決めたことを実行できない。
・・・そんなケースは、どこにでもあります。
決めたことを実行できない理由は
二つです。
一つは、
決めたつもりになっていたが、
本当は決めていなかった、
という理由。
つまりは、
真本音で決めたのではなく、
反応本音でのみ決めた、ということです。
反応本音での決断は、
その後、必ず葛藤や迷いが生じます。
もう一つは、
真本音では決めることはできたが、
それを阻害する強烈な反応本音パターン(クセ)があり、
そのクセに負けてしまう
という理由。
この場合は、そのクセを特定して、
クセを意識することで、乗り越えることができます。
今回の木村さんのケースは、
この二つの理由が複合しています。
決断そのものも反応本音レベルですし、
その上に、彼の強烈なクセが
表面化していました。
逆に言えば、
これを機にしっかりと自分と向き合うことができれば、
木村さん自身に大きな気づきと変化を
生じさせることができるチャンスです。
これは私の解釈ではなく、
これこそが木村さん自身の真本音の意図
でした。
私は彼のその意図に
委ねました。
その結果、彼に投げた問いが、
「木村さんは、
どんな人のコーチングをされたいのですか?」
でした。
(→前回記事)
木村さんはしばらく
考え続けました。
そして言いました。
「私はリーダーを応援したいです。」
「リーダー?」
「はい。
組織やチームを引っ張っていくリーダーです。
私のような人間です。」
「組織を引っ張るということは、
経営者も含まれますか?」
「はい。経営者も含め、リーダーという役割を
担っている人のコーチングをしたいです。」
「そう思う理由はわかります?」
「はい。
やはり、すべてはリーダーで決まると思うのです。
ところが、リーダーが自分の解釈だけで、
自分の度量の範囲でメンバーを引っ張ろうとすると、
チームが小さくまとまってしまいます。
私は今回のプロジェクトチームで、
チームコーチングの手法を使うことで、
メンバー一人一人がとても活き活きとして、
リーダーである私の範疇を超えるチームになっていく、
という経験ができました。
その素晴らしさを伝えたいのです。」
以前の記事でも書きましたが、
木村さんが言っていることそのものは
素晴らしいことだと思います。
しかしこれが彼の反応本音レベルの想いである以上、
やはりこちらの胸には響きません。
言葉のみが、
上滑りをしている感覚です。
「たけうちさん、
ここも、私に寄り添ってください。」
・・・と、木村さんの真本音からのメッセージが
私の心の中に浮かび上がってきました。
私はその声に委ねます。
「では、そういったコーチングができるようになるために、
今の木村さんにはどんな体験・経験が必要ですか?」
「うーん、
やはり、たくさんのリーダーである方々とお会いして
コーチングさせていただくことでしょうか。」
「具体的に、この人をコーチングしたい!
という人はいますか?
有名人でも結構です。」
「それを言ったら、平井です。」
「えっ? 平井さん?」
「はい。」
「理由はわかります?」
「・・・そうですねぇ。
やっぱり私は平井を尊敬してます。
尊敬するリーダーに、私はさらに伸び伸びと
してほしいです。」
なんとここで、木村さんの真本音が出ました。
この一言を聴いたとき、
私の体の芯がゾワゾワを痺れました。
真本音からの言葉を聴いた瞬間のいつもの感覚です。
「今のそのお気持ち、凄く強いですねぇ。」
「そうですね。自分でも言いながら
強い気持ちだな、と思いました。」
「では、平井さんのコーチングをしてみては
いかがですか?」
「いやいやいや、そんな滅相もない。」
「でも、平井さんを応援したいんでしょ?」
「いや、そうですけど。
今の私が平井のコーチングなどできませんよ。」
「どうして?」
「だって、全然レベルが違うじゃないですか。
平井だって、わざわざ私のコーチングなど
受けたいと思わないと思いますよ。」
「でも、コーチングするなら平井さんが
いいんでしょ?」
「はい。でも、それは理想です。
今の私には無理です。」
「そうなんですか。
じゃあどうしたいですか?」
「平井以外の人をコーチングします。
で、経験を積んだら、平井をコーチングします。」
「じゃあ、平井さん以外で、
この人コーチングしたいなぁ、と思う人はいます?」
ここで木村さんは止まりました。
しばらくじーっと考えていましたが、ポツリと
呟きました。
「・・・いないです。」
「いない?」
「はい、平井以外にいないです。」
私は彼の目を見据えました。
次の一言が、非常に重要だとわかったからです。
つづく
平井さんが、依存から自律へと変化できたのは
なぜでしょうか?
(→前回記事)
平井さんが、深刻から真剣へと変化できたのは
なぜでしょうか?
そのきっかけは、
自分自身との「本能的信頼関係を結べた」からです。
(→本能的信頼関係についてはこちら)
要するに、本当の意味で自分自身を
信頼することができるようになったからです。
ではなぜ彼は、自分を信頼できるようになったのか?
その答えは極めてシンプルです。
「真本音で生きるようになった」からです。
真本音とは、揺るがぬ自分です。
どのような状況、どのような環境においても
変わることのない自分です。
その自分は、人生に対する揺るがぬ願いを
持っています。
何のために自分は生きるのか?
この世の中において、どんな役割を自分は果たすのか?
どのような強みを、どう活かしていくのか?
それらを「願い」として明確に抱いています。
真本音で生きるとは、
その「揺るがぬ願い」に向かって生きる
ということです。
今、この瞬間に自分は何をするか?
今、この瞬間に自分は何を言うか?
今、この瞬間に自分は何をしないか?
今、この瞬間に自分は何を言わないか?
日常における、自分の一歩一歩を
真本音に素直に出し続ける。
その度合いが増せば増すほど、
自分自身が喜びます。
そして、自分の揺るがぬ願いに素直な自分を
自分が信頼するのです。
逆に言えば、
自分の真本音をないがしろにした言動を
繰り返すことで、
私達は自分への信頼を失くしていきます。
自分への信頼を失くしてしまうと、
自分の「決断」を信じられなくなります。
自分の決断が信じられなければ、
常に「迷う」という状態になります。
迷いながら進めば、
当然ですが、物事は進展しません。
例え同じ選択をしたとしても、
本当に決断をしてその道を進めば、
どのような障害があっても乗り越えられます。
しかし、
迷いながらその道を進めば、
ほんの少しの障害に出会うだけで、
すぐに止まってしまいます。
人生に正しいかどうか、という答えはありません。
大事なのは、
自分が決めた道を進めるかどうか?
しかし、
自分が決めること自体ができなければ、
人生は一向に進みません。
望む未来は決して
実現しません。
自らの真本音に素直に生きるかどうか?
それで、すべてが決まります。
・・・と言っても過言ではないと私は実感しています。
「おはようございます」
と、挨拶一つをするにしても、
それを真本音でするかどうか?です。
真本音ですれば、
その人らしい、その瞬間における最善の
挨拶ができます。
それができるかどうか、で
その後の展開が大きく変わります。
今この瞬間における些細な言動の一つによって
人生の展開は大きく変わります。
それをわかっているからこそ、
真剣な人は、今この瞬間を大切にします。
今この瞬間に真本音で生きる、
という度合いが高まることを私は、
「真本音度合いが高まる」
と表現しています。
真本音度合いが高まれば、
自分を信頼する度合いも高まります。
決断力も増します。
直観力も増します。
他者との信頼度も増します。
生産性も、必要な能力も、ほしい成果を手に入れる可能性も
増していきます。
では、どのようにすれば
真本音度合いは高まるのでしょうか?
それを、平井さんの例をもとに
ご紹介していきます。
つづく