怠慢

私達はどちらを行く?

 

きっと、

私達は今、

岐路に立っているのだと

思う。

 

人が

人としての本質を

さらに深め、

そして高めていく

道を進むのか?

 

それとも、

その道を放棄し、

これまで通りの

私達を

これまで通りに

ただ流して行く

だけなのか?

 

当然、

こういった書き方を

すれば、

「前者の方がいい」

ということに

なるだろうが、

 

しかし前者の道には、

勇気と決断が

要る。

 

もちろん私達の

真本音は、

その勇気と決断を

しようとしているが、

 

現時点では、

ほとんどの人は

後者の道を選ぶのだと

思う。

 

なぜなら

多くの人達は、

「今ここにいるまま」

を維持したいから。

 

現状維持

だ。

 

これまでと同じ

やり方で、

これからも進んで

行ければいい、

と願っている。

 

それは

「安定」を求める

私達人間の本能の

一つかもしれない。

 

しかし実は、

本当は

「現状維持」は安定では

ない、

ということを

私達は本能的に

知っている。

 

その事実に

気づいた人はむしろ、

現状維持を恐れる

のであるが、

多くの人は

その事実にすら

蓋をしている。

 

要するに、

「面倒臭い」

のだ。

 

様々な事実を

目の当たりにして、

問題が起こる前に

きちんと対処しておく、

という生き方が

面倒臭い。

 

これを私は

「怠慢」

と呼んでいる。

 

・・・・・・

 

放っておいても

いずれ、

何とかなるだろう。

 

と、

私達はどこかで

思っている。

 

これこそが

「怠慢」の

典型であるが、

それをまた

認めようとしない。

 

隣の家が

火事で燃えていても、

それはあくまでも

隣の家のことで、

何だかんだ言っても、

自分の家に

燃え移ることは

ないだろう、

タカをくくっている。

 

いや、本当は

タカをくくるどころが、

自分の家に燃え移る

ことを恐れているのだが、

しかし

その気持ちに蓋をして、

 

「大丈夫、

問題ない」

 

と言い張る。

 

常に問題を

後回しにして、

いざ、

本当に自分の家に

火が燃え移ってから

大慌てする。

 

そして

「何でこうなるんだ!」と

文句を言うか、

 

もしくは

「もっと早く対処すれば

よかった」と

後悔する。

 

本当は

自分の「怠慢さ」が

すべてを

招いている。

 

そこに皆、

気づくといい。

 

偉そうに言っているが、

私もずっと

「怠慢」だった。

 

だからよく

わかるのだ。

 

それが

どんなに酷い現実を

引き起こすか?

を。

 

そして

どれだけ

自分や他人を

傷つけるか?

を。

 

・・・・・・

 

人としての

「本質の道」を

行くか?

 

それとも

「怠慢の道」を

行くか?

 

この岐路に

今の私達は

ある。

 

もちろん私は

前者に行きたいと

思っているし、

 

多くの人が

そうなるといいな、

願っている。

 

私にできることは、

そのために

私にできる最大のことを

毎日、

し続けること。

 

私は

「コーチ」という

役割を通じて

それをしているが、

 

そういった「コーチ」を

増やすために

動くのも

私のできることの

一つだ。

 

「コーチ」を増やす

と言っても、

大量生産は

しない。

 

できるわけが

ない。

 

たとえ少人数でも、

一人一人

丁寧に私は

発掘し、

そして

指導する。

 

つづく

 

怠慢な日々は苦しいよ

私達の多くは、

時間に追われています。

 

ほとんどのお仕事には

期限があります。

 

人生にも

期限があります。

 

いつまでに

〜〜をしなければならない。

 

そういった

時間的拘束に晒されながら

私達は生きています。

 

時間の制限がなければ

どんなに自由だろうか。

 

そう思われる人は

多いでしょう。

 

もちろん私も

そう思います。

 

が、

時間制限がない、

というのは実は、

とても不自然なことなのです。

 

・・・・・・

 

この3次元の世界は、

時間が一定の方向に

一定のスピードで

流れ続けています。

 

これは

3次元世界にしかない

特色です。

 

これはなかなかに

凄い制限です。

 

でもこういった

凄い制限をあえて

私達は自分に与えて

います。

 

そういった世界に

生きる私達。

 

ということは、

私達の真本音は

「時間制限」というものを

とても大切にしているのです。

 

私達は

真本音レベルで

いつまでに何をするか?を

明確に決めています。

 

そして、

それに間に合うか?

間に合わないか?

によって、

その後の人生の展開を

大きく変えます。

 

私は時々、

「怠慢」

という言葉を使いますが、

怠慢とは、

真本音で決めている

時間制限を

無視する行為である

と私は定義しています。

 

いつまでに、

必ずこれをする。

 

そのためには

今日は必ず

これをする。

 

そう決めていることを

しない。

自分で決めているのに

それを無視する。

 

それを

「怠慢」と呼んでいます。

 

・・・・・・

 

「怠慢」は

人生のスピードを

遅らせるどころか、

何度も何度も

リセットし続けることも

あります。

 

リセットとは、

もう一度

スタート地点に戻る

ということです。

 

もう一度、

スタート地点に戻る

ということは、

これまで培った経験や

経験の中で得た知恵の

数々を、

リセットしてしまうという

ことです。

 

その場合、

自分の経験は

記憶としては残りますが、

その経験によって得た

知恵は発動しなくなります。

 

もう一度、

やり直し。

 

こういった判断を

私達の真本音は

ある意味、

冷徹に自分自身に対して

下します。

 

でも本当は

冷徹ではないのですけどね。

 

それこそが

自分自身への最大の

愛なのですが、

しかし「怠慢」な人は

なかなかそこに気づけません。

 

・・・・・・

 

自分が怠慢に

陥っていないかどうか?

を確認する

簡単な方法があります。

 

以下の問いを

自分自身に投げるのです。

 

一日の終わりに

自分に投げてみてください。

 

①私は今日、自分を大事に

できただろうか?

 

②今日一日を終えていい、と

本当に今、思えているだろうか?

 

③今日、やるべきことをちゃんとやり、

後回しにすべきことはちゃんと

後回しにできただろうか?

 

④次の期限は

いつだろうか?(直観で)

 

⑤その期限に間に合うように

私は行動できているだろうか?

(直観で)

 

以上の5問です。

 

自分自身に問いかけ、

頭で考えるのではなく、

自然に浮かぶ答えをキャッチ

します。

 

どのような答えが

返ってくるか?も大事ですが、

この問いを自分に投げた時に、

投げること自体に

倦怠感が出たり、

「投げたくないなぁ」という

気持ちが出る場合は、

かなりやばいです。

 

怠慢な毎日を送っている

証拠です。

 

怠慢な毎日は、

必ずその代償が自分自身に

返ってきます。

 

もちろんそれは

神様が行なっていることでは

ありません。

 

自分自身で行なって

いることです。

 

怠慢ではない日々。

 

きちんとやるべきことを

やり続ける日々。

 

その方がよほど

楽です。

 

心は安定し、

安心できます。

 

人生の悦びも幸せも

日々、感じ続けることが

できます。

 

自分は怠慢かも・・・。

と思われた人は、

ぜひ真剣にそこから

抜け出る決意を

してください。

 

つづく

 

自信過剰な人は、肝心なところで逃げてしまう

自分のことを小さく見る、

という人が時々います。

 

それは一見、謙虚、という姿勢とも言えますが、

私はそういった人を見ると反対に、

すごく傲慢だな、と思う時があります。

 

自分は小さい。

だから、できません。

 

と自分の小ささを理由に、

その人が真本音で望んでいることを

その人自身があきらめる。

 

・・・それは、自分自身の人生と真摯に向き合うことを

放棄してしまっている姿勢です。

 

自分は小さいと勝手に決めつけ、

結果、何もやらない。進まない。

なんと、傲慢な、・・・と思ってしまうのです。

 

もちろん、

自己過信する必要はありません。

 

自己過信する人も、その過信が故に、

本当に自分が真本音でやろうとしていることと

まったく別の方向に進んでしまうケースが

多いです。

 

そういった意味で、

自己過信する人も、自分を小さく見過ぎる人も、

本質は同じです。

 

傲慢であり、怠慢です。

 

ちょっときつい言い方かな、とも思いますが、

そういう人を見ると、本当にもったいないと

思うのです。

 

もっと淡々と、粛々と、

自分の望む道を進めばいいのに、と。

 

そうすれば、

そんなに荒れることもなく、

そんなに障害や妨害に合うこともなく、

自然に幸せな道が開くのに、と。

 

真本音の道。

 

こう書くと、何か特別な道のような

印象になってしまいますが、それは、

最も自然体で進む道、

ということです。

 

自分の胸の中にずっといつまでもあり続ける

その願いに素直に普通に進む道

ということです。

 

誰もがその道を進めば、

すべてが調和します。

 

なぜなら、私達人間の真本音は

深層心理ではすべてがつながっているからです。

 

自分の本当に望む道と、

人の本当に望む道は、

完全に調和するのです。

 

ですから私のコーチングサポートの目的は

実にシンプルです。

 

「いかにその人の真本音度合いを上げるか?」

 

この一点に尽きます。

 

このための、

あらゆる方策を行ないます。

 

逆に言えば、

そこにつながらないあらゆる方策は

一切行ないません。

 

木村さんから見えている世界。

それは、

「自分と一緒に仕事をすると、

弓江はとてもキツくなり、自分に当たってくる。

自分がいることで弓江がそうなるなら、

自分がいなくなった方がよい。

自分のためにも、弓江のためにも、

会社のためにも」

ということでした。

(→前回記事)

 

しかし真本音度合いを高めるという

視点から見れば、まったく別の世界が

見えます。

それは、

「木村さんのことを本当に好きな弓江さんは、

木村さんの真本音度合いを高めるために

彼女なりの行動をし続けた。

しかし木村さんは、それを拒絶し、

真本音度合いを高めるチャンスを

逸しようとしている」

というものです。

 

なぜ拒絶するのか?

 

そこに、木村さんの反応本音のクセが

出てしまっています。

 

木村さんの反応本音のクセで大きかったものは

二つです。

 

一つは、

自信過剰で、イケイケどんどんとなる

クセ。

つまり、自分のことを大きく見過ぎるのです。

 

もう一つは、

何かあるとすぐに自信を失い、消極的になる

クセ。

つまり、自分のことを小さく見過ぎるのです。

 

この2番目のクセが

今回は出ています。

 

ちなみに、この二つのクセは

作用・反作用の関係にあります。

 

つまりこれは、木村さんだけなく、

あらゆる人に起こりうる「セットのようなクセ」です。

 

作用・反作用が起こりやすいのが

反応本音のクセの特徴です。

 

一方が引っ込めば、

もう一方が顔を覗かせます。

 

ということで、私から見た今回の現象は

次のようになります。

 

「せっかく木村さんの真本音度合いを上げようと

弓江さんという人が近づいてきたのに、

そのまっすぐさ、が怖くて、

木村さんは逃げようとしている。」

 

もちろん、本当に逃げようとしているわけでは

ありません。

コーチングの場では、逃げたい、という気持ちを

出しますが、

彼は彼なりに何とかしようとしています。

 

ですので、

私がここでとる方策は、

「木村さんの真本音度合いも、

弓江さんの真本音度合いも、

共に一気に引き上げる」

という、そのための方策です。

 

そうなるためにはまず、

弓江さんに少し変化していただくことが

ベストだと直観しました。

 

弓江さんの変化が、

木村さんの変化を

呼び起こします。

 

その順番です。

 

こういった「順番」を見つけることも

コーチとしては重要な役割の一つです。

 

そこで出てきたメッセージが、

弓江さんへの

「あなたは、コーチに向いています」

という一言だったのです。

 

つづく

 

失敗と怠慢は、根本的に違います

私のクライアントさんは、比較的

不器用な人が多いです。

 

不器用というのは、私は「魅力」だと

思っています。

 

不器用な人は、

よく壁にぶつかります。

 

何度も間違いをします。

 

まっすぐに進めばよいものを、

本人はまっすぐなつもりでも、右に傾いてしまったり、

左に傾いてしまったり。

 

その都度、

ガツンガツンと、壁や障害にぶち当たります。

上手にかわせばよいものを、

まともにぶち当たり、ダメージを受けます。

 

時には、壁にぶち当たるよりも前に

勝手につまずいて転んでしまうことさえあります。

 

それでも、前に進もうとします。

 

上手く物事を進めよう、とか、

壁をいかに避けながら進もうか、とか、

転ばないようにソロリソロリと進もう、とか。

そういった

「失敗することが嫌」、「失敗することを恐れる」

という人は、どちらかと言うと

私を避ける傾向にあります。

 

私は、失敗こそが財産である、と思っています。

 

ただしその失敗は、

「本当の失敗」であることが重要です。

 

本当の失敗とは、

「これが私の真本音だ!」と自分で信じて、

その通りに、その時出せるすべての力を使って

突き進む中での「失敗」です。

 

そういった「失敗」は、その時その瞬間は

「失敗」かも知れませんが、

後から長い目で見れば、

それは、「必要なステップ」であり、

「自分の望む成果を生み出すための大切な試行錯誤」であり、

「自分の進化のためになくてはならないプロセス」です。

 

失敗を恐れて、ソロリソロリと進んでも

何も得るものはありません。

 

ソロリソロリと進むことで結果を出すことができず、

「失敗しました」と言う人がいますが、

それは「失敗」ではなく、単なる「怠慢」です。

 

正しくても間違っていてもお構いなしに、

真本音だと信じた方向に進んでみる。

・・・そういった人を私はサポートしたいですし、

そういった人こそが、

「真本音で生きる」

ということを、理屈ではなく、体得します。

 

木村さんには確かに様々な反応本音のパターンが

ありました。

でも彼の素晴らしいところは、

何度失敗しても、自分の信じた通りに進もうと

したところです。

 

何度失敗しても、

「たけうちさん、これが私の真本音だと思うのです」

と堂々と私に語り、それを行動に移したことです。

 

その「真剣さ」に私は何度も

心を打たれました。

 

そして思いました。

「とことん、この人をサポートさせていただこう」

と。

 

ですから、

「プロのコーチになりたい」と

木村さんが言われた時、

それがたとえ反応本音レベルの想いだとわかっていても、

後で、その想い自体を「否定」することになるだろうと

わかっていても、

それでも私は本気で木村さんに伝えました。

 

「木村さんがプロのコーチになるために、

私は、どんなサポートをさせていただければよろしいですか?」

(→前回記事)

 

その瞬間、私は本気でそうしようと思って

言ったのです。

 

その迫力が恐らく、

木村さんに伝わったのでしょう。

彼は、しばらく

うろたえました。

 

しかし気持ちを整え直し、

私にこう言いました。

 

「プロのコーチになるために、

私はまずは何をすればよいでしょうか?」

 

私は即座に答えました。

 

「まずは、100人にコーチングをしてください。」

 

これは、私の主催するプロコーチ養成のための

講座の受講生さんに、いつもお伝えしていることです。

 

とにかく、まずは100人をコーチングする。

それができて初めて、

プロへのスタートラインに立てる、と。

 

「木村さん、お忙しいとは思いますが、

まずは、平日のお仕事が終わってから毎日二人ずつ、

そして土日に一日6人ずつ。

つまり、一週間に22名のコーチングを行なってください。

すると、5週間で100人できると思います。

まずはここからですね。」

 

つづく