自分の人生で起こる
すべての現実は
すべて自分自身が
引き起こしているものであると
本当に自覚した人は
幸せです。
頭での理解ではなく、
肚での理解。
まったく本当にその通りだと
わずかな淀みもなく
そう理解できた状態を
『覚悟』
と言います。
人は、
覚悟を持つと
軽やかになります。
すべてから解放・開放された
感覚に満たされます。
それは言葉を換えれば、
『自由』
です。
ですから私は
「覚悟」と「自由」は
イコールであると思っています。
自分自身の人生に対して、
そして
すべての現実に対して、
人が
「覚悟」を持つ瞬間と
私は多く立ち合ってきました。
「覚悟」を持った瞬間の
その人の
晴れやかな表情を
どう表現すればよいでしょうか。
恐らくその瞬間とは、
人間としての幸せのすべてが
凝縮されているのだと
私には思えます。
その瞬間から
人は、
「逃げる」必要がなくなるから
です。
私達の魂を淀ませるものの
本質とは
「現実逃避」です。
いざとなれば
逃げればいい。
ここから
逃げ出したい。
逃げれば
何とかなる。
・・・そういった
「逃げ」への可能性を
心のどこかに秘めている内は
私達は
苦しみ続けます。
自分を救おうとするために
「逃げ」という選択肢を
私達は持つのですが、
実はその選択肢そのものが
自分を苦しめている
というのが人生のカラクリの
一つです。
かと言って、
「逃げを手放そう」
としてもいけません。
「逃げを手放そう」
とすればするほど、
「逃げ」に執着するのも
私達人間です。
「逃げを手放したフリ」を
している人も
私は数多く拝見してきましたが、
そういった人達は
本当に苦しそうです。
手放したつもりで
執着の度合いを高めている
からです。
私はよく、
「人はもっと楽に
生きることができる」
という表現を使います。
しかしその言葉を聴くことで、
すぐに「逃げ」に入る人も
います。
それにより、余計に苦しむ
ことになります。
ですので、
「人はもっと楽に
生きることができる」
という言葉は使うべきではないかな、
と思った時期もありました。
しかしそれでもやはり、
私は言わねばなりません。
人はもっと楽に
生きることができます。
そのためには、
逃げなければよいのです。
しかしそのために
「逃げ」をなくそう、とか
「逃げ」を手放そうと
してはなりません。
じゃあ、
どうすればよいのでしょうか?
実はその答えは、
私がこれまでずっと
このブログでお伝えし続けてきた
ことと同じです。
「逃げようとしている自分」を
あるがままに
観察する、ということです。
「観る」
ということです。
そして、その自分を
操作しようと
しないことです。
存在を承認する、
それだけのことです。
「逃げようとしている自分」と
真摯に
向き合ってみてください。
自分は
何から逃げようと
しているでしょうか。
それは
ほんの些細なことから
かも知れません。
もしくは、
人生を左右する大きな
ことかも知れません。
物事の大小は
重要ではありません。
逃げようとしている
その姿勢そのものが
本質です。
その本質を
きちんと観つめること。
観つめ続けること。
じーっと
観つめていれば、
ある瞬間から
そんな自分を可愛らしく
感じるはずです。
すべての反応本音は
本当は
可愛らしいのです。
可愛らしく
感じることができたら、
そんな「逃げる自分」に
伝えてあげてください。
「君は可愛いなぁ。
君はそこにいていいんだよ。
だって
それが人間じゃないか。」
その瞬間に
私達は解放・開放されます。
解放・開放されたときに
自分が立っている大地。
その瞬間の自分。
それが、私達の
『真本音』
です。
「真本音で生きる」とは
覚悟を持ち自由に生きる
ことなのです。
つづく