孤独

孤独の復活

 

昔から

一人の時間が

好きで、

 

20代初頭は、

一人で山に

入り、

ずっと孤独の時間を

過ごしたりしていた。

 

誰もいない。

 

今ここで

もし自分が死んだら、

誰も気づいて

くれないのだな、

という

あの異様な雰囲気。

 

今から考えると

ちょっと

懐かしい。

 

一人になると

もう

孤独だった。

 

一人=孤独

だった。

 

今は

違う。

 

今でも

たった一人に

なったり、

 

周りをすべて

シャットダウンして

自分の心の中に

閉じ籠ることも

ある。

 

あえて

そうするのだが、

 

しかしそれでも

孤独

にはならない。

 

なれない。

 

一人になれば

なるほど、

すべて

とのつながりを

感じてしまうから。

 

しまうから、

という表現も

変なものだが。

 

つながりを

感じるのは

もちろん幸せな

ことだ。

 

ずっと

心の深奥では

満ち足りている。

 

不安になる

ことがない。

 

もちろん

心の表面に

様々な不安は

ある。

 

しかし

それらの心達を

やさしく見守るだけの

ゆとりが

常にある。

 

すべてと

つながっていると

わかるから。

 

で、

時々

その「つながり」

そのものを

シャットダウンする

ことも

できるようになった。

 

そうすると

孤独を

感じられる。

 

ゆとりが

できたからこそ

思えることなのだが、

 

孤独もやはり

一つの

人間らしさだ。

 

時々

孤独を感じることで

逆に

自分を取り戻す

こともできるだろう。

 

当然、

昔の孤独と

今感じる孤独は

違う。

 

昔は本当の

孤独なので

深刻だったが、

今は

孤独そのものを

味わえる。

 

でも

本当の孤独

であることに

違いはない。

 

人間遊び、

か?

 

いや、

遊びではない。

 

やはり

本物の孤独

だ。

でも、

やさしく感じられる。

 

山には行けないが、

山と同じ

空間

は、

いつでも創り出せる。

自分のために。

 

すべて、

セルフコーチングを

探究し続けた

成果だ。

 

つづく

 

恐怖

 

人には皆、

孤独がある。

 

それは

そうだろう。

 

私達は

「個人」として

あらゆる存在から

分離している。

 

「私」とは

私一人である。

 

この分離感の

世界において

孤独を感じない

人はいない。

 

だから皆、

心の奥では

孤独だ。

 

そしてまた

その孤独感が

浮上するのを

極度に恐れる。

 

孤独感から

逃れるための

あらゆる

自己防衛を

行ないながら生きる。

 

ひょっとすると

孤独への恐怖

ほど

強いものはないかも

しれない。

 

と、

私自身も含め、

多くの人達と向き合う

人生の中で

私はよく感じた。

 

私は

孤独である。

 

感じている

事実がある。

 

この事実と

どう対峙するか?

人生の多くは

決まるようだ。

 

可能であれば、

孤独感と

その孤独を

恐れる心のすべてと

 

向き合いきる

 

ことができると

良い。

 

それが成される

ことでしか、

さらにその奥に

存在している

真の自分は

浮上しないから。

 

孤独を感じる

自分の存在は

事実ではあるが、

それは

幻影でもある、

という

事実もある。

 

とはいえ、

私は孤独である

と感じるのは

幻影である、

などと

思ってはならない。

 

それは

事実だから。

 

幻影だという

認識は

現実逃避となり、

結果、

真の自分は

遠のく。

 

事実は事実として

受け止める

のが

すべての基本。

 

事実は事実として

受け止める

のが

自分と向き合う

基本。

 

私は孤独だな。

 

つくづく

実感してみよう。

 

そこに

真の恐怖を感じる

ならば、

 

もう少しだ。

 

そういう人は

がんばって

その恐怖と

向き合い続けると

いい。

 

つづく

 

孤独

 

あぁ、やっと

あなたのことが

ちょっとわかったよ。

 

あなたは

孤独であることを

選んでいたんだね。

 

いやこれは

真本音のレベルでの

話だ。

 

真本音で

孤独を

選んでいるんだね。

 

そうか、

だから皆が

あなたに関わろうと

すると、

 

あなたは

反発を起こしたのか。

 

なぜ、

これだけ器の大きな

あなたが

あんなにも

激しく憤るのかが

ずっと

不思議だったんだよ。

 

そうか、

あなたは

人と繋がることを

この人生では

選んでいないのか。

 

もちろん、

本当はずっと

繋がり合って

生きていることは

あなた自身が

誰よりもよく

わかっているね。

 

あなたのその

根底のあたたかさは

だから

いつもあなたと

共にある。

 

それを

わかっているから

こそ、

あなたは

一人で進もうとしている。

 

イメージで言えば、

垂直の岩の壁を

一人で登攀している

あなたの姿が

観えるよ。

 

その壁は

もうすぐ終わる。

 

もうすぐ

頂上だ。

 

そうか、

そこまであなたは

一人で。

 

孤独のままで

行きたかったのか。

 

これは

あなた自身が

あなたに与えた

罰なのか?

 

いや違うな。

 

これは

あなた自身が

あなたに与えた

悦びだ。

 

孤独であることの

悦びを

あなたは体験しようと

している。

 

それこそが

また

人間の悦びの

一つであることを

 

あなたは

自ら体験したかったん

だな。

 

そしてあなたは

多くの

孤独な人達を

サポートしようと

している。

 

残りの人生、

 

あなたは

それを

したかったのか。

 

つづく

 

孤独からの解放

 

誰の中にも

「孤独」

はある。

 

ない人は

いない。

 

コーチングなどの

サポートを

継続的にさせて

いただき、

 

真本音度合いが

高まり続けると、

 

ある時に

そのクライアントさんの

心の奥の奥の奥に

潜んでいた

その「孤独」が

 

私の方に

移ってくる。

 

それはつまり、

その人の中から

「孤独」が解放された、

 

いや、

 

その人が

その人の「孤独」から

解放された、

 

ということだ。

 

そこから

そのクライアントさんの

新たな人生が

始まる。

 

これまでは

「孤独」が表出するのを

恐れる人生。

 

これからは

「孤独」が満たされ

「願い」に向かう人生。

 

もちろん「願い」は

その人の中には

ずっと在り続けたが、

 

その「孤独」が

「願い」の開放を

阻害していたのだ。

 

そう。

 

「孤独」を満たすのは

誰でもない、

その人自身だ。

 

その人自身の

生き方だ。

 

真本音に素直に

生きることで

それは満たされる。

 

満たされれば、

その「孤独」を

その人は手放す。

 

私はそれを

受け取って

帰ってくる。

 

「孤独」とは

恐らく、

私達人間の恐れる

最大級の恐怖だ。

 

だからそれを

あるがままに観る

こと自体が

至難の業だ。

 

だから

孤独への恐怖が

その人の人生を

翻弄する。

 

翻弄される人生

から

抜け出すたった一つの

方法が、

 

自分の本当に望む

生き方を

貫くことだ。

 

だからその「生き方」

とは

その人自身の

真本音でなければ

もたない。

 

その人の

真本音の光が

その人の

孤独を解消する。

 

私達はみんな

孤独だが、

 

でも実は

本当は

そうではない、

 

ということを

自らの真本音が

教えてくれるんだ。

 

つづく

 

孤独なのがわかるかい

 

一人でいるのは

怖いかい?

 

でも、この世は

皆、

分離している。

 

一人の体の中には、

その人の心

しかない。

 

他者の心と

自分の心は

別物だ。

 

他者の体と

自分の体も

別物だ。

 

だから私達は

皆、

どこかでその

孤独さを

噛み締めている。

 

孤独だということを

誰もが

どこかで

わかっている。

 

だから

孤独であるという

事実から

逃げよう逃げようと

する人も多い。

 

それが

3次元のこの世

の特徴だ。

 

・・・・・・

 

この世で生きている

のが私達。

 

そこに意味が

あるのなら、

 

ちゃんとこの世界を

感じ取ろう。

 

そのために

とても大事なのは、

 

自分の中にある

孤独感と

対峙することだ。

 

孤独という

事実を

見つめることだ。

 

・・・・・・

 

イメージしてほしい。

 

何もない世界に

たった一人、

 

あなたは

ポツンと

立っている。

 

周りには

何もなく、

グレーの世界だ。

 

そこには

あなたしか

いない。

 

その孤独感を

しっかりと

感じ取るんだ。

 

そこには

悲しみとか

怒りとか

寂しさとか

 

そういったものは

実は

ない。

 

それを感じるので

あれば、

まだ

孤独の感じ方が

浅いかな。

 

もっとちゃんと

孤独を感じれば、

 

それは単なる

 

「虚無」

 

だとわかる。

 

そう。

 

私達が怖い

のは、

この「虚無」

なんだ。

 

・・・・・・

 

「虚無」がわかったら、

今度はそれと

対峙してみよう。

 

「虚無」と

向き合うのだ。

 

どうしてそんなことを

わざわざするんだ?

思うなかれ。

 

わざわざ

するのではない。

 

私達は皆、

毎日、毎時間、

毎秒、

この「虚無」を感じながら

生きているんだ。

 

その自覚を

することだ。

 

しっかりと

「虚無」と向き合えば、

変な言い方だが、

何となく

懐かしさを感じる

はずだ。

 

それほど

私達と「虚無」の

関係性は

深い。

 

・・・・・・

 

「虚無」を無くそうと

してはならない。

 

それは

ずっとここに

あるものだから。

 

それが

この世の掟だから。

 

これを持つことで

私達には

初めて得られるものが

あるから。

 

「虚無」を見つめ、

「虚無」を自覚し、

 

まぁ

これがあるのが

人間なんだな。

 

と、

いい意味で

諦めること。

 

つまりは

「虚無の存在承認」

だ。

 

これをすると

初めて私達は

外の世界を

「満喫」

できるようになる。

 

自分とは別の

存在達。

 

それらの

「存在感」を

直に感じ取ることが

できるようになり、

 

そこで初めて

「孤独」に

呑まれなくなる。

 

そして、

あらゆるものの

存在感を得ながら、

 

人としての

幸せ感も

得られるようになる。

 

感謝の気持ちも

湧いてくるだろう。

 

面白いものだ。

 

虚無から逃げ、

孤独から逃げれば、

 

いつも

孤独に怯え

幸せ感を

失う。

 

しかし、

虚無と対峙し、

孤独を受け入れれば、

 

人として

幸せ感が

明らかに増していくのだ。

 

これこそが

私達人間。

 

「あるがまま」

受け入れれば

受け入れるほど、

 

私達は

強くなる。

 

つづく

 

本当のつながりを育てよう

 

人と人は

つながっている。

 

・・・なんて、

最近、よく

言われるように

なった。

 

とても

喜ばしいことだ。

 

企業でも

「つながり」

という言葉を

よく聴くように

なった。

 

私達は誰もが

つながりを

欲している。

 

時々、

「私は孤独がいい」

という変わり者も

いるが、

普通の人は

孤独な人生よりも

量はともかくとして、

本当の意味で

つながりを感じられる

人が

一人でもいれば

心は安らぐ。

 

ただし、

そういった風潮の中で、

安直なつながりが

増えてしまった

という事実も

確かにある。

 

「私達、

つながってます」

自己満足し合う

関係。

 

これも

増えている

気がする。

 

・・・・・・

 

自己満足の

つながりは、

はっきり言って

虚しい。

 

本当は

つながっていない

ということを

本人達が

一番よく

わかっている。

 

しかし

一人なのは不安

なので、

自己満足でも何でも

つながりを

増やそうとする。

 

残念ながら、

これも

「現実逃避」

の一種だ。

 

現実逃避を

すれば、

真本音度合いは

下がる。

 

つまり

私達の心は

苦しみを

増していく。

 

つながりを

増やせば増やすほど

苦しみが

増していく。

 

それはまるで、

大都会の

人混みの中で

孤独を感じる、

あの感覚に

似ている。

 

・・・・・・

 

本当に今、

私が

つながりたいのは

誰か?

 

この問いと

真正面から

向き合ってみよう。

 

そして

その答えがわかれば、

その人のことを

とことん

考えよう。

 

オススメは、

その人が

今ここにいる

イメージをしよう。

 

そしてイメージである

その人に

真剣に意識を

向け続けよう。

 

実は、

はっきりくっきりと

イメージができた場合は、

それはすでに

イメージ(幻影)ではなく、

「実在」

である。

 

その「実在」に

真剣に意識を

向けてみよう。

 

その人の「実在」から

自分へ

何が伝わって

来るだろうか?

 

そして自分は

何を感じ、

 

その人に対して、

何をしたいと

思うだろうか?

 

何を今、

すべきだと

思うだろうか?

 

自然に出る

その答えに、

素直に行動

してみよう。

 

実はこれ。

 

私が毎日

行なっていること

である。

 

私は、

次の日にお会いする

すべての人の

「実在」を感じ、

すでに前の日に

一人一人と

コミュニケーションを

取ってしまうのだ。

 

その上で、

次の日に

実際にその人達に

会う。

 

すると、

すべてが

調和する。

 

これを私は

「実在コミュニケーション」

と呼んでいるが、

 

この力を持ち、

この力を使いこなす

人のことを

「コーチ」

と呼んでいる。

 

・セルフコーチング

・実在コミュニケーション

・実際のコーチング

 

それらすべての

力を持って初めて

「コーチ」だ

というのが

私の考えだ。

 

こういったコーチを

私は

増やしていきたい。

 

つづく

 

たった一人しかいなくても

 

あなたは

たった一人。

 

他は

誰もいない。

 

広く

永遠に続く

大地に

一人。

 

孤独。

 

そんな

不安な中でも、

 

それでも

あなたが

進みたい道とは

何ですか?

 

周りに誰も

理解者が

いなくても、

 

それでも

あなたが

切り拓きたい

道とは

何ですか?

 

いや・・・、

 

孤独な道は

私は進みたく

ない。

 

人の協力を

得られない道で

あれば、

私が進むことは

ない。

 

・・・と、

あなたは

思っているかも

しれませんが、

 

いえ、

あなたの中には

間違いなく、

 

たった一人でも

進みたい道が

 

存在して

います。

 

たった一人でも

その道を

行く。

 

そんな覚悟を

 

あなたは

生まれながらにして

持ち合わせて

います。

 

そこにそろそろ

気づけると

よいですね。

 

誰しもが

孤独は

いやですから、

 

というよりも、

私達のあらゆる

恐れの

根元には、

 

孤独への

恐れ

 

がありますから、

そんなことは

考えたくも

ないかも

しれません。

 

しかし

最も根源的な

恐れに

立ち向かって

までも、

 

進みたい道が

 

あなたの

中心には

確かに

存在している

はずです。

 

そろそろ

そこに

目を向ける

ときですね。

 

一人でも

進もう、

 

とする覚悟。

 

それは

あなたの

存在意義そのもの

でもあります。

 

そこを

しっかり

自覚し、

 

その想いと

願いを

しっかりと

抱き、

 

たった一人でも

歩き始めた

その時にこそ、

 

あなたの

本当の仲間、

 

ファミリー達は

 

あなたの

人生に

現れるのです。

 

あなたには

仲間が、

ファミリーが

います。

 

しかし

彼らは、

 

あなたが

たった一人でも

進もうとする

 

その

尊い意志にこそ

共鳴

するのです。

 

つづく

 

本来の力を思い出そう

 

昔の私は

ずっと孤独でした。

 

いえ、

楽しい友人もいましたし、

楽しめる趣味も

ありましたし、

仕事も充実して

いました。

 

でも、

自分のことは

結局は

誰一人として理解して

くれていない、

 

理解できる

はずがない。

 

それが真実であり、

それが人生であり、

それがこの世の中である、

と、ある意味

まったく疑いなく

信じていました。

 

恐らくここが、

私の苦しみの人生の

原点だったような

気がします。

 

しかしそんな私が

本当に今から考えると

なぜ?

と思えますが、

人と向き合うお仕事に

就くことになりました。

 

もちろん

そこに至るまでのストーリーは

あるのですが、

そのストーリーがどうこう

よりも、

やはりこれは、

私がもともと真本音で

決めていた道だったのだなと

思います。

 

孤独感という根底を

持った私が

毎日、必死に

私以外の人々、つまり他人と

向き合い続けました。

 

その結果、私は

向き合い続けた

すべての人達から

どんどんパワーをいただけ、

自らの真本音度合いを高め、

そして次元を

高めることができました。

 

そしてある時に、

本当は自分は孤独では

なかったと、

あまりに強烈に

知ることになりました。

 

しかしそこに至るまでには

本当のことを言えば、

13、4年かかったのです。

 

つまり、

私が自分が孤独ではない、

と本当の意味で

実感できたのは

ほんの8年前です。

 

・・・・・・

 

それは忘れもしない

2010年のある企業様での

研修の最中。

 

私は自分が講義をしている

その中で、

突如として

『実在』

を感じ取れるように

なりました。

 

恐らくその時、その研修では

20数名の方が

いらっしゃったと思いますが、

その瞬間、

私はまるでそこに

何千人もの人がいるような

感覚を得たのです。

 

しかもそれは

「気のせいかも」

というレベルのものではなく、

あまりにも

鮮烈で、

目の前にあるこの「現実」

の方が、

淡く儚く、まるで幻影のように

観えるくらいでした。

 

私が今、

「実在」と「現象」という

言葉を使い、

「現実」のことを「現象」と

表現するのは、

この時の体験からです。

 

・・・・・・

 

今、私は

仕事部屋で一人で仕事を

していますが、

 

私は一人では

ありません。

 

それはそういった

イメージをしているのでは

ありません。

 

本当に一人では

ないのです。

 

それは

「実在」です。

 

例えば、

明日コーチングをする予定の

人達。

 

その人達は、

今、ここにいます。

 

私は、

その人達を感じ取り、

その人たちと対話をしながら、

明日のコーチングの準備を

進めます。

 

何度も言いますが、

それはイメージでも

仮説でも、解釈でも

ありません。

 

「実在」です。

 

このように書くと

危ない世界だな、と

思われるかもしれませんし、

それはたけうちさんの

特殊能力でしょ、

と思われるかもしれません。

 

いえいえ、

決してそうでは

ありません。

 

ちょっと

心のチャンネルの変えれば、

誰もが「実在」は

そのまま感じ取れます。

 

これは

特殊能力ではなく、

私達人間がもともと

持っている力であり、

「得意分野」です。

 

でも忘れて

しまっています、

この現代時社会においては。

 

忘れざるを得ない

毎日を

皆さんは送ってしまって

いるのですね。

 

・・・・・・

 

私達が

当たり前のように

発揮してもよい能力。

 

その一つが、

「実在」を感知する力

であると

私は思っています。

 

そしてその力を

思い出すことは、

そんなに難しいことではない、

ということも

わかるようになりました。

 

例えばもし、

「実在」を感知しながら

ビジネスができたら、

そのビジネスは

どれだけ世の中を

幸せにできるでしょうか。

 

私の周りでは

それがどんどん

実現していますが、

私はそれを

もっともっと

私の周り以外にも

広げていきたいですね。

 

つづく

 

自分の答えに素直に生きよう

結局、

誰も私のことなど、

わかってはくれない。

 

私のことを

唯一わかっているのは

私だけだ。

 

私の理解者など

一人もいない。

 

どうせ私は

孤独だ。

 

・・・本当に

そうでしょうか?

 

本当に人は

孤独でしょうか?

 

本当に自分を

理解してくれる人は

いないのでしょうか?

 

自分のことを

実は

一番わかっていないのは

自分自身である、

ということは

ないでしょうか?

 

自慢にも何も

なりませんが、

以前の私は

本当に孤独でした。

 

家族といても

孤独でした。

 

誰もわかってくれないなら、

もういいや。

わかってもらう

必要はない。

 

そのようにいつも

絶望し、

その絶望を

隠しながら

生きていた気がします。

 

ところが。

 

今はどうでしょうか。

 

今日ふと

思ったのです。

 

今、私の周りにいる

人達は、

私以上に

私のことをわかって

くれている人ばかりでは

ないか、と。

 

私の中から

孤独感は、

きれいさっぱりに

消えてしまっています。

 

いったい、

いつからこんな状態に

なったんだろう?

 

なんでこんなに

満たされいるのだろう?

 

と不思議に

思います。

 

毎日お会いする

人達の顔を

思い出すだけで、

胸がキュキューッと

幸せになります。

 

まるで

恋愛をしているかのような

感覚。

 

なんで

こんなに私は

幸せなのだろうか?

 

そう思ったのです。

 

でも

そう言いながらも、

理由は

私自身が一番よく

わかっています。

 

私自身が

真本音で生きている

からです。

 

真本音で生きる

とは、

このような現実を

創り出すものなのだ、

という驚嘆を

実は一番感じているのは

私自身なのかも

しれません。

 

・・・・・・

 

こんな風に書くと、

いいなぁ、たけうちさんは、

思うかもしれません。

 

でも

真本音で生きる、

なんてことは

誰でもできるんです。

人間であるならば。

 

というか、

人としての最も

自然な生き方であり、

最も楽な生き方が

真本音で生きる

ということなのです。

 

いまだに本当に

思うのです。

 

私ほど、

反応本音のひどかった人間は

いないなぁ、と。

 

お仕事上、

本当にありとあらゆる人達と

出会います。

 

面倒な人も

いっぱいいます。

 

でも、

どんな人と向き合っても

いつも思うのです。

 

あぁこの人は

以前の私よりは

よっぽどましだ、と。

 

だからこの人も、

必ず真本音で生きることが

できるはずだ、と。

 

その私の確信が、

クライアントさんに伝わる

からかもしれませんが、

私のクライアントさんは皆、

真本音度合いを

高めていきます。

 

ただし、

それは私が

高めているのは

ありません。

 

私が行なっているのは、

つまるところ、

その人に合った

セルフコーチングの手法を

お伝えしているだけのこと

のように

思えるのです。

 

極端に言うと。

 

・・・・・・

 

セルフコーチング。

 

結局、

自分を変えることが

できるのは、

自分だけです。

 

孤独でしかなかった私が

なぜ今、

こんなに満たされているのか?

と言えば、

私は私を本気で変えよう

としたからだと思います。

 

そのために

真本音で生きることに

躊躇はありませんでした。

 

まるで他人のように

自分と向き合い、

自分に問い、

答えを待ち、

答えが浮かび上がった時に、

時にはその答えに

衝撃を受けたりも

しました。

 

これが私の

答えか・・・、と。

 

その答えの通りに

動くことに

かなりの勇気を

要することも

ありました。

 

でも私は恐らく、

ほぼ100%、

自分の答えを

実践してきたと思います。

 

その結果が

今です。

 

そして今は、

どんな答えが出ても

へっちゃらで

その答えに素直に

行きます。

 

それがどれだけ

刺激的で面白いことかを

身をもって

実感しているからです。

 

今の私の生き方に

難しいことは

一つもありません。

 

自分の真本音に

素直に次の一歩を

決める。

 

・・・それだけのことです。

 

セルフコーチングとは

要するに、

それだけのことをする

ためだけのもの。

 

あまりに

シンプルなゴール。

 

でも

シンプルであるが故に

難しいのかも

しれませんね。

 

昨日までの記事の

続きを書こうと思って

いたのですが、

ちょっと脱線してしまいました。

 

明日は昨日の

続きを書こうかな、と

今は思っています。笑

 

つづく

 

今、ここにいないでしょ

自分のことしか

考えない人は、

自分が今ここにいることに対して、

いったいどれだけ周りから

様々な力をいただいているか?

ということを

まったく気づけないままに

生きることになります。

 

自分のことを

わかっているのは、

自分だけ。

 

誰も自分のことを

理解してくれない。

 

理解しようとも

してくれない。

 

ひょっとするとそれは

事実かも知れません。

 

しかしその事実を

創り出しているのは

自分自身であるという

事実もあり、

もしそこに本当に気づけたら

その人はもう8割くらいは

そこから抜け出せたと

言えるでしょう。

 

自分の孤独を

創り出していたのは、

実は自分自身であった。

 

そして、

自分の現実を

創り出していたのは、

実は自分自身であった。

 

この単純な事実を

もしほとんどの人が

腑に落とすことができたら、

それだけで

世の中は変わると

思うのです。

 

ところが。

 

ご承知の通り、

そう簡単にはいかないのが

現実でもあります。

 

ここで、

ちょっと視点を

変えて。・・・

 

「あなたは今、

どこにいますか?」

 

と問われて、

あなたは何と

答えますか?

 

時たまですが、

私は突然クライアントさんに

そのように問うことが

あります。

 

多くの人は

 

「ここにいます」

 

と答えます。

 

でも本当に

そうでしょうか?

 

次の問いを

真摯に受け取って

みてください。

 

その上で、

自然に浮かぶ答えを

自分の中から

聴いてみてください。

 

「あなたは今、

本当に、ここにいますか?」

 

どうでしょう?

 

どんな答えが

浮上しますか?

 

やはり、

「ここにいます」

という答えですか?

 

もし

「ここにいます」

という答えでしたら、

次の問いを

自分に投げてください。

 

「本当に本当に

ここにいますか?」

 

そして、

 

「本当は

どこにいますか?」

 

と。

 

なんでこんなことを

書くかと言いますと、

今、「ここにいる」人が

極度に減っているからです。

 

これは

ここ2〜3週間の

傾向です。

 

私の印象では、

ほぼ、すべての人が

どこかに行ってしまっている。

 

ここに、

心と体はあるけれど、

魂が

どっかに行ってしまっている

のです。

 

もう一度、

このように問うて

ください。

 

「今、私は本当は

どこにいるのだろうか?

どうして、

そこにいるのだろうか?」

 

ここにいないことを

決して悪いことだと

思わないでください。

 

意味があって

あえて、

ここにいないのだと

思ってください。

 

どこかに行っていて

いいんだよ。

今は、そんな

時期なんだよ。

必要があって

そうしてるんだよ。

 

という気持ちで

自分自身に

問うてください。

 

「今、私は

どこにいるの?

何のために

そこにいるの?」

 

そして

さらに次のように

問うてください。

 

「何が完了したら、

ここに戻って来れるの?」

 

自分がここにいない、

真の理由を

できるだけ明確に

してください。

 

それをしなければ、

あなたはだんだんと

孤独になります。

 

そして冒頭に書いた通り、

自分のことしか考えない

という状態に

入ります、

今、ここにおいては。

 

私達人間は

「今、ここにいて

今、ここを生きる」

ことができて初めて、

周りとのつながりを

実感できるように

できています。

 

今、ここにいないということは

本来の自分を

見失うことに

直結します。

 

しかし、

今、多くの人が、

わざと

「今、ここにいない」

という状態を創り出して

います。

 

理由は

今の私にはわかりませんが、

恐らく、

そのうちに、近いうちに

わかるでしょう。

 

ただ、私が

皆さんにお伝えしたいことは、

今自分は、ここにいないのだ

という事実を知り、

そして、そのことに

大いなる意味があることを知り、

そういった状態にある自分を

許し、

大らかな眼差しで

自分を見つめてあげてほしい

ということです。

 

皆さんは今、

今ここから離れることで

何かを得ようとしています。

 

早くそれが

得られればいいなと

願います。

 

つづく

 

あなたは本当は孤独ですか?

私には、

私のことを真に

理解してくれて、

私にとっての真の

仲間であると

思える人が

何人いるだろうか?

 

こんな問いを自分自身に

投げたことはありますか?

 

随分前の私は、

この問いへの答えは

「0人」

でした。

 

『真本音』と出会う前の

時代の私です。

 

もちろんそれまでに

親友と言える友人とも

随分と出会ってきました。

その当時には

すでに妻も子供も

いました。

 

共に必死になって仕事をする

職場の仲間もいました。

 

師匠だっていました。

 

しかし、

私のことを本当の意味で

理解してくれているかどうか?

と問うと、

 

あぁ、そんな人は

一人もいないんだ。

 

という事実に気がついて

愕然としました。

 

そしてこう思いました。

 

それが人間なんだ、と。

 

それが

人生というものだ、と。

 

所詮、我々は

孤独なのだと。

 

自分のことを本当に

理解できるのは

自分だけなのだ、と。

 

みんな、

そうなのだ、と。

 

・・・もちろんそれは、

その当時の私の

単なる思い込みです。

 

なぜなら、

今の私には

真の仲間と言える人、

真に私のことを理解して

くれている人、

が本当にたくさん

いるからです。

 

下手をすると、

出会ったその瞬間、

目と目が合った

その瞬間にもう

そう思える時も

何度もあります。

 

それこそ、

思い込みではないか?

と言われそうですが、

いいえ、

それは真実です。

 

なぜなら今の私は

『実在』

を感じ取ることが

できるからです。

 

今、こうしてこの文章を

書いている私は、

自宅の書斎に一人で

います。

 

今、深夜の3時です。

 

ところが、

目を閉じると、

実に多くの人達の

「気配」

を感じます。

 

これも

思い込みでは

ありません。

 

「実在」です。

 

つまり、

実際にここに存在する

ものです。

 

ちなみにこれは

霊感とは違います。

 

私には

霊感はありません。

 

ただ私は

「実在」を

感じ取ることができるように

なったのです。

 

ですので、

常に私は仲間達と

こうして共にいることが

できます。

 

現象(現実)のレベルでは、

(3次元のレベルでは)

遠く離れていても、

実在のレベルでは

距離も時間の差異も

ありません。

 

だから常に

一緒にいるのです。

 

共に

同じ願いを持ち、

同じ方向を向き、

同じ試行錯誤を

している仲間達。

 

この「実在」を感じ取る

という力は、

もちろん私だけに特有の

ものではありません。

 

誰もが普通に

感じ取れるものです。

 

つまりこれも

「普通の生き方」の

一つです。

 

えぇ?

そんなの普通じゃないよ。

と言われそうですが、

いえいえ、

これこそが私達人間誰もが

もともと持っている

コミュニケーションの力の

一つです。

 

『実在コミュニケーション』

 

・・・とも私は呼んでおり、

これは「真本音コミュニケーション」

の形の一つです。

 

真本音で生きることで

こうした力を開花することが

誰もができます。

 

実在コミュニケーションが

できるようになれば、

「直観力を高めよう」どころの

話ではなくなります。

 

「直観」が

通常の思考と同じか

それ以上に普通の状態に

なります。

 

もう本当に

迷わなくなります。

いえ、

正確には迷うことはありますし、

迷うこと自体に

生きる上での大きな意味が

ありますが、

迷いそのものを

本当に楽しめるようになります。

 

心の調子が良いとか

悪いとか、

関係なくなります。

 

心の調子が悪い時は

人間である以上

私にもあります。

 

特に毎日、多くの方達の

ストレスを受け続けていますので、

その影響もあり

ストレスの塊みたいなものに

心が閉ざされてしまうことも

しょっちゅうです。

 

絶望感。

倦怠感。

孤独感。

怒り。

憎しみ。

時には、狂気。

・・・

 

様々な反応本音達に

心が閉ざされることは

この仕事をしていれば

本当に毎日です。

 

でも

それが一体、

何だと言うのでしょうか。

 

心の状態が

絶望的に悪くなったとしても

ただ、

それだけのことじゃん。

 

・・・というように

心の状態の良い悪いに

捕らわれない

自分になれるのです。

 

どんな心になっても

おおらかな気持ちで

それを楽しみながら

観察できる自分。

 

真本音という大地に

立てていることによって

そうなれるのですが、

私が本当に

そうなれたのは、

実在コミュニケーションが

できるようになってからかも

しれません。

 

ですのでこれも

すべての人に

できるようになってほしいな、と

私は願うのです。

 

「実在」のことを書くのは

ある意味勇気の要ることですし、

恐らく誤解も生じるでしょうが、

でもそれでもこのブログでは

そこに挑戦したいな、と

思っている私が

ここにいます。

 

さて、明日から

どんな文章を

私は書くのでしょうね?

 

つづく