目的

その目的でいいの?

 

「目的」は

本当に持たないと

いけないのか?

 

うん。

 

もちろん、

持った方がいいね。

 

目的は何だろうか?

考え続けることも

大事だ。

 

目的と手段を

混合しないことも

大事。

 

ただね。

 

何でもかんでも

目的を持てばいい

というものでも

ない。

 

目的なく

生きることこそが

必要な時も

ある。

 

今のあなたは

どっちだ?

 

私がこれまで

かなり多くみてきた

のは、

 

浅薄な目的を

設定してしまうことで、

その人が

本来の目的から

遠のいてしまうという

現実だ。

 

その場合、

目的を持ったことで

その人は

迷走を続けた。

 

そりゃそうだ。

 

本来ではない目的を

持てば、

誰もが迷走する。

どんどんと

「わけがわからなく」

なる。

 

目的を考え続けることは

大事だが、

無理で浅薄な目的を

設定するくらいなら、

あえて

「わけがわからない」

状態を楽しんだ方がいい。

 

今の私は

わけがわからないままに

進むぞ!

 

と、

決めるのだ。

 

自分の意思として

しっかりそれを決めて

本当に

「わけがわからない」状態を

徹底的に続ければ、

 

その向こうに、

突然、視界が開ける

可能性も出てくる。

 

まるで突然

霧が晴れたかのように

「すべてがわかる」

状態となる。

 

「すべてがわかる」

と言っても

頭でわかるわけでは

ない。

 

それは

感覚だ。

 

よくわからないけど

自分は

「すべてをわかっている」

ということは

わかるなぁ、

という感覚だ。

 

これを得られた時に

こそ、

目的を設定できるのが

理想かな。

 

まずは。

 

「今日一日の目的」

 

を設定すると

いい。

 

私は毎日これを

やっている。

 

どうしても

今日の目的がわからず

「今日はどうすればいいのか、

わけがわからん」

と思えば、

その「わけがわからない」ままで

一日を過ごす。

 

すると、

一日のどこかで、

もしくは

一日の終わりに、

 

「あぁそうか、今日は

こんな一日だったか」

「すべてがわかる」

感覚を

得られるかもしれない。

 

一日一日を

そのように過ごすことが

人生全体の目的設定の

大事な練習にも

なるんだよ。

 

つづく

 

この道の目的は何か

 

「目的」

には、二つの種類が

あると思うんだ。

 

登山に喩えて

みようか。

 

まず一つ目は、

 

あの山の頂上に

立とう、

 

というような

「目的」があるよね。

 

つまり、

ゴールを設定する

ような目的。

 

これを

「到達目的」

とでも呼ぼうか。

 

もう一種類の

「目的」は、

 

その頂上までの

過程で、

何を大切にしながら

進むか、

 

という目的。

 

例えば、

頂上まで行く道のり

では、

道端に咲く

お花を楽しむことを

目的にしよう、

 

とか、

 

周りの眺望を

楽しみながら

進もう、

 

とか。

 

これを

「過程目的」

と呼ぼう。

 

私はすべての物事

には、この

「到達目的」

「過程目的」

二つがあると

思っている。

 

これに気づくきっかけ

となったのは、

26年前の一つの

出来事だ。

 

・・・・・・

 

当時、私は

海外に放浪の旅に

出よう、

と決めていた。

 

そのために、

半年間で500万円の

資金を貯めよう

と決め、

ある完全歩合の営業会社に

入社した。

 

訪問販売の

会社だ。

 

そこに、

「訪問販売の神様」

と言われる人がいて、

運の良いことに

私はその人と一緒に

仕事ができることになった。

 

その人から学ぶことは

とても多く、

私は、他の人の倍以上

働き、

半年で1000万円を

貯めることができた。

 

その時の私の

到達目的は、

「旅の資金を貯める」

だ。

 

それは

達成したことになる。

 

ところが。

 

上司と私の功績が

認められて、

私達を中心とした

新たな支店を

立ち上げることが

決定した。

 

私達は

未開の地で

事務所を立ち上げ、

そこで

さらに販路を広げる

ことになった。

 

私は

一介の営業マンから

管理職になることに

決まった。

 

これはまずい。

 

このままでは

会社を辞めづらく

なる。

 

せっかく資金が

貯まったのに、

旅に出られなくなる。

 

そう思った私は、

その営業の神様である

上司に、

そこで初めて、

旅のことと、

会社を辞めたいことを

告白した。

 

すると、想定外の

猛烈な

反対にあった。

 

しかし私は

とても頑固で、

自分で決めた目的は

何が何でも達成する

と決めており、

何が何でも

辞めよう、

 

なんなら、今日にでも

辞めてやろう

 

くらいに

思った。

 

その上司の

私への説得は

一晩中、

朝まで続いた。

 

しかし私は

頑として聞かなかった。

 

逆に、何があっても

私の方が上司を説得し切ろう、

くらいに思っていた。

 

が。

 

上司の次の言葉が

私の胸に

突き刺さった。

 

その言葉により

私の心は完全に

揺らいだのだ。

 

「君の目的は

よくわかった。

それを達成したいという

気持ちもわかった。

だがな、

そのプロセスで君は

一体、何を得たいのだ?

達成したい目的だけを

達成できれば

それで君は良いのか?

それで君の人生は

本当に良いのか?

今のままの君では

間違いなく孤独になるぞ。

私はもっと君に

豊かな人生を

歩んでもらいたいんだ」

 

この言葉を

聴いた瞬間に、

私の中に

 

『仲間』

 

という言葉が

浮かんだ。

 

あぁそうか、

私は、私の人生を歩むに

当たり、

仲間を増やしながら

進むことを

望んでいるのだ、と

その時初めて

自覚した。

 

つまり私には、

「仲間を増やす」

という

過程目的があったのだ。

 

それがわかった

瞬間に私は上司に

頭を下げた。

 

「私が間違って

いました」

と。

 

「もう少し、あなたの元で

修行させてください」

と。

 

なんとその瞬間、

その上司は

まるで子どものように

声をあげて

泣き出した。

 

それを見て、

私も

声をあげて泣いた。

 

そして

痛感したのだ。

 

あぁ、あのまま

自分のゴールだけを

目指していたら、

この大切な人を

私は失っていた、と。

 

大切な人を

失い続ける人生に

入っていた、と。

 

人生には、

ゴールも大事だが

プロセスも大事

なのだ、と。

 

そして私はその後、

さらに半年間、その上司と

共に仕事をした。

 

新たな支店を

立ち上げ、

人を採用し、

15人体制まで

組織を育て、

 

チームとしても

売上の新記録を

達成し、

さらにもう1000万

貯めることができた。

 

そして何よりも

新たな仲間が

そこでできた。

 

私の幸せ度合いは

明らかに上がり、

そして

ゴールも達成できた。

 

最後は

上司からもみんなからも

盛大に

送り出してもらえた。

 

旅に出るのは

半年遅くなったが、

その半年で

私はかけがえのないものを

得ることができた。

 

恐らくその時の

半年間の体験が、

今の私の

原点になっている。

 

・・・・・・

 

「目的」には

二つの種類がある。

 

到達目的

過程目的

だ。

 

二つ共を

大切にすることで

私達の道のりは

豊かになる。

 

私達の真本音は

それを

望んでいる。

 

つづく

 

目的がわからなくても目的に向かう

「自律」について、さらに話を深めます。

(→前回記事)

 

何のために何をするか?

そして、

何のために何をしてはならないか?

 

自律した人は、

常にゼロからそれを発想します。

 

それまでの過程はもちろん大事ですが、

それまでの過程と、創り上げてきた現実に

執着はしません。

 

「これまではこういったやり方で成功してきたから、

これからもこのやり方で行こう。」

・・・というのは、依存です。

それまでのやり方への依存であり、

過去への依存です。

 

常に原点(ゼロ)に戻ること。

常に「何のために」(目的)に戻ること。

それができるので、自律した人は強いのです。

 

しかしこのような説明をすると、

よく、次のようなご質問をいただきます。

 

「原点とか目的とか言われても、

私にはそれがわからないのです。」

 

実は、コーチング初期の頃の平井さんからも

いつもそのようなことを言われました。

 

平井さんは、

「私には、目的がわかりません。

自分が何のためにこの仕事をしているのか?

それがわからなくなります。

もちろん表面上の目的はありますし、頭では

理解できます。

でも、その目的を頭に置いたとしても

力も湧いてこないし、発想も出ません。

多分それは、私の本当の目的ではないからです」

と言われていました。

 

そして、

「たけうちさん、目的を見つけるためには

どうすればよいですか?」

と。

 

実は、

「目的を見つけるためにはどうすればよいですか?」

という質問は、

依存している人の典型的な質問です。

 

自律している人は決して、

そのような質問はしません。

 

それは、

すでに目的がわかっているから

ではありません。

 

目的がわかっていなくても、

自律している人は、そんな質問はしません。

 

自律している人は、

目的とは自分で見つけるものである、

自分で見つけようとしなければ決して見つけられないものである、

ということを、何となくでもわかっているからです。

 

そして、今はまったく目に見えない目的を

自ら見つけよう、とします。

 

そこが大事なのです。

 

なぜなら、

自ら目的を見つけようと真剣になることで、

私達の「真本音」が発動するからです。

 

真本音とは、

「私達の人生の目的に向かおうとし続ける

揺るがぬ心」

と表現することもできます。

 

その真本音が発動します。

それにより、

「目的はわからなくとも、目的に向かう」

という状態に入っていきます。

 

本当は、

私達の目的は、最初から私達の中にあります。

ただそれが、

顕在化していないだけです。

 

私達の頭が

認識していないだけのことです。

本当は目的は

心の中にガッシリと存在しています。

 

何のために私は生きればよいのか?

何のために私はこの仕事をすればよいのか?

何のために私はこの役割を果たせばよいのか?

何のために・・・

 

自分自身が今、ここにいる理由(目的)を

私達は本当は誰よりもよくわかっています。

ただ、

顕在化していないだけ。

 

ですから、目的は他人に教えてもらうものでは

ありません。

自ら見つけようとするものです。

 

それをすることで、

私達の真本音は発動し、

真本音に素直に行動することで、その先に

自分自身の目的が見えてきます。

 

説明すると、以上のようなことになりますが、

自律している人は、理屈ではなく感性として

以上のことがよくわかっています。

 

ですので私のコーチングは、

その人の真本音が活性化するための刺激のみ

を入れるようにしています。

それ以外のことはできるだけご本人が自力で

進めるようにしています。

 

平井さんのコーチングはその典型でした。

 

私が行なったのは、

平井さんの真本音を活性化させることだけ。

 

自らの真本音を自らキャッチできるようになった

平井さんは、自らの真本音に素直に

すべての道を開いていきました。

 

それが自律状態です。

 

真本音で生きるとは、自律すること。

 

そして自律した人が、

周りとの調和を起こしていきます。

 

つづく