自然の摂理という視点から
観たとき、
私達は、大河の流れに
身を委ねるということが
人として大切なことであり、
それが「自由」につながることである
ということを
昨日、書かせていただきました。
流れに身を委ねることで、
今度は
私達自身が自らの
流れを創り出すことが
できます。
自らの流れ。
・・・それは
「循環」
です。
私達が「生きる」ということは、
私達自身が何かを
「発想」
し、
その発想に基づき、
「行動」
し、
その行動によって何らかの
「結果」
を得る、ということです。
「結果」という言葉を
「現実」という言葉に
置き換えることもできます。
発想して、
行動して、
結果(現実)を得ることを、
一言で
「経験」
と言います。
「経験」により、私達は
次の「発想」をします。
「経験」により
次の「発想」に影響が
及びます。
そしてその「発想」により、
それがまた次の
「行動」につながります。
発想、行動、結果(現実)、
そして、
次の発想、行動、結果(現実)
そして、
次の発想、行動、結果(現実)
・・・・
この「循環」を私達は絶え間なく
続けています。
ところが
「循環」には、
その「循環」そのものに
力が宿ります。
「循環」を回すうちに、
慣性力が働き、
私達が意図しなくとも
ある時から勝手に
その「循環」が回り続けるように
なります。
それはまるで、
自転車を漕ぎ出したら、
スピードに乗った後は、
勝手に自転車が前に進むのと
同じようなものです。
すると、その
勝手に回り出した「循環」が
その人の人生のパターンと
なります。
それが固定観念を
生みます。
つまり、
「これが人生というものだ」
という固定観念、
「これが私という人間だ」
という固定観念です。
その固定観念が
その人にとっては
「真実」となります。
するとその人は
ある時からその「真実」に
基づき、
さらにその「循環」を
同じように回し続けるように
なります。
こうして、
その人の人生や
個性が
形作られていきます。
でもこれは果たして、
「自由」
と呼べるものでしょうか?
自ら生み出した流れ、
自ら生み出した循環。
その中から
出ることができない・・・。
年齢を重ねるということは
そういった自分なりの人生、
自分なりの真実を
固定化させることである、
という思い込みも
世の中には蔓延しています。
年齢を重ねるに従って、
私達はどんどん
自らの創り出した循環のパターンに
呑み込まれていく。
これはやはり、
自由ではないですね。
人生を変える
ということは、
本当は、
実に容易いことです。
自ら創り出している循環を
変えるだけのこと
なのですから。
ほんの一つの発想、
ほんの一つの行動を
変えるだけで、
人生は劇的に
変わっていきます。
その事実を
あまりにも多くの人が
知りませんし、
信じていません。
しかし、
信じていないものを
「信じなさい」
と言って、
他者がその人を変えることも
ほぼ、不可能です。
洗脳というものも
ありますが、
あれは、本当は
本人が洗脳されたがっている
という理由があります。
それも本人の選び出している
循環の中の
一つの現象に過ぎません。
私達は結局は
自らの意志で生きています。
もちろん、
あまりに理不尽な環境に
生まれ、
自らの意志、という概念すら
わからない人も
世界中にはたくさんいます。
でも、
それでもやはり私達は
自らの意志で
自らの循環を創り出して、
その中で生きています。
その循環を変えることが
できるのは
本人だけです。
それこそが
人の真実。
ですから
循環を変える方法は
たったの一つです。
本人が
「変えよう」
とすることです。
いえ、
正確に言えば
「変えよう」と思っているうちは
まだその循環に
捕らわれています。
ですから、
なかなか変わりません。
私が
私自身の経験と、
多くの方々と向き合いながら
実感することができた、
循環を変えるための
最大最善の方法があります。
それは、
「循環の原点を変える」
ことです。
原点を変えても実は、
循環そのものは
これまでと同じように
回り続けます。
しかし、
原点が変わることで
本人が気づかないうちに、
つまり
本人が「変えよう」としなくても
ある時は、徐々に
ある時は、劇的に
循環は変質します。
もちろん
「原点を変える」こと自体は
その人の意志です。
実は・・・。
表面上の循環を
変えることよりも、
原点を変える方が
簡単なのです。
一番簡単なところを
変える。
それが「原点」。
原点を変えることで
知らぬ間に循環が変わる。
・・・これが私のサポートの
本質です。
ではその
「原点」とは何か?
「原点」を変えるとは
どういうことか?
について、
次回以降に書かせて
いただきます。
つづく