待つ

その時をじっと

 

私の中に

待ち受ける

私がいる。

 

内部から

じっと

外を窺っている。

 

何かのタイミングを

待っているようだ。

 

身じろぎも

せず。

 

待つ

と決めた以上は

決して

動かない。

 

その瞬間が

訪れるまで。

 

もし

訪れることが

なかったならば、

 

それはそれで

しょうがない。

 

サッパリと

諦める。

 

その覚悟が

あるからこそ

待っている。

 

気配が

近づけば

目を開き、

 

遠ざかれば

目を閉じる。

 

じっと

落ち着いて

静かに

している。

 

が、

 

いつでも

一気に飛び出せる。

 

そんな

自分でいる。

 

疲れそう?

 

もう

慣れたよ。

 

つづく

 

今、問うてみよう

 

今回は一つ、

とてもシンプルな問いを

ここに投げよう。

 

自分自身に

問うてみて、

 

もし何か発想が

浮かんできたら、

それを

大切にしてください。

 

問いは

これです。

 

『私は今、

何を待っている?』

 

 

もし答えが

浮かんだら、

 

その浮かんだものを

大切にし、

 

ちゃんと

待ってください。

 

そして

待っているものが

成されることで、

 

その後に

 

進んでください。

 

それまでは、

しっかりと

待つこと。

 

そのメリハリが

大事です。

 

つづく

 

待て

 

たくさんの発想を

することは

大事だ。

 

しかし、

真の発想とは

 

それら無数の

発想達が

すべて

飛び去り、

 

消え去った

後に

 

初めて

 

現れる。

 

そして

真の発想とは、

 

決して

飛び去らない。

 

消え去らない。

 

いったんそれが

姿を現せば、

 

確信

 

という感覚と

共に、

 

自分自身が

その発想そのもの

となる。

 

つまり、

真の発想とは

自分が生み出す

ものではない。

 

自分自身だ。

 

私は、

真の発想が

明らかになるまでは

決して

動かないことに

している。

 

決断しない

ことにしている。

 

皆、

 

決断が

早すぎるのだ。

 

まだ上辺だけの

発想の状態で、

 

強引に一つの

解を

出してしまう。

 

無理矢理に

自分に言い聞かせる

ようにして、

決断をしてしまう。

 

しかし残念ながら、

その決断は

その後の迷いを

必ず生む。

 

では、

どうすれば

上辺だけの発想

ではなく、

 

真の発想に

たどり着ける

だろうか?

 

実は単純な

ことだ。

 

自分には

真の発想が

すでにある。

 

信じることだ。

 

そして

それが姿を現す

まで、

 

「待つ」

 

ことだ。

 

人生とは、

 

待てるかどうか、

 

だ。

 

今回はちょっと

あえて

極端な言い回しを

している。

 

でも、

とても大事なことだから、

 

あえて

誤解を恐れずに

断言する。

 

人生は、

 

待てるかどうか、

 

だ。

 

ちゃんと自分を

信じて

待つことのできる人は

 

道を

手に入れる。

 

道が

開かれる。

 

急いでいる時

ほど、

 

待つがいい。

 

急いでいる時

ほど、

 

焦らずに。

 

真の答えを

待て。

 

つづく

 

待つんだ

 

最近、

重要な問いが

よく浮かぶ。

 

今回も一つ、

とても重要な問いを

ここに書いておこう。

 

 

『あなたは今、

何を待たなければ

ならないか?』

 

 

そう、

あなたは待たなければ

ならない。

 

焦って動いては

ならない。

 

「それ」が

来るまで。

 

ちゃんと準備が

整ってから、

あなたは発進しようと

している。

 

今、発進したら、

「それ」を

取りに戻らねば

ならなくなる。

 

それは大きな

時間の損失だ。

 

それならば

今は

ちゃんと待った

方がいい。

 

あなたは今、

何を待っている?

 

つづく

 

待つべし 待つべし

 

目の前に起きている

現象を見ていると、

 

ついつい

物事を複雑に

捉え過ぎてしまう。

 

そして

何をすれば良いか?

わからなくなる。

 

時には

そんな自分に

無力感でいっぱいになる。

 

しかし。

 

現象の根源は

非常にシンプルなことが

多い。

 

一つのシンプルが、

カタチを変えて

様々に現象化している

だけの場合が

多い。

 

だから私は

「観察」を続ける。

 

一つ一つの現象に

対して、

どうしようか?とは

考えない。

 

どうすれば良いか

わからないので

あれば、

 

それが

合図だ。

 

「まだ動くな」

という合図だ。

 

わからなければ

「観察」を続ける。

 

ただ、

何の解釈もせずに

現象の一つ一つを

あるがままに

観察し続ける。

 

意識を

自分の思考に向ける

のではなく、

ただただ「現象」そのものに

向け続ける。

 

これを続ければ、

ある時ある瞬間に

 

フッと

 

何かが観えるのだ。

 

何かがわかるのだ。

 

なるほど

そういうことか!

合点がいくのだ。

 

するとそこで初めて

「これをしよう!」

という

自らの行動が

湧いて来る。

 

これは文字通り

湧いて来る。

確信と共に。

 

現象の奥に潜む

シンプルさを掴み、

 

シンプルに

行動する。

 

その連続で

道は開く。

 

確信の答えが

湧くまで

待つべし。

 

ただ、観察をし、

待つべし。

 

つづく

 

もうすぐだな

 

待っている。

 

私は何かを

待っている。

 

それまでは

動かないと

決めている。

 

こういう時に、

待てる自分に

なれた、

 

というのが、

真本音度合いが

高まったことによる

最大の効果の一つだと、

 

私はよく

思う。

 

少し前に

私はコーチ仲間から

コーチングを受けた。

 

その時に

「たけうちさんにとって

たけうちさんとは

何者か?」

問われた。

 

その瞬間に

浮上してきた答えが、

 

「待つ人」

 

だった。

 

これができるように

なれた意味は、

果てしなく

大きい。

 

むしろ、

昔の私は

これができなかった

が故に、

人生において

様々な不調和や混乱を

招いていたと

今ならわかる。

 

人生は

上手く進めることよりも、

様々なことに

ぶつかりながら、

試行錯誤を繰り返し

ながら、

進んだ方がいい、

私は思っている。

 

だから

上手に物事を進めよう

とは、これっぽっちも

思っていないのだが、

しかし結果的に

いつもほとんどのことが

 

流れるように、

 

まるで

パズルのピースが

気持ちよくハマるように、

 

進んでいく。

 

もちろん

試行錯誤もあるし、

ダメだったなぁ、という

経験も

ある。

 

しかしそれらは

すべて

 

本当に必要な

いい試行錯誤だったな、

 

とか、

 

あそこで

ダメだった、と思えたことが

その後のあの展開を

生んでくれたな、

 

と、

 

後になって

必ず感嘆できる

のだ。

 

あれ以外

なかったな。

 

この展開が

最高だったな。

 

と、

その時その瞬間は

わからなくても、

後で必ず

そう思える。

 

それらを含めて

なかなかに

すげー調和だなぁ、

我ながらよく

感動するのだ。

 

そんな人生に

なれたのも、

その直接的な原因の

最大の一つは

 

待つことが

できるようになった

 

ことにあると

思える。

 

人生にも

仕事にも

 

決断すべき

瞬間

 

というのは

必ず来る。

 

動き始める

瞬間

 

というのは

必ず

わかる。

 

その時その瞬間が

来るまで、

私は

日々、

ひたすらに

待っている。

 

そして

その時その瞬間は

決して

逃さない。

 

余分なことを

し過ぎな人生

 

から、

 

必要なことを

必要な瞬間

のみに

行なう人生

 

への

シフトアップ。

 

私にとっては

真本音度合いが

高まる、とは

そういうこと

だった。

 

そして今。

 

私は、またもや

何かを

待っている。

 

何を待っているのか、

わからない。

 

待った結果として

自分が何を決断するか、

わからない。

 

でも、

じっと意識を集中して、

何かを待っており、

 

そして、

もうすぐ何らかの

決断を下す、

という瞬間が迫っているのは

 

よくわかる。

 

この独特の

緊張感、

 

・・・が実に

気持ちいい。

 

これも今の私にとっては

人生の醍醐味の

一つなんだ。

 

つづく

 

今は待てばいい

 

もし、

心の中のエネルギーが

すべて

奪われてしまったな、

 

と思ったら、

 

それは

新たな自分を

発見できるチャンスだ。

 

エネルギーが

ゼロ。

 

生きること自体の

気力が

湧かない。

 

もしそこまで

行ってしまったら、

 

大チャンスだ

 

思えばいい。

 

とはいえそれは、

無理に前向きに

捉えなさい

という話ではない。

 

無理は

必要ない。

 

ただ、

大チャンスだという

認識だけ

すればいい。

 

あとは

待つだけ。

 

エネルギーが

ゼロだから、

毎日は本当に

辛いだろうが、

 

ただ、

その時を

待とう。

 

大事なのは、

ここできちんと

待てるかどうか、

だ。

 

残念ながら

ここで何割かの人は

待てなくなる。

 

エネルギーのない

自分を自分で

責めたり、

 

無理に

エネルギーを高める

ことをしてしまう。

 

それにより、

自分の真本音の道

から

外れてしまう人を

私は何人か

見てきた。

 

辛いことは

辛いままでいい。

 

今の自分の

ままでいい。

 

ただ、

待つこと。

 

たとえ

エネルギーがゼロ

だとしても、

 

目の前の

一つ一つの日常に

しっかりと

向かうこと。

 

辛いままで

向かうこと。

 

マイナス思考の

ままでいいから

現実と向き合うこと。

 

あとは

待つこと。

 

これを

やり切ろう。

 

そして

次の段階へ

進もう。

 

つづく

 

待てばいい

 

「待つ」

 

ことができると、

人生は

劇的に調和する。

 

「待つ」

とは言い換えれば、

 

「何もしない」

 

ということでもある。

 

何をするか?

よりも

何をしないか?

 

空白の時間を

いかに創るか?

 

これにより

空白でない時間が

 

すべて

調和する。

 

・・・・・・

 

たけうちさんと

関わるようになってから

随分と

無口になりましたよ。

 

・・・と

よく言われる。

 

確かに、

皆、

あまり喋らなくなっていく。

 

ビジネスパートナーの

人達と

一緒に電車で移動したり

する時も、

ほぼ、無口のままで

いることが多い。

 

喋る必要が

ないからだ。

 

喋らなくても

安心

だからだ。

 

だからよく、

 

沈黙の時間が

怖くなくなりました。

 

とも言われる。

 

人は、

何もしない時間

沈黙の時間

ちょっと怖いようだ。

 

もちろん私も

昔は怖かった。

 

沈黙が来ると

ソワソワした。

 

でも今は、

その時間こそが

人生を決める

思っている。

 

・・・・・・

 

決断力のない人の

多くは、

 

何をしないか?

 

を決められて

いない。

 

これがわかれば

逆に、

 

何をするか?

 

も明確になる。

 

私が真本音発想を

する時も、

まず自分に問うのは、

 

何をしないか?

 

である。

 

コーチングセッション

だけでなく、

人と会う時、

私は

「発しない言葉」

とても大事にしている。

 

頭の中に浮かぶ

様々な言葉達を、

 

その9割以上を

 

私は

捨てている。

 

発しない言葉達を

しっかりと

決めることで、

 

最後には、

 

「本当に発すべき言葉」

 

が残る。

 

それのみを私は

常に人に伝える

ことにしている。

 

冗談のような

余分な話も含めて、

だ。

 

これができると

あらゆるものが

調和を始める。

 

人間関係が

劇的に

心地良いものに

なって行く。

 

・・・・・・

 

このブログも

そうなのだが、

 

9割以上の言葉達を

私はいつも

捨てている。

 

書きたいこと、

説明したいことは

たくさん

出て来るのだが、

 

そのほとんどを

捨てている。

 

その判断は

頭では

していない。

 

心で

している。

 

真本音で

しているんだ。

 

つづく

 

今が進むときだ

 

よし、

進めるか。

 

・・・と

淀みゼロ、

何の迷いもなく

そう思える

瞬間がある。

 

その時こそ、

進む

チャンスだ。

 

私はこの「感覚」を

とてつもなく

大事にしている。

 

逆に言えば、

この感覚が

なければ、

進まない。

 

もしくは、

ゆっくりしか

進まない、

ことにしている。

 

私の特技は

何か?

問われたら、

 

ひょっとすると

「待つ」

ことかも

しれない。

 

私は

ほぼほぼ

待っている。

 

「その時」

が来るのを。

 

待てるかどうか?

 

その後の展開を

大きく左右することを

いやというほど

体験したからだ。

 

「待つ」

ことと

「進む」

こと。

 

この二つの

メリハリを

つける。

 

中途半端は

極力

排除することに

している。

 

・・・・・・

 

結局、

 

待つか進むか?

 

の判断力が

一気に

高まるのだと

思う。

「真本音度合いを

高める」

ということは。

 

真本音度合いが

高まれば、

自らの

真本音からの

メッセージが

 

「直観」

 

という形で

届く。

 

真本音は、

つながっている。

 

自分の

真本音と、

他者の

真本音。

 

深い次元では

つながっている。

 

その「つながり」

からの

直観が来る。

 

その直観によって

「今だ」

「今、進む時だ」

わかれば、

 

あらゆる調和の

中で

進むことが

できる。

 

そして

その際には

自分の中では

 

一切の

迷いがなくなっている。

 

そして、

「現実」すらも

よーく

観えて来る。

 

・・・・・・

 

今、

進む時だ。

 

直観する人が

ここから

一気に増えると

 

私は

直観している。

 

ここから

脱皮し、

 

そこから

一気に

進む。

 

そんな人が

たくさんいる。

 

ぜひ、

自らの

その意志と

 

直観に、

 

素直に

動いてほしい。

 

つづく

 

頭で解釈せず、体に問う

後悔した出来事があると、

私達はできれば後悔の念を

「なかったことにしたい」

と思います。

 

その結果、

その出来事に後から

様々な「解釈」を

つけたりします。

 

「あれは

しょうがなかったんだ」

 

「不可避な流れで

自分にはどうしようも

なかった」

 

「別の選択もあったとは

思うが、

あれはあれでいいのだ」

 

などなど。

 

時には、

 

「あの出来事には

これこれこのような意味が

あったのだ。

だからそれでいいでは

ないか」

 

「あの出来事によって

自分はこんな成長が

できた。

だから良いではないか」

 

などのように、

自分の「解釈」によって

その出来事を

肯定的に捉えようと

する場合もあります。

 

「解釈による肯定化」

 

・・・は、ダメです。

 

最も

やってはいけません。

 

これを

クセのようにいつもいつも

し続けている人がいますが、

そういった人ほど、

心の奥にストレスが

溜まり続け、

気がついた時には

体を壊す寸前、という人も

私はこれまで数多く

出会ってきました。

 

「解釈」とは

顕在意識レベルで

頭の中での無理な

変換をしているだけの

行為です。

 

物事の捉え方を

変えてみたり、

別の角度から

物事を見つめること

自体は

大事です。

 

しかし、

自分を説得するかのように

顕在意識のみで

強引な解釈をし、

それを「答え」とするのは

本当に

やめた方がよいです。

 

顕在意識のみを

解釈によって

捻じ曲げても、

それ以外の私達の

意識は

納得していません。

 

しかも

体は正直です。

 

頭の解釈を

どれだけ変えても

苦しいものは

苦しいのです。

 

むしろ、

頭の解釈を

強引に変えることで

その苦しみは

倍増します。

 

「前向きに生きる」

とは、

解釈を変えることでは

ありません。

 

・・・・・・

 

『セルフコーチングを使った

良い後悔の仕方』

 

の続きを行きます。

(→前回記事)

 

私達が

私達自身の最も素直な

気持ちを知るためには

体の反応を観るのが

最も簡単です。

 

後悔した出来事を

ありありと思い出した時、

体のどの部分に

どのような反応が出るか?

をまずは

特定しました。

 

そしてその反応の出た

場所に

じーっとただただ

意識を向け続けます。

 

例えば、

両肩が重い、

という反応があった場合、

その両肩にのみ

意識を向けます。

 

これを続けると、

その両肩に

さらに

何かを観たり、

何かを感じたり

するようになります。

 

例えば、

両肩に黒い大きな

岩のようなものが

乗っかっているイメージが

自然に観えたりします。

 

もしくは、

何もイメージは観えなくとも、

両肩に何かが

乗っかっている感覚のみが

ありありと

感じられるかもしれません。

 

そこまでできたら、

その「イメージ」

もしくは

「感覚」に、

問いかけてみてください。

 

「君は

何にそんなに

後悔しているの?」

と。

 

すると、

人によっては

その「答え」が

言葉となって自然に

浮上してくるかも

しれません。

 

例えば、ですが。

「あの時、私は

あんなことを言うんじゃ

なかった」

というように、

まるで会話をしているかのように

答えが返ってきます。

 

もし答えが返ってきたら、

さらにその答えを

理解しようとします。

 

例えば、

「あんなこと、というのは

具体的に

どんなことを

言うんじゃなかったと

思ってるの?」

というように。

 

その会話は

自分自身と会話をする

というよりも、

誰かそこに別の人がいて

その人の話を

聴いている

という感じで進めると

やりやすいでしょう。

 

誰かの相談を

聴いているイメージ

です。

 

これをすることで、

自分自身が

何に最も後悔しているのか?

を特定することが

できます。

 

この

「特定」が

ポイントです。

 

実は、

ここがずれている人が

かなり多いです。

 

「私はあの出来事を

すごく後悔しているんです」

と言いながら、

その後悔のポイントが

ずれているのです。

 

本当の後悔を

見つめることを

無意識に拒絶するために

このようにポイントを

ずらしてしまっているケースが

多いようです。

 

ずれたポイントに対して

どれだけ向き合っても

それでその後悔が

解消されたり浄化される

ことはありません。

 

一つの出来事の中でも、

本当はどのポイントで

私は何を後悔をしているのか?

絞り込むことが必須です。

 

それを頭の解釈で

しようと思っても

無理です。

 

このように、

体の感覚に

問うことで

初めて観えてくるのです。

 

しかし

セルフコーチングに

慣れない内は、

すぐにこのような会話には

ならないかもしれません。

 

その場合は、

問いかけだけを行ない、

あとはただじっと

待つことをします。

 

待っていると

言葉にはならないけれど、

でも何となく

答えが「わかった」

という感覚になることが

あります。

 

何となく「わかった」ら、

それを自分なりに

言語化します。

ここは

頭の解釈でも結構です。

 

大事なのは、

最初から頭で

解釈しないことです。

 

自分の体や

体の感覚そのものに

まずは

「問う」こと。

 

そして、答えを

「待つ」こと

です。

 

つまり、

「問うて、待つ」

というのが、

セルフコーチングの

基本的姿勢です。

 

たとえ

答えがまったく

わからなくても、

それでも

「問うて、待つ」

ことをしてください。

 

これを繰り返していると、

だんだんと

答えがわかるように

なります。

 

今日はここまで

とします。

 

つづく

 

実は、タイミングがすべてかも

物事には最善のペースがあります。

 

ゆっくり進む方が良い時と、

一気に加速した方が良い時と。

 

ゆっくり進む方が良い時は、

「待つ」ことが必要となります。

どれだけ気が焦っても、

そこで待てるかどうか。

 

逆に、一気に加速した方が良い時は

多少強引でも、多少人の気持ちを無視してでも

スパートすることが必要です。

 

例えば、仕事の場合、必ず期限があります。

期限が一週間後に迫っていた場合でも、

あえてゆっくりと待った方が良いこともあります。

(もちろん期限は守ります。)

 

期限に余裕があったとしても、

今はスパートすべき、ということもあります。

 

「今、どのくらいのペースで

物事を進めれば良いか?」

 

実は、真本音度合いが高まると、

このペース配分に対する直観力が

極めて高くなります。

 

真本音というのは、決して理想論のことでは

ありません。

 

理想的な「想い」は真本音で、

現実は現実として、それとは別に進みましょう、

ということは一切ありません。

 

自分自身の真本音を大切にするということは

実に「現実的」な判断を、

今この瞬間に最善のスピードで下し続けることが

可能になります。

 

なぜなら、私達の真本音は「現実」を

大切にしているからです。

 

「現実に生きる」ことを大切にしているからです。

 

そして、「現実」とは「今」です。

 

自分の揺るがない「想い」と

今ここにある「現実」を

完全に繋ごうとするのが、

私達の真本音の最も大切にすることの一つです。

 

ですので、

真本音度合いを高めることによって私達は

「今この瞬間における最善の決断」を

し続けることができます。

 

それが、「物事の最善のペース」を

自然に創るのです。

 

この辺りの感性が、平井さんは素晴らしかった。

 

「今、動くべき」と感じた時の彼の瞬発力は

抜群でした。

 

少し前に、「今でしょ」という言葉が流行りましたが、

平井さんこそ、「今でしょ」の人です。

 

ただし念のために申しますが、

「今ではないな」と直観した時には、

平井さんは逆に、テコでも動きません。

そのメリハリが、実に真本音的で清々しいのです。

 

社長と平井さんの真本音を

社員の皆さんにぶつけよう。

(→前回記事)

 

そう決めた平井さんは、すぐに全社員さんを

集めました。

次の日に。

 

通常はあり得ない話です。

 

平井さんの会社の社員さんは、当時約50名。

そのほとんどの方が、現場に出ています。

今日の明日で、全員が集まるということは

普通では無理です。

しかも社長も忙しい人なのです。

 

しかしここが真本音の直観の面白いところ。

 

「今でしょ」の平井さんが、

「明日やる」と決めて動いたら、

すぐに「明日の夕方であれば、全員参加が可能」

ということがわかりました。

 

後から考えると、

本当に、あのタイミングしかなかった。

 

あれを外していたら、

恐らく、その後の展開は大きく変わっていたでしょう。

 

平井さんの組織活性化が成功した

一番のキーポイントは何ですか?と

今問われたとしたら、私は

「あの時、あのタイミングで、社員さん全員に

社長と平井さんの真本音の想いをぶつけることが

できたからです」

と答えるでしょう。

 

本当にあの日しかなかった。

一日変われば、もうこの流れは起きなかったかも

しれない、とさえ私は思います。

 

しかしこういったことは

会社経営においては実は、

日常茶飯事だと思います。

 

こういった「今でしょ」のチャンスを

ひょっとすると多く逃しながら経営をしている

可能性が、どこの企業にもあります。

 

真本音度合いを高めるということは、

そういったチャンスに、実に敏感になれる、

ということでもあるのです。

 

次の日の夕方。

平井さんの会社の一番広い会議室に

全社員さん達が集まりました。

 

社員さん達の前に、

社長と平井さんと私の3人が並んで

椅子に座りました。

 

皆さんの前で、

私が社長と平井さんのコーチングを

するのです。

 

そうです。

お二人の真本音のぶつける、とは

お二人が社員さんに向かってメッセージをする

のではありません。

いつも行なってきたお二人へのコーチングを

社員さんの前でそのまま行なうのです。

 

つまりは、

公開型のコーチングです。

 

つづく