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私達は誰もが
人生の一本道を
決めている。
その道は
まっすぐだ。
そして、
清々しい。
余分なものが
一つもない。
不安も不信も
不満もなく、
ただただ
汚れなく
まっすぐに
伸びている。
私達人間に
そんな道が
あるはずがない。
だって
人生はこんなにも
迷ってばかりだ。
こんなにも
苦しいことばかりだ。
と言う
その気持ちは
よくわかる。
しかしそれでも
私は
断言する。
誰もにその
一本道はある。
・・・・・・
一度でも、
一本道に入れば、
その清々しさは
よくわかる。
そして、
一本道を
辿っているのか?
いないのか?
その区別が
つくようになる。
そうなるまでの
道のりが
長い、
というだけのことだ。
なぜなら
私達は
目を瞑っているから。
どれだけ
道がまっすぐに
伸びていても、
目を開けていなければ、
道に迷うのは
当たり前だ。
前に進んでいる
つもりが、
横に進み、
知らぬ間に
脇道に入ったり、
路肩で転んだり、
そうなるのが
当たり前だろう。
ということで言えば、
大切なのは
目を開けることだ。
・・・・・・
ところが、
目を開けることが
なかなかできない。
ここで言う「目」とは、
心の目の
ことだ。
つまりは、
自分の心の中を
見つめる目だ。
これができない。
なぜなら、
心の中を覗くのは、
怖いことなのだ。
心の中には
何が潜んでいるか
わからない。
それは、
真っ暗なお化け屋敷
に入るような
怖さだろう。
手探りで
暗闇に入っていく
あの怖さだろう。
・・・・・・
だから私は、
懐中電灯を
渡すことにしている。
残念ながら
いきなり心の中全体に
電灯をつけることは
不可能に近い。
だから懐中電灯で
徐々に中を
探検する。
それをすれば、
ある時ある瞬間から、
思ったよりは
怖くないな、
とわかるようになる。
そうしたら、
もっと大きく明るい
懐中電灯に
取り替える。
そうやってどんどん
明かりを増やして
いく。
気がつけば、
懐中電灯なしでも
見れるようになる。
すると、
自分を信じられる
ようになる。
そして、
一本道が
見えるようになる。
・・・・・・
自分を本当に
信じることのできる人
のみが、
自分自身の
一本道
を見ることができる。
99.9%信じても
見えない。
100%信じて
初めて、
見えるのだ。
それは一見、
とても難しそうだけど、
いやいや、
そう思い込むのは
やめよう。
懐中電灯をつけ、
徐々に明かりを
増やしていけば、
誰もが
できること。
そのやり方を
私は
「セルフコーチング」
と呼んでいる。
そして、
セルフコーチングを
指導できるコーチを
私は
増やしたい。
つづく
人は一気に
「花開く」
ことがあります。
これまでのその「花」は
閉じていたのですから、
「花」が開けば、
その人はまるで
別人に生まれ変わった
かのように
周りからは見えます。
もちろんそれは、
ただその人の中に
眠っていたものが
開いただけのこと
ですから、
その人は
その人のままです。
別の存在に
なるわけでは
ありません。
しかも当の本人は
自分が大きく変化した
という自覚を
まったく持たないケースさえ
あります。
昨日までの自分と
今日の自分は
何も変わらない。
と本人は
思っているのに、
周りからは
「あの人、生まれ変わった」
と見られるのです。
人の面白さと
人間関係の面白さは
こんなところにも
あります。
・・・・・・
「私、花開きたい!」
と本人が意図している
うちは、
残念ながら
本当の意味で「花開く」
ことはありません。
よく
「私はこんなところが
変わりました!」
と喜び勇んで
報告してくる人がいますが、
残念ながらその多くは、
自己アピールの域を
出ません。
とはいえそれが
いけないことであると
私は思っていません。
自己アピール自体は
全然OK。
ただ、
自己アピールに余念の
ない人が、
肝心の「花開く」チャンスを
自己アピールのために
逸してしまっている場面も
多く拝見しました。
そうならないといいな、
とは思います。
・・・・・・
人が本当の成長(進化)を
遂げているときは、
その人の意識は
「自分」には
向いていません。
その人の意識は
内側へは向いていません。
常に
「外」に向かっています。
「社会」に
向かっています。
この世の中で
自分がすべきことや
本当にしたいことに
集中しています。
しかしこういった書き方を
すると
次のような誤解も
生まれやすいです。
「ということは、
自分とは向き合わない
方がいいのか」
「周りのことだけを
考えればいいのか」
というような誤解です。
これについては
まったく逆です。
自分自身と
向き合い続ける人ほど、
社会とも現実とも
向き合えるのです。
本当に
自分と向き合っている
人は、
自分の素敵な部分も
自分の素敵ではない部分も
すべてを
「あるがまま」に
捉えることができます。
それが本当にできると
実に面白いことが
起こります。
つまりは、
そこまで自分と向き合うと、
「自分のことなど
どうでもよくなる」
のです。
成長しようが、
しまいが。
プラス指向だろうが、
マイナス指向だろうが。
元気があろうが、
疲れていようが。
「どちらでもいいや」
となるのです。
そして、
「それよりも
自分のやるべきこと
やりたいこと
を粛々と進めよう」
となるのです。
この状態こそが、
意識が外に向いている
状態です。
逆に、
自分自身と
中途半端にしか
向き合っていない人は、
多くの場合、
自分の都合の良い
部分にしか
目を向けなくなります。
ということは、
自分の見たくないものには
フタをします。
そして
フタをしている自分を
本当はよくわかりながらも
それを
誤魔化そうとします。
誰に対して誤魔化すかと
言えば、
自分自身に対して
誤魔化そうとします。
その結果、
「私はこんなところが
成長できた!」
という自己アピールに
なったり、
「私はこんな
社会貢献をしている!」
という、
これも自己アピールに
過ぎない状態と
なったりします。
つまりこれは、
意識が内側に
向かっている状態です。
内側を誤魔化すために
外に向かう
フリをしているのです。
当然ですが、
本当に意識が
外に向かっている人は
外(現実)がよく
観えていますから、
結果として「調和」が
次々に起こります。
そして、
外に向かっているフリ
をしている人は、
きちんと外(現実」が
観えていませんから、
「不調和」が
起き続けます。
似て非なるもの。
この違いは
大きいですね。
・・・・・・
意識を外に向ける
ためには、
まずは徹底的に
自分自身と向き合う
こと。
私が
セルフコーチングを
推奨する理由は
ここにあります。
自分と向き合う
とは
現実と向き合う
と
同義語なのですね。
それができる人こそが
自然に花開きます。
そんな人を私は
増やしたいのです。
つづく
人はそれぞれ
唯一の存在である。
と、言われますよね。
本当にそうだと
思います。
多くの方々と
向き合えば向き合うほど
そう実感します。
本当にそうなのに、
どうしてみんな
自分を消そうと
するのでしょうね?
どうして
周りばかりに合わせ、
「画一」の中に
入ろうとするのでしょうか?
いや、
その理由はもちろん
わかります。
自分の「唯一」を
出しづらい世の中で
あることも、
「唯一」を出すことに
皆がリスクを感じて
しまうことも
よくわかります。
自分が
「唯一」を出せば、
調和が崩れてしまう、
と
考えることも
わかります。
だから皆、
「画一」の中に
入ろうとするのですが、
しかし本当は
「画一」を目指せば目指すほど
不調和が
生じてしまいます。
なぜなら
私達の真本音は
誰も「画一」を
望んでいないから。
「調和」は望みますが、
「画一」と「調和」は
真逆の行為です。
本当の、
そして、本来の
「唯一」が交わることで
初めて
「調和」は生まれるのです。
・・・・・・
自分の想いは
100%、表明すると
よいです。
と、私が言うと、
ほとんどの人が
え〜、それは無理ですよ、
と言われます。
私が自分の想いを
言ってしまえば、
メチャクチャになりますよ、
と。
それに、
キリがありませんよ、
と。
それは
わかりますし、
それは
そうです。
なぜならそれは
反応本音の想い
だからです。
確かに
反応本音レベルの想いは
キリがありませんし、
それを表明することで、
混乱や争いが
起こるかもしれません。
私もそれは
オススメできません。
私がオススメするのは、
真本音の想いを
100%表明する
ということです。
私はそれを
毎日、しています。
そして
それをすればするほど、
物事がびっくりするほど
スムーズに
抵抗なく進みます。
なぜなら真本音は
皆、つながっている
からです。
ただし、
100%伝える、とは
言いたいことをすべて
その場で言い尽くす
という意味では
ありません。
言いたい瞬間に
言いたいことを
言う、
という意味です。
「言いたい瞬間に」
というのが
ミソです。
つまり、
タイミングです。
真本音の想いを
100%表明しようと
決めると、
この「タイミング」に
とても敏感になれます。
今は、
本当に言いたいな。
今は、
まだ言いたくないな。
というのが
よ〜くわかるように
なるのです。
そして、
今、言いたい!
と思えた瞬間に、
それを言う。
・・・という実に
単純明快なことをするのが、
100%表明する
ということなのです。
これをすることで、
あらゆる「現実」が
調和を始めます。
もし、チームで
すべての人がこれが
できるようになれば、
そのチームは
完全調和します。
私はいつも、
その状態創りを
目指しています。
・・・・・・
そうなるための
必須条件があります。
言うまでもないこと
ですが、
それは
その人の真本音度合いを
高めることです。
その人自身に
真本音の想いが
顕在化しなければ
それは絶対にできません。
真本音の想いが
顕在化することと、
そしてできれば、
その人自身が
自らの
真本音と反応本音の
区別をつけられること。
これができれば
よいのです。
しかし、
組織やチームが
実に面白いのは、
全員がそうならなくても
何とかなるという
ことなんです。
私の現場経験で
言いますと、
組織やチームの中の
1割以上の人が
真本音度合いが
ある一定以上に高まれば、
その組織(チーム)は
調和を始めます。
これが
チームの面白さであり、
人と人の
関係の面白さですね。
・・・・・・
まずは、
1割の人が
真本音の想いを
自ら知り、
自ら表明できるように
なること。
あなたも
その一人に
なりませんか?
つづく
<ご案内>
真本音度合いを高め、
調和を起こす人になる
ための
セルフコーチング法。
動画の無料配信は
今日までです。
ご興味ありましたら、
ぜひどうぞ。
↓↓↓
『人生を真剣に変えたいあなたへ』
私達人間は
何か新たなものを
生み出すことに
無上の悦びを得ます。
しかし
新たな何かとは
たった一人では
決して生み出せないように
なっています。
人と人が
関わり合い、
先人の知恵と
今の知恵と
様々な経験と
未来への希望と、
本当にいろんなものが
ブレンドされて
「一つ」になれたときに、
まるで突然変異のように
これまでの延長線上からは
逸脱した
まったくステージの異なる
新たな何かが
生まれます。
それを
成し得たときの
私達の心、
・・・というよりも、魂の
悦びというのは
尋常ではありません。
その瞬間を
いつも夢みて
日々を進んでいるのが
私達の共通の
想いの一つです。
・・・・・・
私達は
進化を望む生き物
ですが、
その進化とは
カタチに現さなければ
意味がない、
とも
全員が思っています。
進化をしたい
という想いは、
カタチになってこそ
果たされます。
この
「想いをカタチにする」
ことを私は
「経営」
と呼んでいます。
「人生経営」
という言葉がありますが、
自分の人生を
自らが「経営者」となって
創り上げていく。
そういった意志を
持ちながら
日々を歩んでいく。
そんな状態に、
すべての人がなれると
いいな、と
私は願っています。
・・・・・・
今日(9月1日)、
私は、
実在のレベルにおいて
何かとてつもなく
大きくて、
新しくて、
これまでに観たこともない
「何か」が
生まれた感覚を得ました。
これまで
体験したことがないような
感覚。
ちょっと極端な表現をすれば、
これまで
人類が体験したことのない
くらいの何か、が
生まれた感覚があります。
恐らく私達は
何かとてつもないことを
成し遂げました。
ただし、
あくまでも実在レベルの
話です。
実在はタイムラグを経て、
徐々に現象化されます。
何が具体的に
現象化されるか?は
現時点ではわかりませんが、
恐らくこの現象化は、
この3〜4年のスパンで
行われるのではないか、と
思われます。
あくまで私の
感覚ですが。
・・・・・・
はっきりと明確なことは
まだわかりませんが、
なんか、
とっても
打上げをしたい
気分です。
みんなで何かを
祝福し合いたい。
そんな気持ちばかりが
湧き上がります。
この、
実在の感覚は
今後、私自身が最も
大切にすべきものだと
自覚しています。
この感覚のする
方向へ、
進んで行けばいいのだな、
とわかります。
そういった意味で
大事な指針を
得ることができました。
私達は
どうやら、
本気で変わろうと
しています。
真本音でそのように
決めているようです。
この、
私達の想いを
まずは私自身が
誰よりも大切にしようと
決意した、
そんな今日でした。
つづく
<ご案内>
もっと多くの人達が
「実在」を
キャッチできるようになると
いいな、と
私は本当に思います。
そうすれば、
自分の次の一歩が
迷うことなく
常に明確に観えてきます。
後悔も
なくなります。
この世の現実は
予測不能なことばかり
ですし、
自分の思惑通りに
進むことなど滅多に
ありません。
しかしそうだからこそ
面白いのです。
・・・なんて、
自然に思えるように
なるには、
実在をキャッチする力が
必要です。
現象(現実)の大本に
なるもの、
それが「実在」です。
これが理解できれば、
今のあらゆる現実を
そのまま受け止め、
毅然と進むことが
できるようになります。
実在キャッチ力を
高める。
これも、私の提唱する
真本音セルフコーチングの
目的の一つです。
ご興味ありましたら、
以下の電子書籍と動画をご覧ください。
↓↓↓
『人生を真剣に変えたいあなたへ』
よく、
人のせいにしては
ダメだ。
環境のせいにしては
ダメだ。
と言われます。
その通りです。
自分以外の何かの
せいにして、
自分の次の振る舞いや
自分の次の選択を
決めている人は
どこに行っても、
どの環境に入っても、
自分以外の何かの
せいにする人生を
続けるでしょう。
それは
「依存」の人生
です。
自立した人。
自律した人。
人生の覚悟を
もっている人は、
もちろんそういったことは
しません。
・・・ということを
重々に承知した上で、
今日はあえて
申したいのです。
「もっと
人のせいにしたら
どうですか?」
「もっと
環境のせいにしたら
どうですか?」
と。
・・・・・・
もちろん、
すべての人に
そうお伝えするつもりは
毛頭ありません。
私がお伝えしたいのは、
自分のケツは
自分で拭く、
という覚悟を持った
人に対してです。
私のクライアントさんは
そういった方々が多く、
とても
気持ちの良い皆さん
ばかりです。
そういった人は
人生やお仕事で起こる
あらゆる「現実」に対して、
自分自身の責任である
と捉えます。
もちろんそれは
とても潔いことなのですが、
でも、時々ですが、
自分のせいにし過ぎる
人もいるのです。
すると今度は逆に
物事の本質が
観えなくなってしまうことが
あります。
私はよく
組織のサポートをする時に、
その組織に何らかの問題が
起きている場合、
「誰のせいか?」
を明確にします。
もちろんその人のことを
責めるためでは
ありません。
原因の本質を
あるがままに見極める
ためです。
誰がいけないのか?
何がいけないのか?
その事実を
そのままに見つめることこそ
物事の展開を大きく変える
起点となります。
・・・・・・
このような問題が
このように起きたのは、
まずは、
私のここがまずかった。
私のここが原因だった。
と同時に、
あの人のそこも
まずかった。
あの人のあそこが
原因だった。
・・・というように、
自分とか他人とか環境とか
そういった垣根を
取り払った
ニュートラルな視点から
すべてを俯瞰することが
実に大切です。
それができた時点で、
私達は
次元を一つ上がって
います。
誰が悪いんだ?
俺のせいか?
お前のせいか?
ではなく、
すべてを全部俯瞰して、
どこにどのような
問題があったのか?
をそのまま受け止める
ということですね。
これができる人は
自分にも他人にも
厳しくなりますが、
しかし、
自分にも他人にも
本当の意味で
やさしくなれますね。
・・・・・・
もともと私達の
高い次元の意識では、
すべてが一つ
です。
それはつまり、
私はあなたであり、
あなたは私
なのです。
この本質を思い出せば、
「自分がすべて悪い」
ということは、
あり得なくなります。
なぜなら、
物事はすべて
人と人の関わりと
影響のし合いで
成り立っているからです。
それが
この世の中です。
・・・・・・
世の中は
私である。
私は
世の中である。
すべては
私である。
私は
すべてである。
低い次元で
このように捉えると
それはただの
傲慢ですが、
高い次元では
これが本質であり、
普通であり
当たり前のことなのです。
ですから、
人生の覚悟を持った人、
自立・自律している人にこそ
私は問うのです。
「誰が問題ですか?」
「誰のせいですか?」
と。
つづく
<ご案内>
おかげさまで、
当初私が予想していたよりも
ずっと多くの皆様に
電子書籍と動画を
ご覧いただいたようです。
ありがとうございます。
まだお申込みが
続いているようですので、
配信期間をもう少し
延長しようかと思います。
良いセルフコーチングは、
自分の中にすでに
存在している
高い次元の意識を
思い出すきっかけとも
なります。
もちろん、
高い次元が良くて
低い次元が悪くて、
という単純なものではなく、
私達人間は
高い次元から低い次元まで
あらゆる次元の意識を
内包し、
コラボしているからこそ
素晴らしい存在なのだと
私は思います。
ですからこそ逆に、
多くの皆様に
高い次元の自分自身と
もっともっと出会って
ほしいな、と思うのです。
私達の心の中は
宇宙と同じように
広くて深いです。
心の宇宙の探検を
楽しくしていただくことは、
人生の冒険を楽しむ上では
必須です。
自分としっかり
向き合える人こそが、
現実とも
しっかり向き合え、
人生と
あるがままに向き合えます。
そんなきっかけになると
いいな、と思い、
配信させていただいています。
ご興味ありましたら、
ぜひどうぞ。
↓↓↓
『人生を真剣に変えたいあなたへ』
私は
自分の成長意欲の高さを、
誰よりもよく
わかっていました。
とてつもない
スピードで
邁進して行きたい。
と、常に
思ってきました。
今ここに立っていることが
本当に
じれったく、そして
ジレンマで、
本当に早く
スタートを切りたいと
いつもいつも
思っていました。
しかし
そのような状態でも
あえて私は
本気を出さなかった。
なぜなら、
今、本気を出しても
不調和と空回りだけが
起こることも、
また、よくわかって
いたからです。
自分の想いの
そのままに、
行動に移すことは
実はとても簡単です。
しかし、
その行動と想いが
一致するとは
限りません。
自分の想いを
きちんと一致した行動
として
表現できる自分に
ならなければ。
例えば、
想いがあっても
能力が伴わなければ
その想いは
行動と一致しません。
自分の想いを
行動を通じて
エネルギーとして
発することが
できる自分であることも
重要です。
想いだけでは
ダメ。
想いは
カタチにできなければ
意味がない。
想いは
調和をもたらさなければ
意味がない。
ですから、
そういったことの
できる自分になるまで、
そう、
準備が整うまで、
決して
本気は出さないと
決めていたのです。
それはそれは、
全身を掻きむしりたく
なるくらいの
じれったさでした。
早く、
突っ走りたくて
しょうがありませんでした。
でもでも
ずっとずっと
じっとじっと
準備が整うのを
待ち続けました。
でね、
たけうちさん。
やっとやっと
準備が
整ったんですよ。
やっと
本気で走れそうな
気がするんです。
もう、
いいですよね?
本気の
全力で
進み始めても
いいですよね?
・・・・・・
こういったメッセージを
実際に
言葉として
私は聴いたわけでは
ありません。
でも、
その人と向き合っていると、
その人の目が
そう語って
くるんです。
つまりは、
実在のその人、
その人の真本音からの
私への
ダイレクトメッセージ。
上記のような
「準備が整いました」
宣言。
「もう走り出しますよ」
宣言。
この
言葉にはならないけれど、
あまりにも
ダイレクトに
はっきりくっきりと
伝わってくる
想いの溢れたメッセージを
このたった一週間で、
私は
何人もの人から
受け取りました。
ですから私は
今、
感無量です。
あぁやっとみんなの
準備が整ったんだな、
と。
やっと、
共に全力疾走
できるんだな、と。
私こそ。
私こそ、
この瞬間を
ずっとずっと
待っていたのですよ。
・・・・・・
最近、
私とお会いしていない人
でも、
この文章を読んで、
あっこれ、自分の
ことだな。
と思えた人は
恐らく準備が整った
のだと思います。
全力疾走を
始めても
いいんじゃないかな。
もちろん私自身も
全力疾走します。
と同時に私は、
全力疾走をする人を
全力サポート
したいのです。
共に。
共に、ですね。
共に、
スタートを
切りましょう。
つづく
<ご案内>
思えば、・・・
私がご提供させていただく、
セルフコーチングの
すべての手法は、
全力疾走をする人の
ためのものだな、と
今、改めて
思います。
自分の人生の目的に
向かい、
もしくは、
たとえその目的が
現時点ではまったく
わからなかったとしても、
それでも
自分の人生の目的に
向かおうとし、
あらゆる現実の中で
試行錯誤を
繰り返す。
そんな人達が
最短、最速、最善の
道のりを
進めますように。
そんな祈りのもとで
ご提供させていただくのが
真本音セルフコーチングの
手法です。
そういったものが
自分の全力疾走には
必要だな、
と思える方は
ぜひご覧ください。
↓↓↓
『人生を真剣に変えたいあなたへ』
今の自分には
到底無理だとわかっていても、
それでも
立ち向かわなければ
ならないことが
人生にはありますね。
自分の範疇を
超えた
現実。
自分の範疇を
超えた
挑戦。
自分の範疇を
超えた
約束。
頭では
絶対に無理!
と叫んでいても
なぜか、
それをやめる方向に
体が動かない。
まるで最初から
確信を持っているかのように
自分の範疇を
超える方向に
進んでしまう。
自分に対して
「ちょっと待って!」
と止めようとしても
止まらない。
勝手に進み、
「おいおいおい!」
と言いながらも
道が開いて行って
しまう。
そしてある瞬間から
「まっいいか!」
と
あきらめ、
あとはその流れと
自分自身に
委ねてしまう。
それにより
自分が想像し得ないような
素晴らしい道が
次々に拓かれていく。
そういったことを
当たり前のように
日々、続ける人が
います。
それは、
ある一種の「覚悟」を
持ち合わせている
人です。
・・・・・・
その覚悟とは、
『ゼロに戻る覚悟』
と表現できるかな。
いつでもすべてを
「ゼロ」に
できる覚悟です。
例えば・・・、
愛する家族が
いる場合に、
その家族が
今日でいなくなってしまっても
いい、
家族を手放してもいい、
と思える
覚悟です。
いやいやいや。
そんなことは
誰にも無理でしょ、
と言われそうです。
もちろん、
無理でしょう。
私だって
いやです。
一番大切なものを
手放すことは
大抵の人間には
不可能なことです。
でも。
ちょっとそれとは
別の次元に
目を向けて
いただきたいのです。
これまで
培ったもの。
これまで
構築してきたもの。
これまで
手に入れてきたもの。
大事なもの。
宝のようなもの。
それらを私達は
「ゼロ」から
手に入れ、
育て上げてきました。
もちろん、
生まれた瞬間から
手に入っているものは
多いです。
しかし、
「ゼロ」から
手に入れたものも
たくさんあるはずです。
その
「ゼロ」
に戻ってみる。
自分のスタート地点に
戻ってみる。
すると、
何が観えるでしょうか?
・・・・・・
セルフコーチングの力が
強くなると、
ある瞬間から私達は
自分がこの世に
生まれた瞬間の
「決意」を
思い出せるようになります。
その「決意」とは、
何のためにこの世に
生まれてきたか?
の理由であり、
私とは何者か?
の答えであり、
私の人生の目的と
意義、
そのものでもあります。
それを多くの人は
忘れてしまっています。
なぜなら、
「ゼロ」から創り上げたものや、
自分が人生で
培ったものや
手に入れたものを
「守ろう」とするからです。
もちろんそれは
人としてとても
大切な気持ちですが、
そういった大切なもの達を
いったんすべて
自分自身から分離させ、
「ゼロ」に戻った時に
初めて、
私達は
「ゼロ地点」における
自分の意志に
戻れるのです。
そして。
その「ゼロ地点」に
毎日、戻ることで、
逆に、
今、自分の目の前にある
あらゆる大切なものを
どう活かせば良いか?
どう関われば良いか?
どんな距離感を持てば良いか?
などが、ありありと
理解できるのです。
結果として、
大切なものを
より大切にできるように
なります。
面白いものです。
「守ろう」
とするよりも、
「常にゼロに戻ろう」
とする方が、
大切なものを
より大切にできるのです。
しかし、
「ゼロ」に戻るためには、
「すべてを手放してもいい」
という覚悟が
必要です。
つまりは、
「すべてを手放しても
いい」
と思える人ほど、
「すべてを
本当に活かす」
ことができるのです。
・・・・・・
「ゼロ」に戻る勇気は
真本音度合いが
ある一定以上に
高まらないと
出ません。
心の中にある
「真本音」という大地を
実感できる度合いが
高まることで初めて、
私達は
ゆとりを持って
様々な決断ができるように
なります。
「ゼロ」にも
戻れるのです。
真本音度合いが高まり、
常に「ゼロ」から
決断と行動のできる人が
増えれば、
世の中はもっと
調和します。
一人ひとりはもっと
幸せになれるのです。
つづく
<ご案内>
今あるものが
当たり前、
ではなく、
毎日、「ゼロ」に戻ることが
できれば、
あらゆるものの存在が
自分に
次への一歩の
指針を与えてくれます。
自分一人のみで
進む人生ではなく、
「あらゆるもの」と共に
進める人生へと、
次元を高めませんか?
ご興味がございましたら、
以下の電子書籍と動画をご覧ください。
↓↓↓
『人生を真剣に生きたいあなたへ』
今日、
私の元クライアントさんである
4人の方々と
約3年ぶりにお会いし、
食事をしました。
この3年間、
メール等のやり取りも
ほとんどせず、
音信不通に近かった
のですが、
お会いした瞬間に
実感しました。
あぁ、私は
「実在」のレベルでは、
この人達とずっと
一緒にいたな、と。
しかも私は
この人達に随分と
支えられてきたな、
と。
駅で待合せしたのですが、
人混みの中で
再会したその瞬間から
私達はまるで
昨日も会っていたかのような
会話を始めました。
そこには
3年のブランクが
まったくない。
ゼロ。
皆さん全員、
「実在」を感じ取れる
人達ばかりです。
私達は常に
一緒にいて、
で、
本当に必要な瞬間のみ、
現実のレベルで
お会いすればいい。
誰もそのような
言葉は発しませんが、
そんな共通認識が
その場に
漂っていました。
・・・・・・
現実レベルでの
距離が離れるからと
いって、
実在レベルの距離が
離れるわけでは
ありません。
いえむしろ、
現実の距離を
離すことで、
実在の距離が
縮まった
というケースは
とても多いのです。
私達には
「適切な距離感」
というものがあり、
その距離感を
大切にすることで、
・実在と
・現象(現実)の
両方の距離を
決めていく、
ということを
私達の真本音は
望んでいます。
私はいつも、
個人においても
企業においても
私のサポートの
「終わり」を
とても大事に
しています。
サポートを続けていると、
「現実の距離を
一気に離した方が
いいな」
と思う瞬間が
必ずどこかで来ます。
その瞬間を
私は逃しません。
多くの場合は、
クライアントさん
(個人であっても
企業であっても)
の真本音度合いが
高まり、
真本音の想いと
行動と結果が
一致し、
常にその状態が
続くようになる
一歩手前くらいで
この瞬間が来ます。
すると私は
すかさず、
「私のサポートは
ここまでとしたいと
思います」
とお伝えします。
でもこういった時は
ほぼ必ずと言って
よいほど、
「私もそう思います」
とクライアントさんは
ニッコリと
了承されます。
いっつも
こんな感じ。
で、あとは
「では、もし何か
必要があれば
私を呼んでください。
ホームドクター
みたいなものですね」
となります。
今日、再会した
4人の皆さんとも
そんな感じで
3年ぶりにお会い
したのです。
・・・・・・
私は、
個人のコーチングも
よくお受けします。
「パーソナルコーチング」
というものですが、
その場合、
期間を限定しません。
コーチングを行ない、
「あっ、もうこれで
コーチング必要ないな」
と、
クライアントさんが
思えた時点で
終了です。
ですので、
たった1回のセッションで
コーチング終了
というケースが
実はとても
多いです。
で、コーチング料金は
実施した分を
後でいただくという、
そんな形です。
それが最も
簡単で
私も気が楽です。
しかもコーチングは
定期的に行なう、と
決めてもいません。
1回のセッションを
行なったら、
その終わりに、
「コーチングはこのまま
続けたいですか?」
とお訊きし、
「次回は、いつくらいが
良さそうですか?」
と真本音で決めて
いただきます。
すると、
そのクライアントさんの
真本音の望むペースでの
サポートとなります。
こんな感じですので、
月に何度も
コーチングセッションする
人もいれば、
数年に一度の人も
います。
それが自然な形だな
と私は
思っています。
・・・・・・
「実在」を
感じ取る力が
つけばつくほど、
現実レベルでの
距離をどうするか?
がいかに重要か、
もわかるようになります。
そしてその
距離感を大切に
することで、
私達はあらゆる人と
調和します。
人だけでなく、
「世界」と調和します。
すると、
物事が非常に
スムーズに進むように
なります。
距離感の
わかる人になる。
これも私のサポートの
重要な目的の
一つです。
つづく
<ご案内>
実在レベルの距離感と
現実レベルの距離感の
両方をつかみ、
両方を
的確な距離感に
修正する。
これも
セルフコーチング力を
高めることで
実現できます。
あらゆるものと
調和する生き方と
行き方を
しませんか?
ご興味ある方は
以下をどうぞ。
↓↓↓
『人生を真剣に生きたいあなたへ』
人と人は
もっとわかり合えるはず。
そう信じて
努力をしている人ほど、
深い落胆を抱えて
いる場合があります。
まぁ、・・・
私もその一人かも
しれません。
こんなお仕事をして
いますので、
これまで本当に
様々な人間模様を
拝見してきました。
自分自身の心も
含めて、
人間の汚い部分も
随分と目の当たりに
しました。
人に裏切られたことは
たくさんあります。
私が人を裏切って
しまったことも
正直、あります。
特に昔は
たくさんの人を
傷つけてしまいました。
傷つけられたことも
ありますが、
傷つけたこともあります。
被害者としての
痛み。
そして、
加害者としての
痛み。
その両方を
体験しました。
それでも、
人と人は必ず
わかり合える、と
信じてきました。
信じれば信じるほど、
落胆も
大きかったです。
もちろん、
うれしい体験
幸せな体験も
数知れず。
やっぱ、人って
いいようなぁ、
という体験も
数知れず。
・・・・・・
今、
私は
人はわかり合える
と
信じているのでしょうか?
と、
私自身に問うと、
「わからない」
と返ってきます。
「時と場合による」
とも。
じゃあ、
人はわかり合える、
という信念を大事に
していけばいいのだろうか?
と問うと、
「そりゃあ、大事にできればいいけど、
無理にそう思い続けなくても
いいんじゃない?」
という極めて
いい加減な答えが
返ってきます。笑
そう。
「どっちでもいいじゃん」
というのが
本当のところです。
ただ私が信じているのは、
その人の
「真本音の言葉」
です。
いや、
信じている、
というわけじゃないな。
信じるも何も、
自然にこちらの心と
魂に
伝わってきちゃうんですよね。
真本音の言葉は。
信じなきゃ、
も
信じたい、
も
信じよう、
も
何もない。
自然に
伝わってきちゃうんです。
で、
こちらの心と魂が
ビリビリと
震えてしまうんです。
しびれるんです。
感動しちゃうんです。
こういう時です。
私がホントに
自然に、
普通に、
人間ってすごいよなぁ・・・、
思うのは。
で。
私は、単純に
その人の真本音の想いと
真本音の言葉と
真本音の行動が
より出やすくなるように
サポートする
だけなんです。
はっきり言って
あとはひょっとすると
何もしていない、
です。
自慢になりませんが。
でもそれをするだけで、
その人は
周りと調和を
始めてしまうんです。
そこに
私の意図は
ありません。
もちろん、
その本人の意図すら
ありません。
気がつけば、
本人も気づかない内に
調和が起きている
のです。
あえて、
「わかり合える」という
言葉を使えば、
「わかり合える瞬間」が
格段に増えて
いくのです。
・・・・・・
「信じる」
とは、
私は
「意志」だと思っています。
信じるかどうかは、
その人の意志。
そして
信じるかどうかは、
その人の自由です。
信じないからダメ、
とか
ホント、そんなこと
どうでもいい。
信じたいものを
信じればいいし、
信じたくないものは
信じなくていい。
ただ。
その人自身の
真本音度合いが
高まるといいな、と
ここだけは
私は強く
願っていますし、
祈っています。
わかり合えるかどうか?
それは
結果。
その原因は、
真本音の度合いが
高いか低いか?
それだけの
ことなんですね。
つづく
<ご案内>
セルフコーチングの目的を
一言で教えてください。
・・・と、もし問われたら、
「真本音度合いを高める
ためです」
と、私は答えます。
私がご紹介する
セルフコーチング手法の全ては
真本音度合いを高めることに
直結しています。
ご興味ありましたら、
以下の無料動画を
ご覧ください。
↓↓↓
『人生を真剣に生きたいあなたへ』
昔、
私の心の中には常に
「ざわめき」
がありました。
一つの心のつぶやきを
すれば、
それが一石となり、
心の他の部分で
その「ざわめき」は
まるで永遠のように
広がり続けていました。
それは決して
気持ちの良いものでは
ありませんでした。
むしろ、
うるさい感じ、
騒がしい感じ、
そして
鬱陶しい感じ
でした。
恐らく今の私の
セルフコーチングの力で
それらの「ざわめき」を
見つめたとしたら、
その多くは
私の心のつぶやきへの
否定的な声達
だったでしょう。
喩えて言うならば、
あるタレントさんが
ツイッターか何かで
一言をつぶやくと、
炎上することがありますね。
あれに
似ています。
心の中の
炎上。
私が何かつぶやけば
炎上。
私が何か決めれば
炎上。
私の心の中は
奥底の方で
ずっとそれを
続けていた。
しかももちろんですが
それらの炎上は
決して見たくもなく、
私は常に
そのざわめき達に
フタをし続けてきました。
まぁその結果が
体を壊す、
ということだったのですが、
今考えれば
当たり前の結果です。
・・・・・・
なぜ、
ざわめくのか?
その根本的原因も
今となったら
わかります。
私は、
私の中にある
たった一つの「?」を
無視し続けていた
からです。
私の人生にとっては
その「?」は
とても大切なものでした。
しかしそれを
私は無視し続けたので、
それを一番よくわかっていたのは
私自身だったので、
そんな私を私の心達は
非常に否定的に
見ていたのですね。
ですから、
私が何か決めても
すぐに炎上していたわけです。
ではその
「?」とは
何なのか?
実は
とても単純な問いでした。
それは、
『このままでいいのか?』
という言葉になります。
私は本当に
このままでいいのか?
私の人生は
本当に
このまま行けばいいのか?
私は本当に
ここでこんなことを
していていいのか?
それら、
今ここにいる私自身への
疑問符でした。
よく、
自分を承認しなさい。
自分を肯定しなさい。
と、言われます。
もちろんそれは
大事です。
今の自分を承認できなければ、
未来を創ることは
できません。
しかし、
承認することと、
今の自分への疑問に
フタをすることは
まったく別のことです。
いえ、本当は
今の自分に対する
自分自身からの疑問や
疑念。
それらをしっかりと
理解することも
自己承認の重要な
一つです。
・・・・・・
『このままでいいのか?』
実はこの問いを
心の中に今、
強烈に持ち合わせている人が
増えています。
しかしこの問いと
向き合うのには
結構な勇気が必要です。
ですからほとんどの方が
フタをしてしまったり、
問い自体には気づいても、
「まぁ深く考えすぎるのは
よくないな」
「とりあえずは、毎日を
一生懸命過ごそう」
「とりあえずは、今目の前に
あることに集中しよう」
と
なっています。
これは残念ですが、
現実逃避
です。
今の自分にとって
最も重要な問いから
逃げているのですから。
それをすれば、
以前の私のように
心の中の炎上が
始まります。
それは
とてつもなく
自分自身のエネルギーを
奪います。
・・・・・・
『このままでいいのか?』
この問いと
しっかりと向き合うことで
間違いなく、
人生の道が
開かれていきます。
中途半端な
向き合い方は
ダメです。
向き合うならば
100%しっかりと
向き合うことです。
答えがすぐに
出なくてもよいですから、
この問いと
対峙し続けることです。
それができるのは、
自分自身しか
いないのですから。
つづく
<ご案内>
『このままでいいのか?』
という根本的問いを
持っている人を
私はぜひ
サポートさせていただきたいな
と思っています。
そのための
新しい実践型講座を
始めます。
ご興味がございましたら、
まずは無料動画を
ご覧ください。
↓↓↓
『人生を真剣に生きたいあなたへ』
伸びやかな発想が
必要な時って
ありますね。
仕事においても、
仕事以外においても。
コーチングでも
よく行なうのですが、
まずは
何物にも縛られない
自由な発想をした上で、
その発想を
現実的な行動へと
結びつけたりすると、
これまで開かなかった
道が
突然、開かれることが
あります。
「枠」に
捕らわれない発想。
今回は、
とても簡単で手軽な
その発想法の一つを
ご紹介します。
・・・・・・
やり方は実に
単純です。
まずは、
目をつぶります。
そして等身大の
自分を感じます。
自分の体の大きさと
同じ大きさの自分を
感じるということです。
それができましたら、
今度は
そんな自分が
グングンと大きくなる
イメージをしてください。
ただし
「イメージ」と表現しましたが、
実はちょっと
違いまして、
自分の体が
大きくなっていく姿を
頭の中でイメージする
わけではありません。
ではなく、
「感覚」で
自分を大きくしていくのです。
自分自身が
どんどん大きくなっていく
「感覚」を
創り出していただき
たいのです。
ですから
頭の中で映像を創り出し
それを見る
というようなことは
しなくてもよいです。
というよりも、
むしろしない方が
よいです。
感覚だけに意識を向け、
ただただ
感覚的に大きくなって
いけばよいのです。
これをずっとずっと
続けます。
すると、
途中で
何かの「枠」を感じると
思います。
ずっと
大きくなり続けていたのに、
急に壁に当たる感じがしたり、
何かに閉じ込められている
感覚を得たり、
ギュギュウに縛られている
感じがしたり。
ほぼ必ずどこかの段階で
そういった「感覚」が
くると思います。
もしまったく来ないなぁ、
ということでしたら、
まだ「巨大化」が
足りないということですね。
その場合は、
もっともっと自分を大きくして
いきましょう。
で、その閉じ込められた
ような感覚が
「枠」
です。
セルフコーチング力が
高まれば、
その「枠」が何かを
言葉ですぐに表現できる
ようになりますが、
慣れていないうちは、
まだそこまでしなくても
結構です。
で。
その「枠」を
内側から
壊してしまってください。
壊し方は簡単。
エイヤッと
自分を強引に大きくさせ
内側から「枠」を
破ってしまうのです。
卵の殻を破る
感じです。
もちろんこれも
「感覚」で行ないます。
すると途端に
自由になれた感覚や
解放された感覚を
得ると思います。
そうしたらさらに
自分を巨大化させて
いきます。
するとまたどこかで
「枠」を感じます。
で、そこでまたその「枠」を
同じようにして
内側から壊します。
そしてさらに
自分を大きくしていきます。
これをどんどん続け、
「もうこれで充分だな」
と自分が思えたところで
終了です。
その時点では
かなり「感覚的な自由」を
感じていると
思います。
その状態で、
様々な物事の発想を
してみてください。
例えば、
仕事のことや
自分の悩みごと、
自分の目標設定や、
目の前のやらねば
ならないこと、
など。
伸びやかな発想を
してみよう
ということであれば、
何でもOKです。
普段の自分とは
だいぶ異なった
自由な発想が
生まれます。
一度、遊び感覚で
お試しくださいね。
つづく
<ご案内>
発想力や直観力は
100倍くらいに高めることが
できます。
「100倍」と言うと
大袈裟な感じがしますが、
決してそうではありません。
例えば、
これまで一週間考え続けて
出なかった答えが、
たったの5分で
出るようになったりします。
その結果として
生産性は格段に
アップします。
ただしそのためには
的確な練習が必要です。
自分と向き合う力が
必要なんです。
そういった
発想力や直観力を高める
セルフコーチング法に
ご興味ありましたら、
以下の無料動画をどうぞ。
↓↓↓
『人生を真剣に生きたいあなたへ』
「実在」を感じ取る
と言うことは、
脳を使わずに
あるがままのその存在を
感じ取るという
ことです。
私達がこの世界で
・見る
・聴く
・感じる
のは、すべて
脳を介しています。
あえて言えば、
脳という機関を使った
世界とのコミュニケーションで、
脳に何らかの問題が
起これば、
世界を感じ取れなくなる
ということです。
しかし本当は
脳を使わずに
受け取っていること
感知していることは
私達にはとても
多いのです。
いえむしろ、
そちらの方が
9割以上を占めると
思います。
もちろん、
脳が必要ないとか
脳の感知をやめましょう、
などというお話では
ありません。
ただ、
私達人間が本来持っている
物事を受け取る力
感知する力を
見くびってほしく
ないのです。
・・・・・・
「実在」を
感知する力。
私はすべての人が
この力を伸ばせるといいなぁ
と思っていますが、
しかしやみくもに
誰も彼もすぐに・・・、
とは思っていません。
実在を感知しても
良い人と、
今はまだそれを
しない方が良い人が
います。
その理由は
単純です。
準備ができているか
どうか?
なんです。
「準備」とは何か
と言いますと、
「あるがまま」を
受け取っても
耐えられるかどうか?
ということなんです。
脳を使わずに
「実在」をキャッチできるように
なれば、
自ずと私達は
「あぁ、すべては一つ
なんだなぁ、ホントは」
ということを
理屈ではなく、
実感できます。
それはとてつもなく
幸せな感覚なのですが、
その一方で、
辛いものも
感知してしまうのです。
例えば、
人の「悲しみ」。
それを感知すると、
それがまるで
自分の悲しみであるかのように
こちらも
悲しくなります。
しかし
当の本人は
その悲しみに気づいていない
ということも
あるのです。
なぜなら、
本人は脳を使ってしか
自分を理解できて
いないから。
脳を使っての
範疇でしか
自分の心を知れないから。
でも
よくあるのです。
本人がまったく
気づいていないところで
その本人が
とてつもなく深く
悲しんでいることが。
で、その人と
向かい合っていますと
その悲しみが
モロにこちらに
伝わってきます。
本人は
悲しみに気づいていない
のに、
こちらのみが
気づいてしまう。
しかも、
その悲しみは
非常に深く、
しかも、
本人はその悲しみを
さらに深める方向に
自分の人生の選択を
しようとしている。
・・・そんなケースは
多いのです。
そんな時、
私が
「あなたは本当はとても
悲しんでいるんですよ」
と伝えたとしても、
本人にはさっぱり
わかりません。
こちらは
何もできないのです。
こういったことが
日々、日常茶飯事のように
起こります。
これに
耐えられるか?
ということです。
こういったことに
耐えられる「準備」が
整った人は
「実在」をキャッチする力を
伸ばし、
「実在」をキャッチしながら
人をサポートする
ということを
されると良いでしょう。
その方が
格段に的確な
サポートができますから。
・・・・・・
『ザ・セルフ』
というセルフコーチング系の
新しい講座を
9月の終わり頃に開講する
予定です。
私の言うセルフコーチングとは、
その力を身につければ、
自然に「実在」を
キャッチする力が
伸びていきます。
そういう力を
伸ばしたいな、と
思われる人には
ご参加いただきたいのですが、
先ほども申しました通り、
準備ができているかどうか?
がとても重要です。
そこで、この新講座では
その人その人の
「準備」の状態に見合った
学び方や
実践の仕方、
そして、
セルフコーチング力の伸ばし方
を
かなりキメ細かくご提供
します。
講座ということですが、
実は、講座っぽくなく、
セルフコーチング力を伸ばすための
私のコーチングを受けて
いただく、
というのに近い場となります。
そのため、
少人数制で行ないます。
自分自身の
「実在」を知り、
人の
「実在」を知り、
自分を的確にサポートし、
人を的確にサポートしたい。
そんな方に
ご参加いただきたいですね。
ご興味ありましたら、
まずは無料動画から
ご覧ください。
↓↓↓
『人生を真剣に生きたいあなたへ』
・・・・・・・
「実在」をキャッチする力
は
すべての人に
伸ばしてほしいのですが、
でも、
一歩一歩ですね。
準備を整え
一歩進み、
また次の準備を整え、
さらに一歩
進む。
そういった着実性を
大事にしたいと
私は思っています。
つづく
私は私の人生を
歩みたいと
思っているのに、
どうしても
私ではない意思を
尊重してしまう。
本当は
こうしたい!
と思うのに、
そうではない選択や
行動をしてしまう。
そのうちに、
私が本当は
何を望んでいたのか?
という
自分自身の気持ちすら
わからなくなる。
そして、
今、抱いているこの
気持ちが、
本当の自分の気持ちなのか、
それとも
本当は自分が
望んでいないことなのか、
その区別すら
つかなくなる。
区別がつかないままに
日々、
流れていってしまう。
途中で、
まぁいいか、となる。
深く考えないでおこう、
となる。
そして気がつけば、
妥協ばかりをしていて、
しかし
妥協している自分を
見ること自体が
怖くて。
自分とまったく
向き合わないように
なる。
そして、
人生に対して
無気力に
なっていく。
いや。
無気力だと
自覚すればまだ
まし。
自分が無気力で
空虚感の塊に
なっていることすら
気づかなくなる。
いつの間にか
「自分」が
もう、ここには
いない。
ここには
私の体はあるけど、
心らしきものは
あるけど、
私の本質は
一つも
ない。
私は
どこに行って
しまったのだろう?
私は
本当に
生きているの
だろうか?
私とは
何だろう?
まぁ
いいか・・・。
・・・・・・
とても
傲慢なことであるとは
重々にわかっては
いるのですが、
私は、
人を救いたい。
自分と、
自分の人生を
失ってしまっている
人を
救いたい。
企業現場の中にいると
どうしても
そんな想いが
湧き上がってきます。
本当に
傲慢だと
わかっているのですが。
とはいえ、
私が他の人を
救えるはずが
ありません。
それも
わかっています。
その人を救えるのは
その人自身です。
でも
多くの人が
自分の救い方を
知らない。
知らなさ過ぎる。
私に
人を救うことは
できないけれども、
自分の救い方を
伝えることは
できる。
であれば、
それをどんどん
伝えていこう。
そう思うのですが、
これもやはり
傲慢でしょうか。
でも少なくとも
私は、
私を救うことが
できました。
もちろん
多くの人達の
援助と支えが
ありました。
その人達の
たった一人でも
もし出会えなかったら
私が私の人生を
取り戻すことは
できなかったでしょう。
でも
そういった事実を
すべて自覚した上で
やはり
思うのです。
私を救ったのは
私自身である
と。
そう。
これだけは
絶対的な
真実。
自分を救えるのは
自分だけ
なんですね。
・・・・・・
私は、毎日、
そう、
本当に、毎日、
私のクライアントさんに
お伝えしています。
「自分の思った通りに
生きてください」
と。
特に、
真本音度合いを高めた
クライアントさんには
口を酸っぱくして
伝え続けています。
様々な経験を
積んだ人ほど、
自分で自分を
縛ってしまいます。
私はそういう人が
自由になればいいと
本当に思っています。
真本音度合いの高い
人が、
自由になれば。
そこには間違いなく
調和が生まれます。
しかし、
「自由になっては
ならない」
「わがままは
絶対にダメ」
という「解釈」から
自分で自分を
縛ってしまうのです。
誠実な人ほど。
それは
誠実ではない!
今は、
あなたが
わがままに
自由に
振る舞うことこそが、
誠実なんだ!
と、
私は本当に毎日
全力でお伝え
しています。
・・・・・・
セルフコーチング。
自分と
向き合う方法。
無理に自分と
向き合うのではなく、
自然の摂理に則った
やり方で
自分と向き合い、
自分を理解し、
次の一歩を
決めて、
行動する。
「調和」と
「自由」は
本当は、
同義語です。
それを日々の中で
実感するための
セルフコーチングの
手法。
それを私はやはり
多くの人達に
お伝えしたい。
本当に今、
そう思います。
・・・・・・
ようやく、
セルフコーチング系の
発信ができることに
なりました。
新しい講座も
開講します。
電子書籍という
形をとりましたが、
動画もご覧に
なれます。
ぜひその
動画をご覧
いただきたいですね。
これからいよいよ
本格的に
始動します。
↓↓↓
『人生を真剣に生きたいあなたへ』
つづく
目の前に
Aという道と
Bという道が
あったとします。
今、その
分岐点にいます。
どちらの道を
進むか?
を迷っています。
Aの道を見れば、
特に障害は
なさそうです。
道は結構
まっすぐに伸び、
先の先まで
見渡すことができます。
Bの道を見れば、
こちらには
ゴツゴツとした
たくさんの岩などが
見えます。
あんな障害物を
越えていかなければ
ならないのか、と
少しゲンナリします。
しかも障害物の
その先は
見えません。
その道が
どこまで続いているのか?
まっすぐ続いているのか?
さえも
わかりません。
さて、
どちらの道を
行きましょうか?
・・・・・・
難易度は
どう見ても、
Aの方が低そうです。
Bにはたくさんの
障害物がありますし。
充実度は、
わかりません。
Aは平凡そうですが、
AにはAなりの
充実感を得られそうです。
Bは冒険が
できるかもしれません。
でも、
いつも不安いっぱい
かもしれません。
でも、
「あえて困難な道を
行きなさい」
という話もあるもんなぁ・・・。
「苦労は買ってまでも
しなさい」
とも言われるし・・・。
でもひょっとすると、
ここから見える障害物を
越えさえすれば、
その先はとても
楽な道になっているかも・・・。
反対にAは、
ここから見ると楽そうだけど、
進めば案外、
ここからは見えない障害が
あるかも・・・。
どっちが
楽しいだろう?
どっちが
自分らしいだろう?
どちらにもそれなりに
楽しさはありそうだし、
自分らしさは・・・、
よくわからない。
う〜む、
どうしよう。
考えれば考えるほど
わからなくなってくる。
・・・・・・
こんな場合、
私だったらどうするか、
を書きますね。
私の場合、
極めて単純です。
わからない内は、
動かない、
のです。
そうは言っても
早く決めなければ
ならない時も
あるでしょう、
・・・とよく言われます。
しかし、
わからない内は
頑として
動きません。
わからない、
とは
「今、決めてはならない」
という
真本音からの
合図です。
今、決めてはならない
のに
今、決めてしまうと
後で必ず
混乱や混沌が起こります。
そして、
結局は物事の進みが
遅くなります。
「風が吹く」
まで
私は待つのです。
・・・・・・
風は
必ず吹きます。
どちらかの方向に
「追い風」が
吹くのです。
そうしたら、
「追い風」になる方向の
道を進みます。
それだけの
ことです。
そこに自分の解釈は
まったく
入れません。
ただし、
そのためには
「風を感じられる自分」
でいることが
大事です。
「風を感じられる自分」
とはつまり、
「真本音度合いの高い自分」
ということです。
常に毎日を、
「自分が本当に
大切にしたいものを
大切にした生き方を
し続けいる」
ことです。
そしてその上で、
ちゃんと自分の迷いと
向き合い続けること。
具体的には、
常に自分に
「問い」を投げ続ける
ことです。
この場合の問いとは、
「Aに行くか、Bに行くか?」
です。
これを常に自分に
問い続けます。
しかし
頭で答えを出そうとは
しません。
理屈で考えながら
答えを出すのは
ただの「解釈」です。
解釈による答えには
必ず「迷い」がつきます。
答えに「迷い」がついている内は
「答え」ではありません。
ですから「答え」が出るまで
ただただ、問いを自分に
投げ続けるのです。
そして「答え」は
「風」が教えてくれます。
これが
セルフコーチング
です。
・真本音度合いを高めた状態で
・自分に必要な問いを投げ続ける
シンプルに言えば
これがセルフコーチングの
真髄です。
これをすれば
常に最善の選択を
し続けることが
できます。
自分と向き合い、
現実と向き合う
人は、
風を感じられるのです。
つづく
あなたの
「真の仲間だ」
と思える人を
6人選び、
思い浮かべてみて
ください。
6人をなかなか選べない
場合は、
とりあえずの6人
でも結構です。
その6人が
あなたの周りに
いるイメージを
してください。
あなたを中心として、
あなたを6人がぐるりと
取り囲んでいる
イメージです。
どの場所に
誰がいるか?
もっとも
しっくりきて
落ち着く場所を
設定してください。
あなたと
6人との距離も
最も落ち着くものを。
さて、
それができましたら、
目をつぶって、
しっかりと
自分が6人の中心にいる
ことを
実感します。
ここでもし
違和感があれば
メンバーや場所などを
修正してください。
違和感なく
カッチリとハマる
感覚があれば、
これはもう
イメージではなく
「実在」です。
そうなれたら、
6人すべてに同時に
意識を向けます。
向け続けます。
するとある瞬間から、
6人と自分が
「一つ」
になれる感覚が
くると思います。
そこまで集中して
続けてください。
・・・・・・
そこまでできたら、
次に
6人に問うてください。
「今の私は
ちゃんと私の人生を
送れてるだろうか?」
と。
すると、
6人の一人か二人から、
もしくは、
6人全員から
答えが返ってくると
思います。
その答えを聴いて、
さらに問いかけたいことが
あれば、
問いかけてください。
自由に
キャッチボールを。
それが終わったら
次の問いです。
「今の私が
最もしたいことは
何だろう?」
そして同様に
キャッチボール。
さらに次の
問いです。
「君達は(6人のことです)、
私に何をしてほしい?」
そして
キャッチボール。
その中で、
自然に、
あっ、今、
これをしよう!
とか、
あっ、今、
彼に連絡してみよう!
など、
「こうしよう」と思うことが
あれば、
すぐに実行に
移しましょう。
・・・・・・
私達にとって
「仲間がいる」
という感覚はとても
幸せなことです。
特に
「6人いる」
という感覚は、
私達に安定と共に
進化への意欲を
喚起してくれます。
ちょっと変わった
セルフコーチング法ですが、
とても面白い発想が
生まれますので、
ぜひ
お試しを。
つづく
もっとみんな、
人に頼ればいいのに、
と思います。
私のクライアントさんは
精神的にも
経済的にも
自立(自律)している人が
多いのですが、
面白いことに
そういった人ほど、
きちんと人に
頼りますね。
逆に、
自立(自律)できていない人
ほど、
自分でやらなきゃ、
独力でなんとかしなきゃ、
と思い過ぎる傾向に
あります。
自立(自律)できている
人は、
自分には
・何ができて
・何ができないのか
がよくわかってるのですね。
それは言葉を換えれば、
自分は
・どこに自分のパワーを注ぎ
・どこには注ぐ必要がないのか
がよくわかっている
ということです。
真剣に生きているからこそ
それがわかります。
・・・・・・
「真剣」と「全力」は
違います。
「真剣」とは
どこで自分が全力を出せばよいか?
をわかっている状態、
もしくは、
わかろうとしている状態
であると私は思っています。
この世は
制限だらけ。
人生の時間も
一日の時間も
限られています。
体も一つしか
ありません。
お金も
有限です。
限られたものを
何のために
どのように
使えばいいのか?
それを徹底的に
模索し続けている人は
真剣だな、
と私は思います。
限られたものを
どのように
使えばいいのか?
その
最も根本にあるのは
自分の
「命」
です。
この世における
命とは
限られたものです。
(寿命がありますしね。)
何のために
自分の命を
どのようように使うか?
これを、
「使命」と
私は呼んでいます。
真剣な人は
自分の「使命」を
よくわかっていますね。
もしくは、
本気でわかろうと
していますね。
・・・・・・
私達人間はあえて、
永遠に全力を尽くす
ということが
できないように
できています。
そこに
人間としての
価値があります。
常に
全力でい続けよう
としている人を見ると、
私は
「真剣じゃないなぁ」
と思います。
真剣な人は
常に
「ゆとり」
がありますし、
それをとても大切に
しています。
なぜなら、
本当に全力を出すべき瞬間に
全力を出せる自分で
あり続けようと
しているからです。
そんな中で、
自分は
誰に何を頼れば
よいのか?
を決めることは
本当に
大切なことですね。
これも
セルフコーチングの
重要な要素の
一つです。
つづく
本日(7月22日)ですが、
私が主催しております
『TPC養成塾』
の第2期が修了しました。
8ヶ月に渡る長期コースで
少人数制の
非常に濃い講座です。
Facebookグループでの
やりとりを含めると、
ほぼ、毎日受講生さん達とは
やりとりを続けました。
毎朝、私は彼らに
「問い」を投げ続け、
彼らは毎日その問いと
向き合いながら、
各々の人生を進めました。
何度も何度も
「脱皮」を繰り返し、
すべての皆さんが
人生の展開を
大きく変えました。
TPCとは、
「チームパフォーマンスコーチ」
の略です。
これは、企業のような
法人に対しても
「組織(チーム)そのものを
真本音コーチングできる」
力を持ったコーチ
という意味です。
おかげさまで、
第2期を終わり現時点で
私が
「この人はもうTPCと言って
差し支えないな」
と思える力を持った人は
私以外に7名となりました。
内、4名はすでに
自ら屋号を持ち、
生計を立てています。
ほんの3年前までは
真本音に関する研修や
コーチングは、
私以外にできる人は
一人もいなかったのですが、
今はそれが数名に
増えるという
とても喜ばしい状態に
なっています。
もちろん、
現在、私と一緒に企業現場に
入っている人達は
他にもいらっしゃいますし、
修行中の人もいます。
(まぁ、みんな修行中ですが。)
3年前に
「後継者を育成しよう」
と思い立ってから
こんなに早くこの状態に
なれるとは正直
思っていませんでした。
いつも私をサポートしてくださる
プロデューサーの方や
私といつも向き合い続けて
くださる方々に
本当に心より
感謝いたします。
ただ、
まだまだ道は
始まったばかりです。
まずは私の第一の
目標としては、
2021年8月までに、
現時点での私以上の
力を持ったTPCを
6名養成する
というものがあります。
それが成されれば、
私は次の展開に
大きく飛躍することが
できます。
TPC養成塾の第3期は
2019年の初頭に
開講予定ですが、
その前に
どうしてもやりたいことが
あります。
それは、
セルフコーチング系の
新しい講座です。
もうそろそろ
名前を出しても
いいかな。
『ザ・セルフ』
という名の講座を
スタートします。
約半年のコースです。
この講座で
セルフコーチング力を
一気に高めていただき、
その中で
「私はTPCになりたい」
という志を持った人が
もしいらっしゃれば、
その方に
TPC養成塾に進んでいただく、
という流れを創ろうと
思っています。
ただし、
『ザ・セルフ』は
まずは無料動画を
配信しようと思っています。
この動画では、
過去の私の真本音研修の
映像を
そのままお見せしたりも
します。
それをご覧いただくだけで
セルフコーチングや
真本音の最も基本的な
部分は
ご理解いただけると
思います。
まずはそれを観て、
ご自分なりに
セルフコーチングを
楽しんでいただき、
その上で、
もっとしっかり学びたい、
たけうちのサポートを
直接受けたい、
という人のみが
講座にご参加いただく
という仕組みにしようかと
思っています。
今月中には
動画配信できるかな。
真本音。
そして
セルフコーチング。
本当にまずは
これだけは
できるだけ多くの方々に
知っていただきたいかな。
つづく
今日という日は
いったい
何のために
あるでしょうか?
このような問いを
自身に
投げたことは
ありますか?
今日という一日が
存在している
意味。
自分の人生に
とって。
そして
世界にとって。
当たり前のことですが、
今日がなければ
明日も
ありません。
今日という一日が
明日という
新たな一日を
決めます。
そんなことは
当たり前だと
誰もが思いますが、
しかし本当は、
今日という一日と
明日という一日は、
完全に
分離しています。
この
3次元世界に
おいては。
・・・・・・
完全に分離
しているのに、
なぜ
続いていくのか?
それは、
この3次元世界に
存在している
慣性の法則
の影響に過ぎません。
「慣性」を
別の表現で言い換えれば、
「惰性」
とも言えます。
要するに、
今日の惰性のまま
明日を迎えている
のが
私達のほとんどです。
ちなみに
「惰性」を辞書で引きますと、
今まで続いてきた習慣や癖
とあります。
そうです。
癖なんです。
今日と明日が
続いているのは、
そういった私達の
癖でしかありません。
なんで
こんな極端なことを
書くのかと言いますと、
「私達はもっと
自由になれる」
と言いたいのです。
「癖に負けるな」
と言いたいのです。
癖って
強いんです。
なぜなら
私達人間にとっては
癖とは
とても大切な
「能力」だから。
癖という能力が
なければ、
私達は
何もできなくなるでしょう。
例えば、
自転車に乗れるように
なるのも、
要するにそれは
自転車に乗れる癖を
自分自身につけている
ということになります。
癖という能力が
なければ、
私達は、何度練習しても
自転車には乗れません。
そういった意味で、
私達の心と体とは
癖の塊です。
癖の宝庫です。
でも、
それが「癖」であるとは
認識していません。
で、
自分で認識していない
「癖」に捕らわれたまま
「明日」を
迎えます。
昨日と同じ延長線上に
ある
新たな日を
迎えます。
・・・・・・
癖は
大事ですが、
癖を超える
日々を
今の私達は
創り出さねば
なりません。
本当の
「創造力」
とは、
そういうことを言います。
癖の延長線上にある
創造力は
本来の創造力ではないと
私は思っています。
癖によって
新たな一日を
迎えるのではなく、
常に
原点に戻り、
毎日を
原点から
始めること。
それができるように
なると、
一日一日が
劇的に変化し
進化し始めます。
実は、
真本音で生きるとは
そういうこと
なんですけどね。
私が推奨している
セルフコーチングとは、
癖を大事にしつつも、
そういった癖を
超えていく力を
発揮するものです。
すべての人が
癖に捕らわれた人生から
自分自身を
解放できるといいなぁと
私は思います。
癖が
自分の人生を決める
のではなく、
自分が
自分の癖を活かす人生。
そんな人生に
シフトチェンジ
しませんか?
つづく
心の中で
「今、やろう」
と思っていることを、
実際の行動としては
「今、やらない」
という選択をしたとします。
心の「やろう」
と
行動の「やらない」。
行動というのは
私達の体を使って
行われますから、
言い換えれば、
心の「やろう」
と
体の「やらない」。
この不一致が起こることで
私達の
「一貫性」
は大きく損なわれます。
一貫性が
損なわれるということは、
歪みが起こる
ということ。
それにより、
私達の中には
大量のストレスが
発生します。
一貫性のなさによる
ストレスは、
実は
私達が発生させるストレスの
中でも
重度のものです。
ということはそれは
エンティティ化
しやすいということです。
「エンティティ」とは
ストレスが
反物質化したもの。
日本語では
生き霊
と訳されます。
しかしそれは
ほぼすべての人が
多かれ少なかれ
持っています。
エンティティが
多くなり過ぎると、
自分の生き霊が
自分に取り憑く
ことになり、
常に理由のない苦しみを
感じ続けます。
自分が自分に
取り憑く
・・・って、なんかもの凄く
意味のないことであり、
生産性の低いことだと
思いませんか?
しかし、
一貫性がなくなることで
誰もがそうなります。
しかも、
そのように自分自身の
エンティティに取り憑かれ
続けていると、
「それが普通の状態」
だと思い込むようになります。
エンティティは
苦しみだけを
自分に与えるのでは
ありません。
言いようのない
・不安
・憤りやイライラ
・倦怠感
・無気力
・悲しみ
・孤独感
・空虚感
などが常に発生し、
未来に向かうのが
億劫になり、
ほんのちょっとのことで
恐怖に苛まれるように
なります。
すると、
勇気が出なくなり、
挑戦することをやめ、
心で「やろう」と思っても
体では「やらない」という
選択をし、
ますます一貫性が
取れなくなるという
悪循環に入ります。
その循環から
抜け出せなくなっている人
は非常に多く、
その循環にいるのも関わらず、
毎日のお仕事に
がんばって向かって行く
という
とてつもなく辛い日々を
送っています。
よく喩えられる表現ですが、
まさしく
「ブレーキをかけながら
自転車を漕いでいる」
状態です。
・・・・・・
エンティティを
自ら浄化したり、
流したりする。
それも
セルフコーチング法の
一つです。
私はそのための方法を
できるだけたくさんの方々に
お伝えしたいのですが、
しかしその方法を
実践するためには
自分自身のエンティティと
向かい合わねばなりません。
そしてそのためには
エンティティと向かい合える
だけの自分に
ならねばなりません。
そのために最も
必要なことが、
自分自身の「真本音」を知る
ということです。
自分は
真本音で
何を願っているか?
自分は
真本音で
何を大切にしているか?
それらを
まずは言語化して
常にそれを「原点」とします。
その「原点」に
いつも立ち返ることで、
「これが本来の私だ」
という「感覚」を得ます。
この「感覚」が
大事です。
「感覚」を得られたら、
「本来ではない自分」の
感覚もわかるように
なります。
そうなって初めて
エンティティと向かい合える
ようになります。
本来の自分が
本来でない自分と
向かい合う
という感覚がわかれば、
エンティティはちっとも
恐ろしいものでは
なくなるからです。
そこまでの状態に
なるためのステップを
私はこれから
できるだけ多くの方々に
発信していきます。
このブログも
そうですが、
これまで行なったことのない
様々な発信法を
試してみるつもりです。
つづく
寂しくてしょうがない。
不安でしょうがない。
虚しくてしょうがない。
悲しくてしょうがない。
腹が立ってしょうがない。
悔しくてしょうがない。
・・・これらの心を
埋めるために、
私達は次の行動を決定
してしまうことがあります。
ところがそれをした場合、
もっと寂しくなります。
もっと不安になります。
もっと虚しくなります。
もっと悲しくなります。
もっと腹が立ちます。
もっと悔しくなります。
何かを満たすために
何かをする。
それをしているうちは
決して
そこから抜け出ることは
できません。
・・・・・・
満たされないものを
満たしたい。
この心は
「反応本音」
です。
つまり、
外からの影響
その時の状況によって
その反応として
生み出される心。
反応本音の願いとは、
満たされないものを
満たしたい
というもの。
それは人として
大事なことではありますが、
しかし残念ながら、
満たされないものを
満たそうとすればするほど、
その「枯渇感」は
ますます増長します。
「私はもっと
幸せになりたい!」
という気持ち自体は
尊いです。
しかし、
それは今、
幸せではないから
幸せというものを
満たしたい
というところから
発せられています。
それがいけない
というわけではありません。
しかし、
満たしたいものを
満たすためだけに
動いたとしたら、
さらにその「枯渇感」は
増してしまうのです。
それが
自然の摂理として
この世の中で
機能している法則です。
人間は
反応本音があるかこそ
人間です。
でも、
反応本音に対して
反応的に動いても
何も生まないのです。
・・・・・・
反応本音を否定する
必要はありません。
それが
あるがままに
そのままに
受け入れましょう。
その上で、
すべてを受け入れ
すべてを感じ取った上で
「真本音」に
戻るのです。
真本音とは
自らの原点。
どのような状態、
どのような状況に
なっても
変わることのない
原点です。
こんな状況だから
こうした、
ではなく、
どんな状況でも
原点に
帰るのです。
そして、
原点から
すべての判断をします。
自分の
行動を決定します。
すると、
真本音と反応本音が
結びつきます。
真本音と反応本音は
敵対するものでは
ありません。
共に
コラボ(協業)するために
存在しています。
真本音という原点を
常に大切にすることで
そのコラボは
実現します。
満たされないものを
満たしたい、
という心をそのまま
受け取り、
原点に戻るのです。
すると、
それらの反応本音も
すべて大切にしながら、
私達は
自身の真本音の次の一歩を
見出すことができます。
真本音と
結びついた反応本音は
強いです。
それは
道を拓きます。
真本音と反応本音の
コラボレーション。
これを
創り出すのが
セルフコーチングの
本質です。
つづく
人の声に
耳を傾ける。
本当にこれが
できる人は
素敵です。
ところが、
傾けているつもりで
まったく人の話を
聴いていない、
という場合があります。
というか、
ほとんどがそれです。
なぜなら
私達には自分自身の
「解釈」
というフィルターが
あるからです。
人が何をどう
伝えようとも、
どうしても自分の
フィルターを通してしまう。
これが
私達人間です。
能力が高まり、
経験と実績が高まり、
人望が高まり、
・・・そういった状態に
なればなるほど、
いつの間にか、
自分の解釈の権化に
なってしまいます。
私自身も本当に
ここだけは
気をつけています。
気をつけていても
知らないうちに
裸の王様になっていた
ということが
何度もあります。
そういった時、
周りの人達は
決して自分には
反対意見を言いません。
ほぼみんなが
イエスマンになります。
私は私自身に
反対意見を言ってくれる人が
いなくなった時に
とても注意をします。
そして、
常日頃から
私と接してくれている
人達が、
どのような空気感と
眼差しで
私を見てくるか?を
注意します。
本当に私といて
みんなは
幸せなのだろうか?
という視点で
できるだけあるがままを
感じ取ろうとします。
・・・・・・
セルフコーチングの
素晴らしいところは、
自分自身の心の声に
耳を傾ける
というところです。
自分の心の声を
あるがままに聴く
というのは、
実は結構難しいのです。
なぜなら
他の人との関係と
同じく、
私達は自分自身の心の声
に対しても
解釈のフィルターを
つけてしまうからです。
自分の心なのに、
自分でフィルターを
通すのですよ。
ですから、
多くの人達が
自己理解ができて
いません。
自分自身のことを
誤解していますし、
現実とは違う
自己イメージを
持っています。
自分のことなのに
自分が一番わかっていない、
というのも
私達人間の特徴の
一つです。
ですから、
セルフコーチング力が
高まることで、
自己理解が進みます。
と同時に、
そこで培った
「あるがままを受け取る力」
は、
対人関係においても
活きてきます。
つまり、
セルフコーチング力の
高い人は、
人とのコミュニケーション力も
高くなるのです。
・・・・・・
少し言葉を変えれば、
自分と向き合うことの
できる人は、
人とも向き合うことが
できる
ということになります。
「向き合う」とは
あるがままを受け取れている
状態です。
そして人生は、
あるがままを受け取れて
こそ、
本当の面白味も
醍醐味も
味わえます。
自分の解釈のフィルターを
バリバリに
張り巡られている
ということは、
要するに
自分の世界の中に
閉じこもっている
ということです。
自分という狭い世界に
閉じこもったままで
人生を進むのと、
すべてをオープンにし、
広い世界をそのまま
感じ取りながら
人生を進むのとでは、
当然、
人生展開も幸せ度合いも
満足度合いも
根本的に変わります。
オープンな生き方を
しましょう。
それが自分を
生かすということです。
そのためにも
まずは自分と向き合う
ことが大切ですね。
つづく
いつも私が申し上げること
ですが、
私達が存在している
この3次元の世界は、
すべてが分離している
世界です。
分離すればするほど、
次元は下がるわけですが、
分離がいけない
ということではありません。
分離をしているからこそ
得られるものは
多いです。
学べることも
多いです。
例えば、
私とAさんは
別人です。
お互いに分離した存在です。
しかし
Aさんと向かい合っていますと、
ある瞬間に
「あっ、一つになれたな」
とわかるタイミングが
きます。
そうなると
その時点から
Aさんとのコミュニケーションは
極めて楽になります。
Aさんの意図や、
言わんとしていることや、
意図を超えた願いとか、
そういった
「あらゆるものが」
まるで手に取るかのように
わかるようになります。
ただし、
「わかる」といっても
それは言語化されたもの
ではなく、
あくまでも「感覚」
です。
感覚的に
「すべてをわかり合えた」
と思えるのです。
その状態は
しばらく続きます。
するとその時間は
実に創造性に富んだ
ものとなります。
直観や確信は
もちろん次々に
湧いてきますし、
今後の自分達の歩みにおける
大切なヒントを
見出せたりもします。
以前は私は
この状態を意図的に
創り出すことが
できませんでした。
でも今は
ほぼ毎回、この状態に
入れます。
とはいえ、
相手もいることですから
あくまでもAさんの心や
体の状態によって
対応を変えます。
Aさんの心が
反応本音やエンティティに
まみれてしまっているときは
「一つ」になるには
かなりのエネルギーを要しますので、
そういった場合は
あまり無理はしません。
大切なのはやはり、
まずは自分自身の
真本音度合いが高まること、
そして、
Aさんの真本音度合いが
高まること。
そうなればなるほど
簡単に
「一つ」になれます。
・・・・・・
相手と一つになれる
コミュニケーション。
これを私は
「真本音コミュニケーション」
と呼んでいますが、
この力をつけるための
最短の道が
セルフコーチング力を高める
ということなんです。
セルフコーチングというのは、
自分自身の様々な
心と向き合います。
それをまるで
他人のように
観察したり感じたり
対話をしたりします。
その客観性に慣れて
きましたら、
今度は、
客観的になれた自分に対して
「一つ」になることを
するのです。
えっ?どういうこと?
と思われるかもしれませんね。
自分の心と分離し、
客観性を高めた上で
また一つになる。
・・・じゃあ最初から
自分の心は自分なんだから、
一つなんだから、
わざわざそんなこと
しなくてもいいんじゃないの?
そう思われるかも
しれないですね。
でも、
違うんです。
最初から一つである自分自身の
心のままにいることと、
あえて分離して
また、意図的に一つになるのとでは
本質的にまったく
異なる状態になるのです。
なぜなら実は、
私達は本当は
最初は自分の心と
「一つ」になれているわけでは
ないからです。
「一つ」になっていると
思い込んでいますが、
実はそれは
「ズレて」います。
そう。
「ズレている」という表現が
最も正確です。
自分の心なのに
自分は心と
「ズレた」関係になっている
のです。
そのまま私達は
毎日を生きているのです。
ですので、
いったん分離し、
その上でしっかりと
「一つ」になる必要があります。
すると、
私達は私達自身の心を
「ありあり」と
感じ取り、理解することが
できるようになります。
あぁ私は、
こんなことを思っていたんだ、
こんなことを願っていたんだ、
こんなことで苦しんでいたんだ、
こんなことを喜んでいたんだ、
・・・というように
自分自身のことを、
初めて理解できるのです。
それを、
あるクライアントさんは
「自分とやっと出会えました」
と表現されました。
そうです。
私達の多くは、
まだ
「自分と出会っていない」
のです。
自分なのに
自分と出会わないままで
人生を進めているのです。
それって、
変ですよね。
健康な状態とは到底
言えません。
・・・・・・
以上のように、
セルフコーチングは
自分自身と
・分離したり
・一つになったり
を自由自在に織り交ぜながら
自己理解を進めます。
そしてその中で、
自分の
・真本音の意思と
・反応本音の意思を
区別します。
そして
・真本音の意思で動く
度合いを高めていきます。
それをすることで、
私達はより
「本来の自分らしく」
なれますし、
「自分の本当に望む人生」
を生きることが
できるようになるのです。
つづく
心の中に、
未来に向かう不安や
恐怖や、
絶望感がどうしても
出てしまう時、
まずは次の二つの区別を
してみてください。
一つ目の区別。
それは、
「この心は、
私の心だろうか?
それとも
誰か他の人からもらった
心だろうか?」
の区別です。
だいぶ以前にこのブログで
「エンティティ」について
書かせていただきました。
エンティティとは、
ストレスの濃度がある一定の
水準を越え、
ストレスが物質化(に近い状態)
したもの。
日本語では
「生き霊」
と訳される怖そうなものですが、
しかしエンティティは
誰もが多かれ少なかれ
常に持っています。
エンティティがゼロの人は
私はこれまで
一人もお会いしたことは
ありません。
ですので、
それほど怖いものでは
ありませんが、
このエンティティ、
まるで風邪のウィルスのように
人から人へ
伝染します。
未来に対する不安や
恐怖や絶望感が
なぜ起こるのかがよく
わからない時は、
恐らく、複数人の人から
そういったエンティティを
受け取ってしまっています。
みんなの不安を
少しずつ合わせて
受け取ってしまい、
大きな恐怖や絶望感として
感じてしまっているのです。
自分の心ではないのに、
不安や恐怖があるのは
なんか、イヤですよね。
この場合は、
不安や恐怖が
体のどの辺りに憑いて
しまっているかを
特定してください。
時には、
体全体を
エンティティが覆って
しまっているかも
しれません。
場所を特定したら、
そこに意識を向けて
ください。
するとそこに
何かが観えたり、
存在を感じたりすると
思います。
そしてそこに、
あなたの
「愛のパワー」を
送ってください。
エンティティを
「よしよし」と
子供をあやすようにし、
「私の愛だよ」
とエンティティに向かって
エネルギーを照射するような
イメージをすればよいです。
するとそのエンティティは
浄化されます。
逆に言えば、
このやり方で浄化されるならば、
それはエンティティだった
ということになります。
・・・・・・
さて、
二つめの区別です。
もしその不安や恐怖が
エンティティではなく、
自分自身が発生させて
いるものならば、
(つまり、上記の方法で
浄化できないならば)
その不安や恐怖は、
①単なる反応本音か?
それとも、
②真本音と結びついた
反応本音か?
の区別をしましょう。
これのやり方は
簡単です。
まずは自分の真本音の場所
を特定します。
つまり、
お腹の奥の体の中心と
頭のてっぺんの中心を
結び、中心軸をイメージ
します。
そしてその中心軸の上の
どこかに
「ここが私の中心核だな」
と思える場所を
特定します。
それが、
真本音の場所です。
この特定がすぐにでき、
しかも真本音の存在を
強く感じるのであれば、
②である可能性が高い
です。
つまりは、
その不安や恐怖は
自分が真本音でわざと
自分にもたらしているもの
ということです。
その場合は、
この不安や恐怖そのものに
とても大切な意味が
ありますので、
そのままにします。
ちょっと辛いですが、
不安と恐怖を感じるままで
過ごしていきます。
すると必ずどこかで
大事な気づきやひらめきや
成長へのヒントを
得られるでしょう。
さて、そして、
真本音の存在を感じられない
場合は、
それは①です。
つまり、
単なる反応本音です。
あなた自身が
反応本音として
発生させている不安や恐怖
です。
この場合は普通に、
「自分は何に恐怖しているか?」
を自分に問いかけて
ください。
普通に頭で考えれば
よいですが、
もしどうしても答えが
わからない場合は、
エンティティの時と同じように
その反応本音の場所を
特定して、
その場所に
「何が不安なの?」
と問いかけてください。
そして答えが返ってくるまで
待ちます。
ただし、
①の場合はほとんど、
不安の原因は
あなた自身がよくわかって
いるはずです。
しっかりと考えれば。
原因がわかったら、
無理に反応本音を
無くそうとせず、
普通に、
「どうすればその不安を
取ることができるだろうか?」
を考えてください。
その発想ができない場合は、
自分の真本音に
問いかけてみてください。
不安や恐怖が
単なる反応本音の場合は、
自分の行動で持って
(つまりは現実への働きかけにより)
不安を取るのが一番です。
そこを逃げずに
立ち向かっていけば、
自然にあなたの
真本音が発動します。
反応本音から
逃げれば、
その反応本音は
エンティティ化し、
さらに不安や恐怖は
大きくなります。
反応本音と向き合い
理解できれば、
あとは行動です。
・・・・・・
以上をまとめますと、
不安や恐怖や絶望感は、
・エンティティ
・自分の反応本音
・自分の真本音がもたらしているもの
の3つに分かれます。
それらをきちんと区別することが
次の一歩の
大きな指針となります。
以上は
セルフコーチングの基本
です。
ご参考までに。
つづく
私達の心の中には
よ〜く丁寧に意識を向けると、
実に様々な
心の声が存在しています。
たった一つの
事象でも、
それを見た瞬間から
様々な心の声が
発生します。
人にもよりますが、
最低10個の
心の声は
発生するはずです。
10個、
つまりは10種類。
それぞれの心の声は
それぞれ別人格の
自分から
発せられます。
私達の心の中には
いくつもの
人格が存在して
いるのです。
多重人格というのは、
ある特定の人を
指したり、
精神的な疾患を
表したりするものでは
ありません。
私達は誰もが
多重人格者。
たくさんの自分が
心の中に
住んでいます。
心とは
チームのようなもの。
「私の心」
というチームです。
そして、
チーム員のすべてが
一つの事象に対して
それぞれの心の声を
発します。
ですから心の中では常に
10人以上の発する
心の声が、
渦巻き
反響しています。
それが私達の
普通の状態です。
・・・・・・
ところが、
その10人以上の自分の
心の声を
きちんとすべて
把握している人は
ほとんどいないでしょう。
多くの人が、
10人の内の一人か、
二人か、
多くて3人か、
それくらいの心の声
しか聴いていません。
10人中、
3人くらいまでしか
自分の声を
聴いていないのです。
もうその時点で
私達の自己理解は
不足しています。
そして、
自分という人間への
誤解が始まります。
10人中3人は
理解してもらえる。
しかし、
残りの7人は
理解してもらえない。
理解してもらえない
人達の心は
どうなるでしょうか?
もちろん、
それは一般的な
人間関係と同じです。
それは
「不信」
となります。
つまり信頼関係が
崩れます。
要するに
「自己不信」
というやつですね。
どうでしょうか、
私の現場感覚で言えば、
9割以上の人が
「自己不信感」
を持っています。
もちろん人によって
程度の差はありますが。
自分で自分を
本当に信頼している人
には
滅多なことでは
お目にかかれません。
ちょっと怖い言い方を
すれば、
今のこの世の中は
自己不信者の集まり
です。
自己不信の人が
他者を信頼することは
当然ながらできませんね。
人との信頼関係を
構築しようとするならば、
まずは、
自分自身との
信頼関係が必須です。
そこを誤魔化しながら
人と向き合っても、
それはやはり、
誤魔化しの関係しか
生みません。
かなり極端な言い方を
していますが、
決して大袈裟では
ありません。
私がどの企業様の
サポートに入るにしても、
必ず、
自分自身と向き合うこと、
つまりは
各々のセルフコーチング力を
高めるところから
スタートするのは
このためです。
・・・・・・
セルフコーチングの
最初のステップは、
この、
自分の中にいる
10人以上の自分を
知ることです。
ところが、
これが怖い。
これまで見たことのない
自分を見るのを
人は極度に恐れます。
ですから私は
皆さんに
「真本音」の存在を
お伝えします。
自らの「真本音」の
感覚を得ていただきます。
すると、
「真本音」は
非常に安定していますから
私達はその安定感によって
安心します。
そしてようやく、
10人の自分と向き合える
ようになります。
10人の自分。
つまり、それらはすべて
「反応本音」
です。
自分の中にある
たくさんの人格、
「反応本音」。
そして、その中心に
位置する
「真本音」。
この二つの存在と
二つの区別を
つけることで、
私達の自己理解は
一気に進み、
自己不信は
一気に取り払われます。
これが
自分を大切にする
ということの
第一歩であると
私は強く思います。
つづく
私達の人生には
「今」
しかできないことが
あります。
そして、
「今」
してはならないことも
あります。
今は、
何をするための
この瞬間なのだろうか?
この、極めて重要な問いを
自分に投げながら
生きることが大切ですが、
それをし続けるのも
疲れますね。
そんなことを考えるよりも
もっと
「自由」
に今を生きたい、
と考える人が
ほとんどではないでしょうか?
今の意味を
大切にしたい。
でも、
今を自由に生きたい。
この二つの想いは
相反するもの
でしょうか?
いえ、
違いますよね。
今の意味を
大切にすることと、
今を自由に
生きることとは、
本質は
同じです。
「一つ」
のことです。
なぜなら
この二つを同時に
大切にすることこそが、
「真本音で生きる」
ということですから。
・・・・・・
「真本音で生きる」
とは、
・今ここでしかできないこと
をして、
・今ここではしてはならないこと
をしない
ことです。
しかしそれを
頭で考えながら判断するのでは
ありません。
今を生きるとは
瞬間瞬間を生きることです。
0.1秒、0,01秒、0.001秒・・・
の瞬間瞬間です。
そのスピード感に
臨機応変に対応できるようには
私達の頭(顕在意識)は
できていません。
むしろ
頭で判断しようとすると
「今」を逸します。
頭と心は
「自由」にすることが
重要です。
頭と心が
「自由」になるからこそ、
私達の真本音は
発動します。
すると、
「今、これをしよう」
「今、これはやめよう」
という直観が
自然に湧き続ける状態と
なります。
その「直観」こそが
真本音の意思であり、
私達自身が
本当に望んでいる
今この瞬間の選択です。
セルフコーチングとは、
その状態を創り出す
ためのものです。
・・・・・・
セルフコーチングと
言いますと、
これまでも書かせて
いただきました通り、
自己対話
であったり、
自分に
「問うて、待つ」
であったり、
いったん止まって、
ゆっくりと自分と向き合い、
自分との
会話をする
というイメージが強いと
思います。
もちろんそれも
重要ですが、
それはあくまでも
セルフコーチングの一部であり、
一つのステップに
過ぎません。
本当の自己対話とは
今を生きている
この瞬間、この瞬間
にこそ必要なものです。
いったん止まらなければ
自己対話できない
ということでは、
セルフコーチングの意味は
ありません。
頭で意図的に
自己対話しなくとも、
常に
真本音の自分自身と
対話し続けている状態を
創る。
それが
セルフコーチング力を高める
最初の目標です。
そのためにはやはり、
訓練や練習が
必要です。
しかしその訓練や練習は
とても楽しいものです。
その楽しさと、
セルフコーチング力が
高まっていく悦びを、
私は多くの皆様に
ご体験いただきたいなと
思っています。
・・・・・・
セルフコーチング体験とは
自分探検そのもの。
そして自分探検とは、
心の中の探検をする
だけではなく、
現実世界における
自分探検こそが
重要です。
自分の心と向き合ったら、
こんな発想があった。
その発想を
行動に移したら、
こんな風に現実が変わった。
すると私自身が
こんな風に変化した。
すると皆が
変化し始めた。
また、現実が変わった。
また、私の発想が
変わった。
行動が変わった。
皆が変わった。
現実が変わった。
いったい、私は
どこまで
行ってしまうのだろう?
・・・と、
まるで冒険の旅に
出るかのような
現実体験こそが、
セルフコーチング体験です。
そのためのサポートが
私の役目。
今後、私もますます
加速します。
つづく
私にだって
「迷い」はしょっちゅう
あります。
というよりも、
24時間、
迷い続けていると
言ってもよいでしょう。
しかし、
迷っているその心は
「反応本音」
です。
私は、それをよく
知っています。
ですから、
迷っている心は
そのままに
放っておきます。
Aか?Bか?
と迷った時に
どうしてもそのどちらかの
答えがほしくなりますが、
そこで、
答えは出しません。
迷いの心は
迷いの心
だからです。
迷いの心は
迷うために
そこに存在しているから
です。
迷いの心は
迷うという
その行為だけで
その存在意義を
果たしているからです。
迷いの心に、
「決めさせて」は
いけません。
迷っているだけで
完了。
それ以上の
役割は
ありません。
「迷ってくれて
ありがとう」
それだけです。
・・・・・・
その一方で、
「決める心」
もあります。
いえ、
正確に言えば、
「すでに決めている心」
です。
いえ、
もっと正確に言えば、
「すでに最初から
決めている魂」
と言った方が良いかな。
心は
迷えばいい。
そして、
魂で
決める。
のです。
魂の意志を
「真本音」
と言います。
基本的に、
魂に「迷い」は
ありません。
本当のことを言えば、
魂にも「迷い」は
あるのですが、
ちょっとこれはまた
次元の違う話ですので、
話がややこしくなるので
ここではあえて
短絡的に表現します。
魂に「迷い」は
ありません。
魂には
「願い」や「祈り」が
あります。
願いの一点。
祈りの一点。
原点。
それが魂です。
真本音の願いとは
魂の願いであり、
それは人生の願い
です。
それは
一生、揺らぐことは
ありません。
そしてその一点から
現実世界における
あらゆる場面においての
「答え」を
持っています。
その「答え」と
出会うことで
私達は
「確信」
を得ます。
確信とは
100%の意志であり
選択です。
どれだけ
反応本音が迷っていても、
その一方で
真本音の確信は
在り続けます。
反応本音で
迷ったら、
反応本音で無理に
答えを出すのではなく、
すでに存在している
真本音の答え、
確信の答えを
自分の中から
導き出せば
よいのです。
それをするのが、
セルフコーチング
ということですね。
つづく
私達が人生において、
意図的にできないことは
数多くありますが、
その代表的なものの一つは、
「出会い」
ですね。
これだけはどうしても
意図や思惑では
実現できません。
そして、
意図的にできない
もう一つ代表的なものが、
「他者からの一言」
です。
しかし、
私達の人生において
非常に重要な転機の
きっかけとなるのが、
この
「出会い」
と
「他者からの一言」
ではないでしょうか。
あの人のあの一言が
なければ、
今の自分はない。
あの一言がなければ、
自分の人生は
まったく違った展開を
していただろう。
・・・そういったことが
誰にでもあるのでは
ないでしょうか。
もし仮に、
意図的にそれらを
得ることができたとしたら、
逆に
人生を変えるほどの
インパクトは
ないはずです。
私達の人生は、
意図を超えたところで
展開していきます。
その事実を
謙虚に受け止める
必要があるのでは
ないでしょうか。
・・・・・・
とは言え、
その「出会い」も
その「他者からの一言」も
偶然の産物では
ありません。
すべてが必然
です。
すべてが必然ですが、
その必然を
意図的に起こすことが
不可能だと言うことですね。
では私達はいったい
何を
意図すれば
よいのでしょうか?
実は、
その問いに対する
とてもシンプルな
答えを
私は持っています。
「私は」というよりも、
それが自然の摂理だと
思うのですけどね。
その答えは
簡単です。
「真本音に素直に
生きること」
これ以上でも
これ以下でも
ありません。
自らの真本音に
一歩一歩
素直に生きている人には
必然的なことが
本当に必然的に
起こります。
必要な「出会い」が
必要なタイミングで
起こります。
不必要なことは
起こりません。
そして、
必要な「他者からの一言」が
必要な瞬間に
プレゼントされます。
それはまさしく
プレゼントです。
そのプレゼントが
あった直後に、
そのプレゼントが
もしなければ
到底くぐり抜けられないような
出来事に放り込まれた、
あぁあの一言があって
本当によかった!
ということが、
皆さんにもあるはずです。
それが
日常茶飯事のように
普通に日々
起こるようになるのが、
真本音で生きている人の
ありがたい現実です。
ですから、
感謝ばかりが
湧き起こります。
感謝とは
無理に意図的に
するものでは
ありませんね。
本来は。
自然に
泣けてくるくらいの
勢いで
心の底から
湧き上がるのが
感謝の想いです。
誰かに対する
本気の感謝の想いは
自分自身を
本当に幸せに
してくれます。
感謝しなければ!
ではないですね、
本当は。
感謝は
自然に湧くものです。
・・・・・・
真本音で
生きましょう。
迷ったら、
自らの真本音に素直に
行けばよいのです。
それ以外の
「最善」は
ありません。
そしてそれができる
ためには、
自らの真本音と
きちんと向き合い、
語り合えることが
必須です。
それが
セルフコーチング
です。
本当は、
「セルフコーチング」
などという
なんか特別な感じのする
手法など
必要ないんですけどね。
人が人として
普通に健全に
生きることができれば
自らの真本音の意思は
必ずキャッチできる
ものですけどね。
でも、
残念ながら
それがなかなかできない
今の社会です。
多くの人達が、
自分自身の真本音の
意思を知らないままに
もがいています。
普通に生きましょう、
と言っても、
普通じゃない生き方を
してしまいます。
ですからあえて
「セルフコーチング」
などと、言わなければ
なりません。
コーチも
セルフコーチングも
必要ない世の中になれば
いいなぁと
思います。
でもそうなるためにも
コーチや
セルフコーチングが
必要ですね。
・・・・・・
来月か、再来月に
新しい
セルフコーチング系の
公開講座を
始めようと思っています。
ただ、
講座というと、
どうしても受講料も
かかりますし、
時間をとって
わざわざ出かけなければ
なりません。
もちろんそれが
ベストだとは思いますが、
「講座に来なければ
何もわからない」
という状態はどうかな?
と最近、
思い始めました。
そこで、
まずは動画を配信しようと
思っています。
それをご覧いただいても
特にお金はかかりません。
動画をご覧いただき、
自分なりに
セルフコーチングを
していただき、
それでも
「もっとしっかりと学びたい」
と思った人のみが
講座に来れるような、
そんな仕組みにしようと
思っています。
そういったやり方を
しないと、
なかなか「真本音」は
広まらないな、
と思っています。
多くの人が
どんどん
「真本音」の存在を知り、
どんどん
自分自身と向き合い、
自らの
本当に望む人生に
舵をとってほしいな
と、
心より願っています。
つづく
どんなに混沌とした
現実の中でも、
次の一歩
次の一歩
を一つずつ、
真本音で踏み出し続ければ、
必ず道は
開かれて行きます。
そしていつの間にか、
あれだけ混沌と混乱を
感じていた物事が
実は極めてシンプルな
原因の反映だったことが
わかるようになります。
シンプルな原因とは
これまた逆に
シンプルが故に
解決の難易度が
高く感じられますが、
しかし毅然とその原因に
向き合い続けることが
また大切です。
毅然と向き合い、
そして
次の一歩を
真本音で決める。
その連続で
道は開かれて
行きます。
そして気がつけば、
あれ?
何が問題だったっけ?
と、
知らぬ間にその問題を
くぐり抜け、
いつの間にか次の課題に
取り組んでいた
ということも少なくありません。
複雑な問題を
より複雑にさせてしまうのは、
目の前に現実に
揺らされてしまった
反応としての
次の一歩です。
要するに、
反応本音による
一歩です。
それは次の新たな
反応を呼び起こします。
反応に反応し、
また次の反応を起こし、
また反応する。
反応のループ。
それにどっぷりと
浸かってしまうと、
いつまで経っても
出てこれません。
下手をすると、
そのループの中に
いるままで、
人生を終えてしまうことも
あります。
反応のループから
抜け出ること。
抜け出るには
抜け道をしっかり
見つける必要はなく、
反応に踊らされない
毅然とした一歩を
踏み出すこと。
次の一歩が
わかればよいのです。
それが
真本音の一歩であり、
それを続ければ、
だんだんと
遠くを見通せるように
なります。
そのためには、
自らの真本音の意思を
自らが
理解できること。
自覚できること。
それが
セルフコーチングの
重要な目的の
一つです。
・・・・・・
では、
『セルフコーチングを使った
良い後悔の仕方』
の続きをいきましょう。
後悔の念としっかり
向き合った上で、
今度は
真本音との対話に
入りました。
真本音の場所を特定し、
その声を聴くという
ところです。
(→【あなたの中心核はどこだろう?】)
「ここまでの
私と、私の後悔の念との
対話を聴いていて、
どんなことを思った?」
そんな問いを
真本音に投げ、
その答えが返ってきたら、
次の問いを投げます。
それは、
「君が願っていることは
何だろう?」
です。
「君」というのはもちろん、
真本音のことです。
真本音とは
自分自身ですが、
やはりここでも
まるで他人のように
会話をするのがポイントです。
ここで言う
「願っていること」というのは、
後悔したその出来事について
願っていること、
という意味です。
例えば、
Aさんとのやりとりで
後悔するような一言を言い、
Aさんとの関係が
崩れてしまった、
とします。
その後悔の出来事について、
自分の真本音は
何を願っているか?
ということです。
例えば、
「Aさんとの関係を
何としてでも改善したい」
とか、
「Aさんとの関係が改善するか
どうかは別として、
あの一言については
きちんと謝罪したい」
とか。
そういった、
今後の自分の行動に関する
方向性や
具体的な行動が
答えとして返ってくることが
多いと思います。
それは、
本当に会話をしているかの
ように、
「声」として返ってくることも
ありますし、
答えが自然に心の中心核から
浮上してくることも
あります。
私の場合、
時と場合で両方あるのですが、
答えが浮上してくる時の感覚は
何とも言えない
いい感覚です。
その感覚を表現すれば、
一番近い言葉は
「思い出す」
でしょうか。
まるで忘れていたことを
思い出すかのような感覚で
答えが浮かび上がってきます。
あぁそうか、
確かにそうだった、と
合点がいくかのような
感覚で、
その答えに一切の
迷いはありません。
それを私は
「直観」
とも呼んでいます。
直観とは要するに
真本音からの答え
なのです。
しかし慣れないうちは、
すぐに真本音の答えを
キャッチできないかも
しれません。
その場合は、
何度も問いを自分に投げ、
答えを待つ、
ということが基本ですが、
もう一つお勧めの方法を
お伝えします。
それは、
あえてもっと根本的な問いを
真本音に投げてみる、
ということです。
先程の
「君が願っていることは
何だろう?」
という問いは、
後悔した出来事に関する
願いを訊いていました。
しかしもっと
根本的な問いに
変えてみるのです。
例えば、
「君が人生において
いつも願っていることは
何だろう?」
などのように。
根本的な問いにする方が
答えは難しそうな印象ですが、
根本的な問いは
答えが抽象的になりやすく、
真本音の場合は
そういった抽象的な答えを
掘り起こす方が
難易度が低くなるのです。
根本的な問いを投げ、
たった一つのキーワードで
よいですから
キャッチしようとします。
「君が人生において
いつも願っていることは
何だろう?」
すると例えば、
「楽しさ」
というような
キーワードが浮かんだり
します。
すると、それを使い、
「では今回も、
楽しさを大事にすると、
君は、今回の出来事について
何を願う?」
というように問います。
すると
「楽しさ」という言葉が
アンテナの役割を果たし、
真本音からの答えを
キャッチしやすくなるのです。
この特性を活かし、
私は初めて真本音と対話を
する人については、
「真本音の人生理念出し」
というセッションを
行ないます。
「自分はどんな時も
どんな生き方を大事に
したいか?」
を真本音に問い、
キーワード化します。
それを「人生理念」と
呼ぶのですが、
この人生理念をアンテナにして
常に真本音と
対話をしてもらうように
するのです。
真本音との対話で
気をつけていただきたいのは、
真本音と対話をしているつもりで、
実は単に頭の中で
解釈を繰り返しているだけ、
という人がいます。
頭の中の思考や解釈と
真本音との対話は
根本的に異なる行為です。
この区別がつくように
なることが、
セルフコーチング力を高める
最初の関門です。
つづく
後悔の念が生まれたら、
まずはその後悔の念と
しっかり向き合うこと。
それにより、
後悔の念をしっかりと
理解すること。
これが、
「後悔」を「未来」につなげて
いくための必須のことです。
後悔から逃げてしまうと
せっかくの「未来」が
開けなくなります。
後悔とは、
チャンスです。
(→前回記事)
後悔の念を
しっかり理解することで、
その「念」は
それだけで随分と
浄化されて軽くなります。
その状態になれたら
次に私達がすべきは、
自分自身の
「真本音との対話」
です。
言ってみれば、
ここまでは
自分の中に湧き上がった
「反応本音との対話」
をしてきたわけです。
反応本音をしっかりと
理解したら、
次に行なうのが
「真本音との対話」
なのです。
これも、
単に「思考する」とか
「発想する」というのとは
異なる行為をします。
自分自身の真本音と
まるで他人のように
向き合い、
真本音からの声を
キャッチするのです。
・・・・・・
まずは、
真本音の場所を
特定する必要があります。
私のセミナーや研修や
コーチングを
受けていただいた方は
その場所がすでに
ある程度わかると思います。
まだ受けていただいて
いない方の場合は、
次のことをするとよいでしょう。
まずは
自分の体の中心軸を
感じます。
「中心軸」というのは、
おへその奥の体の中心と
頭のてっぺんの中心を
結んだ線です。
その「中心軸」を
まずはしっかりと
感じ取ってください。
人によっては
それだけでもう
真本音発想の始まる
ケースもあります。
「中心軸」を意識する
だけで、
シャンとした
「本来の自分」に
戻れる感覚が
あるかもしれません。
もしここで、
「中心軸」を感じ取ること
自体が難しい場合は、
まだまだ「後悔の念」との
対話が不足している
ということです。
その場合は、
今一度、「後悔の念」を
理解しようとするための
対話を続けてください。
反応本音をある程度
浄化することができて
初めて、
私達は自らの真本音を
感じ取る感性を
取り戻せるのです。
さて。
「中心軸」を
感じ取ることができたら、
次に、
その中心軸上のどこかに
自分の
「中心核」
となる場所があります。
「中心核」とは、
「ここが自分の中心だ」
と思える場所のことです。
中心軸上のどこか
にあるはずです。
その場所を
特定してください。
なかなかわからない場合は
「ここに私の中心核が
あってほしいな」
と思うところで結構です。
・・・・・・
「中心核」の場所が
わかりましたか?
そこが、
あなたの真本音の
場所です。
ここが特定できましたら、
今度はその
真本音の場所に
意識を向けます。
すると、そこに
何かが観えてくると
思います。
もしくは、
人によっては何かを
感じるだけ、
というケースもあります。
できれば、
「何か」がしっかりと
観えるまで
意識を集中していただけると
よいですね。
例えば、
そこに意識を向けると、
「とてもまばゆい光
があります。
それは緑色に輝いて
います」
とか、
「大樹の根っこのような
ガッシリとしたものが
あります」
とか、
「すごく柔和な笑顔
が浮かんでいます」
とか。
人によって様々な
ものが観えます。
ここで大切なのは、
それは
無理にイメージした
ものではない
ということです。
自然に浮かぶものが
よいです。
自然に浮かぶものは
「実在」
です。
単なるイメージとは
「幻影」
です。
「実在」と「幻影」は
本質的に異なるものです。
「幻影」は単なる
イメージですので、
次々に変化します。
儚く消えたりします。
「実在」とは
そこに本当に実在する
ものであり、
この現実世界における
「現象」を生み出す
大本のようなものですから、
そこに意識を向ければ、
いつでもそれがそこに
在ります。
それは
絶対的な存在感
です。
その「実在」を
特定できたら、
いよいよ真本音との
対話です。
・・・・・・
まずは、
その「実在」である真本音に
次のように問いかけます。
「ここまでの
私と、私の後悔の念との
対話を聴いていて、
どんなことを思った?」
と。
そう問いかけたら、
「答え」を
待ってください。
その「答え」は
まるで本当に会話を
しているかのように、
言葉として
返ってくると思います。
もしくは、
そうでない場合は、
自然に意識の塊のような
ものが、
浮かんでくるかも
しれません。
いずれにしても、
「答え」を
待っていてください。
もし何も返ってこない
場合は、
返ってくるまで
待ちます。
今はまだ全然、
返ってくる気配がないなぁ、
と思ったら、
問いだけをそこに残して
セルフコーチングそのものを
中断します。
そして、思い出した瞬間に
何度かその問いを
自分の真本音に投げてください。
それを続けていると、
ある瞬間にふと、
「答え」が浮上してくる
ことがあります。
そうなるまで、
何日もかかるかも
しれません。
しかしそれは単に
慣れていない
というだけのことです。
慣れるまでは
時間がかかるかも
しれませんが、
原則は同じです。
つまり、
「問うて、待つ」
のです。
つづく
人はなぜ
後悔するのでしょうか?
後悔にも
様々なものがあります。
次元の低い後悔も
あれば、
次元の高い後悔も
あります。
次元が低いからダメ
という話では
ありません。
高くても低くても
後悔ときちんと
向き合いながら進むことは、
間違いなく私達に
進化をもたらします。
ただ・・・。
一つ、しっかりと
お伝えしなければ
ならないことがあります。
それは、
後悔には
「真本音の後悔」
もある、という
ことです。
・・・・・・
「真本音の後悔」
とは、
正確に表現すれば、
「真本音が
もたらしている後悔」
と言えば
よいでしょうか。
どういうことかと
言いますと、
一言で言えば、
「後悔のその奥に
願いあり」
ということです。
つまり、
真本音レベルの非常に
強い願いがあり、
その願いに気づくための
後悔の経験であった、
と。
その後悔が
あったからこそ、
自らの真本音の願いに
気づくことが
できた、
と。
願いに気づくための
重要な経験としての
後悔。
ということです。
しかも、
そういったもので
あればあるほど、
後悔の念は
深く、強く
なります。
ある意味、
立ち直れなくなるくらいの
魂が慟哭するかのような
後悔。
それが、
真本音のもたらす
後悔です。
ところが、
そういった強い後悔からは
どうしても私達は
逃げたくなります。
その後悔と
向き合うことは
非常に辛いことです。
そこでその後悔から
逃げ続ける一生を
続ける人も多いです。
でもそれは、
自らの真本音の願い
に気づくチャンスを
逸していることになります。
何のために
自分の人生が
あるのか?
自分は
何に向かって
生きていけばよいのか?
その大事な大事な
答え、
人としての
幸せをもたらしてくれる
答えに
気づくチャンスを
逸していることになります。
・・・・・・
では。
後悔との向き合い方。
後悔についての
セルフコーチング法の続き
をいきましょう。
(→【後悔する自分を責めてはならない】)
後悔の出来事の中でも
自分が特に
どのポイントにおいて
深く後悔しているか?
を特定するところまで
きました。
それが特定できたら、
次にまた
とても大事な質問を
「後悔の念」に対して
投げます。
それは、
「君は私に
何を伝えたいの?」
もしくは、
「君は私に
何をわかってもらいたいの?」
という問いです。
これも、
自分自身の「後悔の念」を
理解しようとする
質問です。
理解しようとすることで
自分自身との
信頼関係を深めていきます。
この問いに対しての
答えとは、
多くの場合
反応本音レベルのもの
です。
例えば、
「もう俺は嫌なんだよ。
逃げたいんだよ!」
とか、
「俺がこんなに苦しんで
いることを
知ってもらいたいんだよ!」
とか、
「俺はもう、
あいつとは一緒に
やっていけないんだよ!」
とか。
そしてここから先は、
まるでカウンセラーになった
気持ちで、
自分の後悔の念と
向かい合ってください。
「それは
どういうことなの?」
「もう少し
詳しく教えてくれる?」
「どんな理由から
そう思うの?」
「そう言いながらも、
本当は私に
何を伝えたいの?」
「本当に、一番
解消してもらいたい
苦しみは何?」
「私に直してもらいたい
ことはある?」
「私にしてもらいたい
ことはある?」
「君はどうすれば、
もっと楽になれる?」
「君は本当は
何を望んでいるのだろう?」
「君は何のために、
私の両肩に乗っかっている
と思う?」
「君の切実な
願いとは何だろう?」
・・・などなど。
すべてが
「理解しよう」
とするための質問
です。
大切なのは、
返ってくる答えに対して
いっさいの
評価・判断をしないこと。
つまりそれは
否定をしないことは
もちろんですが、
肯定もしないこと
です。
否定も
肯定も
なし。
「知ろう」と
するだけです。
「あなたのことを
もっとよく知りたいんだ」
という意志を
その後悔の念に
向けていきます。
「愛」
という言葉がありますが、
愛のファーストステップは
「理解しよう」
という意志です。
私は、「愛」というのは
「エネルギー」だと
思っていますが、
「理解しよう」という
意識を向けることで、
そのエネルギーは
発生し、相手に
伝わります。
これは、
他者との人間関係でも
まったく同じですね。
・・・・・・
「理解しよう」という
愛のエネルギーを
受けることで、
後悔の念はさらに
浄化されるでしょう。
ポイントは、
その「後悔の念」が
最も伝えようとしていること、
わかってもらいたいと
思っていることを
ピンポイントで
特定・理解することです。
そこが特定できれば、
後悔の念は
ほぼほぼ浄化されます。
両肩がかなり
軽くなるのを
感じるでしょう。
そうなったところで
初めて、
いよいよ
「真本音」の
登場です。
つづく