調和

最初は調和だ

 

実は

日常生活の中では

いろんなことが

調和している。

 

私達が

気づけるか気づけないか

だけの違いで。

 

調和に気づける

ということは

それだけで

私達の心の調子が良い

ということだ。

 

調子が悪ければ

そこに気づくことも

できない。

 

ゆとりがない

というやつだ。

 

調和に気づけないと

自分は不調和であると

思い込む。

 

人間は

解釈の生き物。

 

不調和だ不調和だ

言葉で思うわけでは

ないが、

 

調和できていない

のが自分である

という

 

要するにそういった

変な自己イメージが

無意識に高まり、

 

その解釈によって

不調和度が

さらに高まり、

 

本当に不調和に

なる。

 

街を歩いたり

駅を歩いたり

していると、

その状態に入ってしまっている

人が

たくさんいることが

わかる。

 

一目でわかる。

 

逆に、

調和にちゃんと

気づきながら

生きている人も

すぐにわかる。

 

同じ人間なのに

面白いものだ。

 

そして、

自分自身で創り出した

その調和・不調和

によって

 

人生の展開は

決まっていく。

 

結局はやはり

その人の

生き方の問題だ。

 

ビジネスで言えば、

もちろん

 

調和にちゃんと

気づいている人同士

で組むと良い。

 

調和の連鎖が

起こるから。

 

調和の連鎖によって

育まれたビジネスは、

 

そのお客様に

なってくださる人にも

調和をもたらす。

 

それはその

具体的な商品やサービスの

効用以上に

価値あるものだなと

私はいつも

感じている。

 

調和の連鎖を

もっともっと

助長したいものだ。

 

つづく

 

調和を決めるもの

 

本当に大事なもの

が何か?

 

がわかると、

 

これまで

大事にしてきてものが

どうでもよくなる。

 

であれば、

手放せばいい。

 

どうでもよいものは

手放せばいい。

 

ちょっと

極端な言い方だが。

 

いつも言うことだが、

手放すとは、

捨てることではない。

 

距離を離す

ことだ。

 

今よりも

遠くに置く

ことだ。

 

この世の中の

調和は、

 

時間と距離

 

で決まる。

 

最善のタイミングで

最善の行動を

起こす。

 

これが

時間による調和

だ。

 

と同時に、

 

最善の距離で

最善の関わりを

する。

 

これが

距離による調和

だ。

 

この二つを

大事にし続ける人は

(もしくは、組織は)

 

あらゆることが

調和し始める。

 

具体的に

何をするか?

 

何を選択

するか?

 

よりも、

 

どのタイミングで

するか?

 

どの距離感で

するか?

 

の方が

実は

大事なんだ。

 

真本音度合いが

高まるということは、

 

この二つを

見極める力が高まる

ということと

イコールだ。

 

つまり

真本音度合いが

高まると

 

手放すべきものを

手放せるように

なる。

 

だから、

 

自分が

本当に大事にしている

ものが何か?

わかればわかるほど、

 

「今、私は

何を手放すか?」

 

という問いを

大事にするといい。

 

私はこの問いを

毎日毎日

自分に問うている。

 

答えがわからなくても

問い続けることが

また大事なんだ。

 

つづく

 

試行錯誤すればいい

 

試行錯誤は

大事だな。

 

と思う。

 

「成就」の前には

必ず試行錯誤が

ある。

 

試行錯誤のない

成就はない。

 

よく私は、

「調和」という言葉を

使うが、

 

調和とは、

物事がすぐに成就する

という意味ではない。

 

調和とは、

私は「進化」そのもの

だと思っている。

 

そして、進化には

試行錯誤が

必須だ。

 

だから私は

調和とは、

 

進化につながる試行錯誤

を続けている状態

 

だと思っている。

 

人生とは、

そのような試行錯誤を

楽しめるかどうか?

ではないか。

 

試行錯誤の

一歩一歩を

 

自分の本来の生き方と

生き様で

 

一つ一つの現実を

味わい、噛み締めながら

 

進んでいく。

 

もちろん試行錯誤なので、

三歩進んで二歩下がる

こともあるだろう。

 

いや、時には

一歩しか進んでないのに、

四歩も五歩も

下がらなければならない

こともある。

 

それでも一歩を

出し続けること。

 

それを自らの

真本音で

行ない続けることが

最も大事なことだと

私は思う。

 

私達の真本音は

「成就」をもたらして

くれるのではない。

 

意味の深い試行錯誤を

もたらしてくれる。

 

進化への一歩一歩を

もたらしてくれる。

 

だから結果として

真の成就となる。

 

私達にできることは

真本音の一歩だ。

 

次の一歩を

真本音で

進むんだ。

 

つづく

 

その混乱は調和だ

 

進まないことにより

起こる混乱と、

 

進むからこそ

起こる混乱は、

 

表面上は同じような

「混乱」でも、

本質はまったく

異なるものだ。

 

前者は

正真正銘の混乱。

不調和による

混乱。

 

しかし後者は

一見、混乱に見えるが

実はそうではなく、

それも「調和」の

一種だ。

 

要するに

「混乱のような調和」

だ。

 

「不調和の調和」

という言い方も

できる。

 

・・・・・・

 

「不調和の調和」

は、

人生が進むという意味では、

非常に良い兆しだ。

 

どれだけ

激しい混乱でも

堂々と進めばいい。

 

混乱が起きているから

自分の進み方が

間違っているのでは

ないか?

という疑問を持つ

必要はない。

 

むしろ、

混乱を楽しもう。

 

まぁ、「楽しもう」と

言っても、

そんな余裕はないとは

思うが。

 

でも、

よ〜く混乱を

あるがままに観察して、

そして

味わってみよう。

 

混乱している

自分の心も、

無理に改善しようと

せずに、

そのまま味わって

みよう。

 

「あーオレ、

すごく混乱してるなぁ」

とね。

 

「不調和の調和」

の場合は、

どれだけ混乱しても

足元はしっかりと

しているので、

これができるはずだ。

 

・・・・・・

 

慣れてこれば、

「不調和の調和」は

人生の

スパイスとなる。

 

そしてさらに

未知の道を進もうと

する

意欲に変換される。

 

「不調和の調和」を

楽しめる人は、

実際にお会いして

向き合うと、

 

常に

静かだ。

 

とても穏やかな目を

しており、

根底の安定感が

独特の空気を

醸し出している。

 

そういった人と

一緒にいると、

 

表面上は

「いや〜、たけうちさん、

まいりましたよ」

その人は言うのだが、

 

空気感としては、

「いや〜、たけうちさん

人生は楽しいねー」

言っているようにしか

思えない。

 

そして、

その人の内側に

込められた

現実を切り拓くパワーが

ダイレクトに

こちらに伝わってくる。

 

非常に

心地が良い。

 

そういう人のコーチングは、

コーチである私の方が

癒されたり

エネルギーをいただいたり

する。

 

ということは、

その人は

周りのあらゆる人達に

常に

パワーを与え続けている

ということだ。

 

・・・・・・

 

だから。

 

不調和を恐れずに

進んでほしい。

 

表面上で

上手くいかないことは

あって当たり前。

 

進むからこそ

様々な壁が

前に立ちはだかるが、

 

それらは

すべては結果的には

さらなる調和への

「栄養」

となる。

 

たくさんの「栄養」を

人生に

仕事に

取り込んで行こう。

 

つづく

 

世界の自律のために

 

人には、

その人にしか

出せない

空気感

がある。

 

その空気感は

その人独自の

「世界」

を創る。

 

本来の自分の

「世界」を

創り出すことの

できた人は、

 

自分とは別の

「世界」を

既に創り出している

人達と、

 

共鳴し合う。

 

一人一人の

「世界」は

異なる。

 

決して一つとして

同じものはない。

 

違うのが

当たり前。

 

だからこそ、

共鳴し合える。

 

共鳴し合った

「世界」と「世界」は

 

時には

接着し、

 

時には

統合し、

 

時には

融合し、

 

時には

分離し、

 

そして

時には

同じ渦を

巻き起こしながら、

 

相乗効果の波を

波及させる。

 

その結果として、

たった一つの「世界」

だけでは決して

生まれなかった

何かを

 

この世に

生み出す。

「カタチ」」として。

 

その「カタチ」が

さらにまた次の

「世界」を

創り出す。

 

・・・・・・

 

「世界」を創り出せる

状態のことを

私は

 

「自律」

 

と呼んでいる。

 

つまりは、

自律した人のみが

自らの「世界」を

創り出せる。

 

自律できていない人は

残念ながら

「世界」とはならず、

 

したがって

相乗効果も

ない。

 

新たなものを

生み出すことも

できず、

 

どちらかと言えば、

生み出すよりも

奪い合う

関わりになりがちだ。

 

だから

組織においては

私はまずは何よりも、

 

いかに自律した人を

一人でも多く

増やすか?

 

を大切にしている。

 

「世界」と「世界」が

共鳴し合いながら

相乗効果を発揮する

状態のことを

私は

 

「調和」

 

と呼んでいる。

 

「調和」とは

「進化」と

同義語だ。

 

自律した人が

増えることで、

その組織は

調和していく。

 

進化していく。

 

組織を

社会と言い換えても

まったく同じである。

 

・・・・・・

 

自律調和した

社会にしたい。

 

これが私の

願いだ。

 

今。

 

若いのに既に

自律している

人達が増えている。

 

つまりは

「世界」をすでに

創り出している

若い人達が

増えている。

 

ちょっと極端に

言えば、

 

子どもでも

幼児でも

赤ちゃんでも

 

すでに

自律している子が

増えている。

 

なんだ

この子は。

 

すでに

「世界」を

持ってるよ。

 

感嘆する。

 

しかし残念ながら、

大人達が

それに気づかず、

 

子どもであるが

故に、

若いが故に、

 

未熟である

 

と勝手に

レッテルを貼り、

 

せっかくの「世界」を

壊しにかかる。

 

「世界」が壊れる

ことは、

この世の大いなる

損失だ。

 

私はそれを

どうにか

止めたい。

 

だから、

若い人達のサポートを

これから

増やしていく。

 

と同時に

大人達の

自律サポートも

増やしていく。

 

でも到底、

私一人では

無理だ。

 

だから、

仲間がいるし、

 

後継者も

必要だ。

 

後継者と言っても、

たけうち流に

なる必要もないし、

 

私と同じことを

する必要もない。

 

ただ、

本質を

後継したい。

 

本質とは、

 

真本音で生きるとは

どういうことか?

 

ということだ。

 

そして、

 

そんな人達を

増やすには

どうサポートすればよいか?

 

ということだ。

 

先日、

私の仕事仲間の

一人が、

 

私のやっていることを

「学問にしたい」

と言ってくれた。

 

学問にすることで

私がいなくなっても

本質につながる

カタチが残る。

 

それを何とか

実現したい、と

言ってくれた。

 

ありがたい。

 

そういったことも

含めて、

 

あと残された

人生の時間で、

 

自分が何を

すべきか?

何を

残すべきか?

 

について

私はもっともっと

探求をしていきたい。

 

そのためにも

「仲間」をさらに

増やしていきたいな。

 

つづく

 

まだ仲間になってはならない

 

仲間というのは

いいなぁ、

と思う。

 

本当に

いいなぁ、と

思うが故に、

 

私は

こうも思うのだ。

 

一人ひとりが

まだ

自律できて

いないうちは、

 

仲間になっては

ならない、

 

と。

 

どれだけ

相性の良い人同士

でも、

自律する前に

仲間となってしまえば、

 

必ず、

 

依存が生まれる。

 

お互いが

寄りかからなければ

いられない

グループとなる。

 

「この仲間が

いるからこそ

私はがんばれる」

 

という状態。

 

じゃあ、

仲間がいなければ

どうなるの?

 

ということだ。

 

もちろん、

 

人というのは

依存し合う存在

だ。

 

依存し合わねば

存続できないように

できている。

 

だからこそ

良い依存関係が

大事であり、

 

私はそれを

依存ではなく

 

「調和」

 

と呼んでいる。

 

調和とは、

一人ひとりが

ちゃんと

大地に立っている

状態だ。

 

一人でしっかりと

歩くことができる

人同士が、

 

さらに

相乗効果で力を

発揮し合い、

 

共に進化し合う

 

状態だ。

 

そこからは

常に

新たな何かが

生まれるし、

 

ある意味、

 

すべての人が

「リーダー」

であり

「コーチ」

である。

 

すべての人が

「主役」

であり

「サポート役」

である。

 

その状態に

なるためには、

 

まずは

一人ひとりの

自律が

必須だ。

 

・・・・・・

 

これからの

時代。

 

誰かが

誰かを

支えるような

仲間は

もう要らない。

 

ぐらいに

私は

思っている。

 

ちょっと

極端かも

しれないが。

 

でも、

真本音のレベルでは

もう誰も

そういった仲間を

望んでいない。

 

特に

若い人達からは

それを

ひしひしと

感じる。

 

馴れ合いは

いやなのだ。

 

本当の

仲間。

 

共に

道を創る

仲間。

 

私自身も

そういった仲間を

慎重に

丁寧に

一人ずつ増やして

行こう。

 

私は、

仲間の在り方

こそが

 

ダイレクトに

世の中の在り方

インパクトを与える

のだと

思っている。

 

つづく

 

中心軸を持って進もう

 

『中心軸』

の必要な時代だ。

 

中心軸とは、

 

①自分は何のために

生きるのか?

 

という

「一点」を決める

ところから

始まる。

 

つまり

人生の目的

だ。

 

人生の目的の

ために、

自分は、

 

②具体的に

何を目指し、

 

③何を探究

し続け、

 

④どんな力を

伸ばし続け、

 

⑤どんな行動を

し続け、

 

⑥いつまでに

何を実現するか?

 

以上の

6点を決める

こと。

 

これが

中心軸だ。

 

「決める」と

言っても、

本当はもうすでに

私達は

真本音のレベルでは

「決めている」。

 

決めていること

を、

自覚すること

だ。

 

自らの中心軸を

まだ

自覚できていない

人は、

 

一刻も早く

自覚できる自分

にまで

自分を高めて

ほしい。

 

中心軸は

自分自身の準備

が整わない限り、

決して

自覚できないように

私達の真本音は

決めている。

 

つまり、

自覚できていない

ということは、

まだ準備が整って

いないということ。

 

準備を整える

ための

毎日を、

送れていない

ということだ。

 

その根本原因の

大半は、

 

手放すべきものを

手放していない

 

ことにある。

 

「進化」とは、

「手放す」こと

である。

 

と言っても

よいくらいに、

手放すのは

重要なことだ。

 

一つ一つ

手放すことで、

一つ一つ

次に必要なものが

入ってくる。

 

昨日、このブログで

「こだわり」のことを

書かせていただいたが、

 

「こだわり」も

手放すべきものの

筆頭だ。

 

変なこだわりを

持つことで、

現実的な何かを

手放さないまま、

 

それに

すがるか、

執着するか、

 

どちらかを

し続けるという

結果を生む。

 

それにより、

私達は

先に進めなくなる。

 

つまり

準備が滞る

のだ。

 

・・・・・・

 

中心軸を持った

人同士は、

真に調和する。

 

「令和」とは、

美しい調和

という意味だそうだ。

 

美しい調和を

果たすためには、

 

すべての人が

自らの中心軸を

思い出す

必要がある。

 

そのために

私は、

これからの時代も

 

一つ一つ

一人一人

丁寧に向き合って

行こう。

 

つづく

 

上手くやろうとすんなよ

 

混乱。

 

そして、

 

混沌。

 

これらは、普通、

誰もが

嫌うものだ。

 

混乱するよりは

スムーズに進みたい。

 

と、普通は

思うだろう。

 

もちろん私も

そうだ。

 

ただ、

私はあえて

混乱や混沌を

その人や

その組織に

もたらすことを

大事にしている。

 

ちょっと極端に

言えば、

 

混乱・混沌をもたらす

人が「コーチ」である。

 

くらいに

思っている。

 

もちろんそれは

良い混乱

であり

良い混沌

だ。

 

「良い」とは

つまり、

「進化へとつながる」

ということ。

 

結果として

これまでよりも

次元を高めた

「調和へとつながる」

ための

混乱であり

混沌だ。

 

・・・・・・

 

混乱・混沌を

恐れる人は

結果として、

その心の内では

混乱・混沌が

大きくなる。

 

という傾向を

私は企業サポートの

現場で、

いやというほど

見てきた。

 

例えば、

人間関係を上手く

収めよう、

いつも努力している

人ほど、

 

表面上の関係を

繕うだけで、

心の内面では

そこにいる皆の中に、

日々、

混乱・混沌、

そして怒りや苛立ちが

増幅する、

 

という現実を

創り出してしまう。

 

しかも本人は

それに気づかない。

 

しかし、

望んでいない

出来事が

日々、

次々に起こってしまう。

 

自分は毎日

こんなにも

頑張っているのに、

なんで

悪いことばかりが

起こるのだろうか。

 

と、

その人は

悩んでいる。

 

実は自分が

すべての原因で

あることに

本当に

気づいていない。

 

混乱・混沌への

恐れは、

ますますの

混乱・混沌の増長と

共に、

麻痺すらも

起こす。

 

だから私は

わかりやすく

混乱・混沌が

起こりやすい状況を

創っていく。

 

いや、

そう書くと大変

おこがましいな。

 

私が創る

のではない。

 

私はただ、

「自業自得」が

働きやすい状態に

サポートする

だけだ。

 

真本音度合いが

高まれば、

自業自得が

起こりやすくなる。

 

自業自得と言うと、

悪い印象が

あるかもしれないが、

私はこれこそが

健康な状態

だと思っている。

 

調和に向かう

ことをすれば、

ちゃんと物事が

調和し、

 

不調和に向かう

ことをすれば、

ちゃんと物事は

不調和していく。

 

この状態が

できて初めて、

人は

健康的に進化を

始めるからだ。

 

子どもの育成

と同じ。

 

悪いことを

すれば

叱られるし、

 

良いことを

すれば

褒められる。

 

それを

親が行なうのでは

なく、

「現実」が

わかりやすく

行なってくれる。

 

これが

自業自得が機能

している状態だ。

 

自業自得が

機能するように

なれば、

 

必然的に

これまで

誤魔化し誤魔化しで

来たことが

そうはいかなく

なる。

 

次々に

不調和が起こり、

混乱・混沌が

増えてくる。

 

しかしそれは

本当に

一時的なものだ。

 

混乱・混沌の

おかげで、

自分が何を

修正し、

何をさらに進めれば

良いか?

よ〜くわかる。

 

それがわかれば、

日々、

面白いように

現実は

調和していく。

 

こういったことを

意図せずに

意図的に

もたらす

(意味、わかっていただけるかな?)

のが

「コーチ」だと

私は思っている。

 

つづく

 

本当に人をサポートしたい?

 

私はよく

「調和」

という言葉を使うが、

 

であるが故に

誤解も

多いようだ。

 

調和とは、

上手く進むこと、

もしくは

物事を上手く進めること、

思われがちだ。

 

が、

実は

「上手く進めよう」と

思えば思うほど、

不調和が起きる

というのが

現実だ。

 

ある企業の

管理職のAさん。

 

Aさんは管理職として

あらゆることを

「上手く進めよう」

とされていた。

 

ある意味

それが彼の

理念とも

言えた。

 

しかしAさんのもとでは

問題ばかりが

日々、起こっていた。

 

上手く進めたいのに、

なぜ、

問題ばかりが

起こるのだ?

という

Aさんの悩み。

 

次々に新たな問題が

起こり、

その対処のための

時間ばかりが

過ぎていく。

 

生産性は

極度に低く、

当然

実績も上がらない。

 

私はこんなに

頑張っているのに。

 

なぜ

こんなにも

部下達は

非協力的なんだ?

 

という

Aさんの悩み。

 

「あなたのその

上手く進めようという

在り方が

すべての元凶です」

 

私ははっきりと

Aさんに伝えなければ

ならなかったのだが、

こういったことは

本当によくある

ことだ。

 

・・・・・・

 

「調和」「調和」と

言いながらも、

本当のことを言えば、

私は普段、

「調和」のことなど

これっぽっちも

考えていない。

 

私が考えているのは

ただ一つ。

 

今ここで

何をするか?

 

である。

 

そしてそれに

集中すると

決まって、

 

「これはどう見ても

波乱しか

起らないだろう」

 

と思われる行動を

私は取ろうと

してしまう。

 

私の顕在意識は

私も人間なので、

その「波乱」を

恐れる。

 

「いやいやいや、

そんなこと

したくないよー!」

いつも心の中で

叫ぶことになる。

 

しかし

私の真本音が

それを望んでいるので

あれば、

やはり私は

真本音通りの行動を

選択する。

 

波乱は

起きてもいいや。

 

何が起きても

最後までしっかり

向き合いきるぞ。

 

私はいつも

覚悟を決める。

 

そして

何の淀みもなく

その行動を

私は取る。

 

すると、

びっくりするくらいに

すべてが

「調和」する。

 

実はこれは

ほとんど毎日の

ことである。

 

しかし、

毎日これを体験

しても、

慣れることがない。

 

常に私は

「波乱」の恐れを

抱いている。

 

しかし

それは単なる

恐れに過ぎず、

私は私の真本音の

通りに動く。

 

毎日、

ヒリヒリする。

 

これがある意味、

「コーチ」の

仕事である。

 

・・・・・・

 

「コーチ」は

サポート役である。

 

しかしよく、

 

「私はリーダーに

向いていないから、

サポート役に

徹します」

 

という声を聴く。

 

正直言って、

サポート役というのは、

そんなに

生易しいものではない。

 

サポート役

だからこそ、

その人の人生の

生き方がそのまま

ダイレクトに

サポートの仕方に

反映される。

 

曖昧な生き方を

している人は

曖昧なサポートに

終始する。

 

すると

サポートを受ける側

にとってみたら

たまったものではない。

 

サポート役とは、

本当の意味で

自分自身を

リードできる人、

つまりは

「自分自身のリーダー」

となれる人でないと

難しい。

 

・・・・・・

 

「サポート役」

人生の目的と

している人がいる。

 

その人へ、

私は今こそ

メッセージしたい。

 

まずは、

自分の中の

その意志に

気づいてほしい。

 

あなたにしか

できない

「サポート」が

ある。

 

それを見つけ出し、

それを発揮する、

という

人生の道に

入る勇気を

持ってほしい。

 

もう始める時だ。

 

私は思う。

 

つづく

 

元気であればいい、わけではない

 

心を開放する

のと、

魂を開放する

のは

違う。

 

恐らく、

この区別が

つかないことが、

今の世の中の

現状を

招いていると

私は考える。

 

心を開放すれば、

心は

元気になる。

 

しかし、

魂を開放したからと

言って、

魂が元気になる

とは限らない。

 

むしろ、

私達の魂は、

自分自身の元気さを

いつも

調整している。

 

つまり、

元気でない状態を

意図的に

創り出している。

 

この真実に

気づかないと

道を誤ることが

多い。

 

私達の

決めている道

とは、

単純に

魂が元気になる

方向

・・・ではないのだ。

 

・・・・・・

 

魂の意思を

私は

『真本音』

と呼んでいる。

 

厳密に言えば、

ちょっと違うのだが、

まぁ、ほぼ

そうなので、

ここでは

そういうことにする。

 

真本音に素直に

生き(行き)、

真本音度合いが

高まることで、

何が起こるかと言えば、

 

魂の元気度合いを

調整できる

ようになる

 

のだ。

 

つまり、

いつも元気であろう

と欲求する

状態から卒業し、

 

今はこの

元気度合いで

進もう

 

という

魂の意思に

そのまま素直に

進むことができる

ようになるのだ。

 

私達の魂が

最も大事にしている

ことの一つは、

 

「自分自身の

エネルギー量」

 

 

「周り(もしくは現実)の

エネルギー量」

 

 

「調和」

である。

 

ここで不調和が

起こってしまうと、

進むべき道が

開かなくなってしまう

ことがあるからだ。

 

私は、

「尊重」

という行為の

最も根本的

根源的な要素は

これであると

思っている。

 

人を尊重する。

 

現実を

尊重する。

 

社会を

尊重する。

 

とは、

まずは

エネルギー量を

尊重するところから

始まるのだ、

と。

 

エネルギー量の

尊重は、

その場その場の

「調和」には

なくてはならない

要素だ。

 

ここが上手くいけば、

エネルギーの循環

が起こる。

 

すべての物事は

この

「循環」によって

進められていく。

 

循環が

スムーズに行けば

行くほど、

それは

真本音の道

となる。

 

循環が

スムーズでなければ、

一見して

どれだけ現実が

上手く展開していても、

必ずどこかで

淀みが起こる。

 

するとその

淀みを解消するための

新たな流れを

起こさねば

ならなくなる。

 

大体の場合、

そこで使われる

エネルギー量は

果てしなく

大きい。

我々が思っている

以上に。

 

そして結果として、

その「調整」のために

(「調和」のために、ではない)

大半のエネルギーを

費やさねばならなく

なる。

 

つまりそれは、

本来

エネルギーを

使うべきところに

使えていない

状態だ。

 

これでは結果として、

道は

開かない。

 

どのような

「循環」を

起こすか?

 

そのためには、

今、自分の発する

エネルギーは

どれくらいが

良いのか?

 

この調和を、

私達の魂は

最も大事にする。

 

そしてその

指針を

一つの「意思」として

心の中に

浮上させる。

 

それこそが、

「真本音」

である。

 

・・・・・・

 

真本音で生きる

ことで

すべては

調和を始める。

 

真本音を無視する

ことで

すべては

不調和となって行く。

 

間違っては

ならないのは、

 

現実が上手く

行っている

ことが

調和とは限らない

ということだ。

 

現実が

思うように進まなく、

試行錯誤が

続いたり、

暗中模索に

入っていても、

 

それが

調和のために

起きているのか、

それとも

不調和の結果として

起きているのか、

 

その判別を

きちんとすること。

 

ちゃんと

真本音で進めて

いるのであれば、

今のこの視点を

持つだけで、

答えは

わかるはずだ。

 

ここで

答えがわからない

のであれば、

そこには

何らかの不調和が

存在している。

 

・・・・・・

 

今回はちょっと

難しい文章の

表現になったかな。

 

でも

この文章の意味の

本質が

ピンとすぐに

わかる人は

「コーチ」の素養が

あると

私は

思うけどね。

 

つづく

 

あなたの影響力は計り知れない

 

人が人に与える

影響の大きさは、

私達が想像している以上に

大きいはずだ。

 

例えば。・・・

 

ある企業研修を

するために

私は朝、会場に

向かっていた。

 

通勤ラッシュの

駅。

 

階段を降りる時に、

ふと

すれ違った人と

一瞬だけ

目が合った。

 

ほんの

一瞬だけ。

 

そして、

それだけ。

 

あとは、

何事もなく

その人と私はすれ違い、

私は研修会場に

向かった。

 

一日の研修を終え、

いつものように

一日を振り返っている時、

 

そのすれ違った人との

一瞬の目線の一致

がフラッシュバック

された。

 

と同時に

確信と共に

わかった。

 

今日の研修の

あの展開は、

あのすれ違った人との

あの瞬間がなければ

起こり得なかった

ものだ、

と。

 

あの時あの瞬間、

私は紛れもなく

あの人から影響を

受けた。

 

何だろう

それは?

 

そうか、

私はあの時

あのすれ違った人の

瞳の奥に、

とても深い悲しみを

感じたのだ。

 

それが強く

私の中に

刺激として残っていた。

 

そして今日の

研修の受講生さん達。

 

彼らの中の

あの人とあの人に

私は同じ悲しみを

感じた。

 

なるほど。

 

だから

あの展開になったか。

 

そして、

あの展開がなかったら

今回の研修は、

これほどにも深く

影響を与えられるものには

なってなかった。

 

あの、

すれ違った人に

感謝だ。

 

あれがあったことで、

今日、

人生が変わった人も

いるだろう。

 

とてつもない

感謝だ。

 

・・・というような

こと。

 

程度の差はあれど、

こういったことは

日常茶飯事だ。

 

私はたまたま

一日の振り返りを

丁寧に行なうし、

セルフコーチングの

力もある。

 

だからこういったことに

気づけるが、

多くの人は

知らず知らずに

このように

影響を与え合って

生きているのだ。

 

・・・・・・

 

私は常に、

周りのあらゆる人達に

良い影響を与えられる

自分でいたいと

願っている。

 

ここで言う

「良い影響」

とは、

力を与えるとか、

癒しを与えるとか、

そういった意味では

ない。

 

その人その人に

「調和した影響」

を与えたいと

思うのだ。

 

上記の例で言えば、

私はすれ違った人から

深い悲しみ、という感覚を

得た。

 

それ自体は

私にとってみれば

不快なものと

言えるだろう。

 

特に、研修直前の

私にとっては

普通であれば

感じたくない感覚だ。

 

疲れるし。

 

しかし、

それがあったからこそ、

私は結果的に

より良い研修ができた。

 

調和とは

そういった意味である。

 

単に

力を与えるとか、

気持ちの良さを与えるとか、

その場のみの

影響を言っている

わけではない。

 

実は、

真本音度合いが高まる

ということは、

そういった「調和」を

周りに与え続けることが

できるようになる。

 

仕事でも

家庭でも

街を歩いていても。

 

あらゆる場所、

あらゆる場面で。

 

・・・・・・

 

「コーチ」

という視点から言えば、

 

コーチングの場や

研修の場のみで、

自分の状態を

良い状態にしようと

しているコーチが

多いように思うが、

 

私はそれは

真のコーチとは

言わない。

 

朝から晩まで

24時間、

自分を良い状態に

し続けている人こそが

私はコーチができる

と思っている。

 

ただし「良い状態」とは

先程と同じだ。

 

モチベーションが高い

とか

すがすがしい気持ちでいる

とか

そういったことではなく、

 

周りとの「調和」を

し続けることができる

という意味だ。

 

コーチングの場だけ

真本音度合いを

高める

のではない。

 

というか、

むしろそんな不自然な

ことはできないのだが。

 

毎日、

一日一日、

朝から晩まで、

一刻一刻、

真本音で生き続けることが、

 

人間にとって

最も楽なことであり、

 

それを実践し続けることが

コーチとしての

必須の生き方であると、

私は思う。

 

つまり、

コーチングの場だけ

特別な自分に

なるのではなく、

コーチング以外の場も

コーチングの場も、

24時間同じ自分で

いる人こそが、

コーチと言えるだろう。

 

そしてその

「同じ自分」

とは、

「自然体の自分」

「本来の自分」

だ。

 

つづく

 

臆病にならず毅然と進もう

 

最近、

真本音度合いが

高まった方々から、

ある共通のご相談を

いただくように

なりました。

 

皆さん、

同じことを

言われます。

 

「最近、

不調和が多いのです。

私の真本音度合いが

低まってしまっている

のでしょうか?」

 

いいえ。

 

むしろ、逆です。

 

あなたは

さらに加速を

しているのです。

 

これまでに

経験したことのない

加速に

入っています。

 

すると多くの場合、

これまで

経験したことのない

「調和の仕方」

が起こるように

なります。

 

それが一見すると

不調和に

見えてしまっている。

 

という、

ただそれだけの

ことです。

 

ですから、

私がお伝えしたいのは、

 

不調和を感じる

からと言って、

自信をなくし、

臆病になり、

腰が引け、

真本音で進むことを

躊躇するように

ならないでください。

 

ということです。

 

・・・・・・

 

いつも

申し上げることですが、

 

自信がある

とか

自信がない

とかは、

 

真本音の歩みには

いっさい

関係がありません。

 

物事が

上手く行こうが、

上手く行くまいが、

いっさい

関係ありません。

 

物事が

上手く行くから

真本音で進む、

 

となった時点でもう

それは

反応本音の歩み

です。

 

状況に

揺らされている

わけですからね。

 

もちろん、

真本音も

状況や現実は

大切にします。

 

自分の理想通りに

進めよう

というのが

真本音ではありません。

 

状況や現実は

大切にしますが、

それに揺らされる

ことは

ありません。

 

自分の想いも理想も

大切にし、

かつ

状況も現実も

大切にし、

 

すべてを大切にした

最善の一歩を

踏み出す、

 

というのが

真本音の求める

ことであり、

真本音の意志

です。

 

それをすることに

毅然

としていて

ほしいのです。

 

すると、

不調和だと思って

いたことが、

実は、

これまでに経験した

ことのないような

素晴らしい調和の形

の一つ

であることが

わかってくるでしょう。

 

・・・・・・

 

よくよく考えますと、

調和とか

不調和とか、

それ自体を私達は

自分の解釈(思考)で

決めつけています。

 

これまでと同じ

スピードで進む人は、

ある意味、

自分の解釈での範疇の

調和は

続くでしょう。

 

しかし、

これまで以上に

加速しようとする人には

これまでに

見たことのない

新たな世界が

新たな次元が

展開します。

 

新しいものは

確かに少し(いや、だいぶ?)

怖いかもしれません。

 

しかしその怖さ

そのものも

感じ、味わいながら

進みましょう。

 

自分の世界を

広げるのです。

 

毅然と

進むのです。

 

あなたの真本音は

それこそを

望んでいるのですから。

 

つづく

 

グルグル回ってる?

 

最近、増えている

のですが、

 

心の中に

「竜巻」

を持っている人が

います。

 

強烈な竜巻がずっと

心の中で暴れ続け、

その竜巻に自らが

飲み込まれ、

グルグルグルグル

目が回り続け、

 

自分が毎日、

何をしているのか?

 

自分が本当は

何をしたいのか?

 

自分が今、

何に取り組めば良いのか?

 

などが

まったく見えなくなって

しまっています。

 

・・・・・・

 

その竜巻を

止めることは

本当はとても

簡単なのですが、

 

多くの場合は、

その本人が

止めようとして

いません。

 

目が回っている自分

でい続けよう

としているのですね。

 

その理由の多くは、

「見たくないものが

ある」

からです。

 

要するに

現実から目を

背けてしまって

いるのです。

 

しかし稀に、

それを

真本音で行なっている

人がいます。

 

その場合、

真本音は何を

望んでいるのでしょうか?

 

理由は

単純です。

 

自分を

進ませない

ためです。

 

・・・・・・

 

私達の真本音は

「現実との調和」

を重んじます。

 

その結果、

 

自分自身が

進む準備が整って

いても、

現実(状況)の準備が

整っていない場合、

 

現実(状況)が整うのを

じっと待つ、

ということをします。

 

しかし

自分自身の準備が

整ってしまうと、

人は皆、

とにかく前へ前へと

進みたがります。

 

そんな自分を

抑えるために、

あえて、

自分の中に竜巻を

起こし、

そこに自分を

封じ込めるのです。

 

エネルギーの高い

人ほど、

そんなことをします。

 

・・・・・・

 

たけうちさん、

なんか最近、私は

心がとても

不安定なんです。

 

理由が

わかりません。

 

いつもなぜか

落ち着きません。

 

冷静な

判断もできません。

 

周りの状況を

きちんと把握したり、

ありのままに

現実を観ることも

できていない感じが

します。

 

私はまずい状態では

ありませんか?

 

そのように

クライアントさんから

問われるケースが

最近、増えています。

 

面白いことに

真本音度合いの高い

人ほど

そうなります。

 

私は

「そのままで

いいですよ」

と笑って答えます。

 

「今、わざと

グルグル回って

いますから。

しばらくそのままで

回っていてください」

と。

 

「えぇ〜!?」

 

と言いながら、

そのクライアントさんは

途端に楽しげに

なります。

 

今はそれで

良いのです。

 

そのうちに、

ピタリと竜巻は

止まります。

 

そしてその瞬間から

あらゆることが

ありありと観える

ようになります。

 

そうなったら、

全速力で

進みましょう!

 

つづく

 

調和を起こす人になろう

 

人はそれぞれ

唯一の存在である。

 

と、言われますよね。

 

本当にそうだと

思います。

 

多くの方々と

向き合えば向き合うほど

そう実感します。

 

本当にそうなのに、

どうしてみんな

自分を消そうと

するのでしょうね?

 

どうして

周りばかりに合わせ、

「画一」の中に

入ろうとするのでしょうか?

 

いや、

その理由はもちろん

わかります。

 

自分の「唯一」を

出しづらい世の中で

あることも、

「唯一」を出すことに

皆がリスクを感じて

しまうことも

よくわかります。

 

自分が

「唯一」を出せば、

調和が崩れてしまう、

考えることも

わかります。

 

だから皆、

「画一」の中に

入ろうとするのですが、

 

しかし本当は

「画一」を目指せば目指すほど

不調和が

生じてしまいます。

 

なぜなら

私達の真本音は

誰も「画一」を

望んでいないから。

 

「調和」は望みますが、

「画一」と「調和」は

真逆の行為です。

 

本当の、

そして、本来の

「唯一」が交わることで

初めて

「調和」は生まれるのです。

 

・・・・・・

 

自分の想いは

100%、表明すると

よいです。

 

と、私が言うと、

ほとんどの人が

え〜、それは無理ですよ、

と言われます。

 

私が自分の想いを

言ってしまえば、

メチャクチャになりますよ、

と。

 

それに、

キリがありませんよ、

と。

 

それは

わかりますし、

それは

そうです。

 

なぜならそれは

反応本音の想い

だからです。

 

確かに

反応本音レベルの想いは

キリがありませんし、

それを表明することで、

混乱や争いが

起こるかもしれません。

 

私もそれは

オススメできません。

 

私がオススメするのは、

真本音の想いを

100%表明する

ということです。

 

私はそれを

毎日、しています。

 

そして

それをすればするほど、

物事がびっくりするほど

スムーズに

抵抗なく進みます。

 

なぜなら真本音は

皆、つながっている

からです。

 

ただし、

100%伝える、とは

言いたいことをすべて

その場で言い尽くす

という意味では

ありません。

 

言いたい瞬間に

言いたいことを

言う、

という意味です。

 

「言いたい瞬間に」

というのが

ミソです。

 

つまり、

タイミングです。

 

真本音の想いを

100%表明しようと

決めると、

この「タイミング」に

とても敏感になれます。

 

今は、

本当に言いたいな。

 

今は、

まだ言いたくないな。

 

というのが

よ〜くわかるように

なるのです。

 

そして、

今、言いたい!

と思えた瞬間に、

それを言う。

 

・・・という実に

単純明快なことをするのが、

100%表明する

ということなのです。

 

これをすることで、

あらゆる「現実」が

調和を始めます。

 

もし、チームで

すべての人がこれが

できるようになれば、

そのチームは

完全調和します。

 

私はいつも、

その状態創りを

目指しています。

 

・・・・・・

 

そうなるための

必須条件があります。

 

言うまでもないこと

ですが、

それは

その人の真本音度合いを

高めることです。

 

その人自身に

真本音の想いが

顕在化しなければ

それは絶対にできません。

 

真本音の想いが

顕在化することと、

そしてできれば、

その人自身が

自らの

真本音と反応本音の

区別をつけられること。

 

これができれば

よいのです。

 

しかし、

組織やチームが

実に面白いのは、

全員がそうならなくても

何とかなるという

ことなんです。

 

私の現場経験で

言いますと、

組織やチームの中の

1割以上の人が

真本音度合いが

ある一定以上に高まれば、

その組織(チーム)は

調和を始めます。

 

これが

チームの面白さであり、

人と人の

関係の面白さですね。

 

・・・・・・

 

まずは、

1割の人が

真本音の想いを

自ら知り、

自ら表明できるように

なること。

 

あなたも

その一人に

なりませんか?

 

つづく

 

 

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調和を起こす人になる

ための

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人生の展開は距離感で決まる

私達の人生において

大きな転換のきっかけと

なるものに

「出会い」

がありますが、

その一方で、

「別れ」

というものがもたらす

影響も大きいですね。

 

出会いは概して

嬉しいものですが、

別れは概して

寂しいものですし

大きな悲しみを

伴うこともあります。

 

そのため結果的に、

 

「本当は今、

別れなければならないのに、

別れられない」

 

という現実を

創り出してしまっている

人が多いのが、

今の世の中の一つの傾向です。

 

実は、

どれだけ素敵な出会いを

重ねてきても、

きちんと別れるべき人と

別れないことで、

真本音度合いを著しく

落としてしまい

人生の不調和が始まって

しまった、

という人を私は

とても多く観てきました。

 

「別れ」とは

とても大事なものです。

 

そして

いつ、誰と別れるか?

私達は自らの真本音で

決めています。

 

もちろん

AさんとBさんが別れる場合、

Aさんの真本音が決めている

別れのタイミングと、

Bさんの真本音が決めている

別れのタイミングは

完全に一致します。

 

そしてその通りに

別れることができた場合、

二人の人生は

新たなステージに進み、

次の出会いと展開が

二人ともに起こり、

二人ともが

さらに真本音度合いの高い

人生を送ることができます。

 

別れるべき時に

しっかりと

別れましょう。

 

もし相手が

反応本音のレベルで

「別れたくない」

と言ったとしても、

その「情」に流されずに

しっかりとそれを

断ち切りましょう。

 

・・・このように書くと

寂しいでしょうか。

悲しいでしょうか。

 

冷たい人間だと

思われるでしょうか。

 

「別れる」という言葉と

ほぼ同義語として、

「手放す」

という言葉もあります。

 

手放すのも

本当に大事なことです。

 

本当に必要なタイミングで

別れを自ら切り出せる人、

そして

手放すことのできる人は

愛の深い人だなぁ、

と私は思います。

 

では、

「別れる」とか「手放す」

という行為の

本質とは

何だと思いますか?

 

それは私は

「距離を離す」

ということだと

捉えています。

 

「距離」

 

とか

 

「距離感」。

 

実は私達の真本音は

これをとても

大事にしています。

 

同じAさんとBさんでも

二人の距離や距離感が

真本音で望むものと

ずれていたら、

そこには不調和が

起きてしまうのです。

 

逆に言えば、

「調和」とは

「距離(感)で決まる」

と言っても

言い過ぎではないでしょう。

 

特に私達が今いる

この「3次元」という世界は

すべてが分離している

世界です。

 

分離しているが故に

一つ一つの物事

(その中に当然、「人」が

含まれます)

との距離(感)が

あらゆるものの展開に

影響を与えます。

 

その距離(感)とは、

心の中の距離(感)と

実際の距離(感)の

両方があり、

その両方を

真本音の望むものと一致させる

ことが「調和」のためには

必須です。

 

ちょっと

わかりづらいですか?

 

もう少し詳しく

お話しした方が

良さそうですね。

事例を交えて。

 

ただ、そのためには

ちょっと文章が長くなりますので、

続きは明日に。

 

まずは今回は皆さんに

二つの問いを

残しておきます。

 

単純に

直観でお答えいただくと

よいですね。

 

以下の問いを

自分自身に向けて

投げてみてください。

 

「私の人生において、

私はあらゆるものと

適正な距離感を持つことが

できているだろうか?」

 

そして、

 

「私が今、もっと

距離を離すべきものとは

何だろうか?」

 

つづく

 

不自然なものは、自然なものにはかなわない

ある会社では、

8名の幹部さん達が

経営を担っていました。

 

彼らは一致団結しながらも

会社の根本的改革に

取り組んでいました。

 

ところが、

ある日を境に突然、

8名のうちの3名が

幹部を抜けることになりました。

 

3人とも

会社に来れなくなったのです。

 

「会社に来るのが怖い」

と言い始めたのです。

そして3人ともが、

退社の方向にありました。

 

また、ある別の会社では、

これまで社内の雰囲気が

とてもよく、

社長以下、全社員さんが

「我社は本当に人を大事にする

居心地の良い会社です」

と、明るい表情で胸を張って

言われていました。

 

ところが、ある日を境に、

社員さん同士が

深刻な対立を始め、

立て続けに

数名の社員さんが

辞めていくことになりました。

 

原因は

明白でした。

 

2社とも、

「15タイプの風」が

社外から流入したのです。

(→前回記事参照)

 

前者では、

幹部さんではなく、

ある一般社員さんから

でした。

 

そして後者では、

新しく入ったばかりの

明るい女性社員さんから

でした。

 

お二人とも

その社員さんご自身には

何の問題もありませんでした。

 

ところが、

そのご家族に15タイプが

いらっしゃることが

わかりました。

 

そのご家族も

もともと15タイプだったわけではなく、

他の15タイプの人からの

風を受け、

15タイプにまで落ちてしまった

ようです。

 

さらに別の例ですが、

ある小学校の先生は、

自分が鬱になるのではないか?

という悩みを抱え、

私のところにいらっしゃいました。

 

面談してすぐに

わかりました。

 

その先生も

「15タイプの風」に

やられていました。

 

それは、ある生徒さん

から来ていました。

 

その生徒さん自身には

問題はありません。

 

ところが、

その生徒さんのご両親が

15タイプになってしまっていた

ことがわかりました。

 

こういった例を

挙げ出すと、

キリがありません。

 

皆、

前向きな人ほど、

やられてしまいます。

 

誰よりも人を大切にし、

誰よりも会社を大切にしようと

真面目に取り組んでいる人ほど

やられてしまいます。

 

この人が

おかしくなるはずがない、

と思われている人ほど、

やられてしまいます。

 

「15タイプの風」には

そんな傾向があるのです。

 

ただ、・・・

以上の3例はすべて

今は改善されました。

 

今は、15タイプの風は

吹いていません。

 

いえ、

正確に言えば、

15タイプの風がたとえ吹こうとも

まったくビクともしない

強さを、

今は誇っています。

 

15タイプの風にやられることで、

多くの人は

かなりのダメージを得ます。

 

あまり脅すつもりは

ありませんが、

あえて表現すれば、

魂や心が焼けただれている

ようなダメージです。

 

大火傷のような

ダメージです。

 

しかし私達人間には

自然治癒力があります。

 

そしてたとえ、

15タイプと関わっても、

自分が影響を受けるのではなく、

むしろその15タイプに影響を与え、

もう一度、健康状態に戻すだけの

力が、

もともと私達にはあります。

 

その力を

取り戻すことが

唯一の対応策です。

 

つまりそれは、

15タイプの風の窓口となって

しまっている人と、

15タイプの風を

真正面から受けてしまっている

人の

 

「真本音度合いを上げる」

 

ということに

他なりません。

 

しかもその「上げ方」の

目安があります。

 

それは、

「真本音度合い50%以上」

にするということです。

 

つまり、

自分の行動の半分以上を

真本音に素直にする、

真本音に基づいたものにする、

ということです。

 

真本音度合いが

50%を超えますと、

明らかに、自覚症状として

その人自身が

パワーがみなぎってくるのが

わかります。

 

しかもそのパワーは

イケイケどんどん的な

発散するようなパワーではなく、

もっと自然で

もっと静かで、

しかももっと深いものです。

 

そのパワーを

自ら感じ取れるようになれば、

「あぁ私は、どんな人と

向き合っても大丈夫だな」

と思えるようになります。

 

その状態になれば、

15タイプの風に当たっても

ビクともしません。

 

そして、

15タイプの人と関わっても

しっかりと「向き合う」ことが

できます。

 

15タイプは所詮、

15タイプです。

 

真本音の放つ本質的な

パワーには太刀打ちできません。

 

そのパワーに

癒されながら、

再び15タイプを離れ、

自らの真本音度合いを高めていく

ことも可能です。

 

実は、

今回の記事の二つ目の例の

女性社員さんの

15タイプのご家族というのは

その方の旦那さんでした。

 

その方は

15タイプの旦那さんと

結婚されたのではなく、

結婚されてから旦那さんが

職場において15タイプの風を

受け続けることで、

自らが15タイプにまで

落ちてしまったようです。

 

しかしその女性社員さんは

真本音度合いを50%以上に

上げることができました。

 

その結果、

旦那さんも健康状態に

戻りました。

 

そして先日、

お子さんが生まれたのです。

 

私のところに赤ちゃんを連れて

ご挨拶にいらっしゃった時、

私は嬉しくて

泣きそうでした。

 

とても元気な

赤ちゃんでした。

 

真本音度合いを高める、

とは

特別なことではありません。

 

私達が、本来の人間としての

姿を取り戻すだけのこと。

 

自然体を

取り戻すだけのこと。

 

私達は、自然体になれさえすれば、

調和を起こすことが

できるのです。

 

つづく

 

人間である以上、誰もにもともとあるもの

現在このブログでは、

今年に入ってから

「意識の次元」ということについて

様々な視点から

書かせていただいています。

 

その中でよく、

高い次元の意識

という表現を使いますが、

こういった書き方をすると

それは何か特別なものであり、

特別な人のみが持っているものであり、

自分には馴染みのないもの、

という印象を持ってしまう方も

いらっしゃるかもしれません。

 

私にはそんな

高い次元の意識なんて

ありませんから・・・、

と。

 

まっ、面白いことに

高い次元の意識で動いている人ほど

そう言われる傾向が

あるのですが。

 

・・・それは置いておいて、

高い次元の意識はもともと

誰にでも存在しています。

ただそれを

使っているか、使っていないか、の

違いだけなのです。

 

例えば、海岸から

海を眺めているイメージを

してみてください。

 

海は広大ですね。

広くて深くて、

本質的にとても安心できますが、

でも一方で、

海は荒れると怖いです。

 

私達人間の心を

私はよく、海に喩えます。

 

人の心の中は

海のように広くて深いものです。

何が潜んでいるか

まったく未知数でもあります。

 

時々、すごく怖いものも

出てきたりしますよね。

 

しかし、海はなぜ、

海としてそこに存在できて

いるのでしょうか?

 

答えは簡単です。

 

地球があるからです。

地球という大地の塊が

あるからです。

 

海は液体ですので、

大地がなければ存在し得ません。

 

もし地球がなくなれば

海もなくなります。

 

海は、

広大で深遠で神秘的です。

 

しかし海は、

地球に支えられています。

 

高い次元の意識とは、

地球のようなものです。

 

そして海は

低い次元の意識と

ここでは喩えるとしましょう。

 

高い次元の意識

という存在があるからこそ、

低い次元の意識

が存在し得るのです。

 

ですから私達が

今ここに存在しているのであれば、

私達には

高い次元の意識という大地が

間違いなく存在しているのです。

 

そしてその大地は、

地球は、

一つです。

 

高い次元の私達も

もともとは一つなのです。

 

私が、

真本音と呼んでいるものは、

高い次元の意識、

つまりは地球から発せられる

あらゆる想いです。

 

ただしその想いは、

私達それぞれの

「個性」

も大事にします。

 

すべてが一つだから、

個性なんてなくていい、

ということではありません。

 

私達人間の素晴らしいところは、

高い次元から低い次元まで

あらゆる次元の意識が

混在しているところです。

 

「一つ」である部分と

「分離」している部分。

 

その絶妙のハーモニーが

「人間」です。

 

ですので、

「人間」としての私達の真本音は

高い次元も低い次元も

すべての意識を尊重した

次の一歩を示してくれます。

 

つまり、真本音とは

反応本音を活用しながら

生きていくのです。

 

反応本音は

100人いれば、100通りです。

 

真本音と反応本音が結びつけば、

そこに、

『真の個性』

が発現します。

 

真の個性に基づいて生きている人は

周りとの調和度が

凄いです。

 

自分自身は自由だし、

自分らしさを存分に発揮しているのに、

周りとは調和するのです。

 

(本当は、

自分の個性を発揮せずに

周りと調和することは

調和とは言いませんが。

それは、迎合と言います。)

 

真の個性、

真の自分らしさを

際立たせながら、

周りと調和する。

 

そんな組織になれたら、

素晴らしいと思いませんか?

 

つづく

 

人は、未来とも調和する判断ができる

木村さんと弓江さんの二人コーチングから

約1ヶ月経ったある日。

(→前回記事)

 

私は、平井さんに

「ご相談があります」

と呼ばれました。

 

平井さんは言われました。

 

「実は、

新規事業プロジェクトチームの

大幅縮小を考えています。」

 

「えっ?」

と私は驚きました。

 

「どうしても、

新規事業プロジェクトの主要メンバーを

もとの部署に戻す必要が生じました。」

 

話を聴けば、

何か問題が起きたということではなく、

これまでの既存事業の業績が

予想以上に伸びている、とのこと。

 

お客様のご要望にお応えするために、

どうしても人員の補強をしたい、

そのために、新規事業プロジェクトを

大幅縮小することは可能か?

というご相談でした。

 

ただし、平井さんとしては、

新規事業プロジェクトも成功させたい、

という気持ちも強く、

プロジェクトの人数を半分に減らしても

プロジェクトを続行することは可能だろうか?

そして、人員半分でも、

プロジェクトの当初の計画(目標)を

達成することは可能だろうか?

ということについて、私の見立てを聴きたい

ということでした。

 

「木村さんにはこのお話はされたのですか?」

 

「はい、もちろんしました。」

 

「彼はなんと?」

 

「実は驚いているのですが、

大丈夫です、と。

当初の目標も計画も変えずに行きます、と。

そう言うのです。

だから、逆に心配になりまして。

実際のところどうなのか?と

たけうちさんにお訊きしよう思ったのです。」

 

なるほど、そういうことか。

 

「弓江さんもご存知ですか?」

 

「はい。

弓江も木村とまったく同じことを

申しました。

正直、私は少しびっくりしています。」

 

「ちなみに、

実際には、どのメンバーをプロジェクトから

外すのですか?」

 

そのメンバーを聴いて、

私は合点がいきました。

 

この時、私は初めて、

1ヶ月前に、木村さんと弓江さんの二人が

なぜチームのペア編成を組み替えたのか?の

真の意味を知りました。

 

あの時の編成の組み替えが、

ここで生きてきたのです。

 

実は、あの二人コーチングの後、

木村さんは早速、ペアの組み替えを

しました。

 

すると、当初、不調和を起こすのではないか

と予測していたペアが

想定外の調和を見せ、みるみるチームの

調和性も上がりました。

 

チームメンバーも

「非常に仕事がやりやすくなった」と

喜び、チーム全体の活気は明らかに

高まりました。

 

しかもたった1ヶ月ですが、

その中で若手社員が急成長し始めました。

これまでどちらかと言えば、

先輩社員についていくだけ、という人が

主体的に動くようになったのです。

 

木村さんが懸念されていた

「真剣な人とそうでない人の差が開いている」

という問題。

その「真剣でない」と思われていた人達が

主体的になったのです。

 

ペアを組み替えただけで、どうしてこうなるのか?と

「まるで魔法を見ているようです」

と木村さんも弓江さんもおっしゃっていました。

 

でもそれは紛れもなく、

二人で決めた編成だったのです。

 

直観で決めた編成です。

 

ただ、私には

こうなることは何となく予測がついていました。

 

なぜなら、「相性」とは

反応本音レベルの相性と

真本音レベルの相性が

あるからです。

 

二人コーチングの場で、

木村さんと弓江さんが発想したペアは、

思考レベルではNGだったのですが、

それは二人が、

反応本音レベルでの相性を見ていたから

でした。

直観レベルでOKと思えるということは、

恐らく、真本音レベルでの相性が

良いのだろうな、と

私は予測していました。

 

そして、本当に

そうだったのです。

 

真本音レベルの相性の度合いのことを

私は

『調和性』

と呼んでおり、

二人が新たに編成し直したペアは

その調和性に富んでいました。

 

そして、

真本音レベルでの発想は、

その後の「想定外の現実」に対しても

調和をしていきます。

 

平井さんの話によると、

新規事業プロジェクトチームからは

主要メンバーが抜けるということ。

ということは、これまで「真剣でなかった」

若手社員中心のチームになるということです。

 

しかし、この1ヶ月の若手社員の成長ぶりを

見ていますと、

確かに、木村さんが「大丈夫です」というのも

私は理解できました。

 

1ヶ月前の二人コーチングによる

新たなペア編成が成されていなければ、

この事態に対応することは

難しかったでしょう。

 

私は平井さんに申しました。

 

「私も、木村さんと弓江さんの意見と

同じです。

彼らはきっと、やりますよ。」

 

それを聴いた平井さんの表情を

私は忘れることができません。

 

本当に嬉しそうな彼のお顔を拝見して、

ますます、

「これはいけるな」と

私は確信しました。

 

そしてその後、

新規事業プロジェクトは、

若手中心のチームとして本当に

目標達成を遂げることになります。

 

つづく

 

自律のないところに、調和は生まれない

弓江さんの直観的な問い、

「新規事業プロジェクトチームは、

このまま行けば、成功すると思われますか?」

 

これに私は直観的に

「成功しないですね。」

と答えました。

 

その答えを聴いて、弓江さんも木村さんも

何かが腑に落ちました。

(→前回記事)

 

この瞬間、私達3人は

本当に「一つ」になったと

私は実感しました。

 

実はこういった実感は

よくあることです。

こんな時私はいつも、

「すべては自分である」

という言葉に、とても納得します。

 

これは人数の問題ではありません。

 

クライアントさんが一人であろうと二人であろうと、

10人であろうと、100人であろうと、

「一つ」になるときには、本当に「一つ」になれます。

 

しかし、「一つ」になることで

皆がまったく同じ思考や意見を言うようになる

わけではありません。

 

「一つ」だからこそ、

各々の個性がさらに際立ちます。

そして、様々な意見が出ます。

 

しかしそれらの意見が「反発」や「争い」を生み出すことは

ありません。

すべてが「調和」という結果に繋がるための

意見です。

 

「調和」には、「迎合」や「妥協」は

一切ありません。

 

「強制」も「独裁」もありません。

 

本当に皆が納得する、「最善の答え」が

そこにあります。

 

個人個人から「最善の答え」が生み出されるのと同様に

チームにも「最善の答え」が必ずあります。

 

その答えに行き着くための、

最善の「試行錯誤」と「意見交換」が

「一つ」になることで行われます。

 

これは、各々の真本音度合いが高くないと

決して起きない現象です。

 

私はこの状態を

『自律調和』

と呼んでいます。

 

私がチームコーチングをする目的の一つが

この『自律調和』の状態を創ること

です。

 

そしてこの状態に入ると、

物事はさらに加速して進んでいきます。

しかもその時間は各々にとって

幸福感に満ち足りたものとなります。

 

それは例えば、オーケストラが

「一つ」になって最高の演奏をするときの状態と

本質的には同じでしょう。

 

私は弓江さんに問いました。

 

「なぜこのままでは、

新規事業プロジェクトは成功しないのでしょう?」

 

すぐに答えが返ってきました。

 

「今のチームは、

チームとしてまとまっていますが、

悪いまとまり方をしているからだと思います。」

 

「それは、どういうことですか?」

 

と問うと、今度は木村さんが答えました。

 

「人が活きていない。

誰も、最大のパフォーマンスを発揮していません。

というよりもむしろ、

みんな、死んでます。

お互いの力を打ち消し合っています。」

 

「その原因は?」

 

すると弓江さんが、ハッとしたような表情をされ、

次のように言われました。

 

「私はこれまで、原因をすべて木村リーダーの

リーダーシップにあると決めつけていました。

もちろん広義の意味ではそうだと思いますが、

もっと別の原因がありますね。」

 

その一言は、

私にとても伝わってきました。

 

すると、私の中に、別の視点からの問いが

浮かんできました。

私はそれを投げてみました。

 

「弓江さん、

これまでの木村さんは、リーダーとして

何をし続けてきたと思いますか?」

 

弓江さんは少し考えてから

言いました。

 

「あぁそうか。

木村リーダーは必死に、

火消しをし続けていたのですね。

大火事にならないように。」

 

つづく

 

すべての人が本当は、自分自身のリーダーである

チームを創るにしても、

会社を創るにしても、

「この人にはかなわない」

と思える人を、

チーム員に迎え入れることのできるリーダー(トップ)は

本当のリーダーであると私は思います。

 

「このチームでは私が一番凄い」

という枠の中でしかチームを創れないリーダーには

必然的に限界が訪れます。

 

リーダーとは、

役割にしか過ぎません。

 

そのリーダーが一番偉いわけでは

ありません。

 

そんなことは当然、頭ではわかっている人は

多いのですが、

いざ自分がリーダーになろうとすると、

なかなかそれができません。

 

リーダーである自分は一番素晴らしくなくては、と

真面目な人ほど思います。

そしてそのプレッシャーに負けそうになります。

 

そんなリーダーを数多く

拝見してきました。

 

私は思います。

 

リーダーとはもっと

自由であったほうがいい。

 

もっと

自分らしくあった方がいい、と。

 

リーダーらしい自分ではなく、

自分らしいリーダーをすればいい、と。

 

チーム(組織)とは

人の集まりです。

 

人には、心があります。

 

一人一人の心は価値観も違いますし、

これまでの人生経験も違います。

すべての人が、

「この人は完璧だ。素晴らしいリーダーだ」

と思えることは、ほぼありません。

もしあるとすれば、

それは「不自然」です。

 

人が、

その人の持っている本来の魅力を

発揮できれば、

私は、すべての人が「その人らしいリーダー」に

なれると、ある時から確信しました。

 

リーダーに向き、不向きは

ないのです。

 

大切なのは、

「本来の」その人らしさを

出せるかどうか?

 

それができれば、

すべての人がリーダーとなれます。

 

それができていない人が多いので、

現時点ではリーダーになれない人が多い、

というだけのことです。

 

本当は、

すべての人がリーダーです。

まずは、

自分自身を引っ張るリーダーです。

 

そして、

自分自身を引っ張ることができれば、

人を引っ張ることができるようになります。

 

それを一言で言えば

『自律』

となります。

 

そして、

自律した人が集まれば、

そこには

『調和』

が生まれます。

 

つまり、

本質的なリーダーが集まれば、

調和は自然に生まれるのです。

 

ですから私は、

すべての人がリーダーになればいい、

と思います。

 

エンティティは、

リーダーになれていない人にこそ

多く発生します。

 

自分の人生は自分が進むものなのに、

自分で自分をリードするものなのに、

それを放棄することで

エンティティは大量発生します。

 

エンティティが発生すれば、

まずは、その本人がとても苦しみます。

 

しかもエンティティは周りに

伝染します。

周りの人にも、苦しみを与えるのです。

 

その自覚がないままに

生きている人がいかに多いことか。

 

私は様々な組織と向き合ってきましたが、

この組織からエンティティがなくなれば

それだけですべてが解決するのに・・・、

と思える組織がとても多かったです。

 

木村さんも

エンティティに悩まされていた一人と

言えるでしょう。

(→前回記事)

 

本来の木村さんには

強い想いがあります。

それは、

真本音の想いです。

 

木村さんの想いをあえて私が表現すると、

「すべてのチーム員がリーダーとなって

活躍するチームを創りたい」

ということになると思います。

 

だから彼は、コーチング力を高めようとしましたし、

自分自身がプロのコーチになりたい、とまで

思いました。

 

その彼の想いは、

上司である平井さんの想いとも一致します。

 

平井さんからしてみれば、

木村さんがその真本音の想いを実践してくれればくれるほど、

平井さんの望む理想の組織になっていくのです。

 

だから平井さんは木村さんを

新規事業プロジェクトのリーダーに抜擢しました。

 

しかし一方で、

木村さんのこれまでの反応本音のパターンは、

「俺が一番だ!」

という状態を創り出す、というものでした。

 

その彼の反応本音のパターンを

彼自身の真本音の想いで超えていく。

 

これが、今回のプロジェクトにおける

木村さん自身の本質的テーマです。

 

しかし彼のこのテーマ達成を阻むものが

ありました。

それが、西畑さんのエンティティです。

 

果たして、木村さんは

西畑さんのエンティティを超えて、

自分のパターンを変えることができるのか?

 

それを今、突きつけられているのです。

 

ここは、

木村さんが自力で乗り越えるべきところです。

 

しかしそこにはサポートが必要です。

 

では、どのようなサポートをすればよいのか?

 

木村さんが木村さんの力で

現実を切り開くこと。

そのための、サポート。

 

ヘルプ(助ける)ではありません。

 

あくまでも、サポート。

 

サポートとして私は

何をすればよいのか?

 

そこで私が取った

「渾身の一手」

が、木村・弓江の二人同時コーチングだったのです。

 

つづく

 

本当に自由な人ほど、周りとうまくいく

真本音で生きる、

ということは

自由を得る、ということです。

 

自由とは、

現実レベル(現象レベル)における自分の環境のことを

言うのではありません。

 

ここはあえて断言しますが、

現象レベルにおける環境的な自由を

どれだけ実現しても、私達は決して

「自由」を感じません。

 

それにより満たされることはないのです。

 

私達人間が本当の意味で自由を感じられるのは

心が自由

である時です。

 

ですから、

自分の不自由さを自分以外の何かのせいにしている人は

決して自由になれません。

 

真本音で生きるということは、

一般的に言われる「人格者になる」ということでは

ありません。

 

「私は、こうあらねばならない」

「人の成長は、こうでなければならない」

という意識で自分を律するようになると

その人はどんどん不自由になっていきます。

 

ですから、

人格者を目指している人ほど、

真本音度合いが低い、という事実を

これまで私は本当にたくさん目の当たりにしてきました。

 

「自由になろう」としても

自由にはなれません。

むしろ、

どんどん不自由になります。

 

なぜなら、

「自由になろう」という縛りを自分自身に

与え続けることになるからです。

 

自由を目指している人は、

自由という縛りを自分に与えていて、

とてつもなく不自由です。

 

やはり、真本音度合いは

低いです。

 

真本音で生きる、とは

自分の中の揺るがない心に素直に生きること。

私達の中には

どのような環境に置かれても決して

揺るがない強烈な願いがあります。

 

その願いは、

「この願いを持って生きよう」という意図を

持つことで発生するものではありません。

 

最初から、ここ、にあるものです。

 

自分=その願い、と言ってもよいです。

 

その願いこそが、本来の自分自身

なのです。

 

真本音度合いを高めるとは、

その願いに向かう度合いを高める、ということ。

つまり、

本来の自分に戻る度合いを高めること。

 

それをすることで

人は初めて、自由を感じ始めます。

 

ですから、

真本音で生きることによって

その人の顔からは「険しさ」や「苦しみ」や「困惑」や「悔恨」が

どんどん抜けていきます。

 

一言で言えば、

憑き物が落ちた

という、非常に晴れやかな表情になっていきます。

 

それは、自由、だからです。

 

そして真本音度合いを高めれば高めるほど、

周りとの調和性も増していきます。

 

つまり人は、

自由になればなるほど、

周りと調和する

・・・ようにできているのです。

 

自由を目指せば目指すほど周りと不調和を起こす、

のであれば、それは

本当の自由ではない、ということです。

むしろ、不自由な方向に向かっているということです。

 

もしくは、

その自由さがまだまだ中途半端である

ということです。

 

人は、

完全に自由になれば

完全に世界と調和します。

 

そのようにできています。

 

私はまず、コーチングにおいては

そのような完全調和の状態を創ります。

 

このような書き方をすれば

とてつもなく凄いことのように思われるかも

しれませんが、

「そうではないのです!」

ということをお伝えするために

このブログを書かせていただいているのかもしれません。

 

これまでも何度か書かせていただいたように

私が行なっているコーチング、・・・というよりも

「真本音コミュニケーション」は

私だけが行なえるものではありません。

 

すべての人が

普通にできるコミュニケーションです。

 

むしろ、

人間が本来持っている最も自然な

コミュニケーションである、

と言ってもよいでしょう。

 

それを私は、一人でも多くの人が

思い出せるといいな、と願います。

 

真本音度合いが高まれば、

誰もが「真本音コミュニケーション」ができるように

なります。

 

真本音で生きる、ことは

伝播するのです。

 

つまり、

「自由」は伝播します。

 

だから私はこのお仕事を

させていただいています。

 

さて。

 

木村さんのお話に戻ります。

 

木村さんと私の間には、

完全調和の状態が出来上がりました。

だから私は彼に、

「あなたは、コーチに向いていません」

と伝えることができました。

(→前回記事)

 

通常であれば、

その人が必死に取り組んでいることに対して

真っ向から否定をしているわけですから、

その私の一言を受け入れることはできません。

 

しかし、木村さんと私は完全調和してます。

 

私は、木村さんが最も「欲しい一言」を

彼に伝えている、という状態になっています。

 

ですので、その一言は

効きました。

 

その一言を聴いて、

彼は大笑いされたのです。

 

「あっははは!

そこまではっきり言われると

気持ちいいですねぇ」

と。

 

その瞬間に、

彼を覆っていた雲が一瞬にして

ほとんど取れてしまったのがわかりました。

 

私は木村さんに問いました。

 

「なぜ木村さんがコーチに向いていないか、

わかります?」

 

木村さんはにこやかに

答えました。

 

「はい、だって私は、

自分が主役でいたいからです。

だから、ロックバンドやってますしね。」

 

つづく

 

要(かなめ)を見出さずに、組織活性化はあり得ない

『調和力』を持った人が

たった一人でもチームにいるかどうか?

 

それにより、チームの発想力も行動力も

成果も生産性も、すべてが変わって来ます。

(→前回記事)

 

たった一人が加わっただけで

チームの雰囲気がガラリと変わってしまう、という経験は

どこの組織にもあるのではないでしょうか。

 

多くの場合、『調和力』とは

先天的なものです。

 

しかし、その力があったとしても、

それを自覚し活用している人は、大変に稀です。

 

ですから、調和力を持ち合わせている人を

組織の中から見出し、活用する、というのが

組織開発をサポートするコーチとしての

重要な役割の一つです。

 

調和力のお話を解説したとき、

木村さんは当初、「買いかぶり過ぎです」と

言われていましたが、

しかし明らかに彼の心は喜び、

パワーが溢れ出始めたのがわかりました。

 

本来持ち合わせている力とは、

そこに意識を向けるだけで発現し始めるのです。

 

それ以降、木村さんは、ご自分の調和力を存分に

活用することになりました。

 

まず木村さんは、

新規事業プロジェクトチームのミーティング時は

できるだけ自分が皆の中心位置に座るようにしました。

 

そして、自分の思考に意識を向けるよりも、

常に、そこにいるプロジェクトメンバー全員、

その場全体に、

意識を向け続けました。

 

つまりこれは、自分の意識を内側には向けず、

外側に開放し続けるということです。

 

これを、

「オープンマインドの状態」

と、私は呼んでいます。

 

プロジェクトメンバーのお顔や表情が

ありありと観察できていれば、

オープンマインドになれている証拠です。

 

要するに、

「場の中心で、オープンマインドでいること」

・・・これが、調和力を最も発揮しやすい状態です。

 

木村さんは言われました。

「その体勢でいると、面白いことに、

私自身の直観力も明らかに増すのです」

と。

 

メンバーと共に、自分自身からも

アイデアが次々と生まれ、

その場は非常に活性化するそうです。

 

そのメンバーとのミーティングが

いつも「楽しみ」となり、

メンバーが集まるだけでモチベーションが上がる、

という関係性になっていきます。

 

チームの力を決めるのは、

そのチームを構成する人達です。

もちろん、一人一人の能力がどうか?も影響は大きいですが、

一人一人の能力が相乗効果でさらにアップする関係性かどうか?

という視点は極めて重要です。

 

そしてその関係性を決めているのは、

メンバーのうちのたった一人の影響

かも知れないのです。

 

そのたった一人を私は、

『要(かなめ)』

と呼んでいます。

 

平井さんは、

木村さんという『要』を見出し、

その『要』を上手に活用した

ということになります。

 

・誰が『要』で、

・どう活かすか?

 

この実にシンプルな問いこそが、

組織活性化戦略、そして

組織コーチングの基本です。

 

つづく

 

勢いに任せた前向きさから脱することこそ重要

葛藤を伴った前向きさ。

 

それは非常に不安定なものです。

(→前回記事)

 

常に前向きであろうと頑張り過ぎる人ほど、

私は注意をします。

その前向きさに合わせて物事を進めれば、

多くの場合、どこかで無理と不調和が生じるからです。

 

これを、

反応本音レベルの前向きさ、

と言います。

 

それに対して、

真本音レベルの前向きさ、

というものがあるのですが、しかし実はこれは

あまり的確な表現ではありません。

 

なぜなら真本音に素直に生きている人は、

自分が前向きかどうか、

なんてことは眼中にないからです。

 

前向きだろうが、後ろ向きだろうが、

今自分のすることは、今する。

ただそれだけのことだからです。

 

その姿を周りの人達が見ると、

「あの人はなんであんなにいつも前向きなんだ?」

という印象になるだけのことです。

 

真本音で生きるとは、

本人にとってはとてつもなく自然な状態です。

 

私のコーチングは、まずはクライアントさんが

そのような状態になる(・・・というよりも「戻る」)ことを

大切にしています。

 

単に勢いに任せて目標設定やコミットメントをして

勢いに任せて突き進む、ということを

私は、極力止めます。

 

勢い任せの前進ではなく、

本当に真本音に根ざした前進であれば、

そのクライアントさんの天然の魅力や個性や力が

発現し始めます。

 

木村さんの天然の力は

『創造力』

です。

(→前々回記事)

 

そしてその創造力とは、

『調和力』

を伴ったものです。

(→前回記事)

 

調和力という言葉は聞き慣れないと思います。

これも私の造語になるのでしょうか。

いつ間にか企業現場で自然に使うように

なっていました。

 

調和力を持った人は凄いです。

 

その人は特に何もしなくても、

その人がその場にいると明らかに

そこにいる人達の調和度合い(調和性)が高まるのです。

 

単純に言えば、例えば、

その人がいなければ言い争いになりそうな議題でも

穏やかにコミュニケーションが進んでいきます。

それだけでなく、

一人一人が個別で考えても決して出てこないような

斬新で本質的なアイデアが、

その場で生み出されるようになります。

 

調和力を持った人が、

そこにいるかいないか?

その違いだけ、でです。

 

ですので、私は組織コーチングをする場合、

その組織の中で調和力を持ち合わせている人を

いつも探します。

そしてその人の調和力を引き出すコーチングを

します。

そしてその人を、要(かなめ)として活用しながら

組織活性化を推進します。

 

その方が何倍も効果が違ってくるからです。

 

つまり調和力とは、

その人の存在そのものが発揮する

独特の力です。

 

木村さんにはそれがあったのです。

 

しかも木村さんの場合は、

その調和力という土台の上で、

新たな道を創り出していく逞しさ(創造力)も

ありました。

 

彼はもともと自信家の個性を前面に出していましたが、

実はその「自信家ぶり」自体は決して悪いことではないのです。

彼のその自信の根元にあったのは、

自分は新たな道を切り開いていける、という確信から

来るものだったのです。

 

しかし反応本音のみで生きていた彼は、

自己保身のために、その自信家ぶりを発揮して

いました。

それにより周りからの信頼を減らしていたのですから、

非常に勿体ない個性の使い方をしていたわけです。

 

要するに、

真本音で生きれば、自分の個性は

良い発揮の仕方をするわけです。

しかし真本音度合いを下げることで、

自分の個性を、自分を下げる方向に使ってしまう。

・・・そういった場面をこれまで私は

本当に数え切れないくらいに見てきました。

 

つくづく「勿体ない」の一言なんですよね。

 

木村さんの上司である平井さんは

こういった彼の特性を何となく掴んでいました。

だから、

「木村が真本音度合いを高めれば

必ず凄いことになる」という確信を持ち、

私に木村さんのコーチングを依頼されました。

 

そして、彼の天然の力が発揮され始めたのを見て、

すかさず、木村さんに「環境」を与えたのです。

それが、新規事業プロジェクトのリーダーという

立場です。

 

平井さんのマネジメントは「見事!」と

言うほかありません。

 

さて、話をもとに戻しますが、

新規事業プロジェクトのリーダーという役割を

平井さんから指示された時の木村さんは、

なぜ自分が?と疑問に思い、それを断ろうとしました。

 

そのタイミングで私のコーチングがありました。

 

私は木村さんに、なぜ平井さんが

木村さんをリーダーにしようとしたか?の理由を

詳細に説明しました。

 

調和力と創造力のお話も当然しました。

 

木村さんは、非常に恐縮されました。

「私のことを買いかぶり過ぎだと思うんです。

平井も、たけうちさんも」

と彼は言いました。

 

真本音度合いを高めることで

妙に謙虚になる人は、結構います。

恐らく、

これまでの自分の「芯のなさ」を知ってしまった故だと

思います。

 

ですから、謙虚になること自体は悪いことでは

ありません。

しかしだからと言って、

行動まで謙虚になる必要はありません。

 

本質的な謙虚になった人ほど、

大胆な行動をとっていただくことが

成果に結びつきます。

 

その環境を与えられる、という「現実」を

私は待っていました。

 

謙虚になった木村さんが、

目の前の「現実」に対して大胆に向かっていく。

 

これが、私のコーチングサポートの

次のステップでした。

 

つづく

 

人の本当の成長は、まずは空気感の変化から

“生まれたばかりの無邪気”

 

この言葉が木村さんから発せられた時、

私の体の芯が痺れるように震えました。

(→前回記事)

 

その人の真本音から出された言葉。

これは、本当に人の心に響きます。

 

私はコーチというお仕事をさせていただいていますので、

このような、ある種の「感動」には敏感です。

しかしそれは敏感なだけであって、

このような心の深いところでの感動は、

誰もが感じることでなのです。

つまり、

木村さんの口からその言葉を聴けば、

私でなくても、誰もがその感動を味わいます。

それを敏感に認識するかどうは別として。

 

仮にまったく認識していなくてもよいのです。

認識していなくとも、その人の心には確かに

「感動」は起こるのです。

そこが大事。

 

そういった「感動」をもたらしてくれる人に対して、

人は、何となく「この人と一緒にいるといいなぁ」とか

何となく「この人と一緒にいたいなぁ」とか

何となく「この人と一緒に仕事をしたいなぁ」

というように感じるのです。

 

こういった無意識レベルにおける「印象」こそが

人間関係においてとても大事です。

もちろん、仕事においてもです。

 

真本音度合いが高まるということは、

その人の口から

真本音からの言葉がたくさん発言される、

ということです。

 

その言葉が、人に響きます。

ですから、真本音度合いの高い状態でチームを組むのと

低い状態でチームを組むのとでは、

同じメンバーだとしてもまったく違った成果を生み出すのです。

 

私は、

世の中全体の真本音度合いが高まればいいなぁと

思います。

同じ人であっても、

真本音度合いが高いか低いかによって

そこで生み出される現実がまったく変わるからです。

 

調和の現実か、

不調和の現実か、

です。

 

不調和を起こすから、その人はダメだ。

不調和を起こすから、その人を辞めさせて

別の誰かに変えなければならない。

・・・ということではないのです。

 

すべては、

真本音度合いが高いか、低いか。

ここでこそ、道が決まってくるのです。

 

“生まれたばかりの無邪気”

 

この言葉の意味は、

木村さん本人にすら、よくわかりません。

しかし、

最初はそれでOKです。

むしろ、

意味をわかったつもりになるよりも、

徐々に、その真の意味を

日常においてつかんでいくことこそが重要です。

 

木村さんがその言葉を大切にしながら

日常に入っていってからすぐに反応がありました。

平井さんが

私に連絡をくださったのです。

 

「たけうちさん、木村が変わりましたよ。」

 

平井さんは本当に嬉しそうに

そうおっしゃいました。

 

「どう変わったのですか?」

 

「明らかに雰囲気が変わりましたよ。

先日、コーチングを終えた直後の木村を見て

私はびっくりしましたよ。

なんか憑き物が落ちたような感じで。」

 

「あっははは、

平井さんが真本音を見つけられた時も

そうだったんですよ。」

 

「えぇ、そうなんですか。」

 

「ご本人には、まったく自覚はないんですけどね。」

 

そうなんです。

まず、真本音度合いが高まると、

その人の雰囲気(空気感)が変わります。

しかしそれは、当の本人はまったく気づいていません。

 

人が本質的成長をしている時は、

あまりに自然な変化のため

本人が最も気づかないものです。

むしろ、

「私はここが変わった!」と

本人が自覚しているときは、自己満足のケースが多いです。

もちろん、そうでない時もありますが。

 

「それから、どうですか?

木村さんの行動ベースで変わったところはありませんか?」

 

「いやぁ、なんかとてもオープンになってね、

私にどんどん話しかけてくるようになったんですよ。

それは、仕事に関する提案もあるのですが、

まったく関係のない雑談もあります。

あんなヤツじゃなかったんですけどねぇ。」

 

「どうですか、

バンドをしている時の彼に近づいている感じはあります?」

 

「あぁ、ありますあります。

確かに、本来の彼に近づいていますよ。」

 

しかしここで満足してはなりません。

ここまでは、非常に良い傾向です。

でも、

本当に「自分を壊す」とは、

ここからが勝負なのです。

 

つづく

 

私とあなたは、本当に調和していますか?

『自律調和』という言葉を

私はよく使います。

 

この言葉は、私が尊敬するある社長が

生み出した言葉です。

 

「たけうちさんがやっていることって、

こういうことですよね」

と彼に言われた時、

あぁなるほど!と思いました。

 

この言葉の凄いところは二つあります。

 

一つは、

「自立」ではなく「自律」というところです。

 

「自立」と「自律」の違いは、

様々な解釈の仕方があると思いますが、

私の解釈で言えば、

自立の先にあるのが自律です。

 

人は、自ら立つことができて、初めて

自らを律することができます。

 

自ら立つことをせず、依存状態のままで

自らを律しても、それは自律もどきです。

社長に依存していた時代の平井さんがまさに

この状態でした。

(→前回記事)

 

そして、自分を律する、とは、

自分を縛り付けることではありません。

 

自分自身をコントロールすることです。

 

つまりそれは、「自由自在に自分を操ること」です。

 

要するに、本質的な「自由」です。

 

自律している人とは、自由な人なのです。

 

これが私の解釈です。

 

『自律調和』という言葉の凄いところの二つ目は、

 

「調和自律」ではなく「自律調和」である

というところです。

 

よく、「仲間がいるから私はがんばれる」

という言葉を聞きます。

 

私はそれを聞くと、「依存だな」と思います。

 

仲間がいるからがんばれる、

じゃあ、いなかったら?

いなかったら、がんばるのをやめるの?

と。

 

もちろん、仲間は大事です。

調和できる環境や、職場や、人間関係は

とても重要です。

 

しかし、「みんながいるから私はがんばれる」

というのは、調和もどきです。

 

依存の集合体です。

 

依存とは、寄りかかること。

もしくは、ぶら下がること。

 

寄りかかる対象がなければ、

ぶら下がる対象がなければ、立つことができない状態

を言います。

 

お互いがお互いに寄りかかり、

お互いがいなければ立っていられない状態で

一つの調和を作っていても、

それは調和とは言いません。

 

そこに、「自由」はありません。

 

本来の調和とは、

一人一人がまずは自分で立ち、

自分で自分を自由にコントロールし、

そういうことのできる人達が、

お互いに寄りかかるのではなく、

自ら立った状態で、手をつなぐこと

です。

 

手を放そうと思えばいつでも放せます。

 

つなごうと思えば、いつでもつなげます。

 

どちらもできる状態。

 

今は、手を放すことが大切か?

それとも、手をつなぐことが大切か?

 

いつでもどちらの選択もできる状態。

 

そうなれると、

くっついていても、離れていても、

どのような状態でも

その人とその人は「調和」しています。

 

調和とは、「距離感」です。

 

その人とどれくらいの距離感で関わることが

今は最も相乗効果を発揮することに

なるだろうか?

 

それをお互いに見極め、

最適な距離感で関わり合うことが

真の調和をもたらします。

 

それができるのは、

自律した人同士のみです。

 

ですので、『自律調和』なのです。

 

自律→調和 なのです。

 

この順番しかあり得ない。

逆はあり得ないんだ、ということに

いつからか私は気づくことができました。

 

そこに気づいてから、

人や組織への関わり方が

非常に楽になりました。

 

何をすれば良いか?が

明確に掴みやすくなりました。

 

そしてさらに次のことも言えます。

 

自律した人は、

次の自律した人を生む、

と。

 

平井さんの例はまさしくそうです。

 

もともとは社長に依存していた平井さん。

その平井さんが自律することで、

自律した社員さんが一気に増えました。

 

組織全体が、

依存状態から自律調和状態へと

脱皮し始めました。

 

一人の自律は、

組織のパワーになるのです。

 

つづく

 

簡単簡単、ツボを押すだけ

組織には「ツボ」があります。

 

人間の体と同じく、

このツボを押せば健康になれる、

このツボを押せば活性化する、

という要所があります。

 

ただ、人間の体と違うのは、

その要所は、移動するということです。

 

具体的に言えば、

「今は誰にどのような刺激を入れることで、

全体の活性化につながるか?」

という、ツボとなる人が必ずいるということです。

 

しかもそのツボは、

人から人へと受け継がれていくもの。

 

そういった前提に立てば、

「今、ツボとなる人に対して、誰をどうつなげばよいか?」

が、組織活性化の最重要ポイントの一つになります。

 

前回の記事では「調和性」という考え方を

ご紹介しました。

(→前回記事)

 

その視点から言えば、

・今、ツボとなる人は誰か?

・その人と調和性の高い人は誰か?

・それらの人達をどのように結びつけるか?

というマネジメントをします。

 

それが「人と人をつなぐマネジメント」の基本です。

 

平井さんは、それをし続けました。

 

上記のように書きますと、

少し難しいことのように感じるかもしれませんが、

それは日常的に活用できることなんです。

 

例えば平井さんがいつも気にしていたのは、

今は誰と誰がランチを一緒に食べると良さそうか?

ということです。

 

ツボになる人がAさんだとして、

今はAさんと調和性の高い人はBさんだから、

AさんとBさんが一緒にランチすると良さそうだな。

そこでは、このようなテーマのお話をすると良さそうだな。

・・・というようなことを考え、

平井さんはAさんとBさんを一緒にランチに誘います。

 

誘わなくても、さりげなくそのような

シチュエーションを創ることもあります。

 

そしてさりげなく、そのようなテーマを

話題として出して、堅苦しくなく、

ランチを楽しみます。

 

例えば、ミーティングや会議も同様です。

 

今は誰と誰がどのようなテーマで

ミーティングを行なえばよいか?

そこでは、どのような席順で座ればよいか?

そして、どのような順番で

意見を求めればよいか?

などを発想し、そういった場を創ります。

 

ただし、発想した通りに絶対に物事を

進めなければならないということでは

ありません。

 

できるだけ綿密に発想しますが、

あとはその場のムードや流れに任せます。

 

「その方が面白い展開になりますから」

と平井さん。

 

こういったことを日常的に

繰り返していくだけでも、

組織の調和度合いや活性度合いは

根本的に変化します。

 

こういったことは平井さんは

最初からわかっていたわけではありません。

 

いつもじっと社員さん達を観察し、

(義務としての観察ではありません。

興味を持ち楽しみながら観察し続けていました。)

いつも順番に社員さん達と面談を続ける中で、

思いつき、自然にやり始めたことです。

 

しかしその効果があまりにも大きく、

いえ、大きいどころか

そういった些細なことから想定外の

面白い展開がたくさん生まれるのを目の当たりにし、

平井さんは

「何気ない日常における、一つ一つの“つなぎ”こそが、

組織活性化の要だ」

と気づかれたのです。

 

しかし平井流リーダーシップは

これだけでは終わりません。

 

普段、このような“つなぎ”をしておいた上で、

ある時、ある瞬間に、

ある大きな刺激を入れるのです。

 

つづく

 

想定外のマネジメント

「肚が据わる」という言葉があります。

 

肚が据わっている人は

精神的に非常に強い人である、という印象がありますが、

実は、そうではありません。

 

本当に肚が据わっている人は、

自分の弱さをすべて知っている人です。

自分の弱さをあるがままに見つめることができる人です。

 

自分の弱さにフタをして、イキがって勢いだけで進むのは、

「肚が据わる」とは真逆の状態です。

それは「ごまかし」です。

 

人は弱い。

 

自分は弱い。

 

そういった「事実」をあるがままに受け止められる人こそが

「肚が据わった」判断ができます。

 

「現実」とは、

想定外のことがいくつも起きます。

 

「想定外のことが起きること」

それが現実だと定義しても良いくらいです。

 

イキがって、「それは想定内のことだから」と言っているうちは

本質的には、現実逃避と変わりません。

 

想定外のことが起きた。

うわーっ、どうしよう?

混乱だ。混沌だ。自分を見失う!

というすべての現象をあるがままに受け取ることで、

私達は「肚が据わった」状態に入れます。

 

それは「覚悟を持った状態」であり、

人としての「自然体」です。

 

「自然体」に戻れば、

人は「最善の選択」ができます。

 

心配をしなくても、

「想定外のことがわざと起こるように出来上がっている」

のが「現実」なので、

それらをすべて楽しんで進みましょう。

 

さて、平井さんの話に戻ります。

(→前回記事)

 

私が平井さんに対して「すごいなぁ」と思えることの一つは、

「想定外のことを楽しむ」力です。

 

平井さんは言われます。

 

「私は、人が好きです。

なぜなら、人は、想定外だからです。

人は、予測できないからです。

あぁこの人のことはよくわかった、と思った瞬間に必ず、

その人は想定外のことをします。笑

それが、人の面白さではないでしょうか。

だから私は、人をコントロールすることをあきらめました。

想定外のことをするのが人である、というように

自分の中で定義づけることで、初めて

本当のマネジメントができるようになった気がします。」

 

そしてさらに続けられます。

 

「私にできることは、

人と人を結ぶことです。

今は、誰と誰を結べば、想定外に面白いことが起こるだろうか?

という観点から、マネジメントをしています。」

 

それが平井さん流のリーダーシップでもあるんですね。

 

しかし私こそ、平井さんに対して「想定外の面白さ」を

感じます。

あれだけ、自分を失くしていた人が、

今は自分を取り戻すどころか、人の可能性を

想定外に引き出しています。

 

「想定外の人生を楽しむ」平井さんの姿は

私の想定外でした。

 

私は平井さんから随分と

勇気をいただきました。

 

人生は、想定外だからこそ素晴らしい。

 

人は、想定外だからこそ素晴らしい。

 

想定外である人生を、

想定外である人を、

どのように活かすか?

それこそが、本来のマネジメントである、と。

 

マネジメントとは「管理」であると

一般的には言われていますが、

私は思います。

マネジメントとは、「自由」であると。

いかに人本来の「自由」を引き出すか?

それがマネジメントであると。

そしてそれが中途半端ではなく、

本当に成されることで、「調和」が起こると。

本当の自由は、調和を起こす。

その「調和」を起こすことこそが

マネジメントであると。

 

今の私の組織活性化サポートの核になる部分を

私は平井さんから随分と学ばせていただいたのです。

 

つづく

 

人の主体性はこれで決まる

「トップが変われば企業も変わる」

とはよく言われますが、

私も本当にその通りだと思います。

 

平井さんがご自分を取り戻してから約2年後、

社長は、

「平井にはもう何もアドバイスすることがなくなってしまった」

が口癖となりました。

 

もちろん、いろいろな紆余曲折はありました。

ぶり返しのお話は以前にも少し書きましたが、

自分を取り戻したはずの平井さんも

何度か以前の彼の状態に戻りました。

その都度、私は彼のコーチングサポートをしましたが、

それもだんだんと必要なくなりました。

 

実質的に平井さんは会社のトップとなり

平井流リーダーシップが確立されていきます。

 

平井流リーダーシップとは、

「社員を主役にするリーダーシップ」でした。

(→前回記事)

 

「社員を主役にする」とは、

言葉では簡単に言えますが、

これもなかなかに大変な道のりでした。

 

社員を主役にしたくても、その社員が会社に対して

依存的であれば、主役にされること自体を本人が

拒絶します。

たとえ拒絶されなかったとしても、

その社員が自ら主体的に覚悟を持って動かなければ、

物事は何も進みません。

 

実はこのジレンマに陥っている経営者は

数え切れないほどいらっしゃいます。

 

平井さんも

「社員を主役にすることはやはり無理だ」と

何度もあきらめかけました。

 

私自身も、平井さんのサポートをさせていただく中で

本当にたくさんのことを学ばせていただきました。

 

特にその中でも大きかったのは、

次のことでした。

 

「人が主体性を高めていくには、

その人一人を見るよりも、

その人がどの人と関わるか?を見る方が、

何倍も効果的である」

 

ということです。

 

例えば、Aさんという人がいたとします。

Aさんが、Bさんと関わりながら仕事をするのか?

それともCさんと関わりながら仕事をするのか?

によって、たとえ仕事の内容が同じであったとしても、

Aさんの主体性度合いや成長度合いは

大きく変わる、ということです。

 

ある意味それは「相性が良いかどうか?」ということに

なりますが、

しかし、そう短絡的なものでもありません。

例えば、

「あえて相性の悪い人同士をコンビにすることで

お互いの成長度を高める」

ということもあるわけです。

 

ですので、私はそれを

「調和性」

と呼んでいます。

 

調和性とは、

人と人が関わり合うことで

どれだけお互いの

・成長度合い

・相乗効果

・成果

に結びつくか?の度合いです。

 

調和性が高い人同士を選び、

その人達の距離を縮め、

調和性の低い人達同士はあえて距離を広げる、

という組織体制にすることで、

同じメンバーでも組織としての生産性は

何倍も変わってくるのです。

 

この発見は本当に大きかった。

 

しかも、調和性とは常に一定ではありません。

人が成長することで、徐々に変化します。

 

そのために、常に社員さんを観察し、

「今は、誰と誰をつなげることがベストか?」

を見出すことが、

平井さんのリーダーシップの要となりました。

 

平井さんは

「人を引っ張るリーダー」

から

「人と人をつなぐリーダー」

へと変化していったのです。

 

そして実質的トップであった彼のその変化は

組織全体に大きな変化をもたらしました。

 

つづく

 

『混乱した方がいい』

あえて、
混乱の中に飛び込めるか?

これが、
チームパフォーマンスコーチを
できる人とできない人の
重要な境目になります。

個人の人生にも
組織の道のりにも
混乱はつきものです。

ただし混乱とは、
飛び込むべき混乱と、
飛び込んではならない混乱が
あります。

必要な混乱と
不必要な混乱が
あるわけです。

まずはその見極めが
できること。

必要な混乱から逃げれば、
その後にもっと大きな混乱が
待っています。

不必要な混乱に取り組めば、
その混乱はさらに次の混乱を
呼び起こします。

必要な混乱とは、
「進化」と「調和」のための
重要なステップです。

それは避けては
なりません。

現実面でも
心の面でも
大いに混乱しましょう。

混乱とは、
わけがわからなくなってこそ
意味があるものです。

だから、
上手く混乱の乗り切ろう
などとは思わないことです。

その時点で、
逃げいてることと同じ
になります。

しっかり混乱そのものを
受け入れて、
しっかりと我を忘れて、
そこで初めて
見えて来るもの
気づけること
があります。

それを手に入れた瞬間に、
混乱は急速に
収まります。

これも自然の摂理です。

こういった摂理をよくわかり、
ちゃんと混乱すべきときに
混乱できるように、
個人にも組織にも
サポートをし続ける。

それが、
チームパフォーマンスの
重要な役割の一つです。

つづく