家の書斎にいて、
ふと
気配がしたので
振り返ると、
後ろの壁に
小さな蜘蛛がいた。
蜘蛛は何かを
言いたげだったので
意識を向けると、
「ちょっと無理
し過ぎだよ」
とのメッセージ。
あーまたか、
と
反省。
無理をし過ぎると
よく
蜘蛛くんが
教えてくれる。
・・・こんなことを
書いていると
この人、大丈夫か?
と思われるかも
しれないが、
(もう充分、思われている
フシもあるが・・・)
もちろんこれも
セルフコーチングの
一つである。
今日ふと
思ったのだが、
私は世の中の
あらゆるものと
常に
コミュニケーションを
とっている気がする。
極端に言えば、
空気の分子とも
会話をしている
気がする。
もちろん、
意識的なこともあれば
無意識にやっている
こともある。
でもこれって、
実は
私だけではなく、
人間は誰でも
していることなのでは
ないか。
(違う?)
私達は、
ありとあらゆるものと
コミュニケートし合いながら
生きている。
それが
人間というものでは
ないか。
いや、人間だけでは
ない。
それが
「存在」というものでは
ないか。
・・・・・・
人生を変えるには、
コミュニケーションの
やり方を
変えればいい。
と、
単純に思う。
まずは
自分自身との
コミュニケーションの
やり方。
そして、
目の前の一人の人との
コミュニケーションの
やり方。
そして、
複数の人との
コミュニケーションの
やり方。
さらに、
人以外の
あらゆる存在との
コミュニケーションの
やり方。
この順番で、
自らの本来の
コミュニケーションのやり方
を、思い出せば、
人生には
どんどん調和が
広がる。
今、
「本来の」と書いたが、
私はこの仕事を
させていただいて
強く思うのだ。
その人には
その人本来の
コミュニケーションのやり方
がある、
と。
これは言葉を
換えれば、
その人には
その人本来の
人生の生き方・進み方
がある、
と同義だ。
コミュニケーションの
やり方を
ちゃんと整えていけば、
その人の真本音度合いは
着実に高まる。
これが最も
近道ではないか。
と、
よく現場で思うのだ。
・・・・・・
残念ながら
現時点では、
多くの人が、
というより、
ほとんどの人が、
その人本来の
コミュニケーションの
やり方を
していない。
だから、
余分な時に
余分な一言を言い、
そのちょっとした
積み重なりが
人生の大きな齟齬
となっていく。
ほんのわずかな
一言。
ほんのわずかな
振る舞い。
ほんのわずかな
空気感。
それらによって
人生は
成されていく。
逆に言えば、
ちょっと変えれば、
その瞬間から
ちょっとずつ
変わり始める。
何事も
その「ちょっと」から
始めるとよい、
と、
いつも思う。
それができるか
できないか。
その違いだけでは
ないか?
人生が幸せになるか
ならないかの
違いは、
と
本当に
毎日のように
思っているんだ。
つづく