地に足をつけようとしてはならない時がある

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人も組織も

『脱皮』

をする時があります。

 

そして脱皮の段階においては

平常時とは真逆の選択をしなければ

ならないことがあります。

 

平常時の原理原則が

まったく役に立たなくなるのです。

 

例えば、

「自分にどんどん不安定を与える」

ことが大事になります。

(→前回記事)

 

さらに、次のことも

大事です。

それは、

 

「無茶をする」

 

ということです。

 

平常時においては、地に足のついた選択と行動が

大切です。

 

しかし、脱皮をしている間は、

地に足をつけようとしても、

その、「地」そのものがありません。

それはまるで、

空中に浮かんでいるかのようです。

 

足元がないので、

いつでも「落ちる恐怖」に苛まれます。

そこで多くの人は、

バタバタと足を空回りさせ、

悪あがきをします。

 

しかし「地」そのものがないので

どうしようもありません。

 

ですので、脱皮の時は、

地に足をつけること自体を

あきらめます。

 

空中に漂うままにします。

落ちる恐怖や、実際に落ちる感覚もありますが、

そこは、あきらめてしまうのです。

 

そして、

どうせ地面がないのですから、

無茶をしてしまうのです。

 

こんな時こそ、

自由発想です。

 

ただし。

 

わざと「無茶をしよう」と考えることも

厳禁です。

「無茶をしよう」という意図そのものが、

すでに自分に「無茶」という枠を

はめるからです。

 

ただただ純粋な、

自由発想をします。

 

どうせ、何をしても怖いのだから、

怖さは変わらないのだから、

思い切って心を自由にするのです。

 

すると、

本当にとんでもない発想が

出ることがあります。

 

とんでもない発想が出た場合には

そこに、

立ち向かっていくのです。

 

それを実行に移そうとするのです。

 

大丈夫です。

 

脱皮とは、

私達の真本音の意図に

基づいています。

 

行動に移そうとして、

もしそれが本当に行動できたとすれば、

それは、真本音の行動です。

 

行動に移そうとして、

もしそこで体が止まってしまうのであれば、

それは、私達自身の真本音が

止めている、ということになります。

 

ですので、本当に危険なことは

行動に移すことができません。

 

何をどうしても不安定なまま。

・・・という状況の中だからこそ、

私達は、

「開き直る」

ということができます。

 

開き直った人は

強いです。

 

開き直ることで、

これまで体験したことがないくらいに

真本音度合いを高めることが

できるのです。

 

脱皮とは、

そういった自己革新のチャンスである

とも言えます。

 

『不安定をどんどん自分に与え、

しかも無茶をする』

 

それが、脱皮時における

原理原則の一つです。

 

脱皮時に

きちんとそれができる人は、

脱皮そのものの頻度も

上がっていきます。

 

すると、人生が加速します。

 

私たちは、

脱皮そのものに楽しさを

見出すこともできるようになるのです。

 

それが、

人間の凄さであると

私は思います。

 

つづく

 

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