チームパフォーマンスコーチ

本当の力の開放は一瞬で

ビッグバン
というのは
きっと
一瞬のこと
だったのだろう。

本当に凄い
力の開放
とは

一瞬の
ことだ。

しかし
その一瞬の
ために、

それを
迎えられる
状態に
なるために、

長い継続

必要だ。

準備をして
準備をして、

もうこれで
大丈夫!


なってこそ、
本当の力の開放
はある。

準備が
不充分であれば、
それは
一切、起きない。

でも
時々、
とても中途半端な
形で

漏れるような
感じで

力が少しだけ
開放されてしまう
ことがある。

するとそれは
中途半端では
あるのだが、

自己満足できる
くらいには
凄いものなので、

その人はむしろ
そこで
止まってしまう。

中途半端なら
何も
しない方が
まし。

と、
私は思う。

準備段階は
長いし、
なかなか
結果も出ない。

それでも
粛々と
真本音に従って
それを続ける
人達がいる。

本当に
素敵だな、
と思う。

その人達が
良いビッグバンを
迎えられますように。

そう祈りながら、
私もサポートを
させていただく。

つづく

必死で止めるんだ

次々に花びらが
開いていく

その重なり
の奥から

扉のような
兆しの光と
共に

何かが
生まれ出よう

している。

これが
行われている
とき、

私はただ
見守ることしか
できない。

人として
何もしようが
ない、
のだ。

私達には
見守ることしか
できない
ときがある。

見守る以上の
働きかけを
しては
すべてが
消えてしまう。

花が開く
そこまでの
あらゆる地道な
努力など、

一つの
きっかけで
一瞬で
消える。

それを
させないのが
私のサポートの
本質だ。

努力を
無駄にさせる
関わり方。

余分で、

しかし
余分、では
済まされない
妨害とも
言える関わり方。

私はそれを
いつも
必死に止める。

だが、
止まらない
こともある。

すると
開花は
消えてしまう。

最初から
やり直しだ。

よくある
ことだ。

この繰り返しも
人の業
と言えば
言えなくもない。

だが今は
時間が
ないのだ。

だから
必死で
止めるんだ。

つづく

だから必死になるんだ

空気感
というのは
表面的なもの
ばかりを
言うのではない。

その人の
体の芯
から
醸し出ている
空気感
というものがある。

これは
表面上の空気感
よりも
何十倍も
強烈だ。

私の場合
むしろ
この
芯から出る空気感
を感じ過ぎて、
その人の
表面上の空気感が
わからなくなって
しまうことさえ
ある。

面白い
ことに、

・・・という
よりも、

これはかなり
問題だと
言った方が良いが、

表面上の空気感と
芯からの空気感は
ほとんどの人が
不一致の状態だ。

真逆のものを
出している人も
多い。

スッキリ
生きている
人であれば
あるほど、
この二つの空気感
は、
一致する。

一致する人は
もう
それだけで
魅力的だ。
輝いて見える。

私の仕事
とは、
この二つの空気感を
一致させる
サポートである、

とも言える。

さて、

正直に
言おう。

芯の空気感と
表面上の空気感。

この
あまりの
不一致に
対する時、

私はそこに
「死」
を感じる。

それは、
生きているとは
言えないのだ。

それくらいの
悲しみを
私は
感じてしまうんだ。

「死」
までは行かずとも、
「瀕死」
の人は
多い。

だから
必死になって
しまうんだ。

しょうがない
だろう。

つづく

逃げたいのならば

無理だ、

思ってるんだろ?

それこそ
無理
すんなよ。

無駄だ、

思ってるんだろ?

自分の心に
素直に
なればいい。

本当は、
やりたくない
のだろう?

でもそれを
言えない
のだろう?

気を遣うな。

気を遣う
のが
あなたの
良いところだが、

その弱さは
時に
人を大きく
傷つける。

だが、
私は
大丈夫だ。
慣れてるから。

それよりも、

無理をして、
その後で
自分を責め、
その後の
人生を多くを
台無しに
することだけは

やめて
ほしい。

逃げたいので
あれば、
逃げれば
いい。
それだって
人間の選択
の一つだ。

ただ、
逃げるので
あれば、
逃げよう!

ちゃんと
決めてくれ。

自分を
ごまかさずに。

私は
怖い。
だから
ここは、
私は
逃げる。

・・・と。

これを
ちゃんと
やれば、

あなたの
実在は
傷つかないんだ。

つづく

その夢は違うよ

夢が
ある。

でも
その夢は
あなたから
離れている。

どこか
別の場所から
あなたが
無理矢理に
引っ張ってきた
ものだ。

だから
あなた自身が
その夢に
拒絶反応を
起こしている。

夢が
あなたと
一つに
なっていない。

あなた自身が
夢を
突き放して
いるんだ。

そんな、
借り物の夢、

捨てて
しまおう。

それは
あなたの
夢では
ない。
あなた自身が
一番、
わかっている
はずだ。

しかも
この現象の
世界ではね、

そういった
余分なものを
捨ててしまわないと、

本来のもの

浮上しないことに
なってるんだ。

今のままでは
あなたの
本当の夢は
永遠に
浮上しない。

だから
捨ててほしい。

それが
どんなに
素晴らしいもので
あっても。

それは
あなたのもの
では
ないのだから。

つづく

気持ち悪い笑顔

もの凄く
怒っている。

この人は。

自分の怒りに
自分が
潰されそうに
なっている。

全身が
怒りの炎で
燃えている。

もう、
カラカラに
燃え尽きて、

カスすら
残らないのでは
ないか。

そんなにも
怒っているのに、

なぜ!

この
今ここにいる
現象の
この人は、

こんなにも
にこやかな
笑みで
いるんだ?

おおらかな
そして
あたたかな
人間を

演じて
いるんだ?

気持ち
悪い。

はっきり
言って
気持ち悪いよ。

その
笑顔は。

怒りを
隠した
笑顔。

怖いよ。
それは。

その怒りは
実在のあなたの
怒りだ。

つまりは
真本音の
怒りだ。

とても
大事なもの
なんだ。

今のあなたは
その怒り
こそを
しっかり開放して

自らの
道を進んだり、

周りの人達に
向かい合って
行かねば
ならないのに。

あたたかく
笑っている場合では
ないんだよ。

気持ち悪い。

それは
とても
気持ち悪い
生き方なんだ。

今は、
おおらかで
いては
ならないんだ、
あなたは。

あなたの
怒りこそを、
みんな
待っているんだよ。

つづく

皆、酔っているようなものだ

突然、
ハッと
我に返るような
感覚になる
ことがある。

皆さんは
どうかな?

この世に
生きる
我々は、

つまりは
この
現象の世界に
生きる
我々は、

喩えてみれば
お酒に
酔っ払っている
状態に近い。

もしくは、
二日酔いの
状態にも近い。

最近の
若い人達は
お酒を飲まない
人も多いので、
この喩えでは
わからないかも
しれないが。

しらふでは
ない状態。

通常の
精神状態では
ない。

これが
この世界にいる
通常の私達
だ。

・・・と、
実在を感じ取る
時に、
いつも強烈に
私は感じるのだ。

特に、
ベロンベロンに
酔っ払っている
人がいる。

正体不明の
状態。

自分を
完全に
失っている。

そのような
酔っ払いに
どのようなアドバイスを
しても
聴いてはもらえない
のと同様、

真っ当なことを
どれだけ
伝えても
聴いてはもらえない。

ベロンベロン
まで
酔っているかどうかは
人によりけりだが、

多かれ少なかれ
皆、
酔っ払っていて、

本来の状態
ではない。

しらふ状態の
人は
一人もいない。

例外は
ない。

一人もいない
のだ。

これが今の
この世の
現状だ。

その中で、
いかに
少しずつでも
酔いを醒まして
いくか?

覚まして
いくか?

私が
させていただいている
サポートとは
つまりは
そういうことだ。

実在を
知る、
実在を
感じ取る
というのは、

しらふの
その人を知る
という
ことだ。

つまりは、
本来のその人を
知る
ということだ。

あなた、
いったい
何をやってるんだよ!

私が怒りたく
なるのも、
ちょっとはわかって
くれるかな。

つづく

新たな関係性に変換する時

背後に
人の気配が
する。

誰かが
私の両肩に
後ろから
両手を乗せてきた。

後ろから
私を
支え、かつ
後押しをしてくれる
格好だ。

この
実在の感覚が
くる時、

私はとても
幸福感を
覚える。

なぜなら
これは、
誰かが開花した
証だから。

しかも
その人は
開花によって
私と何らかの
連携を取れるように
なる。

つまりは
仲間のように
なる。

誰だろう?


私は少し
ワクワクしながら
背後のその
気配に
意識を向ける。

いつも最初は
ちょっと
わかりづらい。

しかし
徐々に誰だか
わかってくる。

あぁ、
あの人か。

ある
クライアントさんの
顔が浮かぶ。

そうか、
そろそろ
あの人とも
サポートする側
される側
という関係を
卒業なのだな。

ここから
新たな
関係が
始まるのだな。

私は
背後の
その気配の人に
問う。

あなたは
いつ、
私から
どのような
問い、
もしくは
どのような
メッセージが
ほしい?

明確な
答えが
返ってくる。

あとは
その通りに
実行するだけだ。

つづく

分身することがある

実在の
レベルで、

自分が
分離する
ことがある。

分身、
と言えば
よいか。

何体もの
私が
発生する。

そして
拡散する。

様々な場所に
散っていく。

そうした
場合、

ここにいる
現象の私は
極度に
集中力が
下がってしまう。

場合によっては
ボーッとして
身に危険が
及ぶこともある。

なので
こういう時は
安全な場所に
座ったりする。

人と
コミュニケーションを
とっている最中に
こうなることも
あるので、

その場合は
さりげなく
コミュニケーションの
輪から
外れる。

見守る風な
状態となるのだが、
実は
見守っても
いない。

ただそこに
ボーッと
しているだけだ。

実はこれ、
私の
二人の息子も
時々、
同じ状態になる。

次男など、
子ども園で
長くその状態に
入ってしまい、

園の先生方が
心配されて
早退して
帰ってきたことも
ある。

心ここに
あらず
状態。

私は昔から
よく
そうなっていた。

今は
実在の様子が
わかるので、
理由がわかって
いるが、
昔は、私は
すぐにボーッとなる
私自身が
本当に嫌いだった。

さて、

分身し、
分散された
実在の私(達)は
何をしているか?
と言えば、

その時その時で
状況は異なる
のだが、

多くの場合は、

同時に
様々な人達の
実在の状態を
感じとり、

そこで
同時に
何が起きているか?


掴もうと
している場合が
多い。

大体、
こういう時だ。

例えば、
あぁ、
この企業は
今、まさに
実在のレベルで
大きく
変貌しようと
しているのだな、と
わかるのは。

これは
千載一遇の
チャンス。

分身分散
していた
実在の私(達)が
様々な情報を
持ち帰ってくる。

とはいえ、
具体的なことは
現象の私には
わからない。

わかるのは
「千載一遇の
チャンスだ!」
という
強烈な感覚と、

その直後に
浮上する

強烈な
直観だ。

その直観
とは、

今、
私は
何をすれば
良いか?

という
ことだ、
多くの場合。

例えば、
今、私は
ここで、
誰と会い、
その人に
何を
問いかけ、
何を
メッセージすれば
良いか?
というような
ことだ。

私は
確信の感覚のみ
を持ちながら、

しかし
思考レベルでは
何もわからない
まま、

自信はない
のに
確信いっぱいの
眼差しで、

その行動を
そのまま
実行する。

すると、
当の私自身が
びっくりするような
展開が
起こっていく。

これが
いつも私が
行なっていること。

実在と現象、
両方の
現実を大切にした
私なりの
サポートだ。

つづく

真本音と名づけたもの

揺れ揺れに
荒れている、

その人は。

心が
乱れに
乱れている。

大混乱。

あること
ないことを
口走る。

私は
黙って
ただすべてを
そのまま
受け止める。

うなづいて
聴くだけ。

しかし、

聴けば
聴くほど
より
感情は溢れ、

収集が
つかなくなる。

それで
いい。

その人の
感情に
私の全身が
溺れてしまう
くらいになり、

そこで
ようやく
観えたのだ。

その人の
中心の
光が。

混乱して
混乱して

取り乱して
取り乱して

我を
失って

初めて

実は
その中心に

どのような
混乱が
あっても
変わらずに
存在し続ける
もの、

(それは
強い光のように
観える)

・・・が
見つかるんだ。

混乱を
極めることで
初めて
決して混乱
しない部分を
認識するんだ。

我々
人間は。

それを
私は
「真本音」

名づけたんだよ。

つづく

亀裂が安定を生む

ある瞬間に
ふと、

空間に
亀裂が入る
ことがある。

もちろん
それは
実在レベルの
話だ。

亀裂が
見つかると、

以前の私は
恐怖を
感じていたが、

どうも
そうではない

わかった。

亀裂は
チャンスだ。

今ここの
枠を
破る。

内側
から。

だから、
亀裂を見つけると
私は
かなり
積極的に
その亀裂に
飛び込む。

飛び込むと
どうなるか?

言うと、

現象面では
何かが
とても安定する
のだ。

例えば、
その場の空気が
一瞬にして
安定する、とか。

すると逆に
私は無茶が
できる。

冒険的な
振る舞いが
できる。

例えば、
その場にいる
Aさん、

そのAさんは
なかなか
自分の殻を
破ろうとしない人、

そんな
Aさんに
無茶振りを
したりする。

すると
びっくりする
くらいに
Aさんは私の
言葉を
素直に
受け止める。

実在の
亀裂は、
どうやら
突破口なのだ。

突破口に
飛び込むと
現象は
安定し、

これまで
不安定で
できなかったことが
急に
できたりする。

実在と
現象、

両方の現実と
共に生きる

とは、
例えば
こういうことだ。

つづく

混乱の極みへ

海と山が
合わさっている。

海の中に
山が生まれ、

山の中に
新たな海が
生まれる。

それらが
混ざり合うことで
一見すると
混乱の極み
となる。

混乱・混沌・・・。

しかし
本来、秩序とは
こういった
一見すると
混乱・混沌の
中にこそ
存在する。

表面上の
まとまりは、
実は
脆弱だ。

最も
エネルギーが
高く、かつ、
あたたかく、
かつ、自由で、

そして
調和が
取れているのは、

混乱・混沌を
楽しんでいる
時だ。

混乱・混沌が
循環している
時だ。

私達には
どうしても
「まとめよう」
という
癖がある。

これを
外してしまうと
いい。

「まとめよう」
として
仕組みが
出来上がるのでは
ない。

混乱・混沌の
中から
自然発生的に
浮き上がる、

そう
まるで
大荒れの海の
中から
突如として
陸が浮かび上がる
ように、

それが
本来の仕組み
だ。

我々人間は
そういった
真の仕組みを
生み出すために
ここにいる。

だから、
混乱・混沌へ
突き進もう。

混乱・混沌の
方向へこそ、

舵を切ろう。

つづく

躊躇を外そうと思う

発信の仕方を
かなり
変えようと
思う。

これまでは
かなり
自制していた。

自分の
本当の部分を
出さないように
してきた。

でも
もう
それでは
間に合わない

わかった。

それに、
実在レベルで
この世の中も
整った。

強引に
整えた
という話も
あるが。

だから
発信の仕方を
変えようと
思う。

実は、
ちょうど一年前、
一冊の本を
書いた。

中身は完成
したし、
ほんの一部の人
には
読んでも
いただいた。

でも、
製本もしなかったし
出版もしなかった。

それに、
4年前から、
毎晩、
「ヴォイス講座」
という名目で
一日、10分くらいずつ
一人で
実在と現象についての
解説をする
録音も続けてきた。

現時点で
1,373回分ある。

膨大な量だが、
まだ
本当の核心部分
には
至っていない。

それをそのまま
世に出すかどうか

わからないが、

こういった内容を
少しずつ
何らかの形で
展開することも
考えようかと
思っている。

PodCastも
始めるつもりだ。

とはいえ
こちらはまだ
タイトル(100タイトルくらい)
が決まっただけ。

今日から
まずは
プロトタイプの
録音を始める。

ただこちらは
仲間と共に、
しっかりしたものに
完成させるので
それなりの
時間がかかるだろう。

実は、
別の仲間と共に
すでに
YouTubeも
TikTokも
始めている。

ただ、
まだまだそこでは
私は
実在のエネルギーを
躊躇している。

手探りで
徐々に開放していく
つもりだ。

だからまだ
多くの人には
案内せず、
こっそりやっている。笑

こちらも
これからだ。

さらに、

今年の春を
目標に
新商品を
大々的に発表する。

これも
仲間と一緒に
やっている。

世の中に
大きな
刺激を入れる
新サービスだ。

さらに、
他にも
まだ語れない
様々なプロジェクトが
走っている。

これまでの
私は
ずっと

「躊躇」

の中にいた。

自分の本来を
出すことよりも、

世の中のペースに
合わす

ことを
優先した。

ここからは
少しずつだが、

躊躇を
外す。

それによって
逆に
みんな
引くかもしれない。

どうなるかな?


心配でも
あるが、

もう
そうしなければ
間に合わないのだ。

私が
ここにきた
意味が
なくなるのだ。

つづく

心は何度も壊れたよ

人としての
自分の心が

完全に
壊れる

という経験を
私はこれまで
何度もした。

実は、
今も
そうだ。

数日前に、
完全に
壊れた。

私は
私の心が
粉々に
砕かれたことが
わかった。

何かの事件や
きっかけが
あったわけでは
ない。

日々、
無理を
し過ぎた。

心の限界を
超える
負荷を
与え続け過ぎた。

だから
壊れるのは
当たり前。

自業自得
だ。

しかし
壊れたにも
関わらず、
このようにして
平然と
していられるのには
訳がある。

実在の
おかげだ。

心とは
一つの
現象だ。

現象が
壊れても、
実在が
しっかりしていれば、

壊れたまま
自分で
いられる。

そして
実在の力に
よって

壊れた
現象である
心を
癒し続け、

復活させることも
できる。

これまで、
この14年間で
何十回も
やってきたこと。

現象は
修復が
可能だ。

しかし
実在そのものが
壊れること
もある。

そうなると
もう
深刻だ。

修復できない
ことはないが、

それには
非常に長い
時間と
労力がかかる。

とはいえ、

今、私達が
いるこの
世の中は、

実在も
たくさん
壊れている。

壊れては
修復する、

繰り返し。

これまでは
致命傷とも
なり得る展開も
あったんだよ。

何度もね。

それらを
スレスレで
かわして
ここまで
ようやく来れた。

実在で
やっていることを
私達のほとんどは
意識化していない。

無意識の
世界での
話だ。

でもみんな
大変な
苦労をしている。

私も
そうだ。

でも、
山は
乗り越えたんだ。

この
14年間で。

実在を
感じながら
現象に
向かう。

ここからは
それが
できるんだ。

つづく

強く思っている

自由が
ない。

あらかじめ
描かれた
絵本の世界の
中を、

定められた
物語に
従って

歩み続けて
きたみたいだ。

現実であると
思い続けてきた
すべてが、

単に
紙に描かれた
精密な絵に
過ぎなかった。

あの激しい
滝ですら、
ただの絵の具の
激しい走り描き。

そこに
真の実感は
なく、

ただ、
自分が内面的に
創り出した
感覚のみが
ある。

私達の
脳の創り出した
現実世界とは、

実は
そのようなもの
ではないか、

ある時、
それこそ激しく
実感した。

14年前の
ことだ。

実在を
知ってしまった
からだ。

実在とは
脳は関係の
ない世界。

本当に
ここにある
世界。

脳という
私達の機関を
介して初めて
わかる世界では
なく。

ただ、
ここに
ある。

それを
脳を介さずに
感じた時の
その
衝撃は
あまりに凄まじく、

しばらくの間、
私は
滝のように流れる
自分自身の涙を
止めることが
できなかった。

私達は
実在の中で
生きている。

それを
ダイレクトに
感じず、

脳によって
自分の創り出した
物語に
変換しながら。

実在を
薄っぺらく
絵に描いたものが
現象。

そうとわかった
時、
私は一度、
この現象の世界
(つまり、私達が
現実であると
認識している世界)

生きることの
意味を
失った。

あれから
本当に
たくさんの
試行錯誤と
冒険があった。

今は、
実在と現象は
セットで一つ

わかる。

現象のみでも
ダメ。
実在のみでも
ダメ。
どちらか一方では
それは
「世界」では
ない。

二つ揃って
「現実」
であると。

この世界に住む
私達は
現象に意識を
とられ過ぎだ。

もっと
実在を
感じ取らねば
ならない。

でも今、
その感性の
高い人は
急増している。

感性は高い
のに、
本人はそれを
頭で(理屈で)

つまり
現象的思考で

否定している。

もう
そのような
状態では
立ち行かない
時代だ。

ここからは
本当に
実在と現象の
コラボで行く。

つまりは、

真っ当な
時代だ。

健康な
時代だ。

健康な時代の
生き方を

進み方を

私はもっともっと
発信せねば
ならないかな、

強く思っている。

つづく

離れた方がいい

目の前の
物事を

とても
遠くから

眺めて
みる。

とても
遠くから。

豆粒の
ように。

すると
面白いことに

近くで
見ているよりも
さらに
敏感に
感じ取れるものが
ある。

そう。

遠くの方が
冷静に
感じることが
できるんだ。

近いから
こそ
麻痺することが
あるんだ。

麻痺は
災いのもと。

私達は
普段、
麻痺し過ぎて
いる。

麻痺は
不調和の
もと。

もっと
遠くていい。

もっと
離れた上で
感じれば
いい。

それも
現実と
向き合うための
一つの
やり方だ。

つづく

だいたい10分の1だ

区別をする
ということが
とても大切な
時がある。

例えば、

「後押し」

「見守り」。

人を
サポートする
場合に、

後ろから
少し強めに
働きかけるのが、
「後押し」。

何もせずに
じっと
見つめるのが、
「見守り」。

・・・という
ように、
区別すると、

確かに
この二つは
明確に
区切った方が
良い、とわかる。

最も
良くないのが、

見守るべき
時に
声をかけて
しまうこと。

その
一声が

少し大袈裟に
言えば、

致命傷になる
ことがある。

本当は
見守るだけの
ことで
その人は
次のステージに
進めたのに、

一声を
かけてしまったが
故に、
こちらへの
依存心が湧き、

同じ場所で
バタバタして
しまう。

・・・そんな
場面は、
結構、多い。
特に
上司部下の
関係においては。

いや、
親子関係でも
そうかな。

どうしても、
上に立つ
立場の人は

余分なことを
しがちだ。

ほんの
ちょっとした
「やりすぎ」
が、

想像以上の
不調和を
生み出す。

人間関係
というのは
かなり
難しいものだ。
特に
上下関係は。

ちなみに、
私自身も
ついつい
「やりすぎ」に
なりそうだ。

これだけ長年、
人のサポートの
お仕事を
続けていても。

今でも、
私が心の中で
「こうしよう」

思うことで、

でも
実際には行動に
移さないことは、

10分の9

はある。

つまり、
10のうち
9は、

自らの行動を
止めている。

それくらいに
ついつい
「やりすぎ」て
しまいそうなのだ。

大切な人で
あればあるほど、

私達は
そうなる。

本当に必要な
「後押し」
は、

10のうちの
たった1
くらいだ。

あとは
黙って
じっと
「見守る」
だけでいよう。

つづく

断て

もともと
一つだった
ものが

二つに
分かれて、

それぞれが
別々の道を
進む。

とはいえ、

時には
再会するし、

時には
共に進む
こともある。

もともと
一つだった
ので、

片割れの
ことは
よくわかる。

再会の
瞬間に
すぐに
わかる。

すぐに
わかるが
その再会が
不調和を
生むこともある。

片割れ
だからこその
強烈な
不調和。

本当は
その不調和に
こそ
立ち向かう
必要がある。

片割れの
ことだからね。

ただし、

本当に
優先すべきは

自分自身だ。

ちゃんと
自分の
人生の目的を
考えよう。

私には
残念ながら
この不調和に
付き合っている
暇はない。

と、
スッキリ
思うことが
できれば、

もう、
自分の道を
行けばいい。

とはいえ
それは
片割れを
放っておくという
ことだから、

気持ち的には
あまりにも
辛いだろう。

だが、
そこは
人生の選択
だ。

まずは
自分自身の
目的を
優先させること。

この人生に

時間は
ない。

この人生は

未開の地に
突き進まないと
いけないんだ。

生半可な
調和では
行けない。

不調和の
ままでは
進めない。

キッパリ
断て。

今、
すぐに。

もう
間に合わない。

つづく

天と地の熱さ

その想いの
出所は
なんだ?

源は?

そこはきっと
とてつもなく
熱いところだろう。

その熱さが
問答無用に
伝わってくるよ。

あなたは
情熱という
言葉を
よく使うが、

もう、
そんな言葉は
要らないね。

情熱を超える
真の熱さが
あなたの
原点だ。

人は皆、
余分な何かを
まとっている。

その
余分なもの
こそが
自分である、と
思い込んでいる。

そんなものは
脱ぎ捨てれば
いい、

あなたの
ように。

武装を固めて
進むよりも、

素のままの
自分で
進もう。
その方が
余程、楽しいね。

天と地が
あり、
その間に
私達はいる。

大いなる
ものの中に
抱かれるように。

その存在は
小っぽけな
ものだが、

でも実は
それは
幻だ。

天と地に
抱かれながらも
天と地を
抱く。

それが
私達という
存在だ。

人間だ。

だから
あなたのその
熱さは、
天と地の
ものでもある。

繋がって
いるんだよ、
あなたは。

私達は。

すべては
一つ。

そして
すべては
分離している。

これは
矛盾では
ない。

これが
“世界”という
ものさ。

つづく

その生き方とはさよならだ

槍で、
腹部を貫かれた
ような

そんな鈍い
痛みがきた。

吐きそうに
なる。

そこをグッと
こらえる。

これは
目の前の
この人の
痛みだ。

いつも
こんな痛みと
共に
生きているのだ、
この人は。

そう思うと
泣けてくる。

しかし
泣いている場合
ではない。

同じ人間として、
ついつい
同情してしまう
のだが、

その気持ち
(反応本音)

横に置き。

この人には
厳しい一言を
伝えねば
なるまい。

「生き方を
根本的に
変えなさい」

槍に
貫かれた状態で
生きることは
決して
美しいことではない。

自己犠牲が
美徳だなんて
誰も
言っちゃいない。

あなたの
その痛みは、
誰も
喜んでいないのだ。

あなた
だけだ。

自己満足的に
喜んでいるのは。

その事実に
いい加減に
気づきなさい。

と、
そのように
伝えた。

当然、
その人は
怒った。

もうこれで
この人との
関係は
終わってしまうかも
しれない。

が、
今こそちゃんと
言わなければ。

もっと
楽に生きよう、
とは
このことだ。

怠惰に生きる
ということでは
もちろん、
ない。

あえて
自分で自分を
苦しめ、
痛めつけるような
生き方を
やめよう!
ということだ。

誰も
喜ばないし、
かつ
混乱しか
起こさない
その生き方。

もう本当に
さよならを
するときだ。

つづく

樹との対話

樹の根っこ
にいる。

巨大な
樹だ。

見上げても
この幹が
どこまで伸びて
いるか、
わからない。

宇宙まで
繋がっているのでは
ないか、と
思うほど。

根は
ガッシリと
大地を掴んでいる。

私はそこに
全身を
委ねている。

樹にも
魂はある。

会話すらも
できる。

だから
強烈に
伝わってくる。

強烈な
意志だ。

私は
この樹に
応えなければ
ならない。

どれだけ
巨大でも
樹は
この場所を離れる
ことはできない。

であれば、
私が
動くしかない。

樹の意志を
受け取った
上で。

いつの間に
私は
この樹から
これだけの信頼を
いただけるように
なったのだろう?

根っこに
貼り付けば、
いつも
大いなる祝福を
受ける感覚だ。

私はやはり
これに
応えなければ
ならない。

何がなんでも。

私のような
生き方をして、
すでに
人生を終えられた
人もいる。

私はその人を
芯から
尊敬している。

その人に
負けないよう、
私も私の人生を
生ききるつもりだ。

今、
樹が感じている
ことは、

これまでの
人類の歴史には
なかった
何物か、だ。

この巨大な
樹が
武者震いを
しているようだ。

私も
武者震い。

樹と
魂を共有し、
ここから先を
進んで行こう。

つづく

孤独なんだろ

まだ
臍の緒で
繋がっているうちは
良かったのだ。

しかし
母親の体内から
出た直後に、

その臍の緒
さえも
切られる。

その瞬間
から
私達の孤独は
始まった。

分離感。

断絶感。

すべての存在に
対して。

その孤独に
争うかのように、

そして
その孤独を
打ち消すかの
ように、

時には
逃げるかの
ように、

私達は
生きてきた。

こんなに
辛い世界は
本当は
他には
ないんだよ。

それくらいに
辛く
苦しい
人生の始まり。

それはもう、
真本音を
多くの人が
忘れてしまうのも
よくわかるよ。

私自身も
そうだったし。

私達は
皆、
孤独だ。

という現実を
受け入れられるか
どうか?

それにより
人生の進み行きは
根本から
変わってくる。

孤独を
愛そう!

などとは
言わない。

そんな
生優しいものでは
ないから。

ただ、もう
目を逸らすのは
やめよう。

孤独は
ここに
あるのだから。

この世で
生きている
限り、
ここに
あるのだから。

目さえ
逸らさずにいれば、

孤独から
逃げるための
願い、

孤独を
打ち消すための
願い、

から
私達は
解放される。

そこで初めて
知るのだ。

その奥に
潜んでいる
自分自身の
本当の願いを。

つづく

生きている意味はない

私に
生きている
意味なんか
ないのじゃないか。

という
とても痛い
想いを
浴びた。

まだ若い
その人は、

私の目を
はっきり見ながら、
自問自答の
ように
そう呟いた。

その瞬間、
思い出した
のだ。

私もずっと
そうだったな、
と。

私の場合は、
その人のように
明確に
自覚していたのでは
なかった。

でも、
今、振り返れば、
私の人生とは、

私の存在
なんて
意味はない、

という
無意識の呟き
と 
共にあったのだ。

通常なら、
そんなことは
ないよ、
人には皆、
意味はあるんだよ、

慰めるべき
ところだろう。

ところが
私の口から
出た言葉は、

その気持ち
こそを
ずっと大切に
してほしい、

・・・だった。

もちろん
今の私からは
その気持ちは
跡形もなく
消えている。

しかしそれは
経験
によってでは
ない。

良い経験を
積めば
解消される次元
ではないのだ。

むしろ、
解消されない
からこそ・・・。

そう、

あなたは
あなたで
いられる。

本来の
あなたに
戻るために。

つづく

喉にくるメッセージ

喉が
ヒリヒリする
のだが、

こういう時は
何らかの
強いメッセージが
ある、

ということだ。

何か
私自身が
気づかなければ
ならないことが、

今ここに

ある。

今ここを
逃すと、
その気づきに
もう一度
辿り着くまでには、

かなりの時間が
かかってしまう。

今ここに
ある
気づきは、

今ここで
気づかねば
ならない。

こう書くと、
なんだかいつも
縛られている
ような
印象になるかも
しれないが、

逆だ。

まったく
逆だ。

今ここに
しか
存在しない
気づきを

求める
旅。

これが
人生。

その
人生の醍醐味
は、
言いようのない
爽快さと、

自由さ

がある。

私はこれを
続けている
うちに、

喉が、

アンテナの
ように
合図をくれるように
なった。

喉メッセージ。

今、
ここに、
一つの、
気づきがあるよ、
と。

ゴホンゴホン

咳き込みそうに
なる。

なるほど、
これはかなり
大きな
気づきのようだ。

つづく

どっちが師匠だ?

表面的には
師匠と弟子

関係でも、

本質的には
それが
逆転している
コンビがいる。

本当は
師匠が弟子で、
弟子が師匠。

師匠が
教えているが、
実は
師匠は
教えられて
いる。

結構
多いんだ。

そんな
コンビを
拝見すると、

いつも
思うのだが、

美しいなぁ、
と。

それぞれが
謙虚に
真摯に
表面的な役割を
担いながらも、

それぞれが
ちゃんと
学び合っている。

親子でも
同様の
コンビがいる。

本当は
親が子で、
子が親で。

親が子を
守っているが、
実は
子が親を
守っている。

親が子に
教えているが
実は
それを通して、
教えられて
いる。

これもまた
美しい。

こういう
関係性を
観ると私は、

人間って
美しいなぁ

思うんだ。

つづく

一瞬だけ本当の場所に

今、
ここに
いるのだが、

本当は
もっと
上空にいる。

高いところ
から
ここを
見降ろして
いる。

本当は
そこに
いる。

だから
短時間だが、
本当の場所に
戻ろう。

感じている
ことが
あるはずだ。

そろそろ
あの
気づきの
タイミングだ。

潮流の
変わる時。

一気にそれを
ここから
始める時。

だが、
仮の場所では
わからない。

本当の場所
から
世界を
眺めなければ、

現在地すら
満足に
把握できないのだ。

狭い世界
だ。

狭い
というのは
視界が狭い
ということだ。

私達は
わざわざ
この
視界の狭さの
中に
埋没している。

あえて
そこで
自分が
どう
生きるか?

それを
試し続けて
いる。

もがく
自分。

あがく
自分。

その
もがき方
あがき方

じっと
自ら観察し、

ある瞬間に
完了感
を得る。

そして
本当の場所を
取り戻す。

取り戻しても
ずっとそこに
いられるわけ
ではない。

時々、
肝心な時に
だけ
一瞬、
戻れる。

ずっと
息のできない
状態でいて、
一瞬だけ
一呼吸だけ
できたかの
ように。

でも
その一呼吸が
大事だ。

それさえ
あれば
確実に
自分の
方向は
わかる
んだ。

つづく

あの人に近づこう

一本指を
立てている。

何かを
呟いている。

あと
一度だけ!

か、

おぅ、
いいねぇ!

か、

この指
止まれ!

か。

意味は
わからないが
あの人は
じっと
一本指を
立てている。

顔は
結構、
寂しげだ。

でも確かに
何かを
期待もしている。

一本指を
立てながらも、
目は
どこか遠くを
見つめている。

虚ろ
ではない。

むしろ
意志がある。

冷静に
見えても、
奥の方で
フツフツと
煮えたぎる意志だ。

もう、
隠すことは
ない。

もう、
始めるのだ。

そうか。

自己開放

しようと
しているのか。

であれば、
私は
あの人に
近づこう。

そうか。

あの指は
アンテナか。

特殊な
波長の。

私はそれに
引っかかった
というわけだ。

つづく

崩壊への亀裂だ

「現実」に
亀裂が
見えるかい?

崩壊の
兆し。

しかしそれは
怖がるべき
ものでは
ない。

その亀裂に
立ち向かうか?
逃げるか?

人の態度は
両極端に
分かれる。
面白い
くらいに。

あなたは
どちら?

気がつけば
亀裂
だらけだ。

どこから
崩壊が
始まっても
おかしくはない。

こんな世の中に
誰がした?

とは
問うなかれ。

こんな世の中に
したのは、
すべての人達
だ。

大人も子供も
関係ない。

皆の
総意だ。

あなたであり
私だ。

だから
この現実は、

この
亀裂たちは、

私達が
自ら
引き受けるべき
ものだ。

修復は
可能か?

残念ながら
不可能だ。

というよりも、
この亀裂を
こそ
私達は
望み続けたのでは
ないか。

積年の想いが
ようやくにして
叶い始めて
いる。

その象徴が
この
亀裂だろう。

ここで
逃げたら、
これまでの
私達の
長い長い

いや、

永い永い
道のりが
意味を失って
しまう。

だから
立ち向かおう。

せめて
私達だけでも。

つづく

さよならの時だ

新たな道に
進むのは
怖いかも
しれないが、

どうせなら
笑顔で
行こう。

涙が出るかも
しれないが、

それが人間
だろう。

そりゃ
ずっと同じ場所に
いたいだろうよ。

居心地が
良いからさ。

わざわざ
大好きな人達を
手放す必要も
ないよ、と
ささやく自分も
いるだろう。

行かないで
ほしい、

懇願する人も
いるだろう。

それでも
キッパリ
行く。

スッキリ
進む。

誰が
なんと
言おうが。

それが
あなたの
道だ。

本当に
心から
魂から
応援するよ。

つづく

何もなくなったら

何もない。

私の中には
何もない。

そう
感じたら、

それは
チャンスであると
捉えるといい。

ないように
見えて
実は
すべてがある
状態。

満ちている
状態。

欲が何も
出ないなら、

そのままで
いい。

フッと

無欲の中の
強烈な
願いが浮上
するかも。

もしくは、

何となく
軽く
これをやって
みようかな、

思うかも。

いずれにしても、
無闇に焦って
何かをする
ことなく、

ただ
待てばいい。

自然に
湧き出ずる
ものを。

つづく