
短期的に
ではあるが、
物事が
まったく
観えなくなる
ことが
これからの
私達には
起こるだろう。
物事の
本質。
本当は何が
大切か?
本当は何に
立ち向かう
べきか?
本当は何を
壊し、
何を生み出せば
よいか?
など。
それらが
まったくわからなく
なる。
そして
自分のこれまでの
歩みの意味も、
これまで
やろうと思っていた
自分の意志も、
確信を持てなく
なり、
止まりそうに
なる。
そういったことが
起こるだろう。
真本音で生きる
人にこそ。
・・・・・・
しかしそれは
短期的な
ものだ。
急いで
いるのだ。
だから
荒治療で
進もうとしている。
心配するな、
と
言っても、
心配するに
決まっているが、
しかしそれでも
心配するな、
と
言っておこう。
それは
短期的な
ものだ。
どっぷりと
その
「わからなさ」
に
浸かることだ。
安易に
自分を安心させる
納得を
生み出しては
ならない。
確信のなさ。
自信のなさ。
そして、
自分が存在
すること自体への
疑念。
そういった
諸々は、
すべて、
どうしても
必要なもの。
それを
しっかりと
受け止めること。
感じること。
味わうこと。。
・・・・・・
私達は
自分自身に対して、
時々、
荒治療する。
荒治療できる
くらいの
自分になれた、
ということだ。
自分自身で
選択して
行なっている
ことだ。
自分を
失っても
よいので、
ただ、
自分を
信じること。
最後まで、
「ここ」
にいること。
そう。
短期間で
終わるから。
つづく