虚勢

自分を矯正する人生は、深刻になるだけ

「虚勢を張る」ということについて

書かせていただきましたが、

(→前回記事)

それは、

「反応本音のクセ」

の一つです。

 

反応本音とは、

私達人間が現実(現象)世界と

関わる中で、

現実(現象)からの影響を受けることで

発生する心です。

 

一つの現実に対して

様々な反応本音が大量に

発生します。

 

そのうちの一つを

私達は選択し、

その反応本音に基づいて

私達は行動します。

つまり、

次の自分の言動や振る舞いを

決定します。

 

その、

反応本音の選び方を

私達は無意識に

パターン化します。

 

それが

反応本音のクセ

となります。

 

「虚勢を張る」

というのはそういったクセの

一つです。

 

もちろん、

それ以外のクセもあります。

 

例えば、

「虚勢を張る」のとは

真逆のクセがあります。

 

それは、

「自分を卑下する」

です。

 

自分なんて

どうせダメだから。

自分なんて

どうせできないから。

自分なんて

価値のない人間だから。

自分なんて

どうせ上手くいかないから。

自分なんて

・・・

と、最初から諦めて

物事に挑戦しない、とか

積極的に取り組まない

などの出方をします。

 

また、例えば、

「人に迎合する」

というクセの出方も

よくあります。

 

自分を出すことよりも、

人の意見に合わせたり、

イエスマンになったりしながら、

その場を取り繕う

ことをすぐにしてしまいます。

人間関係において、

波風を立たせたくない

のです。

波風が立つくらいなら、

自分が我慢すればよい、

と、ほとんどの物事に対して

打算的に考えています。

 

その逆に、

「人を否定する」

というクセもあります。

 

自分の考えが一番正しいと

思い込み、

他の人はすべて未熟だと

思い込み、

自分の考えに合わないことは

すべて否定しようとします。

要するに、

頑固ということなのですが、

悪い意味での

評論家っぽくもあり、

口を出す割には

口だけしか出さない。

自分が責任を負って

すべてを引き受けることは

しません。

理論的に否定するだけの

口だけ大将です。

 

・・・というように

反応本音のクセを書き出せば

本当にキリがないくらいに

様々なパターンがあり、

その一つ一つを

しっかりと見ていくと、

かなり深刻に思えます。

 

自分の

・心と

・行動(振る舞い)と

・起こす現実

に悪循環を起こし、

結果として自分の望まない

人生を創り出します。

 

しかも

面白いことに、

一つの反応本音のクセを

治そうとして

たとえそれができたとしても、

さらに次のクセが

出来上がるだけなのです。

 

一つのクセを見つめると、

深刻になり、

そのクセを必死に治しても、

さらに次のクセが

出来上がる。

 

それに対して

また深刻になり、

クセを矯正しようとする。

 

でもまた次のクセが

浮上する。

 

・・・という感じで、

本当にキリがありません。

 

それをやり続けているうちに

人生が

終わってしまうでしょう。

 

しかもその人生とは、

深刻なクセを治すための

深刻な人生だった、

ということになります。

 

しかし

「深刻な人生」

「真剣な人生」

は根本的に異なります。

 

残念ながら

深刻さからは何も

生まれません。

 

反応本音を矯正し続ける人生

からは

何も生まれないのです。

 

むしろ

自分の本当の「道」を

見出すためには、

その深刻さのサイクルから

抜け出す必要があります。

 

そのための

第一歩とは

何でしょうか?

 

それは、

 

『どうでもいいじゃん』

 

という一種の

おおらかさを持つこと

なのです。

 

「何があってもいいじゃんか」

とか

「どんなクセがあっても

構わないよ」

という

おおらかな目線で

自分の心と行動を

見つめることです。

 

ただし、

あるがままに

見つめること。

要するに

『観察』であり

『観る』ことです。

 

やはりまずはそれが

すべての土台に来ます。

 

そしてその上で

一つ、

とても重要なことをします。

 

それがすべての

始まりとなります。

 

続きは次回に。

 

つづく

 

苦しんでいるのに、救えない・・・

「虚勢を張る」ということについて

書かせていただいています。

(→前回記事)

 

虚勢を張ることに

パワーを使い続けている人は

自分が真本音で決めている「道」を

見つけることはできません。

 

虚勢を張る心というのは

単なる反応本音の一種に

過ぎません。

 

しかしこれをし続けますと、

心全体がまるで

発泡スチロールのように

なっていきます。

 

心が動かなく

なるのです。

 

血が通わなくなります。

 

固まります。

 

しかも、

叩けばすぐに崩れて

しまうほどに、

弱いのです。

 

そんな

発泡スチロールのような自分を

一番わかっているのは

自分自身ですから、

そんな自分を守るために

その人はさらに虚勢を張る

ようになります。

 

そのうちに

そんなことをし続けている

自分に対して

罪悪感が増してきます。

 

「罪悪感」。

 

これは私達の心にとっては

最もキツく

苦しいものです。

 

なぜなら罪悪感とは

自分を責め続ける気持ち。

ですから、

喩えて言うならば、

自分の心に自分で

ナイフをぐさぐさと

突き立てているような

ものです。

 

自分で自分の心を

傷つける行為が

罪悪感を持つことです。

 

これは本当に

キツい。

 

心のエネルギーが

一気に奪われます。

 

要するに心は

格段に弱まります。

 

それにより

ますます発泡スチロール化

が進みます。

 

そしてますます

虚勢を張ります。

 

虚勢を張る、というのが

クセになり、

虚勢を張ることでしか

生きていけなくなります。

 

発泡スチロール化した

弱い自分の心を

少しでも傷つけそうな

人を見つけたら、

その人をまずはこちらから

攻撃するようになります。

 

攻撃される前に

攻撃するのです。

 

人を攻撃する

とは、

完全に

弱さの現れ以外の

何物でもありません。

 

しかし

人を攻撃しながら

それがさらなる罪悪感になり

内側から

自分で自分を攻撃

するようになります。

 

まさしくそれは、

心の八方塞がり。

 

延々と続く

悪循環です。

 

この状態では、

たとえ目の前に

自分の本当に望む道が

現れたとしても、

それに気づくことは

あり得ません。

 

ところが、

虚勢を張る自分とか、

罪悪感とか、

人を攻撃するクセは、

治そうと思っても

そうそう簡単には

いきません。

 

すべては

自己防衛の手段

なのですから、

治そうと思っても

不安感が増すだけです。

 

人は、

不安の方向に努力することは

難しいです。

 

その方向に進めば進むほど

安心感が増すとか、

希望の光を感じるようになるとか、

とにかく、

居心地の良い方向にしか

努力はできません。

 

「悪いものを治そう」

だけでは

続かないのです、

何事も。

余程、追い詰められない

限りは。

 

以前の私もそうでしたが、

こういった状態に

陥っている人に

たくさん出会います。

 

その度に

私は思います。

 

私達はもっと自分を

「救おう」

としなければならない、

と。

 

「治そう」とか

「修正しよう」ではなく、

「救おう」

としなければならない

のではないかと

私は本当に思うのです。

 

ところが

他者がその人を救う

ということは

できません。

 

自分のことを救えるのは

自分のみ

なのです。

 

私はコーチとして

多くの人と関わらせて

いただきながら、

「この人を救ってあげたい」

と、本当に毎日のように

思います。

 

でも、

「この人を救ってあげたい」

というこの気持ちの

なんと傲慢なことか。

 

上から目線とか

そういったレベルの

ことではなく、

何か、根本的に

人としての尊厳を

無視している気持ちであると

私は思うのです。

 

でもそれでも

「救ってあげたい」

と思ってしまいます。

 

それくらいに

苦しんでいる人が

今はあまりに

多いです。

 

しかも、

それだけ自分の魂や心が

苦しんでいることを

本人が気づいていない。

 

なんで気づかないままで

いられるのだろうか?と

不思議でならないのですが、

麻痺したままでいる。

 

私はその度に、

本当に失礼で良くない

表現ですが、

昔、中学生時代に

理科の授業で行なった

カエルの解剖を

思い出します。

 

解剖をされるカエルは

麻酔薬に浸けられます。

 

麻酔薬に浸けられた

カエルは

自分のお腹を

引き裂かれているのに

気づいていません。

むしろ、

気持ちの良さそうな

顔をしていることに、

当時の私はかなり

ショックを受けた覚えがあります。

 

その状態と同じ人が

今の世の中には

いっぱいいるのです。

 

思わず、

「救ってあげたい」と

思ってしまいます。

 

でも、

それは傲慢ですし、

どれだけそう思っても

不可能なことです。

 

私達人間は、

自分を救うのは自分だけである

という「摂理」の中で

生きています。

 

しかもそれが

人としての尊厳です。

 

それを私は

コーチとして決して

忘れてはならないと

いつも自分を戒めています。

 

だからこそ、

発見できたのかも

しれません。

 

自分で自分を救う

方法を。

 

その方法を

示すことが、

私の役割となりました。

 

その方法を

実際に使うかどうかは

本人しだいです。

 

努力するのも

本人しだい。

 

私ができるのは

方法を示すことだけ。

 

しかもその方法は

自然の摂理に沿った

ものでなければなりません。

 

でも私は

多くの方と向き合いながら

それを見つけることが

できました。

 

それは、

自分の本当に望む道を

見つける方法、

という言い方もできます。

 

ではその方法とは?

 

これを次回以降、

ゆっくりじっくりと

お話しさせていただきます。

 

つづく

 

虚勢を張れば張るほど、道は観えなくなる

自分の中に存在している

本当の「道」を

見極める。

 

そのためには、

真本音と反応本音の区別が

必要。

 

では、どうすればその区別を

つけられる自分になれるのか?

 

・・・そんなお話を

書かせていただいています。

(→前回記事)

 

反応本音に基づいて

生きているうちは、

私達は虚勢を張ります。

 

すべての人がそう、

というわけではありませんが、

一般的には

声が大きくなります。

 

威厳を出そうとします。

 

いつも無理にでも

元気な自分を

見せようとします。

 

以前の私が本当に

そうでした。

 

私はコーチというお仕事を

真本音・反応本音という

区別がつく何年も前からずっと

続けています。

 

20年くらい前の私の研修や

チームコーチングは

それはそれは

威厳に満ちたものでした。

 

若いくせに。

 

場に緊張感を

張り巡らせていました。

 

当時の私は30歳過ぎ

くらいです。

 

相手はほとんど

年上です。

 

40代50代の経営者の方も

多かったです。

 

そんな方々に向かって

平気で

「お前は甘い」

と「指導」していました。

 

本当にそういった

言い方をしていたのです。

 

私がきつく当たると

その方はビッショリと

冷や汗を流していました。

 

私はその人の

痛いところを

突き続けていました。

 

そうしてその人を

「矯正」して

経営をよくしよう、

俺がそれをしてやろう、

と思っていました。

 

そして、

そういった「指導」をする立場が

自分の役割なので、

自分は誰よりも人格者で

あらねばならないと

決めていました。

 

だから、

心の中に次々に現れる

負の方向の反応本音達を

力でねじ伏せて、

フタをして、

無きものとしていました。

 

で、ある時についに

体を壊してしまったのです。

 

あの時、

私の体が言うことを効かなく

ならなかったら、

私は真本音に気づくことは

できたでしょうか?

 

今でも

そう反芻します。

 

そんな当時、

ある時私はお客様の会社に

車で向かいました。

 

当時の私の睡眠時間は

とても短く、

1時間とか2時間の日々が

続いていました。

 

ですので私は

お客様の会社の近くに

15分くらい前に車で到着し、

車の中で

5分〜10分くらい仮眠をとる、

というのを習慣化していました。

 

5分10分の仮眠をとる

名人でした。

 

その日もちょっと前に到着し、

5分だけ仮眠をとりました。

 

その場合、

シートを倒すわけでは

ありません。

 

通常の座った状態のまま

ウトウトとするのが

コツです。

 

私はいつものように

ウトウトしました。

 

するとその瞬間に、

私は自分の腹から

とてつもない何かが

込み上げてくるのを

感じました。

 

それは、

大量の血でした。

 

ブバババババッ!!

と凄い音を立てながら、

私は口から大量の血を

吐き出しました。

 

血は口から溢れ、

私のスーツは

血まみれになりました。

 

うわっ!どうしよう!

・・・とびっくりした瞬間に

目が覚めました。

 

夢だったのです。

 

でも、

あまりにも鮮烈でした。

 

今でもそれは

現実としか思えないくらい

リアルでした。

 

今ならわかります。

 

確かにそれは

夢ではありませんでした。

 

それは「実在」でした。

 

私は「実在」を

感じただけです。

 

私の中から

これまでフタをしていた

反応本音達が溢れ出し、

真本音という存在に

気づいたのは、

その数日後でした。

 

その後、わずか

2〜3ヶ月で、

私は、当時の師匠のもとを

飛び出し、

当時雇われ社長をしていた

会社も飛び出し、

当時の家族からも

飛び出し、

両親のもとからも

飛び出し、

お客様からも

飛び出し、

友人関係からも

飛び出し、

すべてをリセット

することになります。

 

人生がその時一度、

終わったのだな、と

今でも思います。

 

終わったと同時にそれが、

真本音の人生、

真本音の道の

始まりでした。

 

私の中からは徐々に

虚勢は去っていったと

思います。

 

虚勢を張る人生が

いかに辛い人生か。

痛いほど私は

知っています。

 

虚勢を張るエネルギーと

時間があれば、

もっと自分の本当の

願いに向かえばいい。

 

そんな単純なことなのですが、

なかなかそれができないのも

人間です。

 

でもまずは、

虚勢を張っている

自分自身を

自分で認識することですね。

 

そんな自分を

見つめるのです。

 

観続けるのです。

 

それだけで、

そこからは

抜け出せるでしょう。

 

すると

虚勢を張ることそのものが

遊び心のような感じとして

受け取れるようになります。

 

なんだ、

可愛いな、俺、

と。

 

そうなればもう

いつでもそこからは

抜け出せます。

 

虚勢から抜け出すことで、

真本音の道が

初めて観えてきます。

 

つづく