自分と向き合う

もっとジーッとしてなさい

 

あえて言うが、

 

みんな

落ち着きが

なさ過ぎないか?

 

もっと本当に

自分自身と

しっかり

向かい合っては

どうか。

 

物事の決断を

するのに、

 

「妥協することでしか

答えを出せない」

 

と思い込んでいる

人が多い。

 

しかし、

妥協の中に

「答え」

はない。

決して。

 

そこに「答え」を

求めてしまうと、

必ず

不調和が起こる。

 

その不調和が

次の妥協を

生む。

 

その悪循環は

自ら断つ

しかない。

 

「妥協の中に

答えを見つける」

 

のではなく、

 

「自分はすでに

答えを決めている」

 

という真実を

知るべきだ。

 

「私はもう

答えを決めているから。

その真の答えを

思い出すだけだ」

 

という視点から

自分と

向き合ってほしいな。

 

「でも、そうしても

全然答えが

わからないんです」

 

とも言われるが、

 

しかしやっぱり

どうしても私から

観ると、

 

落ち着いて

自分と

向き合っているとは

思えないのだ。

 

ちゃんと

ジーッと

自分自身と

向き合う時間を

創ってほしい。

 

ジーッと

向き合っても

答えは簡単には

見つからないだろう。

 

でも、

見つからないなと

思うとすぐに

妥協点を探りに

かかる。

 

それを私は

「落ち着きがない」

と表現している。

 

思考が出るのは

構わない。

 

でも

あらゆる思考を

存在承認した上で

いったん

横に置いてほしい。

 

その思考の奥に

真の答えがある。

 

思考に埋没

するのではなく、

思考は思考で

置いておき、

 

ジーッと

自分自身の心を

見つめ続けて

ほしい。

 

観察を

続けるのだ。

 

答えがまったく

見えなくても

観察を

続けるのだ。

 

ジーッと。

 

ただ

ジーッと。

 

慣れるまでは

私はこれを

夜を徹して

朝までやり続けた

ことが

数えきれないほど

あった。

 

でもいったん

コツがわかれば、

かなりの短時間で

 

「自分が最初から

決めている答え」

 

がわかるように

なった。

 

それはまさしく

「思い出す」

という感覚と

同じだ。

 

「思い出す」

という感覚は

「確信」を

呼び起こす。

 

迷いのない

答えだ。

 

そうすれば

あとは勝手に

自分自身が

動いてくれる。

 

その状態に

なるまで、

ただただジーッと

自分と

向き合い続ける。

 

落ち着いて。

 

これをぜひ、

しっかりと

やってほしい。

 

つづく

 

世界からの祝福を感じ取ろう

目を閉じて、

意識を自分の内側

ではなく、

外側に向けると、

 

変な表現ですが・・・

 

「世界」が自分を

祝福してくれている、

といった感覚を

得たことは

ありませんか?

 

私がこの感覚を

初めて得たのは、

そうですね、

もう何年前でしょうか。

 

恐らく、

8〜9年前。

 

ある企業様で

講演をさせていただいた

時です。

 

それは結構

大手の企業様で、

全国からマネージャーの

皆さんが一同に会する

という、

年に一度か二度の

全体会議の中で、

確か70分だけ

お時間をいただいたのです。

 

しかし、

時間は70分でしたが、

お客様のご要望される

内容は非常に深く、

これまでの私がもし

その内容をお伝えするならば、

最低でも丸一日は

時間が必要でした。

 

それを

70分でやれ、

と。

 

しかし私はそのご依頼を

お受けし、

短時間でいかに

深いご理解を

皆様にいただくか?

という

挑戦をしたのでした。

 

まぁ、

緊張しましたよ。

 

今でも

思い出します。

 

講演の直前は、珍しくも

心臓バクバクで、

その企業様自体が

初めての体験でしたので、

どのような傾向の皆さんが

いらっしゃるかもわからず、

本当に大袈裟でなく、

口から心臓が

飛び出している

感覚でした。

 

で、

必死にやりましたよ。

 

我ながら

凄い集中力でした。

 

講演中は

ほぼ、記憶が

ありません。

 

で、終わった直後に

ご依頼いただいた

担当の方から

喜びのお声をいただき、

やれやれと、

その企業様を後にした

その時に、

それは起こったのでした。

 

まるで「世界中」から

万雷の拍手を

いただいているような

激しい祝福の感覚に

見舞われたのです。

 

それは、

10分、20分と

かなりの時間、

続きました。

 

なんだ?

 

なんでこんなに

祝福を受けている

感覚なんだ?

と、

当時の私は

わけがわからないまま

でした。

 

が、今の私は

わかります。

 

それは

実在の世界における

拍手であり、

祝福です。

 

一つのことに挑戦し、

自分が思っている以上に

脱皮を果たした後の

祝福です。

 

それは私だけでなく、

本当は

誰もが受けたことのある

「世界」の人々の真本音からの

感謝と祝福の

嵐なのです。

 

・・・・・・

 

実は、

今日も私は一日、

その万雷の拍手が

鳴り響き続け、

いつまで経っても

止まないのです。

 

ここのところ、

確かに私は

挑戦ばかりをしている

ような気がしますが、

いったいなんで

こんなにも祝福されるのか?

がまだ自覚できて

いません。

 

ただ言えるのは、

とてつもなく

幸せであるということです。

 

多分、

何かを成し遂げたのかな。

 

これからゆっくり

セルフコーチングして、

自分がいったい

何を成し遂げたのか?を

明確にしたいと

思っています。

 

「世界」からの

万雷の拍手。

 

それは

皆さんの人生においても

何度も

体験しているはずです。

 

もしそれに

気づいていないので

あれば、

もったいないことですね。

 

そういったことを

感じ取れる

感性を

身につけられると

よいですね。

 

そのための

最大最善の方法が

自分と向き合う

ということです。

 

自分と

しっかり向き合うからこそ、

自分の幸せ感に

自ら気づけますからね。

 

つづく