志があるんだよ

 

自分の本当の

志を

知らずして、

そのまま生きるも

それもまた

人間、

 

であるが、

 

自分の本当の

志とは何か?

 

という問いは

ずっと大事に

していてほしいな。

 

あえて

「志」

という言葉を使った

のは、

 

何となく今回は

この言葉を

強く使いたいから。

 

志とは

大きいことを成せ、

ということでは

ない。

 

大小は

関係ない。

 

だいたい、

大小、という視点

そのものが

意味を成さない。

 

志とは

評価をされるもの

ではない。

 

その人の

ものだ。

 

その人自身

だ。

 

どうしても

自分の人生を

使って

成し遂げたいもの

だ。

 

それがなければ

我々は

「人間」をやらない。

 

ここに

生まれてはいない。

 

志とは

強いもの。

 

しかしその「強い」

とは、

他者が評価するもの

ではなく、

 

自分にとって

「強い」ものだ。

 

自分の命の

エネルギーを

ダイレクトに

強めてくれるものだ。

 

それが何か?

 

ずっと自身に

問い続けてほしいな。

 

静かな心

で。

 

落ち着いて。

 

今こそ。

 

この

毎日にこそ。

 

つづく

 

志の本質

 

新たな志が

芽生えたならば、

 

それと

ジッと向き合い

続けるといい。

 

志そのものと

ジッと

向き合い続ける。

 

思考する

のではない。

 

何も

考えない。

 

ただ、

静かに向き合い

続けるのだ。

 

・・・・・・

 

その志から

感じるのは

何だろう?

 

あたたかさ?

冷たさ?

柔らかさ?

硬さ?

 

その志は

伸びゆくもの

だろうか?

 

自分を伸ばして

くれるもの

だろうか?

 

思考ではない。

ただ

その視点で

見つめるといい。

 

その志は

自分自身に

何をメッセージ

しているだろう?

 

自分に何を

リクエスト

しているだろう?

 

思考ではない。

ただ

その視点で

見つめるといい。

 

・・・・・・

 

志には

命がある。

 

それは一人の

子どもが生まれた

のと

何ら変わらない。

 

大切に

常に大切に。

 

常に栄養を

与え、

励まし、

時には叱り、

指導する。

 

志を叱ったり

指導するのだ。

 

そうしないと

志はまっすぐに

育たない。

 

子どもと

同じだ。

 

志に依存しては

ならない。

 

志は

自分の意思で

育てるもの。

 

志は最初は

まだまだ小さくて

未熟だ。

 

自分からの保護が

必要だ。

 

志の保護者で

あること。

 

これをちゃんと

誠実にやり遂げる

人こそが、

 

志を

成就させるのだ。

 

私達は

志と共に進む。

 

志とは

パートナーである。

 

本当のパートナーに

育て上げるのは

自分次第だ。

 

つづく

 

それは本当のエネルギーか?

 

人の放つエネルギー

は、

中途半端だと

キツい。

 

それは

エネルギー

というよりも、

単なる「圧」のように

感じられる。

 

せっかくの

エネルギーが

「人を圧するため」に

作用してしまう。

 

そうなると

周りの人達は

必然的に

イエスマン

になる。

 

人を圧するエネルギー

は怖い。

 

そのエネルギーからは

誰もが

逃げたくなる。

 

離れたくなる。

 

気がついたら

周りに誰も

いなくなっていた。

 

・・・イケイケどんどん

の人の多くは

そのような結末に

なりやすい。

 

すべては

中途半端なエネルギー

の作用だ。

 

・・・・・・

 

中途半端なエネルギー

は、

中途半端な志

から来る。

 

その志は

残念ながら

本当の志ではない。

 

多くは、

志のふりをした

自己顕示

であったりする。

 

もしくは、

志のふりをした

承認欲求。

 

要するに、

自己愛の形。

 

自分が可愛く、

自分のために

「まわりのため」の

ふりをしている。

 

ちょいと

言い方がキツい

かな。

 

でもあえて

事実のみを言えば

そういうことだ。

 

かつての私も

そうだったので、

よ〜くわかる。

 

・・・・・・

 

真本音の志。

 

これはみんな

持っている。

 

たとえまだそれが

明確でなかったと

しても、

 

そこに気づき

そこに向かえば、

 

その人からは

本来のエネルギーが

放たれるように

なる。

 

本来のエネルギーは

最初はまだ

微弱かもしれない。

 

しかしそれは

「中途半端」

ではない。

 

中途半端とは、

量のことでは

ない。

 

エネルギーの

質のことだ。

 

純粋な

エネルギーかどうか?

だ。

 

本来のエネルギー、

純粋なエネルギーは

 

もちろん時には

それが明る過ぎて

一見すると

人を圧してしまうかも

しれないが、

 

それはあくまで

表面的なこと。

 

本来のエネルギーとは

愛そのものでも

ある。

 

それは

実在のレベルでは

人をあたたかく

包み込む。

 

そんなエネルギーを

放つ人と

向き合うと、

 

私は一瞬で

その人とつながる感覚を

得ることができる。

 

もちろん最初から

そういったエネルギーを

発している人は

稀だ。

 

しかし

ある時ある瞬間に

突然、

中途半端なエネルギー

本来のエネルギー

へと

変換される。

 

それは

予測できない場合が

多い。

 

突如として

変質するのだ。

 

もちろんその

理由の大本は

真本音で生きる

ことだ。

 

・・・・・・

 

私が、組織において

「要(かなめ)」

と呼ぶ人達は、

 

そういった

本来のエネルギーへの

変質が

起こりやすい人の

ことだ。

 

そういった人は

どの組織にも

必ずいる。

 

社長が

「いや、ウチには

いないよ、絶対」

と言われても、

これまでいなかった

試しがない。

 

そういった

「要」になる人を

見つけるのが

「コーチ」である私の

役割だ。

 

今日、

ある会社の

思わぬ人が

「要」として

浮上した。

 

急浮上。

 

それがとても

嬉しかった。

 

人は

変わるものだ。

 

つづく

 

本当に生まれるのはこれからだ

 

私達の

人生の目的は

「一点」

である。

 

たったの

一点

である。

 

あえて極端に言えば、

自分自身の一点を

果たすためだけに

私達は

この世に来た。

 

しかし最初から

一点が

見えるわけでは

ない。

 

一点を

まずは見つけることが

人生の

第一のゴール。

 

そしてその

第一のゴールにたどり着く

と同時に、

一点への道が

スタートする。

 

私はその瞬間を

「生まれる」

と呼んでいる。

 

これまた極端に言えば、

一点を見つけるまでは

私達は本当には

まだ生まれていない

のだ、

くらいに思っている。

 

実際に、

「私は私の人生を

生きている」

と実感できるのは、

一点への道を

歩み始めた人だけだ。

 

・・・・・・

 

とは言え、

一点が見つからない

ことを

恥じることはない。

 

それよりも、

一点を見つけることを

諦めたり

放棄することが

私は恥だと

思っている。

 

恥と言っても

誰かに対して

恥ずかしいと思う

ことではなく、

 

自分自身に対して

恥ずかしい

と思うのだ。

 

だって、

私達は

志を持って

ここに来たのだ。

 

自分だけの

一点を見つけ、

一点を果たそうと、

自分自身と約束を

したのだ。

 

その約束を

と言う。

 

一点に向かうことを

放棄することは、

その約束(志)を

自ら反故にする

ということだ。

 

だから、

恥ずかしいのだ。

 

・・・・・・

 

一点を見つけるまでは

様々な試行錯誤が

ある。

 

逆に言えば、

試行錯誤を抜きにして

それは見つからない。

 

上手くどこにも

ぶつからずに

進もう、

としているうちは

一点を放棄しているのと

同じだ。

 

ガツガツと

ぶつかればいい。

 

後悔すれば

いい。

 

反省すれば

いい。

 

その一つ一つを

丁寧に進むこと、

 

一つ一つと

向かい合い続ける

こと。

 

それによって必ず

一点は

見つかる。

 

・・・・・・

 

一点が見つかった人には

もう

迷いはない。

 

いや、

最初の一歩は

迷うかもしれない。

 

本当にその道を

行くのか?

自分で自分を試す瞬間が

ある。

 

そこを毅然と

乗り越えることで

迷いはすべて

払拭される。

 

あとは

進むだけなのだが、

そこからこそ、

様々な課題が

降りかかる。

 

しかし

一歩進めば、

一歩進んだ手応えが

あり、

課題に取り組めば、

その一歩一歩に

とてつもない充実感を

覚える。

 

今、

この段階に

入りつつある人が

増えている。

 

そして、

その直前にいる人も

増えている。

 

いずれにしても

人生の

重要な分岐点

である。

 

・・・・・・

 

私達は

心の中心に

一点を大切に

抱いている。

 

しかしそれは

セルフコーチングだけでは

見つからない。

 

きちんと現実に

向かい、

現実の荒波の中で

揉まれることでしか

見つからないように

できている。

 

というよりも、

そのように自分自身と

約束をしている。

 

私達は

自分を試す。

 

自分自身を試すのは

自分だけだ。

 

もう私は

一点を知り、

一点に向かう道に

入れる私になれただろうか?

 

それを

何度も試しながら、

ある時ある瞬間に

 

「よし、OKだ!」

 

と自分に

GOを出す。

 

すべての人が

そうなれるといい。

 

本当の自分の人生に

入れるといい。

 

「生まれる」ということを

皆が

実現できるといい。

 

つづく

 

夢が先か、強みが先か

すべての人には「生まれ持った強み」

つまりは先天的な強み・天性の強みがあります。

 

しかしほとんどの人は

それは眠ったままです。

一生眠ったままの人も多いです。

 

では、どうすれば、生まれ持った強みは

その芽を出し、伸びていくのでしょうか?

 

それには重要な条件が一つあります。

その条件を満たすことで、

生まれ持った強みは発芽します。

 

その条件とは、

 

 

「ある一定以上のスピードで成長する」

 

 

ということです。

 

成長スピードがある一つのラインを

超えるということなのですが、

そこで大事なのは「成長の加速度」です。

 

加速度が臨界点に達することで、

生まれ持った強みは

一気に現れやすくなります。

 

そして、いざ現れたその強みは、

本人にとって、極めて意外なものであることが

多いようです。

「私にこんな強みがあったんだ!」と

当の本人がびっくりし、

しかしそれが本当の自信につながります。

 

では、成長の加速度が臨界点に達するためには

どうすればよいでしょうか?

 

真っ先に浮かぶ答えとしては、例えば

夢を持つとか、志を持つとか、

ビジョンや目標を持つ、とか。

そういったことが必要なように思えます。

 

もちろんそれらは有効ですが、

しかし難易度が高いです。

 

なぜなら、本当の夢やビジョンなどは

通常は、生まれ持った強みが発現した後に

見つかるものだからです。

 

つまり順番が逆なのですね。

 

まずは、”生まれ持った強みを発現”させる。

そして”自らがその強みを実感する体験を積む”。

”体験の中で、その強みの活かし方を学ぶ”。

その結果として、自分の本当の夢やビジョンが見つかる。

・・・というのが自然の流れです。

 

ということで、ではもう一度、

どうすれば私達の成長の加速度は

臨界点に達することができるでしょうか?

そして、

生まれ持った強みを発現できるでしょうか?

 

その答えはズバリ、

ある「スイッチ」を入れることなんです。

 

ある「スイッチ」を入れることで、

その人の成長の加速度は一気に高まります。

 

では、その「スイッチ」とは何か?についてですが、

申し訳ありませんが、ここから先は具体例に即して

ご説明した方がわかりやすいと思いますので、

次回にお話しさせていただきます。

 

お楽しみに。