コミュニケーション

ちょっと、から始めよう

 

家の書斎にいて、

ふと

気配がしたので

振り返ると、

後ろの壁に

小さな蜘蛛がいた。

 

蜘蛛は何かを

言いたげだったので

意識を向けると、

 

「ちょっと無理

し過ぎだよ」

 

とのメッセージ。

 

あーまたか、

反省。

 

無理をし過ぎると

よく

蜘蛛くんが

教えてくれる。

 

・・・こんなことを

書いていると

この人、大丈夫か?

と思われるかも

しれないが、

(もう充分、思われている

フシもあるが・・・)

 

もちろんこれも

セルフコーチングの

一つである。

 

今日ふと

思ったのだが、

 

私は世の中の

あらゆるものと

常に

コミュニケーションを

とっている気がする。

 

極端に言えば、

空気の分子とも

会話をしている

気がする。

 

もちろん、

意識的なこともあれば

無意識にやっている

こともある。

 

でもこれって、

実は

私だけではなく、

人間は誰でも

していることなのでは

ないか。

(違う?)

 

私達は、

ありとあらゆるものと

コミュニケートし合いながら

生きている。

 

それが

人間というものでは

ないか。

 

いや、人間だけでは

ない。

 

それが

「存在」というものでは

ないか。

 

・・・・・・

 

人生を変えるには、

コミュニケーションの

やり方を

変えればいい。

 

と、

単純に思う。

 

まずは

自分自身との

コミュニケーションの

やり方。

 

そして、

目の前の一人の人との

コミュニケーションの

やり方。

 

そして、

複数の人との

コミュニケーションの

やり方。

 

さらに、

人以外の

あらゆる存在との

コミュニケーションの

やり方。

 

この順番で、

自らの本来の

コミュニケーションのやり方

を、思い出せば、

 

人生には

どんどん調和が

広がる。

 

今、

「本来の」と書いたが、

私はこの仕事を

させていただいて

強く思うのだ。

 

その人には

その人本来の

コミュニケーションのやり方

がある、

と。

 

これは言葉を

換えれば、

 

その人には

その人本来の

人生の生き方・進み方

がある、

と同義だ。

 

コミュニケーションの

やり方を

ちゃんと整えていけば、

その人の真本音度合いは

着実に高まる。

 

これが最も

近道ではないか。

 

と、

よく現場で思うのだ。

 

・・・・・・

 

残念ながら

現時点では、

多くの人が、

 

というより、

ほとんどの人が、

 

その人本来の

コミュニケーションの

やり方を

していない。

 

だから、

余分な時に

余分な一言を言い、

 

そのちょっとした

積み重なりが

人生の大きな齟齬

となっていく。

 

ほんのわずかな

一言。

 

ほんのわずかな

振る舞い。

 

ほんのわずかな

空気感。

 

それらによって

人生は

成されていく。

 

逆に言えば、

ちょっと変えれば、

その瞬間から

ちょっとずつ

変わり始める。

 

何事も

その「ちょっと」から

始めるとよい、

 

と、

いつも思う。

 

それができるか

できないか。

 

その違いだけでは

ないか?

人生が幸せになるか

ならないかの

違いは、

 

本当に

毎日のように

思っているんだ。

 

つづく

 

あなたは本当に生きている?

 

この人は

誰だろう?

 

目の前にいる

今ここで

しゃべっている

この人は

いったい

誰だろう?

 

さっきから

ずっと、

口を開き

何かを懸命に

私に伝えようと

しているみたいだ。

 

でも、

何も私の

耳には届かない。

 

いや、

耳には届いているし、

声も聞こえるのだが、

 

何も私の心に

入ってこないのだ。

 

その瞬間その瞬間に

聞こえる

言葉の意味は

確かにわかる。

 

でも

それだけ。

 

あとは

何も理解できない。

 

つまりは、

何も聴いていない

のと同じ。

 

いや、

むしろ

何も聴かない方が、

 

この人が

口を開かない方が、

 

この人のことを

理解できるのではないか。

 

そうだ、

これは

幻影だ。

 

きっと

今、喋っているこの人の

この姿は

幻影なのだ。

 

本当は

この人は

何も喋っていない

のだ。

 

口も開いて

いないし、

声も出して

いないのだ。

 

私の目には

今、

幻影が映っている

だけなんだ。

 

そうに

違いない。

 

・・・・・・

 

その人の

懸命さは

さらに度を増して

きた。

 

さらに必死に何かを

私に伝えようと

している。

 

でも、

さらにさらに

何も聴こえなく

なってしまった。

 

この人の

顔の表面は

紅潮している。

 

きっと、

情熱というものを

出しているのだと

思う。

 

本人は

そのつもり

なのだろう。

 

でも私が

その幻影を

私の目から

取り払うと、

 

その人は

まるで、

死人のように

観える。

 

何も動いて

いないし、

何も発して

いない。

 

青い顔をした

人形みたいな

存在が、

ただじっと

こちらを見ている。

 

いや、

見てもいない。

 

生きて

いないのだ。

 

・・・・・・

 

この人は、

自分が

死んでしまっている

ことに

気づいていないのだ。

 

死んでしまっている、

・・・じゃないな。

 

自分で自分を

死なせてしまっている、

・・・が正確だ。

 

その事実に

この人は

気づいていないのだ。

 

きっと本人は

自分は生命力に溢れている

思い込んでいる

のだろう。

 

いや。

 

あなたは、

生きていないよ。

 

まったく。

 

早くそれに

気づいてほしいな。

 

そしてできれば、

一刻も早く

生き返って

ほしいな。

 

と私は

心の中で

願った。

 

・・・・・・

 

自分を

生きていない。

 

自分を

死なせてしまって

いる。

 

そんな人と

向き合うと、

いつも私は

上記のような感覚

となる。

 

そして

その人からの言葉が

まったく記憶に

残らない。

 

というか

やはり、

入ってこないのだ。

 

どれだけ

努力しても

入ってこない。

 

入ってこない言葉

どうでもいい言葉達

なんだ、

何年か前に私は

あきらめた。

 

すると、

そこからより良い

コーチングが

できるようになった。

 

入ってくる

言葉のみを

しっかりと受け取り、

 

入ってこない

言葉は

流してしまう。

 

そのメリハリが

良いコーチングを

創り上げるように

なった。

 

ということで

言えば、

 

今の世の中には

 

いかに

「無駄な」

コミュニケーションが

多いことか。

 

無駄なコミュニケーション

が、

様々な不調和を

生み出している。

 

もちろん

無駄が必要な

時もある。

 

しかし

変な言い方だが、

 

・必要な無駄

・本当に不必要な無駄

 

があるのだ。

 

本当に不必要な

無駄なコミュニケーション

は、

混乱と混沌しか

起こさない。

 

それが、

あらゆる組織で

飛び交い続けて

いる。

 

それを

なくしていくのが、

「コーチ」の

役割の一つだ。

 

そして

一人一人が

自らを

「生き返らせる」

サポートこそが

コーチングの本質だ。

 

一昨日の記事、

(→【コーチ探し、始めます】)

思ったよりも多くの

皆様から

コメントを

いただきました。

 

ありがとうございます。

 

「コーチ」という

役割になりたい人。

 

興味がある人。

 

なろうかどうかを

真剣に迷っている人。

 

そんな人は

ぜひ一度、

コメントください。

 

コメントは

公開されないように

設定されています。

 

私にしか

届きませんので

ご安心を。

 

つづく

 

シンプルなコミュニケーションを楽しもう

泉からトツトツと

水が湧き続けるように、

自分の中からトツトツと

言葉が湧き続けることが

あります。

 

頭で考えている

わけではなく。

 

何かを説明しようと

しているわけではなく。

 

何かを理解してもらおうと

思っているわけではなく。

 

何らかの意図を

持っているわけではなく。

 

ただ、

トツトツと

ゆっくりと

湧き続ける言葉達が

あります。

 

それを私は一つずつ

宝物のように

抱き、愛でながら、

何の解釈も色もつけずに

そのまま

口に出します。

 

それはまるで

自分がただの

スピーカーになったような

感覚です。

 

自分で言葉を

口にしながらも、

自分自身も

それを聴いて

楽しんでいます。

 

次の一言を

自分の口は

何を語るのか?

 

を楽しみながら、

私は目の前のAさんに

向かって、

トツトツと言葉の一つ一つを

プレゼントします。

 

やはりそれは

何をどう観ても

私自身の言葉だとは

思えません。

 

どう観ても、

それは、Aさん自身の

言葉です。

 

Aさんの

真本音の言葉。

 

本当はAさん自身が

自力で気づきたい

答え達。

 

それを私は

Aさんの代わりに

Aさん自身に

お伝えしている。

 

それだけのこと

のようです。

 

研修でもコーチングでも

よく皆さんから

おっしゃっていただく

嬉しいお声があります。

 

「たけうちさんの言葉は

どうしてこんなに

スーッと心の中に

入ってくるんだろう?」

 

それは

私の言葉では

ないからです。

 

あなた自身の

真本音の

言葉達だからです。

 

・・・・・・

 

皆さんの中にも

「泉」

があるはずです。

 

その泉は、

地下水脈に

つながっています。

 

その地下水脈は

目の前のAさんと

共有している

地下水脈です。

 

地下水脈から

トツトツと

湧き出される

泉を

一つ一つ言葉にする。

 

そんなコミュニケーションは

本当は

誰もが取れるはずです。

 

私はこれを

『真本音コミュニケーション』

と呼んでいます。

 

本当にいつも私は

お会いする人達に

伝え続けています。

 

真本音コミュニケーションは

私特有の力では

ありません。

 

人類すべての人が

もともと持っている

普通の力です、と。

 

ただ、私達は

頭で考え過ぎて

しまうのです。

 

意図を持ち過ぎて

しまうのです。

 

自分の考えを

わかってもらおうと

欲し過ぎてしまうのです。

 

そういった気持ちも

もちろん人間ですから

ありますし、

そういった気持ちは

そういった気持ちとして

大事にすれば

よいでしょう。

 

しかしちょっとだけ

それらを横に置き、

ただ、

目の前のAさんにのみ

意識を向けて

みてください。

 

意識を

向け続けて

みてください。

 

すると、

すぐに「泉」に

気づくはずです。

 

あとはただ、

その「泉」の言葉だけを

語るようにして、

ただ、

静かに黙っていれば

よいのです。

 

それだけで

すべての事は

済んでしまいます。

 

何の説明も

言い合いも

必要なく、

ただ、

泉の言葉をそこに

残せば

よいのです。

 

それですべては

調和して

行きます。

 

そんなシンプルな

コミュニケーションライフを

あなたも

楽しんでみませんか?

 

つづく

 

本当はここに二人いる

1対1の会話や、

複数人のミーティングの場で

皆が沈黙してしまう瞬間が

ありますね。

 

沈黙の時、

いつもどうしていますか?

 

沈黙の時間は

ちょっと居心地が悪く

なりますね。

 

緊張感が高まってしまう

こともあります。

 

それが何となく嫌なので、

沈黙を避けるように

その場を盛り上げたり、

何か話題を提供する人が

出たりします。

 

1対1の場合は、

沈黙が怖くて

延々と喋り続ける人も

いますね。

 

沈黙。

 

確かに、

ちょっと怖いかも

しれません。

 

でも私はこの

沈黙の時間こそを

大切にしています。

 

沈黙の間に

「実在」が大きく活性化する

場合が多いからです。

 

・・・・・・

 

これまでの傾向として、

実在を感じ取ることが

できるようになればなるほど、

口数が減る人が

多いようです。

 

無駄な一言が

なくなっていくのです。

 

場を取り繕うための

言葉が

ほぼ、なくなります。

 

建前もなくなります。

 

おべっかも迎合も

なくなっていきます。

 

結果、

その人は沈黙することが

多くなります。

 

沈黙しても

不安はありません。

 

実在を感じ取って

いるからです。

 

実在を感じ取るということは

目の前の人との

つながりを感じ取るという

ことです。

 

さらに、

目の前の人との

エネルギーの交換や循環も

感じ取れます。

 

その安心感が土台にあるため、

表面上の言葉のやりとりが

どのようなものであったとしても、

それに揺らされることは

ありません。

 

例えば、少し極端に言えば、

目の前の人が自分に

何か批判的な言葉を投げて

きたとしても、

実在レベルでその人との

エネルギーの循環が

とても気持ちよく、

その人と自分との

あたたかなつながりを

感じ取れていたとしたら、

表面上において

どのような批判をされたとしても、

その場はとても

居心地のよいものとなります。

 

表面上のやりとりだけが

コミュニケーションでは

ありません。

 

実在レベルでの

コミュニケーションを

私達は誰とでもいつも

とっており、

実はそちらの方が

圧倒的に影響力が

大きかったりします。

 

端的に言えば、

実在レベルでは

「好き」

と言いながらも、

現実レベルでは

「嫌い」

と言うこともあります。

 

そこでもし

実在レベルを感じ取れて

いれば、

「何言ってるんだよ」

と笑いながら受け止める

ことができるのです。

 

その余裕とゆとりが

人生の展開を

大きく変えていきますね。

 

・・・・・・

 

私達の人生は、

一つ一つの

人とのコミュニケーションによって

大きく変わります。

 

実在コミュニケーション力を

持つことは、

人生を非常に

豊かにしてくれます。

 

誤解とか齟齬が

激減します。

 

人に裏切られる怖さよりも、

人との本質的なつながりの

深さに驚く悦びの経験が

圧倒的に増えていくでしょう。

 

・・・・・・

 

以下は、

話をわかりやすくするための

喩え話だと受け取ってください。

 

私は、

Aさんと向き合う時、

現象(現実)のAさんと

実在のAさんを

同時に感じ取ることができます。

 

それは、

現実のAさんの隣に

実在のAさんが立っている

ような感覚です。

 

ですから私はいつも

二人のAさんと会話をします。

 

もちろん

私の口から出る言葉は

現実のAさんに向けたものです。

しかしその一方で、

実在のAさんにも私は

心の中で常に言葉を

投げかけ、

実在のAさんとも会話を

しています。

 

私のコーチングは、

まずは実在のAさんに

訊くのです。

「次、どんな質問を

投げたらいいですか?」

 

すると、

実在のAさんが答えます。

「では、〜〜という質問を

私に投げてください。」

 

私はその通りの質問を

現実のAさんに投げます。

 

それに対して

現実のAさんが

お答えになります。

 

「どう?この答えは?」

と私は実在のAさんに

問います。

 

実在のAさんは例えば、

「う〜ん、まだまだだねぇ。

全然素直な答えじゃないねぇ・・・。

では、こんなメッセージを

私に伝えてください」

と、

次に私が投げるべき言葉を

教えてくれます。

 

私はその通りのメッセージを

現実のAさんに

投げます。

 

そして現実のAさんから

返ってきた言葉を

実在のAさんに確認し、

さらに次に

何をすればよいかを

相談します。

 

時々、実在のAさんにも

次はどうすればよいかが

わからなくなることもあり、

二人でう〜む、と悩むことも

あります。

 

でもこのように

実在のAさんと相談しながら

現実のAさんに関われば、

現実のAさんは

自分自身の真本音に

非常にたどり着きやすく

なるのです。

 

これがいつもの

私のコーチング。

 

つまり、

現実のAさんを

実在のAさんと私の二人が

コーチングしている。

 

実在のAさんとの

協業作業なのです。

 

しかしこれは

私だけの特有の力では

ありません。

 

こういったコミュニケーションを

すべての人が

本当は取れるのです。

 

それが私達人間が

もともと持っている

コミュニケーション力の本領です。

 

その本領を

取り戻していただくことが

私のあらゆるサポートの柱の一つに

なっています。

 

これは

1対1のコミュニケーションだけでなく、

チームによるミーティングでも

同様です。

 

私がある組織の

チームコーチングに入ると、

そこにもし10名の人がいたとしたら、

10名の皆さんの実在とも

会話をしながら進めます。

 

つまりそこには

20名の皆さんがいるような

ものです。

 

そして、

実在の10名と私が、

現実の10名をチームコーチング

するのです。

 

ですから、

話をもどすと

沈黙。・・・

これがいかに

大切なことか。

 

皆さんが、沈黙したその瞬間に

いかに皆さんの「実在」が

活性化するかを

私はいつも実感しています。

 

実在の活性化を

現実の活性化に

つなげる。

 

私は、こういった

実在コミュニケーションを

駆使できるコーチが

増えるといいなぁと

願っています。

 

そしてできれば、

企業の経営者や

組織のリーダーとなる人が

実在コミュニケーションできると

いいなぁ、と

願っています。

 

いえ、本当は

すべての人に

早く、実在コミュニケーション力を

取り戻してほしいのです。

 

そのために私にできることは

何か?

 

それが私の今後の活動の

基本テーマです。

 

つづく

 

人生を変えるかもしれない発想

私がここ最近、

とても強く感じることなのですが、

真本音で生きる

という実にシンプルな生き方を

するために、

多くの方に足りないものが

あります。

 

それは、

 

「自分の最初の発想を

信じるという意志」

 

です。

 

最初の発想を

もっと信じて

進んでみればいいのに。

 

・・・と、

最近、頻繁に思いました。

 

最初の発想、

つまりは、

一番初めに浮かんできた

発想。

 

一番に初めに

顕在化した発想です。

 

私達の真本音は、

時々、

まったく関係のない

発想を顕在化します。

 

それは、

前回の記事で

書かせていただいた通りです。

(→前回記事)

 

AかBか?

で迷っているのに、

まったく関係のない

Cという発想が浮かんだりします。

 

その場合、

多くの人がその発想を

「つまらないもの」

「関係のないもの」

「意味のないもの」

として、浮かんだその瞬間に

捨ててしまいます。

 

しかも、

それを無意識にしている人も

多いです。

 

ですからコーチングの場では

私はよく、次のように

クライアントさんに言うのです。

 

「今、何か

発想が浮かびませんでした?」

・・・と。

 

すると、最初は

「いえ、何も・・・。」

と返ってきます。

 

でも、

「いやいや、今何か

考えましたでしょ?」

と問うと、

初めて、

 

「すみません。

まったく関係ないことが

一瞬よぎりまして。」

と返ってくるのです。

 

「それそれ、それですよ!

どんな発想がよぎったんですか?」

 

と言って、半ば強引に

それを教えていただくのですが、

その発想がきっかけとなり、

コーチングが思わぬ

すごい展開になることは

日常茶飯事なのです。

 

例えば私の場合、以前に

次のようなことがありました。

 

ある年末の話ですが、

私は、クライアント Aさんの

コーチングをしていました。

 

Aさんは若い経営者で、

次年度の方針を

明確化する内容だったのですが、

それが出来上がり、

スッキリと完了感も覚え、

コーチングを終えようとしました。

 

で、

席を立とうとした瞬間、

Aさんが私に

「たまには今から忘年会でも

いかがですか?」

と言われたのです。

 

「おぉ、いいですねぇ」

と私は答えようとしたのですが、

その時、ふと一つの言葉が

頭をよぎったのです。

 

私はそれを

そのまま口に出しました。

 

「Aさんって、

子供好きですよね。」

 

Aさんは、キョトンと

されました。

 

それはそうです。

 

「忘年会いかがですか?」

と問うたら、

「子供好きですよね」

と返ってきたんです。

 

しばらくAさんは

目を白黒されていましたが、

「ええ、好きです。

なんでわかるんですか?」

と返してきました。

 

実はAさんは独身です。

もちろんお子さんも

いません。

私もなぜそんな一言を

Aさんに言ったのか

自分でもわかりません。

 

私は答えました。

 

「いえ、なんとなく、

子供が好きかな?と

思って。

Aさんにお子さんができたら

きっとすごく個性的な子に

なりそうですね。」

 

と私が笑ったら、

 

「たけうちさん、

やっぱり忘年会は

後日でもいいですか?」

 

とAさんが言うのです。

 

「もちろん、いいですよ。

では、今日は帰りましょうか」

ということで、

私達は別れました。

 

そして、年明け。

 

私はAさんから

驚くべき報告を聴きました。

 

実はAさん、

お付き合いしていた彼女さんが

いました。

その彼女さんに

プロポーズしようと

決めていたそうです。

で、婚約指輪も密かに

購入されていたそうです。

 

Aさんは私から

「子供が好きですよね」

と言われた瞬間に、

無性にその彼女さんに

会いたくなったそうです。

 

で、Aさん、

プロポーズするなら今日だ!

と直観したそうなのです。

 

あの日、

Aさんは私と別れた後、

すぐに彼女さんを呼び出し、

プロポーズされたそうです。

 

もちろん結果はOK。

 

「最高の正月でした」

とAさん。

 

しかも、

「年末年始で彼女と一緒に

旅行をしました。

二人で今後の家族計画の

話をしてたんです。

その時、気づいたんです。

私は、もっと私のやりたい

経営の仕方があるんじゃないか?

って。

で、たけうちさんには申し訳

ないのですが、

年末に決めた計画を

もう一度根底から考え直しました。

その結果、凄い発想が

出てきましたよ。」

 

そう言われながらも

Aさんは発想された内容を

私に教えてくださいました。

 

それはかなり

ぶっ飛んだ内容でしたが、

とてもとても魅力的でした。

 

もともとAさんは

ぶっ飛んだところがありましたから、

Aさんらしいな、

と思えました。

もちろん、

すべてAさんの真本音でした。

 

そこで私はわかったのです。

 

プロポーズすることで、

Aさんは

ご自分の次元を一つ

上がったのだな、と。

 

そして、

次元の上がった意識で

経営計画を立て直したのだな、

と。

 

そう考えると、

あの時、私が発した

「子供好きですよね」

の一言が

いかに重要だったか。

 

あれで、ある意味、

Aさんの人生が変わりました。

 

しかしこれは

私がAさんの人生を変えた

わけではありません。

 

私はただ、

Aさんと真本音コミュニケーション

しただけのこと。

つまり、

Aさんの真本音をキャッチし、

Aさんが言ってほしい一言を

その時お伝えしただけの

ことなのです。

 

Aさんの真本音は

私を活用して、

自分の人生を進めたのです。

 

面白いでしょ?

 

実はこういったことが

本当に日常茶飯事で

起きています。

 

ですから私は思うのです。

 

まったく関係のない発想でも、

何かの問いを受けて、

最初に浮かんだ答えは

宝物かもしれない、と。

 

真本音度合いの

高い人であればあるほど、

それを大切にしてほしい、と。

 

本当に、

人のコミュニケーションというのは

面白いですね。

 

つづく

 

あなたは本当は孤独ですか?

私には、

私のことを真に

理解してくれて、

私にとっての真の

仲間であると

思える人が

何人いるだろうか?

 

こんな問いを自分自身に

投げたことはありますか?

 

随分前の私は、

この問いへの答えは

「0人」

でした。

 

『真本音』と出会う前の

時代の私です。

 

もちろんそれまでに

親友と言える友人とも

随分と出会ってきました。

その当時には

すでに妻も子供も

いました。

 

共に必死になって仕事をする

職場の仲間もいました。

 

師匠だっていました。

 

しかし、

私のことを本当の意味で

理解してくれているかどうか?

と問うと、

 

あぁ、そんな人は

一人もいないんだ。

 

という事実に気がついて

愕然としました。

 

そしてこう思いました。

 

それが人間なんだ、と。

 

それが

人生というものだ、と。

 

所詮、我々は

孤独なのだと。

 

自分のことを本当に

理解できるのは

自分だけなのだ、と。

 

みんな、

そうなのだ、と。

 

・・・もちろんそれは、

その当時の私の

単なる思い込みです。

 

なぜなら、

今の私には

真の仲間と言える人、

真に私のことを理解して

くれている人、

が本当にたくさん

いるからです。

 

下手をすると、

出会ったその瞬間、

目と目が合った

その瞬間にもう

そう思える時も

何度もあります。

 

それこそ、

思い込みではないか?

と言われそうですが、

いいえ、

それは真実です。

 

なぜなら今の私は

『実在』

を感じ取ることが

できるからです。

 

今、こうしてこの文章を

書いている私は、

自宅の書斎に一人で

います。

 

今、深夜の3時です。

 

ところが、

目を閉じると、

実に多くの人達の

「気配」

を感じます。

 

これも

思い込みでは

ありません。

 

「実在」です。

 

つまり、

実際にここに存在する

ものです。

 

ちなみにこれは

霊感とは違います。

 

私には

霊感はありません。

 

ただ私は

「実在」を

感じ取ることができるように

なったのです。

 

ですので、

常に私は仲間達と

こうして共にいることが

できます。

 

現象(現実)のレベルでは、

(3次元のレベルでは)

遠く離れていても、

実在のレベルでは

距離も時間の差異も

ありません。

 

だから常に

一緒にいるのです。

 

共に

同じ願いを持ち、

同じ方向を向き、

同じ試行錯誤を

している仲間達。

 

この「実在」を感じ取る

という力は、

もちろん私だけに特有の

ものではありません。

 

誰もが普通に

感じ取れるものです。

 

つまりこれも

「普通の生き方」の

一つです。

 

えぇ?

そんなの普通じゃないよ。

と言われそうですが、

いえいえ、

これこそが私達人間誰もが

もともと持っている

コミュニケーションの力の

一つです。

 

『実在コミュニケーション』

 

・・・とも私は呼んでおり、

これは「真本音コミュニケーション」

の形の一つです。

 

真本音で生きることで

こうした力を開花することが

誰もができます。

 

実在コミュニケーションが

できるようになれば、

「直観力を高めよう」どころの

話ではなくなります。

 

「直観」が

通常の思考と同じか

それ以上に普通の状態に

なります。

 

もう本当に

迷わなくなります。

いえ、

正確には迷うことはありますし、

迷うこと自体に

生きる上での大きな意味が

ありますが、

迷いそのものを

本当に楽しめるようになります。

 

心の調子が良いとか

悪いとか、

関係なくなります。

 

心の調子が悪い時は

人間である以上

私にもあります。

 

特に毎日、多くの方達の

ストレスを受け続けていますので、

その影響もあり

ストレスの塊みたいなものに

心が閉ざされてしまうことも

しょっちゅうです。

 

絶望感。

倦怠感。

孤独感。

怒り。

憎しみ。

時には、狂気。

・・・

 

様々な反応本音達に

心が閉ざされることは

この仕事をしていれば

本当に毎日です。

 

でも

それが一体、

何だと言うのでしょうか。

 

心の状態が

絶望的に悪くなったとしても

ただ、

それだけのことじゃん。

 

・・・というように

心の状態の良い悪いに

捕らわれない

自分になれるのです。

 

どんな心になっても

おおらかな気持ちで

それを楽しみながら

観察できる自分。

 

真本音という大地に

立てていることによって

そうなれるのですが、

私が本当に

そうなれたのは、

実在コミュニケーションが

できるようになってからかも

しれません。

 

ですのでこれも

すべての人に

できるようになってほしいな、と

私は願うのです。

 

「実在」のことを書くのは

ある意味勇気の要ることですし、

恐らく誤解も生じるでしょうが、

でもそれでもこのブログでは

そこに挑戦したいな、と

思っている私が

ここにいます。

 

さて、明日から

どんな文章を

私は書くのでしょうね?

 

つづく

 

本当に言葉を大切にすると、言葉は少なくなる

言葉とは

カタチです。

 

一つの記号とも

言えます。

 

ですから、

「山」

という一言をつぶやいたとしても、

この一言から想像される山のイメージは

人それぞれです。

 

しかし、

「山」

という言葉を聴くことによって

「海」ではないことはわかりますし、

思考や発想の方向性を

合わせることもできます。

 

「今週末、一緒に

山にキャンプに行かないか?」

と言われて、

「じゃあどんな水着で行こうかな」

と考える人はほぼ

いないでしょう。

 

しかしやはり方向性は

定まるものの、

詳細なイメージは

きちんと共有しなければ

誤解を生むことにもなります。

 

「山に行こう」と言われて、

すぐ近くの裏山をイメージする人も

いれば、

富士山に行くイメージをする人も

いるでしょう。

 

私達は、

言葉という「記号」を活用しながら

お互いの想いやイメージを

一致させようとします。

それが私達の普段の

コミュニケーションです。

 

ところが。

 

以上はあくまでも

3次元という限定された部分に

限って言えることです。

 

高い次元の私達の意識は

すべて

つながっています。

 

いえ、というよりも

「一つ」です。

 

「一つ」である我々は

本当はもともと最初から

すべてを共有している

とも言えます。

 

もちろん

人生経験も違いますし、

実際に頭の中で展開される

イメージも、

人それぞれ異なるでしょう。

 

しかし、

そういった表層的ではない部分で、

私達はまったく同じことを感じ、

まったく同じ想いを

抱いています。

 

ですから、

高い次元の意識を

発動している人達同士が会えば、

コミュニケーションにおける

「説明としての言葉」

は、ほぼ必要なくなります。

 

「山に行こうよ」

と言われれば、

「あっそうだよね。

私もそうしようと思ってた」

となりますし、

どんな山に行きたいか?も

ほぼ説明なしで

お互いに理解・共有できて

います。

 

これが仕事上で起こると、

なかなかに凄いです。

 

まず、

とてつもなく打合せ時間は

短くなります。

 

齟齬も誤解もなくなります。

 

ほんの一言二言

言葉を交わすだけで、

お互いにすべてを納得し、

自分のすべきことが

明確になります。

 

そしてその通りに動けば、

きちんと成果が

出ます。

 

とてつもなく

仕事が楽になります。

 

ここまで来ると逆に、

私は「言葉」の有り難みを

より強く感じます。

 

たった一言の

言葉という記号があることで、

各々がここまで感じ取ってきたことの

確認と今後の方向性が

一瞬で明確に、シンプルに

なるからです。

 

言葉っていうのは

ありがたいなぁ、と

いつもつくづく思います。

 

ですから私は

言葉をとても大切にします。

 

余分な一言は

決して言いません。

 

思ってもいないことを

口にしたり、

迎合のためのやりとりは

絶対にしないことに

決めています。

 

そうすると、

言い合いや自己主張ばかりの

コミュニケーションになってしまう

イメージがあるかもしれませんが、

高い次元の自分で動けば、

すべては

淡々と調和します。

 

こちらの想いと相手の想いが

「一つ」なのですから

当たり前と言えば当たり前です。

 

例えば上司と部下の関係で言えば、

上司が部下を何かの件で叱らなければ、

と思った場合、

そのお叱りの言葉を口に出す前に、

部下が自分で自分の過ちに気づき、

自主的にそれを直そうとします。

 

なんだ、結局叱る必要なかったな、

ということが、私の場合は

毎日のように起きています。

 

決して大袈裟な表現では

ありません。

高い次元のコミュニケーションとは

そういうものです。

 

高い次元の自分で生きることは

決して特別なことではない、

というお話を

以前いたしました。

(→人間である以上、誰もにもともとあるもの)

 

高い次元の自分として生きるのは

もちろん、

苦しいことでもありません。

疲れることでもありません。

 

まったく逆。

 

だからこそ

私達の中には

エネルギーが満ちてきます。

 

そのエネルギーを使って

自分が本当に望む現実を

創り上げることができます。

 

どうせ同じ人生を

生きるのであれば、

常にエネルギー満タンの自分で

いたくありませんか?

 

つづく

 

見えないところで何が起きているか?

人の意識とは、

・顕在意識が1%、

・潜在意識が99%、

と言われています。

 

つまり、

自分の見えていない(把握していない)自分の心が

99%を占めるということです。

 

私は、人と人のコミュニケーションも

同じことが言えるのではないかと

実感しています。

 

表面上に見えているコミュニケーションのやりとりは

たったの1%。

見えないところでこそ、

何が起きているか?

 

それを把握することは

とてつもなく重要であり、

その、すべて、とは言わないまでも、

見えない部分の何割かを、きちんと把握できることが

コーチの役割の一つであると思っています。

 

エンティティのやりとり、

などはその典型です。

(→前回記事)

 

信じられないことかも知れませんが、

以前に、次のようなことがありました。

 

ある会社での出来事。

 

その会社は、20数名の中小企業さんでした。

 

まるで家族のように、

ずっと社内の雰囲気の良い会社でした。

 

ところがある時を境に、急激に社内の雰囲気が

悪化しました。

 

これまでずっと一致団結してきた社員さん達が、

突然、派閥を作り、争いを始め、

同じ事務所にいるにも関わらず、

一日中、口もきかない状態となりました。

 

当然それはすぐに業績に反映されました。

 

なぜそうなってしまったのか?

その本当の原因がずっとわからない

という状態が続いていました。

 

私は、その会社の社長から

管理職社員のコーチングのご依頼を

受けました。

そのため、まずは社長と面談をしたのですが、

どうも何かがおかしい、と感じました。

 

そこで、

「社内の雰囲気が悪くなってしまう直前に

入社した人はいませんか?」

と社長に確認しました。

 

すると、3名の中途入社社員さんがいました。

 

私は、その3名と面談しました。

 

結果、そのうちの一名が

とてつもなく濃いエンティティを持っていることが

わかりました。

 

それは女性社員さんだったのですが、

そのエンティティは、その人のものでは

ありませんでした。

 

その人の旦那さんのものでした。

 

つまり、その女性社員さんが

旦那さんの非常に濃いエンティティを受け取り、

それを、毎日、社内に持ち込んでいたのです。

 

それにより、皆さんの関係が

おかしくなっていた。

 

それを確信した私は、

その女性社員さんの旦那さんともお会い

しました。

一緒にランチをする、という形で。

 

そこで旦那さんと繋がり、

彼のエンティティを浄化することを

続けました。

 

そのエンティティは、彼自身が発生させている

ものでした。

 

彼は、自分の生き方に本当はとても

こだわりのある人だったのですが、

彼自身がその生き方を裏切るような感じで、

本来、自分の望む人生とは真逆の人生を

歩んでいました。

 

私は、彼の真本音度合いを上げるコーチングをし、

結果、彼はエンティティを発生させなくなり、

結果、女性社員さんもエンティティを

社内に持ち込まなくなりました。

 

その途端に、社内の雰囲気が

元に戻りました。

 

元に戻るまでの期間は、

わずか、3ヶ月。

 

ウソのような話に思われるかも知れませんが、

本当のことです。

 

そういったことが

実は、たくさんあります。

どこにでも、あるのです。

 

さて、木村さんと弓江さんのお話に戻ります。

 

木村さんがどうしても真本音の自分に脱皮できず、

どうしても、反応本音のパターンが抜け切らない理由が

西畑さんかもらっているエンティティであることが

わかりました。

 

であれば、

西畑さんのエンティティに負けないくらいに

木村さんを強くするか?

それとも、西畑さんを何とかするか?

の対策が必要です。

 

私は、西畑さんにお会いすることに

しました。

 

つづく

 

説得しようとしないことが、思わぬ好展開を生む

弓江さんが変化することで、

木村さんが変化する。

その順番で、二人の真本音度合いを

一気に引き上げる。

 

それが今、私にできる最善のサポートであると

確信しました。

(→前回記事)

 

そんな流れの中での

「弓江さんはコーチに向いています」

というメッセージでした。

 

ところが、弓江さんはすぐにはそれを

受け止めてはくれませんでした。

「とてもとても信じられません」

と。

それはそうでしょう。

当然、そのような返事が返ってくると思っていました。

 

さぁ、真本音コミュニケーションを続けましょう。

 

こういった時ほど、相手の真本音に委ねます。

間違っても、

説得しようとか、納得してもらおうとかは

思わないことです。

 

「どうして、信じられないのですか?」

 

「だって、たけうちさんもわかりますでしょ?

私のこのコミュニケーションを見れば。

どう見ても、コーチ向きではないでしょ。」

 

「そうですねぇ。

コーチとは真逆のコミュニケーションですね。」

 

「でしょ!

こんな私にコーチング力があるとは思えません。」

 

「ありますよ。」

 

「ですから、どこがですか!」

 

彼女はついに怒り出しました。

大変申し訳ないのですが、私は内心

クスクスと笑いが止まらなくなりました。

 

「コミュニケーションの取り方は、なかなか

最悪ですね。」

 

「わかってますよ!

だから向いてないと言ってるんです。」

 

「でも、コミュニケーションの取り方以外は

すべてコーチに向いてますよ。」

 

一瞬、弓江さんは私の言っている意味を

把握できなかったようです。

しばらく目を白黒させていました。

 

「どういうことですか?

コーチって、コミュニケーションの取り方が

重要なんですよね。」

 

「コミュニケーションの取り方なんて、

表層的なことですよ。

現に、弓江さんと同じようにはっきりくっきり

物を言う人で、コーチング力のすごい人を

私は何人も知っていますよ。」

 

「えっ? じゃあコーチング力って何ですか?」

 

「今は教えません。」

 

「えっ? なに? どうしてですか。」

 

「教える必要がありませんから。」

 

「まったく意味がわかりません。」

 

「わからなくてもいいです。」

 

「たけうちさん、

私をからかってませんか?」

 

「全然からかってませんよ。

弓江さんとのコミュニケーションを楽しんでます。」

 

「それ、からかってるってことでしょう!」

 

そう言って彼女は笑い出しました。

この明るさ。

これが、弓江さんの本質です。

 

例えば、真本音度合いの低い人に

このようなコミュニケーションを取れば、

間違いなく深刻な展開となっているでしょう。

しかし弓江さんは笑い出しました。

 

私が意図してやっていることではありません。

真本音に委ねているだけのことです。

 

「弓江さんは、私がどんなコミュニケーションを取っても

そうやってまっすぐに向き合ってくれるじゃないですか。

私の一言一言をちゃんと聴いてくれる。」

 

「えっ? 私は聴き下手ですよ。

いつも、もっと人の話を聴きなさい、って

叱られます。」

 

「じっくり聴くことはしないと思いますが、

肝心なところをちゃんと受け取っています。

そしてそれに対して、まっすぐに考え、まっすぐに

返してくれます。

それがとても心地よいです。」

 

「う〜ん、確かに、まっすぐというのは

私らしいかもしれませんが。」

 

「弓江さんは、今私が弓江さんに

何を伝えようとしているかわかるんじゃないですか?」

 

「何を伝えようとしているか?

・・・私に『変われ!』ということですか?」

 

「どこを『変われ!』と言っていると思いますか?」

 

「・・・なんか、大したことを要求されている感じは

しません。

ちょっとしたところを変えた方がいい、と

言われている気がします。」

 

「さすがですね!

そこが、コーチに向いているところなんですよ。

本質を掴む力がピカイチです。」

 

「えっ、そうなんですか?」

 

「そうですよ。

例えば、木村さんの今の状況とか。

弓江さんが感じ取ることは非常に本質を

ついているんです。

最も肝心な部分を明確に言い当てています。

それができる人は、コーチに向いてるんですよ。」

 

「・・・そんなもんでしょうかね。」

 

「はい、そんなもんです。

弓江さんはちょっとだけご自分を変えれば

いいんです。」

 

「どこをですか?」

 

「コミュニケーションの取り方を、です。」

 

「えぇ? そんなこと言っても

今の私のコミュニケーションの取り方は長年ずっと

これでやってきたものです。

変えることなんてできませんよ。」

 

「そう思い込んでるだけのことです。

コミュニケーションなんて、最も簡単に変化させられる

ものなんです。

形を変化させるだけですから。

それは私が教えます。

でもこれは、本質を掴む力を持っている弓江さんだからこそ

有効なことなんです。

表面をちょっと変えるだけで、

劇的に物事の進展の仕方が変わりますよ。」

 

実はこの時点では弓江さんには伝えていなかったのですが、

弓江さんの力は、本質を掴む力、だけではなかったのです。

もう一つ、とても重要な力を持っていました。

それこそを、彼女はこれまで、恐らく一切、

使ってきませんでした。

 

それは、

相手を尊重する力

です。

 

私が、

『尊重力』

と呼んでいるものです。

 

つづく

 

本当に自由な人ほど、周りとうまくいく

真本音で生きる、

ということは

自由を得る、ということです。

 

自由とは、

現実レベル(現象レベル)における自分の環境のことを

言うのではありません。

 

ここはあえて断言しますが、

現象レベルにおける環境的な自由を

どれだけ実現しても、私達は決して

「自由」を感じません。

 

それにより満たされることはないのです。

 

私達人間が本当の意味で自由を感じられるのは

心が自由

である時です。

 

ですから、

自分の不自由さを自分以外の何かのせいにしている人は

決して自由になれません。

 

真本音で生きるということは、

一般的に言われる「人格者になる」ということでは

ありません。

 

「私は、こうあらねばならない」

「人の成長は、こうでなければならない」

という意識で自分を律するようになると

その人はどんどん不自由になっていきます。

 

ですから、

人格者を目指している人ほど、

真本音度合いが低い、という事実を

これまで私は本当にたくさん目の当たりにしてきました。

 

「自由になろう」としても

自由にはなれません。

むしろ、

どんどん不自由になります。

 

なぜなら、

「自由になろう」という縛りを自分自身に

与え続けることになるからです。

 

自由を目指している人は、

自由という縛りを自分に与えていて、

とてつもなく不自由です。

 

やはり、真本音度合いは

低いです。

 

真本音で生きる、とは

自分の中の揺るがない心に素直に生きること。

私達の中には

どのような環境に置かれても決して

揺るがない強烈な願いがあります。

 

その願いは、

「この願いを持って生きよう」という意図を

持つことで発生するものではありません。

 

最初から、ここ、にあるものです。

 

自分=その願い、と言ってもよいです。

 

その願いこそが、本来の自分自身

なのです。

 

真本音度合いを高めるとは、

その願いに向かう度合いを高める、ということ。

つまり、

本来の自分に戻る度合いを高めること。

 

それをすることで

人は初めて、自由を感じ始めます。

 

ですから、

真本音で生きることによって

その人の顔からは「険しさ」や「苦しみ」や「困惑」や「悔恨」が

どんどん抜けていきます。

 

一言で言えば、

憑き物が落ちた

という、非常に晴れやかな表情になっていきます。

 

それは、自由、だからです。

 

そして真本音度合いを高めれば高めるほど、

周りとの調和性も増していきます。

 

つまり人は、

自由になればなるほど、

周りと調和する

・・・ようにできているのです。

 

自由を目指せば目指すほど周りと不調和を起こす、

のであれば、それは

本当の自由ではない、ということです。

むしろ、不自由な方向に向かっているということです。

 

もしくは、

その自由さがまだまだ中途半端である

ということです。

 

人は、

完全に自由になれば

完全に世界と調和します。

 

そのようにできています。

 

私はまず、コーチングにおいては

そのような完全調和の状態を創ります。

 

このような書き方をすれば

とてつもなく凄いことのように思われるかも

しれませんが、

「そうではないのです!」

ということをお伝えするために

このブログを書かせていただいているのかもしれません。

 

これまでも何度か書かせていただいたように

私が行なっているコーチング、・・・というよりも

「真本音コミュニケーション」は

私だけが行なえるものではありません。

 

すべての人が

普通にできるコミュニケーションです。

 

むしろ、

人間が本来持っている最も自然な

コミュニケーションである、

と言ってもよいでしょう。

 

それを私は、一人でも多くの人が

思い出せるといいな、と願います。

 

真本音度合いが高まれば、

誰もが「真本音コミュニケーション」ができるように

なります。

 

真本音で生きる、ことは

伝播するのです。

 

つまり、

「自由」は伝播します。

 

だから私はこのお仕事を

させていただいています。

 

さて。

 

木村さんのお話に戻ります。

 

木村さんと私の間には、

完全調和の状態が出来上がりました。

だから私は彼に、

「あなたは、コーチに向いていません」

と伝えることができました。

(→前回記事)

 

通常であれば、

その人が必死に取り組んでいることに対して

真っ向から否定をしているわけですから、

その私の一言を受け入れることはできません。

 

しかし、木村さんと私は完全調和してます。

 

私は、木村さんが最も「欲しい一言」を

彼に伝えている、という状態になっています。

 

ですので、その一言は

効きました。

 

その一言を聴いて、

彼は大笑いされたのです。

 

「あっははは!

そこまではっきり言われると

気持ちいいですねぇ」

と。

 

その瞬間に、

彼を覆っていた雲が一瞬にして

ほとんど取れてしまったのがわかりました。

 

私は木村さんに問いました。

 

「なぜ木村さんがコーチに向いていないか、

わかります?」

 

木村さんはにこやかに

答えました。

 

「はい、だって私は、

自分が主役でいたいからです。

だから、ロックバンドやってますしね。」

 

つづく

 

まったく胸に響かない想いに、どう対処する?

それは、新規事業プロジェクトが動き出し、

計画の実行段階に入った頃のことでした。

 

木村さんが突然、私に

「たけうちさん、私はプロのコーチになろうかと

思います」

と言われました。

(→前回記事)

 

私は内心、

うわぁ、そう来たかぁ、

と思いました。

 

もちろんそれは、

反応本音レベルの彼の発想です。

ですから私には、

ただの言葉遊び、言葉の上滑り、

としか感じ取れませんでした。

 

通常の私のコーチングの場合、

反応本音レベルの発想がクライアントさんから出たとしても、

特にそれに対して、こちらが「反応」することはありません。

かと言って、無視もしません。

ただ普通にその発想を受け取るだけで、

肯定も否定もしません。

 

すると、コーチングセッション中は、

普段よりも真本音度合いが高まっていますから、

そのクライアントさんの反応本音レベルの発想は

自然に、消えていきます。

途中から、どうでもよくなってくるのです。

 

そして、真本音レベルの発想に

移っていきます。

 

私はそこには何の操作もしません。

 

しかし時折、クライアントさんが

自分の発想は真本音からの発想である、と

思い込む場合があります。

 

つまりそれは、自分自身の

真本音と反応本音の区別がついていない

という状態です。

 

しかし私から見れば、

明らかに反応本音レベルの発想です。

 

そういった場合は、

そこに、かなり強烈な「反応本音のパターン」が

存在していることになります。

クライアントさんからして見れば、

自分の真本音であると思い込むくらいに強い

反応本音のパターンが

そこにある、ということです。

 

その場合は、ある意味、チャンスです。

強烈な反応本音のパターンを浮き彫りにし、

それを自ら「壊す」ことにつながるからです。

それができれば、

そのクライアントさんは、より真本音度合いを高めることが

できます。

 

木村さんの中には、

強烈な反応本音のパターンが、たくさんありました。

 

特に顕著だったのが、

自信家になった時の彼の「イケイケ」のパターン。

もう一つが、

自信を喪失した時の彼の「ウジウジ」のパターン。

 

この時は、

その「イケイケ」のパターンが出たのでした。

 

ただしそれが出たとしても、

私は基本的には、すぐに否定することはしません。

 

私は木村さんに、プロコーチになろうと思った

その理由を訊きました。

 

想像通りの答えが返って来ました。

 

「今回、私は新規事業プロジェクトをさせていただいて

強く思ったんです。

プロジェクトメンバーを主役にしたチーム創りというのが

いかに素晴らしいか、ということをです。」

 

ちなみに、

「メンバーを主役にする」

「社員を主役にする」

というのは、木村さんの尊敬する上司である平井さんの

理念の一つです。

 

「それに、たけうちさんからチームコーチングのやり方を

教わって、それをやってみて、

これは本当に素晴らしいな、と思ったんです。」

 

「どこが素晴らしいと思われたんですか?」

 

「何と言いますか、

これまでの私は自分の枠に人をはめる、ということばかりを

して来たと思います。

しかし、人を尊重して、人の発想を促して、それらを形にする、

という方が、自分の想像を超えた展開を生み出す、

ということが、身をもってわかったんです。

これこそが、本当のリーダーシップではないかと思いました。」

 

言っている言葉の一つ一つは一見、素晴らしいですし、

彼の感情も想いもそこには込められていました。

 

しかし、

まったくこちらには響いて来ません。

 

それは、反応本音レベルだからです。

 

しかし残念ながら、このレベルの想いに基づいて

動いてしまっている「人」や「組織」がいかに多いことか。

 

真本音と反応本音の区別をつけないことが

いかにその後の展開に大きな違いを生み出すか?

ということを、こういった場面で私はいつも

実感します。

 

木村さんはさらに続けました。

 

「それに私は気づいたんです。

私が伸ばすべき強みは、コーチング力ではないかと。

チームコーチングの手法を使いながら、

私は、コーチとしての自分、がいかに楽しいか、を知りました。

しかも、楽しいだけでなく、みんなが実際に発想を広げ、

主体的になり、新規事業も一気に軌道に乗ろうとしています。

私は、こういった素晴らしい展開を、自社だけでなく

他社でも起こしたい。

プロのコーチとして、いろんな企業でチームコーチングをしたい、

と思ったんです。

これって、私のビジョンではないか?と。

真本音の願いではないか?と思ったんです。」

 

私はこの時、

少し心の中で迷いました。

 

かなり、かなり、短絡的な表現で書きますと、

次の二つの選択肢による迷いでした。

 

一つは、

今この場で、きちんと「否定」するか?

もう一つは、

「少し、泳がせてみる」か?

です。

 

前者の場合、

「木村さん、残念ですが今の木村さんの言葉は、

まったく私には響いて来ませんよ。

つまりそれは反応本音レベルの発想です」

と、そのままお伝えします。

 

恐らくそれをすれば木村さんは、

すぐに自分が反応本音だったということに気づき、

恐縮するでしょう。

反省するでしょう。

 

しかし、それを今の木村さんは本当に望んでいるでしょうか?

 

私は心の中で、木村さんの真本音に向かって

語りかけました。

 

「木村さん、今、私にどうしてほしい?」

 

言葉には出していません。

心の中で、彼の真本音に向かってそう問うたのです。

 

すぐに「返答」がありました。

 

「ここは私が自分のパターンを壊すために

とても重要なチャンスです。

今すぐの否定はやめてください。

最も、良いタイミングでの否定を私は望みます」

と。

 

言葉で表現すると、

このような返答がありました。

 

と言っても、実際に木村さんがそう言われたわけでは

ありません。

 

私の心の中からその返答が

「浮かび上がって来た」のです。

 

しかしそれは、私の「イメージ」でも「解釈」でも

ありません。

 

木村さんの真本音の意思を

私はダイレクトにキャッチしただけのことです。

 

これも「真本音コミュニケーション」の一つです。

 

そしてこれも、

私にだけできる特別な能力ではなく、

本来、私達人間すべてに備わっている

コミュニケーション能力の一つです。

 

私は心の中で、

「わかりました。

では、あなたの言う通りにしますね」と

お伝えし、その上で現実の木村さんにお伝えしました。

 

「木村さん、わかりました。

では、木村さんがプロのコーチになるために、

私は、どんなサポートをさせていただければよろしいですか?」

 

つづく

 

否定しなければ、次に進めない時がある

木村さんはフリーズしました。

(→前回記事)

 

恐らく、「自己犠牲」という言葉が

効いたのだと思います。

 

恐らく、その一言は、木村さんの真本音が

最も嫌う一言です。

それをダイレクトにぶち込まれたのです。

 

念のために申しておきます。

 

私はいつもこのようなダイレクトな言葉を投げ続けるような

コーチングをしているわけではありません。

前回記事でも書きましたが、

私はただ、相手の真本音に委ねているだけ、

乗っかっているだけです。

 

その結果、このようなダイレクトなやりとりが

行われました。

つまりそれは、

木村さんの真本音が望んでいるやりとりである

ということです。

 

しばらく木村さんは無言でしたが、

ようやく口を開きました。

少し口調が震えていました。

 

「私に、仕事の仕方を変えろと言われるのですか?」

 

この瞬間、私は

木村さんの真本音が「自分を一気に壊してほしい」

という非常に強い願いを抱いていることを

直観しました。

 

平井さんの時もそうでした。

この会社にいる人達は、潔い人が多いのかな、

と一瞬思いました。

が、次の瞬間、

私は木村さんのその願いにそのまま応えるかのような

やりとりを始めたのです。

 

真本音コミュニケーションの始まりです。

 

木村さんの真本音と、

私の真本音のコラボレーション。

それが、真本音コミュニケーションです。

 

この状態に入ると、

私はある意味、いつも観察者になります。

 

変な言い方ですが、

勝手に私は相手の真本音の望み通りに

動きます。

勝手に口が動き、勝手に言葉を喋るイメージです。

 

しかしそれは何かに取り憑かれてるのではなく

一つ一つのやりとりが確信に満ちています。

 

今はこの一言しかない、

と確信できる一言が私の口から出されます。

 

それを私は、客観的に眺めています。

 

我ながら凄いことを言うなぁ、とか

うわぁ、こんなキツいこと言っちゃって大丈夫かなぁ、とか

いろんなことを思いますが、

それらに関わらず、私は勝手にコーチングを進めます。

 

こんな風に書くと、

まるで超能力のように思う方もいらっしゃるかも

しれません。

それは、たけうちさんだからできることでしょ、と

思う人もいるかもしれません。

 

しかしそうではありません。

 

これが、私達すべての人間が持っている、

本来のコミュニケーションの力です。

 

真本音コミュニケーションという名前をつけているので、

それは特別なコミュニケーションの印象になってしまいますが、

決してそうではなく、

人と人が本当の意味で向き合えば、

誰と誰が行なっても、この状態に自然に入れます。

 

そして、共にこういった状態に入れる人に対して

人は「あぁこの人と一緒に進んでいきたい」と

本能レベルで思えるのです。

 

これが、真のラポールだと私は思います。

 

話をもとに戻します。

 

木村さんと私は真本音コミュニケーションに

入りました。

私は、木村さんを壊しにかかりました。

 

木村さんと壊す、と言っても

木村さんのすべてを壊すわけではありません。

「これまでの木村さんのパターン」を壊すのです。

 

「木村さんの真本音が望んでいないパターン」を

壊すのです。

 

「私に、仕事の仕方を変えろと言われるのですか?」

 

「いいえ、まったくそんなことは思っていません。

ただ、木村さんには、本当に木村さんが望む

仕事の仕方をしてもらいたいと思っています。」

 

「今の私は、本当に望む仕事の仕方をしていないと?」

 

「してますか?」

 

「・・・していません。」

 

ここで、彼は下をうつむき、とても悔しそうなお顔を

されました。

 

「悔しいです。

私は私の仕事の仕方にプライドを持ってやって

きました。

だから、本当に望む仕事の仕方ができている、と

ここで答えられるはずなのに、どうしてもそれができない。

私は、・・・。」

 

木村さんは、私の目をまっすぐに見ました。

 

「私は、今の私に納得していません。」

 

・・・これは完全に木村さんの真本音でした。

この一言を聴いて、危うく私は涙をこぼしそうに

なりました。

 

自然に、私の口から言葉が出ました。

 

「木村さん、

木村さんは、ある意味、平井さんにとって

最高の部下かもしれません。

平井さんのことを一番、理解しているのは

木村さんでしょう。

でもね、木村さん、

あなたが、平井チームのボトルネックなんですよ。」

 

この言葉を、彼はまっすぐに受け止めました。

真本音コミュニケーションだからこそ

できることです。

 

「あなたがボトルネックだということは、

誰かに言われたことではありません。

平井さんももちろん、そのようなことは一言も

言われていません。

でもね、私は確信するのです。

あなたが、平井チームの成長を阻害しています。

間違いありません。

あなたが本来のあなたの仕事の仕方を発揮することで、

平井チームは間違いなく脱皮します。

あなたがそれを止めているのです。」

 

すると、木村さんは驚くべきことを

言われました。

 

「・・・薄々、それはわかっていました。

私は意図的にそれをやっていたのかも

しれません。」

 

こういう時、私は、

人って、本当にすごいなぁ、と思うのです。

 

つづく