あなたの影響力は計り知れない

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人が人に与える

影響の大きさは、

私達が想像している以上に

大きいはずだ。

 

例えば。・・・

 

ある企業研修を

するために

私は朝、会場に

向かっていた。

 

通勤ラッシュの

駅。

 

階段を降りる時に、

ふと

すれ違った人と

一瞬だけ

目が合った。

 

ほんの

一瞬だけ。

 

そして、

それだけ。

 

あとは、

何事もなく

その人と私はすれ違い、

私は研修会場に

向かった。

 

一日の研修を終え、

いつものように

一日を振り返っている時、

 

そのすれ違った人との

一瞬の目線の一致

がフラッシュバック

された。

 

と同時に

確信と共に

わかった。

 

今日の研修の

あの展開は、

あのすれ違った人との

あの瞬間がなければ

起こり得なかった

ものだ、

と。

 

あの時あの瞬間、

私は紛れもなく

あの人から影響を

受けた。

 

何だろう

それは?

 

そうか、

私はあの時

あのすれ違った人の

瞳の奥に、

とても深い悲しみを

感じたのだ。

 

それが強く

私の中に

刺激として残っていた。

 

そして今日の

研修の受講生さん達。

 

彼らの中の

あの人とあの人に

私は同じ悲しみを

感じた。

 

なるほど。

 

だから

あの展開になったか。

 

そして、

あの展開がなかったら

今回の研修は、

これほどにも深く

影響を与えられるものには

なってなかった。

 

あの、

すれ違った人に

感謝だ。

 

あれがあったことで、

今日、

人生が変わった人も

いるだろう。

 

とてつもない

感謝だ。

 

・・・というような

こと。

 

程度の差はあれど、

こういったことは

日常茶飯事だ。

 

私はたまたま

一日の振り返りを

丁寧に行なうし、

セルフコーチングの

力もある。

 

だからこういったことに

気づけるが、

多くの人は

知らず知らずに

このように

影響を与え合って

生きているのだ。

 

・・・・・・

 

私は常に、

周りのあらゆる人達に

良い影響を与えられる

自分でいたいと

願っている。

 

ここで言う

「良い影響」

とは、

力を与えるとか、

癒しを与えるとか、

そういった意味では

ない。

 

その人その人に

「調和した影響」

を与えたいと

思うのだ。

 

上記の例で言えば、

私はすれ違った人から

深い悲しみ、という感覚を

得た。

 

それ自体は

私にとってみれば

不快なものと

言えるだろう。

 

特に、研修直前の

私にとっては

普通であれば

感じたくない感覚だ。

 

疲れるし。

 

しかし、

それがあったからこそ、

私は結果的に

より良い研修ができた。

 

調和とは

そういった意味である。

 

単に

力を与えるとか、

気持ちの良さを与えるとか、

その場のみの

影響を言っている

わけではない。

 

実は、

真本音度合いが高まる

ということは、

そういった「調和」を

周りに与え続けることが

できるようになる。

 

仕事でも

家庭でも

街を歩いていても。

 

あらゆる場所、

あらゆる場面で。

 

・・・・・・

 

「コーチ」

という視点から言えば、

 

コーチングの場や

研修の場のみで、

自分の状態を

良い状態にしようと

しているコーチが

多いように思うが、

 

私はそれは

真のコーチとは

言わない。

 

朝から晩まで

24時間、

自分を良い状態に

し続けている人こそが

私はコーチができる

と思っている。

 

ただし「良い状態」とは

先程と同じだ。

 

モチベーションが高い

とか

すがすがしい気持ちでいる

とか

そういったことではなく、

 

周りとの「調和」を

し続けることができる

という意味だ。

 

コーチングの場だけ

真本音度合いを

高める

のではない。

 

というか、

むしろそんな不自然な

ことはできないのだが。

 

毎日、

一日一日、

朝から晩まで、

一刻一刻、

真本音で生き続けることが、

 

人間にとって

最も楽なことであり、

 

それを実践し続けることが

コーチとしての

必須の生き方であると、

私は思う。

 

つまり、

コーチングの場だけ

特別な自分に

なるのではなく、

コーチング以外の場も

コーチングの場も、

24時間同じ自分で

いる人こそが、

コーチと言えるだろう。

 

そしてその

「同じ自分」

とは、

「自然体の自分」

「本来の自分」

だ。

 

つづく

 

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