想定外

想定内がいい?

 

真本音度合いが

高まれば

高まるほど、

 

自分の意図を

超えた

展開が起きている

気がする。

 

笑えるくらいに

意図通りに

いかない。

 

でもそれは

不幸なことか?

 

と問えば、

 

真逆だ。

 

それが楽しくて

しょうがない。

 

きっと私自身が

そういった

 

意図のない人生

 

願っているから

そうなるのだろう。

 

自分が

思い描いた通りに

いく人生は

楽しい?

 

と訊かれれば、

 

全然楽しくない

 

私は即座に

答えるだろう。

 

それはあくまで

私の好みだ。

 

だから

意図通りに行きそうに

なればなるほど、

 

私は真本音で

それを避けるのだろう。

 

そして

思わぬ展開に

ほくそ笑む。

 

そう。

 

これはあくまでも

私の好みだ。

 

この3次元という

現象の世界は

 

未来がわからない

ように

できている。

 

せっかくそういう風に

できてるんだから、

 

そここそを

楽しまずして

何を楽しむのか?

思うのだ。

 

くどいようだが、

あくまで私の

好みだ。

 

この生き方を

オススメしている

わけではない。

 

今日も想定外

ばかり起きた。

 

私自身さえも

想定外の

動きをとった。

 

自分の動きを

自分で見つめながら

 

びっくりしていた。

 

そしてやはり

ほくそ笑んだ。

 

私の望むことも

望まないことも

 

想定内で起こる

のは

物足りない。

 

明日も明後日も

私は

冒険したい。

 

皆さんは

自分の人生、

どう考える?

 

つづく

 

人生を謳歌するには

 

人生、

思い通りにいかない

ことなど

山ほどある。

 

いやいや、

そう思い込むのは

良くないですよ。

そう思い込む

ことで

本当に思い通りに

いかなくなって

しまうのですよ。

 

・・・と言われる

かもしれない。

 

もちろん

そういった要素も

あるにはあるが、

 

しかしやはり

私は断言する。

 

人生、

思い通りには

いかない。

 

それを完全に

受け止めることが、

人生を謳歌する

ための

最低条件であると

私は思うのだ。

 

思い通りに

いかないこと

そのものを

楽しむ。

 

これが

人生を楽しむこと

だと

私は思うのだ。

 

本当に辛いことを

経験し、

それを乗り越えて

きた人ほど、

そう思っているの

のではないか。

 

・・・・・・

 

だいたい、

私達の真本音が

人生を

思い通りには

いかせない。

 

もし、

何でも思い通りに

いっている人が

いるとしたら、

 

その人は

まず間違いなく、

「挑戦」を

していない。

 

「今の自分の範疇」

でしか

生きていないし、

そこから出ようと

していない。

 

それでは

人生の90%以上を

謳歌していない、

と私は思う。

 

しかも

少し長期的に

見れば、

その人は必ず

後々に

大変な目に遭う。

 

「挑戦しない」

ということは、

真本音の意志を

無視している

ということだから、

 

その「無視」に

ある時

限界が来るのだ。

 

自分の範疇を

出ない自分を

私達の真本音は

「壊そう」とする。

 

真本音の意志を

無視することは

ある程度はできるが、

しかし

真本音とは

自分自身の

「本当の想い」

だ。

 

「本当の想い」

「本当ではない想い」

いつか必ず

凌駕する。

 

凌駕されたとき、

その人は

勝手に自分壊し

に取り掛かる。

 

結果として、

「ひどい目」

に遭う。

 

別に神様とかが

罰を与えている

わけではない。

 

自分で自分を

壊そうと

しているのだ。

 

「壊す」というのは

怖い表現だが、

そうではなく、

 

本来の自分に

自分を戻し、

真っ当な生き方に

なろうと

しているのだ。

 

真っ当な生き方、

それこそが

「挑戦する生き方」

であるし、

次々に自分を

「脱皮させる生き方」

であるし、

それはつまり

「進化する生き方」

である。

 

進化する生き方

に入ることで、

私達は

人生の本当の

面白さを

体験することになる。

 

それが

人生を謳歌する

ことになる。

 

・・・・・・

 

だから私は

毎日、

 

「さぁ今日は、

どんな想定外が

起こるのだろうか」

 

とワクワク

している。

 

もちろん、

思わず口を

アングリと

開けてしまうような

物事も多い。

 

というか、

そうでなければ

「想定外」とは

言えないのであるが。

 

そのアングリ度合いが

大きければ

大きいほど、

その後の展開が

とても刺激的で

充実したものに

なる。

 

ただし

とても刺激的で

充実したものに

なるためには、

自分自身が

真本音に素直に

生きていることが

必須である。

 

真本音で

生きれば生きるほど、

想定外は増え、

 

想定外が

増えれば増えるほど、

真本音に素直に

生きる。

 

このサイクルに

よって、

真本音度合いは

劇的に高まって

いく。

 

真本音度合いが

高まれば

高まるほど、

「人生の謳歌」度合いも

高まり

深まる。

 

私は実は、

クライアントさんに

こういった状態に

なっていただくために

コーチングを

している。

 

だから

私が「コーチ」を

させていただくと、

想定外のことが

どんどん

増えていく。

 

申し訳ないけど。笑

 

・・・・・・

 

そしてやはり、

私は

そういったサポート

のできる

「コーチ」を

増やしたい。

 

このブログに

コメントいただいて

いる方、

ありがとうございます。

 

基本的には

皆さんにご返信を

差し上げています。

 

ただ、

まだ何日経っても

ご返信していない

人もいます。

 

それは

無視しているのでは

なく、

「最善のタイミングを

待っている」

思ってください。

 

これも

「想定外」の中で

判断していること

です。

 

よろしく

ご理解くださいませ。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

育成者は、育成し過ぎだ

 

コーチングが

なぜ必要か?

 

問われたら、

いろんな

答えはあるだろうが、

私が真っ先に

答えたいのは、

 

想定外を

生み出すため

 

ということかな。

 

はっきり言って、

すべてのクライアントさんに

言えることだが、

自分自身の本来の

魅力や能力を

ちゃんと知っている人は

いない。

 

これは

断言できる。

 

私はコーチとして

その

「本来持っているもの」

を掘り起こそうとする。

 

クライアントさんと

向かい合っていると、

ある瞬間に

その人の「未来」が

観えることが多い。

 

例えばその人が

2〜3年後に

どのように活躍されているか

が映像として

まざまざと

浮かび上がってくる。

 

私はコーチとして

その映像が

実現する方向に

サポートをする。

 

しかし、

である。

 

コーチングによる

サポートをしていると、

私の当初の

その未来像は

ことごとく

打ち砕かれる。

 

想定外の

展開となるのだ。

 

もちろん、

良い意味で

である。

 

つまりは

ほとんどのクライアントさんは、

私のイメージの

上を行く。

 

この人、

こんなことも

やっちゃうの!?

 

この人、

こんな現実を

創っちゃうの!?

 

この人、

こんなすごい人

だったの!?

 

と、

まずは私が

驚くことになる。

 

つまり、

クライアントさんは

私の「範疇」を

超える。

 

そして、

私の

手に負えなくなる。

 

それが

実に楽しい。

 

これがコーチングの

一番の醍醐味であり、

魅力であると

私は

思っている。

 

・・・・・・

 

このような

コーチングの展開と

なるために、

絶対的に必要なことが

ある。

 

それを一言で

言えば、

 

『何もしない』

 

となる。

 

私は

思うのだ。

 

コーチは

何もしない

に限る。

 

コーチが

何かをしては

ならない。

 

と。

 

変な表現であるが、

それくらいの

「覚悟」

を持って

コーチングに臨むのが

真のコーチであると

思う。

 

だいたい、

コーチのみならず、

人の育成に

関わる立場の人は

例えば、

会社で言えば

管理職の立場の人も

含めて、

 

やり過ぎ

 

である。

 

育成のために

余分なことを

 

やり過ぎ

 

なのだ。

 

やり過ぎによって

不調和が

起こる。

 

やり過ぎによって

育むべき

成長の芽を

潰してしまっている。

 

人の育成で

最も重要で

かつ

最も難しいのは

 

「何をしないか?」

 

を見極めることだ

私は思う。

 

・・・・・・

 

何をするか?

 

ではなく、

 

何をしないか?

 

をきちんと判断

できるコーチを

私は

増やしたい。

 

実は私は

人から助言を

求められても、

一切何も答えない

ことが

多い。

 

大袈裟ではなく、

ほぼ毎日、

そんな展開がある。

 

私が

何を言っても、

「何も言わない」

以上の効果を

発揮しないと

わかるからだ。

 

だから、

「お願いします。

アドバイスを一つでも

いいのでください」

どれだけ求められても、

頑として

答えないことにしている。

 

そういったことを

毅然とし続ける

コーチが

ほしい。

 

人は

アドバイスを求められれば、

喜んで

相談に乗ってしまう。

 

相談に

乗られている自分って

すごいなぁ、という

喜びで

乗る人もいれば、

 

純粋に、

何か力になってあげたい

という気持ちから

乗る人もいるだろう。

 

しかし

真のコーチの

基本スタンスは、

「何もしない」

である。

 

このスタンスの上で、

「ここだけは

一言、伝えた方が良い」

と、

真本音で直観し、

その最低限のみを

行なうコーチを

私は

育成したいのだ。

 

そうすれば、

コーチの「範疇」を超えた

想定外のコーチングが

もっと

増えるだろう。

 

世の中が

求めていることは

これではないだろうか。

 

つづく

 

本当は、エネルギーはいっぱいあるんだ

今、

これまでの人生を

振り返った時、

最も重要だったなと

思える出来事は

何ですか?

 

そう自分に問いかけて、

直観的に浮かぶ

出来事を

観てみましょう。

 

その時の場面を

ありありと

思い出してみてください。

 

もし可能であれば、

その場面を

イメージの中で

もう一度、

体験し直してみてください。

 

まるで今ここで

その出来事が

行われていかのるように

イメージするのです。

 

イメージの世界に

入ってしまうのです。

 

そして、

その場面の中の

自分の心に

意識を向けてみてください。

 

意識を向けるというのは

客観的に観察してみる

ということです。

 

その時の自分の心は

どのように動き、

どのように揺らぎ、

どのような刺激を受け、

どのように変化しましたか?

 

変化の前は

どのような心で、

変化の後は

どのような心ですか?

 

その変化によって

その後の日々に

どのような影響が

現れましたか?

 

もしその出来事がなくて、

自分の心が

それ以前のままだったら、

人生の展開は

どうなったでしょうか?

 

その変化によって

得られたものと

失ったものとは

何でしょうか?

 

そしてその変化は

次にどのような変化を

自分自身に

もたらしたでしょうか?

 

・・・・・・

 

時間とは、

過去から今、そして未来へと

一方向に流れていきます。

 

しかしそれは

この3次元の世界だけの

特有の摂理です。

 

一方向に流れるが故に

私達は

未来を知ることができません。

 

未来がわからない

という

言いようのない不安と

不安定感。

 

それがこの世界の

特徴の一つです。

 

未来がわからない

私達。

 

しかし、

そんな私達だからこそ

得られたものが

あります。

 

それは、

 

「エネルギーの自由奔放」

 

です。

 

未来がわかっていれば

私達はその未来に向かって

エネルギーを集約して

行けばよいでしょう。

 

しかし私達には

集約の方向がわかりません。

 

それにより

「迷う」

という状態に入ります。

 

迷うことで発生するのは

エネルギーの分散

です。

 

あっちにもこっちにも

エネルギーを分散させながら

私達は生き続け、

そのうちにエネルギーの

集約の方法すら

忘れてしまいました。

 

しかしそれにより

エネルギーは

自由奔放となりました。

 

悪い言い方をすれば

無駄なエネルギーが

飛び散っている状態。

 

でも良い言い方をすれば、

そこかしこに

エネルギーが

漂っています。

 

漂っているエネルギーを

漂ったままにしてしまうのは

もったいないことです。

 

もし漂っているエネルギーを

集めることができれば、

私達は

想定外の莫大な

エネルギーを

活用できるかも

しれません。

 

・・・・・・

 

この3次元の世界は

すべてが分離しているが

故に、

「想定外」の宝庫です。

 

本来であれば

調和すべきところで

不調和が起き、

本来は平穏に進むべきところで

混乱が起きています。

 

しかしその「想定外」こそが

この世界の魅力であり、

「意味」であり

「存在意義」でもあります。

 

「想定外」の中で

私達は何をするか?

 

何をすることで、

「想定外」だからこそ

生み出せるものを

生み出すか?

 

この世界でしか

できないことは何か?

 

これが、

私達全員に共通する

真本音のテーマです。

 

この世界に

漂っている人のエネルギー。

 

本当はそこにあるのに、

使われなくなってしまった

エネルギー。

 

それを私は発掘し、

未来に向けて活用しようと

思います。

 

私が行なっている活動とは

人のエネルギーをいかに

高めるか?

ということよりも、

そこにあるのに上手く

使われていないエネルギーを

いかに掘り起こして

活用するか?

ということなのだと

思います。

 

・・・・・・

 

さて、

最初の問いに戻ります。

 

これまでの人生を

振り返った時、

最も重要だったなと

思える出来事は

何ですか?

 

その出来事を

もう一度、イメージの中で

再体験しながら、

自分の心に

目を向けてみてください。

 

そして今度は、

心のエネルギーの変化

という視点で、

観察してみてください。

 

その体験により、

あなたの心のエネルギーは

高まりましたか?

低くなりましたか?

 

高まったエネルギーは

その後、どのように

使われましたか?

 

低くなってしまった場合は、

そこで奪われたエネルギーは

どこに放出され、

今はどこを漂っていますか?

 

そのエネルギーを

取り戻すには

どうすればよいでしょうか?

 

つづく

 

なぜあの人はそんなにゆとりがあるのか

どうすればもっと

ゆとりを持って生きることが

できるのでしょうか?

 

そんなご質問を

本当によくいただきます。

 

ゆとり、というと、

まず第一に思い浮かべるのは

時間です。

 

時間的なゆとりが

あるかどうか?

 

いつも仕事が溢れていて、

大忙しになればなるほど、

ゆとりはなくなります。

 

・・・と一般的には

考えられています。

 

しかし私はこれまで

本当に仕事量の凄い人で

あればあるほど、

ゆとりを持っている

という現実を

多く見てきました。

 

一番、ゆとりがないのは

中途半端に忙しい人

のような気がします。

 

中途半端に忙しい人は、

仕事をこなそうとします。

 

仕事をこなす

というのは、反応本音レベルの

行為です。

 

すると、ちょっと忙しくなると

すぐにゆとりがなくなります。

 

ゆとりがなくなれば、

視野が狭くなり、

いろんな仕事のミスが起き、

さらにゆとりがなくなります。

 

私は、ゆとりとは

時間があるかないか?

ではないと思っています。

 

ゆとりとは、

心の(もしくは魂の)エネルギーの

大小で決まると

思っています。

 

心の中にいつも

エネルギーが満ちている人は

どんな状況でも

ゆとりがあります。

 

実際に、

恐らく私は20年前の私の仕事に

比べれば、

今の仕事量は10倍くらい

多いかもしれません。

 

でも明らかに

20年前よりも今の方が

ゆとりがあります。

 

心が常に

エネルギーに満ちているから

です。

 

現実世界では

想定外のことがたくさん

起こります。

 

想定外がない、

という方が不自然でしょう。

 

例えば、想定外の

仕事が割り込んできた

とか。

 

「私の仕事は、想定外の仕事が

どんどん割り込んでくるので

ゆとりを持てないんです」

 

と言われる人が

本当に多いのですが、

それは、想定外がいけないのではなく

仕事をこなそうとしているから

ゆとりがなくなるのです。

 

しかも仕事をこなす人ほど

想定外が多くなります。

 

真本音で生きるということは

想定外が想定外では

なくなる、ということです。

 

高い次元の私達は

すべてをわかっているから

です。

 

3次元にいる私達の

顕在意識が

「うわっ、想定外だ!

まいった〜〜!」

とやっていても、

どこか根底では、

すべてを楽しんでいる自分が

います。

 

ここでこんな想定外を

私は私にもたらしたんだ、と

どこか客観的な目で

自分と現実を見つめています。

 

そこに、

その現実の意味を解釈として

考える必要はありません。

ただそれを

楽しめばよいのです。

 

高い次元の私達の意識は

それができます。

 

低い次元の自分は

オロオロとうろたえている。

でもその一方で

高い次元の自分は

そのオロオロも含めて

すべてを楽しんでいる。

 

そんな状態で生きていくのは

人間として生きることの

醍醐味の一つかも

しれません。

 

つづく

 

人は、未来とも調和する判断ができる

木村さんと弓江さんの二人コーチングから

約1ヶ月経ったある日。

(→前回記事)

 

私は、平井さんに

「ご相談があります」

と呼ばれました。

 

平井さんは言われました。

 

「実は、

新規事業プロジェクトチームの

大幅縮小を考えています。」

 

「えっ?」

と私は驚きました。

 

「どうしても、

新規事業プロジェクトの主要メンバーを

もとの部署に戻す必要が生じました。」

 

話を聴けば、

何か問題が起きたということではなく、

これまでの既存事業の業績が

予想以上に伸びている、とのこと。

 

お客様のご要望にお応えするために、

どうしても人員の補強をしたい、

そのために、新規事業プロジェクトを

大幅縮小することは可能か?

というご相談でした。

 

ただし、平井さんとしては、

新規事業プロジェクトも成功させたい、

という気持ちも強く、

プロジェクトの人数を半分に減らしても

プロジェクトを続行することは可能だろうか?

そして、人員半分でも、

プロジェクトの当初の計画(目標)を

達成することは可能だろうか?

ということについて、私の見立てを聴きたい

ということでした。

 

「木村さんにはこのお話はされたのですか?」

 

「はい、もちろんしました。」

 

「彼はなんと?」

 

「実は驚いているのですが、

大丈夫です、と。

当初の目標も計画も変えずに行きます、と。

そう言うのです。

だから、逆に心配になりまして。

実際のところどうなのか?と

たけうちさんにお訊きしよう思ったのです。」

 

なるほど、そういうことか。

 

「弓江さんもご存知ですか?」

 

「はい。

弓江も木村とまったく同じことを

申しました。

正直、私は少しびっくりしています。」

 

「ちなみに、

実際には、どのメンバーをプロジェクトから

外すのですか?」

 

そのメンバーを聴いて、

私は合点がいきました。

 

この時、私は初めて、

1ヶ月前に、木村さんと弓江さんの二人が

なぜチームのペア編成を組み替えたのか?の

真の意味を知りました。

 

あの時の編成の組み替えが、

ここで生きてきたのです。

 

実は、あの二人コーチングの後、

木村さんは早速、ペアの組み替えを

しました。

 

すると、当初、不調和を起こすのではないか

と予測していたペアが

想定外の調和を見せ、みるみるチームの

調和性も上がりました。

 

チームメンバーも

「非常に仕事がやりやすくなった」と

喜び、チーム全体の活気は明らかに

高まりました。

 

しかもたった1ヶ月ですが、

その中で若手社員が急成長し始めました。

これまでどちらかと言えば、

先輩社員についていくだけ、という人が

主体的に動くようになったのです。

 

木村さんが懸念されていた

「真剣な人とそうでない人の差が開いている」

という問題。

その「真剣でない」と思われていた人達が

主体的になったのです。

 

ペアを組み替えただけで、どうしてこうなるのか?と

「まるで魔法を見ているようです」

と木村さんも弓江さんもおっしゃっていました。

 

でもそれは紛れもなく、

二人で決めた編成だったのです。

 

直観で決めた編成です。

 

ただ、私には

こうなることは何となく予測がついていました。

 

なぜなら、「相性」とは

反応本音レベルの相性と

真本音レベルの相性が

あるからです。

 

二人コーチングの場で、

木村さんと弓江さんが発想したペアは、

思考レベルではNGだったのですが、

それは二人が、

反応本音レベルでの相性を見ていたから

でした。

直観レベルでOKと思えるということは、

恐らく、真本音レベルでの相性が

良いのだろうな、と

私は予測していました。

 

そして、本当に

そうだったのです。

 

真本音レベルの相性の度合いのことを

私は

『調和性』

と呼んでおり、

二人が新たに編成し直したペアは

その調和性に富んでいました。

 

そして、

真本音レベルでの発想は、

その後の「想定外の現実」に対しても

調和をしていきます。

 

平井さんの話によると、

新規事業プロジェクトチームからは

主要メンバーが抜けるということ。

ということは、これまで「真剣でなかった」

若手社員中心のチームになるということです。

 

しかし、この1ヶ月の若手社員の成長ぶりを

見ていますと、

確かに、木村さんが「大丈夫です」というのも

私は理解できました。

 

1ヶ月前の二人コーチングによる

新たなペア編成が成されていなければ、

この事態に対応することは

難しかったでしょう。

 

私は平井さんに申しました。

 

「私も、木村さんと弓江さんの意見と

同じです。

彼らはきっと、やりますよ。」

 

それを聴いた平井さんの表情を

私は忘れることができません。

 

本当に嬉しそうな彼のお顔を拝見して、

ますます、

「これはいけるな」と

私は確信しました。

 

そしてその後、

新規事業プロジェクトは、

若手中心のチームとして本当に

目標達成を遂げることになります。

 

つづく

 

想定外のマネジメント

「肚が据わる」という言葉があります。

 

肚が据わっている人は

精神的に非常に強い人である、という印象がありますが、

実は、そうではありません。

 

本当に肚が据わっている人は、

自分の弱さをすべて知っている人です。

自分の弱さをあるがままに見つめることができる人です。

 

自分の弱さにフタをして、イキがって勢いだけで進むのは、

「肚が据わる」とは真逆の状態です。

それは「ごまかし」です。

 

人は弱い。

 

自分は弱い。

 

そういった「事実」をあるがままに受け止められる人こそが

「肚が据わった」判断ができます。

 

「現実」とは、

想定外のことがいくつも起きます。

 

「想定外のことが起きること」

それが現実だと定義しても良いくらいです。

 

イキがって、「それは想定内のことだから」と言っているうちは

本質的には、現実逃避と変わりません。

 

想定外のことが起きた。

うわーっ、どうしよう?

混乱だ。混沌だ。自分を見失う!

というすべての現象をあるがままに受け取ることで、

私達は「肚が据わった」状態に入れます。

 

それは「覚悟を持った状態」であり、

人としての「自然体」です。

 

「自然体」に戻れば、

人は「最善の選択」ができます。

 

心配をしなくても、

「想定外のことがわざと起こるように出来上がっている」

のが「現実」なので、

それらをすべて楽しんで進みましょう。

 

さて、平井さんの話に戻ります。

(→前回記事)

 

私が平井さんに対して「すごいなぁ」と思えることの一つは、

「想定外のことを楽しむ」力です。

 

平井さんは言われます。

 

「私は、人が好きです。

なぜなら、人は、想定外だからです。

人は、予測できないからです。

あぁこの人のことはよくわかった、と思った瞬間に必ず、

その人は想定外のことをします。笑

それが、人の面白さではないでしょうか。

だから私は、人をコントロールすることをあきらめました。

想定外のことをするのが人である、というように

自分の中で定義づけることで、初めて

本当のマネジメントができるようになった気がします。」

 

そしてさらに続けられます。

 

「私にできることは、

人と人を結ぶことです。

今は、誰と誰を結べば、想定外に面白いことが起こるだろうか?

という観点から、マネジメントをしています。」

 

それが平井さん流のリーダーシップでもあるんですね。

 

しかし私こそ、平井さんに対して「想定外の面白さ」を

感じます。

あれだけ、自分を失くしていた人が、

今は自分を取り戻すどころか、人の可能性を

想定外に引き出しています。

 

「想定外の人生を楽しむ」平井さんの姿は

私の想定外でした。

 

私は平井さんから随分と

勇気をいただきました。

 

人生は、想定外だからこそ素晴らしい。

 

人は、想定外だからこそ素晴らしい。

 

想定外である人生を、

想定外である人を、

どのように活かすか?

それこそが、本来のマネジメントである、と。

 

マネジメントとは「管理」であると

一般的には言われていますが、

私は思います。

マネジメントとは、「自由」であると。

いかに人本来の「自由」を引き出すか?

それがマネジメントであると。

そしてそれが中途半端ではなく、

本当に成されることで、「調和」が起こると。

本当の自由は、調和を起こす。

その「調和」を起こすことこそが

マネジメントであると。

 

今の私の組織活性化サポートの核になる部分を

私は平井さんから随分と学ばせていただいたのです。

 

つづく

 

『目標は達成するためにある?』

目標とは
達成するために
あるものでは
ありません。

目標とは、
設定してそれに向かうことで、
目標達成することで得られる現実
よりも、
もっと凄くて
もっと素敵で
もっと嬉しい
想定外の現実を
生み出すための
起爆剤です。

ですから
目標達成は
当たり前。

むしろ、
目標を達成するだけの
人生であるならば
次第に心は
疲弊してくるはずです。

目標を設定し、
それに向かう醍醐味は
それにより
「想定外」を
生み出すことです。

時々、
「私は想定外の人生が好きなので、
 目標は立てないのです」
という人がいます。

残念ながらその人は
本当の意味での「想定外」の
感動を
知りません。

「想定外」と言いながら、
それはどこか
「想定内の想定外」
のはずです。

何かを決めて
その一点に向かうことで
私達は初めて
本気
になれます。

そして、
本気を出せて初めて、
想定外に素敵なこと
が起こります。

そしてさらに、
そういった素敵な想定外を
生み出すための
最善のサポートのできる人が
チームパフォーマンスコーチ
です。

ですから
チームパフォーマンスコーチは
自らの人生の
目標を常に持っています。

それは自分を縛るものではなく、
自分を自由にしてくれる
目標です。

そんな目標を
自ら見つけることのできる人が
チームパフォーマンスコーチ
です。

つづく