未分類

未来に牽引される

スカッと
飛んでゆく。

真一文字に。

そんな
感じで、

自分の意識が
未来に向かう
ことがある。

未来が
今の自分を
牽引している
かのように。

そんな時は
私はそのまま
委ね、
引っ張られる。

すると
まったく
何の意図も
なく、

目の前に
映像が
広がる。

映像
というよりも
体験
と言うべきか。

私は
「そこ」に
いる。

そして
当たり前の
ように
「そこ」で
生きている。

さっきまで
いた場所の
ことなど
何も
意識せず。

日常の
普段の
私のままで
「そこ」
にいる。

皆と
共に。

知らない人も
多い。

知っている人は
皆、
老けた。

きっと
私も
老けている。

普段の
感覚が
全身に広がる。

その
未来における
「普段」の。

それを
感じ取るために
私は
「そこ」まで
来たのだ。

何という
幸せな
感覚か。

これまで
体験したことの
ない。

こんな
幸せな感覚が
未来の私の
「普段」なのか。

そして
さらに
わかる。

今の私の
日々は
間違いなく
「そこ」に
繋がっている、と。

大丈夫。

このまま
行けばいい。

いや、
もっと
加速すれば
いい。

そう確信を
得た。

と、
次の瞬間、
私は
「ここ」に
戻っていた。

つづく

指導が必要だ

いったい
何をやってるんだろう

思うくらいに、

余分なことに
悩んでいる人は
多い。

あなた、
そこ
悩むところじゃ
ないよ!

と、
最近の私は
結構強く
ダイレクトに
お伝えすることに
している。

じゃないと
いつまでも
悩みのサイクルから
出てこないから。

最近はよく
「指導」
という言葉を
使うようになった。

指導と言っても
私の場合、
それはあくまでも
「サポート」だ。

指導とは
サポートである、


私は完全に
思っている。

それを
わかった上で、

コーチとして
ではなく
指導者として
その人に
強いコミュニケーションを
とる、

という機会が
急激に
増えてきた。

私が意図して
やっていることでは
なく、

気がつけば
そうなっていた。

私は基本、
目の前の人の
「鏡」
であろう、
といつもしているので、

今は
「指導されたい」
人が
急増しているのだな、

思う。

主は
あくまでも
その人であり、

その人の
望む方向
(真本音で望む方向)

後押しすることには
変わりはない。

しかし
そのために
あえて
現在のその人の
行動や振る舞い、
内面的動きに対して、

否定したり
叱ったり

ということも
する。

そうしなければ
ならない機会が
増えたのだ。

逆に言えば、
人をちゃんと、

その人を
主にして

否定できる人が
少なくなった
とも言える。

今は
そういったことを
すれば、
すぐに
パワハラだとか
なんとか
言われてしまうから、

気がつけば
みんな
恐る恐る
喋るようになった。

経営者ですら。

だから、
「指導者」が
必要だ。

自分の恐れ
(つまりは、自我)
を超えて、

ちゃんと
ものを伝えられる
人が。

とりあえず
私は
それを、やる。

そして
それができる人を
育成したい
とも思っている。

つづく

人が嫌いだった

「味わう」
という
言葉が最近、

フッと
奥の方から
浮上してきた。

とはいえ、
この言葉は
ずっとずっと
私が
無意識に
呟き続けてきた
言葉だとも
わかる。

特に、
人と向き合って
いる時。

コーチングや
研修や。

ちなみに
最近の私は
自分がクライアントさんと
向き合う時間を
「コーチング」とは
呼ばなくなった。

「指導の時間」

呼ぶようになった。

が、
本質は何も
変わらない。

ただ、
私のしてきたことは
「コーチング」という
名を借りた
「指導」であったと
気づいただけの
ことだ。

それはともかく、
その
指導の時間にこそ、
私は無意識に
ずっと
その言葉を
呟き続けてきた、

ということに
気がついた。

「味わう」

私は、
人生を味わって
いる。

人を
味わっている。

場を
味わっている。

時間を
味わっている。

人と向き合う
時は
最もそれが自然に
できていた。

最近は、
一人の時間でも
この言葉が
浮上し、

一人の時間でも
まるで
人と向き合っている
ような
感覚になる。

味わえば
味わうほど、

私はどこに
いても

人を
感じるのだ。

そして
それが
幸せで
しょうがない。

なるほど、

私は
こんなにも
人が好きだったのか、

今更ながらに
気がついた。

私の人生の
始まりは、

自分が
嫌いだった。

大嫌い
だった。

幼少の
物心ついた時から、
自分の顔を
鏡で見るたびに

吐きそうに
なっていた。

気持ち悪い
と思っていた。

そして
同じくらいに
人を
嫌いだった。

そんな人生の
始まり
だったのに、

何とかなる
もんだな、
人間は。

つづく

ここで重要な問いを

今回はまた
このタイミングで、
とても重要な
問いを。

・・・

誰に何と
言われようが、

ここだけは
自分は
今のままでいい、

このままの
自分でいい、


思えるところは?

そして、

その部分を
しっかり守る
として、

その上で、

ここを自分は
大きく変えよう!

大きく
変わろう!

と、
既に自分自身が
決めていること
は何だろう?

・・・

特に、
手放したいこと

あるのでは
ないかな。

しっかり
自覚しよう。

つづく

実在の大きさよ

地球は
丸い球体である。


わかってしまって
から、

我々人類の
自己イメージは
下がり続けている
のではないか。

地球という
小さく
閉ざされた世界
の中でしか、

生きることの
できない存在。

それが
自分である、と。

閉じた世界から
一生
出ることのできない
存在、
それが自分
である、と。

しかも
インターネットや
SNS等の発展で
世界は
ますます小さく
なっている。

海外に行こうが、
どこに行こうが、
スマホを使えば
すぐに
まるで隣にいるかの
ように、
その人と普通に
会話ができる。

地球という
檻は、
ますます小さく
狭くなる。

すると、
その檻の中に
いる自分自身は、
ますます
小さくイメージされる。

小さな世界
の中の
小さな自分。

それが
自己イメージとして
日々、
刻印されていく。

人類はその
傾向の中で、
日々、
卑屈になり続けて
いるのではないか。

だから私は
皆、

実在

を感じ取れるように
なるといいな、
と思うのだ。

この現象の世界の
もと
となる
実在の世界。

現象の世界は、
フィルムに
映し出されている
映像。

その大本に
なる世界があり、

つまりは
フィルムそのもの
があり、

それが
実在
と言われるもの。

人には
現象の自分の
大本に
実在の自分がいる。

一人ひとりに。

そして、
世界も同様。

実在の世界を
感じると、
それは
小さな球
ではない。

その大地は
縦に横に
永遠に
広がっている。

私達人間の
本来の大きさと

世界の
本来の無限さを

いつでも感じ
続けながら、
今ここで
生き続けることが
できる。

現象の世界を
ないがしろにする、
ということでは
ない。

この世界は
実在と現象の
セットによって
成り立っている。

だから
片方だけでなく、
両方を
感じ取れるように
なるということは、

実に自然な
ことだ。

普通の
ことだ。

皆、もっと
普通になるといいな、

思う。

普通に
自分の大きさを
知り、

普通に
世界の大きさを
知ってほしいな。

つづく

激流の底の清流

表面上、
どれだけ荒れ狂う
激流に
見えても、

その本質を
あるがままに
観れば、

とても静かな
清流だったり
する。

表面のみに
捕らわれること
なかれ。

・・・これは
私がずっと自身に
戒めてきたこと。

特に
我々人間は
表面と本質が
真逆の時すら
多い。

表面に
捕らわれ過ぎる
が故に、
闘い・戦いが
起こる。

混乱が
次の混沌を
生む。

目を凝らす。

耳を澄ます。

体で感じる。

五感だけでなく、
もっと
「素」
のものを
そのまま受け取る。

それを私は
「実在」
と呼んでいる。

実在を受け取る
力は
誰にでもあるんだな、

強く実感するのが
最近の日々。

私の周りの人達
だけだろうか?

最近は
皆の感性が
垂直上昇的に
高まっている。

仕事が本当に
やりやすくなった。

表面の混乱に
呑み込まれない
からね。

つづく

教え過ぎだ

研ぎ澄まされた
感性を
持っているのに、

それを使わない
人は
多い。

特に
若い人達。

もったいない。

まだ
自信がないのだ。

経験が
少ないから。

本当に良くないな
と思うのは、

経験のある者が
経験のない者を
諭し過ぎだ
ということ。

教え過ぎ
だ。

教え諭すことで
その人の
せっかくの感性が
鈍る。

感性を
使わないように
使わないように
促している。

黙りなさい。


ついつい
言いたくなるし、

実際
よく言ってしまう。

人の感性を
甘く見ては
ならない。

とはいえ、

感性を過信
するのも危ない。

もっと
あるがままに
その人を
見つめることは
できないだろうか。

そういう人が
増えてきて
ほしい。

基本を教える
ことは
大事。

基本がなければ
応用も効かない。

それは重々
わかっている。

それをわかった
上で、

でも本当に
最低限だけの
アドバイス、一言に
止め、

あとは
多少、ゴツゴツと
ぶつかってもいいから、

その人の歩みに
任せる、

その人の感性に
任せる、

そんな大らかさを
もっと
持たないか。

特に
ここからの
時代は。

つづく

問題だろ

「ここが問題だよね」

伝えると、

「そんなにひどいことを
言わなくても・・・」

返ってくることが
ある。

これは日本人の
悪い癖の一つじゃないかと
私は思っている
のだが、

みんな、問題を
曖昧にしていないか?

何が悪いのか?
どこに問題があったのか?


ちゃんとクッキリ
明確にしないと、

対策の打ちようが
ないではないか。

曖昧なまま
馴れ合いのまま
進むから、

後で問題が
大問題に変質し、

どうにも
手をつけられなく
なる。

まだ小さなうちに
ちゃんと手を打って
おけばいいのに。

大概は、
多くの問題は
最初からでかいわけでは
ない。

火種から始まり、
徐々に
育っていくものだ。

膨張、だ。

膨張すれば
それはいずれは
必ず
破裂する。

大膨張の上に
大破裂を起こしてしまう
人生を
送る人が
あまりに多くないか?

ちゃんと
問題を見ていない
からだ。

「ここが問題だよね」

はっきり受け止めない
からだ。

つづく

やめたくなっても

 

実るものが

ある。

 

実るものが

ちゃんと実るまで

 

継続をする。

 

継続をしなければ、

例えば

99%継続しても

100%まで継続しなければ、

 

実るべきものは

実らない。

 

0 か 100 か

である。

 

99%まで来て

諦めてしまう人は

多い。

 

せっかく

あと一歩だった

のに。

 

側から観ていれば

案外よく

わかるものだ。

 

なので

「あと一歩だと

思いますよ」

アドバイスするのだが、

 

それでも

やめてしまう。

 

惜しいことだなぁ。

 

あと一歩

進めば、

次のステージに

進めたのに。

 

せっかくここまで

がんばったのに。

 

これまでの人生が

生きるかどうか、

ほぼほぼ

この「あと一歩」に

かかっている、

 

と言っても

良いのではないか。

 

信じた道

ならば、

 

本当に完了感が

出るまで

やり切ろう。

 

何があっても

続けよう。

 

周りの「不安定」に

揺らされては

ならない。

 

しっかり

自分の意志で。

 

本当に

やろう

と思うことを

継続しよう。

 

一歩。

 

一歩。

 

この一歩を

踏み出し続ける

だけなんだ。

 

つづく

 

未来と今をつなぐ

 

本当に望む

未来は

どこにある?

 

あなたの周りの

空間の

どこかにそれはある、

としたら

どこにある?

 

私の場合、

私の少し前の

上空。

 

ずっとずっと

上の方に

それはある。

 

とてつもなく

強い光として

それは

そこに存在している。

 

あなたのは

どこ?

 

それは、

真本音のビジョン

だ。

 

もし場所を

見つけられたら、

そこにじっと

意識を向けてみよう。

 

少し落ち着いた

時間に、

ずっと意識を

向け続けよう。

 

ずっと。

 

じっと。

 

何も考えず。

 

それをし続ける

だけで、

何か感じるものが

あるはず。

 

私の場合、

感じるのは

あったかさ。

 

とても穏やかで

静かなあったかさが

じんわりと

伝わってくる。

 

と同時に、

「仲間」の存在感。

 

大勢の仲間達の

感覚が。

 

とてもパワーのある

仲間達だが、

とても静かで

落ち着いている。

 

一緒にいて

居心地の良い

仲間達。

 

これを感じると、

私はまだまだこれから

大勢の人達と

出会うのだな、と

わかる。

 

さらに意識を

向け続けると、

 

じんわりと

メッセージのような

ものが。

 

それをあえて

言葉にすれば、

 

「やったね」

 

となる。

 

きっと何かを

みんなで

やり遂げたのだろう。

 

あなたは

どうだろう?

 

あなたのビジョンの

場所に

意識を向け続けると、

 

何が伝わって

くる?

 

その、

伝わってくるものを

素直に感じながら、

 

今日

に向かおう。

 

今日

という一日に。

 

今のこの

一歩一歩が

その未来に

続いて行くように。

 

その未来に

たどり着けるか

どうかは、

 

今の私

 

で決まるのだから。

 

つづく

 

中心軸への問い

 

今一度、

自らの中心軸を

明確にしよう。

 

今ここで

明確にすることに

意味がある。

 

たとえ

これまで確立した

中心軸が

あったとしても。

 

今、

だからこその

言葉(表現)が

見つかるはず。

 

その際、

発想の起点となる

いくつかの問いを

列挙しておこう。

 

・・・

 

これまでの私の人生は

何を軸としてきただろう?

 

これから私は

何のために生きよう?

 

これからの私は

何をやらない?

何をやり続ける?

 

これからの私は

何から離れる?

何に近づく?

 

これからの私は

誰から離れる?

誰に近づく?

 

ここからの私が

何が起きても決して

変えることのない

軸は何だろう?

 

それを最も

今の私に納得のいく

シンプルな表現で

言語化すると?

 

・・・

 

上記の問いは、

あくまでご参考までに。

 

中心軸をちゃんと

言語化したら、

 

さぁ、

超加速だ。

 

つづく

 

痛いか?

 

傷口は

癒えたか?

 

そんな簡単には

癒えないか。

 

凄い加速

だからな。

 

未体験ゾーン

だからな。

 

痛いか?

 

でも、

自分で選んだ

進み方だ。

 

そのうち

慣れるさ、

信じるしか

ない。

 

私?

 

私も痛いよ。

 

満身創痍、

という言葉は

この時のために

あるのでは

ないか。

 

でも、

止まることは

ない。

 

さらに

加速する。

 

そう決めたんだ。

 

私は

他者を動かす

力はない。

 

みんなも

そうだろう。

 

みんな

自分の意志で

動くからだ。

 

だから

自分だけは

ちゃんと動かそう。

 

決めたのなら、

決めたことを

ちゃんとやろう。

 

自分の決めた

スピードで。

 

全身痛いが、

 

まぁ

そのうち

慣れるだろうよ。

 

つづく

 

自分を失う?

 

スポットライトを

背後から

浴びている

感覚だ。

 

ステージから

客席へ

飛び降りる直前の。

 

ステージを

放棄するのでは

ない。

 

客席から

ステージを

眺めてみたいのだ。

 

客席の視点

もっとほしい。

 

私は今、

何をしているのか?

 

何をしているように

観えるのか?

 

客席から見て、

本当に調和した

場所に

私は立てているだろうか?

 

ステージから

客席に降りることは

簡単だ。

 

だがしかし、

待てよ・・・。

 

もし今、

それをしたら、

ステージの自分は

客席の自分の

コントロール下に

置かれる。

 

それでは

結局のところ、

これまでの私の

パターンを

逸脱できないのでは

ないか。

 

客席に合わせる

のではなく、

 

客席を引っ張る

くらいの

強引さこそが、

 

今ここで

 

望まれている

のではないか。

 

ステージのキワで、

私はステージを

振り返る。

 

眩い光達。

 

この光の中で

私は自分を

失いそうだった。

 

でも、

それで

良いのでは

ないか。

 

もっと

自分を失って

しまっては・・・。

 

それこそ

次の幕への

引き金になるのでは。

 

私は

光の中へ

戻った。

 

自分がわからなく

なる。

 

だが、

これでいい。

 

つづく

 

一点に収斂

 

自分の意識が

どこに

向いているか?

 

2022年は、

それが大事な

年になるだろう。

 

暗闇の中で

一点だけに

スポットライトを

当てるように。

 

その

明るい部分のみ

常に意識を

向ける。

 

その状態の

ままで、

自分の一挙手一投足

を決める。

 

そんな進み方

をしたい。

 

すべては

その一点に

収斂されていく。

 

収斂進化

という言葉が

あるようだが、

 

まさしく

そんな感じに

進んでいく。

 

つまり、

同じ一点を見つめる

人同士が

関わり合いながら、

 

その同じものを

共に

抱きながら、

 

一人では到底

できないことを

成し遂げていく。

 

そんな進み方

をしたい。

 

人はそれぞれ

その人にしかない

個性がある。

 

しかし

どれだけこれまでの

人生が異なっても

 

同じもの

 

を抱いている人は

いるものだ。

 

その、

同じものを

その人と共に

育てたい。

 

一人で育てる

のとは

異なる仕方で。

 

私は今後、

より静かに

進むだろう。

 

そして

よりスピードアップ

する。

 

淡々と

力を抜いて。

 

しかし

その一点のために

一気に進む。

 

そんな一年に

したいものだ。

 

つづく

 

自力で超えるんだ

 

あなたの中心軸に

今、

どのような「大樹」が

あるだろうか?

 

よく観察して

ほしい。

 

昨日までの

「大樹」は

どうだっただろうか?

 

そして

今の「大樹」は

どうだろうか?

 

さらに

明日以降の「大樹」は

どうなっていくだろうか?

 

今、

「大樹」は

大きな変化の最中に

ある。

 

だからその変化が

わかるはずだ。

 

ありありと。

 

「大樹」が未来に向かって

どう育って行くか?も

 

よくわかる

はずだ。

 

その「変化」を

自覚してほしい。

 

そしてその「変化」が

本当にきちんと

成されるように

 

努力

してほしい。

 

具体的には

その「変化」とは

何がどう変わることなのか?

 

自分の考え方を

どう変化させ、

 

自分の行動を

どう変化させ、

 

自分の成果を

どう変化させることに

 

努力

すべきなのか?

 

それを

今は早急に

明確にしてほしい。

 

私達は今、

とてつもなく大事な

境目にいる。

 

一つの境界線に

たどり着こうと

している。

 

そこをちゃんと

超えられるように、

 

自分で自分の

「変化」を

 

マネジメント

してほしい。

 

ここは、

自力で

超えて行くところだ。

 

つづく

 

良いセルフコーチングをするには

 

私はよく

セルフコーチングを

する。

 

つまりは、

自分に問うて

自分で答えを出す、

ということを

じっくりと落ち着いて

する。

 

それは

街中にあるカフェで

行なうし、

電車の中でも

行なう。

 

私の場合、

結構、雑踏が好きだ。

 

周りがガヤガヤしていて

人の気配があって、

いろんな「人生」が

私の周りに

溢れている状況が

良い。

 

電車に乗るときも、

ガラガラよりも

ある程度混み合って

いた方が良い。

 

そうだな。

 

一番いいのは、

座席がすべて埋まっていて、

立っている人が

チラホラいる。

 

これくらいが

ちょうどいい。

 

私はいつも電車では

立って

セルフコーチングをする。

 

・・・・・・

 

セルフコーチングを

するときは、

 

まずは、

 

自分の中に今、

「どんな問いがあるか?」

を探る。

 

探る、と言っても

頭で考えるわけではない。

 

自分自身の

「等身大」

を感じながら、

「無心」

になるのだ。

 

「ただそこに在るだけ」

 

という状態に

なる。

 

そして、

待つ。

 

ただ、

待つ。

 

すると、

私の中にある問いが

自然に

浮上してくる。

 

それはまさに

「浮上」

という言葉がピッタリだ。

 

別の表現を使えば、

「思い出す」

感覚に近い。

 

つまりは、

「問いを創り出している」

わけではないのだ。

 

「そこに在るものを

見つける」のだ。

あくまでも。

 

そういった問いが

見つかれば、

自動的に

「答え」もわかる。

 

なぜなら

「そこにある問い」には

必ず、

「最善の答え」がセットで

ついているからだ。

 

「最善の答え」がわかれば、

人生も仕事も

実に楽に

進むことができる。

 

・・・・・・

 

しかし

セルフコーチングの前提である

 

「等身大で無心になる」

 

というのが、

一般的には

難しいようだ。

 

これができるように

なるためには、

 

心の中の

状態管理ができなければ

ならない。

 

心がいつも

混沌・混乱していては

 

もしくは、騒がしい状態で

あっては

 

なかなか「無心」には

なれない。

 

じゃあどうすれば良いか?

と言うと、

 

これはやはり

「真本音度合いを上げる」

しかない。

 

真本音度合いの

高い人ほど、

 

心や魂は

静かになっていくからだ。

 

だから、

セルフコーチングのやり方を

お伝えする場合には、

 

まずはどうしても

真本音度合いの高め方を

お伝えしなければ

ならない。

 

真本音度合いが

高まらずして

良いセルフコーチングは

できないのだ。

 

と同時に、

良いセルフコーチングが

できることで

真本音度合いは

さらに高まっていく。

 

その好循環を

創り出すことが

重要だ。

 

・・・・・・・

 

というわけで、

そろそろ

セルフコーチングの講座を

再開しようかと

思っている。

 

11月くらいに

開講できると

いいかなぁ。

 

そこでは

真本音度合いの高め方

から

入っていくことになるだろう。

 

そのうち、

募集動画を創ると

思いますので、

 

ご興味ある人は

コメントください。

 

動画が出来上がりましたら、

お送りします。

 

つづく

 

すごいスピードだ

 

今は、

加速することに

躊躇しない方が

いい。

 

存分に

アクセルを踏めば

いい。

 

中途半端は

やめてしまおう。

 

スピードを出すことに

ついては

全力を出せばいい。

 

・・・・・・

 

過去最高スピードに!

などと

思う必要もない。

 

過去とは

比べることができない

くらいの、

 

次元の異なる

スピードを出せば

いい。

 

すでに準備が

整っている

あなたなら

できるはずだ。

 

そのための

準備だったのだから。

 

・・・・・・

 

あなたの加速による

波紋は

どこまでも

広がっていくだろう。

 

そんな時代に

なれたのだ。

 

周りのペースを

気にしながら

「合わせる」必要も

もはや、ない。

 

あなたの起こす

波紋を

皆、待っている。

 

胸を張って

先頭を走れば

いい。

 

・・・・・・

 

もうすぐあなたは

無我夢中に

なるだろう。

 

自分がわからなく

なってしまう

くらいに。

 

それでいい。

 

自分を見失うくらいに

前に進め。

 

加速せよ。

 

・・・と

あえて言おう。

 

きっと

新しい世界と

出会えるよ。

 

つづく

 

覚悟がないから進めない?

 

本当は、

「覚悟」

はみんな

持っている。

 

始めから。

 

ただ、

それを

忘れてしまっている

だけ。

 

だから、

 

「覚悟を持て」

 

ではない。

 

「覚悟を思い出せ」

 

が正しい。

 

100%とは言わず、

その「覚悟」の

ほんの片鱗でも

思い出すことが

できれば、

 

幼い子どもですら

 

ちゃんと

進む。

 

その道に

進む。

 

振る舞いも

変わるし、

表情も

姿勢も

生き様も

変わる。

 

それが

我々人間だ。

 

もう少しで

自分の「覚悟」を

思い出せそうな

人が

今、

増えている。

 

でも、

思い出す直前で

躊躇している。

 

思い出すことを

怖がっている。

 

本当は

何も怖いことは

ない。

 

思い出し、

その方向に

進む

その瞬間から、

その人は

心の真の平穏と

安定を

手に入れる。

 

にも関わらず、

私達は

「覚悟」を思い出す

ことに

恐怖を感じる。

 

恐怖を

乗り越えてほしいな。

 

一歩を

進んでほしいな。

 

自分自身の

「覚悟」

なのだから、

 

まずは

自分自身が

認めてほしいな。

 

と、

切に願っている。

 

つづく

 

エネルギーに呑まれるな

 

時々、私は

自分でも怖くなる

くらいに

モチベーションが

高まる時が

ある。

 

最近は特に

その頻度が上がって

いるが、

 

実はそういう時ほど

慎重になる。

 

自分の内側から

エネルギーが

大量に溢れ続けると、

 

ある意味、

 

何も

観えなくなる。

 

エネルギー量が

凄くて、

視界が真っ白に

なる。

 

しかもそれは

とても気持ちの良い

状態であるし、

 

何でもできてしまう

感覚にもなる。

 

要するに、

「何も怖くない」

という

状態だ。

 

この状態のまま

私は

「絶対に」

人に

会わないことに

している。

 

なぜなら

自分のエネルギーに

そのままほだされて、

イケイケどんどん

のまま

突っ走ってしまう

からだ。

 

そしてそういう時ほど、

目の前の人を

置いてけぼり

にしてしまうか、

 

もしくは

知らぬ間に

傷つけてしまう。

 

イケイケどんどん

の気分になること

自体は悪くはないが、

そのまま現実を

進めるのは

大抵、

後でおかしなことに

なる。

 

だから

自分の中から

あまりにも大量な

エネルギーが湧いて

来た時は、

 

私は必ずまず、

自分の足元を

見つめる。

 

ちゃんと、

自分の足が

観えるか?

 

ちゃんと

大地に立てているか?

 

を確認する。

 

足元が観えない

場合は、

そのエネルギーの

放出を

止める。

 

と言っても

なかなか止まって

くれないのだが、

 

自分の体の

中心に、

そのエネルギーを

大事に大事に

抱くようにする。

 

そして

「我に返る」

ことにしている。

 

・・・・・・

 

エネルギーは

大事。

 

モチベーションアップ

も大事。

 

しかし、

何も観えない状態で

進むことは

本当に

やめた方がいい。

 

私が特に

企業経営者の

コーチングで

気をつけているのも

ここだ。

 

社長が単なる

イケイケどんどんで

進まないこと。

 

ちゃんと、

あらゆる現実を

見つめて、

観察して、

見極めて

進むこと。

 

エネルギーを

放出しなければ

進めない、

のであれば

それは

その人のエネルギーが

まだ少ない証拠だ。

 

エネルギーの

少ない人は

自分を鼓舞しなければ

進めないから。

 

本当に

エネルギーの高い

人は

静かだ。

 

肩の力を抜き、

静かに

微笑んでいる。

 

力を入れずとも

淡々と

自然体のまま

決めたことをすべて

やれる。

 

つまりは、

持っているエネルギーを

「落ち着いて」

発揮できる。

 

どこに

エネルギーを

集中させて、

どこで

エネルギーを

あえて分散させて、

どこで

エネルギーを

あえて鎮めるか?

ちゃんと

わかりながら

進むことができる。

 

その状態に

常に

「戻る」

ために、

私のコーチングは

あるのかもしれない。

 

人にはもともと

内包されたエネルギーが

必ずある。

 

それが発揮されるように

なるのは

当たり前。

 

ちゃんと真本音で

生きれば、

皆、そうなれる。

 

問題は

そこからだ。

 

開放された

エネルギーを

どのように

コントロールするか?

だ。

 

つづく

 

その道ではないよ

 

無理矢理に

進むことは

良くない。

 

川が

川上から川下へ

流れていくように、

 

自然の摂理に

沿って

流れて行けば

いい。

 

普通に

流れればいいのに、

私達はついつい

余分なことをする。

 

時には

川下から川上へ

上ろうとしてしまう。

 

当然、

それには困難が

伴う。

 

その困難を

越えることが

成長である、

と考える向きも

あるが、

 

どうしても

私にはそれは

自己満足に

見えてしまう。

 

ちゃんと自然に

流れて行けば、

その流れに

乗ることで

発生する

「進むための課題」

が来る。

 

自然に流れる

からこそ、

 

進むからこそ、

 

目の前に

立ちはだかる

課題が来る。

 

どうも

その課題から

逃げるために、

あえて

川下から川上へ

向かい、

 

「俺は

すごいだろ」

 

「俺は

頑張っているだろ」

 

「俺は

挑戦しているだろ」

 

とやっている

人が多いのが

現実ではないだろうか。

 

あなたのその

悩みや課題は、

あなたが今、

本当に取り組む

ものなのか?

 

それが

あなたの人生

であり、

 

あなたの

真本音の願い

なのか?

 

・・・・・・

 

自然に流れる

というのは

楽なことであるが、

 

しかし

楽なことでは

ない。

 

「進む」

という意味では

楽に進めるので

あるが、

 

いつも言うように、

人間とは

「進化を望む」

生き物だ。

 

進化のために

乗り越える壁を

私達は

自ら自分に

課す。

 

それが

楽ではない。

 

楽だったら

課題とは

言えないから。

 

しかし。

 

楽ではないが、

それとしっかりと

真正面から

向き合えば、

 

それに

真正面から

取り組めば、

 

その一歩一歩

魂に満ちるような

充実感が

生まれる。

 

それを感じながら

日々、進むことは

とても

楽である。

 

楽では

ないけど、

とても

楽。

 

という状態に

入る。

 

「進む」

とは

「安定」

である。

 

自転車が

前に進んでこそ

安定するように、

 

前に進むことで

感じることのできる

安定こそを

私達は皆、

求めている。

 

・・・・・・

 

進めば進むほど、

不安定さを

感じる

その方向に、

 

本来の

道はない。

 

それは

あなたの進む

道ではない。

 

もっと

安定を

求めればいい。

 

ただしその

安定は、

止まることによる

安定ではない。

 

進もうと

決意することだけで

安定感を得る、

その道だ。

 

川下から

川上へ進もうと

している人は、

自分を

偽っている。

 

本当は

その道は違う、

とわかっているのに

自分を偽り

その道に進もうと

する。

 

もう一度

言おう。

 

あなたの

その道は

あなたの

道ではない。

 

もっと

あなたには

安定の道が

あるはずだ。

 

もっと

ぐんぐんと

進める道が

あるはずだ。

 

もう、

自己満足の

進み方をするには

もったいない

時代に入った。

 

これからは

川の流れが

とことん速くなる。

 

早くその流れに

乗ることだ。

 

あなたの

人生の流れ

だ。

 

それを

つかむことだ。

 

そのためには、

本当は

あなた自身が

よくわかっている

あなた自身の

真の課題に、

 

勇気を持って

向き合うことだ。

 

つづく

 

思いつきと直観は違うんだ

 

人生は

やみくもに進む

よりも

しっかりと

見極めて進んだ方が

よい。

 

・・・という

言い方をすると、

 

いつも

「直観、直観・・・」

と言っている

私の言葉とは

矛盾しているように

聞こえるだろうか?

 

実は

矛盾しているようで

まったくそうでは

ないのであるが、

 

その理由は

後で書くとして、

 

人生に

「戦略」は

とても大事である。

 

いや、

人生だけではない。

 

あらゆることに

「戦略」は

必要だ。

 

例えば、

私は今後、

 

「人材育成戦略コンサルタント」

 

という肩書きも

自分につけようかな、

と考えている。

 

人材育成にも

組織開発にも

すべてに

「戦略」は必要だからだ。

 

しかし、

「戦略」を考えない

どころか、

その視点すらない

人や組織が

圧倒的に多い。

 

一般的に

言われることだが、

 

「戦略」とは、

戦いを略す

こと。

 

つまりは、

最も楽な道を

見出すこと

である。

 

それをしっかりと

考えることは

あらゆる物事において

必須のことだと

私は思うのだ。

 

・・・・・・

 

コーチングにおいても

まったく同じことが

言える。

 

私はいつも

徹底的に

クライアントさんの

コーチングの戦略を

練る。

 

どの道に

進むことが、

そのクライアントさんの

道が

最も開きやすいか?

 

そのためには

どのようなコーチングを

すればよいか?

 

を考える。

 

これはコーチとして

当たり前のことだと

思う。

 

組織コーチング

(チームコーチング)

の場合も

同様である。

 

ただし、

戦略を

練って練って練って、

その上で

クライアントさんの

前に実際に出て、

コーチングを始めた

瞬間に、

 

私はすべてを

白紙にする。

 

白紙、というよりも

頭の中から

外して、

横に置くことに

している。

 

その状態で

ただ「あるがまま」に

クライアントさんと

向き合えば、

 

そこで

最善の「直観」が

湧くのである。

 

充分に

戦略を練って

準備をしたからこそ、

直観が

働くのである。

 

つまりは、

 

戦略とは

充分に練るもの。

 

と同時に、

 

その上で

横に置き、

直観を促すもの。

 

である。

 

というのが

私が現場で身につけた

感覚だ。

 

・・・・・・

 

どうすれば

直観力を

養えますか?

 

というご質問を

よくいただく。

 

もちろん

その土台となるのは、

 

「日々、

真本音で生きること」

 

だ。

 

それは

最低条件。

 

その上で、

 

「しっかり考えること」

 

が大事だ。

 

直観というと、

考えることとは

対極にあるイメージ

だが、

そうではない。

 

よ〜く物事を

考える人ほど、

良い直観が生まれる。

 

ただし、

自分の考えに

固執していては

ダメ。

 

よ〜く考えた上で、

それに

囚われないこと。

 

その考えを

横に置いたり、

手放したりする

柔軟性、

 

もしくは

遊び心、

 

が必要だ。

 

・・・・・・

 

私は直観型の

人間ですから、

物事をあまり

つべこべ考えないように

しているんです。

 

という人と

時々出会うが、

 

それは

違う。

 

それは

自己満足だ。

 

本当の直観とは、

自分も

人も

すべてを

幸せに導いてくれる

ものだ。

 

自己満足の

わがままな

直観は、

 

直観ではなく、

 

単なる

思いつきに過ぎない。

 

思いつきの

人生は

やめよう。

 

思いつきで

進むくらいなら、

 

しっかり考えて

悩み続けた方が

まだマシな

人生になる。

 

つづく

 

その人であり、私であり

 

人と向かい合って

いると、

 

その人と

自分との

区別がつかなく

なる時がある。

 

特に

1on1のコーチングを

しているときは

そうだ。

 

決して

その状態を

オススメするわけでは

ない。

 

むしろ

「調和」という

意味においては、

 

その人

自分

 

は、

きちんと分離

していて、

区別ができている

方が望ましい。

 

・・・のだが、

それでも

区別がつかなく

なる時がある。

 

そういった時は

そうなることに

意味があるのだと

 

ある意味

諦めて、

 

私はその状態に

委ねるように

している。

 

すると

当然であるが、

その状態だからこそ

言葉が

私の中から

浮かび上がって

くる。

 

その言葉の

数々は

決して多くはないが、

 

しかし

私の印象としては、

 

「言葉の放流」

 

に感じられる。

 

その言葉達は

私の中から

出るものであり、

 

かつ、

 

その人の

真本音が、

自分自身に対して

向けた

メッセージでも

ある。

 

そのメッセージは

時には

非常に厳しい

ものであるケースも

多い。

 

人と人の

コミュニケーション

というのは

実に奥深い

ものだ。

 

こんなに

区別がつかなく

なるのであれば、

いっそのこと

最初から

「一つ」であれば

いいのに、

 

と思うことも

あるのだが、

 

しかし私達は

「分離」していることに

また

大いなる意味がある。

 

高い次元では

「一つ」

でも

 

低い次元では

「分離」

している。

 

それが

「人間」という

とてつもなく

面白い存在。

 

そんな存在

だからこそ

できることが

あるのだろう。

 

やはりそれは

「進化」。

 

進化とは、

一つのものが

分離し、

また一つに

戻り、

また分離し、

また一つに・・・

 

という繰り返しに

よって

成されて行く。

 

分離している

ものが

一つになろうと

する

エネルギーを

「愛」

と言う。

 

分離していなければ、

愛は

生まれない。

 

愛を生み出すのが

私達「人間」

という存在だ。

 

ということを

区別のつかない

状態のまま

私は実感するのだ。

 

「一つ」を

感じるからこそ、

「分離」している

私のことを

その人のことを

愛おしく思う。

 

この

言いようもない

独特の感覚を

 

私は「コーチ」として

人として

これからも

大事にしていきたい。

 

つづく

 

本当に決めているかい?

 

結局は、

 

・決めているか

・決めていないか

 

の違いだけ

なのだろう。

 

人生が

進むかどうか?

は。

 

決めていれば

その方向に

進み、

 

決めていなければ、

たとえどれだけ

意気込んで

いようが、

そちらの方向には

進まない。

 

それは、

声を張り上げれば

よい、

というものでは

ない。

 

気合いを入れれば

よい、

というものでも

ない。

 

第一、

本当に決めている

人は

 

静かだ。

 

気合いを入れる

必要も

情熱を昂ぶらせる

必要も

ないからだ。

 

なぜなら

決めているから。

 

それを

する。

 

ただ、

それだけの

ことだから。

 

・・・・・・

 

「決めるぞーーっ!」

 

と、

決めること自体に

気合いを入れる

人もいるが、

 

まぁ、

難しいね。

 

決めるとは

そういった

ことではない。

 

気合いを入れなければ

決められない

ということは、

 

決めていない

証拠だ。

 

そこに

波風は

必要ない。

 

状況の好転も、

潮流も、

 

実際のところは

必要ない。

 

まずは

決めること。

 

本当に

決めれば、

 

そこから

潮流は

起こるし、

 

状況は

好転を始める。

 

・・・・・・

 

決める人と

決められない人の

違いは

 

あまりにも

単純だ。

 

普段の、

 

一日一日の、

 

生き方

で決まるのだ。

 

いざ、

人生を左右する

大事なことを

決断しようと思っても、

 

普段の生き方が

自ら決める

生き方をして

いなければ、

それは土台

無理な話だ。

 

私の表現で

言えば、

 

普段、

 

一日一日を、

 

真本音で

自ら決めて

生きているか?

だ。

 

ほんの些細な

ことでもいい。

 

例えば、

今日はどこで

ランチしようか、

ということでも

いい。

 

ちゃんと、

「真本音で決める」

こと。

 

一つ一つの

仕事に

真本音で

向かうこと。

 

そうすれば

「魂」が

活性化する。

 

人生の大きな

決断とは、

心でするものでは

なく、

 

魂で

するものだから

だ。

 

いざという時に

魂が

発動するかどうか?

 

これが、

決めるか

決められないか

の境界線だ。

 

そして、

魂を込めて

決めることができた

人は

 

静かだ。

 

・・・・・・

 

魂で、

 

「コーチ」という

仕事をしよう、

 

と決める人を

これから

私は探す。

 

仕事でなくても

いい。

 

組織の中で

自分は

「コーチ」という

役割を担っていこう、

 

と決める人を

私は探す。

 

そろそろ

動き出そうと

思う。

 

つづく

 

一体全体、何をするんだ?

 

人類にとって

今からの30年というのは、

その後の歴史を

決定づけるだろう、

私は見ている。

 

どのような歴史を

創っていくかは

すべて

私達人類の

「自業自得」

である。

 

どうせ世の中は

自分の力の

及ばないところで

勝手に

進んでいくから。

 

という人が

多ければ多いほど、

歴史は

混乱と混沌の方向に

進むだろうし、

 

自分の人生を

真剣に生きることが、

人類そのものの

歴史に大きな影響を

与えるだろう。

 

という実感を得る人

が増えれば増えるほど、

調和と進化の方向に

歴史は進むだろう。

 

この30年間で、

私達はどれだけ

それを自覚できるか?

 

ここに

懸かっている。

 

・・・・・・

 

「一体全体」

という言葉が

あるが、

 

「一体」が

「全体」を

決める。

 

「一体」が

「全体」を

決定づける。

 

・・・ということだ。

 

「全体」が

「一体」に

影響を与えることも

もちろん多いが、

「全体」とは

たったの「一体」から

大きく揺らされ

変わっていく。

 

組織サポートを

させていただいて

いると、

そのことはとても

よくわかる。

 

たったの一人が

本当に

この組織を良くしたい!

決意することで、

それが一気に

「全体」に影響を与える

という場面を

私は数知れず見てきた。

 

それは

組織上における

立場の上下は

関係ない。

 

新入社員さんの

たったの一言で、

その会社の命運を

左右する

新規事業や新会社が

立ち上がったことも

あった。

 

しかしまた、

逆もある。

 

例えば、

どれだけ組織のトップである

社長が

組織を変えたいと

願い行動をしても

つゆとも変わらず、

という場面も

たくさん見てきた。

 

「全体」に

影響を与えられる

「一体」と、

そうではない

「一体」。

 

この違いとは

何だろうか?

 

・・・・・・

 

その答えは、

私の言葉で表現すれば、

単純である。

 

「真本音かどうか?」

 

である。

 

つまり、

その「一体」が

発しているその言葉が、

行動が、

真本音と結びついて

いるかどうか?

だ。

 

と同時に、

次のようにも

言える。

 

「次元が高いかどうか?」

 

もちろんこれまでの

人類の歴史では、

次元の低い意識が

世の中を

動かしてきたことも

多かった。

 

しかしこれからは

少々、様相が

異なってくる。

 

実在(心の中の現実)

現象(心の外の現実)

結びつきが、

この数年で

格段に強くなっている

からだ。

 

今後もこの傾向は

ますます高まる。

 

次元の高い

発想ほど、

現実化しやすい

という傾向が

日々、高まっている

のだ。

 

意識の次元が

高まれば高まるほど、

私達はすべてを

「一つ」

と捉える。

 

「捉える」という

よりも、

真実はそうなのだが、

その真実を

自然に思い出せるように

なるのが、

「次元が高まる」

ということだ。

 

つまり高い次元では、

「自分の幸せ=周りの幸せ」

という発想が

当たり前のように

生まれ、

 

自分のために

がんばっていることが、

すべての人のためにも

なる、

という状態になる。

 

ここに真剣に

なれる人が

一人でも現れれば、

その組織(全体)を

大きく揺るがす。

 

社会(全体)を

大きく揺るがす。

 

という真実を

皆が思い出していけば、

私達の歴史は

調和と進化の方向に

向かうだろう。

 

・・・・・・

 

人類は

生き延びることが

できるか?

 

混乱と混沌に

よって

疲弊する歴史ではなく、

 

本当に人々が

幸せを追求できる

歴史を

創り出せるか?

 

そのために、

「私」は

今日、何をするか?

 

ちょっと大きなことを

言っているようだが、

実は決して

そうではなく、

 

私達が

日々の日常に対して

自分のすべきことを

しっかりとし続ける

ことが、

「一体」が「全体」に

影響を与える

最も近道だ。

 

自分自身が

かけがえのない

「一体」

であるという自覚。

 

自分の今日の

生き方が

(特に実在のレベルでは)

「全体」に影響を

与え続けている

という自覚。

 

今こそ

それを持ちつつ、

進もうではないか。

 

つづく

 

覚悟の日

 

青空は

すがすがしい。

 

晴れ渡った空を

見上げると、

私達は

すべてから解放された

爽快さを感じる。

 

そこに

無限さを感じたり、

自然の偉大さを

感じることもある。

 

空は

大きい。

 

私達は思う。

 

ところが、

別の視点から見れば、

 

空は

私達の限界を

示してしまっている、

 

とも言える。

 

空の下で

生きるのが、

人間。

 

と、

私達は

思い込んでいる。

 

青空があることで

その向こうの

世界が

見えなくなっている。

 

私達の世界は

青空に囲まれた

中だけである、

 

と、

私達はみんな

どこかで

そう思い込んで

生きている。

 

「無限」

を思わすと同時に、

それが

「限界」

をも表している。

 

「空」

とは不思議な

存在だ。

 

・・・・・・

 

「無限」

だと思っているのに、

実はそれこそ

自体が

「限界」

を表している。

 

というが、

私達人間の

「心」

の特徴でもある。

 

「空」

「心」

とてもよく似ている。

 

というよりも、

私達の

「心」

の一つの反映が

「空」

とも言える。

 

そんな

私達の「心」に

 

2月2日、

一つの大きな

「扉」

が開いた、

 

という実感を

私は強く

抱いた。

 

これまで

「空」

だと思っていたものに

大きな穴があき、

もっとその先の

広く深い世界、

つまりは「宇宙」を

身近に

感じ取るようになった、

 

・・・みたいな

感じ。

 

もしくは、

 

これまで

「空」だと思っていた

ものが、

いったん崩れ去り、

もっともっと

大きな世界が

広がった、

 

・・・とも

言えるか。

 

そう感じ取れた

原因も

よくわかる。

 

「覚悟」

 

をしたのだ。

 

多くの人達

が。

 

「進む覚悟」

だ。

 

心の中の現実

である

「実在」

に意識を向けると、

 

とても多くの人達が

2月1日を境に

自分の人生を

大きく前進させようと

「覚悟」

しようとした。

 

それは

これまでの「前進」

とは

次元が異なり、

 

まるで

それまでの自分達の

限界であった「空」を

超えていくような

「覚悟」

だ。

 

「実在」のレベルでは

そういった

「覚悟」

を完了させた人が、

この2月2日は

とても多かったのでは

ないか。

 

・・・・・・

 

私の5歳の息子は

とても珍しく、

最近はずっと

体調がすぐれなかった。

 

そして

ついには

インフルエンザに

かかった。

 

そして

2月2日、

体調が復活した。

 

復活した彼は

立ち上がり、

 

私と妻の前に

立ち、

 

静かに、

しかし

とても深く、

 

力強く、

 

一言

語った。

 

「僕は

進む。」

 

一つの

象徴だな、と

思った。

 

つづく

 

俯瞰しながらここにいる

 

どれだけ山々が

大きく高く

猛々しくても、

 

宇宙から見降ろせば

それは

単なるヒダにしか

見えない。

 

しかし、

宇宙から見れば

単なるヒダでも、

 

近くまで寄って

見れば、

山々は一つ一つが

個性的で

実に美しい。

 

宇宙から

俯瞰する視点

と、

 

現地現場で

一つ一つの存在を

実感する視点。

 

私達は

両方の視点を

持ちながら

生きることが

できる。

 

それが

人間の一つの

特徴。

 

毎日、

一日一日、

目の前の「現実」と

向かい合い、

 

一歩一歩

必死に進んでいく

のも人生。

 

でも

人生全体から

その「一日」を

俯瞰すれば、

 

それはちょっとした

ヒダにしか

見えないかも

しれない。

 

10年前の自分が

全力で悩んでいた

ことも、

今では

「いい思い出だ」

とか

「あの経験が

あったからこそだな」

とか、

 

ゆとりを持って

客観的に、

まるで他人事のように

眺めることも

できる。

 

・・・・・・

 

視野を大きく

持つことは、

 

小さな視野を

失くすこと

 

・・・ではない。

 

むしろ、

大きな視野を

持つ人ほど、

 

目の前の

ほんの小さな

一つ一つを

 

大事にして

ほしい。

 

なぜなら、

 

「全体」

「一つ一つ」

 

同じものだから。

 

「全体を大事にする」

とは

「一つ一つを大事にする」

ことと

同じことだから。

 

器が大きい、

とは

粗野になること

ではない。

 

私の知っている

本当に器の

大きな人は、

 

目の前の

たった一つの事象や

たった一人の人を

 

真剣に見つめ、

 

そしてそれらと

真剣に

向き合う。

 

・・・・・・

 

人生を

大事にする

 

とは、

 

今日を

大事にする

 

ことであり、

 

今を

大事にする

 

ことだ。

 

と同時に、

 

人生全体の

視野を

常に持ち、

 

今の自分が見通せる

最も遠くの

ビジョンを

描き続け、

 

未来も過去も

すべてを含めた

全体の視点から

 

今を

見つめる。

 

今、

すべきことを

決める。

 

真本音で

生きる、

ということを

あえてもう少し

詳しく表現すると、

そのようなことに

なるだろうか。

 

そんな生き方の

できる人が

増えると、

いいな。

 

そのためには

今の世の中には

「コーチ」

が必要だ。

 

2月を迎え、

そろそろ

「コーチ育成」の

本格的な段取りに

入ろうと

思う。

 

「コーチ」募集と

「コーチ」探しを

始めようかな。

 

つづく

 

おっ? この音は

 

カチッと

 

オフから

オンへ

 

スイッチの

入る

音がした。

 

それは

私の中の

スイッチか?

 

それとも

目の前にいる

クライアントさんの

スイッチか?

 

それとも

世の中全体の

スイッチか?

 

なんか、

 

「すべて」

 

のような

気がする。

 

恐らく

これまでも、

何度も

何度も

こうやって

我々は

新たなスイッチを

入れ続けて

 

ここまで

やってきた。

 

その度に

何かが

本質的に

変化した。

 

もしくは

何かが

始まった。

 

しかし、

今回のは

 

なんか

とても大きな

スイッチの

ような

気がする。

 

あなたも

感じているかな?

 

あなたの

何が

始まるのだろう。

 

私の

何が

始まるのだろう。

 

世の中の

何が

始まるのだろう。

 

さぁ、

今日は大事な

スタート

日だ。

 

あなたは

何をする?

 

つづく

 

喜びは大事にね

 

私は

「コーチ」というお仕事を

させていただいている

関係上、

これまで何度も

「達成感」

というものを

体験させていただいた。

 

もちろん

自分自身が何か

達成するのも嬉しいが、

クライアントさんが

何かを達成した喜びは、

形容のしようがない。

 

そんな時は、

心の底から

うわーーーっ!!

という激しい感情が

湧いてくるのであるが、

 

ここで私は

一つのことを

学んだ。

 

これ、

結構オススメ

である。

 

・・・・・・

 

何かと言うと、

 

溢れんばかりの

喜びは、

 

「体の中心に

大事に

抱いておくとよい」

 

ということだ。

 

まぁ、時には

その気持ちを

思う存分に

発散させてしまうのも

アリなのだが、

 

ぜひこれ

やってみてほしい。

 

体の中心

と言うと、

おヘソの奥の

体の中心部分だ。

 

ここに

喜びのエネルギーを

大事に大事に

しまうイメージだ。

 

「しまうなんて

もったいない」

思うかもしれない。

 

でも、

やってみてほしい。

 

中心に抱いた

その瞬間から、

体の中心から

あたたかい何かが

ずっと自分を

満たしてくれるのだ。

 

喜びは

発散すると

短時間で

消えていってしまう。

 

しかし

大事に抱くと、

長時間

ずっとずっと

そこから自分を

満たし続けてくれる。

 

とても

安定するし、

安心する。

 

心が

豊かになる。

 

そしてその状態で

また

次への一歩を

進む。

 

すると

さらにまた

新たな喜びが起こる。

 

それをまた

体の中心に

抱くのだ。

 

大事にね。

 

するとずっと

喜びに満たされた

人生となる。

 

実は

これを発見したのは

10数年前。

 

その時から

私はずっと

喜びを感じながら

生きているのかも

しれない。

 

かなり

オススメ。

 

やってみてね。

 

つづく

 

あなたに炎はあるかい?

 

自分の中の

燃え盛る炎は

わかるかな?

 

常に

止めどなく

燃え続ける

炎。

 

それを

認識できたら

大したもんだ。

 

その炎は

変わんないんだ。

 

物事が

好転することで

大きくなったり、

 

上手くいかなく

なることで

小さくなったり、

 

・・・そういった炎は

本当の炎では

ない。

 

その場その場

の幻影だ。

 

そうではなく、

どんな状況でも

いつ

いかなる時でも

 

自分の中心で

燃え続ける

炎。

 

それをみんな

持っている。

 

それを

認識できるように

なれたら、

大したもんだ。

 

・・・・・・

 

もしその炎を

認識できたら、

 

その

炎そのもの

なってみよう。

 

炎と

一体化

するのだ。

 

自分=炎

となるのだ。

 

ただただ、

何の意図もなく

何の思惑もなく

燃え続ける

だけの存在。

 

そうなった時、

あなたは

何を

感じるだろうか?

 

・・・・・・

 

私は

自分の中の

その炎と

一つになると、

 

「永遠」

を感じるなぁ。

 

そして、

炎なのに

とてつもなく

「静けさ」

を感じる。

 

本来の強さ

とは、

永遠の静けさを

湛えているんだなぁ

わかる。

 

それが

人間。

 

私達

全員。

 

「コーチ」という

お仕事をしていると、

 

クライアントさん

ご本人よりも

早く、

私はその人の

炎を感じることに

なる、

のがほとんどだ。

 

自分のことよりも

他者のことの方が

よくわかるから、

人間は。

 

ご本人よりも

早く

その炎を見つけると、

 

この炎を

いかにご本人が

自覚するか?

 

が、

コーチングの最大の

テーマになる。

 

そして、

ある時ある瞬間に

ご本人が

自覚できると、

 

やっぱり

嬉しいねぇ。

 

私の

最高の幸せ

の一つだ。

 

・・・・・・

 

人というのは

やっぱ

すごいなー、って

思う。

 

突然変異を

起こすから。

 

でもそれは

その人が

何か別者に

変わるわけでは

ない。

 

本来のその人が

顔を覗かせる

だけなんだけど、

 

でもそれを

側から観ていると、

突然変異のように

感じる。

 

しかも

面白いことに、

その突然変異に

ご本人は

まったく気づいていない

ことの方が

多い。

 

ご本人にとっては

あまりにも

自然な変化

だからだ。

 

・・・・・・

 

「変化」を

もたらすのは

他者ではない。

 

あくまでも

「自分自身」

だ。

 

コーチは

単なる

「鏡」に過ぎない。

 

しかし、

本当に「鏡」に

なり切ることで、

 

初めて

突然変異は

やってくる。

 

突然変異だけど

極めて自然な

変化、

それが

やってくる。

 

もちろん

コーチに

意図はない。

 

意図を持っては

できないことだ。

 

だって

すべては

本人がやっている

ことだから。

 

人の

本来の凄さ

「炎」

を見つけ、

引き出せる、

 

意図を持たずに

引き出せる、

 

そんなコーチを

育成したいし、

増やしたい。

 

つづく

 

進む人と進めない人の違いは

 

「進む人」

ぜひ、

自分を癒して

ほしい。

 

「進む」とは

常に全力を出し続ける

ことでは

ない。

 

本当の「進む」

とは

「永続的に進む」

ということ。

 

であれば、

・どこで全力を尽くし

・どこで休むか

しっかり決めること。

 

それを

見極めること。

 

それができて

初めて

「進む」

ことができる。

 

・・・・・・

 

「進もうとしない」

人は、

私は基本的には

コーチングしない。

 

もちろん、

組織の場合は

別であるが。

 

ほとんどの組織には

「進もうとしない」人が

いる。

 

そういった人達も

「進む」状態に

しなければならないのが

私の仕事だ。

 

だが、

そんな場合でも

まずは私は

「進もうとする人」を

サポートする。

 

「進もうとする人」が

実際に

ぐんぐん進み始める

ことで、

「進もうとしない人」が

「進んでみようかな」

に変化することを

知っているからだ。

 

そういった意味では

やはり、

私は

「進もうとする人」を

サポートする。

 

・・・・・・

 

「進もうとする」が

進めない、

 

という人にとっては、

恐らく私のコーチングは

かなり厳しいもの

だろう。

 

ある時は

「コーチング」を超えて

「指導」したりも

する。

 

まるで上司にように

「やれ!」

とやるときもある。

 

私のコーチングは

ある意味、

「怖い時間」

かもしれない。

 

しかし反対に、

「進む人」

にとっては、

私のコーチングは

「癒しの時間」

になっているようだ。

 

私との

コーチングの時間で

自分を癒し、

 

自分を

リセットし、

 

自分のエネルギーの

源を取り戻し、

 

そして、

「現場」へと

戻っていく。

 

私のコーチングを

受けることで、

「現場」での

気づきが

何十倍にも深まり、

 

そして、

「現場」における

自分の指針が

何十倍にも

明確になる。

 

こういうコーチングは

コーチである私も

実に楽しい。

 

いつも

クライアントさんと

笑い合いながら、

真本音の

コミュニケーションが

取れるからだ。

 

こういった

コーチングのできる

クライアントさんを

増やしていくのも

私の目標の

一つだ。

 

・・・・・・

 

「たけうちさんと

一緒にいると、

何か見透かされている

気がして

怖いんです」

 

と、

よく言われる。

 

それを言う

ということは、

その人は何かを

「誤魔化している」

証拠だ。

 

人生の現場において

何かを

誤魔化しながら

生きているのだ。

 

ただし、

人間誰しも

「誤魔化し」は

あるもんだ。

 

誤魔化している

ことを、

「誤魔化しているんだ」

と自ら認めること

が、

スタートかな。

 

何を

誤魔化しているか?

 

は、

その人の今の

最大のテーマと

なる。

 

誤魔化している人を

私が嫌う

ことはない。

 

それよりも、

その「誤魔化し」を

しっかりと

見つめ、

向き合うことを

するとよい。

 

そのための

サポートを、

といつも思っているので、

そういった人にとっては

私のコーチングは

「怖い時間」

なのだろう。

 

自分と向き合う

ことを

恐れる人は、

いつも私に対して

逃げ腰だし、

 

実際に

逃げて行ってしまう

人もいる。

 

私が

大きな悲しみを

感じる瞬間だ。

 

・・・・・・

 

そりゃ、

人はみんな

誤魔化しがあるよ。

 

でも、

その誤魔化しに

思い切って

目を向けよう。

 

誤魔化しと

向き合うことが、

自分と向き合う

第一歩だ。

 

もし本気で

「進もう」

とするならば、

まずは

自分の誤魔化しを

自分で

受け入れることかな。

 

そこからが

スタートだ。

 

つづく