決断

待て

 

たくさんの発想を

することは

大事だ。

 

しかし、

真の発想とは

 

それら無数の

発想達が

すべて

飛び去り、

 

消え去った

後に

 

初めて

 

現れる。

 

そして

真の発想とは、

 

決して

飛び去らない。

 

消え去らない。

 

いったんそれが

姿を現せば、

 

確信

 

という感覚と

共に、

 

自分自身が

その発想そのもの

となる。

 

つまり、

真の発想とは

自分が生み出す

ものではない。

 

自分自身だ。

 

私は、

真の発想が

明らかになるまでは

決して

動かないことに

している。

 

決断しない

ことにしている。

 

皆、

 

決断が

早すぎるのだ。

 

まだ上辺だけの

発想の状態で、

 

強引に一つの

解を

出してしまう。

 

無理矢理に

自分に言い聞かせる

ようにして、

決断をしてしまう。

 

しかし残念ながら、

その決断は

その後の迷いを

必ず生む。

 

では、

どうすれば

上辺だけの発想

ではなく、

 

真の発想に

たどり着ける

だろうか?

 

実は単純な

ことだ。

 

自分には

真の発想が

すでにある。

 

信じることだ。

 

そして

それが姿を現す

まで、

 

「待つ」

 

ことだ。

 

人生とは、

 

待てるかどうか、

 

だ。

 

今回はちょっと

あえて

極端な言い回しを

している。

 

でも、

とても大事なことだから、

 

あえて

誤解を恐れずに

断言する。

 

人生は、

 

待てるかどうか、

 

だ。

 

ちゃんと自分を

信じて

待つことのできる人は

 

道を

手に入れる。

 

道が

開かれる。

 

急いでいる時

ほど、

 

待つがいい。

 

急いでいる時

ほど、

 

焦らずに。

 

真の答えを

待て。

 

つづく

 

もうすぐだな

 

待っている。

 

私は何かを

待っている。

 

それまでは

動かないと

決めている。

 

こういう時に、

待てる自分に

なれた、

 

というのが、

真本音度合いが

高まったことによる

最大の効果の一つだと、

 

私はよく

思う。

 

少し前に

私はコーチ仲間から

コーチングを受けた。

 

その時に

「たけうちさんにとって

たけうちさんとは

何者か?」

問われた。

 

その瞬間に

浮上してきた答えが、

 

「待つ人」

 

だった。

 

これができるように

なれた意味は、

果てしなく

大きい。

 

むしろ、

昔の私は

これができなかった

が故に、

人生において

様々な不調和や混乱を

招いていたと

今ならわかる。

 

人生は

上手く進めることよりも、

様々なことに

ぶつかりながら、

試行錯誤を繰り返し

ながら、

進んだ方がいい、

私は思っている。

 

だから

上手に物事を進めよう

とは、これっぽっちも

思っていないのだが、

しかし結果的に

いつもほとんどのことが

 

流れるように、

 

まるで

パズルのピースが

気持ちよくハマるように、

 

進んでいく。

 

もちろん

試行錯誤もあるし、

ダメだったなぁ、という

経験も

ある。

 

しかしそれらは

すべて

 

本当に必要な

いい試行錯誤だったな、

 

とか、

 

あそこで

ダメだった、と思えたことが

その後のあの展開を

生んでくれたな、

 

と、

 

後になって

必ず感嘆できる

のだ。

 

あれ以外

なかったな。

 

この展開が

最高だったな。

 

と、

その時その瞬間は

わからなくても、

後で必ず

そう思える。

 

それらを含めて

なかなかに

すげー調和だなぁ、

我ながらよく

感動するのだ。

 

そんな人生に

なれたのも、

その直接的な原因の

最大の一つは

 

待つことが

できるようになった

 

ことにあると

思える。

 

人生にも

仕事にも

 

決断すべき

瞬間

 

というのは

必ず来る。

 

動き始める

瞬間

 

というのは

必ず

わかる。

 

その時その瞬間が

来るまで、

私は

日々、

ひたすらに

待っている。

 

そして

その時その瞬間は

決して

逃さない。

 

余分なことを

し過ぎな人生

 

から、

 

必要なことを

必要な瞬間

のみに

行なう人生

 

への

シフトアップ。

 

私にとっては

真本音度合いが

高まる、とは

そういうこと

だった。

 

そして今。

 

私は、またもや

何かを

待っている。

 

何を待っているのか、

わからない。

 

待った結果として

自分が何を決断するか、

わからない。

 

でも、

じっと意識を集中して、

何かを待っており、

 

そして、

もうすぐ何らかの

決断を下す、

という瞬間が迫っているのは

 

よくわかる。

 

この独特の

緊張感、

 

・・・が実に

気持ちいい。

 

これも今の私にとっては

人生の醍醐味の

一つなんだ。

 

つづく

 

静かに進もう

 

次の一歩を

決めようとする、

 

あなたのその

心は

 

静かかな?

 

心の中心に

魂が

存在しているとして、

 

あなたの

その魂は

 

静かかな?

 

心と魂が

静かな時に

 

重要な一歩は

 

決めた方が

いい。

 

ギャンギャンと

うるさい時に

決めてしまえば、

 

恐らく

ほぼ間違いなく

後悔する。

 

人生に

どれが正しいか?

という

解答はない。

 

でも、

どうせ自分が

答えを出すので

あれば、

 

後悔のない

答えが

いいよな。

 

心の中が

騒がしい時の

決断は、

 

後悔を生む。

 

静かな

時に

決断

しよう。

 

もし、

心が静かに

ならないのであれば、

 

今のあなたの

生き方は、

 

どこか

間違っている。

 

「間違っている」

と言っても

正解があるわけでは

ない。

 

でも

あなた自身が

「間違っている」

自己評価しているから

こそ、

 

心は

騒がしくなるんだよ。

 

せめて、

自分で自分を

本当に

祝福できるような

 

生き方を

 

しよう。

 

やっぱ

生き方だよな、

よく思う。

 

自分の生き方が

すべてに

反映される。

 

望む現実が

手に入って

いないのであれば、

 

生き方を

変えよう。

 

そのための

まず第一歩は、

 

静かな決断

 

だよ。

 

つづく

 

さぁ、決めよう

 

これまで

どうしても

答えの出せなかった

ことの

 

答えを

出そう。

 

もう、

決めよう。

 

決断を

するのだ。

 

一つの答えを

明確に決めて、

それ以外の選択肢を

完全に「断つ」のだ。

 

もう、

これに関しては

一生、

答えを変えることはない、

 

決めるのだ。

 

それができれば、

次のステージに

あなたは進める。

 

人生は

大きく先に

進む。

 

進化もする。

 

決断には

決断の

タイミングがある。

 

今は

絶好のチャンスだ。

 

今、私達は

潮目にいるのだから。

 

・・・・・・

 

どうしても

決断できない場合は、

 

その勇気が

出ない場合は、

 

「今回は諦めよう」

しっかり決めよう。

 

諦めても

人生が終わるわけでは

ない。

 

ただ、

もう一度「やり直し」を

するだけ。

 

次の潮目が来るまで

同じステージで

さらに経験を

積むことになる。

 

それもまた

人生だ。

 

次のステージに

進むか?

進まないか?

 

あなたの人生だ。

 

しっかり

自覚して

自分で決めよう。

 

つづく

 

決断の時が来たよ

 

もうそろそろ、

答えを出しても

よい頃では

ないかな。

 

これまでずっと

あえて

決断せずに

きたことの

答えを。

 

何度も何度も

決断を試みたけれども、

何度決断しても

決断し切れなかった

ことを。

 

・・・・・・

 

決断には

準備が要る。

 

覚悟ができた

とは、

準備ができた

という

ことでもあるんだ。

 

準備ができたら

一刻も早く

決断をし、

 

先に進んだ方が

よい。

 

・・・・・・

 

私は常日頃、

いつも口癖のように

言い続けている

ことがある。

 

それは、

 

「決断は

タイミングだ」

 

ということ。

 

決断すべき

その瞬間を

逃さないこと。

 

あらゆる決断には

ベストタイミングが

あり、

 

それを掴むこと

こそが

真の決断に

結びつくと。

 

言うまでもなく、

真の決断とは

真本音による決断

ということだ。

 

・・・・・・

 

あなたの真本音は

今、

次に進もう

しているんだ。

 

つづく

 

意図的に直観は起こせるか?

 

心がざわめいて

いる時は、

 

私は一切の

決断をやめる。

 

止まる。

 

何もしない。

 

決めている。

 

何もしない、

というのは

現状のまま行く、

ということだ。

 

何も変えない。

 

と同義語だ。

 

極端に言えば、

惰性のままでも

いい、

ということだ。

 

私達は

特に重要な決断の

前では、

 

あーだこーだ、と

考えてしまう。

 

当たり前だ。

 

考えること自体は

良いことだし、

しっかりじっくり

考え尽くさねば

ならないが、

 

考えの中から答えを出す、

ということを

私は

一切、しない。

 

考えの中から答えを出す、

というのは、

根拠を求めて、

最も点数の高い根拠に

基づいた答えを出す、

ということに

なってしまうからだ。

 

企業でもビジネスでも

そういったやり方を

している人は

多いだろう。

 

しかし私は

それをしない。

 

何故ならば、

そこに最善の答えは

ない。

 

からだ。

 

ちょっと極端に

聴こえるかもしれないが、

実は、

そんなに極端なことは

言っていない。

 

私は、

すべての考えを

自分が

手放せるくらいまで

考えて考えて

考え尽くす。

 

人間、面白いもので、

そこまで考え続けると、

途中で

どうでもよくなる

瞬間が来る。

 

ある意味、

答えが出ないことへの

あきらめでもある。

 

開き直り、

とも言える。

 

本当にそうなると、

そこまで続けた

あらゆる思考を

私達は手放してしまう。

 

するとその直後に

やすらぎ

静寂

が来る。

 

その状態に

入って初めて、

 

「直観」

 

が来る。

 

その直観こそが

最善の答えを

運んできてくれる。

 

その多くは、

根拠のない答え

だ。

 

が、

根拠のない自信

付与されている。

 

つまりそれこそが

 

「確信」

 

というものだ。

 

多くの場合、

確信には最初

根拠がない。

 

根拠はだいたい

後付けだ。

人に説明するために。

 

根拠のない確信を

人に説明し

納得していただくために

思考を働かす。

 

そこでこそ、

考える

という行為は

本当に生きて来るのでは

ないかと

私は思っている。

 

それはともかく、

そういった確信は

私達に

パワーとエネルギーと

モチベーションを

与えてくれる。

 

そうしたら

それに素直に

動くといい。

 

だから私は

確信に基づいた

決断しかしない。

 

・・・・・・

 

以前は、

この過程に

随分と時間をかけて

いた。

 

例えば、

一つの答えを出すのに

1週間も2週間も

考え続けた。

 

長い時間をかけて

直観を待った。

 

しかし残念ながら

直観は

意図的に起こすことは

極めて難しかった。

 

しかし。

 

今は私はこれを

数分単位、

時には

数秒単位で

意図的に行なうことが

できる。

 

つまりは、

意図的に

直観を呼び起こすことが

できる。

 

私のコーチングは

すべてこれを

主体としている。

 

では、

それは私だけの力か?

と言うと

とんでもない。

 

これこそ、

私達人間の

誰もが持っている力

の一つだ。

 

その本来の力を

呼び起こすための

最短の道が

 

セルフコーチング

 

である。

 

正しく自分と

向き合い続け、

 

自分の心の中にある

ものを

あるがままに

見つめることが

できるようになると、

 

直観も確信も

 

毎日のように

浮上する。

 

むしろそれが

当たり前と

なる。

 

しかしそれが

ゴールでは

ない。

 

そんな自分になれて

初めて、

 

私達は

人生の目的にも

気づけるし、

 

そこに向かう

道を見出すことも

できる。

 

本来の人生が

スタートするのだ。

 

直観なくして

道はなし。

 

ただし、

直観と言っても

ただの思いつきでは

ない。

 

ただの思いつきと

直観を

区別できるように

なる必要もある。

 

そのためにも

セルフコーチング力が

必要だ。

 

つづく

 

今、迷いは必ずある

 

あなたの中の

迷いは

何だろうか?

 

私には

迷いはない。

 

などとは

決めつけないで

ほしい。

 

今この瞬間、

この時、

 

あらゆる人の中に

迷いは

ある。

 

今は

そういった

大切な時間

だ。

 

特にこの

数日は。

 

迷いは

必ず

ある。

 

今は。

 

そこに

きちんと目を

向けられるか

どうか?

 

によって、

令和という

新たな時代の

スタートが

根本的に

変わってくる。

 

あなたの

迷いは

何か?

 

本当は

あなたは今、

 

今だからこそ、

 

何を

迷っているか?

 

ちゃんと

向き合おう。

 

そして。

 

迷いには

必ず

選択肢がある。

 

だから次には

あなたの

選択肢を

明確にしよう。

 

複数の選択肢が

あるからこその

迷い。

 

逆に言えば、

漠然としていた選択肢を

明確に

することで、

 

答えが

観えてくる。

 

とは言え、

答えを出すのは

焦らないこと。

 

複数の選択肢を

明確にしたら、

次は、

 

いつ答えを

出すか?

 

決めよう。

 

何月何日

何時何分、

 

と、

具体的に

決めよう。

 

恐らくこの

タイミングは

そう遠くない。

 

恐らく

ほとんどの人は

この連休中に

答えを出すの

だろう。

 

タイミングが

わかれば、

あとはその時を

静かに待ち、

 

その日の

その時間に、

きっちりと

答えを

出そう。

 

そして、

 

「決断」

 

をする。

 

決断とは、

一つの答えを

決めて、

他の選択肢は

すべて

断ち切ること。

 

一つを決めて、

他を断ち切る。

 

だから

決断、だ。

 

100%その道を

行くと、

完全に決めよう。

 

そして

新たな時代の

道を

始めよう。

 

つづく

 

覚悟の波動

 

人生の岐路に

立つ人が、

 

自らの道を

選択する、

 

その瞬間の

覚悟は

 

とても尊い。

 

それが

真本音の決断

ならば、

 

その瞬間、

 

必ず

風が吹く。

 

フッと

まるでそよ風の

ように、

 

一瞬、

 

それは私の

心に届く。

 

そしてそれは

体の中心にまで

至り、

 

今度は

中心部分から

外側に向けて、

 

まるで

波打つかの

ように、

 

ゾワゾワゾワッと

痺れるような

感覚が、

 

全身に広がり

溢れる。

 

その感覚は

強い時には

5分程度も

続く。

 

人の覚悟が

生み出す

波動だ。

 

魂まで

洗われるような

心地良さ。。。

 

これが

人の力。

 

人の

影響。

 

この波動が、

社会全体に

伝播すると

いいな、と

 

いつも

思う。

 

つづく

 

何を躊躇している?

 

自分の中に

「躊躇」

が現れたとき、

私はそれと

しっかり真摯に

向き合うことにしている。

 

その「躊躇」には

非常に多くの

示唆が含まれている

からだ。

 

「躊躇」するのは

悪くない。

 

よく

すぐに決断できない

自分を

責める人がいる。

 

それは

意味のない

時間だ。

 

その時間を

「躊躇」としっかり

向き合う時間に

変えた方がいい。

 

「躊躇」を

観察してみよう。

 

もしくは

「躊躇」の声を

とことんまで

聴き切ってみよう。

 

そこまで明確で

なければ、

「躊躇」と一体になる

くらいまで、

それを感じてみよう。

 

その上で

ふとした瞬間に

浮かんでくる

一つ一つの気持ちや

発想を

丁寧にキャッチしよう。

 

「躊躇」は

自分自身に

何をメッセージ

しているだろうか?

 

・・・・・・

 

人は、

恐らく

「躊躇」としっかりと

向き合わないからこそ、

自分を見失っていく。

 

「躊躇」にフタをし、

気合いと根性だけの

(つまりは表面的な)

決断を無理にしてしまい、

先に進む。

 

その結果、

気合いと根性が

途切れた時に、

あっという間に

止まってしまう。

 

そして

後悔する。

 

何度も言うが、

「躊躇」は

良くないものでは

ない。

 

「躊躇」と向き合わない

のが

良くないのだ。

 

・・・・・・

 

「躊躇」と向き合えば、

自分が何に対して

「無理」をしているのか?

がわかる。

 

これを知るのが怖い

という人もいるが、

怖がっている場合

ではない。

 

しっかり

見つめよう。

 

自分の「無理」を

知れば、

その次は、

 

その「無理」は

しない方がいいか?

 

それとも、

 

あえて今は

その「無理」をし続けた

方がいいか?

 

の判断がつく。

 

そうしたら、

その判断の通りに

行けばいい。

 

もう無理はしては

ダメだ。

 

と判断したならば、

思いきって

その「無理」していることを

手放そう。

 

たとえ今、手放さなくても

いずれはそれは

手放す瞬間が来る。

 

そういった場合の

多くは、

手放すのが

後になればなるほど

辛くなるし、

ダメージも大きくなる。

 

いつ手放すの?

 

今でしょ。

 

ということだ。

 

・・・・・・

 

意図的であるならば、

「無理」は

してもいい。

 

そのかわり、その場合は

それこそ躊躇せずに

とことん無理をすること。

 

「無理」をするか?

しないか?

 

は、

0か100か?

しかない

と思った方がいい。

 

一番良くないのは、

中途半端に

無理をし続けること。

 

これが結果的には

最も辛いし、

自分を見失うことに

なる。

 

「無理」をするなら、

無理をする自分を

許そう。

 

「無理」をやめるなら、

無理をやめる自分を

許そう。

 

許した上で

徹底的に

その方向に進もう。

 

・・・・・・

 

つまり、

「躊躇」とは

「決断」のための

大事なステップだ。

 

「躊躇」としっかりと

向き合うことで

真本音の

「決断」

ができる。

 

「躊躇」することを

躊躇するな。

 

「躊躇」も

人生の醍醐味

だ。

 

つづく

 

ただ純粋にモヤモヤしてみよう

 

私は

心の中にモヤモヤが

あるうちは、

決断しないように

している。

 

どれだけ

考えに考えても、

モヤモヤが晴れない

うちは、

その決断は

後で覆ることが多い

のを知っているからだ。

 

しかし

それがわかっていても、

ついつい考え込んで

しまう。

 

そういった時は

「決断しない」

ということを

決断した上で、

そのモヤモヤと

対峙する。

 

しっかりと考え、

しっかりと悩む。

 

すると面白いことに、

「決断しない」

という前提があるからこそ、

そのモヤモヤが

生きてくるのだ。

 

何のためのモヤモヤか?

がある瞬間に

忽然と観えてきたり、

 

本当は何に

迷っているのか?

が突然に理解できたり。

 

反対に、

これは全く意味のない

迷いだな、と

わかることもある。

 

いずれにしても、

「決断のために

モヤモヤする」

のではなく、

「ただ単純に

モヤモヤするために

モヤモヤする」

ことで、

発見することは多い。

 

セルフコーチング

の基本である。

 

・・・・・・

 

ところが、

その人のモヤモヤを

何でもかんでも

その場で解消しよう、

 

というサポートをする

コーチがいる。

 

コーチングの

いろんな手法やら

何やらかんやらの

手法やら

を使って。

 

そして、

「私のセッションを

受けると、

スッキリするでしょ」

アピールしたいが

ための

コーチングをし続ける。

 

それはもはや

コーチではない。

 

ただの

大迷惑だ。

 

スッキリするに

越したことはないが、

 

本来のスッキリは

モヤモヤすべきを

しっかりと

モヤモヤし切ることで

初めて得られるもの。

 

コーチの自己満足

で得られる

ものではない。

 

・・・・・・

 

しかしまぁ、

昨日の記事と言い、

 

なんか今の私は

苛立っているのか?

 

文章を書くと、

憤り系のものに

なるな。

 

どうやらかなり

モヤモヤしている

ようだ。

 

さぁ今から

しっかりこれと

対峙してみるか。

 

つづく

 

無価値感を超えてゆけ!

「無価値感」。

 

自分に対する「無価値感」。

 

つまり、

自分という人間には

まったく価値がないのだ、

という思い込み。

 

「自分には価値がない」

という信念。

 

そういった「心」は

実は、誰の中にも

存在しています。

多かれ少なかれ。

 

もちろんそれは

反応本音の一つです。

 

しかしそれが

とてつもなく大きく育っている

人がいます。

 

「真本音優柔不断タイプ」

と私が呼んでいる人達は、

その「無価値感」が

非常に強いです。

 

そういった「無価値感」を

自分自身の「決断」の

ストッパー役として

わざと活用しているのです。

 

当然ですが、

「無価値感」の強い人は

「決断」できません。

 

「決断」とは

決断をしようとしている

自分自身を

信じることができて初めて

成し得る行為だからです。

 

自分を信じない者が

100%の答えを出せる

わけがありません。

だって、

答えを出そうとしている

自分自身を

信じていないわけですから。

 

「真本音優柔不断タイプ」は

本来は、

決断力も

突進力も開拓力も

とてつもないものを

持っています。

 

しかしそれをあえて

発揮できないように

してきました。

 

そのために活用したのが

「無価値感」です。

 

しかしそれはもう必要

ありません。

 

もう、自分を解放しても

よいのです。

 

本気になっても

よいのです。

 

そのためには、

「無価値感」の中にドップリと

浸かってしまっている

自分自身を、

そこから救い出さねば

なりません。

 

私が前回から

ご紹介している方法は

そのためのものです。

 

つまり、

「無価値感から自分を

解放させ、

本気になれる自分を

取り戻す」

ための方法です。

(→前回記事)

 

以下に、昨日の続きを

ご説明します。

 

・・・・・・

 

地球の中心と

自分の中心軸と

宇宙の彼方を結ぶ

「一直線」を

まずは見出しました。

 

そして、

その「一直線」上の

足元よりもさらに下の方に

「最も強い自分の心」

を見出しました。

 

ここまでが前回です。

 

「最も強い自分の心」を

観察してみて

いかがでしょうか?

 

そこに意識を向けると、

「最も強い自分の心」が

どこかにいなくなってしまった、

という人は

いませんか?

 

最初は場所を特定できたのに、

意識を向けるようにしたら、

消えてしまった、

とか

別の場所に行ってしまった、

とか。

 

その場合は、

その「最も強い自分の心」が

逃げているのです。

 

顕在意識と自分が

つながってしまうことを恐れ、

逃げているのです。

 

つながってしまうことで、

自分は「本気の自分」に

なってしまう。

それはまずい。

・・・というわけです。

 

そんな場合は、

「最も強い自分の心」に

メッセージを贈ってください。

 

「お〜い!

もう私と君は

つながってもいいんだぞ!

もう、

本気の自分になっても

よくなったんだぞ!」

と。

 

そんなメッセージを

叫びながら、

「最も強い自分の心」の

場所を探してください。

 

見つけることができたら、

改めて落ち着いて

上記のメッセージを

伝えます。

 

「もう、私と君は

つながってもよい状態に

なれたようだ。」

と。

 

そして、次のように

メッセージを続けてください。

 

「君は、私の中に

入ることができるように

なれたんだ。

もう、こんな下の方で

隠れている必要は

なくなったんだよ。」

と。

 

さらに続けます。

 

「でも、いきなり私の中に

入るのは勇気も要るし、

不安もあるだろう。

まずは、

私の足元まで

来てくれないか?

私の足元で

私の大地に

なってくれないか?」

 

もしこの要望に対して、

「N0」

が返って来たら、

無理をせずにいったん

あきらめます。

 

そしてまた時間を置いて、

再び同じメッセージを

伝えてください。

 

「今、伝えるといいかな」

と自然に思えるタイミングで

伝えれば結構です。

 

それでもまた

断られるかもしれませんが、

何度も続けてください。

 

何だかんだ言っても

メッセージを伝える相手は

自分自身なのです。

 

誠意を持って

伝え続ければ、

必ずわかってくれます。

 

「最も強い自分の心」が・・・

 

「わかったよ。

じゃあまずは、君の足元まで

行こう。

君の大地のような存在に

なるよ。」

 

・・・というように

肯定的な返事をくれたら、

さっそく、

足元まで浮上して

もらいましょう。

 

足元まで来た瞬間に、

あなたはそれを本当に

「大地」のように

感じると思います。

 

「安定感」が

一気に高まります。

 

足元にある

「最も強い自分の心」

であり

「大地」であるもの。

 

その「大地」をしっかり

感じ取ってみてください。

 

どのような「大地」であるか

をしっかりと観察します。

 

ある人は、

「高原のような

清々しい大地だ」

と感じるかもしれません。

 

またある人は、

「広〜く延々と続く

宇宙のように大きな大地だ」

と感じるかもしれません。

 

感じ方は人それぞれ。

 

それを感じ取ったら、

どんな時もその「大地」を

感じながら日々を

過ごします。

 

今日はここまで。

 

続きは明日です。

 

つづく

 

決断のできなかったあなたへ

「私、人に対して

無関心なんですよね」

 

と言いながら、

その人は笑いました。

 

その笑顔は

とてつもなく無邪気で、

人の心ばかりでなく

魂までもを

癒してくれる、

そんなやさしさに

あふれていました。

 

その人は

わかっていません。

 

今のご自分が

しっかりと真本音で決めた

ミッションへの道を

着実に歩んでいることを。

 

その人は

気づいていません。

 

ご自分が知らないところで

どれだけ周りの人達に

パワーを与え続けているか、を。

 

その人は

気にしていません。

 

自分の道が

正しいかどうか?を。

 

ただその人は

淡々と

生き続けています。

 

私はその人に

あえて何も

お伝えしません。

 

「へぇ・・・、

無関心なんですね」

 

とオウム返しをしながら

笑うだけです。

 

何も知らないまま

気づかないままに

進むことこそが

今のその人にとっては

最善の生き方

だからです。

 

・・・・・・

 

「決断」とは、

決めて断つこと

です。

 

一つの道を決めて、

他の道を一切

断つこと。

 

ひょっとして

あの道もいいかも。

 

という気持ちが

1%でも残っているうちは

決断したことには

なりません。

 

表現を少し変えれば、

「決断」とは、

何を断つか?を

決めること。

 

断つことをせずに

進むならば、

どの選択をしたとしても

ほぼ、行き詰まります。

 

逆に、

きちんと断つべきを断ち、

一本の道を

決めることができたならば、

どの選択をしたとしても

道は続いて行きます。

 

どの道を行くか?

どの選択をするか?

 

よりも、

 

どの道を行ってもよいから

しっかりと他の道を断つこと

 

が重要です。

 

他の道を断つ

潔さ。

 

これが人生の展開を

決めると言っても

過言ではないでしょう。

 

・・・・・・

 

あなたは

自由でしょうか?

 

「自由」とは

自分自身が

決断できる状態にあること

を言います。

 

「決断できる状態にあること」

とは、

二つの意味があります。

 

一つは、

決断できる環境に

いることです。

 

もう一つは、

決断できる自分で

あることです。

 

しかし本当のことを言えば、

「決断できる自分」

であれば、

「決断できる環境」

は自ら創り出すことが

できます。

 

「私は自由ではない」

と言われる人の多くは、

自分で決断できない

ことにより

自由ではない環境を

自ら創り出してしまっています。

 

・・・・・・

 

自ら決断できる人

自ら決断できない人。

 

あなたは

どちらですか?

 

もし決断できないのなら

決断できる自分に

なりましょう。

 

・・・な〜んてことを

今回は言いたいわけでは

ありません。

 

実は、・・・

 

決断することの重要さを

よくわかった上で、

わざと

決断できない自分で

あり続けている人が

いるのです。

 

そんな人生をその人は

ずっと続けて来ました。

 

ひょっとすると

生まれた時からずっと。

 

それは、

その人の真本音が

わざとそうして来たのです。

 

しかし、

本当にいざ

決断をしなければならない

その瞬間には

「無意識に」

きちんと決断をして来ました。

 

本人は

気づいていません。

自分が

決断していることを。

 

気づいていないのに、

肝心要の場面では

間違えずにしっかりと

断つべき道を断っています。

 

顕在意識の分離。

 

顕在意識レベルでは

ただ単に惰性で生きている

のですが、

それ以外の部分では

きちんと真本音で

生きている。

 

そんなタイプの人が

います。

 

あえて名前をつけると

すれば、

 

「真本音優柔不断タイプ」

 

でしょうか。

 

ここで

あなたに問います。

 

ひょっとしてあなたは、

真本音優柔不断タイプでは

ありませんか?

 

そのタイプの人は

顕在意識レベルでは

ほぼ意図せずに

ここまで人生を

歩いて来ました。

 

流れるままに。

 

惰性のままに。

 

しかしそれは

それ自体が

その人の真本音の

望む生き方でした。

 

なぜ

そのようなことを

するのか?

 

それにはその人なりの

理由がありますが、

多くの場合は、

「本気にならないため」

です。

 

世の中の準備が

整うまで、

自分は自分の本気さを

出してはならない、

とその人の真本音は

決めています。

 

本気さを出しては

ならないが、

その状態のままで

最速スピードで

進もう、

・・・という、

非常に難易度の高い

ことをして来ました。

 

もう一度、

問います。

 

あなたは

真本音優柔不断タイプ

ではありませんか?

 

あっこれ、

私のことだ。

 

・・・と直観的に思えたら

恐らく本当に

そうだと思います。

 

今回は

そんなあなたに

私はメッセージします。

 

メッセージは

単純です。

 

「準備整ったから、

そろそろ本気を出しても

いいですよ」

 

です。

 

とは言え、

本気の出し方を

忘れてしまっているか、

本気の出し方を

全く知らないか。

 

現時点では、あなたは

そのどちらかだと思います。

 

真本音で生きて来たけど

本気では生きて来なかった

そんなあなたに、

本気の出し方を

少し解説しなければなりません。

 

ちょっと長くなったので

次回にて。

 

つづく

 

いつ決断するか? ホントに今?

私達の真本音は、

決断のタイミングを

とても大切にします。

 

いつ、決断するか?

 

同じ答えだとしても、

いつその答えを出すか?によって

その後の展開は

根本的に異なる可能性が

あるからです。

 

決めるべき瞬間に

決める。

 

決めてはならない時は

決めない。

 

後回しにすべきことは

きちんと後回しにする。

 

それが、

本当の意味での

「決断」

のポイントです。

 

決断とは、

決めて断つ

こと。

 

つまりは、

一本の道を決めて、

他の道をすべて

断つこと、

手放すことです。

 

完全に一本に

決めるからこそ

私達はそこに全パワーを

集中させることができます。

 

そして、

全パワーを集中させるからこそ、

物事は成就します。

 

逆に言えば、

99.9%のパワーでは

成就しない物事が

とても多いです。

 

私達の真本音は

100%のパワーを出すために、

いつ、どのような決断を

すればよいか?

を見極めているのです。

 

以上を少し別の視点から

表現すると、

 

「準備ができてから

決断する」

 

という言い方もできます。

 

逆に言えば、

 

「準備ができないうちは

決断しない」

 

ということです。

 

「準備」とは、

自分自身の準備もありますし、

決断することで関わることになる

あらゆる環境(人や組織や物事すべて)

の準備もあります。

 

しかも準備とは、

実在レベルの準備もあれば、

現象レベルでの準備も

あります。

 

それは到底、

私達の頭(理屈)では

捉えきれないものです。

 

そういったあらゆるものを

感知しながら、

私達の真本音は

「準備が整ったかどうか?」

を判断します。

 

準備が整う前に

勇み足で決断してしまうことを

私達の真本音は

望みません。

 

そして、

準備がすでにできているのに

それでも決断を遅らせることも

私達の真本音は

望みません。

 

では、

準備ができているかどうか?

今、

決断すべきことがあるかどうか?

はどこで

判断できるでしょうか。

 

それを言葉にするのは

実はちょっと難しいのですが、

あえて言えば、

 

「自分の内に満ちる光」

 

によって判断できます。

 

よく私は

「自分と向き合う」

という言葉を使いますが、

自分と向き合うとは、

自分を客観的に見つめる

ことでもあります。

 

今ここにいながらも、

自分の姿を

自分の少し離れたところから

見つめることは

できますか?

 

これはコーチングでは

一般的に

「デソシエイト」と呼ばれる

状態です。

 

自分から離れて

客観的に自分を観る

のです。

 

それができれば、

今自分の内側に

どれだけの光が満ちているか?

を知ることができます。

 

自分は今、

光り輝いているのかどうか?

 

その光は、

外から与えられたものか、

それとも

自ら、内側から発しているものか?

 

それを確認します。

 

そして、

「あぁ今の自分は、

自分の内側から光が

満ちているなぁ」

と素直に思えたら、

今が決断の時です。

 

それは、

準備が整っているという

証です。

 

私はどちらかと言えば、

自分がその状態になったことを

まずは察知します。

 

で、その後で、

じゃあ今何か、決断すべきことが

あるんだな、

と気づき、

何を今、私は決断しようとして

いるのだろう?

と自分に問いかけます。

 

自分で自分を

コーチングするのです。

つまり、

セルフコーチングです。

 

すると、そういう時はすぐに

答えが浮かびます。

 

あっそっか、

この件についての決断だな、

と。

 

すると次に私は、

では、答えとしての選択肢は

何と何があるのだろうか?

と選択肢を明確にします。

 

選択肢は二つの場合もありますし、

もっと多い場合もあります。

 

どの道とどの道とどの道が

あるのかな?

ということが明確になれば、

あとは簡単です。

 

では、私はその中で

どの道を選択しようか?

 

どの道を

一本道として

選ぼうか?

 

と、問いかけます。

 

するとすぐに

答えがわかります。

 

それは、

確信の答えです。

 

わかった瞬間にそれは

確信となります。

 

迷いは

一切ありません。

 

決断すべき瞬間に

これをすれば、

とてもスッキリと

決断できるのです。

 

上手く決断できない人は、

このタイミングを

外しているという可能性が

高いです。

 

決断とは、

手放すこと。

 

手放すには

確信が必要です。

 

迷いながら何かを手放す

というのは

きついですし、

執着がどうしても

生まれます。

 

決断すべきタイミングを

逃さない。

 

・・・これ、

ぜひ大切にしてみてください。

 

つづく

 

素直な想いは、たった一つだけだったりする

決めたことを実行できない。

 

・・・そんなケースは、どこにでもあります。

 

決めたことを実行できない理由は

二つです。

 

一つは、

決めたつもりになっていたが、

本当は決めていなかった、

という理由。

 

つまりは、

真本音で決めたのではなく、

反応本音でのみ決めた、ということです。

反応本音での決断は、

その後、必ず葛藤や迷いが生じます。

 

もう一つは、

真本音では決めることはできたが、

それを阻害する強烈な反応本音パターン(クセ)があり、

そのクセに負けてしまう

という理由。

 

この場合は、そのクセを特定して、

クセを意識することで、乗り越えることができます。

 

今回の木村さんのケースは、

この二つの理由が複合しています。

 

決断そのものも反応本音レベルですし、

その上に、彼の強烈なクセが

表面化していました。

 

逆に言えば、

これを機にしっかりと自分と向き合うことができれば、

木村さん自身に大きな気づきと変化を

生じさせることができるチャンスです。

 

これは私の解釈ではなく、

これこそが木村さん自身の真本音の意図

でした。

 

私は彼のその意図に

委ねました。

 

その結果、彼に投げた問いが、

「木村さんは、

どんな人のコーチングをされたいのですか?」

でした。

(→前回記事)

 

木村さんはしばらく

考え続けました。

 

そして言いました。

 

「私はリーダーを応援したいです。」

 

「リーダー?」

 

「はい。

組織やチームを引っ張っていくリーダーです。

私のような人間です。」

 

「組織を引っ張るということは、

経営者も含まれますか?」

 

「はい。経営者も含め、リーダーという役割を

担っている人のコーチングをしたいです。」

 

「そう思う理由はわかります?」

 

「はい。

やはり、すべてはリーダーで決まると思うのです。

ところが、リーダーが自分の解釈だけで、

自分の度量の範囲でメンバーを引っ張ろうとすると、

チームが小さくまとまってしまいます。

私は今回のプロジェクトチームで、

チームコーチングの手法を使うことで、

メンバー一人一人がとても活き活きとして、

リーダーである私の範疇を超えるチームになっていく、

という経験ができました。

その素晴らしさを伝えたいのです。」

 

以前の記事でも書きましたが、

木村さんが言っていることそのものは

素晴らしいことだと思います。

しかしこれが彼の反応本音レベルの想いである以上、

やはりこちらの胸には響きません。

 

言葉のみが、

上滑りをしている感覚です。

 

「たけうちさん、

ここも、私に寄り添ってください。」

・・・と、木村さんの真本音からのメッセージが

私の心の中に浮かび上がってきました。

 

私はその声に委ねます。

 

「では、そういったコーチングができるようになるために、

今の木村さんにはどんな体験・経験が必要ですか?」

 

「うーん、

やはり、たくさんのリーダーである方々とお会いして

コーチングさせていただくことでしょうか。」

 

「具体的に、この人をコーチングしたい!

という人はいますか?

有名人でも結構です。」

 

「それを言ったら、平井です。」

 

「えっ? 平井さん?」

 

「はい。」

 

「理由はわかります?」

 

「・・・そうですねぇ。

やっぱり私は平井を尊敬してます。

尊敬するリーダーに、私はさらに伸び伸びと

してほしいです。」

 

なんとここで、木村さんの真本音が出ました。

この一言を聴いたとき、

私の体の芯がゾワゾワを痺れました。

真本音からの言葉を聴いた瞬間のいつもの感覚です。

 

「今のそのお気持ち、凄く強いですねぇ。」

 

「そうですね。自分でも言いながら

強い気持ちだな、と思いました。」

 

「では、平井さんのコーチングをしてみては

いかがですか?」

 

「いやいやいや、そんな滅相もない。」

 

「でも、平井さんを応援したいんでしょ?」

 

「いや、そうですけど。

今の私が平井のコーチングなどできませんよ。」

 

「どうして?」

 

「だって、全然レベルが違うじゃないですか。

平井だって、わざわざ私のコーチングなど

受けたいと思わないと思いますよ。」

 

「でも、コーチングするなら平井さんが

いいんでしょ?」

 

「はい。でも、それは理想です。

今の私には無理です。」

 

「そうなんですか。

じゃあどうしたいですか?」

 

「平井以外の人をコーチングします。

で、経験を積んだら、平井をコーチングします。」

 

「じゃあ、平井さん以外で、

この人コーチングしたいなぁ、と思う人はいます?」

 

ここで木村さんは止まりました。

 

しばらくじーっと考えていましたが、ポツリと

呟きました。

 

「・・・いないです。」

 

「いない?」

 

「はい、平井以外にいないです。」

 

私は彼の目を見据えました。

次の一言が、非常に重要だとわかったからです。

 

つづく

 

自分を本当に信頼していますか?

平井さんが、依存から自律へと変化できたのは

なぜでしょうか?

(→前回記事)

 

平井さんが、深刻から真剣へと変化できたのは

なぜでしょうか?

 

そのきっかけは、

自分自身との「本能的信頼関係を結べた」からです。

(→本能的信頼関係についてはこちら)

 

要するに、本当の意味で自分自身を

信頼することができるようになったからです。

 

ではなぜ彼は、自分を信頼できるようになったのか?

その答えは極めてシンプルです。

 

「真本音で生きるようになった」からです。

 

真本音とは、揺るがぬ自分です。

どのような状況、どのような環境においても

変わることのない自分です。

 

その自分は、人生に対する揺るがぬ願いを

持っています。

 

何のために自分は生きるのか?

この世の中において、どんな役割を自分は果たすのか?

どのような強みを、どう活かしていくのか?

 

それらを「願い」として明確に抱いています。

 

真本音で生きるとは、

その「揺るがぬ願い」に向かって生きる

ということです。

 

今、この瞬間に自分は何をするか?

今、この瞬間に自分は何を言うか?

 

今、この瞬間に自分は何をしないか?

今、この瞬間に自分は何を言わないか?

 

日常における、自分の一歩一歩を

真本音に素直に出し続ける。

その度合いが増せば増すほど、

自分自身が喜びます。

 

そして、自分の揺るがぬ願いに素直な自分を

自分が信頼するのです。

 

逆に言えば、

自分の真本音をないがしろにした言動を

繰り返すことで、

私達は自分への信頼を失くしていきます。

 

自分への信頼を失くしてしまうと、

自分の「決断」を信じられなくなります。

自分の決断が信じられなければ、

常に「迷う」という状態になります。

 

迷いながら進めば、

当然ですが、物事は進展しません。

 

例え同じ選択をしたとしても、

本当に決断をしてその道を進めば、

どのような障害があっても乗り越えられます。

しかし、

迷いながらその道を進めば、

ほんの少しの障害に出会うだけで、

すぐに止まってしまいます。

 

人生に正しいかどうか、という答えはありません。

大事なのは、

自分が決めた道を進めるかどうか?

しかし、

自分が決めること自体ができなければ、

人生は一向に進みません。

望む未来は決して

実現しません。

 

自らの真本音に素直に生きるかどうか?

 

それで、すべてが決まります。

・・・と言っても過言ではないと私は実感しています。

 

「おはようございます」

と、挨拶一つをするにしても、

それを真本音でするかどうか?です。

 

真本音ですれば、

その人らしい、その瞬間における最善の

挨拶ができます。

 

それができるかどうか、で

その後の展開が大きく変わります。

 

今この瞬間における些細な言動の一つによって

人生の展開は大きく変わります。

 

それをわかっているからこそ、

真剣な人は、今この瞬間を大切にします。

 

今この瞬間に真本音で生きる、

という度合いが高まることを私は、

「真本音度合いが高まる」

と表現しています。

 

真本音度合いが高まれば、

自分を信頼する度合いも高まります。

 

決断力も増します。

直観力も増します。

他者との信頼度も増します。

生産性も、必要な能力も、ほしい成果を手に入れる可能性も

増していきます。

 

では、どのようにすれば

真本音度合いは高まるのでしょうか?

 

それを、平井さんの例をもとに

ご紹介していきます。

 

つづく