リーダー

チーム私を率いるのは

 

顕在意識の個性が

そのまま

真本音の個性とは

限らない。

 

例えば、

 

真本音レベルの

その人のもともとの

個性が

非常に冒険的で

猪突猛進型だったと

すると、

 

あえてその人の

真本音は

顕在意識レベルでは

 

臆病なくらいに

慎重で柔和な自分を

常に

「選ぶ」という

傾向がある。

 

よくある話だ。

 

今、「選ぶ」と

書いたが、

本当にそうだ。

 

いろいろある自分の

個性の中から

今はどれを表出させるか?

真本音が選んでいる。

 

猪突猛進の真本音

臆病な顕在意識

による

バランスを取っているのだ。

 

これにより

「最善の一歩」を

踏み出し続ける。

 

あくまでこれは

一例に過ぎないが、

真本音と顕在意識が

「真逆」をいく

人は多い。

 

だから、

 

顕在意識レベルでの

個性を

その人のすべてだと

思うことは

非常に浅はかだ。

 

元来、

 

私達の心の中には

たくさんの種類の

反応本音がある。

 

たくさんの個性が

共存しているのが

「私」という人間だ。

 

言ってみれば

会社で言えば

それらはたくさんの個性の

社員さん達のようなもの。

 

真本音とは

「私」という人間の

創業者に当たる。

 

創業者である社長が

「この仕事は

誰に任せようかな」

とか

「このプロジェクトは

誰と誰に組ませようかな」

とか。

 

そういった

人員配置と活用の仕方を

決めている。

 

心とは

チームと同じだ。

組織と同じだ。

 

「チーム私」を

まとめ上げるのが

真本音だ。

 

だからこそ、

真本音度合いを

高めなければならない。

 

真本音度合いが低い

ということは

リーダー不在の状態と

同じだ。

 

反応本音の各人が

それぞれ勝手なことを

考えて、

お互いに足の引っ張り合い

すらしてしまう。

 

それを束ね、

一つの方向に導くのが

真本音という存在

であり、

 

そういった人が増える

ことで、

現実世界にもまた

良いリーダーが

増えていく。

 

真本音度合いの高い

心の状態を

各自が創り上げることで、

 

組織も社会も

真本音度合いが

高まっていく。

 

「私」というチームを

その人本人が

ちゃんと導いていく。

 

そのためのサポートが

今の世の中には

本当に必要だ。

 

つづく

 

本質的なリーダーになろう

 

自分の中に

これまであったはずの

「輝き」

どこかへ行ってしまった。

 

自分の中が

空っぽに

なってしまった。

 

・・・と、

もし感じていたら、

 

今のこの時期の

それは

 

とても良い兆候だ。

 

それは

空っぽに見えて

実は

空っぽではない。

 

すべてが

満ちている状態

だ。

 

「輝き」が

なくなったのでもない。

 

あなたのすべてが

「輝き」そのものに

なったのだ。

 

これまで

輝いていた、と

認識していたものが

輝きとして見れなくなったのは、

 

その輝きが

「当たり前」と

なったからだ。

 

つまりは、

これまで「凄い」と

思っていた状態が

「当たり前」と

なった、ということ。

 

ということは、

あなたの中にもうすぐ

次の「輝き」が

現れるはずだ。

 

次のステージ

だ。

 

・・・・・・

 

実は、

「無」というものは

ない。

 

「無」とは

我々人間が創り出した

概念でしかない。

 

しかしその概念を

私達は

極度に恐れる。

 

恐れ過ぎだ。

 

本当は「無」など

大したことは

ないんだ。

 

だから、

「無」を恐れ、

その恐れに基づいた

判断や選択をするのは

もうやめよう。

 

せっかくの

次のステージに向かう

チャンスを

逸してしまうから。

 

・・・・・・

 

実は

進んでいるように

思えていても、

同じところにずっと

いる人は多い。

 

本当に進む

とはこういうことだ、

という見本を

見せる人が

今はとても必要だ。

 

表面的な

現象のレベルで

世の中を引っ張っている人は

とても多いが、

 

本質的な

実在のレベルで

世の中を引っ張ってくれる

人は

残念ながらまだまだ

少ない。

 

だから世の中は

迷ってばかりだ。

 

もう迷いの時代は

終わったのだから、

 

私はあなたに

本質的なリーダーに

なってほしいな。

 

つづく

 

抑える? 解放する?

 

人は

面白いなぁ、

やっぱり。

 

特に

リーダーを

やっている人は

面白い。

 

「もっと

リーダーとしての

自覚を持ちなさい」

 

お伝えしなければ

ならない人も

いれば、

 

「リーダーであることを

いったん

忘れてください」

 

アドバイスし、

本当に忘れて

自由奔放にやったら、

 

途端に

良いリーダーに

なる人もいる。

 

それは、

その人の個性に

よるもの

というよりも、

 

その人の

その時の

テーマによって

傾向が変わる、

と言えるかな。

 

自分を抑える

ことで

今の殻を突破する

時期と、

 

自分を解放する

ことで

今の殻を突破する

時期。

 

この二つが

ある。

 

今のあなたは

どちらだろう?

 

つづく

 

人生の本流を見出そう

 

私には

やりたいことが

山のようにある。

 

だからこそ、

一本道を

創っている。

 

たくさんのことに

エネルギーを

分散するよりも、

 

常に

「一点」を

決める。

 

というのを

基本にしている。

 

一点を決めると、

自然に

一本道が

観えてくる。

 

まるで

川の水が

流れるかのような

一本道が。

 

川には

至る所に

岩や障害があり、

 

そこでは

水はせき止められて

いたり、

濁流を生んだり

しているが、

 

そういった箇所には

できるだけ

寄らない。

 

水が最も

スムーズに流れる

「本流」を

見つける。

 

つまりは

最も楽な行き方

を見つける。

 

最も

楽だと思える

道筋で、

最も

集中すべき

ことに

集中する。

 

これを私は

「戦略」

と呼んでいる。

 

「戦いを略す」。

 

要らぬ戦いを

せずして

目的に至る

最善の道だ。

 

・・・・・・

 

人生には

戦略が必要だ。

 

人の成長(進化)

にも

戦略が必要だ。

 

最も楽な

行き方をするから

こそ、

 

最も大事な

課題に

全エネルギーを

集中できる。

 

それにより

「最速」

で進める。

 

もちろん

今の自分に出せる

「最速」

だ。

 

・・・・・・

 

最速で進む

には

「覚悟」が

必要だ。

 

その「覚悟」を

持った人には

私は

「戦略」を

オススメしている。

 

実際に、

覚悟のある人

こそ、

戦略が

生きてくる。

 

覚悟とは

気合いのことでは

ない。

 

いつも言うことだが、

覚悟のある人は

静かだ。

 

スッキリクッキリと

物事が

観えている。

 

そして

淡々と

すべきことを

している。

 

あーだこーだと

できない理由を

並べ立てることは

しないし、

 

力を鼓舞する

こともない。

 

一つを決め、

一つをやる。

 

その連続を

まるで呼吸の

ように

進めていく。

 

その行き方と

戦略が

合致すると、

 

その人は

独特の空気感を

発する人

となる。

 

その人と

一緒にいるだけで

こちらの心は

洗われ、

 

その人と

一緒にいるだけで

こちらの道も

観えてくる。

 

余分な悩みや

迷いは消散し、

自分がなぜ

あんなことで

ウダウダと止まっていたのか、

わからなくなる。

 

心も体も

楽になるが、

背中に一本の軸が

通ったような

爽快さも感じるように

なる。

 

つまり、

その人と一緒に

いるだけで、

周りの誰もが

「自律」し始める。

 

・・・・・・

 

そんな

「リーダー」

を増やすために

私はサポートを

しているし、

 

そんな

「コーチ」

を私は

たくさん育成したい。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

真のリーダーが必要だ

 

将棋の駒で

言えば、

最初は

「歩」

でいい。

 

「歩」は前に

一歩進むことしか

できないが、

しかし

前に一歩進むことは

できるのだ。

 

もし

「歩」なんて

何の役にも立たない、

と思っているのなら、

それは

大きな間違いだ。

 

「歩」で

「王」を詰むことだって

できる。

 

たった一方向に

たったの一歩しか

進めないが、

それを積み重ねれば

どれだけでも

前に進める。

 

たった一方向に

たったの一歩しか

進めないが、

いつどのタイミングで

その一歩を進むか?

によって、

その一歩は未来の

すべてを決定して

しまうくらいに

大きな影響につながる

こともある。

 

もし今、

「歩」の力しか

ないのであれば、

その力を

いかに活かすか?

である。

 

・・・・・・

 

私達は、

「在るものを活かす」

ことしか

できない。

 

であれば、

「在るものを

最大に活かそう」

「最善を尽くそう」

とすることが

生きる意味だと

私は思う。

 

そうすれば、

「在るもの」が

増えていく。

 

「在るもの」の

一つ一つが

進化・深化していく。

 

何をするにしたって

始まりは

弱っちいものだ。

 

人生の始まりが、

赤ん坊の頃の

私達が、

自分では何もできなかった

のと同様だ。

 

・・・・・・

 

「在るもの」

を活かす。

 

そして目の前に

「自分」以外の

「在るもの」があれば、

それも

活かそうとする。

 

お互いに

活かし合おうと

する。

 

それが人生の

醍醐味では

ないか。

 

しかし、

「自分」以外の

「在るもの」があれば、

それと「自分」とを

比べ、

「俺の方が凄いんだ」

と、

潰し合いの戦いをし、

勝った方のみが

生き延びていく。

 

そんな生き方を

してしまう人が

いる。

 

いや、恐らく

人類の歴史の大半は

そうだったかも

しれない。

 

しかしそれは

もったいない話だ。

 

異質なもので

あればあるほど、

「自分」以外の

「在るもの」との

活かし合いは

価値あるものに

なるだろうに。

 

・・・・・・

 

「自分」と

まったく同じ存在は

この世には

いない。

 

私達は

異質な「在るもの」との

活かし合いを

宿命づけられている。

 

いや、

それこそが

「人」の本質であり、

存在意義ではないかと

私は

このお仕事の中で

痛感している。

 

潰し合いの組織か、

活かし合いの組織か、

どちらが

人が元気になるか?

人が幸せになるか?

問うまでもない。

 

どちらを

人が望んでいるか?

問うまでもない。

 

問うまでもないのに、

真逆なことを

やり合っているのが

今の多くの

組織ではないか。

 

もちろん

そういった試練は

必要だし、

経験を通じて

学ぶこともある。

 

しかし

そういったことを

踏まえても、

あまりにも

無意味な潰し合いを

私達は

し過ぎではないか?

 

・・・・・・

 

私は数多くの

「コーチ」を育成したい

と思っているが、

 

なぜそう思うか?

の理由の一つに、

数多くの

「リーダー」

が、世の中に

輩出するとよいと

願っているからだ。

 

ただしその「リーダー」

とは、

潰し合うための

リーダーではないし、

「自分が一番だ」と

自己顕示や虚勢を張る

リーダーでもない。

 

人々と

共に向き合い、

共に新たなものを

創り出していく

リーダーだ。

 

自らの力のみで

進もうとするのではなく、

そこに「在るもの」を

活かし合いながら、

未開の大地を

切り拓いていく

リーダーだ。

 

そういった

「リーダー」の素養を

もつ人は、

特に、若者の中に

多いと

私は感じる。

 

しかし残念ながら

その素養は、

自力だけでは

なかなか伸びない。

 

まずもって、

その素養があること

自体を

本人が気づかない。

 

それが

現状だ。

 

だからこそ

「コーチ」が

必要なのだと私は

思う。

 

これからの時代に

必要な、

真の「リーダー」を

発掘し、サポートする

存在が。

 

つづく

 

誰の中にも偉大なるリーダーがいる

 

自分が揺れることを

止めようとする人は

揺れ続けます。

 

自分は人間なのだから、

揺れるのは

当たり前じゃん。

 

そんな大らかな目で

自分自身を許せる人は

揺れることは

ありません。

 

揺れるのは

反応本音。

 

その反応本音を

あるがままに

受け入れれば、

自然に

真本音が発動

するからです。

 

真本音の大地に

立った自分は

すべての現実を

楽しめます。

 

一生懸命

楽しもうとする

のではありません。

 

普通に

自然に

楽しめます。

 

大揺れに

揺れている

あらゆる心もそのまま

楽しめます。

 

そして、

それらのあらゆる

反応本音達を

真本音は

活用します。

 

それはまるで、

皆から大尊敬されている

経営者が

社員さん達を一つに

まとめ上げ、

共に素晴らしい会社と

素晴らしい現実を

創り上げていくことと

同じです。

 

「私」という心は

チームです。

 

チームには

素晴らしいリーダーが

必要です。

 

真本音とは

「私」というチームの

リーダーたるべき

存在なのです。

 

・・・・・・

 

そのリーダーは

誰の心の中にも

存在します。

 

しかし

そのリーダーに

フタをしたままに

生き続けている人が

多いです。

 

なんという

もったいないこと。

 

「私」というチームが

一つの方向に

統合、融合していける

偉大なるリーダーが

ちゃんと

存在しているのに。

 

そして

そのリーダーに

(ある意味)委ねて

進むことで、

「私」が本当に望む

人生の幸せに

たどり着くことが

できるのに。

 

・・・・・・

 

真本音という

リーダーを

自らの中から

発掘しましょう。

 

それは、

誰もが簡単に

できることです。

 

地道なやり方ですが、

簡単です。

 

それを

できるだけ多くの人達に

発信していきたいと

思っています。

 

そのための

活動を

今月から広げます。

 

つづく

 

慈しみのリーダーを応援したい

「慈しむ」

という言葉に

皆さんはどのような印象を

お持ちですか?

 

先日、ある社長さんとの

出会いがありました。

 

一緒に食事をさせていただいたのですが、

その社長さんは

「慈しむ」という言葉が

そのまま服を着ているような

感覚の人でした。

 

幹部さんや社員さんについての

ご相談をいただいたのですが、

その社長さんの

幹部さんや社員さんのことを

語るそのその空気感。

 

それを感じるにつけ、

あぁこの人は間違いなく

社員さん達と共に

道を拓いていける経営者だな

と確信しました。

 

その社長さんから

ご質問をいただいたのです。

 

「たけうちさんは、

今のお仕事を、どのようなきっかけで

始められたのですか?」

 

こういったご質問をいただくと、

いつもでしたら、海外の放浪から

帰ってきた時のお話を

させていただくのですが、

その日はなぜか

学生時代のある場面が

思い出されたのです。

 

私は大学1年の時から

登山を始めました。

登山と言っても

ただひたすらに山を縦走

するのですが、

いわゆる「体育会系」という部活で

荷物の重さも含めて

なかなか激しいことを

していました。

 

2年生の時、

私は初めてリーダーとして

パーティー(登山チーム)を

率いて長期間、日本アルプスに

入りました。

 

ところがそこで私の

パーティーは

ほぼ、瓦解した状態となります。

 

縦走計画こそ貫徹したものの、

パーティーメンバーの心が

バラバラ状態になったのです。

 

その根本原因は

私のリーダーぶりに

ありました。

 

実は、通常、リーダーとは

3年生の行なう役割です。

ところが、

その年は3年生の人数が少なく、

どうしても2年生からリーダーを

出さないといけないという状態で、

それは前代未聞のことでした。

 

その前代未聞というのが

私の琴線に触れ、

「俺がやってやろう」

となったのです。

 

要するに、

初の2年生リーダーとして

完璧な山行を実現し、

「お前、すごいなぁ」と

言われたかったのです。

 

ところが散々な結果となり、

私は悩みました。

 

その時に人生で初めて、

「人はどうすれば

前向きになれるのか?

チームはどうすれば

一つにまとまるのか?」

という疑問が湧きました。

 

19歳の時です。

 

その時から私は、

複数人で登山をする場合は

リーダーしかやらない、

と決めました。

 

確か大小含めると、

20数回は

学生の内にリーダーをやったと

思います。

部活全体の主将も

させていただきました。

 

で、ずっとずっと

リーダーとはどうあるべきか?

に悩み続けました。

 

その中で、人生を変える場面に

出会ったのです。

 

それは、

リーダーとしての最初の挫折から

ちょうど一年経った時の

夏山の縦走でした。

 

私は確か、

これまで部が始まって以来の

最も長い縦走をしようと

計画を立てたのでした。

 

その計画のちょうど中間地点

辺りで、

非常に難易度の高い行程の日が

ありました。

 

私達の重装備で

そこを乗り越えるのはどうか?

と直前まで迷い続ける

そんな行程だったのですが、

私は強行突破しようと

思いました。

 

ところが、その行程は

想像以上に大変でした。

 

登山の縦走というのは毎日、

夜中の2時に起床します。

そして、明るくなりだす

4時過ぎくらいには

テントを畳み出発します。

 

その日はいつもより早く

確か1時半に起床し、

4時を待たずに出発したと

記憶しています。

 

道は険しく危険で、しかも

長い行程でした。

 

何時間歩いても

目的地に到着できません。

日も傾き、

薄暗くなってきました。

 

ついに、

パーティーのメンバーの一人が

動けなくなりました。

 

彼は、陸上の長距離走で

県大会で優勝するくらいの

持久力や体力のあるヤツ

だったのですが、

完全にバテてしまったのです。

 

そして、彼は

泣き出しました。

 

もう動けない、と。

 

声を上げて

泣きました。

 

私はどうすることもできず、

ただ茫然と彼を

見つめていました。

 

その時です。

 

私は生まれて初めて

味わう不思議な感覚に

包まれました。

 

泣いている彼のことが

愛おしくてしょうがなく

なったのです。

 

私は彼を

抱きしめたくなりました。

 

その瞬間です。

 

私がリーダーとして

何が足らなかったのか?

を知ったのは。

 

当時の私の日記には

「私に足りなかったのは、

愛だった」

と書いてあります。

 

そこから私には、

「愛とは何か?」

という新たなテーマが

浮上してきました。

 

恐らくその瞬間だったと

思います。

その瞬間のその感覚がなければ、

私はきっと

今のこのお仕事を

していないでしょう。

 

今から振り返れば、

その時の私は人生で初めて

人を「慈しむ」という

体験をしたのだと思います。

 

もちろん私もその時は

体力的には

限界状態でした。

 

しかし限界状態だったからこそ

初めて自分の中から

浮上した感覚に敏感になれたのだと

思います。

 

まぁ・・・、

その後の私が

人を慈しむ人生になったかと

言うと、

真逆なんですけどね。苦笑

 

「俺は、愛を知ったぞ!」

と、その後、天狗になった

わけで・・・。

 

ホントに困ったもので。

 

おかげで散々な人生展開に

なったりもしたのですが、

しかしあの時の感覚は

今でも私の中に

生き続けており、

それが今の私の原点の一つに

なっているのは確かです。

 

あの時私は、

人の深さと、

人と人の関係の深さを

体験したのだと思います。

 

そして、

よくよく考えてみますと、

私はそういった

人に対する「慈しみ」を

持ちながらリーダーをされている人を

応援したい、サポートしたい、

と思いながらここまで

来たのだと思います。

 

あの「慈しみ」の社長さんの

ご質問のおかげで、

顕在意識レベルではずっと

記憶から外れていた出来事を

思い出すことができました。

 

感謝ですね。

 

つづく

 

心を開き合うだけでは足りません

木村さんと弓江さんの二人コーチング。

(→前回記事)

 

二人とも短時間でオープンマインドと

なりました。

場の空気があたたかくなってきました。

 

ここで私は一気に場の次元を上げることを

しました。

普通では、なかなか投げない質問を

あえて弓江さんに投げました。

弓江さんの真本音の高まりを感じ取った

からです。

 

「弓江さんの人生の目的は何ですか?」

 

虚を衝かれた弓江さんは

一瞬、フリーズしました。

 

しかしさすが弓江さんです。

これまでの私のやりとりの中で、

私の無茶振りに慣れてきていたようです。

こういった時は何も考えず

ただ口を動かせばいい、というコツを

すでに掴んでいました。

 

彼女はとっさに答えたのです。

 

「リーダーのサポートです。」

 

答えながらも、弓江さん自身が

その答えに驚いていたようでした。

 

「どんな意味かわかります?」

 

と私が問うと、

 

「私はずっと探してるんです。

自分が全力でサポートしようとするリーダーを。

それは仕事の上、だけでもない気がします。

例えば私の人生のパートナーとなる人とか。

私は、自分がサポートしたい人を見つけ、

その人を全力でサポートしたいのだと思います。」

 

考えて言葉にしているわけではありません。

言葉が溢れ出ている感じです。

自分で答えながら、自分で驚いている、

という状態です。

 

実はこれは日常茶飯事です。

特別なことではありません。

自分自身が抑えていた想いや願いは、

ほんのちょっとしたきっかけでフタを開け、

一気に溢れ出ることがあるのです。

 

ただしそれができるのは、

真本音度合いが高まっている時に

限ります。

 

「弓江さん、

目の前にいる木村リーダーは、

弓江さんが全力でサポートしたいリーダーですか?」

 

私は単刀直入に訊きました。

 

「はい、そうです。」

 

と答えながら、

弓江さんは目に涙を浮かべました。

 

「でも、今の私には、それをするだけの力が

ありません。」

 

木村さんは茫然とその様子を

見ていました。

 

「木村さん、

実はこれが、弓江さんの真本音です。

弓江さんは真本音で木村さんをサポートしたいと

思ってるんですよ。」

 

「は、はぁ・・・。」

 

「でもね、弓江さん。

木村さんに言いたいことがあるのでしょ?

せっかくなので、全部言っちゃいましょうよ。」

 

弓江さんは、肚を決めたように

喋り出しました。

 

「今の木村リーダーは、全然木村リーダーらしく

ないんです。

私は、木村リーダーがロックバンドをしているのを

ライブで見たことがあります。

あぁこれが、この人の本当の姿なんだと感動しました。

でもそれが全く仕事では出ていません。

特に、新規事業プロジェクトが始まってからは。

いい子ちゃんリーダーになってしまっている感じが

するんです。

でも、私は木村リーダーを尊敬しています。

木村リーダーがあのロックバンドのような姿を見せれば、

みんなついてくると思うんです。

私は、そんな木村リーダーになってほしい。

そのために私ができることがあるなら、

何でもしたいと思ってるんです。」

 

涙を流しながら、

しかし静かに彼女は語りました。

 

その瞬間、

私は、その場の次元が一気に高まったのを

感じました。

 

これは私独自の感覚なのかも知れませんが、

次元が一気に高まると、

私はその場全体がまるで霧がかかったように

真っ白に見えるのです。

と同時に、何かが開放された感覚がします。

 

弓江さんの顔も、木村さんの顔も

何か憑き物が落ちたような自然さが

漂いました。

 

さぁ、実はここまでが準備段階です。

 

私はこの状態にしたいのです。

 

次元が高まることで、

私だけでなく、その場にいる全員が

真本音コミュニケーションを

自然にできる状態です。

 

ここからが

チームコーチングの本当の意味での

スタートなのです。

 

つづく

 

すべての人が本当は、自分自身のリーダーである

チームを創るにしても、

会社を創るにしても、

「この人にはかなわない」

と思える人を、

チーム員に迎え入れることのできるリーダー(トップ)は

本当のリーダーであると私は思います。

 

「このチームでは私が一番凄い」

という枠の中でしかチームを創れないリーダーには

必然的に限界が訪れます。

 

リーダーとは、

役割にしか過ぎません。

 

そのリーダーが一番偉いわけでは

ありません。

 

そんなことは当然、頭ではわかっている人は

多いのですが、

いざ自分がリーダーになろうとすると、

なかなかそれができません。

 

リーダーである自分は一番素晴らしくなくては、と

真面目な人ほど思います。

そしてそのプレッシャーに負けそうになります。

 

そんなリーダーを数多く

拝見してきました。

 

私は思います。

 

リーダーとはもっと

自由であったほうがいい。

 

もっと

自分らしくあった方がいい、と。

 

リーダーらしい自分ではなく、

自分らしいリーダーをすればいい、と。

 

チーム(組織)とは

人の集まりです。

 

人には、心があります。

 

一人一人の心は価値観も違いますし、

これまでの人生経験も違います。

すべての人が、

「この人は完璧だ。素晴らしいリーダーだ」

と思えることは、ほぼありません。

もしあるとすれば、

それは「不自然」です。

 

人が、

その人の持っている本来の魅力を

発揮できれば、

私は、すべての人が「その人らしいリーダー」に

なれると、ある時から確信しました。

 

リーダーに向き、不向きは

ないのです。

 

大切なのは、

「本来の」その人らしさを

出せるかどうか?

 

それができれば、

すべての人がリーダーとなれます。

 

それができていない人が多いので、

現時点ではリーダーになれない人が多い、

というだけのことです。

 

本当は、

すべての人がリーダーです。

まずは、

自分自身を引っ張るリーダーです。

 

そして、

自分自身を引っ張ることができれば、

人を引っ張ることができるようになります。

 

それを一言で言えば

『自律』

となります。

 

そして、

自律した人が集まれば、

そこには

『調和』

が生まれます。

 

つまり、

本質的なリーダーが集まれば、

調和は自然に生まれるのです。

 

ですから私は、

すべての人がリーダーになればいい、

と思います。

 

エンティティは、

リーダーになれていない人にこそ

多く発生します。

 

自分の人生は自分が進むものなのに、

自分で自分をリードするものなのに、

それを放棄することで

エンティティは大量発生します。

 

エンティティが発生すれば、

まずは、その本人がとても苦しみます。

 

しかもエンティティは周りに

伝染します。

周りの人にも、苦しみを与えるのです。

 

その自覚がないままに

生きている人がいかに多いことか。

 

私は様々な組織と向き合ってきましたが、

この組織からエンティティがなくなれば

それだけですべてが解決するのに・・・、

と思える組織がとても多かったです。

 

木村さんも

エンティティに悩まされていた一人と

言えるでしょう。

(→前回記事)

 

本来の木村さんには

強い想いがあります。

それは、

真本音の想いです。

 

木村さんの想いをあえて私が表現すると、

「すべてのチーム員がリーダーとなって

活躍するチームを創りたい」

ということになると思います。

 

だから彼は、コーチング力を高めようとしましたし、

自分自身がプロのコーチになりたい、とまで

思いました。

 

その彼の想いは、

上司である平井さんの想いとも一致します。

 

平井さんからしてみれば、

木村さんがその真本音の想いを実践してくれればくれるほど、

平井さんの望む理想の組織になっていくのです。

 

だから平井さんは木村さんを

新規事業プロジェクトのリーダーに抜擢しました。

 

しかし一方で、

木村さんのこれまでの反応本音のパターンは、

「俺が一番だ!」

という状態を創り出す、というものでした。

 

その彼の反応本音のパターンを

彼自身の真本音の想いで超えていく。

 

これが、今回のプロジェクトにおける

木村さん自身の本質的テーマです。

 

しかし彼のこのテーマ達成を阻むものが

ありました。

それが、西畑さんのエンティティです。

 

果たして、木村さんは

西畑さんのエンティティを超えて、

自分のパターンを変えることができるのか?

 

それを今、突きつけられているのです。

 

ここは、

木村さんが自力で乗り越えるべきところです。

 

しかしそこにはサポートが必要です。

 

では、どのようなサポートをすればよいのか?

 

木村さんが木村さんの力で

現実を切り開くこと。

そのための、サポート。

 

ヘルプ(助ける)ではありません。

 

あくまでも、サポート。

 

サポートとして私は

何をすればよいのか?

 

そこで私が取った

「渾身の一手」

が、木村・弓江の二人同時コーチングだったのです。

 

つづく

 

素直な想いは、たった一つだけだったりする

決めたことを実行できない。

 

・・・そんなケースは、どこにでもあります。

 

決めたことを実行できない理由は

二つです。

 

一つは、

決めたつもりになっていたが、

本当は決めていなかった、

という理由。

 

つまりは、

真本音で決めたのではなく、

反応本音でのみ決めた、ということです。

反応本音での決断は、

その後、必ず葛藤や迷いが生じます。

 

もう一つは、

真本音では決めることはできたが、

それを阻害する強烈な反応本音パターン(クセ)があり、

そのクセに負けてしまう

という理由。

 

この場合は、そのクセを特定して、

クセを意識することで、乗り越えることができます。

 

今回の木村さんのケースは、

この二つの理由が複合しています。

 

決断そのものも反応本音レベルですし、

その上に、彼の強烈なクセが

表面化していました。

 

逆に言えば、

これを機にしっかりと自分と向き合うことができれば、

木村さん自身に大きな気づきと変化を

生じさせることができるチャンスです。

 

これは私の解釈ではなく、

これこそが木村さん自身の真本音の意図

でした。

 

私は彼のその意図に

委ねました。

 

その結果、彼に投げた問いが、

「木村さんは、

どんな人のコーチングをされたいのですか?」

でした。

(→前回記事)

 

木村さんはしばらく

考え続けました。

 

そして言いました。

 

「私はリーダーを応援したいです。」

 

「リーダー?」

 

「はい。

組織やチームを引っ張っていくリーダーです。

私のような人間です。」

 

「組織を引っ張るということは、

経営者も含まれますか?」

 

「はい。経営者も含め、リーダーという役割を

担っている人のコーチングをしたいです。」

 

「そう思う理由はわかります?」

 

「はい。

やはり、すべてはリーダーで決まると思うのです。

ところが、リーダーが自分の解釈だけで、

自分の度量の範囲でメンバーを引っ張ろうとすると、

チームが小さくまとまってしまいます。

私は今回のプロジェクトチームで、

チームコーチングの手法を使うことで、

メンバー一人一人がとても活き活きとして、

リーダーである私の範疇を超えるチームになっていく、

という経験ができました。

その素晴らしさを伝えたいのです。」

 

以前の記事でも書きましたが、

木村さんが言っていることそのものは

素晴らしいことだと思います。

しかしこれが彼の反応本音レベルの想いである以上、

やはりこちらの胸には響きません。

 

言葉のみが、

上滑りをしている感覚です。

 

「たけうちさん、

ここも、私に寄り添ってください。」

・・・と、木村さんの真本音からのメッセージが

私の心の中に浮かび上がってきました。

 

私はその声に委ねます。

 

「では、そういったコーチングができるようになるために、

今の木村さんにはどんな体験・経験が必要ですか?」

 

「うーん、

やはり、たくさんのリーダーである方々とお会いして

コーチングさせていただくことでしょうか。」

 

「具体的に、この人をコーチングしたい!

という人はいますか?

有名人でも結構です。」

 

「それを言ったら、平井です。」

 

「えっ? 平井さん?」

 

「はい。」

 

「理由はわかります?」

 

「・・・そうですねぇ。

やっぱり私は平井を尊敬してます。

尊敬するリーダーに、私はさらに伸び伸びと

してほしいです。」

 

なんとここで、木村さんの真本音が出ました。

この一言を聴いたとき、

私の体の芯がゾワゾワを痺れました。

真本音からの言葉を聴いた瞬間のいつもの感覚です。

 

「今のそのお気持ち、凄く強いですねぇ。」

 

「そうですね。自分でも言いながら

強い気持ちだな、と思いました。」

 

「では、平井さんのコーチングをしてみては

いかがですか?」

 

「いやいやいや、そんな滅相もない。」

 

「でも、平井さんを応援したいんでしょ?」

 

「いや、そうですけど。

今の私が平井のコーチングなどできませんよ。」

 

「どうして?」

 

「だって、全然レベルが違うじゃないですか。

平井だって、わざわざ私のコーチングなど

受けたいと思わないと思いますよ。」

 

「でも、コーチングするなら平井さんが

いいんでしょ?」

 

「はい。でも、それは理想です。

今の私には無理です。」

 

「そうなんですか。

じゃあどうしたいですか?」

 

「平井以外の人をコーチングします。

で、経験を積んだら、平井をコーチングします。」

 

「じゃあ、平井さん以外で、

この人コーチングしたいなぁ、と思う人はいます?」

 

ここで木村さんは止まりました。

 

しばらくじーっと考えていましたが、ポツリと

呟きました。

 

「・・・いないです。」

 

「いない?」

 

「はい、平井以外にいないです。」

 

私は彼の目を見据えました。

次の一言が、非常に重要だとわかったからです。

 

つづく

 

リーダーする気がなくなりました

私は、愛とはエネルギーのようなもの

だと思っています。

 

愛というエネルギーに溢れている人は、

どのような言動をしても、

恐らくそれは愛に満ちたものとなるでしょう。

 

逆に、愛というエネルギーを全く発さない人が

どれだけ自分の言動で愛を伝えようとしても、

それは非常に伝わりにくいものとなるでしょう。

 

「私は人を愛せるような人格者じゃないですよ」

と本人は本気で言いながらも、

実に愛に溢れた空気感を醸し出している素敵な人を

私はたくさん知っています。

 

さて、平井さんです。

(→前回記事)

 

平井さんは毎日、自分の中から自然発生する

自分の気持ち達(心の声)を

そのまま書く(平井さんの場合はパソコンに打つ)

ということが日課となりました。

 

このように自分の心を存在承認することは

セルフコーチングの基本です。

 

存在承認とは、愛の基本ですし、

存在承認することは、イコール自分自身と向き合う

ということでもあります。

 

そして自分としっかり向き合える人ほど、

人ともちゃんと向き合うことができるようになります。

 

さらに二週間ほどが経ったとき、

平井さんは次のようにおっしゃいました。

 

「たけうちさん、最近私は人のことが

ありありと見えるようになってきました」

と。

 

逆に言えば、これまでの平井さんは

「人をまったく見ていなかったんだなぁ、

ということがわかりました。」

 

そして非常に興味深いことを言われました。

 

「たけうちさん、

私はこれまで、皆のリーダーとしての自分を

いつも前面に出してきました。

皆を引っ張ろうとしてきました。

でも皆のことがありありと見えるようになったら、

その意欲がなくなってしまったんです。

これは職務放棄につながってしまうのではないでしょうか?

皆にはリーダーが必要なのに。」

 

「平井さん、

それは、リーダーをやりたくなくなったのではなく、

これまでの自分のリーダーシップを

変化させたくなったのではないですか?

これまでとは違うタイプのリーダーに

なりたがっているのでは?」

 

平井さんは少しの間、無言でしたが、

 

「私は確かに、リーダーをやりたい」

と呟きました。

 

私の体の中心がゾワッとしました。

真本音の言葉を聴いた瞬間のいつもの感覚です。

平井さんは真本音ではやはり、

リーダーをやりたいのです。

 

「平井さんご自身は、

どんなリーダーになれると嬉しいですか?」

 

「私は、皆を主役にしたい。」

・・・即答でした。

 

即答しながら、平井さんご自身が驚いていました。

「私は、そんなことを考えてたんですねぇ。

でもそれが、本当に私がやりたいリーダー像かも

知れません。」

 

平井さんから一つ目の真本音の願いが

出たのです。

それは、

「皆を主役にするリーダーになる」

でした。

 

後に、この時のことを振り返り、

平井さんは次のようにおっしゃっています。

 

「あの時から私は、皆を本当によく観察するように

なりました。

そうしたら、皆に対する印象が変わった、・・・というよりも

ひょっとしたら人間観が変わったのかも知れません。

私は、部下を私の色に染めることをいつも考えてました。

・・・いえ、当時は私の色なんて本当はありませんでしたから、

要するに、社長の色に染めることを考えてたんですね。

でも、人をありありと観察していたら、

なんだ、何かの色に染める必要はないんだ、

みんなそれぞれ個性的な色を持っているじゃないか、と

そう思えたんですね。」

 

そこからのコーチングは楽でした。

なぜなら、目指す方向が見えてきたのですから。

あとはそれを目指して進むだけ。

 

ただし、平井さんにとって

それでも大きく立ちはだかる壁がありました。

それが、「社長」でした。

 

つづく

 

穏やかな顔の奥にある、強烈な拒絶

人間の魅力はどこで決まるか?

 

この問いには様々な答えがあると思いますが、

重要な答えの一つとして、私は

 

「その人本来の味を出せているかどうか?」

 

であると、企業現場においていつもつくづく

感じています。

 

特にリーダーという役割を果たす人が

・その人本来の味を出しながらリーダーシップを発揮するのと

・その人本来の味を消しながらリーダーシップを発揮するのでは

同じ人がリーダーをやっても雲泥の差が生まれます。

 

その差とは、

人がそのリーダーに対して抱く信頼度の差だけでなく

業務上の成果の差としても如実に現れます。

 

チームのメンバーがイキイキと仕事をし、かつ

チームとしての輝かしい成果を上げている場合、

まず間違いなく、そこには

「自分の本来の味を醸し出している魅力的なリーダー」

が存在します。

 

さて。

 

そういった意味で、

前回から例に出させていただいている平井さんは

最悪の状態だったと言ってよいでしょう。

(→前回記事)

 

平井さんは、本来の「味」を出しているどころか、

平井さんという「存在」そのものを私は

感じ取ることができませんでした。

 

なぜなら、彼の心の中心には、

「社長から評価を得たい」

という気持ちがドップリと根付いていたからです。

 

彼の言動のすべては、

そこから始まっていました。

 

彼は、決断力がありました。

彼は、堂々としていました。

彼は、とても言葉が巧みでした。

 

しかし、彼の部下は皆、疲弊していました。

 

そして本人は気づいていませんでしたが、

平井さん自身も、疲弊の極みにありました。

 

しかし彼のコーチングの初期段階では、

取り付く島がありませんでした。

 

私がどのような質問をしても、

彼の口から出てくる答えは、私の胸には

響きませんでした。

つまりそういう時は、

その人の本心の言葉ではない、ということです。

 

ですので、私は彼の本心を理解したいと

思いました。

 

ところが、彼は肝心なところに来ると、

空気感でもって、私を拒絶しました。

 

タチが悪いのは、

表面上の彼は穏やかだったことです。

しかし、「これ以上は私に触らないでください!」と

悲鳴にも似た拒絶が

空気感としてこちらに伝わって来るのです。

 

これにはまいりました。

 

彼の口癖は、

「そういうものですから。」

それ以上でもそれ以下でもないので、もうこの件については

これ以上問わないでくれ、

という彼の拒絶の意思表示でもありました。

 

ですので、コーチングの初期では

随分と沈黙の多い時間となりました。

 

沈黙の最中も、彼は穏やかな表情でいました。

すべてを私は受け止めますよ、

という表情。

 

しかしそれは表面だけ。

表層の皮を一枚剥がせば、

彼は「拒絶」の権化でした。

 

彼の言う、「そういうものですから」という彼の答えは、

もともとすべて、社長が言われた言葉ばかりでした。

 

つまり彼の中では「社長がすべて」。

「社長が真実」。

「社長が原理原則」。

そして、

その原理原則は、何があっても崩れない、

というものでした。

 

これがいわゆる、「社長が取り憑いた状態」です。

 

一種の洗脳状態ですが、

これは彼自身が望んで、

自らそのような状態を創り出していました。

 

もちろん、社長にも問題はあったでしょう。

こういった状態になるまでには、

社長のコミュニケーションの取り方も

原因としては大きいとは思います。

 

しかし、基本的には彼の自業自得。

 

彼自身が望んで創り出した現実。

 

彼は自ら社長が取り憑いた状態を創り出し、

自らの人格を、ある意味、殺しました。

 

そんな彼がリーダーをするわけですから、

彼の部下の皆さんのほとんども、

多かれ少なかれ、自分らしさとか自分の本当の気持ちを

押し殺したまま仕事を続けていました。

 

私がある意味、すごいなぁ、と感心したのは、

そのような状態でも、ある一定以上の業績を

彼と彼の部下の皆さんは残していたことです。

 

これは本当に凄い。

 

しかし、それ以上に、彼らの疲弊ぶりは

尋常ではありませんでした。

いつ誰が倒れてもおかしくない状態。

しかも「そのような状態で頑張ることが格好いい」という風潮。

 

なかなかに酷い状態でした。

 

実はこの後、平井さんは劇的な改善をし、

本来の自分を取り戻していくことになるのですが、

そういった状態になった後で、部下の皆さんに当時のお話を聴くと、

皆さんはまだ健全だったことがわかりました。

つまりは、

「あの頃は最悪でした。

私は、本音の一つも口に出せませんでした。

平井さんのことが気持ち悪くてしょうがありませんでしたし、

この会社にいることが、本当は嫌で嫌でしょうがありませんでした」

と素直に思っていたのです。

 

しかしそのような状態でもある一定以上の業績を出せるということは、

彼らのもともとのパワーがとてつもなく高かった

ということでもありました。

 

逆に言えば、

そんな彼らが、本来の自分として働けたら、

さらに凄いことになる、ということです。

(実際にそうなりました。)

 

さて、このように酷い状態の平井さんでしたが、

彼が本来の自分を取り戻し、

本来の「味」を醸し出せるようになるまで、

実は半年もかかりませんでした。

 

もちろん私自身も

そんなに短期間で改善されるとは

当初は思いもよりませんでした。

 

一体何が起きたのか?

何を起こしたのか?

 

公に書けるギリギリのところまでを

思い切って書いてみようかな、と

思っています。

 

つづく

大切なのは、味だよ味

人には、「味」があります。

 

普通の言い方をすれば、それは「個性」ということに

なるでしょうが、

「個性」と「味」はちょっと違うものであると

私は思っています。

 

「個性」というのはどちらかと言えば、

普段のその人の生き方・生き様・在り方のパターンが

積み重なり、

その経験値の中で、後天的に培われていくもの、

というイメージでしょうか。

 

それに対して、「味」とは、

もっと先天的なもので、その人の生き方がどうであったとしても

その人が「醸し出しているもの」

というイメージです。

 

私は普段、たくさんの人達と向き合う機会に

恵まれていますが、

みんなそれぞれ「味」があるなぁ、と思います。

その「味」を、それこそ「味わう」のが

私の人生の楽しみでもあります。

 

最近、ある企業様の、面白い人のコーチングを

始めました。

 

その人は、50代の方なのですが、

「私、人間が嫌いなんです。

できれば、人と接することをゼロにしたいんです。

一匹狼でこれまでも来ましたし、

これからも、できれば仕事も一人だけで

やっていきたいんです。

周りと交わりたくないんです。関わりたくないんです。」

と、断言されるのです。

 

実際、その人の仕事ぶりは言葉通りのようです。

 

ところが彼の醸し出している「味」は、

まったく逆なんですねぇ、これが。

 

彼の「味」を一言で表現すれば、

「私、人が大好きです!」

となるんです。

 

時々その人は、ふとした瞬間にニッコリと

微笑むのですが、

その微笑みが、実にいい。

人なつっこさを絵にしたような、

まるで純粋な幼子がそのまま大人になったような

そうそう、まるで赤ちゃんのような

可愛らしいお顔になるんです。

一瞬ですが。

 

そして彼の全身からも時折、

「ねぇねぇ、一緒に遊ぼうよう〜〜!」

と子供がおねだりをするかのような

愛らしい空気感が醸し出されるんです。

 

もちろんそれをご本人は

まったく自覚していません。

 

しかしだからこそ、それがその人の天然。

その人の「味」なんです。

 

前回まで、「生まれ持った強み」というテーマで

記事を書かせていただきましたが、

この「味」というのも、生まれ持った強みの一種

かも知れません。

(→前回記事)

 

そして、私がコーチングで大切にしているのは、

その「味」をいかに活かすか?

ということでもあります。

 

すべての人に「味」はありますが、

その味を活かしながら生きている人と、

その味を消してしまう方向に生きている人と

どちらかです。

 

残念ながら、味を消す方向の生き方をしてしまっている人は

多いです。

特に、組織のリーダーとなる人達は、

「リーダーらしい自分であろう」

と思うあまりに、自分の「味」を消してしまっているケースが

実に多いです。

 

どうせリーダーをやるのであれば、

「リーダーらしい自分」ではなく、

「自分らしいリーダー」になればいいんですけどね。

 

その「自分らしいリーダー」になるための

一つの重要視点が

「その人の味をいかに活かすか?」

なんですね。

 

そして、以上は「個人」という視点で申し上げましたが、

これは「組織」そのものにも言えることです。

つまりは、

「組織にも、その組織ならではの味がある」

のです。

 

その組織だからこそ持ち合わせている「味」を

いかに掘り起こすか?

 

これが私の組織サポート(チームコーチング)の

重要テーマの一つです。

 

ということで、

次回からは、この「味」ということについて

書かせていただこうと思います。

 

つづく