巻き込まれないように

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光と闇が
あれば、
皆、
光を望む
だろう。

そう思って
いたのだが、

実は私は
闇を
望んだ。

長い間。

結構、
そういう人は
多い。

闇の方が
安心する
のだ。

闇は
「無」を
思わせる。

この
「無」への
憧れが
私にはずっと
あった。

今でも
死んだら
「無」になっちまえば
いい、
その方がよほど
安心できるのに!

という
私がいる。

自分という
存在を、
消してしまいたい、

なかったことに
したい、

そんな想いに
ずっと
取り憑かれていた
のが、
私の人生の
始まりだった。

当時は
死が怖かったが、
今になって
振り返れば、
よくわかる。

私は
死を望んで
いた。
正確に言えば、
ずっと
「無」
を望んでいた。

・・・・・・

が、
そういうわけにも
いかないのだ。

真実は。

なぜなら
「無」
というものは
ないから。

「無」は
我々人間が生み出した
概念の一つ
でしかないから。

それが
感覚的に
わかってしまった
とき、

もちろん私は
愕然とした。

しかしそこからの
復活は
早かった。

私は
いじけていた
だけだった。

「無」で
遊んでいた
だけだった。
生まれてから
最初の方の
人生では。

「無遊び」

とでも
表現しようか。

で、
だからこそ
よくわかるのだ。

大人でも
「無遊び」を
している人が
多い、
ということを。

あぁこの人は
「無遊び」を
しているな、

すぐにわかって
しまう。

で、
どうするか、と
言えば、

「無遊び」から
脱け出ようと
もがいている人で
あれば、
サポートする。

「無遊び」に
夢中になっている
人からは
離れる。

だって、
他者からは
何もできないから。

それにもう
「無遊び」に
巻き込まれて
遊んでいる時間が
私には
ないから。

残念ながら、
この10年で、
増えてしまったな。
「無遊び」。

いじけている
大人が多い、
ということだ。

私自身はもう
「無遊び」には
巻き込まれないが、

「無遊び」に
巻き込まれそうに
なっている人がいれば、
ヘルプせねば
なるまい。

これからは、
これまで以上
に。

つづく

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