実在し、

綺麗さっぱり
するという
この感覚、

この現実は
大切にしよう。

いつか
七色と
対話ができると
いいな、と
思っている。

いや、本当は
今でも
できるはずだが、

そこに
エネルギーを使う
必要を
今はあえて
感じていない。

それよりも
私には
他にすることが
ある。

対話は
もう少し先まで
とっておこう。

つづく

実在の振動

昔、
山を登っていた
時に、
台風のような
大雨に見舞われた
ことが
何度もあったが、

それはもう、

上からも
下からも
横からも

破壊力のある
雨達が
容赦なく
私を叩いた。

風も
凄いから、

岩にへばりついて
踏ん張って
飛ばされないように
した。

でも確かに
その時、私は

生きている
実感

というものを
得ていた。

この状況から
一刻も早く
逃げ出したい、

という
気持ちと共に、

確かに、
ずっと
このままの状態で
いたい、
という私も
いた。

こんなに
生きている実感を
ダイレクトに
感じられることは

なかなか
ない。

1秒1秒の
必死さ、
濃密さ。

そうなった時に
初めて
喚起される

独特の心、
感覚、
そして
振動。

そう。

あの時の
私は
独特の「振動」を
していた。

普通ではない
波長を
出していた。

あれ以来
ずっと私は
あの「振動」を
求め続けたのかも
しれない。

・・・

今になって
わかる。

あの「振動」は
実在の振動
だった。

実在の自分と
直接に
結びついている
証のような
もの。

命そのものを
感じ取れたのは
そういう意味では
当たり前の
ことだった。

あの時、私は
本来の自分を
取り戻していた
のだ。

・・・

山の上や
嵐の中に
いなくても、

今は毎日、

いや、
この1秒1秒
一刻一刻、

私はその
振動で
生きている。

私は常に
実在を
感じ続け、

実在と
共にある。

そう考えると、
登山というのは
私に
最初の実在体験を
もたらしてくれた
貴重なものだった。

私達は、

いや、
この世のすべての
存在は

振動
し続けている。

独特の
波長を持ちながら。

本当の成長
とは、

自分の振動数を
変えて行くこと。

同じ振動数で
いるうちは、

その成長は
見せかけだ。

振動数を
変えるには、

やはり、

必死に
ならねば
ならない。

私は
登山でも
必死だったが、

普段の
仕事でも
必死だ。

その連続が
よかった。

24時間
必死になる
必要はない。

でも、
一日に一度は、

必死に
なろう。

つまり、
全意識を集中する
時間、

全身全霊で
取り組む時間を
持とう。

振動数を
変えるんだ。

自ら
意図的に。

つづく