テーマ

これからの一本道のテーマは?

 

あなたは

海を見ている。

 

水平線の彼方から

今、

朝陽が昇った。

 

太陽の光が

赤く海を染めた。

 

陽が昇るにつれて、

あなたと太陽を

結ぶ

光の帯が海に映え、

 

それがやがて

一本道となった。

 

これから

新しい一日が

始まる。

 

新しい人生の

ステージが

始まる。

 

あなたと太陽を

結ぶ一本道は

 

本当の

一本道となった。

 

海の景色は

変わり、

 

あなたは

一本道に

佇んでいる。

 

あなたは

とても気持ちの良い

場所にいる。

 

その幸せを

存分に感じながら、

 

あなたの足元から

前に続く

その一本道に

 

名前を

つけてみよう。

 

その名前は、

これからのあなたの

人生の

テーマであれば、

尚のこと良い。

 

・・・・・・

 

私自身が上記を

行なったら、

 

とても意外な

名前が浮かんだ。

 

『慶を得る道』

 

だ。

 

喜び、ではなく、

慶、という文字が

浮かんだ。

 

珍しい。

 

しかも

私が何かをする

というよりも

私が「得る」ことが

大事だし、

 

その「得る」とは、

得るためにどうするか?

ということがテーマ

ではなく、

むしろ

「素直にいただく」

という意味らしい。

 

そう言えば、昨晩、

長年、共に歩んできた

ある社長さんと

食事をした。

 

バーに行って

一緒にお酒を飲んだが、

 

その会話の中で、

ちょっと俺、ここまで

がんばり過ぎたかな、

 

と思ったのだ。

 

ここまでの人生、

特に今の仕事を始めての

23年、

決して美しい道では

なかったが、

 

回り道ばかりだったが、

我ながら

本当によくがんばって

きたと思った。

 

こんな風に自分を

振り返るのは

ひょっとすると初めて

かも。

 

それだけ年を取って

しまったということかも

しれないが、

 

いや〜、しかし今も

本当に

日々、これだけ真剣に

生きているのは

我ながら

ちょっと凄いな、と

 

ひょっとすると

初めてこのように

自分を褒めたかもしれない。

 

まだまだこれから

やることは

いっぱいあるし、

 

むしろ

ここからが本番

なのだが、

 

ここから先は

「素直にいただく」

ことを

テーマにすると良いのだな、

思ったのだ。

 

そして今日、私は

その社長さんと

食事をしながら、

その社長さんから

ずっと

抱擁されているような

感覚になっていた。

 

もちろん

実際にそんなことは

ないのだが、

感覚、ね。

 

実に幸せな

時間だったのだが、

その幸せ感を

素直にいただく、

のが

これからの私の

テーマなのかな、と。

 

で、

浮かんだのが

『慶』

という文字。

 

私はこれからも

たくさん

皆様に私のできることを

ご提供するが、

 

皆様からも

たくさんの『慶』を

いただき、

それを素直に感じ、

私自身も慶に満ちることを

あえて

これからのテーマに

しよう、と、

 

そう思ったのだ。

 

もちろんこれまでも

「慶」は得ていたが、

これからは、

もっともっと

そこに身を委ねてみよう、と。

 

で、

がんばり過ぎないで

おこう、とも思った。

 

あと27年は

私は最速で進みたい

のだが、

 

最速で進むためには

がんばり過ぎないことが

これからは

大事だな、と。

 

「進め!」

よりも

「慶を得る」

の方が、

私は速く進めそうだ。

 

という風に

気づいたわけさ。

 

あなたの

これからの

一本道は

どうだい?

 

どんな

名前かな?

 

どんな

テーマかな?

 

つづく

 

世界が語ってくるもの

 

目を閉じて

静かにしている。

 

何もせずに

いる。

 

すると

自分の心の中が

ありありと

観えてくる。

 

心の一つ一つを

丁寧に

横に置いていく。

 

すると

心の中には

何もなくなった。

 

しかし実は

そうではない。

 

何もなくなった

ように見えて、

本当は

「すべてがある」

状態となる。

 

光と同じで、

「すべてがある」

と、

それは

無色透明となる。

 

実は心とは

焦点化に

過ぎない。

 

焦点を当てた

ところが

強調されて、

他から分離

される。

 

分離されたものを

自分の心だ

と、

私達は

認識しているに

過ぎない。

 

本当は

最初から、

すべてここにある

のだ。

 

まぁそれは

ともかくとして、

 

一つ一つの

分離されたものを

横に置き終えると、

 

心は

無色透明に

なり、

 

すると、

 

世界のざわめき

聴こえてくる。

 

森羅万象の

ざわめき

言えばよいだろうか。

 

私はいつも

このざわめきを

聴きながら、

 

世の中全体の

把握を

している。

 

自分の仕事の

影響力と

自分の仕事の

未熟さと

自分の仕事の

成長ぶりを

 

把握している。

 

そして、

明日からのテーマ

明らかにする。

 

世界のざわめき

は、

数年前に比べれば

随分と

静かになった。

 

それはそれで

良いことだが、

 

静かになるが故に

聴こえてくる

雑音もある。

 

それらを

聴きながら、

 

一つのテーマが

明確になった。

 

それをあえて

言葉で表現すれば、

 

『助けない』

 

となる。

 

もう、

助けるのは

やめよう。

 

明日から。

 

随分と

助けちゃった

かな。

 

助け過ぎちゃった

かな。

 

もうちょいと

あらゆることに

厳しく

関わることに

しよう。

 

つづく

 

人は、課題に取り組みたい生き物

どれだけ意識の次元が

上がったとしても、

私達の前には

次から次へと

「課題」が現れます。

 

こう書くと、

えぇ!そうなの?

次元上がれば何の悩みもなく

過ごせるんじゃないの?

・・・と思う人も

いらっしゃるかも知れません。

 

しかし私達人間は

「課題」のない日々を、

極度に嫌がります。

 

私達は平穏無事な日々を

望んでいますが、

いざ、それが手に入ってしまうと

途端につまらなくなり、

生きる気力そのものを

失います。

 

前に進まなくなる、

からです。

 

これまでも何度も

書かせていただいてますが、

私達すべての人間の

根本欲求(本能)の中心には

「進化への意欲」

があります。

 

進化とは

「次元を上がること」

です。

 

次元を上がる実感がなくなることを

私達は皆、

極度に嫌がります。

 

自転車の運転と同じで、

前に進めている時は

安定していますが、

止まってしまうと途端に

不安定になります。

 

それが、

人間という存在の

本質です。

 

ですから

私達の真本音は

私達自身に常に

「人生の課題」

を与えます。

 

その「課題」に取り組むことで、

進化スピードは

加速します。

 

その加速感が

さらなる安定を

もたらします。

 

最近の私はどうも

不安定だ。

 

最近の私は

調子が悪い。

 

最近の私は

モヤモヤが続いている。

 

・・・そんな感覚があれば、

 

今、私の真本音は

私自身にどんな課題を

与えているだろうか?

私はその課題に、

真摯に向き合っているだろうか?

 

・・・をチェックしてみてください。

 

真本音から与えられる

課題のことを私は単純に

 

『真本音の課題』

 

もしくは

 

『真本音のテーマ』

 

と呼んでいます。

 

真本音の課題に取り組むことは

人生の悦びです。

 

その課題の解決策が

まったく見えなくても、

暗中模索だったとしても、

その課題に向かっている

というその事実だけで、

私達は悦びを覚えるのです。

 

毎日に

張りが出ます。

 

毎日に

目的意識が芽生えます。

 

内側から

エネルギーが湧き続けます。

 

そして

すべてのことに自然に

感謝の念が湧いてきます。

 

ちなみに、

私の今の真本音の課題の一つは

「後継者育成」

です。

 

私と同じような役割で

私と同じような力を持ち、

私と同じように人や組織を

サポートできる人を

世の中に増やしていくこと

です。

 

この課題に気づき

取り組み始めたのが2015年

です。

 

そこから、

様々な人と出会うことが

できました。

 

まだまだ少人数ですが、

私の人生の展開を大きく

変化させた大切な出会い

ばかりです。

 

このブログも、

出会いのきっかけとなるといいな、

との想いから

始めました。

 

昨年の8月7日にスタート

しましたが、

まだ一日たりとも、

休んでいません。

 

記事の書き溜めは

しません。

 

必ず毎日一記事ずつ

書いています。

 

その方針も自分で

決めました。

 

それが、出会いを助長してくれると

何となく思うからです。

 

実は最近、

一週間ほど39度の熱が

続いていました。

 

そうなると一記事を書くのに

4〜6時間かかります。

 

しかしどれだけ

体調がヒョロヒョロでも

その分のパワーは

必ず湧いてくるので

人間というのは

不思議なものですね。

 

真本音の課題は

私達に

根源的なパワーを

与えてくれます。

 

あなたの今の

真本音の課題とは、

何でしょうか?

 

つづく

 

現実逃避に真剣になっている人がいる

「前芝さんの人生のテーマ、

真本音のテーマとは何でしょう?」

 

との問いに、木村さんと弓江さんは

ほぼ同時に

 

「彼に、それがあるとは

思えません。」

 

と答えました。

(→前回記事)

 

弓江さんが言います。

 

「真本音がない人というのは

いるのでしょうか?」

 

「それはないですね。

真本音がなければ、人間として

ここに存在すること自体ができません。」

 

「でも、真本音のテーマ、と問われて

わかったのですが、

彼から真本音をまったく感じないのです。」

 

木村さんも頷いています。

 

「それは恐らく、

真本音が反応本音の中に完全に

埋もれてしまっているのでしょう。

それだけ彼の状態や

これまでの生き方が

彼にとって良くないということですね。」

 

私は前芝さんの「実在」に意識を

向けました。

 

完全に埋もれてしまっている真本音でも

確かに存在はするのです。

 

しばらくじっと彼の「実在」に意識を

向け続けていると、

何となく、彼の真本音のテーマが

伝わって来ました。

 

「前芝さんの実在から直観的に

わかった彼の真本音のテーマですが、

それは恐らく、

”純粋に人をリードする”

だと思います。」

 

「リード、ですか!」

と、二人はびっくり。

 

「今の彼と真逆ですね。」

 

「だから真本音が隠れてしまった

のでしょうね。」

 

「ということは、彼の真本音度合いは

今はかなり低いということですね?」

 

「そうです。

低いです。」

 

「ということは、

彼が要(かなめ)になるということは

あり得ないということですね?」

 

「いえ、そうとも限りません。

真本音度合いの低い人が

真本音度合いを高めることで、

一気に開花し、

組織の要となって大活躍した、

という例がいくつかはあります。

反動が大きい分、影響も大きいのです。

ただし、それはあくまでも

稀なケースですが。」

 

すると、

木村さんが言いました。

 

「たけうちさん、

埋もれてしまっている彼の真本音を

掘り起こすことはできるのでしょうか?」

 

「それはもちろんできますよ。

ただし、どれだけ時間がかかるかは

未知数です。」

 

真本音が完全に埋もれてしまっている人

というのは、実は結構います。

そういった人は皆、

「現実逃避」

に入ります。

 

変な表現ですが、

「現実逃避に真剣になる」

のです。

 

そうなるともう、

自ら真本音度合いをどんどん

落としていくことになります。

 

ただし前芝さんの場合は、

まだそこまでのひどさは感じませんでした。

 

彼の場合はまだ、

ある程度の刺激によって

真本音が顔を覗かせそうです。

 

しかし、どのような刺激を

入れれば良いか?については

直接お会いしなければわかりません。

 

私はもう一つ、

お二人に訊きました。

 

「前芝さんの本来の個性、

天性の個性、

先天的な個性

は何だと思いますか?」

 

つづく

 

人生のテーマからずれた生き方は、人を疲弊させる

「弓江さん、

日下部さんの人生のテーマは

何だと思います?

彼は、どんなテーマに向かって

生きていくことが、

彼自身の喜びであり、真の成長に

つながるでしょうか?」

 

この唐突な問いに、

弓江さんは目を白黒させました。

(→前回記事)

 

しかしさすがに弓江さん。

私の唐突な問いにも慣れてきたようです。

 

私が問う、ということは、

その人から今、答えが出る、という

確信を持った上での投げかけです。

どれだけ唐突に感じる問いでも、

必ず答えが出るはずだ、

・・・と、

弓江さんは信じられるようになったようです。

 

彼女は、一度目を閉じてから、

心を落ち着かせ、

すぐに答えました。

 

「ちょっと意味不明なのですが、

“夢”という言葉が浮かんできます。

夢に向かう、ということでしょうか。」

 

それを聴いて、私はピンと来ました。

 

「日下部さんという人は、

探究心が旺盛な方ですか?」

 

「あっ、そうですね。

それは言えると思います。」

 

「夢に向かう、ということよりも、

“夢の探究”ということではないでしょうか?」

 

「“夢の探究”・・・。

それは、どういうことでしょうか?」

 

「日下部さんは、恐らく、

物事の本質を突き詰めることに

喜びを感じる人だと思うのです。

ですから例えば、

夢とは何だろうか?

とか、

我々のチームは、どのような夢を持つことで

活性化するだろうか?

とか、

少し客観的に、夢というものを

突き詰めていく。

そんなテーマを持っている人のような

気がします。」

 

「それは、単純に自分の夢に向かいたい!

というのとは少し違うのですね。」

 

「そうですね。

彼からは、客観性を感じます。

客観的になればなるほど、彼は力を発揮する

のではないでしょうか?」

 

「あぁなるほど! それは確かに言えます。

彼はいつも、参謀的な立場に立つと

いつもイキイキしていたように思います。

ということは、彼は今、

客観的になれていないのかな?」

 

「その可能性はありますね。

チームのメンバーが半分になってしまった

からなのか、それとも

他の何かしらの理由があるのか。

それはわかりませんが、

今の彼の心の立ち位置は、本来の彼のものとは

異なっている可能性はありますね。」

 

すると木村さんが

口を開きました。

 

「あぁ、何となく、すごく腑に落ちます。

彼には今、このチームの未来が

見えなくなってしまっているのかな?

ひょっとすると、売上云々のことだけでなく、

もっとチームの未来について、

我々は語り合った方が良いのかもしれません。」

 

「それは良いですね!

あとは単純に、日下部さんに、

このチームは、どんな夢に向かっていけば

良いと思う?

・・・という問いを投げ続けるのも

彼の活性化につながるかもしれません。」

 

ここまでお話しできた時点で、

私の中に「完了感」が湧いて来ました。

 

日下部さんに関しては、

ここまでの語り合いでOK、という

真本音レベルでの合図です。

 

あとは、実際に日下部さんとお会いして

そこで何を感じるか?を

大切にすればよいでしょう。

 

日下部さんについて、

この二人コーチングの場で見えて来た

仮説としては、

まとめると、以下のようになります。

 

・・・・・・

日下部さんはどうやら、

チームのメンバーが半分に減らされた辺りから、

真本音度合いを落としているらしい。

具体的には、

物事に対して逃げ腰になり、

助けを求めるような精神状態にありそうだ。

そうなってしまった根本的原因として考えられるのは、

彼自身の真本音のテーマである

『夢を探究する』

という意識が、薄れてしまっている状態であり、

彼自身の特性としての、

『客観的な視点を持つ』

という本来の立ち位置から

今の彼はズレてしまっているから。

・・・・・・

 

これはあくまでも仮説です。

しかし、彼の「実在」を感じ取った上での仮説

ですから、

彼と向き合う上での一つの重要な視点には

なるでしょう。

 

あとは実際に彼と向き合うことで、

見えてくることは多いと思いますし、

その視点から彼と向き合うことで、

彼がチームにとっての「要」となり得るかどうか?が

判別できるはずだと、私は読みました。

 

つづく

 

ほんの些細な変化の奥にこそ、何かがある

「ところで弓江さん。

日下部さんは、何かから逃げているようにも

私は感じるのですが、

心当たりはありませんか?」

 

「どうしてわかるんですか?」

 

弓江さんはまた同じセリフを

吐きました。

(→前回記事)

 

「今、たけうちさんから『逃げている』という

言葉を聴いて、あぁなんかぴったりだ、

と思いました。

最近の彼は、確かに逃げている感じが

します。」

 

「どんな時にそれを感じますか?」

 

「これもちょっとしたやりとりの中で

感じることですが。

仕事の役割分担の打合せをする時などに

何となく、逃げ腰なんですよね。

木村リーダーは感じません?」

 

木村さんが答えます。

 

「確かにそうですね。

ちょっと前まで彼はもっと積極的だったと

思うんだけどなぁ。

私が指示を出せば、もちろんそれは

きっちりとやってくれるんですが、

何と言うか、・・・あっそうそう、

覇気がないんですよ。」

 

「それはいつ頃からですか?

最近ですか?」

 

「そうそう、最近ですね。

やはりプロジェクトメンバーが半分に

減らされた後からかなぁ・・・。」

 

「と言うことは、彼は、

メンバーが半分になってから、

何となく逃げ腰になり、しかも

助けを求めているような雰囲気になった、

と・・・。」

 

「あからさまに彼の態度が変わった

と言うのではありません。

ほんのちょっとした感覚に過ぎないですが、

そのような変化は確かにありますね。

どうしたんだろう? 彼は。」

 

ここでも私は、

日下部さんの変化には、

プロジェクトのメンバーが半分に減ってしまった

ということ以外にも原因があるように

直観しました。

 

いずれにしても、

日下部さんの「実在」からは

淀みを感じます。

 

するとここで突然、

弓江さんが呟きました。

 

「たけうちさん、

日下部の真本音は何でしょうか?」

 

私は内心、

おっ!、と思いました。

 

「どうしたのですか?」

 

「いえ、ふと気になったんです。

彼は今、自分の真本音を大切に

できているんだろうか?って。」

 

実は、どうやら日下部さんは

最近になって、真本音度合いが

著しく落ちているのではないか?ということを

私も感じたのです。

私がそう感じたのとほぼ同時の、

弓江さんのその一言でした。

 

どうやら弓江さんも

日下部さんの「実在」を感じ取り始めている

ようです。

もっとも、弓江さん本人に

その自覚はないでしょうが。

 

そうなると、このやり取りは

さらに一歩深めることができます。

 

私はさらに一歩深い問いを

弓江さんに投げてみました。

 

「弓江さん、

日下部さんの人生のテーマは

何だと思います?

彼は、どんなテーマに向かって

生きていくことが、

彼自身の喜びであり、真の成長に

つながるでしょうか?」

 

この唐突な問いに、

弓江さんは目を白黒させました。

 

つづく