冷徹

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昔の出来事が

フラッシュバック

するとき、

 

よく私は

その時の自分自身

となる。

 

心も体も

その時に戻る

感覚だ。

 

と同時に

今の目線から

その自分を冷静に

 

時には

冷徹に

 

見つめる

自分もいる。

 

それはやはり

過去を振り返る

という状態

だからからだろう

思っていのだが、

 

どうやら

違う気がする。

 

つまり、

 

その出来事の

起きた

その時その瞬間も

 

まさしく

今と同じ

状態ではなかったか。

 

つまり、

 

このように

冷静に

 

時には

冷徹に

 

自分を見つめる

自分が

そこにいた

のではなかったか。

 

だから

初めから

わかっていたのだ。

 

自分の

愚かさを。

 

そっちでは

ないよ、

と。

 

そうでは

ないよ、

と。

 

何をやってるんだ

俺は、

と。

 

その客観性が

あることを

ちゃんと

自覚してたらなぁ、

思うのだが、

 

しかしやはり

そこは人間。

 

そうそう上手く

行くようであれば、

 

むしろ

 

人生など

必要ない。

 

未来の私は

常にいる。

 

今の

ここに。

 

今まさに

今の今にも

いるだろう。

 

じっと

私を

見つめている。

 

冷静に

冷徹に。

 

過去の

目もある。

 

過去の私も

今の私を

見つめている。

 

見つめ

続けている。

 

過去と

今と

未来の自分

コラボ。

 

これが

人生の

本質だろうよ。

 

ただ、

 

それをわかりながらも

私は

今に生きる。

 

じっと

見られている

感覚は

今はよくわかる。

 

でもあえて、

 

それを

無視してでも

 

今の自分として

今に

いたい。

 

たとえ

愚かでも。

 

それも

人生の

本質だろうよ。

 

つづく

 

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